北里大学特別栄誉教授 大村智さん(81)/昨年ノーベル医学生理学賞を受賞(大村さんは前列左から2番目)。功績をたたえ、母校の山梨大学に胸像がつくられた (c)朝日新聞社
世界初のエイズ治療薬も認知症治療薬も日本人がつくった〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161102-00000209-sasahi-soci
AERA 2016年11月7日号
難病の治療薬や生活習慣病の改善薬など、実は日本人が開発した薬は多い。研究者の思いと執念が新しい薬の誕生を切り開いた。
世界で真の新薬を創製できる国は、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スイス、そして日本の6カ国しかないとされる。日本発で、あるいは日本人が関わって世界に認められた薬が実はいくつもあることは、意外と知られていない。
2015年のノーベル医学生理学賞は、薬を開発した日本人に贈られた。北里大学特別栄誉教授の大村智さんだ。
「微生物が作っていてくれたんだけども、それを見つけてよかったなと思った」
大村さんは、アフリカを訪ねた時の思い出を噛みしめるように語った。自ら発見した薬が、現地の生活を一変させたことを実感したのだ。
大村さんらが静岡県・川奈のゴルフ場近くの土壌から見つけた新種の放線菌が生産する物質エバーメクチンは、米メルク社が、風土病であるオンコセルカ症(河川盲目症)の特効薬イベルメクチンとして開発。年間3億人以上が服用し、失明の危機から救われている。
●薬の種は微生物が生む
エバーメクチンは同社で改良され、まず1981年に家畜の抗寄生虫薬として発売された。83年には動物薬の売り上げトップに。世界中で食料と皮革の増産につながり、犬のフィラリア症などの予防薬としてペットにも多用された。
大村さんらのグループでは、微生物が作り出す500種近い物質を発見、うち26の化合物が医薬品や農薬、研究用の試薬に使われている。イベルメクチンは無償供与されたが、それ以外から得た特許料で、病院設立や北里研究所の再建を成し遂げた。
「微生物は何万年も前から物質を作っている。そこには病気を治すものもある」
と、大村さんが言う通り、土壌を採取して微生物を培養し、新規物質を探すのは、創薬の“王道”でもある。最初の抗生物質ペニシリンは青カビから、結核の特効薬となったストレプトマイシンは放線菌から発見され、発見者のフレミングとワクスマンもノーベル賞を受賞している。
そんな幸運な微生物との邂逅(かいこう)を果たした人は、日本にもまだいる。72年、三共(現・第一三共)の研究者だった遠藤章さん(現・東京農工大学特別栄誉教授)は、6千種類以上の菌類を調べ上げた結果、京都の米屋で見つかった青カビから、コンパクチンと呼ばれる物質を発見した。後に「スタチン」と総称される物質の第1号であり、コレステロール合成に関わる酵素を阻害する作用がある。
現在、コレステロール低下薬として、メバロチンなど世界で7種類(日本では6種類)のスタチンが発売され、数千万人が服用している。スタチンは“動脈硬化のペニシリン”と評価される。当初、健常なラットではコレステロールを下げることができず、遠藤さんは開発を断念しかけたが、余分な血中コレステロールがある産卵鶏では劇的な効果が得られた。しかし、残念ながら当時の日本は、欧米とは創薬への積極性や執念に差があり、産学が協力する仕組みも乏しく、新薬発売では米メルク社に先を越された。
藤沢薬品工業(現・アステラス製薬)の研究者だった木野亨さんらは、筑波山の土壌の放線菌の産生物の中から、強力な免疫抑制物質を発見した。93年、既存の免疫抑制薬を上回るプログラフ(タクロリムス)という薬となり、移植医療を前進させた。後に、アトピー性皮膚炎治療の外用薬プロトピック軟膏なども発売された。
●感染恐怖を抱えながら
81年、後天性免疫不全症候群(エイズ)患者が初めて報告されると、明日知れぬ死病として世界中を恐怖に陥れた。しかし現在、エイズが死病でなくなったのは、熊本大学特別招聘教授の満屋裕明さんが発見した薬が化学療法への道を切り開いたためだ。
85年、米国立がん研究所に留学していた満屋さんは、実験中に自らも感染する恐怖と向き合いながらも治療薬開発に取り組み、元は抗がん剤として開発された逆転写酵素阻害薬アジドチミジン(AZT)に、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)の増殖を抑える作用があることを発見した。AZTは世界初のエイズ治療薬として、87年に米国で歴史的な速さで承認された。しかし当時、年間1万ドルという史上最高値の薬価が付けられたことや副作用の強さを憂えて、90年代に入り、ジダノシン(ddI)、ザルシタビン(ddC、後に製造販売中止)という第2、第3のエイズ治療薬も送り出した。
3剤は完全な薬ではなかったが、もっと良い薬が出るまで、「生き延びよ、時間を稼げ」を合言葉に、満屋さんは研究を続けた。07年には、HIVに特有な酵素の働きを抑える、新たなメカニズムの薬ダルナビルも開発した。その後も世界中でエイズ治療薬の開発が進み、現在は、HIVに感染しても適切な服薬をすれば、非感染者と同様に生きられるまでになった。
「病める人に尽くしたいという幸せな病気にかかっている」
と満屋さんは語る。
●母の認知症がきっかけ
世界で初めての認知症治療薬を創製したのは、高卒でエーザイに入社した研究者、杉本八郎さんだ。夜学などで合成化学の知識を蓄えると、30歳で自らの母親が、息子の顔も分からない認知症になったのをきっかけに、治療薬開発を心に期した。「土曜も出勤せよ」「週に5体以上合成せよ」と、若手にうとまれながらも檄を飛ばし、自社で合成した1千以上の化合物の中から、ドネペジル(アリセプト)の創製に漕ぎ着けた。
アリセプトは97年、まず米国で発売された。アルツハイマー病の症状の進行を緩やかにするだけで根治薬ではないが、患者がその人らしく過ごせる時間を延ばし、介護にかかわる家族や社会の負担軽減に貢献している。
生活習慣病の薬は、もはや飽和しているように見えるが、帝人ファーマが、アメリカで09年、日本で11年に発売したフェブリク(フェブキソスタット)は、実に40年ぶりの新しい痛風・高尿酸血症薬となった。
60年代に創られた尿酸生成抑制薬ザイロリック(アロプリノール)は効き目の高さから、長らく市場の4分の3あまりを占有してきた。それに加え、メルカプトプリン、アザチオプリン、アシクロビルなど5種類の薬を開発した英国のエリオンとヒッチングスは、88年にノーベル医学生理学賞を受賞した。
●生きた証しに薬を創る
繊維不況で多角化を目指す中、帝人の近藤史郎さんが創製したフェブリクは、1日1回の服用で尿酸生成の触媒酵素の働きを妨げ、副作用は少なく、腎機能が低下している患者にも使えるといったメリットを持つ。
日本医科大学教授だった西野武士さんが、世界最高性能の放射光を利用する大型実験施設「SPring−8」を駆使して、目指す薬と酵素の複合体の立体構造を突き止めたことも、製品化を大きく後押しした。
このほか生活習慣病薬では、田辺製薬(現・田辺三菱製薬)の合成化学者が、インスリンに依存せず、血中の糖を尿中に排泄するという全く新しいタイプの治療薬(SGLT2阻害薬)のコンセプトを提唱した。カナグリフロジン(カナグル)は13年、米国でいち早く製剤化された。
自己免疫疾患である関節リウマチでは、近年、抗体医薬(抗体が抗原を認識する特異性を利用した医薬品)と呼ばれる画期的な生物学的製剤が革命をもたらした。本来は外敵を攻撃する免疫系が自己を攻撃するのは、免疫細胞がシグナルとなる情報伝達タンパク質(サイトカイン)を産生するためだ。大阪大学の岸本忠三さん(のち大阪大学14代総長)らは、インターロイキン6というサイトカインを発見した。中外製薬と共に開発したトシリズマブ(アクテムラ)は、国産初の抗体医薬だ。
岸本さんは、生きた証しとなる薬を残せたことを幸せだと感じ、「アクテムラが、アスピリンのように世界中で誰でも知っている薬に育つこと」を夢に描く。
そして、21世紀に入って熱い期待を集めているのが、がん免疫療法である。京都大学の本庶佑さんらが発見した免疫チェックポイント分子(免疫にブレーキをかける分子)PD−1の働きを阻害するオプジーボ(ニボルマブ)は、本庶研究室の貢献により、14年に小野薬品工業から世界に先駆けて発売された。
日本人研究者が世界に送り出した薬をもっと誇りに思っていい。そして、どんな薬も完全無欠とは言えず、創薬の営みに終わりはない。(ジャーナリスト・塚崎朝子)