シリアの激戦地アレッポ:破壊は限界点に 溶けたろうそくのように建物が破壊されていく
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アレッポの墓地はスペースが足りず、新たな遺体は古い墓の中に重ねて埋葬する PHOTO:AMEER AL HALABI/PRESS SERVICES NETWORK FOR THE WALL STREET JOURNAL
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RAJA ABDULRAHIM
2016 年 10 月 27 日 11:03 JST
シリア北部の激戦地アレッポ。先月、カシム一家16人の遺体ががれきと化した家から堀り出されたとき、アレッポ最大の墓地の一つにさえ、もう埋葬する場所は残されていなかった。
そこで親族7人の墓が掘り起こされ、16人の亡きがらは分けて埋葬された。墓堀りの仕事に就いたばかりのアフマド・サバグさんは「古い骨を脇に寄せ、そこに新しい遺体を下ろした」と話す。母親の遺体は2人の子供と一緒に祖母が眠る墓へ、他の子供は祖父の墓に埋められ、男性たちの遺体はそれぞれの父親の墓に入れられたという。
埋葬場所の悩みは、息詰まる包囲攻撃の中で、アレッポ東部の住民が味わう数々の悲哀の1つに過ぎない。
反体制派が掌握するアレッポ東部の約30万人の住民は、アサド政権の封鎖を受けて水や食料、燃料の供給ルートを断たれた Photo: Ameer Al Halabi/Press Services Network for The Wall Street Journal
市の東部は反体制派の支配下にあるが、7月にアサド政権がこれを封鎖したことで約30万人の住民は食料や燃料、医薬品の供給ルートを絶たれた。5年以上に及ぶ内戦に続き、政府軍とその後ろ盾であるロシアの激しい爆撃を受けるアレッポはすでに限界点に達している。
シリア内戦の調停にあたる国連のスタファン・デミストラ特使は今月、「アレッポ東部はこのままでは完全に破壊し尽くされる」と危機感を示した。
ホワイトヘルメッツの救助作業員
パンを焼く住民。反体制派が備蓄する小麦粉はまもなく底をつく
崩壊した建物の1階で生活する家族
PHOTOS: AMEER AL HALABI/PRESS SERVICES NETWORK FOR THE WALL STREET JOURNAL(3)
衛星画像で見ると、アレッポはシリアの中でも破壊の度合いが際立っている。世界銀行が今年公表した報告によると、過去2年間で破壊スピードは倍加したという。シリア6都市における住宅、医療、教育、水、エネルギーへの被害のうち58%をアレッポが占める。世界銀行の推定では、2016年3月時点で住居用建物の29%が損壊または全壊していた。その後、破壊力の一段と大きな武器を使用した攻撃が拡大し、被害は加速している。
シリアの人道支援団体「ボニアン」のアレッポ支部長は「ガラスをつけ直すのに疲れた」と嘆く。爆撃で破壊されたガラス窓のことだ。飛び散った破片で大勢のけが人や死者が出ているため、不透明なガラス繊維や防水シートで代用している。「アレッポにはもうガラス板が残っていない」
紀元前5000年ごろに人々が住み始めたアレッポは、コンスタンチノープルに次ぐシルクロードの要衝として栄えた古代都市だ。ドローンで撮影された現在の映像では、建物が溶けたろうそくのように破壊されているのが確認できる。ユネスコの世界遺産に指定される古代の市場なども深刻な被害を受けた。
2011年3月の内戦勃発以来、アレッポの死者数は1万0450人に上る。反体制派の人権監視団体「シリアン・ネットワーク・フォー・ヒューマンライツ」によると、米ロによる停戦合意が破たんした9月19日以降、反体制派の地区で360人を超える民間人(子ども約100人と女性55人含む)が犠牲になった。国連によると100万人以上が家を追われ、300万人だった内戦前の人口はほぼ半減した。
デミストラ特使は「第2のスレブラニツァ(ボスニア・ヘルツェゴビナの町)、第2のルワンダ」だとし、「シリアではテロリストではなく、民間人が何千人も殺される」と警鐘を鳴らした。
‘これは通常の戦争ではない。子どもを標的にした汚い戦争だ。’
—アレッポ市医療当局のモハマド・アルゼイン氏
シリア軍とロシア軍は先週、一時停戦を実施した。表向きは包囲されたアレッポ東部に支援物資を届け、住民に脱出の機会を与える目的だった。しかし停戦中の3日間に支援物資は届かず、住民や医療関係者によれば、政府支配地域に移動しようとした民間人数人が政府軍の狙撃兵に撃たれた。
9月の停戦崩壊後、アサド政権はアレッポ全域を制圧するための攻撃に着手。市東部では激しい空爆や迫撃砲による攻撃が毎日実施され、政府軍とシーア派民兵が前線に押し寄せている。
一方、反体制派も市西部の政府支配地域に攻撃を仕掛けるが、彼らの武器は破壊力ではるかに劣る。アレッポ西側では電気や水が不足するものの、比較的普通の生活を送ることができる。
アレッポ東部の住民は取材に対し、「もはや見る影もない」と語った。ガソリンを買える人がほとんどおらず、かつて渋滞した道路に車の姿は見られない。賑やかだった商業地区は空き店舗が並ぶだけだ。
医師や看護師、救助作業員も不足している。市の医療管理当局のモハマド・アルゼイン氏は、アレッポ東部に残っている医師はわずか30人だと話す。激しい空爆のさなかには負傷者が担架を共有したり、血まみれの床に寝かされたりして治療の順番を待つ。
待っている間に亡くなる負傷者もいる。疲れ切った医師がミスを犯すこともある。シリアで民間人を守る活動をする「ホワイトヘルメッツ」の責任者、アンマール・アフマド・アルセルモ氏は、最近死亡したある男性は麻酔薬を誤って過剰投与されたと語る。
同氏によると、ホワイトヘルメッツは度重なる攻撃を受けた。直近の攻撃では2つある建物の1つが破壊され、多数の救急車を失い、救助作業員6人が負傷した。同団体は今年のノーベル平和賞にノミネートされた。
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ほとんど破壊された常設市場(ユネスコ世界遺産)を歩く反体制派の兵士 PHOTO: AMEER AL HALABI/PRESS SERVICES NETWORK FOR THE WALL STREET JOURNAL
燃料不足も深刻だ。包囲される前は発電機が夜間もうなりを上げていたが、今は1日2時間程度しか動かない。「その後に聞こえるのは飛行機と爆撃、物が壊れる音だけだ」と住民の1人は話す。
照明はろうそくが頼りだが、ろうが不足する今は高値だ。暖房は旧式のガスストーブを使う人が多い。公共の場に植えられていた樹木は大半が薪として使われたという。
気温が零度付近まで下がる冬を前に不安が高まっている。暖房も窓ガラスもない野戦病院で働くある医師は、アレッポで数年前に3人の赤ちゃんが生後すぐに死亡したことを思い出す。赤ちゃんをくるむための毛布すら凍っていたのだ。
給水ポンプの燃料が足りないため、生活水は井戸からくみ上げなければならない。市医療当局のアルゼイン氏は最近、6歳の少女が井戸から水をくんで帰るのを見かけた。2リットルが入る飲料ボトルと大きな水入れを懸命に運んでいたが、自宅近くでうっかり両方とも落とし、水がくぼみだらけの道路に流れ出した。彼女は泣いて悔しがったが、きびすを返して井戸に向かったという。
「彼女のような子どもは本来、学校にいるべきだ」と同氏は話す。「これは通常の戦争ではない。子どもを標的にした汚い戦争だ」
戦争の爪痕−無残に破壊された都市の姿
シリアのアレッポ、アフガニスタンのカブール、レバノンの西ベイルート、ドイツのベルリン、東京、そして広島――。第二次世界大戦から現在に至るまで、戦争や内紛によって破壊された世界各地の都市の無残な姿が写真に残されている。
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London, bombed by Germans in 1941. HULTON DEUTSCH/CORBIS/GETTY IMAGES
The rebel-held side of Aleppo, Syria, earlier this month, bombed by Assad and Russian forces.JAWAD AL RIFAI/ANADOLU AGENCY/GETTY IMAGES
Pre-war Aleppo, in 1997. ULLSTEIN BILD/GETTY IMAGES
Kabul, Afghanistan, and its Grand Mosque in 1994, after the Soviet-Afghan war, which lasted from 1979 to 1989. LAURENT VAN DER STOCKT/GAMMA-RAPHO/GETTY IMAGES
The National Library in Sarajevo in 1994, during the war in the former Yugoslavia. ANDIA/GETTY IMAGES
Destroyed houses in Muslim West Beirut in 1989. Residential areas on both sides of the capital were shelled during the 15-year Lebanese civil war. AHMAD AZAKIR/ASSOCIATED PRESS
Berlin after Allied bombing at the end of World War II. UNIVERSAL HISTORY ARCHIVE/GETTY IMAGES
Tokyo after incendiary bombs dropped by U.S. and British planes in World War II. CORBIS/GETTY IMAGES
Hiroshima, Japan, after the atomic bomb in August 1945. UNIVERSAL HISTORY ARCHIVE/GETTY IMAGES
Warsaw, Poland, during World War II. BETTMANN ARCHIVE/GETTY IMAGES
Stalingrad, U.S.S.R., bombed by the German army in 1942.MONDADORI/GETTY IMAGES
Dresden, Germany, bombed by Allies in World War II. HULTON DEUTSCH/CORBIS/GETTY IMAGES
The ruins of Coventry Cathedral in Coventry, England, bombed by Germans in November 1940. CENTRAL PRESS/GETTY IMAGES
London, bombed by Germans in 1941. HULTON DEUTSCH/CORBIS/GETTY IMAGES
The rebel-held side of Aleppo, Syria, earlier this month, bombed by Assad and Russian forces. JAWAD AL RIFAI/ANADOLU AGENCY/GETTY IMAGES
10年生の英語の授業を担当するウィッサム・ザルカ氏は今月、世界の料理を写真付きで紹介する授業をやらないでくれと生徒たちに頼まれた。コメやマカロニ、缶詰の豆などが手に入りにくくなっているからだ。市東部を統治する反体制派は住民が食べるパンのための小麦粉を備蓄するが、評議会メンバーのモサーブ・カラフ氏は、それもまもなく底をつくと話す。
空爆を避けるため、生徒と教師は地下室に潜った。しかし政府軍とロシア軍がサーモバリック爆弾(気化爆弾)を使い始めたことで、地下シェルターは意味をなさなくなっていると住民は話す。国連はこの種の爆弾を組織的に使うことは戦争犯罪にあたると指摘している。
オバマ米政権は今月初め、シリア停戦をめぐるロシアとの協議を停止。ロシアとシリア政府が病院や民間人を狙って攻撃しているとし、戦争犯罪の調査を受けるべきだと述べた。
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子どもの遊び場も墓所として使われている PHOTO:AMEER AL HALABI/PRESS SERVICES NETWORK FOR THE WALL STREET JOURNAL
「前に破裂弾が落とされ、けが人が出た道路で子どもたちは遊んでいる。ほとんど無関心になってしまっている」。こう話すのは、2人の小さな娘を持つタハニー・アリカージさんだ。「『きょうは爆撃があるから外で遊んではいけないよ』などとは言えない。爆撃は日常茶飯事だから」
1万3000区画がある広いサハール墓地には新しい墓を作る場所がなく、昨年から古い墓を再利用している。
墓堀りの仕事をするサバグさんは、墓石を買う余裕がある人はおらず、政府による封鎖のせいで石やセメントの供給が止まったと話す。
遺族はこれまで街頭に3日間設営する習慣だった追悼用のテントを差し控えている。標的にされるからだ。2カ月前、ある若者の死を悼むためのテントがロケット弾で攻撃され、25人が死亡した。
葬儀はほとんど行われない。攻撃を受ける恐れがあるため、執り行う場合は早々に済ませ、コーランの一節を手短に唱えて解散する。
墓地に場所がないときは空き地や公園に埋められる。公園には遺体を急いで埋めただけの急ごしらえの墓が列をなしている。
市医療当局のアルゼイン氏は、自分たちはこれを「殉教者の公園」と呼んでいると語った。
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墓地はほとんど満杯で、新たな遺体は空き地や公園に埋葬されている PHOTO: AMEER AL HALABI/PRESS SERVICES NETWORK FOR THE WALL STREET JOURNAL
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