※日経新聞連載
習近平の支配 闘争再び
(1)あらがえば痕跡残さぬ 政敵の遺物砕く
8月5日午前0時、中国の遼寧省大連。闇に紛れ、数十人の男が「星海広場」にそびえる20メートルの石柱「華表」の下に集まった。突然、電動カッターから火花が散り、重機がうなる。中国で権力を象徴し、白い玉石に竜の昇る姿が刻まれた柱はわずか30分で砕け散った。
別格の指導者
権力闘争への号砲だった。この石柱を建てたのは、かつての大連市長、薄熙来(67)。2012年秋の中国共産党大会で権力の頂点に上った現国家主席、習近平(63)の政敵の一人だ。
習への権力移行にあらがった薄は、習の手で獄につながれた。再び1年後に迫る5年に1度の党大会。7人いる最高指導部が入れ替わり、習の後継者選びも焦点となる。習は苛烈な闘いを前に政敵の遺物を撤去し「敵対すれば痕跡さえ残さぬ」と宣言してみせた。
習は反腐敗を旗印に政敵を次々と追い落とし、党内に「踏み絵」も迫る。習の側近で政治局員の栗戦書(66)は6月、党内で習を「核心」とたたえた。別格の指導者を意味する表現だ。9月、天津市トップに就いた李鴻忠(60)は「核心である習総書記」と表明。2代前の国家主席、江沢民(90)に近かったが、表向き習への忠誠を装った。
だが引き締めすぎた手綱への反動は強まる。
8月、河北省の避暑地で開かれた毎夏恒例の「北戴河会議」で長老らは不満を漏らした。「いくら反腐敗運動を進めても民衆の生活は豊かにならない」。習の強権への批判だった。
ナンバー2と摩擦
9月末、党指導部が開いた「勉強会」に中国全土の注目が集まった。題材は前国家主席、胡錦濤(73)が出版したばかりの全3冊の発言集。習は「重要な教材だ」と持ち上げた。国営中央テレビは勉強会の様子を約10分にわたって報じた。
注目を集めたのは、胡の直系で、政権ナンバー2、首相の李克強(61)と習との摩擦が目立つためだ。
7月、同じ国営中央テレビは奇妙なニュースを伝えた。「習と李がそれぞれ国有企業改革で指示」。習が会議で「大きな国有企業にせよ」と命じると、李は「痩せて健康体の国有企業」をめざせと力を込めた。「2人の考えの違いはもはや隠せない」(党関係者)
習はこれまで2代前の江に連なる勢力をたたくことに力を注いできたが、胡や李と同じ共産主義青年団の出身者も反腐敗の標的にし始めた。胡や李との関係が冷える中、胡をたたえる勉強会を開く。習の権力集中もすんなりとは進まない。
習はさらなる権力集中をめざし、24日からの指導部の会議で党内ルールの改定を議論させるという。習はその日程や議題を詰める会合を李が外遊から帰国する前日に開いた。ナンバー2を待つことはなかった。
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中国の最高指導部人事を決める共産党大会が1年後に迫る。「大国」を揺らす権力闘争は、世界経済やアジアの安全保障にも影響を及ぼす。「習近平の支配」の行方を追う。
=敬称略(関連記事国際面に)
[日経新聞10月16日朝刊P.1]
[習近平の支配キーワード]共産党大会 最高指導部人事を決定
中国の指導部人事が大きく動くのが5年に1度の共産党大会だ。共産党が一党支配する中国では、党大会が次の5年間の国家運営体制を決定づける。権力闘争は頂点に達し、党の「トップ25」に当たる政治局員が失脚することも珍しくない。
2017年の次期党大会では、最高指導部である政治局常務委員の「定年」を延長するとの臆測が絶えない。国家主席、習近平(63)の右腕で、17年に69歳になる中央規律検査委員会書記の王岐山を留任させるとの見方からだ。02年党大会で「68歳で引退」とのルールが採用されたが、今も明文規定はない慣習だ。
常務委員の定員も焦点の一つだ。現行は7人だが、02年から10年間は9人。過去には5人の時期もあった。「習が権力集中を強めるため5人に減らし、後継者となる世代を昇格させない」との見方が取り沙汰される。
党内情勢は習の盟友や元部下ら「習派」のほか、前国家主席の胡錦濤(73)や首相の李克強(61)につながる共産主義青年団(共青団)出身者、2代前の国家主席、江沢民(90)に連なる「江派」の3つに大別される。複数のグループと関係を持つ場合も多く、権力闘争の構図をより複雑にしている。=敬称略
(1面参照)
[日経新聞10月16日朝刊P.5]
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(2)ゾンビ企業増殖 強権も通じぬ経済の持病
人民元の切り下げや上海株の急落が世界の市場を激震させた昨夏と比べ、足元の中国経済は表向き落ち着いている。だがその背後では「またか」と思うような問題の先送り機運が漂う。
「指導であり、命令ではない」。山西省の銀行監督当局トップ、張安順(57)らは9月20日、記者会見で強弁した。同省政府は石炭業界向け短期融資を中期融資に切り替えるよう銀行に促していた。不振企業の資金繰りを支えるためだ。
「多くの人が気にかけている。中国は改革開放を続けられるのか、と」。9月3日、国家主席の習近平(63)は浙江省杭州で国内外の企業家らを前に、構造改革の遅れに対する懸念を払拭しようと努めていた。
習は2012年秋に中国共産党トップに就いて以来、景気への配慮か、改革の推進かという2つの課題の板挟みにあってきた。一党支配の体制を守るためには社会不安を招く景気の悪化は容認できず、改革の先送り機運が持病のようにまとわりつく。しかも中国経済は10年をピークに成長が鈍り続ける局面に入った。
金融不安の火種
「心配するな。カネはある」。3月、河北省邯鄲。地元金融機関「河北省農村信用社」に現金輸送車が横付けされ、窓口に百元札が山積みされた。住民の周飛(28、仮名)は朝から並び、3万5千元(約54万円)の預金全額を下ろした。「農村信用社がつぶれる」との噂を耳にしていた。
08年のリーマン・ショック後、中国は4兆元対策で銀行融資を膨らませた。国際決済銀行(BIS)によると、中国の企業債務の国内総生産(GDP)に対する比率は08年9月末の97%から16年3月末には169%まで急上昇した。過大な借金が金融不安の震源だ。
「破産させるべきは破産させる」。5月、共産党機関紙・人民日報の1面で匿名の「権威人士」は訴えた。習の側近、中央財経指導小組弁公室主任の劉鶴(64)らが書いたとされ、習が改革断行への決意を示したと受け止められた。だがその威光も絶対ではない。
なれ合い、壁厚く
石炭、鉄鋼など主要産業の不振でマイナス成長に沈む遼寧省。省内の国有鉄鋼大手、東北特殊鋼は10日、破産した。一見すると「権威人士」の主張通りだが、同社は社債の元利を期日通り払えない債務不履行を繰り返し、その数は9回に上った。雇用を守りたい地方政府と救済を期待する銀行のなれ合いの壁は厚い。
同じ日、北京では国務院(政府)が「債務の株式化」の指針を公表した。企業の借金を株式に替え、利払い負担を軽くするという。だが「権威人士」は「安易に債務を株式化するな」と訴えていた。経済の非効率という病根は残るからだ。
中国では上場する鉄鋼業の半分が借金まみれで利益の出ない「ゾンビ企業」とする研究もある。市場の規律を無視した安易な企業救済がはびこりはしないか。強権を誇る習も、経済の持病を癒やす処方箋を探しあぐねている。
(敬称略)
[日経新聞10月18日朝刊P.1]
[習近平の支配キーワード]指導小組 党中央に権限集中
中国では共産党が政府さえも指導する。この一党支配の体制を支える仕掛けが「指導小組」と呼ばれる党中央の組織だ。政府の上に立ち、経済や外交など各分野の事実上の最高意思決定機関となる。国家主席の習近平(63)は「全面深化改革」と名付けた小組も新設し、自ら「組長」を務め、権限を集中している。
9月24日、全面深化改革指導小組の発足から1000日がたった。国営中央テレビによると計27回の会議を開き、162件の文書を決めた。司法、税財政、国営企業の報酬、サッカーと取り上げるテーマは幅広い。
指導小組が大方針を決め、具体的な施策は首相の李克強(61)がトップに立つ政府(国務院)が担う。党が意思を決め、政府が従う仕組みだ。
経済運営を担う中央財経指導小組の組長も習が務め、副組長の李が脇を固める。実務を取り仕切る事務方トップの弁公室主任は、習の「経済秘書」と呼ばれる劉鶴(64)だ。副主任として中国人民銀行(中央銀行)副総裁の易綱(58)、財政次官の朱光耀(63)ら6人が仕えている。
中国の政策決定は不透明な部分が多いが、党の組織である指導小組に関する情報はさらに乏しい。中国の政策が分かりにくい一因だ。=敬称略
(1面参照)
[日経新聞10月18日朝刊P.6]
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(3)「弱ければ、たたかれる」 敗者ゆえ、強さ渇望
9月末、黒竜江省ハルビン。中国とロシアのビジネス交流会議でロシア人女性、マルガリータ・フェドトワ(33)が紹介されると、会場はどよめいた。「我が中国の紅三代です」。中国名、劉麗達。中国の第2代主席、劉少奇のひ孫だ。
フェドトワさんは11歳の時、中国の第2代主席のひ孫だと知った
中国では1949年の共産党政権樹立に携わった革命世代の子孫を紅二代、紅三代などと呼ぶ。「私たち家族から権力闘争の爪痕や記憶が消えることはない」。劉少奇の息子とロシア人妻の孫、フェドトワが11歳になるまで、父は家族の歴史を語らなかった。
血塗られた歴史だからだ。建国のカリスマ、毛沢東から主席の座を継いだ劉少奇は、その毛が66年に始めた文化大革命で失脚させられる。激しい迫害の末、最後はベッドに縛り付けられるようにして亡くなった。フェドトワの祖父はソ連のスパイと糾弾され、線路に身を伏せて自殺した。
劉家と現国家主席、習近平(63)のつながりは濃い。劉少奇の息子の一人、劉源(65)は習の盟友だ。最近まで上将として軍内の腐敗摘発を主導した。習の父、習仲勲も文革期に失脚しており、劉、習両家はともに権力闘争の敗者だった。
外交にも弱肉強食
文革が始まった半世紀前、習は中学校の教室の隅で背中を丸め、いじめに耐えていた。15歳から陝西省の農村に送られ、山肌をくりぬいた洞窟のような部屋で暮らす。北京の闘争からの避難は約7年続いた。
「弱ければ、たたかれる」。2012年、習は最高指導者に上り詰めた直後、こう語った。自身の原体験に1840年のアヘン戦争以来、列強の侵略に遭った祖国の歴史を重ね、「中華民族の偉大な復興」が「中国の夢」だと唱えた。
強さへの渇望が習の支配する中国の行動原理のひとつだ。弱肉強食の世界観は、外交にも色濃くにじむ。
「中国はいつスカボロー礁(中国名・黄岩島)を埋め立てるか」。日米の安全保障関係者は南シナ海を巡る中国の次の一手の分析を急ぐ。フィリピンと領有権を争う要衝に滑走路やレーダーが設けられれば、米軍の行動は大きく制約される。世界から非難されても、中国は強硬姿勢を緩めない。「米国と対抗するために必要だからだ」。中国の軍関係者はこう言い切る。
飛び交う臆測
9月4日、浙江省杭州での20カ国・地域(G20)首脳会議の開幕式。1年後の党大会で政権2期目に入る習は、治世前半の集大成の演出に腐心した。
会議場まで5分の道のりを米大統領のオバマ(55)やロシア大統領のプーチン(64)を従えて歩いた。翌日、会談した日本の首相、安倍晋三(62)には「日本は南シナ海問題で言動を慎むべきだ」と注文。官製メディアを通じ、大国の指導者としての姿を誇示した。
最高指導部である政治局常務委員制度の廃止、大統領制に似た権限の集中……。来秋の党大会を控え、中国では権力の行方を巡る様々な臆測が飛び交っている。
(敬称略)
[日経新聞10月19日朝刊P.1]
[習近平の支配キーワード]国家主席 名実とも最高指導者
「李先念」「楊尚昆」。日本人には一般になじみが薄いが、習近平(63)と同じく中国の国家主席を務めた人物だ。なぜあまり知られていないのか。かつては表向きの国家指導者が必ずしも絶対の権力者ではなかったからだ。
李と楊が主席だったのは1983〜93年。当時の真の最高実力者は改革開放路線の「総設計士」と呼ばれたケ小平だ。中国では共産党が政府を指導する立場にあり、その頃は中国建国に奔走した革命世代の長老も健在。建国のカリスマ、毛沢東の死後、ケは肩書と関係なく実権を握った。
89年の天安門事件で、ケは民主化を求める学生を弾圧。学生に同情的だった党総書記、趙紫陽を軟禁し、後任に江沢民(90)を据えた。江は93年、国家主席に就く。97年にケが死去し、現在と同じように党総書記が国家主席を兼ね、権力を一元的に握るようになった。
江から最高指導者の地位を引き継いだ胡錦濤(73)は、ケが生前に江の後継者に指名していた。一方、2012年に党総書記、翌年に国家主席となった習は異なる。カリスマ的な実力者の指名はなかった。当初は権力基盤の弱さを懸念された習。いまでは逆に、独裁を想起させる強権ぶりが目立つ。
=敬称略
[日経新聞10月19日朝刊P.6]
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(4)面従腹背 体制むしばむ もがく反発の芽
時間さえあれば、スマートフォンをいじる。今どきの若い女性、游●禎(25、●はくさかんむりに惠)。地元・香港で「女神」と呼ばれるが、国家にぶつける言葉は激しい。「自分を中国人だと考えたことなど、一度もない」
12日、香港立法会(議会)議員の就任宣誓の場で、「香港は中国ではない」と書いた幕を広げる游●禎さん(●はくさかんむりに惠)=ロイター
中国からの香港の自立を訴える「本土派」の一人。9月、4年に1度の香港立法会(議会)選挙で初当選した。12日の就任宣誓でも「香港は中国ではない」と書いた幕を広げ、猛反発した親中国派から議員資格の剥奪を求める声が上がる。
游らの脳裏に焼き付くのは昨秋からの事件だ。共産党に批判的な書籍を扱う「銅鑼湾書店」の店長・林栄基(60)ら5人が突如、中国当局に拘束され、テレビで「私は罪を認めます」と「自白」する姿が流れた。
1997年に英国から返還される際、共産党は香港に高度な自治や言論の自由を認める「一国二制度」を約束した。だが2012年に習近平(63)が最高指導者になると、香港を本土にのみ込む姿勢を急速に強めた。強権は反発を招き、立法会選挙で「本土派」の得票率は約2割に達した。
強権で隅々監視
「共産党の一党支配」を脅かす芽はないか。中国で共産党に代わり政権を担える組織は現実に見当たらない。習が恐れるのは共産党、国家の分裂。数百人に上る人権派弁護士を一斉に摘発するなど、社会の隅々に目を光らせている。
「来月号の原稿をすぐに渡せ」。7月14日夕、月刊誌「炎黄春秋」を発行する北京市内のビルに怒声が響いた。男たちが編集部を占拠し、ホームページも封鎖した。かつて習の父、習仲勲が「よくやっている」と評した改革派の名門誌も、有無を言わさず経営陣が一斉に交代させられた。
中国ではメディアは党の「喉と舌(代弁者)」と位置づけられる。それでも写真や詩に世情への風刺を込める記者もいる。そんな「限られた自由」さえ許さぬ重い空気が中国を覆う。
だが、強権が生んだ反作用が体制をむしばむ。
きょうも何もすることがない――。遼寧省の地方公務員、劉平(仮名、49)は朝8時半に出勤すると、新聞を読み時間をつぶす。食堂で無料の昼食をとり、昼寝。午後3時に退勤する。こんな生活が2年続く。習による反腐敗運動で企業誘致を担う劉の部署は監視対象に。「仕事して疑われるなら、何もしない」。同僚も似たり寄ったりだ。
「疑われる」恐怖
「これ以上、案件を見つけてくるな」。国有石油大手、中国石油天然気集団(CNPC)の海外事業チームに上司が繰り返し命じる。14年末、習は「石油閥」のドンで前政治局常務委員、周永康(73)を摘発。同社幹部も相次いで拘束された。目立てばたたかれやすい。上司は「疑われれば即、職を失う」と念を押す。
強権に表立って逆らえば損をする。ならば、面従腹背で嵐をやり過ごす。「事なかれ主義」という名のサボタージュ。習が支配を強めるほど、体制がまひする泥沼は深まる。
=敬称略
[日経新聞10月20日朝刊P.1]
[習近平の支配キーワード]一国二制度 台湾統一のための知恵
「一国二制度」は、1997年に中国に返還された香港に外交と防衛を除く幅広い分野で高度な自治を保障する枠組みだ。特別行政区の香港は独自の行政、立法、司法権を持ち、中国本土で認めていない言論や集会の自由もある。
社会主義体制の中国が資本主義など相矛盾する体制をのみ込むための論理で、もともとは台湾の平和的な統一に向けて考案された知恵だ。中国は英国との交渉で、香港では返還後も資本主義制度を50年間維持すると約束した。だがその約束は揺らぎつつある。
国務院(政府)は2014年6月、一国二制度に関する初めての白書で「香港の『高度の自治』とは完全な自治ではなく、中央が与えた地方事務管理権にすぎない」と、中央政府に香港の全面的な管轄権があると主張した。同年秋に民主派の学生らが主要道路を79日間にわたり占拠する「雨傘運動」の遠因となった。
著名な中国専門家、米ジョージ・ワシントン大学教授のデービッド・シャンボー(63)は、中国政府と大きな対立を引き起こす恐れがある不安定な地域として新疆ウイグル、チベット、台湾に加え、香港を挙げた。習指導部は共産党の支配体制を揺るがす「分裂主義」を警戒し、締め付けを強めている。
=敬称略
[日経新聞10月20日朝刊P.]
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(5) 「米と並ぶ国」へ秩序構築 「北斗」で世界覆う
8月上旬、200隻を超す中国漁船が沖縄県・尖閣諸島近海に押し寄せた。漁船には軍が指揮する「海上民兵」がいたとされ、一部は中国公船と日本の領海に侵入した。福建省泉州を母港とする漁船の船長、周敏(44)も日中衝突の危険漂う現場にいた一人だ。
「たくさん魚が捕れるからだ」。尖閣近海に出向いた理由を無愛想に語る周の船にも、軍事につながる仕掛けがある。中国が独自開発した人工衛星測位システム「北斗」の端末だ。
衛星からの位置情報はミサイルの誘導など現代戦を左右する。「有事」のカギを握る技術だけに、米国の全地球測位システム(GPS)には頼れない。中国は2012年、北斗をアジア太平洋地域で稼働させた。
周が「昨年、載せろと命令された」という北斗端末は、すでに4万隻の中国漁船に装備された。友好国パキスタンなど30カ国以上が使い始め、20年に衛星35基で世界全体を覆うという。
ドル覇権に挑む
「我が国の大国の地位を戦略的に支えている」。国家主席の習近平(63)は9月26日、弾道ミサイルを担当する「ロケット軍」を激励した。その前日、宮古海峡上空に計40機の戦闘機や爆撃機を飛ばした。宇宙、空、海。超大国・米国と張り合うように、中国は独自の秩序を押し広げている。
習は「中華民族の偉大な復興」を「夢」に掲げ、「2つの100年」を実現への節目としている。共産党創設から100年の21年と、共産党政権による中国建国から100年の49年だ。
「旧ソ連のように米国と正面から対峙しないが、一定以上の発言権を持つのは当然」。中国人民大学教授の陶文昭(51)が語るように、約30年後に近づく「夢」は、米国に並ぶ大国となることにほかならない。
「人民元決済の端末を東京の本店に置きませんか」。中国人民銀行(中央銀行)は日本のメガバンクに秋波を送る。15年秋に稼働した元の国際決済システム「CIPS」だ。中国は米国に次ぐ世界2位の経済大国だが、彼我の差は大きい。貿易や金融の決済で元の比率は2%。ドルは4割だ。
基軸通貨ドルの決済網というカネと情報の流れを握るからこそ、米国は金融制裁を武器に世界ににらみを利かせられる。米国の覇権に挑み、その口出しを拒む中国の仕掛けづくりが軍事と経済の両面で進む。
世界のルール逸脱
19世紀前半、中国は世界の国内総生産(GDP)の3割を占める超大国だった。列強に侵略された歴史を恥じる中国人は誰しも、「本来あるべき大国」に復する夢を「必然」と感じる。そんな中国人の愛国心に習が訴えるのは「夢を実現できるのは共産党だけ」という、自らの支配の維持を正当化する論理だ。
主張や利益が否定されると、習が支配する中国は国際的な司法判断さえ「紙くず」と言い放つ。大国の威信を取り戻す夢は自己増殖し、世界のルールからはみ出しつつある。(敬称略)
=この項おわり
[日経新聞10月22日朝刊P.1]
[習近平の支配キーワード]2つの100年 中華民族復興への夢
「私は中華民族の偉大な復興という夢が実現することを固く信じている」。中国国家主席の習近平(63)は共産党総書記に就いた直後の2012年11月29日、視察先で「中国の夢」というスローガンを公言し、「2つの100年」を時間軸に掲げた。
まず、共産党の創設から100年の21年までに「小康(ややゆとりある)社会」の実現をめざす。中国は世界2位の経済大国だが、農村に残る7000万人の貧困層をなくすなど、経済をテコに一党支配維持の正当性を強化する。
次いで、共産党政権の誕生から100年の49年に「社会主義の現代化した国家」をめざす。抽象的な言い回しだが、1840年のアヘン戦争以前、列強の半植民地に落ちる前の大国の地位を取り戻す意味だと解釈されている。
習は「太平洋には米中両国を受け入れる十分な空間がある」として、米国に「新型大国関係」を呼びかけている。共存をうたうこの言葉の本質は、南シナ海を巡る主権の主張など中国独自の「核心的利益」に関し、米国に不干渉を迫る意味がある。
=敬称略
大越匡洋、山田周平、粟井康夫、小高航、張勇祥、中村裕、阿部哲也、原田逸策、永井央紀、原島大介、島田貴司が担当しました。
[日経新聞10月22日朝刊P.6]