日銀本店=CC BY /OiMax
日銀は政府のATMになったのか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160922-00010000-socra-bus_all
ニュースソクラ 9月22日(木)10時0分配信
■日銀「新・金融政策」の真相
黒田東彦総裁が率いる日銀は21日、新しい金融政策の枠組みを発表した。
追加緩和の主軸にマイナス金利のさらなる引き下げに置いた。同時に、長期金利もコントロールの対象にするという。イールドカーブ(長短金利の曲線)・コントロールと命名した。
マイナス金利は欧州の中央銀行が先鞭をつけていたが、長期金利までコントロールするというのは新機軸だ。中央銀行の政策としては、また一歩、未踏の領域に踏み込んだといえるだろう。
同時に、政策目標をマネーの供給と言う「量」から、マイナス金利を活用する「金利」に置き換えた。「マネタリーベース(通貨供給量)を増やし続ければ物価は上がる」としてきた黒田ノミクスのとても、とても大きな転換だ。
この日、同時に「総括的な検証」を発表した。黒田総裁が就任した2013年以来の金融政策の効果を「総括的に検証」したものだ。「検証」は、これまでの黒田ノミクスが大いに効果があったとたたえている。それにも係わらず、量から金利への政策転換を正当化するという苦肉の内容だ。
物価目標の2%が実現できなかった理由を、もっぱら原油価格の下落に求めている。原油下落の物価への影響はもうなくなっているはず。原油が原因というなら、これから物価は放っておいても上がりだしそうだが、上がらないと見ている。フォワード・ルッキング(期待を織り込ませる)な物価への期待形成(日銀資料は、中央銀行の目標どおりに物価が動くと人々が信じることと説明している)をさらに強くすることが必要と導いている。
それが新しい金融政策の枠組みの下で「もうひとつの柱」と黒田総裁が言う、「オーバーシュート型コミットメント」なる政策を正当化する根拠になっている。
その内容はといえば、「物価上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまで緩和を続けること」とし、これまでの物価上昇2%が見込める状況になるまで緩和を続けるとしていたのに比べ、より強い約束(コミットメント)なのだという。
3年もの間、期待に働きかけて続けて来たのに、インフレ率は2%に届かなかった。国民がその差を理解して物価上昇を信奉するようになるのか。はなはだ疑問だ。
オーバーシュートにしろ、フォワード・ルッキングにしろ、イールドカーブ・コントロールにしろ、カタカナ、つまり英語の多い新政策の枠組みである。英語を使えば新味がでて、真剣さが伝わるはずだというのか。ちょっと子どもだましめいている。
強いて好意的に解釈すれば、国内投資家より海外投資家の理解を優先している、ということになるだろうか。
だが、市場はこれにだまされてくれた。オーバーシュート型コミットメントを打ち出したことの恩恵だろう。マネーの量を目標から取り下げたのにも係わらず、米国のような量的緩和の縮小(テーパリング)と誤解されるのを避けることができた。何が何でも緩和は止めないというメッセージを送ることはできた。猫だまし的作戦の成功である。
今回の政策の枠組み変更のより本質的ポイントは、長期金利を日銀が決めると踏み込んだことだ。なぜ、長期金利をコントロールする必要があったのか。
目的は二つだろう。ひとつは、マイナス金利に批判を強めている銀行に対する懐柔策。もうひとつは、景気底支えのために財政発動を強化しようとしている安倍政権への協力だ。
銀行のマイナス金利批判は、ひとえに収益力を殺がれることへの不満だ。マイナス金利導入後に10年もの国債金利が一時マイナス0.3%程度まで下がり、長短金利が逆転した。貸出金利が預金金利を下回りかねない現実が出現し、銀行は強く恐怖した。
今回、長期金利はゼロ近辺に安定させるとしており、これなら不満の一因は和らげることができる。
政権側の不安は逆に長期金利が上昇することだ。折から、補正予算の審議が国会で始まるが、安倍政権は財政出動の強化に抵抗感が薄い。金融政策にもう力は薄いと思っており、財政で景気を底支えすることを狙っている。
当然、国債発行は増加しかねないが、長期金利を安定させるという名目で、日銀が消化してくれるから、安心して財政出動を強化できる。新・金融政策のみそは、安倍政権に寄り添った政策だという点だ。
財政への歯止めが利かなくなりかねない、という新政策の副作用。数年後に振り返ってみたら、あのときが本当に「日銀が政府にとってのATMになった」時だったと見えるのかもしれない。
■土屋直也(つちや・なおや) ニュースソクラ編集長
日本経済新聞社でロンドンとニューヨークの特派員を経験。NY時代には2001年9月11日の同時多発テロに遭遇。日本では主にバブル後の金融システム問題を日銀クラブキャップとして担当。バブル崩壊の起点となった1991年の損失補てん問題で「損失補てん先リスト」をスクープし、新聞協会賞を受賞。2014年、日本経済新聞社を退職、ニュースソクラを創設
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