専門学校を卒業し、札幌市内の印刷会社に正社員として就職したヒロシさん(29歳、仮名)
手取り13万円で耐え続けた29歳の過酷体験 「命より納期」、あまりにひどい労働の実態
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2016年08月03日 藤田 和恵 :ジャーナリスト 東洋経済
現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしていく。
青葉が濃くなり始めた真夏の札幌で、最初に聞いたのは凍えるような真冬の体験談だった。
会社員のヒロシさん(29歳、仮名)は深夜に帰宅すると、真っ先に厚手のダウンジャケットを着込む。マイカー通勤で薄手のジャケットしか着ていないので、本格的に寒さを感じるのはむしろ自宅に帰ってからだ。2月に入ると、室内の温度が氷点下を下回ることも珍しくない。本当なら、備え付けの灯油ストーブのスイッチを入れたいところだが、暖房費を節約するため、ストーブをつけるのは朝の30分だけと決めている。
そして、コンビニで買った総菜パンを2個、食べる。カップラーメンで身体を温めるか、栄養面を考えるならせめて弁当にすればいいのにと思うが、湯を沸かす時間が惜しいし、弁当は高いという。とにかく「早く食べて、早く寝たい」。時刻はとっくに零時を過ぎているが、翌朝も定時より1時間早い7時半には出勤しなくてはならない。かじかんだ手でパンの空き袋をゴミ箱に捨てると、ダウンジャケットを着たままベッドにもぐり込む。
■勤続10年で手取りは13万円
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専門学校を卒業し、札幌市内の印刷会社に正社員として就職した。パート従業員を合わせても十数人ほどの小さな会社で、ヒロシさんの毎月の手取りは約13万円。勤続10年、この間の昇給額はわずか5000円ほどだ。当初、残業は月約30時間だったが、残業代をもらった記憶はなく、有給休暇を取れるのかと尋ねたときは「うちにはそういうの、ないから」と言われた。
インクをヘラで伸ばすという重労働に携わってきたため、右腕だけ太くなった
入社以来、スキージーというヘラ状の特殊な工具を操作して印刷物にインクを伸ばす仕事を任されてきた。インクの粘度や量によって工具の重さは4〜5キロになることもあるし、ヘラの角度やかける圧力によってインクの出る量が違ってくる。重労働のうえ、神経を使う仕事である。スキージーを黙々と引いては、押し戻す日々。細身の体形のヒロシさんだが、利き腕の右腕は左腕に比べてひと回り太く、長くなった。
この会社ではミスをした社員から罰金を徴収する慣習があった。ヒロシさんも入社数年目のころ、インク切れに気がつかずに作業を進めてしまい、商品の一部を廃棄せざるをえなくなったことがある。彼は自分のミスだと認めたうえで、このときは新人教育に追われていたところを、納期に間に合わせるようにせかされ、ついインクの残量を確認するのを忘れてしまったという。
このときに請求された罰金が約25万円。インク切れには比較的早く気がついたはずだったので、いくら何でも高すぎるのではないかと訴えると、罰金にはこの間のパート従業員らの人件費も含まれているのだと説明された。その後しばらくは、給料日のたびに罰金として1万円を支払い続けたという。
労働者のミスに罰金を科すことについては、労働基準法などで給料からの一方的な天引きは禁じられているほか、金額にも一定の上限が設けられている。もちろん、正社員に有休がないなどという説明にいたっては100%違法である。ヒロシさんは「ヘンだな、ヘンだなとは思っていました。でも、小さな会社で、社長から直接“うちはそういう決まりだから”と言われると、“はい”と言うしかありませんでした」と振り返る。
■いくら節約しても貯金は不可能
手取り13万円から、独り暮らしのアパートの家賃や車のローン、光熱費、携帯料金などを支払うと、手元にはいくらも残らない。室内では、冬場はダウンジャケットを着て乗り切るが、夏場は夏場で、100均で買った保冷剤を首の後ろに当ててしのぐ。飲み水は近くの大型スーパーに行くと無料で手に入る飲料水でまかない、肉や野菜などはできるだけ賞味期限が迫って割り引きされたものを買う。昼食には弁当を手作りし、風邪をひいても病院には行かずに自力で治す。あらゆる知恵を絞って節約したが、貯金はほとんどできなかった。
ヒロシさんの会社はいわゆるブラック企業だったわけだが、そのひどさに拍車がかかったのは、今年に入ってからだという。
会社の主な取引先は北海道内の自治体や公共団体で、請け負った仕事の一部を中国など海外の安価な業者に外注していたのだが、海外発注分の製品の質が悪すぎると、取引先からクレームを受けたのだ。かといって、自治体側が契約金額を上乗せしてくれるわけではない。公的な組織からの仕事なら、安定していて一定以上の収益が保障されると思われがちだが、地方分権や地方再生とは名ばかりの国の政策の下、多くの自治体は財政難にあえいでおり、今や下請け業者の足元を見て買いたたくのは、民間企業よりも、都道府県や市町村といった地方自治体のほうだとも言われる。
結局、詰め腹を切らされたのは現場の働き手であるヒロシさんたちだった。海外業者に任せていた仕事の負担が一気に彼らにのしかかることになり、これにより、毎月の残業時間が120〜130時間に急増したのだ。今年に入ってからは2週間近く連続で出勤したこともあったし、風邪で38度の熱が出たときも出勤するよう命じられた。昼休憩も15分ほどしか取れず、トイレに行くのもはばかられる空気の中、相変わらず、残業代だけは払われなかったという。
「毎日、身体がだるくて、仕事中も眠くて仕方ありませんでした」
日付が変わった深夜に帰宅して、早出残業をこなすため7時半に出勤する日々が半年近く続くと、次第に「過労死」という言葉が頭をよぎるようになってきた。
■社長から要求されたのは「命より納期」
真夏の札幌で会ったヒロシさんは紺色のスーツ姿で現れた。聞けば、就職活動の真っただ中だという。印刷会社は6月いっぱいで辞めた。
口数の少ないヒロシさんが、辞めた理由をぽつりぽつりと話してくれた。
過労死寸前の状態で働いていたあるとき、社長からこう言われたのだという。
「何時までかかってもいいから。とにかく納期に間に合わせるように」
この10年間、辞めたいと思ったことは何度もあった。しかし、同僚や後輩が1年もたずに辞めていく中、ヒロシさんだけは踏みとどまってきた。その理由を「負けず嫌いなところがあるから」だと説明するが、一方で「今、教えている新人が独り立ちしたら辞めよう」と決めていたのに、その新人に先に辞められてしまい、このままでは会社に迷惑がかかると逡巡しているうちに機会を逸したこともあったというから、責任感の強いところもあるのだろう。
なんだかんだと言って、会社で過ごす時間が自分のすべてだったし、特にこの半年間は命を削る思いで働いてきたのに、かけられたのは「命より納期」と言わんばかりの言葉だった。このときに、自分の中の何かが吹っ切れたのだという。
もうひとつのきっかけは、新聞で連絡先を知った労働組合「さっぽろ青年ユニオン」に相談をしたことだった。会社のやることなすことが違法であることがわかったとき、つきものが落ちたような気持ちになった。
このとき、相談を受けた同ユニオン執行委員の佐賀正悟さんはヒロシさんの第一印象を「話をしていても表情がほとんどなくて、精神的にもつだろうかとたいへん心配しました」と振り返る。そのうえで、ヒロシさんの働かされ方からはこんな社会の風景が見えてくるという。
「中小零細企業ほどさまざまなしわ寄せが集中していて、ルールなしの無法地帯になっています。業種を問わず、大手企業であれば、十分ではないとはいえ有休も残業代もまったくないということはあまりありません。一方で、(中小企業の)経営者も法律の知識がないというよりは、“うちには人手もカネもない。できないものはできないんだから、仕方ない”と開き直っている節がある。結局、本当にしわ寄せを食っているのはそこで働く人たちだということです」
■激務で体重が4〜5キロ減った
再び、就活中のヒロシさんに話を戻す。
そでを通すのは、専門学校の時以来だというスーツはウエストや肩回りが少しだぶついて見える。ヒロシさんは「ちゃんと採寸して作ったはずなのに。この半年で体重が4〜5キロは落ちたので」と苦笑いする。
30歳を目前にした就職活動は予想どおりに厳しい。5社ほど面接までこぎ着けたが、いい返事はもらえていない。それでも、料理をすることが好きなので、今度は飲食業界で働きたいと夢を語る。必要最低限の家具しかない自宅に、なぜか圧力鍋があったことを思い出し、合点がいった。
ヒロシさんのまじめさに付け込んだようにしか見えない元の会社について、「人間関係は決して悪くなかったんです。楽しいこともありました」とフォローするような、優しいところがある。社長が創業者の印刷会社は、役員も含めてワンマンな人たちが多かったが、罵倒されたり、暴力を振るわれたりしたわけではなかった。ただ、当たり前のように、残業代が払われず、有休はないと言われ、罰金を取られただけだ、という。
社会人になってから恋人ができたことは一度もないが、それを不満に思う余裕もなかった。気晴らしに旅行に行きたいと思ったことはあったが、時間も、おカネもなかった。今まで一度も海外には行ったことがないから、パスポートは持っていない。国内旅行も、考えてみると中学生と高校生のときに修学旅行で京都・奈良と東京に行ったきりだ。
どこか行ってみたいところはありますか? と尋ねると、少し考えてから、こう答えた。
「行ったことのないところなら、どこでも」
交換したメールアドレスに「dreams-come-true」というフレーズがあったことが、今も忘れられない。