「「弱者を含んでいる組織の方が、集団として生き延びる力が強い」:内田樹氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/20460.html
2016/8/1 晴耕雨読
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>増田聡 小田嶋隆「誰にも正義は押し付けられない」 https://t.co/irW44OR7YE「彼らは、「人間の生存を保障するために社会が設計されている」というふうには考えない。「社会を存立せしめるために人間の生存が許されている」というふうに考える」
小田嶋さんの書いたものhttps://t.co/NhaKYs3pGxを読んで、一つ言い足したいことを思いつきました。
それは「弱者を含んでいる組織の方が、集団として生き延びる力が強い」ということです。
この人類学的教訓を古来無数の物語が伝えています。
「社会に役立たない人間は死んだ方がいい」というタイプの言説を多分ご本人たちは「リアリズム」だと思って語っているのでしょう。
でも「強者だけで作られた組織」は原理的にそのつど「当該組織内の最弱者」を指名し排除することを宿命づけられているので最終的には構成員ゼロになります。
病人や老人を置き去りにし、妊婦や幼児を「足手まとい」と捨てることを義務づけられた「強者だけから成る集団」というものが仮に過去に存在したとしても、その集団は一世代後には消滅していたはずです。
まっすぐ自滅を目指す人たちを「リアリスト」と呼ぶことに僕は反対します。
パニック映画では(『タワーリング・インフェルノ』や『ポセイドン・アドベンチャー』などなど)「足手まといになる弱者」を構成メンバーに迎えたグループ「だけ」が生き延びられるという話型が繰り返し語られます。
別にこれは「倫理的美談」ではなく、「過去の成功事例」が訓戒化されたものです。
「弱者を含む集団」では生き延びるために全員が「余人を以て代え難い」異能の発見に向かいます。
一方、「強者連合」では全員が同一の能力の優劣を競い、格付けをし、それによって資源を傾斜配分するようになります。
構成員全員が自尊感情を持ち愉快に生きられる集団の方が危機に強いのは当然です。
「成果主義」とか「実力主義」というのは、集団構成員それぞれの豊かな潜在可能性を押しつぶし、集団を弱体化させるだけのものなのですが、それで集団が「強くなる」と本気で信じている人たちが(たくさん)います。
彼らは別に冷酷でも邪悪でもありません。
単に愚鈍なのです。