米のイラク侵略に荷担したブレアを批判する報告書が英で出されたが、イスラエル問題には触れず
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2016.07.09 06:17:17 櫻井ジャーナル
2003年3月にアメリカ軍はイラクを先制攻撃した。この戦争へイギリスのトニー・ブレア政権が自国軍を参加させた経緯などを調べていたジョン・チルコットを委員長とする独立調査委員会(チルコット委員会)は7月6日に報告書を公表、その中でフセインについて、イギリスにとって差し迫った脅威ではなく、戦争は不必要だったなどとしている。ブレアは謝罪せざるをえない状況に陥った。
イラクへの軍事侵攻はサダム・フセイン体制を倒しただけでなく、インフラを破壊し、100万人とも言われるイラク人を殺害(注)、アル・カイダ系武装集団などを国内へ引き入れ、今でも平和は訪れていない。それどころか、戦乱を中東から北アフリカへ広げ、ウクライナでもクーデターを実行している。
ブレア政権の大量破壊兵器をめぐる主張に対する疑問は当初からあり、開戦後は彼の戦争責任を問う声は高まっていった。そうした声を無視できなくなり、2009年6月にゴードン・ブラウン英首相(当時)はチルコット委員会を設置したのだろう。
その後もブレアを戦争犯罪人として裁くべきだとする人が増え、昨年10月25日に彼はCNNの番組で「自分たちが知らされた情報が間違っていた事実」を謝罪して一種の「ガス抜き」を図ったが、本当に反省しているわけでないことが見え見えで、効果はなかった。
CNNでブレアが弁明する直前、コリン・パウエルの書いたメモの存在が明らかにされて逆風は強まっていた。言うまでもなく、パウエルとはジョージ・W・ブッシュ政権の国務長官だった人物。2002年3月28日にブレア首相はパウエルに対し、アメリカの軍事行動に加わると書き送っているのだ。この時点、つまり開戦の1年前にでブレアは開戦に同意していたことになる。
このメモが書かれた当時、ブッシュ・ジュニア政権は攻撃を始めるつもりだったが、統合参謀本部の内部に反対意見が多く、開戦は約1年延びたと言われている。戦争に大義がなく、無謀だということだ。
例えば、統合参謀本部の作戦部長だったグレグ・ニューボルド将軍は2001年12月にドナルド・ラムズフェルド国防長官に呼び出され、イラク侵攻作戦について報告している。その場には長官のほか、ポール・ウォルフォウィッツ副国防長官、統合参謀本部のリチャード・マイアーズ議長、ピータ・ペイス副議長、そして後にCIA長官となるウィリアム・ハインズがいたという。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007)
2002年7月にはメディアもラムズフェルド長官の周辺と統合参謀本部の対立を伝えるようになり、長官は7月12日付けのペンタゴン幹部宛てのメモで、リークを止めるように命令、その内容までがロサンゼルス・タイムズ紙に掲載されてしまった。
ニューボルドはイラク侵攻に反対で、そのため、2002年10月に作戦部長を辞しているのだが、そのほかイラクを先制攻撃する前にエリック・シンセキ陸軍参謀総長は議会でラムズフェルド長官の戦略を批判した。
このほか、アンソニー・ジニー元中央軍司令官、ポール・イートン少将、ジョン・バチステ少将、チャールズ・スワンナック少将、ジョン・リッグス少将もラムズフェルド長官を批判している。
そうした中、2002年9月にブレア政権は「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書を作成した。いわゆる「9月文書」だ。これはメディアにリークされ、サン紙は「破滅から45分のイギリス人」というセンセーショナルなタイトルの記事を掲載している。
パウエル国務長官が絶賛したこの報告書は大学院生の論文を無断引用した代物だとされているが、別に執筆者がいるとも噂されている。その文書をイギリス政府はイラクの脅威を強調するため改竄した。「間違った情報」のためにブレア政権がイラク攻撃を決断したということは言えない。
2003年5月29日にBBCのアンドリュー・ギリガンはラジオ番組で「9月文書」は粉飾されていると語り、サンデー・オン・メール紙でアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。
ブレア首相の側近で広報を担当していたキャンベルはデイリー・メール紙で記者をしていた経験があり、メール・グループを統括していたロバート・マクスウェルから可愛がられていた。マクスウェルはイギリスやイスラエルの情報機関に協力していた人物だとされている。キャンベルも親イスラエルだ。
ブレアとイスラエルとの関係は遅くとも1994年1月に始まっている。このときにブレア夫妻はイスラエル政府の招待で同国を訪問、その経費はイスラエル政府が出していた。帰国して2カ月後、ブレアはロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介され、その後、ブレアの重要なスポンサーになる。レビーの背後にはイスラエルが存在している。
その2カ月後、つまり1994年5月に労働党の党首だったジョン・スミスが急死、その1カ月後に行われた新党首を決める投票でブレアが勝利している。レビーのほか、イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIを資金源にしていたブレアは労働組合の影響を受けず、国内ではマーガレット・サッチャー的、国外では親イスラエル的な政策を推進することになる。これが「ニュー・レイバー」だ。
ちなみに、イスラエルと親密な関係にある人物はチルコット委員会にもいる。5人の委員のうち、マーチン・ギルバートとローレンス・フリードマンのふたり。いずれも親ブレアで、好戦的である。
ブレアは首相を辞めた後、カネ儲けに忙しい。ジェイコブ・ロスチャイルド(ロスチャイルド卿)やエブリン・ロベルト・デ・ロスチャイルドとブレアは親しいと言われているが、ウォール街の巨大銀行「JPモルガン」やスイスの保険会社「チューリッヒ・インターナショナル」から毎年300万ポンド(約4億5000万円)の報酬を得ている。クウェートやカザフスタンの政府とも取り引きがあるようだ。
2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)を攻撃した実行者を「アル・カイダ」だとブッシュ・ジュニア政権は詳しい調査をせずに断定、その 10日後にペンタゴンを訪れたウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は、国防長官の周辺でイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを先制攻撃する計画ができあがっていることを知ったと話している。こうした国々を攻撃する理由はないと統合参謀本部は考えていたようだ。
このイラク攻撃を小泉晋三政権は支持、マスコミも戦争熱を煽っていた。当時、テレビに登場するのはそうした類いの人物ばかりで、例外は橋田信介くらいだった。その橋田は2004年5月、自衛隊駐屯地へ立入許可証を受け取りに行った帰りに甥の小川功太郎とともに殺害されている。
中東/北アフリカに戦乱を広げ、破壊と殺戮で人びとを苦しめることになったイラク侵攻に日本の政治家やマスコミも責任がある。戦争犯罪の共犯者だということだ。イギリスではイラク攻撃の深層を隠すためにブレアを晒し者にしたが、日本ではそうしたことでさえ、行われていない。
(注)アメリカのジョーンズ・ホプキンス大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、2003年の開戦から2006年7月までに約65万人のイラク人が殺されたとされている(Gilbert Burnham, Riyadh Lafta, Shannaon Doocy, Les Roberts, “Mortality after the 2003 invasion of Iraq”, The Lancet, October 11, 2006)ほか、イギリスのORBは2007年夏までに94万6000名から112万人、NGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたとしている。