「「先生、『正しい位置』って、どこですか?」「正しい位置にいつでも戻れる位置です」なるほど:内田樹氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/19937.html
2016/5/4 晴耕雨読
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新幹線まで時間が少しあるので、『文學界』の原稿を書きました。
「18歳の君が投票するとき考えてほしいこと」。
白馬の丸山さんの教えを書きました。
丸「スキーでは正しい位置に立つことが大切です」
内「先生、『正しい位置』って、どこですか?」
丸「正しい位置にいつでも戻れる位置です」なるほど。
「正解」というのは固定的なものではなくて、「そのつど千変万化する最適解を瞬時のうちに選び得ることのできる可動性の高さ」という次数の一つ高い能力のことなでした。
奥が深いなあ。
この知見は極めて汎用性の高いものだと思います。
もちろん政策の適否を判断するときも。
だから18歳の皆さんが政治家の適性を判定するときは「異論にも耳をかたむける」ことが出来る人かどうか、間違った政策判断をしたことが事後にわかった時に「間違えました」とさくっと認めることが出来る人かどうか、それを基準にして欲しいと思います。
『日本会議の研究』によれば、すべてが始まったのは1966年7月3日長崎大学の正門前のこと。
安東巌と椛島有三が徹夜で刷った「デモ反対、全学連反対」のビラを配ろうとした時に左翼の学生が「てめえら、どういう考えでこんなビラ配るんだ!」と言って椛島を平手打ちした時だそうです。
「この日のことを僕は永久に忘れない」と安東は書いています。
この日から安東・椛島は左翼学生との闘争にのめり込んで行き、それが全国学協・日本青年協議会・日本会議に結実する。
つまり、この「平手打ち」が半世紀後に安倍による改憲運動に結実したと言っても過言でないのです(過言ですけど)。
一人の人間が歴史に関わる事なんかできないという虚無的な考えを「リアリズム」だと思っている人が多いですけれど、そんなことないですよ。
いきなりの「平手打ち」か「おい、そこどけよ」くらいの言葉だけの恫喝だったかの違いで、その後の歴史が変わったりするんですから。