格差による回復不能なダメージ
止まない中国の貧富拡大を描く
ジャ・ジャンクー監督新作に見る中国・山西という原点
2016年04月25日(月)野嶋 剛 (ジャーナリスト)
いま中国で最も我々日本人が見るべき映画を撮っている監督は、ジャ・ジャンクー監督をおいて、ほかに余人を挙げるのは難しい。その最新作「山河ノスタルジア(原題:山河故人)」が23日から東京など全国各地で順次公開されている。その作品の舞台となるのは、中国における貧富の格差や腐敗などが最も如実に表れているとされる中国の山西省である。
劇的な格差のある山西省
© Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
ジャ監督は1970年生まれ、北京電影学院で映画製作を始め、卒業制作「一瞬の夢」が国際的に注目される。長江ダムに水没する地域の人々を描いた「長江哀歌」がヴェネチア映画賞でグランプリを獲得。中国で実際に起きた暴力事件を描いた「罪の手ざわり」はカンヌ映画祭で脚本賞を受賞している。
山西省はジャ監督の故郷でもあり、常にジャ監督映画で登場する。東京で会ったジャ監督はこんな風に、山西にこだわる理由を論じた。
「私の経験もたくさん、この映画には入っています。私のよく知る土地なので服装、方言などもより描きやすいし、私自身の山西での経験もたっぷりこの作品に入っています。山西は、中国の省別GDPでは第二位なのですが、貧しい人もたくさんいる省です。上海にも金持ちはたくさんいますが、全体に豊かさもあります。ごく少数の富者と大量の貧者がいて、これだけの劇的な格差があるような土地として山西を選びました」
本作では山西省の汾陽という土地が舞台となっている。汾陽は、山西省の中部あたりに位置しており、中国でも指折りの名酒・汾酒の産地としても知られている。汾酒はアルコール濃度が50〜60度ぐらいあり、高粱を原料とする白酒だ。筆者も何度か飲んだことがあるが、同じ白酒のなかでも、東北地方などの白酒と比べてたいへん飲みやすく、香りや後味がまったく押しつけがましくない。中国最古の酒の一つとされるだけあって時の洗練が効いているのかなと思わせる。映画のなかでも登場人物たちが酌み交わす酒は、間違いなくこの汾酒であろう。
山西という土地は、黄河中流域に位置し、かつては中原と呼ばれる中国史の表舞台で華々しい位置づけにあった。近代になってからは発展から取り残され、長年の開発で黄土は砂漠化し、私が初めて訪れた1980年代ごろには、本当になにもない、ひたすら埃っぽい地方都市という印象がふさわしかった。
チャイニーズドリームの地
© Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
ところが、山西には石炭が豊富に産出された。それが、中国の急激な経済成長によるエネルギー需要の急増とまさにかみ合って、一攫千金のチャイニーズドリームの地となり、小さな炭坑主を中心に成功者が続出し、いわゆる「土豪(トゥーハオ)」と呼ばれる地方成金を、大量に産出することになった。
本作は、男2人、女1人のドラマだ。「土豪」として本作で登場するのが、主人公の男性のうちの1人である「ジンシェン」である。ジンシェンはガソリンスタンド事業の成功をきっかけに、炭坑を買収し、財を成す。もう一人の男性の「リャンズー」は炭坑で働く労働者で、ジンシェンと対立し、後に肺の病気を患ってしまう。この2人が取り合うことになった女性の「タオ」は、結局、改革開放下のビジネスで大成功を遂げたジンシェンを選び、2人は結婚する。一方、リャンズーは故郷を後にして邯鄲という土地でまた炭坑で働く。そこでリャンズーは肺に大病を患ってしまう。
これがまさに、「豊かになる者は限りなく豊かになり、貧しいものはさらに貧しくなる、という中国の富の格差の現状」(ジャ監督)を指し示している。格差のために、友情がこわれ、愛情もはかなくなる。いまや中国きっての国際的な監督となったジャ監督のメッセージはそこにある。
山西省出身である主演女優の趙濤が女性主人公のタオを演じているが、その山西方言のあまりのうまさに舌をまく。当たり前といえば当たり前なのだが、監督があえて妻である趙濤を起用した理由もうなずける。
習近平によって失脚させられた大物一族
山西省では、石炭利権を持つグループを中心とする「山西幇(山西グループ)」が形成されていた。そのトップに君臨していたのが、胡錦濤の側近と言われ、習近平の反腐敗闘争によって失脚させられた元党中央統一戦線部長の令計画らを中心とする令家だ。
令家は、山西省の古い家柄の出身であり、革命でも大きく貢献したため、令家の面々(主に令計画の兄弟たち)はそれぞれ中央・地方で出世を遂げた。そのなかで腐敗にまみれ、習近平に付け入るスキを与えてしまった。本作の主人公の「ジンシェン」は、反腐敗闘争によって危うく上海から香港に逃れ、そこからオーストラリアに逃れた設定になっている。この映画が撮影されたのは令計画事件の発覚する前であったので、その後におきた山西幇の崩壊を予言していたことにもなる。
回復不能のダメージ
© Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
映画では、1990年代の中国が、欧米や香港の楽曲を楽しみ、高級車を乗り回しながら、改革開放の日の出を楽しんでいる姿が描かれている。3人の間にもまだ友情が強く生きていた時代だ。
私のように1990年代に中国を知り、入り込んだ人間にとっては、いささかたまらないポイントが満載されている映画である。例えば、サンタナという当時は一世を風靡した高級車をジンシェンが自慢げに乗り回すところ。贅沢品だったラジカセに香港の人気歌手サリー・イップの名曲「珍重」をかけて流すところ。とにかく1990年代の中国は、希望があって、変化があって、まだ富がもたらす人間社会への悪影響に対して、多くの人が無知だった。
映画は1999年、2014年、2025年という過去、現在、未来の三つの時代を、3人の人生を軸に描いているが、その狙うところは、中国における時の経過を伴って広がった格差社会の冷酷な現実が、かつては優さを残していた人間関係に与える回復不能のダメージを浮かび上がらせる点にある。
その失われたものを、山西という舞台における人間関係の崩壊と再生を通して照らし出すところが、強い社会批判精神を持ちつつ、エンターテイメントとしての完成度も追求する手腕を見せてきたジャ監督の真骨頂であろう。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6641
http://www.asyura2.com/16/china8/msg/544.html