『ニューズウィーク日本版』2016−3・29
P.34〜36
トランプ現象とオバマの「責任」
米社会:ブームの真の原因はオパマ政権の誕生
少数派の台頭に脅威を感じる白人層はトランプの旧弊な価値観に夢を託している
ジャメル・ブイエ(スレート誌政治担当記者)
初めに彼らは無視し、次に嘲笑い、それから戦いを仕掛け、そして私たちが勝利する―マハトマ・ガンジーが語ったとされるこの格言は、教室に掲げる標語や啓発活動のポスターにふさわしい。
だが米大統領選の序盤の山場「スーパーチューズデー」を翌日に控えた先月末、この言葉を引用したのはドナルド・トランプだった。大勢の支持者の前で演説する自分の写真をインスタグラムに掲載して、その格言を添えた。
好戦的な言動で知られる不動産王が、なぜこんな立派な格言を? いや、これこそトランプにぴったりの言葉だ。
昨年6月、トランプが大統領選の共和党候補指名レースに出馬すると表明したとき、人々は無視した。愚か者の冗談だ、夏が終わるまでには自滅する、と。次に人々は嘲笑った。秋が終わる噴には消えている、と。その後、共和党主流派はトランプの勢いを恐れ、攻撃を始めた。そして今……。
先週火曜日、大票田のフロリダ州など5州と北マリアナ諸島で共和党の予備選・党員集会が行われ、トランプはフロリダを含めて5勝を挙げた。指名獲得という勝利は大きく近づいている。
トランプを過小評価してはならないのはよく分かった。だがなぜ今、トランプなのか?アメリカは大不況から持ち直し、より強く豊かになっているのに、なぜかなりの数の有権者が突然、排外主義的な民衆扇動家を支持し始めたのか?
左派からは、トランプは数十年来の党派主義の産物だという声が上がる。選挙に勝つため、米南部の白人層の怒りをたき付けた共和党の戦略の論理的帰結ということだ。
右派の一部に言わせれば、トランプが象徴しているのは、共和党のエリートたちに対する草の板の反感だ。自由放任主義的な資本主義のために労働層の有権者を犠牲にする彼らに、大衆は憤っているという。
この2つの説明は相反するものではなく、いずれも「トランプ現象」の重要な側面を捉えている。
事実、共和党は選挙戦略として、白人層の怒りを利用してきた。共和党指導層が、工業経済の崩壊で苦しむ白人労働者層に解決策を掟供できていないことも確かだ。目まぐるしい経済や文化的変化への戸惑いのせいで、「アメリカを再び偉大な国に」と叫ぶ人物にすがりたくなる国民が相当数いることも間違いない。
ただしこれらの説は、今なぜトランプか、という問いに答えてくれない。労働者層の苦境は何年も前から続いている。アメリカの労働者貸金は長らく低迷し、大学を出ていない労働者の雇用機会が大幅に減ったことは、既に90年代に明らかだった。白人の怒りを利用するのも昔からある戦略だ。それだけでは、なぜ今かの説明にならない。
初の黒人大統領が持った意味
私たちは最も重要な要素を見過ごしている。トランプブームがここまで燃え広がった真の原因とは、おそらくバラク・オバマ大統領だ。
保守派ジャーナリストの問には、オバマの極端な政治姿勢が、トランプの成功につながっていると主張する声がある。だが実際には、オバマは多くの面で従来の政治家と変わらない。少なくともハ一その政策は民主党の中道左派の枠内に位置付けられ、主流の路線を少しもはみ出していない。
しかし、政治的シンボルとしてのオバマとなれば話は別だ。国家の構造に人種的階層が組み込まれているアメリカで、黒人のオバマが大統領に選ばれたのは革命的な出来事だった。
それを可能にしたのは少数派の力だ。08年の大統領選では、アジア系アメリカ人も中南米系アメリカ人もそろってオバマを支持し、黒人有権者の投票率は過去最高に達した。
リベラル派は、新時代の多数派となる新たな有権者層が台頭したと歓迎した。「米政治の未来を握るのは、人種的により多様で、教育程度がより高く、より都会的な有権者の支持を得られる政党だ」。鵬年大統領選の後、ワシントン・ポスト紙の記事はそう指摘した。「つまりバラク・オバマの民主党だ」
その一方で、拡大する多様性にも国際主義にもなじめない数多くの白人有権者は衝撃を受けた。「民主党的多数派の台頭」は、彼ら白人層の票が重要でなくなる時代を意味していた。オバマの大統領選出は「チェンジ」どころか社会構造の逆転であり、大不況が引き起こした収入や生活水準の低下と相まって、白人中心社会の終わりを告げているようにみえた。
支持者に広がる人種差別意識
ウエストフィールド州立大学(マサチューセッツ州)教授で、多文化教育を専門とするロビン・ディアンジュロは11年、「傷つきやすい白人」と題した論文を発表した。
それによると、傷つきやすさに陥った白人は「人種に絡むわずかなストレスにも耐えられず、さまざまな防御措置を講じる。怒りや恐怖心、罪悪感を表に出し、口論したり沈黙したり、ストレスを感じる状況を遠ざけたりする。こうした行動を取るのは、不安を解消したいからだ」。
これは職場での多様性トレーニングをめぐる解説だが、同じことは政治にも言える。オバマの出現と非白人が多数派となる将来を前に、人種的ストレスを感じる白人層は防御行動に走っているのではないか。白人の問で「逆差別」を問題視する声が上がるのも、恐怖や不安の表れだ。
オバマの下、アメリカでは人種間の分断がかえって広がった。先月、マルコ・ルビオ上院議員の集会で出会った年配の白人女性は、街で黒人と会ったり話したりするときに、彼らが自分の人種観を探っているようでプレッシャーを感じると語った。「前はそんなことはなかった。こんな状況にした(オバマを)恨んでいる」「アメリカ初の黒人大統領の誕生は、この国の政治でとうに影響力を失ったと思われていた人種主義が、党派政治に拍車を掛けるという皮肉な結果をもたらした」と、ブラウン大学のマイケル・テスラ一助教(政治学)は13年の論文で指摘している。「白人アメリカ人は、知的にも社会的にも自分たちより下だと思っていた人種の大統領の指導力に不安を抱いている」
とはいえ、それがトランプ人気とどうつながるのか。トランプが出馬当初に愚弄したのは、中南米系とイスラム教徒であり、黒人ではなかった。
実はトランプはかつて、オバマに対する人種差別的な言動を取り、注目を集めたことがある。11年、「オバマは外国生まれで、アメリカの市民権を持たないから、大統領の資格がない」と言い出したのだ。
この「疑惑」については、08年の大統領選で、オバマがハワイでアメリカ人の母親から生まれたことを示す書類が公開され、既に解決済みとみられていた。にもかかわらずトランプは、「正式な出生証明書を見せろ」と蒸し返した。それは反オバマ層を巻き込み、一種の社会運動にまで発展した。
今もトランプ支持者には、オバマがイスラム教徒だと考える人が62%、外国生まれだと考える人が61%もいる。ラスベガスの選挙集会に来ていたマーティンという男性は、「オバマは私の人生で最も反米的な大統領だ。外国にペコペコして、アメリカよりも外国を優先している」と吐き捨てた。
トランプ支持者の人種差別意識は最近、行動になつて表れている。ノースカロライナ州の選挙集会では、抗議の声を上げて退場させられた黒人男性が、白人男性から顔面パンチを浴びた。この事件に関するトランプのコメントは、「われわれはもっとこうした行動が必要だ」(後に暴力をあおったつもりはないと釈明した)。
「白人中心の国復活」という夢
もちろんトランプが支持されている背景には、白人労働者階級が置かれている経済的苦境もある。
リーマン・ショック後の大不況で、中間層は一段と厳しい状況に置かれてきた。特に学歴が高卒以下の労働者は、社会階層を上昇できるような仕事がほとんど見つからなくなった。経済的な苦境と未来への絶望が重なると、悲劇が起きるのは当然かもしれない。プリンストン大学のアン・ケース教授らの研究によると、白人労働者階級の自殺、薬物乱用、アルコール依存は年々深刻になっている。
こうした変化を目の当たりにしている教師、警察官、零細企業経営者、地方政府職員の問でも、トランプの支持は高い。彼らは、「アメリカを再び偉大な国に」というトランプのスローガンに、「白人労働者中心の国の復活」という夢を重ねている。
ごく最近までは、アメリカの白人は人種ピラミッドの上位にいるだけで、多くの恩恵を得られた。コロンビア大学のアイラ・カツツネルソン教授(政治学)は、著書『アファーマティプ・アクションが白人のものだったとき』で、アファーマティブ・アクション(差別是正措置)の起源は60年代の公民権運動ではないと指摘している。
カツツネルソンによると、この政策は30〜40年代に、南部の白人の人種的優位を確実にするために考案された。つまりアメリカでは、白人が多くの恩恵を受ける仕組みが制度的につくられ、白人であれば中間層への道のりが用意されていたというのだ。
公民権運動が高まり、公共の場での黒人差別が非合法化された後も、白人中間層であれば不況の最悪の影響は避けられた。麻薬や犯罪のはびこる貧困地区で暮らし、政府の補助に依存するのは、白人ではなく黒人と中南米系だというイメージが固まった。
今は違う。多くのアメリカ人にとって、かつて白人であれば得られた安全は失われた。白人も麻薬に苦しみ、政府の補助によって暮らし、経済不安と人種的な不安にさいなまれている。
これまでにもアメリカの歴史では、人種を取り巻く状況や経済情勢の絶え間ない変化に対して、多くの白人が根源的不安を覚えてきた。今まで人種ピラミッドの下にいた者に支配されるのではないか、最底辺に突き落とされるのではないかという不安だ。
こうした不安は、アメリカ人を突き動かす最強の要因の1つであり、トランプが登場するずっと前から、多くの政治家やデマゴーグに利用されてきた。
幸い、こうした運動は長続きしない。だがその運動は消すことのできない傷痕を残す。
トランプ批判派は、「トランプを支持する連中なんて、経済やテクノロジーの進歩によって縮小しつつあるグループだ」と思うかもしれない。いま起きているのは、人種差別的反動という時代遅れのトレンドの断末魔の苦しみであり、いずれ消えてなくなるに違いない、と。
だが、それは希望的観測というものだ。アメリカは今も白人が人口の7割を占める国であり、偏見を公然と振りかざすトランプに何百万人もの支持者が集まる国だ。それに、「いずれ」はしばらく先かもしれない。それまでの問に不安定な経済、白人労働者の苦境、非白人の増加、政治の機能不全といった現象が続けば、トランプブームは今後も盛り上がる可能性は高い。
共和党大統領候補の座を勝ち取っても、本選になれば、トランプは非常に苦しい戦いを強いられるだろう。その意味では、トランプには「賞味期限」がある。だがトランプ人気は既に、アメリカ政治に新しい潮流を生み出した。それは今後の共和党(と民主党)の在り方にも影響を与えていく。
トランプはピエロとして登場したかもしれない。しかしその舞台を降りるときは、既にアメリカで日常となったトレンドの象徴になっているだろう。