23. 2016年3月30日 00:00:56 : Fw8bIav1TI : 7UD4sRpUk0I[1]
911のNHK番組見たが、案の定、米政府報告書が正しいと言わんばかりの番組だった。
911最大の疑惑第7ビルについては全く触れず。
完全な火消し番組だな、これ。NHKの正体丸出しだった。
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/784.html#c23
32. 2016年3月30日 00:03:45 : ABPExKQ6Vk : WkKEBT_l450[26]
岡田に政治・政府・経済・社会を国民のために変える意志があるのかいな。
お勉強を家庭教師をつけて頑張って灯台は出たのだろうが頭の中は創造性のかけらもない。
一つぐらいまったく新しい世界を提示して見せろ。岡田からそのような発想は聞いたことが無い。
この様な者を担いで代表にする政党は終わっているとしか言いようがない。
支持母体である連合など国民からすれば既得権益まみれの貴族そのもの。よくも労働者の団体なぞといえたものだ。
今労働者は一部を除いて途端の苦しみ(いじめ、解雇、過酷労働、失業等など)に喘いでいる。
既存の社会が変革すればお払い箱しかない存在であること。したがって連合はこの世の中で一番社会が変わってもらいたくない存在であることをよくよく目をこらして見てみることだ。
政治家・役人も皆同じ、社会や制度がかわって自分たちに火の粉がかかってこないことばかり、いまの特権を維持しようとすることばかりがその発想から見えてくる。
岡田の消費税に関する考えはそのもの。岡田は安部と同じくらい国民に取って敵でしかない。
またこの様なリーダー?についていく政治家に可能性はない。国民は肝に銘じて判断することだ。
今、国民は制度疲労した国家を国民のために変革してもらいたいのだ。
岡田はその任から一番遠い、岡田の頭の中は19世紀にいるのだろう。
そのうち国民は爆発するまでいくだろう。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/582.html#c32
2. 2016年3月30日 00:06:02 : yBQkrRTumA : UvxNb8gKnf4[915]
そうか〜〜 キノコの生産地は あまり書いてないよね〜〜
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/398.html#c2
2. 2016年3月30日 00:06:24 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[2090]
Domestic | 2016年 03月 29日 23:09 JST
与野党「同日選」準備加速
http://s1.reutersmedia.net/resources/r/?m=02&d=20160329&t=2&i=1128606960&w=644&fh=&fw=&ll=&pl=&sq=&r=PN2016032901002356.-.-.CI0003
首相、新たな経済対策の検討表明
2016年度予算が29日成立した。与野党は、安倍晋三首相が夏の参院選に合わせて衆院選を実施する「衆参同日選」の可能性を探っていることから、あらゆる事態に対応しようと準備を加速する。首相は記者会見で5月26、27両日の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)での議論を踏まえ、新たな経済対策の策定検討を表明した。17年4月に予定する消費税増税再延期の可否も判断する。
同日選について首相は4月24日投開票の衆院北海道5区補欠選挙の結果を重視。憲法改正発議に必要な衆参両院での「3分の2」以上の議席獲得に効果的かも見極める。5月に判断する意向だ。
〖共同通信〗
http://jp.reuters.com/article/idJP2016032901002188
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/622.html#c2
7. 反イルミナティー主義[2146] lL2DQ4OLg36DaYNlg0KBW47li2A 2016年3月30日 00:06:40 : PJTV2ruZKM : sPy6Euj_2f8[-21]
>>6
ほう、木卯正一、中尾嘉宏、西村博之
お前らの自称「ネット右翼」望んだ戦争への一歩だぞ?(笑)
今更、左翼勢力のせいにして自分は戦場達は行かないんだ
なんて駄々をこねるとは随分と話が違うじゃないか?(笑)
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/611.html#c7
68. 2016年3月30日 00:06:44 : qMbZtPUoS6 : 4m_wzQQ5Vv0[5]
>>67
それ安全食品売るために危険煽ってるいわゆる宣伝なんだけどw
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/388.html#c68
3. 2016年3月30日 00:08:48 : yBQkrRTumA : UvxNb8gKnf4[916]
慌てて シイタケのタグを見たら 長崎県産だった よかった〜〜
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/398.html#c3
1. 2016年3月30日 00:10:18 : KzvqvqZdMU : OureYyu9fng[327]
政治のセの字も分からん女子供を集めて騒ぐ、ナチスのやり方だ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/629.html#c1
21. 2016年3月30日 00:10:24 : zACaHrqbbU : dy8M4aru5Mo[3]
しかし、小沢さんの記事となると、必ず工作員と思しき輩が地獄の底から沸いて来るね。
僕ちゃんたち、いくら貰ってるんだい?
お駄賃くれる僕ちゃんたちのご主人様は 、永田町にいるボンボンの僕ちゃんたちかい?
それとも信濃町からか?
政党助成金からかもな、元は税金だ。
金の為に、悪魔に魂売り渡したボンボンの僕ちゃんたちの運命や如何に・・・
可哀相にの〜😿
5. 反イルミナティー主義[2146] lL2DQ4OLg36DaYNlg0KBW47li2A 2016年3月30日 00:11:55 : PJTV2ruZKM : sPy6Euj_2f8[-21]
>>2
おまえ、この父親の
前でそのことを言ってみろや!!
しばくぞひょろ糞!!
1. 2016年3月30日 00:12:36 : HshCuSsEKG : WvyN1PBMs0Q[101]
乙武はネトウヨとイスラム国送りでいいよ。特権意識が持つなら命で報いよ。
ネトウヨは棺桶に入るまで戻ってくるな!売国奴が!
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/630.html#c1
1. 2016年3月30日 00:13:02 : dAUJhhTarA : d_T3JY2CAeg[6]
サンダース?
か
ロスチャイルド?
http://www.wmagazine.com/wp-content/uploads/2007/12/arar_rothschilds_01_h.jpg
9. 2016年3月30日 00:13:55 : G9pRncd5P6 : kNLawzAmjgA[517]
栄枯盛衰は世の習いというからな。
「百貨店の歴史」とかいうのを見ればわかるんだろうが、戦前からのせいぜい百年足らずってとこだろう。
私にも昔、地元のデパートに親に連れて行ってもらって「お子様ランチ」を食べさせてもらい、屋上の遊園地で遊んだ幸せな思い出もあるんだが、今、子供をも持つ親たちが同じことをするとは思えない。もはや、ビジネスモデルとしてはどうにもならないところまできてしまってるんじゃないのか?
http://www.asyura2.com/16/hasan106/msg/864.html#c9
1. 2016年3月30日 00:14:03 : yBQkrRTumA : UvxNb8gKnf4[917]
中谷は どうして 安倍に「愛される」のだろうね〜〜
自分よりも「バカ」だと 安心できるのかもな〜〜
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/631.html#c1
33. ピッコ[1012] g3ODYoNS 2016年3月30日 00:14:36 : T5mFUJU1So : Yfu7pmn53MI[1]
>27. 結局民進党には,それを自分でやる気はないということか。
政治を担っているのは与党である安倍自民党政権ですから。 「それを自分でやる気はないのか」と言われても、民進党は野党で国会の場で与党を追及するのが関の山で、政治に直接係わることはできませんからね。
>早急に総辞職する義務があるということです。
義務はないと思います。 安倍総理の一存で決まります。
>野党には政権を担う義務がある
「野党には政権を担う義務がある」と言われても、なんかピンときません。 国民が次の政権党を選挙で決めるというのが自然だと思います。
>その(政権を担う)意思が,岡田さんの発言には見えないのだが。
そういうことを言う場ではなかったのだと思います。 野党の立場からの与党の消費税に関する経済政策に対する追及だったのだと思います。民主党が与党だった時も、野党自民党からよく追及されましたよね。
>小沢一郎さんは,一貫して消費税増税論者
それはちょっとマユツバ。 それでは何でここの熱心な小沢さん支持者たちは消費税増税についてことごとく悪く言うのでしょうか? それを決めた野田前総理を罵りまくるのでしょうか? 消費税増税に反対して民主党を出ていかれたのではないですか?
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/582.html#c33
4. 2016年3月30日 00:16:13 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[2091]
2016年3月29日(火)
主張
戦争法の施行
違憲の法制は廃止以外にない
安倍晋三政権が、憲法の平和主義、立憲主義を破壊し、昨年9月に強行成立させた戦争法が、きょう施行されます。戦争法は、戦争放棄、戦力不保持を定めた憲法9条を踏み破り、世界のどこでも米国が起こす戦争に日本が参戦するための違憲の法制です。憲法9条の下で、1954年の自衛隊創設以来、一人の戦死者も出さず、一人の外国人も殺さなかった戦後日本の在り方を根本的に変え、「殺し、殺される国」にするものです。国民の批判や不安になんら応えることなく、戦争法の施行を決めた安倍政権の姿勢は重大です。
危険極まる参戦の仕組み
戦争法の本質的な危険は、日米同盟を憲法の上に置き、米国の戦争に日本が参戦する仕組みがいくつも盛り込まれていることです。
日本が直接、武力攻撃を受けていないのに、海外で米国が介入・干渉の戦争などを起こした際、時の政権がそうした事態を日本の「存立危機事態」だと判断すれば、「米軍防衛」のために歴代政府が違憲としてきた集団的自衛権の行使=自衛隊の海外での武力行使が可能になります。
従来の米軍支援法にあった地理的制約をなくし、地球規模で米軍に対し輸送や補給などの支援(兵站(へいたん))もできるようになります。歴代政府が「他国の武力行使と一体化する」との理由で禁じていた「戦闘地域」での活動も可能です。兵站は戦争遂行に不可欠であり、敵から狙われやすい軍事目標です。自衛隊部隊が攻撃されれば、応戦し、戦闘に発展することになります。
自衛隊が自らの武器を守る「武器防護」規定を広げ、「平時」から米軍を「防護」できるようにもしました。自衛隊の防護対象は米軍の空母や戦闘機など無限定です。
国連平和維持活動(PKO)などでは、新たな任務として▽他国部隊などが攻撃された際の「駆け付け警護」▽「住民保護」などを目的にした警備や巡回、検問といった「治安維持」―を加え、これら任務遂行のための武器使用を認めました。自らは攻撃されていないのに、先制的に武器を使用する恐れもあります。
戦争法の施行により、「殺し、殺される」現実の危険は、いよいよ差し迫ったものになっています。
安倍首相は、内戦状態にある南スーダンのPKOに派遣している自衛隊部隊に新たな任務を付与することを検討していると認めています。中谷元・防衛相は5月に派遣する第10次隊に新任務の追加予定はないとしつつ、今秋派遣する第11次隊への付与は否定していません。自衛隊に「駆け付け警護」などのための武器使用を認めれば現地武装勢力と交戦し、戦後初めて外国で人を殺す危険は避けられません。戦争法をこのままにしておくことは絶対に許されません。
世論と共同をさらに広げ
安倍政権は、戦争法成立後も広がる反対世論を恐れ、国政選挙での争点隠しの狙いから具体化作業を当初より遅らせています。米軍支援を拡大する日米物品役務提供協定(ACSA)は今国会への提出を見送り、米軍「防護」の運用指針も策定されていません。
戦争法廃止と集団的自衛権行使容認の「閣議決定」撤回、立憲主義回復を求める世論と共同のたたかいをさらに広げ、安倍政権を追い込むため全力を尽くす時です。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-03-29/2016032901_05_1.html
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/621.html#c4
19. 2016年3月30日 00:17:28 : b7GIZVtv5U : HkBPk3nQvIM[35]
>17さん
岡田民進党執行部が勝手に野党共闘するなんて思い込み妄想してはダメですよ
共闘するのはアナタではな野党どうしですからね(笑
その為には彼らの現況を観察する必要が有ります
アナタの願望はあくまで願望だから実現するとは限りません
国家とか統治支配者とかは化け物で何でもできるんですよ
民主主義など幻想に過ぎない事に気づかないと歳だけ取っちゃいますよ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/591.html#c19
69. けろりん[486] gq@C64LogvE 2016年3月30日 00:22:24 : 27HKu4dCRg : CigpIiZRE1g[243]
>68.
どこまでもヤルつもりならいいが、
一行で二度と出てこんなら、ヤメておけ。
>68.のシッタカ・クズの奴隷坊や。
___________________
●原発問題と安保法制は同根の問題だ
クソラエル兵に殺される少女
http://ameblo.jp/64152966/entry-12140717275.html
本日、安保法が施行〜女も男も区別せずに殺せ〜
自衛隊員が初めて殺し合う相手は南スーダンの少年兵だ!
『 日米合同訓練で米軍側から 「女も男も区別せずに殺せ」』
自衛隊が最初に武力行使するのは、
「 中国が南スーダンに持つ石油利権を守るため、
自衛隊が南スーダンの中国軍を“かけつけ警護”する」
つまり「南スーダンで、米軍の肩代わりをして中国軍を警護し、
中国の権益を守る 」という事例になる。
政府軍と反政府軍が戦闘を続けているスーダンだが、
少年兵が主流の内戦状態となっている。
そのような地球の裏側の日本とは関係のない国に、
自衛隊が赴くことが、「日本の安全」に繋がるのか?
中国の利益のために、地球の裏側まで出かけて行って、
ほとんど日本とはカンケイのないアフリカ人を殺し
殺されに行くのに、税金を使うのか?
コラッ! 三菱・チョン米中華・安倍ッ!!
25. 2016年3月30日 00:25:12 : T0mJ0qidnG : oqmcrtpbidg[1]
これ程の失態を挽回するには
増税凍結では無く
ズバリ消費税廃止を公約にするしか無い
もし民進党が消費税廃止を公約に出来たら
九回裏二死からの逆転満塁ホームラン
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/603.html#c25
旧グランドプリンスホテル赤坂新館(「Wikipedia」より/Wiiii)
西武王国終焉…負の呪縛・創業家と赤プリと完全決別、跡地の新ホテルは1泊59万円
http://biz-journal.jp/2016/03/post_14476.html
2016.03.30 文=編集部 Business Journal
西武鉄道を中核とする西武ホールディングス(HD)は創業家との関係を解消した。西武グループの元総帥、堤義明氏ら旧経営陣が2月、直接および間接保有する西武HD株すべてを手放す意向を表明したためだ。
西武HDをめぐっては、グループ再編前の西武鉄道が2004年12月に有価証券報告書の虚偽記載で上場廃止となり、株主が株価下落や上場廃止に伴う損害賠償訴訟を提起した。これまでに西武HDは合計309億円(元本226億円+利子83億円)を支払った。株主に支払った元本分についての負担を旧経営陣に求めていた。
堤氏側が賠償額の弁済を申し出た。堤氏は西武HDを通じて「会社に生じた負担については私が負うべきだ」とコメントした。
賠償額は堤氏らが保有するNWコーポレーションの全株式を売却して捻出する。NWは、05年のグループ再編に伴い設立した持ち株会社で、西武HD株の発行済み株式の14.95%を保有する第2の株主。堤氏や従業員持ち株会などが出資し、堤氏個人はNW株式を約36%持っている。
堤氏らは、これらNW株式を248億円で西武HD側に代物弁済。堤氏は個人名義で保有している西武HD株式も7億円で売却し、持ち株はゼロになった。堤氏らが支払う額は255億円に上り、利子分の一部も負担するかたちになる。
これに伴い、西武HDが100%出資する連結子会社の西武鉄道とプリンスホテルがNWの株式を議決権比率で43.48%取得した。会社法308条の規定により、NWは西武HDに対する議決権がなくなった。
西武HDは14年4月に再上場。米サーベラスは保有株式を売却して投資分の回収に入った。マーケットでは、NWを拠点に創業者一族の堤氏が「お家再興」を目指すとみられていた。そのため今回、堤氏が保有する西武HD株を手放したことは大きな衝撃を与えた。
■255億円の特別利益を計上
西武HDは賠償費用の回収に伴い16年3月期決算で255億円の特別利益を計上する。純利益の見通しを前期比39.6%増の487億円と、従来予想(365億円)から122億円引き上げた。車両基地の整備計画の廃止に伴う特別損失が発生するが、それを吸収して過去最高を更新する見込みだ。
16年3月期の営業収益は前期比4.9%増の5054億円、営業利益は28.2%増の636億円と増収増益の見通し。訪日外国人の増加を背景にホテル事業の稼働率や単価が改善。ホテル部門の営業利益が増加する。
■赤プリ跡地の新ホテルは、最高1泊59万円
西武HDは旧赤坂プリンスホテル跡地に再開発する複合ビルに入る新ホテル「ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町」を7月27日に開業、傘下のプリンスホテルが運営する。
プリンスホテルは米高級ホテル大手、スターウッドホテル&リゾートワールドワイドと提携し、新しいホテルはスターウッドの最高級ブランド「ラグジュアリーコレクション」に加盟した。
プリンスギャラリーは複合ビルの上層部の30〜36階に入る。客室は250室あり、1室1泊当たりの定価は6万円からで、最上級の部屋は59万円。欧米やアジアから来日する富裕層の需要を見込む。宿泊客に占める外国人の比率は70%を目指すという。
西武HDの18年3月期は赤プリ跡地の再開発でできる複合施設「東京ガーデンテラス紀尾井町」が利益を押し上げるとみられる。地上36階建てのオフィス・ホテル棟、21階建ての住宅棟などで構成されており、オフィス部分にはヤフーなどが入居する予定だ。投資額は980億円で、18年3月期には複合施設で最大90億円の増益要因になるという。
オフィスが入った複合ビルのほうが、景気や天候に左右されるホテルより収益は安定する。赤プリのほか、品川プリンスホテル、東京プリンスホテルも複合施設に変える計画を立てている。
■サーベラス、西武HD株を一部売却
サーベラスは、3月16日に発行済み株式の6%強を売却したとみられる。この結果、出資比率は15%以下にまで下がっている。昨年5月から保有株を順次、売却してきた一環だ。
3月16日、西武HD株は一時8%近く安くなった。株式市場では、西武HD傘下のプロ野球・埼玉西武ライオンズの選手間で、公式戦をめぐり祝儀など現金の授受があったことが発覚し、企業イメージの低下懸念から売られたとの見方もあったが、真相はサーベラスが持ち株を売却したからだった。
現在、サーベラスが株式を保有している主要企業は西武HDだけとなっている。そのため、今後も保有株の売却を続けるとみられている。
■権力闘争の舞台だった赤プリ
旧赤坂プリンスホテルは「赤プリ」の愛称で親しまれてきた。
1955年、衆院議長も務めた西武グループの総帥、故堤康次郎氏が旧韓国王室邸を借り受けてオープンした。自民党最大派閥の清和政策研究会が長年、ここに拠点を置いていた。派閥創設者の故福田赳夫元首相が堤氏と親しかったためといわれている。割安な賃料で事務所の提供を受けたという。
62年に福田元首相が清和会を結成して以来、赤プリ内に事務所を設置。同会からは森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫(福田赳夫氏の長男)各氏が4代続いて首相に就任した。その後、野党に転落した自民党は政権を奪取し、清和会の安倍氏が首相に帰り咲いた。
田中角栄、福田赳夫両元首相による「角福戦争」など、派閥全盛時代に赤プリは数々の権力闘争の舞台となった。
福田赳夫氏が堤義明氏の媒酌人を務めた関係から、堤氏は清和会の資金パトロンだった。87年に竹下登、安倍晋太郎(安倍晋三首相の父)、宮沢喜一の3氏による中曽根康弘元首相の後継争いが起きた時には、堤氏は安倍氏の後ろ盾として活躍した。この頃が堤氏の全盛期だった。
堤氏そのものといっていいかもしれない赤プリの跡地にプリンスギャラリーを開設するのと時を同じくして、西武HDは堤家との関係を断った。
創業者の堤康次郎氏が末永く堤家が支配することを目指した「西武王国」の幕引きを、堤義明氏自身の手で行うことになったのは歴史の皮肉か。
東京電力本社(「Wikipedia」より/Theanphibian)
東電と関電等しか選べないという完全独占体制で、日本と国民が絶望的に失ってきたこと
http://biz-journal.jp/2016/03/post_14464.html
2016.03.30 文=横山渉/ジャーナリスト Business Journal
いよいよ4月1日から電力自由化がスタートする。電力自由化は2000年から段階的に行われてきた。大規模工場やデパート、病院といった大口契約の「特別高圧」を皮切りに、04〜05年に中規模契約の「高圧」が自由化された。今回は一般家庭の「低圧」が対象で、これで全面自由化ということになる。
正確にいえば、これまで家庭や商店向けの電気は、東京電力など各地域の大手電力会社だけが販売しており、家庭や商店では電気をどの会社から買うかを選ぶことができなかった。それが、料金メニューやプランを見て、好きな会社から買うことができるというわけである。
家庭によっては、電力会社やプランを変えることにより月々の電気料金引き下げも可能となるため、メディアでは盛んに電気料金の安さを訴えるCMが増えており、雑誌も電力会社ごとのメニューを比較した特集が多い。
ネットでも簡単に電気料金をシミュレーションできるサイトが増えている。「energy navi」の運営会社、セグメントの佐藤洋平氏はこう話す。
「来年はガスの自由化もあるので、電力会社とガス会社は新規顧客開拓というよりも、既存顧客の流出防止という視点で動いています。初年度は希望的観測も含めて、10%くらいの消費者が契約する電力会社を変えるのではないかと思います」
また、電力比較サイト「エネチェンジ」の運営会社、エネチェンジの巻口守男副社長は年間3〜10%(203〜768万件)の切り替え顧客が生まれると見ている。
「02年に電力自由化を行ったイギリスでは、電力比較サイトを参考にして契約するのが一般的になっています。日本でもネットを見て切り替える人が20%程度はいると予測しており、当社はそのネット切り替えシェアの50%(23〜76万件)獲得を目指しています。なお、当社は料金だけの比較ではないというポリシーから、『電気料金比較サイト』ではなく『電力比較サイト』と謳っています」
■電力自由化の意義は料金だけではない
電力の全面自由化に既存の大手電力会社は反対してきたが、状況が大きく動いたのは、11年の東日本大震災がきっかけだ。地域をまたいだ電力の融通ができず計画停電をする事態が相次いだ。それまで効率的といわれてきた大規模集中型発送電システムの脆弱性が露わになったのである。
今回の電力自由化においては、地域に根ざして電力を販売する新しい電力会社が生まれている。電力の「地産地消」だ。福岡県みやま市のみやまスマートエネルギーは、自治体や地元金融機関などの出資で設立された。地産地消を目指している会社は、茨城県の水戸電力、神奈川県の湘南電力、福島県の会津電力など、全国に10社以上ある。
こうした地域新電力のメリットは、地域内で資金を循環させることにより、関連産業への投資や雇用の促進を通じ、地域活性化に貢献できることだ。みやま市の例でいえば、これまでは同市民の電気代はすべて九州電力に徴収されていた。しかし、自由化によって少なくともみやまスマートエネルギーと契約している家庭の電気代は市内に落ちることになる。
地域新電力もそうだが、太陽光や風力など再生可能エネルギーの販売を謳う電力会社も出てきた。会津電力のサイトの設立趣意には「16万人の『原発難民』を生んだ福島に、原発との共存はありえません」とある。福岡に本社を構える「自然電力」は3人の若者が実績ゼロから立ち上げたベンチャーだ。
自分が使う電気がどのようにつくられているのか、すなわち発電方法を基準に電力会社を選びたいという人もいるだろう。ただ、日本では今のところ、電源構成表示が電力会社に義務付けられていないため、わからない部分も多い。とくに東電や関電などの大手電力会社は情報開示を渋っている。
しかしながら、再生可能エネルギーだけ発電しているという電力会社を選んでも、残念ながら「自分の家の電気はクリーンな電気」ということにはならない。既存の送電網を使って送電しているため、送電線の中で火力や原発の電気と“混じって”しまうためだ。100%クリーンな電気を使うには、送電線まで別にしなければならない。
■消費活動の自己決定権
では、電力自由化は再生可能エネルギーの普及にとってなんら影響力がないのかといえば、決してそんなことはない。自由化によって、消費者の各家庭が1票の“投票権”を得たと考えればよい。短期的な利益を追い求めて料金が安い会社を選ぶか、少しくらい高くても長期的な視野に立って選ぶかは消費者次第だ。
たとえば、少しぐらい電気料金が高くなっても、地元経済の活性化に貢献したいという思いから地域新電力を選ぶという選択肢があっていい。要するに、消費者にとって電力自由化の最大のメリットは、電気料金が安くなるかどうかという瑣末なことではなく、「選べること」「選択肢を得ること」自体なのである。「消費活動の自己決定権」の獲得だ。
たとえば、不祥事を起こしたメーカーの売上が落ちることはよくある。企業の不正があまりにひどいと、不買運動だって起きる。大手電力が地域独占の時代は、イヤだなと思っても消費者は何もできなかった。しかし、これからは「契約を変えるよ」という意思表示ができるようになる。電力市場を消費者のものとすることができるのだ。
福島原発事故後、1兆円以上の公的資金を受けた東電は福利厚生施設である「東京電力病院」を継続させようとしていたが、株主総会で東京都の猪瀬直樹副知事(当時)が厳しく追及したため、同病院は14年2月に閉鎖された。このケースでは大株主である東京都の力が働いたために物事が動いたが、一般消費者が何を言ってもムダだっただろう。
■独占インフラだった送配電網
エネルギーの市場改革は今後も続く。都市ガスの小売り全面自由化が17年4月に始まる。これにより、東京ガスなど都市ガス3社には22年4月のガス導管部門の分社化が求められる。
20年4月には発送電が分離される。競争が進めば、国が家庭向けの電気料金を認可する規制も20年以降に撤廃される予定だ。発送電分離は、電力各社が自社の財産として抱え込んでいる送配電網を広く開放して、多くの事業者が使えるようにすることだ。どの事業者にも必要な独占インフラである送配電網を開放しなければ、いくら法令上自由化しても、競争は起きないのである。道路にたとえれば、「私道」を「公道」に変えて、誰でも通れるようにするということだ。
問題は、どのように分離して運用するかだ。大手電力会社の影響が強いまま送配電部門を形だけ切り離しても意味はない。元経済産業省官僚の古賀茂明氏はかつて、筆者の取材にこう話していた。
「たとえば、東京電力を『東京発電』と『東京送電』に分離しても、兄弟会社やグループ会社のような資本関係が残れば、送電網は東京発電に有利な使い方をされてしまい、公正な競争にならない。東京発電をいくつかに分割して売却すれば、東電のDNAを薄めることができるだろう。市場原理や競争原理をきちんと導入するというのが大切だ」
エネルギー市場の自由化、とりわけ電力市場改革からはまだまだ目が離せない。
(文=横山渉/ジャーナリスト)
http://www.asyura2.com/16/hasan106/msg/912.html
1. 2016年3月30日 00:31:13 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[2092]
原発にしろ何にしろこの国の今の支配層には「守る」という概念がない。原発もプルサーマル炉や高速増殖炉を動かすことで米国の敵対国に対して核の威嚇と抑止力(米国の攻撃・攻め)に資するという点を満たしているので再稼働がOKだという結論になっている。これはどうにもならない欠陥部分で海外のテロリストにとって狙い目のウイークポイントでもある。メディアだけを意のままに動かせれば万事OKではないはずだが腑抜けな部分を突かれれば即座に脆さが露呈する。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/632.html#c1
果汁類・インスタント麺・菓子に要注意!「ビタミンC」はただの合成添加物で栄養なし?
http://biz-journal.jp/2016/03/post_14467.html
2016.03.30 文=小薮浩二郎/食品メーカー顧問 Business Journal
ビタミンCはアスコルビン酸ともいいます。レモン、みかんなどのかんきつ類、ピーマン、いちご、野菜、ブロッコリー、緑茶などに含まれています。ビタミンCが欠乏すると、壊血病、皮下出血、貧血などを起こします。普通の食事をしていれば、まず欠乏症は起こりません。
ビタミンEは、トコフェロールともいいます。小麦、玄米、卵、魚、豆類などに含まれています。ビタミンEは抗酸化作用(酸化防止作用)を持ち、これも普通に食事をしていれば欠乏症についてはあまり心配する必要はありません。
お菓子類、食肉製品、塩漬けの魚介類、かまぼこなどの魚肉練製品、果物の缶詰、果汁類を買う際には「原材料表示」の最後のほうをよく見ましょう。ビタミンC、アスコルビン酸、アスコルビン酸Na、V・Cのいずれかの表示がしてあれば、ビタミンCが合成酸化防止剤として添加されています。空気中の酸素により食品が酸化し、風味、色などが変化するのを防止するために添加されているのです。
これらは、「栄養強化のため」ということにすれば表示しなくてもよいことになっています。したがって、添加しているのに表示されていないことがあります。ビタミンCは水溶性と栄養学の教科書に書いてありますが、水に溶けない脂溶性のビタミンCもあります。これは合成品で天然には存在しませんが、食品への表示はなぜかビタミンC、もしくはV・C、アスコルビン酸でよいのです。
■健康に良いと勘違い
油脂類、インスタント麺類(油脂で処理したものに限る)、フライ製品などの表示を見てみましょう。「原材料表示」の最後のほうに、酸化防止剤(ビタミンE、トコフェロール、V・Eのいずれか)と書いてあれば、大体は合成ビタミンEが添加されていると考えてよいのです。酸素により油脂が酸化するのを防ぐために添加されているのです。
なぜ「大体」なのかといえば、ビタミンEには天然のものもあるからです。しかし、天然のビタミンEは高価なので、安価な合成のものが使用されています。合成のビタミンEは、天然には存在しない異性体といわれるものが数十%含まれています。
酸化防止剤には、BHT、BHAという有名な合成酸化防止剤がありますが、これらは必ず表示が必要です。多くの消費者はBHT、BHAと表示されていれば警戒しますが、ビタミンC、ビタミンEなどと表示されていれば、かなり賢い消費者も警戒しないでしょう。それどころか、ビタミンが添加されているので健康に良いと勘違いして積極的に購入するかもしれません。
すべての食品というわけではありませんが、酸化は真空包装、窒素ガス充填、脱酸素剤の封入で十分防げます。安易に合成ビタミンを合成酸化防止剤に使用すべきではないのです。
ビタミンであれなんであれ、合成添加物であれば健康に対する危険性は否定できません。ビタミンをこのように合成保存料、合成着色料、合成酸化防止剤代わりの合成添加物として使用することに、筆者は極めて強い憤りを覚えます。ビタミンに対する冒涜であるとさえ感じます。
(文=小薮浩二郎/食品メーカー顧問)
http://www.asyura2.com/15/health17/msg/621.html
2. 2016年3月30日 00:36:21 : iheldNFs1k : OZVoCD3xZeY[45]
概ね国民の声を代弁した見解であろう。
しかし国民にもっともフラストレーションをもたらしているのが、民進党と言う正体不明の存在である。
政権を獲得した時は「トロイカ体制」だったが、全く表に出なかった藤井爺、仙石某が暗躍し、国民は呆気に捉われた。何が起こっているのか理解出来ぬままマイナーな存在だった野田某が首相になり、公約破りを宣言し三党合意。そしてなぜ解散する必要があるのか不明のまま、解散。
民主党の支持率は急激に低下するが、現在に至るまで悪びれた様子は全く無い。「アベ政治を許さない」と言う国民の声に乗じて、民進党を宣言し実行。国民の期待感はゼロに等しい。しかし「政権奪取」が目標らしい。
そしてとうとう本音が出てきた。政権選択である衆院選挙では自分たちを拘束することになる政党・人間とは共闘しないと宣言。共産党と小沢一郎のことだ。「政権奪取」はポーズであることを吐露してしまう。党勢が拡大出来れば他の政党は全く無視して自民党とだけ是々非々でやれる。特に戦争法案の廃止、TPP、原発、沖縄、税制などは足かせとなる政党・人間はきっぱりと排除しておかないとやり難くて仕方がない。参議院選挙は自民党の2/3だけ阻止出来れば良い。簡単に言えば、政権は自民党で結構、但し常に民進党のお伺い立てて政治をするようにさせる、これが民進党が理想とする姿と言うことだろう。
160. 2016年3月30日 00:36:31 : X5O7yeHj3Q : bvY176XBC3Y[1]
日本の中の敵、チョン公帰化人国家ジャンプ発言反日!
さくらが殺して背乗り、電波系=空耳、UFOマインドコントロールラジオ!
成り済ましが説明が出来る、ゾンビ集団ストカー、出刃ガメ暗殺泥棒スタジオ!
日韓トンネルの要、チョン公幽霊空耳で騙して、背乗り殺して成り済まし!
通名の原因、軍鶏侍さまが年金の裏側を解明、舛添一派が皆さんのお金を泥棒!
画策長野県年金、3億円の連中、どんどんエスカレート、それに併せてやり方も巧妙!
暗殺のやり方は、全てこの空耳、天の川、恋・故意祭り、名古屋はサムライの故郷!
どんでん返しのストカー、お使いの原稿、言葉が詰まる、皆さんの救助の破魔矢!
ゾンビ集団、いつもいつも、追い込みでチョン公の両班罠で、号外が全く、出てこん!
電波系、あーら、不思議、手品か、魔法か、阿呆か、トンでも無い事件が起きる!
息が詰まる、全て、画策、歴史まで遡る、天皇の偽者、日韓トンネルのトンスル発言!
トンでも無いドンキホーテ、ニトリ、色んなコマーシャルが入る、コンピュータも同じ!
騙すのが巧妙なだけ、大音響発信元が証拠の大洪水、日本の音・乙姫でお仕舞!
<コロンブスの玉子はニワトリだー!>バカ正直さま、裏は自分で当たれ、自分で考えろ!
三途の川、日本存亡の危機、それを鶏冠で感じたんだ、電磁波オーロラが走る!
背乗りチョン公の大陰謀、奴隷家畜対応が、名古屋の国民対応、バカにしている!
この軍鶏侍のお使いの原稿が無かったら、世界中皆無、全く、正体が掴めれんかった!
よーやく、出来て、軍鶏侍さまが、無我童子なでなで、直接には誉めん!
◆
盛屋寺
https://www.google.com/maps/@35.137402,136.923401,3a,75y,90t/data=!3m8!1e2!3m6!1s78518818!2e1!3e10!6s%2F%2Flh4.googleusercontent.com%2Fproxy%2F_geFFN5t15XpZDDQB3-aSAchn3L4-LIt8N9Bp_8620od9pa6IHkIyFFBf6n7nJuUsDCzV7ZckCHqgDD1K5yV6_PvniMR5w%3Dw203-h152!7i2048!8i1536
鳳凰山甚目寺
https://www.google.com/maps/@35.1939826,136.8230897,3a,75y,18.22h,101.43t/data=!3m6!1e1!3m4!1sb8LM6Nmxqz_MUVcKx5a3ug!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
千曲川旅情
https://www.youtube.com/watch?v=_SOVP6SzD1s
桜 千曲川河川敷に満開の桜並木[権現堂]あり!
https://www.youtube.com/watch?v=MdW8m0pTz94
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/519.html#c160
2. 2016年3月30日 00:39:52 : PFArFBrsW6 : 5gZ@IUOwC18[1]
1 よ、貴様は自慰行為なしで何日我慢できる!? 少しは頭を働かせよ。彼のような状況であれば、ほぼ不可抗力だ。同じ状況であれば、誰もがそうなる。寄ってくる女がいればしょうがないだろ。お前は手も足もないのに、すべてなしで対処できるのか??下が健全な男なら、100パーセント無理だ。綺麗ごと垂れてんじゃない!
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/630.html#c2
13. 2016年3月30日 00:40:27 : 7NtJpraQIU : vnrz804Fj0Y[1]
筑紫さんは別かもしれないが、
どこのメディアであれ<ワシントン支局>で働いた記者は、おおむね骨抜きにされとる、っちゅうか、犬になるための訓練をされたような奴ばっか。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/604.html#c13
34. 2016年3月30日 00:41:48 : T0mJ0qidnG : oqmcrtpbidg[2]
小沢さんは消費税増税論者では有りませんよ
小沢さんは所得税も法人税も直接も間接も含めて
全ての税制を抜本的に改革すると言う考えを持っています
だからその中に当然消費税も入っているワケです
実は小沢さんは前に民主党が政権を取った時に
宗教法人への課税も検討していました
その所為で創価の息のかかったメディアが
小沢さんを集中攻撃したんですな
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/582.html#c34
11. 本音二郎[27] lnuJuZPxmFk 2016年3月30日 00:42:20 : H0qIt8F4zw : YTLCb8G1WwQ[30]
やはり民進党は政権を取る気が無い。
選挙でもし公明党が自民党議員に投票しなかった場合、自民党は何議席取れるのか?
公明党と共産党の支持率はどうなのか?無党派層は公明党に投票するのか?無党派層は共産党に投票するのか?などなど考えれば、共産党支持者や共産党に投票する無党派層の票数を考えれば自ずと答えは出てくる。
自民と公明の連立政権と共産党が選挙協力するが閣外にとどまる自公以外の政権とどちらが野合なのか?考えればすぐわかる。
それが民進党、特に旧民主党の連中には全くわからない。小沢さんとは一緒に組めないと抜かす馬鹿ばかり、崩壊しろ!日本を根底から壊しているのは野糞佳彦を追放できない民進党だ。
情けない奴ばかり一人もまともな議員はいない。期待しないで頂きたい。
自民党、公明党、大阪維新に投票して憲法改正をすれば良い。
その時は日本を捨てたい。金が無いので野垂れ死ですが!
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/600.html#c11
7. 2016年3月30日 00:44:52 : HfEJtsFx12 : 9eRGVQz8FJI[3]
ただこの二人、しょせん体制派。
政府の経済政策は批判するが政治問題に対する姿勢は、国民の立場に立っているとは言えない。原発もどうせ賛成だろう。だからテレビによく出てくる。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/615.html#c7
海外での戦争と自国の警察国家を促進する"イスラム嫌悪"産業
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-6190.html
2016年3月30日 マスコミに載らない海外記事
2016年3月26日
Tony Cartalucci
Land Destroyer Report
物事は実に単純だ。脅威を作り出し、t国内での独裁政治の拡張、海外では、その脅威と対決する果てしない覇権戦争の基盤とし、できるだけ多くの人々の心の中で脅威を生かし続けるため、恐怖、ヒステリー、憎悪と分裂を、意図的に永続させるのだ。
写真: イギリスのEDLや、ペギーダなどの集団は、特定利益集団によって直接作り出され、運営されている - 皮肉にも、過激なイスラム嫌いを組織し、資金提供し、指揮しているまさに同じ特定利益集団が、あらゆるイスラム教徒に罪を着せている。多くのEDL/ペギーダ・メンバーは、同時に、暴力的フーリガン、またはネオナチなので、確実な情報に基づく判断力が欠如しいるのは驚くべきことではない。
ここまでに書いたことは、人類の歴史を通じて特定利益集団が利用してきた初歩的戦術であり、現在の特定利益集団も決して例外ではない。現在、好んで使われるでっち上げ脅威は "テロ"だ。アルカイダや、いわゆる "「イスラム国」" (ISIS)のような組織が、アメリカ合州国や、ヨーロッパ同盟諸国や、トルコやペルシャ湾岸諸国を含む中東の子分たちが作り出した地政学的な道具であることは裏付けのある事実だ。
でっち上げの脅威を人々の心から消えないようにする手段が、イスラム嫌悪だ - アメリカ-サウジアラビアが洗脳し、武器を与え、資金提供し、支援している過激派の行為を世界中の約16億人のイスラム教徒に罪を着せるのだ。
1980年代、アフガニスタンでソ連に戦争をしかけるため、アルカイダ創設の上で演じたアメリカ合州国とサウジアラビアの役割は十分証明された史実だ。それほど知られていないのが、確実にアルカイダの分派であるISISを創生する上で、同じ二国が演じた役割だ。
ところが、アメリカそのものの国防情報局(DIA)が、漏洩した2012年のメモで、実際、アフガニスタンで、代理戦争をしかけるために、アルカイダが作り出されたのと同様、ダマスカスに対する代理戦争をしかけるため、東シリア内に "サラフィー主義" (イスラム) "公国" (国家)が意図的に作り出されていたことを認めているのだ。
漏洩した2012年の報告書(.pdf)には、はっきりこう書いてある。
https://www.judicialwatch.org/wp-content/uploads/2015/05/Pg.-291-Pgs.-287-293-JW-v-DOD-and-State-14-812-DOD-Release-2015-04-10-final-version11.pdf
"サラフィー主義" (イスラム) 公国" (国家)の創設を目指しているこれら"支援している国々" とは一体どこかを明らかにするために、DIA報告書はこう説明している。
もしアメリカと同盟諸国が、ISISの背後にいるのであれば、ISISによるものだとされる攻撃が、アメリカ外交政策と直接あるいは間接的に関係しているのは明らかだ。ISISが、アメリカ自身が "政権転覆"を予定している全く同じ政権に対して戦争をしかけて、中東と北アフリカ地域(MENA) における欧米の狙いに役立っていることは極めて明白だ。ISISは、可能な場合は、外国への直接軍事介入のための好都合な口実としても機能するのだ。
一部の方々にとってそれほど明白でないのは、ISISが、フランス、ベルギーや東洋・欧米で標的に対する攻撃をしかけると、アメリカや同盟諸国に一体どんな利益があるかだ。
とは言え、"世界的テロ" というでっち上げの脅威の強化と、国内での独裁制強化と、海外での戦争拡大促進に役立つことは実に明白だ。
お馴染みの連中が推進するイスラム嫌悪産業
もし"世界的テロ"というでっち上げた脅威を恒久化するために、イスラム教徒に対する恐怖や、ヒステリーや、憎悪や分裂を一番大声であおっている連中が、アルカイダやISISなどのテロ集団に、武器を与え、資金を提供し、訓練し、連中の暴力を利用しているのに直接関与し、恒久的な "対テロ戦争"で一番儲けているまさに同じ特定利益集団だったら奇妙ではあるまいか。
これは奇妙だが - しかもそれは、たまたま証明された真実でもある。
増大し続けているイスラム嫌悪ネットワークの生態系は、2001年9月11日、ワシントン、ニューヨークと、ペンシルバニアでのテロ攻撃の後、アメリカ合州国を、アフガニスタン戦争と、イラク戦争に引き込み、イラン、リビア、シリア、スーダンや他の多くの国々に対する戦争を主張していたネオコン幹部連中を中心に展開されている。
公的に関与していた最も高位の元アメリカ政府幹部の一人、ジョン・ボルトンは、イラク、アフガニスタン、シリア、リビアや、イランを含む世界での戦争を声高に主張しており、長年、少なくとも、アメリカのイスラム嫌悪系列各組織の中心役として機能している。彼の軌道を取り巻く連中には、マスコミ・タレントの人種差別主義者、偏屈者のパム・ゲラー、ロバート・スペンサーや、アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)の署名者、ダニエル・パイプスがいる。
写真: アメリカのイスラム嫌悪系列組織は、テロ集団への武器供与、資金提供、利用や、"テロと戦う"という口実で行っている様々な戦争に直接関与しているアメリカ政府の代表と直接つながっているのみならず、この系列組織は"イングランド防衛同盟EDL" やペギーダを含むヨーロッパやイギリスの連中とも連動している。右上でゲラーと一緒に写っているボルトンのような特定利益集団有名人は、イスラム嫌悪によって恒久化されている、恐怖、憎悪とヒステリーを基盤とする戦争で文字通り何兆ドルも儲けている。
更に周囲には、ネオコン戦争ロビーの正式会員で、シリア転覆・破壊で直接的な役割を演じている多くの連中と付き合っているジョセフ・ファラーが運営するWorldNetDailyのようなエセ代替メディア認知潜入組織がある。ファラーはシリア系レバノン人で、レバントの崩壊と組み換えを目指す、アメリカが作った組織に深く関与している。
アメリカ・イスラム嫌悪系列組織を率いるWNDやパム・ゲラーやロバート・スペンサーや他の多くの連中は、ヨーロッパの相方ともども、欧米の人々の間で誤解、憎悪、恐怖とヒステリーの炎をあおるため何年も活動してきた。連中がこういうことをしているのは、彼らが代表している権益団体が、イスラム教ではなく、アメリカ外交政策が作り出したアルカイダやISISが実行する世界的テロの根源だという事実から目を逸らすためと、MENA全体、さらにはそれも超えた地域で、海外でのアメリカ介入を継続するための十分な正当化の言辞を作り出すためだ。
多くの、そして依然増殖中の海外における戦争の欧米による正当化はほとんどできておらず、アルカイダとISISの創設と恒久化におけるアメリカの役割に関する世界的合意は臨界質量に達しつつある。大規模なイスラム嫌悪が世界中の人々の少なくとも一部に広がることなしには、アメリカ外交政策が、更にどれほど薄っぺらなものになってしまうかを想像するのは困難なことではない。
身売りした代替メディア連中
これは、公表されているアメリカの政策であり、既に何年も前から、世界の情報空間内で、アメリカ勢力圏を大幅に弱体化させ始めた代替メディアに潜入し、方向を変えるという元アメリカ情報・規制問題室長だったキャス・サンスティーンの "陰謀論" 論文が、これを最もうまく表現している。
"認知潜入"と呼ばれる考え方は、直接、真実とは矛盾しないが、読者、視聴者を、政府が支配している説明にじわじわと引き戻すには十分な程度、矛盾しているメッセージで代替メディアに潜入することだ。これこそまさに、パム・ゲラーや、ロバート・スペンサーなどの、給料をもらっているロビイスト連中がしてきたように、WNDや他の連中が緊密に協力して、行っていることだ。
今や、代替メディアの方へと漂った意志が弱い読者の群れが、大衆の認識を操作し支配するため、プロパガンダの歴史を通して利用されてきた多くの最も初歩的な策略を用いた、イスラム嫌悪のベクトルによって、まんまと引き戻されている。支配体制のマスコミと、代替メディアとされる連中が、全くそっくり同じ説明を売り歩くのであれば、こうした代替メディアとされるものは、もはや"代替"などではない。
本物の代替メディアに残されているのは、この分裂を認識し、真実を語り続けることに力を注ぐことだ - 特に - イスラム嫌悪産業がそのために仕えている権益と隠された狙いに。大衆に、長年、偽旗テロの危険性、アルカイダや、より最近ではISISへのアメリカ政府の関与を警告し、人々を分割して、支配するために、宗教や人種や政治体制に罪を着せる欧米の企みに警告を発していた代替メディア組織の取り込まれた部分は、今やここに述べたあらゆることに直接加担しているのだ。
図:アメリカの為政者連中にとって、上記地図に描かれたような世界覇権を維持するための国家財政負担や流血の正当化を売り込むのは困難なことだ。でっち上げた"テロ" の脅威無しには、売り込みが限りなく困難になるので "テロ"言説の寿命を延ばすため、イスラム嫌悪産業に膨大な投資がされているわけだ。
目標は、こうした取り込まれた個人や組織との恒久的内紛に陥ることであってはならない。こうした身売りした連中にも、大企業支配のマスコミへの対処と同様に対処するのを目標にすべきなのだ- 真実を記録し報じて、暴くべきだ。
戦争を始めるために、特定集団についてつウソをくのは、あらゆるものの中で最も古いたくらみだ。一体なぜ、いまだにそれに引っかかる人々がいるのだろう?
結果論になるが、欧米の大衆に戦争を売り込むために語られてきたウソや、これらの戦争が、この連中以外の人類を犠牲にして、特定利益集団にもたらしたことが実証されている、富や権力や影響力を考えれば、イスラム嫌悪を売り歩いている連中には、そうすることに経済的、政治的利益があり、連中の単純な一般化や、中傷や、辛辣な言葉のウソを、真実が超越しているのは確実なことが、人々には明らかなはずに思える。
ところが、人種差別と偏見にふける方が、確実な情報に基づいた探求や、調査や、独力での学習よりずっと楽な道なので、支配体制側は、代替メディアの影響力を弱める方法を見出したのだ。これまでの影響力を回復し、更には拡大するための方法を見つけ出すのは、本物の代替メディアの責務だろう。
果てしない戦争による不当な金儲けを正当化するために、人間の集団についてウソをつくのは、あらゆるものの中で最も古いたくらみだ。もし代替メディアが、そのような初歩的なたくらみに対決して、挫折させることができないのであれば、代替メディアそのものの中の何かが体系的に弱いことになる。もし代替メディアが、何であれ、読者と収入を増やせることを報じて満足しているのであれば、彼らはもはや代替メディアではない - 彼らは支配体制の宣伝屋の劣化コピーだ。代替メディアが、真実や、自らの、友人たちの、家族の、地域社会の将来に対して本気なのであれば、このイスラム嫌悪、そしてこれに類する全ての策略や、特定利益集団が語る他のあらゆるウソに対決し、粉砕すべきだ。
記事原文のurl:http://landdestroyer.blogspot.jp/2016/03/the-islamophobia-industry-feeds-war.html
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http://www.asyura2.com/16/warb17/msg/432.html
2. 2016年3月30日 00:54:14 : GXnEBvEp6E : mV69Yfvadug[4]
【必見】朝日新聞が「日本会議」と安倍政権の関係を大特集!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-10694.html
軍産複合体ビジネス の 「日本会議」国家神道
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【保守カルト】「国家神道」はカルトの邪教: Barrierbreak
http://s-system4.seesaa.net/article/422095468.html
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/629.html#c2
1. 2016年3月30日 00:54:17 : pW1ENdwRAk : ruSMHvj7XOk[1]
新党大地の集客力、激減。ムネオ、自民党は無いだろう。
恥を知れ!
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/617.html#c1
12. 2016年3月30日 00:59:47 : HfEJtsFx12 : 9eRGVQz8FJI[4]
いろいろ困難があるが、民進党内の自民党派を叩き出すまでこのような民進党の動きは続くだろう。
ただし、希望はある。党外、一般の人からは野党は共闘しなさいという意見はあっても民進党(民主党)は他の野党と共闘すべきでないという意見は全くない。
じわじわと確実に民進党内自民党派は国民の支持を失っていく。連合も民主党ならぬ民進党支持とされているが連合の幹部は本籍自民党である。会長は実質自民党から送り込まれた人物である。連合を捨て置いても実際に失う票などない。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/600.html#c12
28. 2016年3月30日 01:02:38 : SA4gHQXkbo : WDEFzykuJN0[5]
おじゃまー朗、豚さんなんてどうでもいいのだけど、、こちらは参院選にむけて野党共闘がすすみ、32の1人区のうち9つの選挙区で統一候補が決まっています。
4月の衆院補選北海道5区でも野党統一候補が決まっています。
戦争法廃止の2000万署名も500万人を超えたとの事。
アベゲリゾ〜さん、参院選の野党共闘に焦って、共産党を攻撃してくるのやめてもらえないかな?男のくせに女性議員が多数在籍している共産党を攻撃しないでね。
アベゲリゾ〜さんておかまかな?
女性議員の多数在籍している共産党を攻撃して、おかまなんだね〜(爆笑)
14. 2016年3月30日 01:02:49 : 04v265kSi2 : k5L9NAFhX7w[1]
BBCやCNNみたいな放送局は日本に生まれないのか?
日本国民の真の敵はマスコミ、特にNHK、民放、大新聞である。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/604.html#c14
20. 一主婦[1704] iOqO5ZV3 2016年3月30日 01:05:12 : VnFJmFJ1dU : lf4ifphGfA0[169]
>>17. mXYcbawe3U : cr58CF0C9hY[1] さん
>与党(自公)に塩を送るアホの連コメに呆れるね。
小沢鳩山を盾に自分が正しいと我を張るのは、小沢鳩山の意向とは逆向きだってことにこいつは気づいてないのか。小沢と志位が互いに抱擁するなんて腹芸をなぜやるのか?それが必要だからやるんだよ。
↑、たしかに、貴方のご意見も一つの考え方でアリですね。ですけれど、他の方のコメント(貴方が仰るアホのコメ)も、有権者の声としては、一つの考え方としてアリだと思います。別に「小沢鳩山を盾にして自分が正しいと我を張っている」わけでは無いと思います。そして、その発言が、例え小沢氏や鳩山氏の意向と逆向きだとしても、それもアリだと思います。一人ひとりの有権者としての発言ですから、何もみんな一緒の考え方でなくても良いと思うのです。
「反自民」「小沢支持者」でも、考えは様々です。今の民進党に投票できる人、投票できないと考える人、統一候補に投票できる人、出来ない人、民進党中心の野党連合に賛同できる人、出来ない人、様々だと思います。自民党政権が嫌でも、民進党には投票できないと言う人もいるのは確かですし、様々な考え方はアリだと思いますし、その様々な考え方は許されるべきです。投票はどんな場合でも強要してはいけないものだと思います。
小沢氏も、出来るだけの器は作るけれど、投票までは強要するはずがありません。器は作って投票は有権者に任せるという考え方だと思います。そうでなければおかしいです。投票の強制はナシですから。そして、何よりも政権を取るという野党第一党の旧民主党こそ「敵に塩を贈る」行為をしている罪作りな張本人だと思います。なぜかと言いますと「反自民」の有権者の望んでいない政策を掲げているという事です。それも「反自民」の有権者の望む政策の180度も方向の違う政策をです。
その結果「反自民」の無党派層や棄権層の有権者を政治不信にして、投票率を下げる結果を作っています。それこそ自民党に有利になる事なのです。旧民主党のその場異国政策こそ「敵に塩」を贈っている張本人なのです。本当に野党連携を強固にし、本気で政権を取りに行く気なら「反自民」の有権者が「鼻をつまんで」しか投票できないような政策を、頑固に平気で掲げ続けるはずがありません。それこそが自民党に利するような行為です。無党派層や棄権組みに逃げられてしまう様な政策を掲げ続けて、投票率を下げ続けています。有権者と他の野党にだけ譲歩を強いて、旧民主党は何も努力も譲歩もする姿勢がありません。
党首同士としては、他党の事にあまり踏み込めないと言う事情があるのだと思いますが、有権者にまで政党批判や政策批判を封じ込める必要は無いと思います。有権者は、主権者として発言する事は大切な事だと思います。小沢氏や鳩山氏の意向を汲んで言いたい事も言えないのでは有権者としておかしいと私は思います。鳩山氏や小沢氏も、インタビューで聞かれて民主党に苦言を呈していることもあります。
例えば鳩山氏は、旧民主党に対して、過去の失政や裏切りを「反省」して、民主党の「原点」に戻って欲しい。と発言しています。そして「もはや今の民主党は、私が作った民主党の理念ではなくなってしまった」と苦言を呈しています。
小沢氏も記者からのインタビューで、旧民主党に苦言を呈しています。例えば「自分達は自民党政権と違う。こういう考え方だと言うのでもって『政策的対決』をしていかなきゃダメだ。」と答えていました。「政策」を自民党と違うもので対決せよと苦言を呈しています。鳩山氏は、先の政権担当時の民主党の裏切り行為を「反省して原点に返れ」と苦言を呈していますし、小沢氏は、裏切って180度変えてしまった、自民党そっくりの民主党の「政策を変え」て、自民党と違う政策で対決せよ。と苦言を呈しています。
そして、共産党だって民主党に対して、あの自民党そっくりの政策を黙認していません。自民党と同じ政策は横に置き「戦争法案だけの一点で参院選を戦う」と仰っています。やはり旧民主党の政策には賛成できないから、脇に置くと言う事なのでしょう。脇においた政策まで一緒に進めることができないと言う考えから、参院選後は野党連携を解散と仰ったのも、ただ黙して民主党の売国政策に従うというのでは無いと言う考えなのだと思います。自民党批判や他の批判は良くて、民主党批判だけはしてはいけないという訳は無いと思います。
どの党でも、改めて欲しいところや変えて欲しい政策があったなら、有権者としての声はを上げて良いのだと思います。民主党批判の口封じは、こちらの掲示板特有の空気なのでしょうか。他のブログやツイッターでは、盛んな民主党批判がなされています。要望もなされています。その民主党批判のツイッターを沢山集めて持っています、載せようと思いましたが、既に長文になっていますので、後ほど改めて載せます。
政治に有権者の声を届ける事は、封じてはいけないと私は思います。有権者の批判や要求を封じたなら、政策への反映も出来なくなります。政治家にとっても、有権者の望んでる政策が何なのかを知る機会が必要です。有権者と政治家の間に「開かずの扉」を設定してはいけないと私は思います。あなたは、小沢氏も志位氏も何も言わないと仰っていますが、小沢氏も鳩山氏も志位氏も、インタビューではシッカリと旧民主党には、批判も苦言も呈しておられます。
党首間での野党連携の場では、公党同士ですから連携だけのお話だけで、突っ込んだ批判や議論はしていないのかもしれませんが、だからと言って、有権者にまで何も言わずに口封じまがいの同調圧力をかける必要は無いのでは無いでしょうか?小沢氏や志位氏は、政治家として有権者の声を聞く立場です。逆に私達は、主権者として政治家や政党に有権者としての声を届けるほうの立場なのです。有権者が政治家とは立場が違いますから、一緒に口を閉ざす必要は無いと思います。有権者同士が有権者側からその圧力をかける事も不要だと思います。
>小沢と志位が互いに抱擁するなんて腹芸をなぜやるのか?
それが必要だからやるんだよ。過去の諍いはいったん矛に収め、共に戦うために矛盾だ野合だと非難されようが必要なら手を組む。志位からすれば小沢と手を組むのは、菅、前原、野田と手を組むことよりありえない選択だ。小沢からすれば共産党は自分が民主党時代のスキャンダルで自民と並んで小沢喚問の急先鋒を張った党であり、当然なにかしら腹に据えかねるモノはあるはずだが、野党共闘のためならオクビにも出さない。
↑これも、政治家同士の場合です。私たち有権者は、有権者として、民主党の裏切りや失政に対して口を閉ざす必要は無いと思います。裏切りや失政を自覚していない場合や、反省や修正が無い場合は尚更です。特に民主党のように、有権者の夢を政権交替に託したのですから、そして大きく裏切られたのですから、反省を求め修正を要求する事は当然だと思います。特に、再び、政権交替を目指す選挙で、同じ政党に投票するという場合には、有権者として反省を求め、修正を求めることは必須な行為だと思います。二度と同じ間違いや裏切りをさせないためにも必要なことです。
小沢氏と志位氏は政治家ですから、有権者の声や苦言・批判・要求を聴く立場の人です。私達有権者は、政治家や政党に、主権者として、批判や要求や想いの声を届ける立場です。ですから、その声を有権者側から閉ざすような圧力をかけたのでは、特に民主党の例のように、自覚も反省も無いまま、謝罪も修正もさせないままで政権を託したなら大変なことになる事も予想されます。有権者は、どんな時でも、政治に対する声を閉ざしてはいけないと思います。それでは有権者の要望が政治に反映されなくなります。有権者の声を閉ざすことが良い事のような圧力は良い事では無いと思います。
旧民主党は、まるきり自民党と一緒です。民主党のバックも自民党と一緒なのですから政策も同じになってしまうのは仕方が無いと言えば仕方がないのかもしれませんが、ほんの数年前の民主党は「国民の生活が第一」の政党でした。戻れないはずは無いと思います。有権者が声を大きくして、その原点に返って欲しいと声を上げ続ける事は必要だと思いますし、声を上げることで、民主党の原点に戻ってくれる奇跡が起こるかもしれません。黙っていてはその奇跡も起こり様が無いと思います。有権者が政治家や政党に要望や批判の声を上げる事は当然の事ですから、黙る必要はまったく無いと私は思います。
>選挙は政治闘争。キレイごとばっか言ってたら食われちまうだけだ。
だから俺は何べんも言ってる。無党派だか何だか知らんが、野党共闘が気にいらないんだったら安倍政権に票入れろってさ。
↑貴方の〆の段落は、貴方特有の断定だと追います。「政治は闘争」はその通りですが、キレイごとを含めて、批判も苦言も要望も、有権者の声は届けて良いと思います。何も黙る必要はありません。野党共闘が気に入らなくて投票できないと言うわけではなく、野党共闘は賛成でも、有権者の望んでいる政策と180度も違う野党統一候補への投票ができないのです。自民党と同じ売国政策に投票できないと言っているのです。ですから、民主党には、反自民の有権者が要望している政策に変えて欲しい。2009年の原点に戻って欲しいと要望しています。
貴方が仰るように、嫌なら「自民党に投票しろ」は、筋違いの断定だと思います。日本が嫌いなら、外国に出て行けと言っているようなものです。日本が納得できない国になっているなら、自分の国を捨てて、海外に出て行くという解決方法ではなく、国民として、有権者として、理想の国づくりを目指して、こういう国にしてほしいと言う声をあげ、その国づくりのための要望をすることこそ必要なことだと私は思います。それをやらないで外国へ出る必要は無いと思います。貴方の断定は、あなた自身だけなら良いと思いますが、あなたの考えを、万人に強要してはいけないと私は思います。
以上。長くなりましたが、私個人の想いと考えを述べさせて頂きました。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/591.html#c20
5. 2016年3月30日 01:06:40 : mYlSRbhZfI : mWiZrpC@4nc[56]
当方はアメリカ国民ではありませんので当然の事ながら投票権はありませんが、外国人であってもサンダースさんに投票したいです。貧富の差をなくし、金持ちからたんまり税金を取る。こんな、当たり前のことが実現しない。やはり諸悪の根源は、1980年代のレーガノミクスですよ。レーガンの時代、金持ちに掛かる税金を不当に安くした。日本でもそう。イルミナテイ・ナカソネの時代に、決定的に悪くなった。
金持ちクラブのヒラリ婆なんて、お呼びじゃない。アメリカの希望の星は、サンダースさんです。雰囲気で言うと、かつての日本社会党の浅沼稲次郎委員長に似ている気がします。ひょっとして、乗り移られたのかも。
話は変わって人気沸騰のトランプ氏ですが、サンダースさんと対極のように見えますが、企業国有化など主張は共通している点もあります。するとアメリカも、いずれは国有企業が増えるのかな。アメリカは歴史上、国鉄が存在したことのない国ですが、一級鉄道の合併が進み、鉄道会社の数は以前よりかなり少なくなっています。日本政府が国鉄改革の参考にしたのが、アメリカの鉄道ですが、そのアメリカの鉄道の集中合併が進んでいることに注目すべきです。
トランプ氏の在日米軍撤退論と、サンダースさんの軍縮論も共通しますね。もはやアメリカは、膨大な軍事予算の支出に耐えられないのです。アメリカの軍産複合体は、膨大な連邦予算を食いつくし、その割に役に立たない兵器ばかり売りつける。飯山先生じゃないけど、F-22もF-35でも、金食い虫で実戦で役に立たないデクノボウです。
M1A1戦車でも、発展途上国のイラク相手だったから勝てた。ロシア連邦相手なら、完全に壊滅です。
アメリカの軍事費は為替ルートによるけど、年間おおよそ70兆円はある。年に70兆円ですよ。その中でも金食い虫なのが、海軍です。あれだけ原子力空母を世界で展開していたら、いくら金があっても足りない。軍事費に毎年70兆円出すのに、一方ではフードスタンプ受給者が約5,000万人いる。そりゃ国民は怒るはずですよ。怒らない方がおかしい。
ロシア連邦の軍事費は、年間約19兆円くらいです。アメリカより遥かに広い国土なのに、これだけで済んでいるのは、驚異的です。やはり、金食い虫の海軍に予算を投じていないことが決め手だと思います。
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/786.html#c5
17. 2016年3月30日 01:08:37 : HfEJtsFx12 : 9eRGVQz8FJI[5]
アメリカ軍が日本から引き揚げてくれれば大歓迎だ。横田の空港・空域が日本のものになる。三沢も岩国も沖縄も横須賀も佐世保も日本の施政権下に入る。百兆円にも上る資産が帰ってくる。
それでもアメリカとの同盟は継続するのであれば、米軍が時々立ち寄れるようにするだけでよい。日米同盟が崩れれば孤立するのはアメリカ、そして日本。これはもうAIIBで立証されている。駐留なき安保は実現できる。少なくとも大半の基地は帰ってくる。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/599.html#c17
26. アサマタロー[498] g0GDVIN9g16DjYFb 2016年3月30日 01:11:40 : RZg3uY30MQ : vweBKyxQMnw[20]
2016年03月29日 【今の日本に怒り心頭】
岡田代表前回2004参05衆院選挙消費増税自滅テロで政権交代期待粉砕!今回も財務・経産省強迫で消費税賛否沈黙!代われ!成金息子の道楽に非ず!庶民貧民の生き死にの問題だ!
2015年01月19日
岡田克也が推定無罪を無視した小沢党員資格停止謀略に加担し民主国民政権を潰した事を詫びて小沢一郎を選挙参謀で迎えるなら、4年で総理になるかも。反消費税・反原発なら確実!
国民は日本史上初の国民目線の命を守りたい・生活が第一のあの感動を忘れていない。その後の小沢冤罪事件・官憲陰謀謀略裁判・やっと無罪までに党員資格停止から追い出しまで韓流ドラマの両班横暴政治を嫌と言うほど見せられた。その片棒を本来一番法律を理解して居る岡田が担った。仙谷の陰謀?誰の陰謀?
岡田が前回代表時に選挙は全敗だった。何故か?国民目線で無い神代の三重県民だからか?急な消費増税⇒その前の納税者番号なのに!マイナンバーもデタラメ!義兄に韓国納税者番号の良さを聞いて一緒に欧米韓国並みの社会保障番号を作って欲しい!
あのプライベート・人権にウルサイ米国が古くから実施中の納税者番号をプライベートに問題が有る等と云う輩は巨額脱税・不正蓄財(国家債務1000兆円の不正取得が原因!無記名定期・貸し金庫に金の延べ棒等々)隠匿を先祖伝来して来たからだ。
日本は世界一世襲身贔屓資本主義国家だ。そこを克服出来れば、国民の支持は直ぐ集まる。懺悔(小沢冤罪資格停止・外相時の県外海外非協力)して受け入れて!そうすれば昔に戻れて今一番総理に相応しい政治家になれる。残る問題は原発と消費増税。
【君主の徳の無さが天変地異を呼び、革命が起こる?易姓革命とは!】
@天命に反した菅政権下で東北大震災・福一放射能禍で国民悲惨。
A安倍晋三さんは長州人で無く東京人だ。安倍さんが天命に反すれば東京直下地震か?別荘地の富士山爆発か?
B岡田克也さんが国民の総意を無視して天命に反したら東南海3連動大地震か?三重県の明治以降の開墾地が水没の恐怖?
岡田克也のWIKIの民主党時代
2015年01月11日
1.11NHK日曜討論:民主党代表選は消去法しかない!代表時選挙全敗者×・モナ男色男金と力無し論×・旧内務省警察署長父+慶応卒が格差是正?キーワード日経分析系?本心ならOK!
2015年01月08日
2015.1民主党代表選人物評で同意見投稿を見た。細野が鳩山時代に戻してはいけないと言った?本当なら嘘吐きだ!岡田は論外も同感!残るのは誰?年金追及男?松陰の親友の様だ!
2015年01月08日
2015.1民主党代表選に岡田克也がどの面下げて出たのか?網膜剥離は天罰?放射能?疑惑の第5検察審査会起訴議決で無罪の推定を無視し小沢一郎党員資格停止したのが岡田らだ!
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/603.html#c26
27. 2016年3月30日 01:12:22 : 04v265kSi2 : k5L9NAFhX7w[2]
日本もトランプ、サンダース旋風が吹き荒れるよ。
世界は変わって来てるんだよ。読めない日本の間抜け政治屋、マスコミ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/603.html#c27
3. 2016年3月30日 01:15:14 : dID8nWNZJE : EiEDMywVaqg[11]
安保法に「ノー」、これからも 法施行の日、各地でデモ
2016年3月30日00時29分 朝日新聞
安全保障関連法が施行された29日、各地で同法に反対するデモなどが催された。国会前での集会には、約3万7千人(主催者発表)が参加。安保法の廃止をめざし、夏の参院選での野党共闘を訴えるスピーチが相次いだ。
午後6時半、集会が始まると、国会正門前の歩道は、「民主主義を取り戻せ」と書かれたプラカードなどを持つ人たちで埋め尽くされた。市民団体メンバーらが壇上にあがると、大きな拍手が起こった。
「参院選に向けた野党の結集が進んでいる。みんなで投票に行き、政権に一泡吹かせよう」。学生団体「SEALDs(シールズ)」などとともに集会を主催した「学者の会」の山口二郎・法大教授は、こう訴えた。同会やシールズのメンバーらは昨年末、参院選での野党共闘を支援する団体「市民連合」を設立し、野党候補の一本化などを求めている。
高校生団体「T―ns(ティーンズ) SOWL(ソウル)」も集会に参加。メンバーの東京都内の高校2年男子(17)は、18歳になって夏の参院選から投票できるようになる友人に、安保法で問題だと思う点を話すことがあるという。自身は夏にはまだ17歳で投票できないが、「自衛隊をめざす友達も安保法に不安を感じている。そんな法律はおかしいと知ってほしい」と考えている。
集会に来た東京都東久留米市の秋谷かをるさん(69)も「周りの人に安保法の問題を伝えていきたい」と話す。「孫の世代を考えると、この法律で将来どうなるんだろうと不安。自衛隊員も、ほかの誰かも犠牲になってほしくない」
茨城県古河市から妻と一緒に参加した佐藤克二さん(71)は、自分の車の窓に「9条壊すな」などと書いた厚紙を貼っている。それを見て「詳しく教えてほしい」と声をかけてきた近所の人もいた。「できることをやって、参院選では安保法に反対する野党側に投票する人を増やしたい」と話した。
29日には札幌市や大阪市、広島市、福岡市などでも抗議行動があった。大阪では、マイクを握った男子学生が「今日という日に絶望せず、声を上げていきましょう」と呼びかけた。(佐藤恵子、後藤遼太)
◇
名古屋・栄の公園には夕方に約800人が集まった。「安保法制、施行に反対」「違憲の法律、施行は無効」と訴え、繁華街を行進した。岐阜市街では約100人が参加した。
http://www.asahi.com/articles/ASJ3Y5Q9WJ3YUTIL03K.html
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/629.html#c3
4. 2016年3月30日 01:17:03 : dID8nWNZJE : EiEDMywVaqg[12]
安保法施行、各地で反対集会 「戦争法発動止めよう」
2016年3月29日 21:12 琉球新報
安全保障関連法が施行された29日、国会前で反対する市民団体が集会を開き、主催者発表で約3万7千人が集まった。参加者は「戦争法の発動止めよう」「施行反対」とアピール。札幌、大阪、沖縄でもデモや集会が行われ、反対と抗議の声が各地で上がった。
国会前の集会は「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」や、大学生らの「SEALDs(シールズ)」が呼び掛けた。
シールズの大学生植田千晶さん(20)は「野党共闘が希望。次の選挙で与党の議席を減らし安保法を廃止したい」と話した。(共同通信)
https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=160985
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/629.html#c4
1. 2016年3月30日 01:19:29 : dID8nWNZJE : EiEDMywVaqg[13]
「安保法、今すぐ廃止を」=主婦や若者ら国会前抗議―3万7000人・東京[時事]
2016.03.29 23:07 時事通信社
安全保障関連法が施行された29日、東京・永田町の国会前では、抗議に集まった大勢の市民らが「戦争法は今すぐ廃止」などとシュプレヒコールを繰り返した。「戦争は嫌だ」などと書かれたボードを手にした主婦や若者たちの姿も目立った。
抗議集会は「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」や学生団体「SEALDs(シールズ)」などの呼び掛けで行われ、主催者発表によると、約3万7000人が参加した。
2日前に京都市から友人と来たという保育関係の仕事をしている妹尾叶子さん(25)は「施行されようがされまいが、あかんもんはあかん。国民の理解が得られていないのに考えられない」と憤った。「デモで国民が反対しているのを形として見せないといけない」と強調した。
「安保関連法に反対するママの会」のメンバーという埼玉県川口市の主婦佐藤裕子さん(36)は2歳と5歳の息子と参加。「軍事に使うお金があるなら保育や待機児童に使ってほしい。このままだと徴兵制にまでいくのではないか」と危機感を募らせる。佐藤さんは「息子が(戦争に)連れて行かれそうな気がして怖い」とつぶやいた。
春休みの帰省途中にデモに参加したという北海道大学の男子学生(20)は、「(安保法は)施行されたが、声を上げることはできる限りしたい」と話し、シールズのような同年代の人の活動も見たいとも語った。
都内の女子大学生(19)は「(抗議しても)何も変わらないと言っていたら、自分たちの暮らしが後戻りできないところまできてしまう。これからもどんどん参加していく」と話す。さいたま市から参加した高校1年の男子生徒(16)は「安保法は憲法違反。施行を悲観していても仕方がない。デモや抗議をやめることが一番危険だと思う」と語気を強めた。
http://getnews.jp/archives/1436712
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/633.html#c1
2. 2016年3月30日 01:19:42 : 04v265kSi2 : k5L9NAFhX7w[3]
ガンで余命無いから、必死で娘の為に
恥捨て人生。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/581.html#c2
21. 一主婦[1705] iOqO5ZV3 2016年3月30日 01:22:12 : VnFJmFJ1dU : lf4ifphGfA0[170]
訂正
場異国政策こそ(誤)→ 売国政策こそ(正)
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/591.html#c21
29. 2016年3月30日 01:26:59 : 04v265kSi2 : k5L9NAFhX7w[4]
国税と司法の粛清改革を国士の手で。さもなくば、又
第二の小沢事件が生まれる。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/571.html#c29
3. 2016年3月30日 01:35:05 : kMSqNtLpqg : nlxSZEGjYxg[27]
意味不明な擁護がわいているが、男ならみんな乙武みたいになると言われるのは失礼極まりないし
我慢できないならなんのために奥さんがいるのか?
そもそも1日でハニートラップに引っかかりそうなやつなんて政治家になるべきじゃないだろ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/630.html#c3
18. 2016年3月30日 01:36:07 : HZ05tTjq4E : bN2dUJXATOU[1]
「アメリカ様命」で思考停止している我が日本国の官僚や政治家、企業人や文化人、マスコミのエリート達は、アメリカ様がどんな無理難題を押し付けてきても従うだけだろう。例え国が滅びてもだ。それほど奴らの思考は腐っている。
国民を愛し、国を愛する「真の愛国者」の登場が待たれる。もちろんそれは、アメリカの影から口だけ勇ましいゴタクを並べている自民党やネトウヨ、強欲新自由主義者などでは決してない。
賛否はあるが、戦前の右翼思想家には社会主義的な考えの人達が沢山いた。北一輝や226の将校達も極貧の農村部の生活を憂いて決起したと言われている。
自己責任論や格差助長を旨とする今の自民党やネトウヨとの巨大な差だ。そう言う意味では奴らは「似非」であり「保守詐欺」「右翼詐欺」と言える。
同じくらいタチが悪いのが、常に中立と冷静を装う「中立厨」だ。中立を呼び掛けながら実は「権力」に取り入り己れの立場を確保する。奴らは究極には国や国民を平気で「売る」事になんの躊躇もないクズである。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/599.html#c18
24. 2016年3月30日 01:41:06 : 0KqoVHGsTQ : @7k0cx1I@Yo[-441]
>>12
TBSの実況板の場合スレ利用者が偏ってるわけじゃないからね
嫌儲は連中は民進共産系サポーターが中の奴でいるわけだから
少なくとも「岸井のほうがよかった」なんてコメントなどの場合は嫌儲といわれる
阿修羅の多数派と大体考えが被ってる連中のほうが多い
つまりね
製作について面白いつまんないで判断する連中は停波が来ると都合悪いって奴らしかいないってこと
8. 2016年3月30日 01:47:36 : HZ05tTjq4E : bN2dUJXATOU[2]
>1.
この後に及んで「左翼」と来た。頭の悪さ炸裂だな(笑。
左翼も右翼もない、今は日本がまた亡国の道に戻るか否かの瀬戸際だ。エセ保守のネトウヨ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/620.html#c8
10. やたら高級アピる会社[1] guKCvYLnjYKLiYNBg3OC6YnvjtA 2016年3月30日 01:48:52 : YUkHyC9eJI : 18vlWm_V3Xg[1]
つい最近始まってしまった阪急神戸線の男性排除車両あまりにひどいらしい。
男性の阪急社員が平然と立ち入り、男性乗客がいたら訳すら聞かずに異常なまでに声かけ。
犯罪者とでも言わんばかり。注意とかいうふざけた目的で、男性の駅員が怒鳴り散らすのはいいのか?
以前は無かったものを突然入れて、過剰に必死に目を血走らせて見張ったり声をはりあげる阪急社員。男性の客を舐めきっている阪急!この線はもう価値が無くなった。
全席優先席も完全に大失敗した、エセセレブ電車。近鉄の降車強制車掌も大概だが。
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/276.html#c10
8. 2016年3月30日 01:49:39 : JCbz508a56 : IPbHe4mBEzM[3]
エンタメシコウ ゲイノウジンノウワサ
23歳男・寺内樺風(かぶ)のfacebook顔画像が特定されるww父親が防犯グッズ通販会社経営と判明し誘拐監禁が得意だった事も判明ww
2016-03-28 04:50
http://jijisikou.net/articles/48903.html コメント抜粋
543: 2016/03/28(月) 03:16:57.33 :ID:6TlnELPj0.net
親が防犯グッズの販売してたのなら、スタンガン等が揃っていたんだろうな
たすけてー なんて言おうもんならビリビリやられる
545: 2016/03/28(月) 03:17:06.78 :ID:a9sg9vkj0.net
よくわからんな
ベランダに出てとなりに叫ぶのもあるしドンドンしたり
携帯から110番とか
寝てるときやお風呂のとき
いくらでも出られたと思うが
まあ精神的に無理か
中学生じゃ
558: 2016/03/28(月) 03:17:57.23 :ID:fqcGSnQl0.net
>>545
実家が防犯関連の会社だぞ! 拉致監禁はお手の物
585: 2016/03/28(月) 03:19:53.75 :ID:kfxKPZKR0.net
>>575
外から鍵をかけるとか、中にいる人を逃げさせないとかお手の物よ
614: 2016/03/28(月) 03:22:48.41 :ID:3Cp2qJYr0.net
防犯グッズを犯罪者が使ってたのか
633: 2016/03/28(月) 03:23:47.32 :ID:57vRPOCb0.net
これ最高に恐ろしいことだぞ
防犯屋の息子としての知識と特権を利用しての監禁だぞ
防犯グッズを監禁監視グッズに使いやがった
660: 2016/03/28(月) 03:25:39.85 :ID:8DM/g9Fp0.net
>>633
間違いなく監禁部屋に防犯カメラ付けてるわ
690: 2016/03/28(月) 03:28:34.71 :ID:4D+rSeP60.net
防犯の商売とか
犯罪のヤリクチを熟知してないとムリだからな
715: 2016/03/28(月) 03:29:59.78 :ID:57vRPOCb0.net
防犯技術を駆使してJCを監禁かよ
死刑でいいだろ
759: 2016/03/28(月) 03:32:36.24 :ID:7dTRpIlb0.net
女性が身の回りの持ち物の準備もなく
外泊、家出するとは思えないし
手紙は脅されて書いたんだろう
防犯グッズに詳しそうな犯人だし
人を威嚇攻撃監禁する方法くらい
いくらでも知ってそう
883: 2016/03/28(月) 03:41:11.75 :ID:57vRPOCb0.net
寺内樺風は防犯屋の跡取りとしての英才教育を受けてるはずだから、防犯知識はすごいだろうな
その知識と技術を使われて犯罪されたらお手上げだわ
2年間もボロが出ないなんて不思議だったけど、これでわかったわ
寺内樺風 鬼畜で相当な悪党だわ
945: 2016/03/28(月) 03:45:31.85 :ID:LqX/dpXz0.net
親の会社e防犯.comで確定っぽいな
HP見れないし経営者が寺内聡だし
最新防犯グッズを駆使して監禁してたとかとんでもない事件だな
親も加担してた可能性もありえる
135: 2016/03/28(月) 03:50:09.33 0.net:
初めはいつでも逃げ出せるだろと思ってたら
親の防犯グッズ駆使して24時間監視体制だったのかもな
スマホでどこでも室内チェックできる時代
210: 2016/03/28(月) 04:15:55.42 0.net:
親の持ちアパートかつ親の防音防犯監視システムで完璧だったんだな
もし逃げ出すのに失敗してたらと思うと心が冷える
220: 2016/03/28(月) 04:18:18.29 0.net:
これで完全に恋愛だのかけおちだのの線は消えたな
しかしこんな会社の御曹司だから悪用して監禁てのはすげーなー
229: 2016/03/28(月) 04:21:24.68 0.net:
たまたま施錠忘れたってのはでかいよなあ
こんなん10年以上監禁とかやられてた可能性でかいもんなあ
235: 2016/03/28(月) 04:22:28.23 0.net:
事実は小説より奇なりって言うけどまじで映画みたいだな
260: 2016/03/28(月) 04:30:01.94 0.net:
まあかわいい女の子は気をつけないとなあ
特に真面目そうだと今の時代マジでヤバイ
270: 2016/03/28(月) 04:31:47.84 0.net:
優しい女の子はだめだな
警戒心が必須な時代
280: 2016/03/28(月) 04:33:54.03 0.net:
親が防犯グッズ専門店やってるなんて誰も想像つかんからなw
単独犯でもガチで監禁できたわけだな
引用元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/morningcoffee/1459101290/
引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1459100088/
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/550.html#c8
4. 2016年3月30日 01:58:19 : okYIEeje0U : uKF0pkE_pb8[24]
安倍ちゃんや黒田にも同じ振り付けですかね?
アベノミクス詐欺ではないんだ、ちゃんちゃん。
増税調合間違えただけなんだ、ちゃんちゃん。
俺達は薬剤師なんだ、ちゃんちゃん。
俺達は詐欺師じゃないんだ、ちゃんちゃん。
6. 2016年3月30日 02:00:11 : jzEmONdjwU : jPkOvmA@diE[102]
原発とは、事故によって強烈な毒物を周辺に撒き散らす工場である。
しかし、この毒物は無味無臭で色もなく空気のようなものである。
この様な危険なものを製造する工場を安易に設置許可を下す神経が信じられない。
日本は世界有数の地震と火山の国である。
上記原発よりも、日本中で出る地熱を使った発電の方が安くて、少なくとも原発よりは安全だとおもうが、どうだろう。
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/391.html#c6
5. 2016年3月30日 02:08:39 : MAeBh3SXIc : ezOHeAw60Vc[12]
トランプが自分達のまいた住宅ネズミ講バブル発リーマンショック崩壊を叩いて、
英雄気取り、で被害者からの人気取りーーーと、おなじだね。
3. 2016年3月30日 02:18:41 : yEj4eMA1Eg : xt77WjzRWe8[1]
強運?
ヒトラーも強運といわれていましたよ
そして自らの強運をあてにして壊滅的な事態を招くレベルに賭け金を積み上げていく
それが強運と言われるものの真の姿
強運とはしょせん自分の実力につりあわない大きな成果に対して言われるもの
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/622.html#c3
1. 2016年3月30日 02:23:10 : bC7BzPnf9Y : IhosJKwkKQY[10]
歴代首相の中でもこれほど頻繁に自己礼賛、アドバルーン、スローガンを連発する首相は
いなかったであろう。その全てにおいて言いっ放しのお題目並べであって何一つまともな
成果を得ていない。責任を連呼するが、何一つ責任を取ったことがない。それどころか
失政ですら「国民のため」と言い換えて上から目線で「ありえない」と否定する。
こんなハーメルンの笛吹き男に我々はどこに連れていかれてしまうのだろうか?
後世、歴史家がドイツのかの独裁者と同じく「あの男は精神を病んでいた」、と評したところで
済まない話である。
3. 2016年3月30日 02:25:38 : HZ05tTjq4E : bN2dUJXATOU[3]
要は信念がないんだよ。数年間の裁判闘争は、彼に権力に媚びを売る方が「特」をすると確信させたんだ。国の事より、国民の事より「今だけ、金だけ、自分だけ(娘だけ)」に目覚めたという事。この後に及んで「共産党」?今時共産党を本気で怖がるアホがどこにいる?
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/581.html#c3
4. 2016年3月30日 02:33:32 : dID8nWNZJE : EiEDMywVaqg[14]
乙武洋匡さん、参院選出馬見送りへ 週刊誌で不倫報道
フジテレビ系(FNN) 3月30日(水)0時14分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20160330-00000173-fnn-pol
自民党から夏の参議院選挙への出馬が検討されていた、乙武洋匡さんの立候補が見送られることが明らかになった。
乙武さんは、参院選で、自民党の東京選挙区からの出馬が検討されていたが、週刊誌で不倫が報道され、最終的に立候補は難しいとの判断に至ったものとみられる。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/630.html#c4
6. 2016年3月30日 02:35:27 : lv7vbj53vM : R5TUbJyqZ1g[639]
>>4
外国人力士も出血している。
乱暴な技が流血の原因とは言えない。
プロレスは、相撲とは比較にならないぐらいラフで反則も多いが、こんなに出血しない。
そもそもプロレスの流血の半分は、盛り上げるための演出で、望まぬケガで
出血しているわけではない。
一昔前はプロレスの流血戦はよく見られたが、最近は一部を除いてほとんどない。
最大の理由は、血が飛び散ると感染症の危険があるからだ。
また、観客が流血戦を好まなくなったという背景もあるのだろう。
もし反則でなくても相手が出血するような危険な技が横行するのなら、
衛生上の理由からも相撲協会は対策に乗り出すはずだ。
相撲ファンに女性やお年寄りのが多い理由の一つは、他の格闘技のように流血しない、
見ていて気分が悪くなったりしないということがある。
それは相撲協会もよくわかっており、流血はできるだけ避けたいと思っているはずだ。
また、時代錯誤もはなはだしいが、女性には血の穢れ(生理)があり、神聖な土俵に
立ち入ることは許さないという考えが未だに残っていることも事実だ。
いずれにせよ、相撲協会としても、何とか流血は避けたいが、力士が簡単に出血してしまい、
対策がなく放置せざるを得ないというのが本当のところだろう。
出血だけでなく、体調不良、病気による休場が増えていることも"乱暴な技"では
説明ができない。
これらすべての事実の原因を明確に説明できるのは、ただ一つ、内部被ばくだ。
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/396.html#c6
5. 2016年3月30日 02:38:13 : HfEJtsFx12 : 9eRGVQz8FJI[6]
もうおしまいです。自民党から出ようとする人物はこんなのばかりです。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/630.html#c5
21. 一主婦[1706] iOqO5ZV3 2016年3月30日 02:40:12 : VnFJmFJ1dU : lf4ifphGfA0[171]
>>20. 日高見連邦共和国[913] さん
お声かけありがとうございます。
今、見つけました。遅くなって申し訳ありません。
昼は主にネットサーフィンで情報集めで終わってしまい、こちらを開くのは、夫が寝て12時近くになってからです。なかなか読み終わるのに時間が掛かります。でも、お昼寝で寝不足を補っていますからご心配なく。
そうですね、ちょっと分かりにくい表現になっていますから、私のような者には誤解をされる危険性が有りますね。その点岡田さんは不利ですね。言いにくいのですが小沢さんにも、そんなところありますね。例えば、軍事関係では、シッカリと勉強しないと、まるで安倍の言っていることに似て取られてしまいますよね。「改憲」の部分も、安倍とは内容が違うのですけれど「改憲」と言う言葉で色分けされると、誤解されますね。「緊急事態条項賛成」もそうですよね。安倍とは違う内容ですけれど、言葉としては同じですから、安倍のものに賛成と取られてしまいますね。
民進党の「原発」問題は、やはり、電気労連の支持を受けていますから、なかなかキッパリ「反対」といえないのは分かりますが、やはり「30年後の廃止」や「原発に頼らない社会を目指す」という寝言のような政策は、なんだか誠意と本気度が無いと聞こえてしまいます。国民をなめないでよ!と言いたくなります。自民党と同じようなバックを背負っていては、政策が自民党と似てくるのは仕方が無いのかもしれませんが、国民のために富裕層中心の支持母体から離れたり、政策面で自立する事はムリなのでしょうか。
思い返せば、同じ支持団体から支持を得ていたのに、数年前には、あの「国民生活が第一」の素晴らしい政策を掲げられていたのですから、素人考えですが、あのときに戻れる事は可能だと思いますが、なぜこんなにアチラ側に寄ってしまったのでしょうね。小沢氏や亀井氏や福島氏が民主党を出てしまって箍が外れてしまって、アチラ側に取り込まれてしまったからなのでしょうね。本当に残念です。TPPも賛成。沖縄基地も賛成。消費税も賛成ですものね。庶民側を向いていないと思います。そして、消費税で社会保障と言うのは私は反対です。消費税は逆進性の税ですから、消費税でないところから社会保障費はシッカリ確保して当ててほしいと思います。
その消費税増税ですが、岡田発言のことですが、確かに、民進党のマニフェストには当っていませんでした。ネットの記事や、書き込みを読んで書き込みました。まだ決定ではないのですね。意味合いも違っているようですね。私の早とちりだったかもしれません。申し訳ありません。でも、テレビでも、それに近いことを仰っていたような?・・・事実で無いならとても嬉しいですが。もし本当だったなら、この記事のように、確実に負けに行くような発言だと思います。それは止めてほしいです。岡田さん、もうすこし、誤解のを受けることが無いような発言になさったほうが良いと思います。日高見さんの様に、よく物事を凝視される方ばかりではなく、私のような国民の方が多いのですから。分かり易く、しっかりと発言なさってください。
あれっ、ついつい辛口に成ってしまいます。先の裏切りが、どうも頭を占めているため、ついつい辛口になってしまいます。せめて、旧民主党に、その失敗の「自覚」と「反省」があり、国民に対する「謝罪」があったなら、私は許せますし、殆どの国民はそうだと思います。私もしょっちゅう間違いますし、謝りっぱなしの人生ですから。「反省」できたなら、自然に2009年の「国民り生活が第一」の政策に戻れるはずと思います。その段階を飛ばして投票だけを依頼されても、素直に旧民主党に戻れないと言う方がたは多いのだと思います。特に無党派層や棄権組み層はそうでは無いでしょうか。何事も、誤魔化しを基底にしての再生は無いと思います。
早とちりしまして済みません、簡単ですが、返答させていただきました。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/560.html#c21
2. 2016年3月30日 02:42:25 : oAhHLQYRq6 : 2ssEnXQ@KwY[12]
安倍のバカがドヤ顔で「給付型奨学金を創設」とまたアドバルーンを上げているね。愚かなパフォーマンスと言わざるを得ない。
たとえば、麻生内閣のとき「貧困解消のために給付型税額控除を創出する」と閣議決定している(2008年)。この話はどこに行ったんだ?給付型税額控除なんて、このバカども、完全に忘れているだろ。閣議決定までしてるんだぜ、これは。
過去の閣議決定すら平気で反故にし、というより完全に忘却しているバカ総理(と副総理)が何を偉そうに御託を並べても、説得力などない。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/634.html#c2
24. 2016年3月30日 02:44:30 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[386]
というのも、陰謀論者は触れたがらない話題なのですが、WTCはツインタワーの倒壊後に3、4、5、6と全ての建物が瓦礫の直撃で倒壊してるからです。
しかし、7以外は低層建築で爆破解体にこじつけられる部分が何も見つからなかったため、陰謀論ではスルーされてしまうのです。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n149104
______________________________________________________________________
WTC7 も、とっくに論破されておりますが なにか。
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/784.html#c24
70. 茶色のうさぎ[-3313] koOQRoLMgqSCs4Ks 2016年3月30日 02:47:02 : XLZRWkbmuc : Q8nTv1nljt8[36]
昨日は、ご苦労さまー♪ うさぎ♂ ↓ 政治板ですよー!
危機をデッチ上げた安保法制より原発テロ対策が急務だ(日刊ゲンダイ)2016 年 3 月 30 日
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/632.html <まだ何にもしてないのー?
≪大抗議≫国会前に安保法案反対を掲げる主婦や若者らが大集結!約3万7000人が安保法案の施行に抗議!「今すぐ廃止を」2016 年 3 月 30 日
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/629.html <夏の野党は共闘しろー♪
1. 2016年3月30日 02:48:26 : CmIgIBvBWg : F8qHV8iRkhc[1]
乙武洋匡、自民党擁立が白紙へ!? テレビ局上層部が「どんどん叩け」と猛バッシングの姿勢
2016.03.29 サイゾーウーマン
24日発売の「週刊新潮」(新潮社)スクープによって、下半身事情を次々に暴露されている乙武洋匡氏。妻・仁美さんがHPに謝罪文を掲載したことで「奥さんにまで謝らせるなんて」と“二次炎上”が発生し、いまだにバッシングは鳴り止まない状況だ。そしてここへきて、当初は乙武氏の不倫騒動に慎重な姿勢を見せていたテレビ各局も、今後は遠慮なく取り上げる意向にあるという。
「当初は政権与党である自民党からの出馬が取り沙汰され、特に情報番組での乙武氏の取り上げ方は、障がい者ということも相まって相当難しいというのがテレビ局の判断でした。ところが、先週末辺りから『どんどん叩いてOK』と上層部からお達しがあったようで、週明け用にネタを集めてもいいと指示が出ました」(テレビ局関係者)
このテレビ局による“手のひら返し”の先陣を切ったのは、27日放送の『Mr.サンデー』(フジテレビ系)だった。「新潮」でも報じられていた、乙武氏と不倫相手の海外旅行に随行したという事務所の男性スタッフが番組取材に応じ、「反省している」と謝罪。さらに翌日の『ノンストップ!』(同)には、乙武氏との合コンに参加したという匿名女性が出演。「(乙武氏は)エッチな会話ばかりしていた」「ホテルでの合コンにも誘われた」など、赤裸々に告白した。
「週刊誌が不倫報道を連発するのはいつものことですが、テレビまで追随してきた一連の流れを見ると、自民党の擁立も見送られてしまったのかもしれません。当初は障がい者を批判することに及び腰となっていた各局も、乙武氏が出馬のタイミングでテレビ出演から離れていたこともあり、今後足並みを揃えて乙武バッシングを続けることとなりそうです」(同)
29日発売の「フラッシュ」(光文社)では、不倫相手と海外旅行をした時期は、都の教育委員在任中だったと報じられている。「もし今回の件が報道されず、選挙に当選していたとすれば、議員報酬もこうした女遊びに使われていた可能性がある」(同)ようだ。
「ネット上では『不倫はプライベートの問題』『他人がとやかく言うべきことではない』との声も出ていますが、国民の税金で不倫旅行というのは、やはり許されない行為。もし今回出馬を取りやめても、乙武氏が以前のようにテレビに出演するのは難しいでしょうし、まさに八方塞がりの状態ではないでしょうか」(芸能記者)
謝罪文以降、沈黙を貫いている乙武氏だが、4月5日に都内の高級ホテルで開催が予定されている自身の大誕生日会は決行されるという。こちらについても「新しい出会いを探す場所だったのでは」などと批判が出ているが、全メディアが取材攻勢を強める状況下で、無事に会を終えることができるのだろうか?
http://www.cyzowoman.com/2016/03/post_19466.html
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/635.html#c1
71. 2016年3月30日 02:51:09 : lv7vbj53vM : R5TUbJyqZ1g[640]
>>12
その通り。
これだけ汚染が拡がって多くの人が病気に倒れたり亡くなっているから、
放射性物質を盛られても、まずわからない。完全犯罪だ。
だから、とくに有名な方は飲食物には十分に注意して欲しい。
岩路真樹ディレクターや野原千代さんなど、ムラに不都合な人間が"偶然"に亡くなっている。
「カレン・シルクウッド事件に学ぶ むざむざと殺されないための対策法」
http://www.asyura2.com/15/genpatu43/msg/821.html
「岩上安身氏が体調不良だそうだが、ひょっとしてワナにはまったのではないか」 http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/246.html
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/388.html#c71
25. 2016年3月30日 02:52:45 : oAhHLQYRq6 : 2ssEnXQ@KwY[13]
>>24
>>3、4、5、6と全ての建物が瓦礫の直撃で倒壊している
瓦礫の直撃で「ボロボロになった」と言うべきだね。部分損傷であり、完全倒壊などしていない。これに対して、第7ビルは8秒間でストーンと完全倒壊。空中で車のカギを落とすスピードと同じ速さで、鉄筋の超高層ビルがストーンと完全崩壊したのが第7ビル。
それも、小規模なオフィース火災にすぎなかったのに、自由落下で完全崩壊した。明らかな制御解体です。
もう少しうまい工作しろよ
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/784.html#c25
5. 2016年3月30日 02:53:57 : CmIgIBvBWg : F8qHV8iRkhc[2]
【安保法施行】
野党幹部集結、SEALDsと共演 「安倍はやめろ」の呼び捨てコール復活 奥田氏、首相を「あんた」と呼び「最高責任者じゃない」と独自の見解も
2016.3.29 23:38 産経新聞
29日に安全保障関連法が施行されたことを受け、国会の正門前で同日夜、同法に反対する学生らのグループ「SEALDs(シールズ)」らによる抗議集会が開かれ、安倍晋三首相を呼び捨てにして「安倍はやめろ」と叫んだ。民進、共産、社民、生活の野党4党の幹部も集結し、夏の参院選に向けて「背中を押して」と支援を依頼した。
集会は、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」やシールズが主催した。首相が平成28年度予算成立を受けて行った記者会見とほぼ同じ時間帯にスタート。だが、集会場所は首相が会見をしていた官邸前ではなく、国会正門前だった。主催者は約3万7千人が参加したと発表したが、約300メートル離れた官邸前は静寂に包まれていた。
国会正門前に駆け付けた民進党の枝野幸男幹事長は「領土、領海を守ることは集団的自衛権とは関係ない」と主張。27日に民進党として始動したことを紹介し、「一番大事な立憲主義と民主主義を守る。その最後の1点で結果を出せばいい。この1点でできる限りのことをやる」と述べ、安倍政権に対抗するため野党の連携に意欲を示した。
共産党の山下芳生書記局長は「今日は歴史的な日だ」と切り出し、「立憲主義が倒されたまま暴走が続いたら、独裁政治ではないか」と訴えた。定期的に会合を開いている枝野氏ら野党4党の幹事長・書記局長の関係について「随分仲良くなった」とアピールした。共産党との衆院選の協力に否定的な枝野氏とは異なり、「衆院選でも野党の選挙協力を進めたい」と強調した。
社民党の吉田忠智党首は、参院選や衆院選の野党協力について「皆さんがどう背中を押してくれるかにかかっている」と述べ、「調整は難しいが、やらなければ安倍の暴走は止められない」と訴えた。生活の党と山本太郎となかまたちの玉城デニー幹事長は「どうして国民を再び多大な犠牲に、取り返しのつかない悔恨の渦に巻き込んでしまおうとするのか。絶対にさせてはいけない」と訴え、安倍政権の退陣を求めた。
民進党の結党大会で来賓として呼ばれたシールズの奥田愛基氏は「憲法を守りますか、日本の総理大臣を守りますか。憲法を守るでしょ。この国の歴史をバカにしないでください。この国に生きる人々をバカにしないでください」と絶叫した。首相に対し「国民ていうのは、あんたのおもちゃじゃないし、あんたのものでもない」と訴えた後、「この国の最高責任者はあなたじゃない」と、意味不明な独自の見解を披露した。
奥田氏はその後、「安倍はやめろ」と首相を呼び捨てにしたコールを連発した。13日に東京・新宿で行った街頭集会では「呼び捨てにするのはよくないといわれた」として、「安倍さん、やめて」とコールしていたが、わずか2週間程度で前言を翻し、復活させた。
シールズのメンバーらは、ほかにも「憲法を守れ」「自衛隊を守れ」「安倍晋三から日本を守れ」「安倍晋三から平和を守れ」「安倍晋三から憲法守れ」「言うこときかせる番だ、国民が」「だれも殺したくなくてふるえる」などと訴えた。
http://www.sankei.com/politics/news/160329/plt1603290073-n1.html
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/629.html#c5
72. 茶色のうさぎ[-3312] koOQRoLMgqSCs4Ks 2016年3月30日 03:00:04 : XLZRWkbmuc : Q8nTv1nljt8[37]
追記です。 鉄人けろりん、のは高レベルなので、パスしますw うさぎ♂
小百合さんにアピールしたのかなー?ぷ♪ ムリ、無理! 相手は、お姫さま♪ またねー
25. 2016年3月30日 03:01:34 : RTioNdS2Pg : QfC9viujWI4[26]
新NEWS23
「保守」 は、寄生虫サナダムシの代名詞とするのが正しい。
行動パターンが、寄生虫サナダムシそのものですな
クズの極み。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/605.html#c25
26. 2016年3月30日 03:02:42 : X5H0z9K92g : R5p1SeE8bSE[1]
>>13
中露との約束で、911の真相を世界中に知らせること
約束を果たさない場合は、再びなんらかのスペシャル
サービスが待っているということ
アメリカではトランプが911やケネディ暗殺の
真相を国民に知らせる役割を担い
その真相暴露で都合の悪い真犯人とその仲間らが
全力でトランプ排除
911やケネディ暗殺の真犯人グループが
311以降日本乗っ取り
911の真相暴露を妨害
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/784.html#c26
4. 2016年3月30日 03:04:13 : lv7vbj53vM : R5TUbJyqZ1g[641]
わりと軽井沢周辺の汚染がひどいね。
先月亡くなった糖質制限ダイエットの桐山秀樹さんは、軽井沢に住んでいた。
地元の山菜やキノコをたくさん食べていたのではないだろうか。
http://dion.wiki.fc2.com/wiki/2016%E5%B9%B4%20%E9%80%9D%E5%8E%BB%E8%80%85
「
桐山秀樹(ノンフィクション作家,「おやじダイエット部の奇跡」著者)(2016.2.6没,享年62,心不全)
2011.6.11 長野県軽井沢町軽井沢の「珈琲歌劇」で、大人のための知的好奇心マガジン「ACT4」について、
加納典明と打ち合わせを行う
2013.9.22 軽井沢町軽井沢のイタリアンレストラン「ボンデ―ル」で開催されたセミナー
「糖質制限ダイエット体験」に出演
2015.12.26〜2016.1.1 新春に出す単行本の執筆のため、軽井沢町の山荘に滞在
桐山氏は、軽井沢町旧軽井沢に一軒家を借りて在住し、長野新幹線で都心に往復する生活をしていた
→軽井沢町は、有数のホットスポット(※首都圏の汚染データ(3)参照)
自宅:長野県軽井沢町旧軽井沢(※参照)
亡くなる少し前から、短い距離でも「疲れた」と言ってタクシーを利用するなどの異変が生じていた
→2016.2.6 滞在先の東京都区内のホテルで、ベッドの上に倒れているのを発見される
(死亡推定時刻午前9時〜10時頃)
」
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/398.html#c4
12. 2016年3月30日 03:08:22 : RTioNdS2Pg : QfC9viujWI4[27]
戦争ビジネス利権、サギノミクス利権の、
ペテン師達に騙されないように、注意喚起が必要ですね。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/572.html#c12
2. 2016年3月30日 03:10:47 : HfEJtsFx12 : 9eRGVQz8FJI[7]
原発テロ対策で有効なのは原発をやめること。
テロ対策などできるわけがない。付近の送電線が切断され変電所が爆破されればもうおしまい。送電が機能しなければ非常用バッテリーを使うが数十分しか持たない。非常用発電機は福島でみられたとおり実際には役に立たないだろう。誰が高線量の放射線の中へ入って作業をするかね。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/632.html#c2
27. 2016年3月30日 03:11:21 : Y39wSRqLeI : 3bT_bLdiPpU[61]
アメリカの911テロ
ビルに航空機が突っこみ爆発するその時間帯
ビルの直ぐ傍をパトロール目的で飛行監視していた
ヘリコプター映像が日本でも公開されている
ヘリから撮影された映像には
ビルに突っ込む航空機などどこにも存在せず
突然ビルが爆発する瞬間がしっかりと
捉えられている
航空機が突っ込んだというのはフィクション
予めコンピューターグラフィックで作られた
フェイクVTRをテレビで放映したに過ぎない
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/784.html#c27
10. 2016年3月30日 03:16:09 : M8l9zEZGah : JT@ptldQJZo[1]
「まるこ姫」さん古市憲寿が理解できないって、こいつは乙武以上の「ゲス」ですよ。理解なんかする対象ですらない。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/520.html#c10
26. 2016年3月30日 03:17:02 : ZrMDpsyito : psNcYzcgMmU[51]
星浩か、自公やネトウヨの期待の星だね。
こんな権力の犬野郎は顔も見たくないよ。
くたばりやがれ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/605.html#c26
27. 2016年3月30日 03:17:51 : RTioNdS2Pg : QfC9viujWI4[28]
詐欺集団
「放送法遵守を求める視聴者の会」
資金源の実態
http://youtu.be/Tfczz5KK4FE?t=11m2s
中心メンバーの書籍を、安倍晋三が政治資金で大量購入
http://www.asyura2.com/15/senkyo197/msg/859.html
卑劣過ぎますな。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/605.html#c27
22. 茶色のうさぎ[-3311] koOQRoLMgqSCs4Ks 2016年3月30日 03:20:56 : XLZRWkbmuc : Q8nTv1nljt8[38]
なぁーんだ、勝負あったね。ぷ♪ 正解、大勝利! うさぎ♂
安部の女房の浮気と、自分の女房の浮気! <比べればー♪
メンゲレ山下と、小出と、児玉は・・・同じでしょ! 時期を考えれよー! 言動は確信犯でしょ!ぷ♪
小出は、反原発の味方ふりして、御用学者の典型ですね! 現在も発言は、撤回してないでしょ!ぺっ♪
正当化しようなんて、ムリ、無理!
1. 2016年3月30日 03:21:16 : GfR5SaR4bE : ajeIVxbweM0[11]
マウスにも認知症あったのか。人体実験だけはやめてほしいな。
1. 2016年3月30日 03:21:22 : HfEJtsFx12 : 9eRGVQz8FJI[8]
何でもかんでも「温暖化」何でもかんでも「中国」
オリーブ畑やブドウ畑の耕作域が地球の気温や気象条件の変化に応してずっと移動することを繰り返してきことは周知の事実。それは人類が二酸化炭素を大量に放出するようになった18世紀以前にもずっとあったこと。
それはヨーロッパでも中国でも日本でも同じこと。16世紀から18世紀、北半球の全ての地域が今より寒冷だった。日本でも江戸中期で人口増が止まり天保の頃には東北地方など深刻な冷害=米不足に見舞われ餓死者が続出、娘を売るはめになった。ヨーロッパでも同様で新大陸で「発見」されたジャガイモでかろうじて飢えをしのいだ地域がたくさんあった。
「温暖化」ほど便利なものはない。
http://www.asyura2.com/16/hasan106/msg/910.html#c1
9. 2016年3月30日 03:27:16 : HfEJtsFx12 : 9eRGVQz8FJI[9]
原子力村はうまくいかないのを今度は作業員のせいにしはじめたぞ。
日本のどこかの工場で事故があってうまくいかないのを作業員のせいにする会社などあったかな?
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/393.html#c9
23. 茶色のうさぎ[-3310] koOQRoLMgqSCs4Ks 2016年3月30日 03:31:56 : XLZRWkbmuc : Q8nTv1nljt8[39]
修正です。 安部 → 安倍
んで、アホ汁は、昨日のデモの映像スレしろよー♪ また、うそつきー? 浪江役場の報告だよー!アホ
4. 2016年3月30日 03:36:17 : GfR5SaR4bE : ajeIVxbweM0[12]
いくらエジプト航空でも一人でハイジャックはむりだわな。亡命希望??バカな。
やっぱりいつもの連中による自作自演ということだが、ミミッちい限りだ。
22. 2016年3月30日 03:47:50 : PatCAjlV8I : OM4cNIEpki8[-23]
小沢信者は裏社会の
2. 2016年3月30日 03:56:08 : Ry4lKhn2PQ : UMGSfmFLuF4[5]
今後立候補を表明したとたんにこの話が蒸し返されることになる。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/635.html#c2
4. 2016年3月30日 03:57:08 : Qk0z0gVGLY : lQZkNLxHm_4[237]
産経が、AIIB機能不全に陥ってほしいなあ、と強く願っているその心意気だけは伝わってきた。
http://www.asyura2.com/16/hasan106/msg/907.html#c4
2. 2016年3月30日 04:00:17 : hkH2oFZHns : sdLX7N4clbA[186]
しょうがないよね
中国が侵略するなんて
防衛大臣ですら信じてないもの
危機感あおって
軍事費を増やすための方便だもの
愛国よりも売国のゲスウヨが
ノセラレテルて吠えてるだけだもの
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/631.html#c2
8. 2016年3月30日 04:03:28 : PatCAjlV8I : OM4cNIEpki8[-22]
危機意識の無い者が去ったら
民進党いなくなっちゃうんだけど
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/616.html#c8
経世済民107を起動しました
旧板はこちら
http://www.asyura2.com/16/hasan106/index.html
よろしくお願いします。
http://www.asyura2.com/16/hasan107/msg/101.html
経世済民107を起動しました
新板はこちら
http://www.asyura2.com/16/hasan107/index.html
よろしくお願いします。
http://www.asyura2.com/16/hasan106/msg/913.html
19. 2016年3月30日 04:08:49 : PatCAjlV8I : OM4cNIEpki8[-21]
日本だけ良かれと言っていては
こうなるね
まあトランプの思い通りにはいかんよ
国防総省はCFRが押さえてある
KKK(CIAの設立元)がトランプの背後と分かった以上
勝手な真似はさせられない
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/599.html#c19
2. 2016年3月30日 04:12:50 : GfR5SaR4bE : ajeIVxbweM0[13]
何故トランプやサンダースが強いか、それはムサシマンサックスとやらが故障で
なかなか思うように操作できないからでしょう。
2. 2016年3月30日 04:23:36 : KzvqvqZdMU : OureYyu9fng[328]
大衆運動ほど危険なものはなぃ
つまりファッシズムの温床であるってことだ。
わけの分からん 子連れママとか 茶髪とか 高校生のガキとか、ガングロねえちゃん
とか、そんなんが大勢集まって熱気につつまれ、政治スローガンを叫ぶ。
どこかで見た光景とももわんか。
天安門広場や 赤の広場、
ベルリンの街をねり歩いたヒトラーユーゲント、少年少女たち。
背後であやつる「執行委員会」
24. 最後の良心武田教授[229] jcWM44LMl8eQU5WQk2OLs472 2016年3月30日 04:25:50 : 5y33NEKSuQ : 4GrU_Udi8yo[24]
しかし、日本は本当に
放射能の恐ろしさを
理解してないね
すでに上昇状況にあるけど
今後爆発的に人がバタバタ
倒れていく阿鼻叫喚の地獄絵図
が待っているのに津波と同じで
ただ、ただ呆然と今後も吸い
込まれていくだけやね
数字だけが知っている
役所のトリック
4. 2016年3月30日 04:32:34 : w9iKuDotme : S@BYVdB2dgc[1380]
「主権者は、次の総選挙で、消費税再増税を否定し、シロアリ退治を約束する新しい政権を誕生させるべきである。」
素晴らしいです。特別会計、埋蔵金、天下り・ワタリ… これら小役人の悪行にメスを入れられる人材が欲しいですね。
山尾志桜里氏もよいですが、結局、小役人の味方になっただけなら失望です。
自分の立ち位置は民にあり、しかも貧しい民にある。そうした立ち位置がブレないようであれば、本物の政治家として応援したいと思います。
野田佳彦氏…
単たる勝栄二郎氏のパペットです。軽蔑対象以外のナニモノでもありません。
植草氏、がんばってください。応援しております。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/610.html#c4
42. 最後の良心武田教授[230] jcWM44LMl8eQU5WQk2OLs472 2016年3月30日 04:33:22 : 5y33NEKSuQ : 4GrU_Udi8yo[25]
すでに放射能の津波は
私達を襲っている
人口減少が止まらない
数字だけが真実を語っている
数字は嘘をつかない
日本に住む日本人の大部分が
すでに被爆者なのだ
6. 2016年3月30日 04:34:49 : KzvqvqZdMU : OureYyu9fng[329]
SEALDs、
これって <公安監視対象の政治団体> らしいじゃん。
こんなんが混じってる政治集会って、やはり監視対象だよな。キケン
3. 2016年3月30日 04:36:37 : w9iKuDotme : S@BYVdB2dgc[1381]
悦月子氏
「いっとくけど、昨年国会議員の月給は25万円上がってるのに
何で問題の保育士月給は
5〜8千円アップで済ますのか???
決めた自民党に聞いてみたい。」
https://twitter.com/jini_etunub/status/714627074070224896
戦争大好き・人殺し大好き・子ども大嫌いの公明党にも訊いてみたい。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/634.html#c3
11. 2016年3月30日 04:48:54 : hy55y1MCkU : h4GysCZjF7o[66]
再稼働反対デモや安保法反対デモを攻撃する抗議集団など居ないな。
在特会デモを見れば警察がデモ隊の壁となり、乱入し暴力を振るおうとする朝鮮人をブロックする様子が多発していることが容易に見て取れる。
逆に在日朝鮮人特権に異議を主張する連中が反ヘイトデモ隊を襲おうとする姿を見たことがあるか?
この映像のデモ隊を取り巻く反ヘイト勢力は朝鮮人とその同調日本人だろ。
桝添のようなことをするから在日特権とか言われるんだろ。
このデモに対する朝鮮人の攻撃姿勢を見ると警察はこいつらが暴徒化することを防いでいることが見て取れる。
そいつらを逮捕しろと思うくらいだ。
そもそも人種差別、日本人に対する誹謗中傷行為=ヘイト行動は李明博、
朴クネが朝鮮人の潜在的対日劣等意識を煽り政治的な優位を得るが為に始めた汚い政治行為だ。慰安婦像では北朝鮮が活発に煽っているようだしな。
今ごろになって朴クネはやり過ぎたと後悔しているようだが、日本人を心底怒らせ、日本人の朝鮮人に対する嫌悪を呼び覚ましたのはあんたらなんだよ阿呆。
もう二度と日本人は朝鮮を信用しないだろうよ。
任那の時代から始まってんだよ、間抜け。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/585.html#c11
12. 2016年3月30日 04:53:40 : hy55y1MCkU : h4GysCZjF7o[67]
千年経っても信用しないんだよ。(黒い笑)
すべてはあんたらの愚かさが招いたことだ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/585.html#c12
43. 最後の良心武田教授[231] jcWM44LMl8eQU5WQk2OLs472 2016年3月30日 04:56:44 : 5y33NEKSuQ : 4GrU_Udi8yo[26]
では放射能による高線量汚染
地域では何が起こっているのか
健康な身体を持つ子供の減少
風土病とされる汚染地域での
病気の蔓延
チェルノブイリエイズ
人口の大幅な減少
カザフスタン村の人口が
半分以下に
ベラルーシ、ウクライナ共に
事故後人口が減少
ロシアさえも人口が減少
何れも世界のワースト記録に
ならぶほど、その地域から
人が減っている
何れこのままでは住む人が
いなくなるのでは?国家規模の
大きな問題になっているが
官僚主体による独裁政権のため
真実の多くは国民に知らされず
現在に至っている
福島で若くして
亡くなった友人に捧ぐ
※関連参照投稿
「敗れたのはロシア シリア化学兵器問題の裏:アサド政権に化学兵器の原料を引き渡したのは独企業:アサド政権崩壊の準備」
http://www.asyura2.com/13/warb11/msg/881.html
=========================================================================================================================
ロシア外務省:アサドはロシアでなく西側の友人だ[スプートニク日本語]
2016年03月28日 08:05
ロシアはシリアでアサド大統領を支援しているのではない。アサド大統領はかつて一度としてロシアの親友だったことはなく、国の崩壊を防ぐために努めている。ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官が述べた。
「我々はアサドを支援しているのではない。彼は我々の親友ではなく、西側の友人だった。我々は、合法的な政府、政権の維持を支援したのだ」と報道官。大統領が退陣すれば政府も退陣する。すると行政府と軍が崩壊する。するとテロリストがシリアに対し、リビアが「気楽な散歩」に見えるようなことをするだろう、と報道官。
同時に、アサド大統領はシリア現体制にいくつかの変更を行う準備を示しているとの情報もある。
CIA長官 モスクワでシリア大統領の運命を討議[スプートニク日本語]
2016年03月29日 20:22
米国のジョン・ブレナンCIA長官は、モスクワ訪問中、シリアでの休戦遵守、アサド大統領退陣に伴うシリア国内の政治調整といった問題を討議した。
これはブレナンCIA長官が協議したとのニュースを、駐モスクワ米大使館がコメントし、伝えたものだ。ブレナン長官がモスクワで誰と会ったかについては、伝えられていない。一方ロシア大統領府は「クレムリンでのCIA長官とのコンタクトはなかった」としている。
協議の詳細は、モスクワの米国大使館で、リア-ノーヴォスチ通信記者に伝えられた。駐ロシア米大使館のウィリアム・スチーヴンス報道官は「シリアでの休戦遵守問題以外に、ブレナンCIA長官は、アサド大統領退陣問題を提起した」と述べている。
報道官によれば、ブレナン長官は「シリアにおける政治的変革のプロセスを完全に支持している米国の立場を確認し、シリア国民の意志を反映する移行を保証するため、アサド大統領退陣の必要性を求めた」とのことだ。
なおロシア議会上院・連邦会議国際政治委員会のメンバーでシリア問題の専門家であるイーゴリ・モロゾフ上院議員は「CIA長官のモスクワ訪問は、ダーイシュ(IS,イスラム国)のリーダーに関する情報伝達と関係している可能性がある」との見方を示した。
言論の自由の復活か?中国で約2時間グーグルへのアクセスが可能となる[スプートニク日本語]
2016年03月30日 00:33
中国では検索エンジン「グーグル」がブロックされて使うことができないが、28日から29日にかけて数時間だけアクセスすることができた。29日、サウスチャイナ・モーニング・ ポストが報じた。
インターネットの利用者たちは、現地時間で28日22日30分から29日01時15分までグーグルを使用することができた。なお、同じく中国でブロックされているフェイスブックやユーチューブは今まで通りアクセスできなかったという。
グーグルへのブロックが一時的に解除されたのは、アジアの新たなサーバーが立ち上がったおかげだと見られている。
中国のSNSではグーグルへアクセスできたことが幅広く議論され、言論の自由が復活し始めたと評価された。
13. 2016年3月30日 05:08:25 : hy55y1MCkU : h4GysCZjF7o[68]
更に追加すれば善意の在日の人もいい迷惑だろうよ。
日本にいても徴兵されるそうだな。徴兵逃れても安倍朝鮮政権が半島有事の際には戦争法で在日部隊が徴兵され朝鮮半島に北朝鮮の侵入に対する戦闘部隊に配属されるだろうよ。
日本人は朝鮮などどうでもいいんだよ。
トランプが大統領になれば日本は棄てるほどある核燃料棒で簡易核ミサイルで針ネズミのように武装し、笑いながら朝鮮有事の顛末を見ててやるぜ。
私はサンダース大統領を望んでいるがな 。
韓国大統領?
安倍でも引き取ってやってくれ(笑)
それとも
桝添のほうがいいか(笑)
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/585.html#c13
19日、北京を訪れ中国共産党指導者の劉雲山氏(右)と握手するフェイスブック創業者のザッカーバーグ氏=新華社・AP
[FINANCIAL TIMES]フェイスブック創業者の過信
アジア・エディター ジャミール・アンデリーニ
映画「ソーシャル・ネットワーク」の冒頭、マーク・ザッカーバーグ役を演じる俳優がデート相手に向かって、天才級IQを持つ中国の人の数は米国の人口よりも多いと言う。米フェイスブック創業者のザッカーバーグ氏はこの伝記映画は不正確で自分は傷ついたと述べた。だが、脚本家のアーロン・ソーキン氏は明らかに1つ、的を射ていた。ザッカーバーグ氏の中国への執着ぶりだ。
ザッカーバーグ氏が3月第3週に中国を訪問したことは大変な注目を集めた。同氏はひどいスモッグの中、天安門広場でジョギングをし、インターネットなどコンピューターネットワーク上の社会に属していると自負している中国人や欧米人の一部の「ネチズン(netizens)」から「ごますり」と嘲笑された。何千人もの人が彼のフェイスブックページを訪れ、紫禁城を笑顔で走り抜ける彼の写真を痛烈に批判したのだ。
□ □
海外に暮らす多くの中国人ネチズンは、1989年の天安門事件の痛ましい歴史を無視したザッカーバーグ氏を攻撃した。北京の住民が耐えているひどい大気汚染がないかのように振る舞った彼を愚弄する人もいた。通常、広場を監視し、イベントや集会を開く人を誰でも逮捕する多くの治安警官がなぜ写真に写っていないのか不思議に思った人もいた。
ザッカーバーグ氏がどうやって中国国内からフェイスブックに写真をアップロードできたのか問う人もいた。ツイッターやグーグル、ユーチューブと同様、フェイスブックも政府の検閲体制によってブロックされているからだ。
米大手ハイテク企業は、中国の検閲は反対意見を遮断するだけでなく、百度(バイドゥ)、騰訊控股(テンセント)、アリババといった国内トップ企業を保護する狙いのいわば非関税貿易障壁だと主張している。だが、ザッカーバーグ氏はそうした仲間で唯一、中国にへつらうことで、この魅惑的な市場への再参入を執拗に追求してきた。
今回、スーツ姿でプロパガンダと思想統制の責任を負う共産党指導者、劉雲山氏に会い、彼の話に熱心に耳を傾ける様子は国営テレビに大きく取り上げられた。その報道によると、ザッカーバーグ氏は「ネット分野で中国が遂げた前進を称賛し、サイバースペースでより良い世界を築くべく中国の仲間たちと協力すると語った」という。
中国系米国人と結婚したザッカーバーグ氏は、初歩的な標準中国語を話す。2014年には、中国に取り入ろうとする大きな取り組みの中で、中国のネット統括責任者に自分の持っている習近平国家主席の演説集を見せた。同氏は「中国の特色ある社会主義を理解してもらうべく」スタッフにも同じ本を数冊買ったと語ったという。
だが、こうした努力は、彼が利用者として取り込みたい人たちには受けが良くなかった。今回、訪問した直後に、中国人ネチズンだけでなく厳しく統制されているメディアの一部からも同氏には多くの冷笑が浴びせられたため、国家プロパガンダ当局が検閲指令を出したほどだった。
「ザッカーバーグ氏の中国訪問について悪意のある報道は統制するように。大げさな報道をしないこと」。リークされた通達には、こう書かれていた。
この反応は、ザッカーバーグ氏のアプローチが抱えるリスクを浮き彫りにする。まず倫理的な問題がある。弁護士やフェミニスト、人権活動家、書店関係者が逮捕されたり「姿を消したり」している時に、この市場にこれほど熱心に参入しようとするのは、道義的に問題があるように見える。
□ □
純粋に金もうけの観点からでさえ、同氏のアプローチがどれほど効果的かは定かでない。グーグルやツイッターなどと異なり、フェイスブックに代わる企業で大成功した中国企業は存在しない。従って同社の参入を阻む強力なロビー団体は存在せず、同社の中国参入禁止が解除される可能性は十分ある。
しかし、ブロック解除は最も厄介な条件の下でのみ実現する。フェイスブックのサーバーを中国に置き、ユーザーの個人的な情報とやり取りを公安機構に渡し、「デリケート」なコンテンツを削除するために大勢の検閲官を雇うと約束することなどが条件となる。
ザッカーバーグ氏は中国に参入する代償の一部として、こうした条件の多くを受け入れるかもしれない。だが共産党が締め付けを強めるにつれ、いずれ同氏がどうしてもできないことを要求してくるだろう。その時点で当局に、忠実な小さな愛犬だった同社が裏切ったと見なされ、同社は厳しく罰せられることになる。
ザッカーバーグ氏も知っているかもしれないが、中国語でゴマすりは「拍馬屁(パイマーピー)」と言う。「馬の尻をたたく」という意味だ。だが、これと関係した言い回しがあり、それは馬の尻を強くたたきすぎ、馬の足に手をすべらせたら多分に頭を蹴られると警告している。
(24日付)
[日経新聞3月27日朝刊P.15]
中国が北朝鮮難民の大量流入から日本を解放する[スプートニク日本語]
オピニオン
2016年03月22日 11:45(アップデート 2016年03月22日 21:55)
タチヤナ フロニ
朝鮮半島の緊張が急激に高まっている。米国と韓国は、合同軍事演習を行い、北朝鮮の重要施設に対する攻撃の仕上げをしている。ほとんど毎日のように弾道ミサイルの発射実験がなされ、核弾頭改良に向けた作業が続けられている。これは、朝鮮半島での戦争が、現実のものになるかもしれない前触れなのだろうか?
スプートニク日本のタチヤナ・フロニ記者は、ロシア科学アカデミー極東研究所日本調査センターのワレーリイ・キスタノフ・センター長に、意見を聞いた。センター長は「おそらく中国はそうした事を許さないだろう。中国はロシアと共に、朝鮮民主主義人民共和国に対する新たな制裁に参加している」と指摘し、次のように続けた-
「米国、日本そして韓国は、もちろん、北朝鮮の現体制が舞台から去り、崩壊する事を強く欲しているだろう。南北朝鮮統一が起こるようにだ。当然、それは南、つまり韓国主導の、韓国の条件での統一だ。一方米国は、こうしたすべての事を高みから観察し、プロセスをコントロールしようとするだろう。しかしそうした事は、中国にとって全く受け入れられない。なぜなら米国は、どんな状況になろうと、自分達の部隊を朝鮮半島から撤退させるつもりはないからだ。中国にとってみれば、北朝鮮の体制が倒れれば、北朝鮮と中国を分けるヤールー川の対岸に、突然に米軍部隊が現れることになってしまう。それゆえ、もし事態が、武力を用いての北朝鮮の体制打倒の試みまで行ってしまった場合、中国の介入は避けられないと思う。米国の巨大な軍部隊が自分達のすぐ隣に出現するのを阻止するためなら、中国は、自国の部隊をそこに導入する事をためらわないだろう。
一方、もし中国軍が、北朝鮮領内に導入されたなら、彼らは、日本海沿岸に到達する危険性がある。領土問題が今も日中関係を尖鋭化させている事を考えれば、日本海の対岸に中国軍が出現するというシナリオを、日本政府は、恐らく喜ばないだろう。」
それ以外に、もし北朝鮮の体制が崩壊した場合、現在欧州で起きているような状況が生じる可能性がある。何十万人もの、あるいは百万単位の難民が、押し寄せるかもしれない。キスタノフ・センター長は「その場合、最も無防備な状態に置かれるのは、恐らく日本だ」と見ている-
「北朝鮮の体制が倒れた場合、この国の何百万もの人々が、国境を越えて中国や韓国、そしてロシアに逃げるだろう。しかし彼らにとって、最も魅力的な国になるのは、日本だと思われる。現在中東や北アフリカの何十万もの難民が、ドイツを目指すのと同じだ。
忘れてはならないのは、日本にはすでに、在外朝鮮人の非常に大きな社会が存在している、という事だ。つまり日本でも、今日ドイツで起きているのと同じことが起きるだろうという事だ。その際、日本と朝鮮半島の間にある対馬海峡の島々は、コントロール下、管理下に置かれていない難民達が今も流れ着いているエーゲ海のレスボス島(ギリシャ)や地中海のラムペドゥーザ島(イタリア)のような役割を演じるだろう。日本にとってはもちろん、そんなことは必要ない。日本の戦略専門家達は、そうしたシナリオも考慮に入れ、憂慮もしているのだろうが、それについて発言する人はいない。」
北朝鮮の核ミサイル計画問題には、世界中で取り組み、これを解決する必要がある。米国とその同盟国は、新たな制裁は、北朝鮮当局が譲歩しなくてはならないほど強力なものだと固く確信しているようだ。しかし北朝鮮当局は、中東で倒された体制の運命が自分達のところで繰り返されるのではないかと、ますます恐れている。それゆえ北朝鮮の体制を保証してはじめて、彼らを6カ国協議のテーブルに戻す事ができるだろう。もし北朝鮮を、追いつめるような事をすれば、極東で百万規模の難民危機が起きるというシナリオは、現実のものになってしまう可能性がある。
新たなグローバル金融危機は、いつスタートするか?[スプートニク日本語]
2016年03月29日 21:09
経済学者や分析専門家達が、次の世界的規模の危機がいつ始まるかを、あらかじめ様々に予測している中、ブルームバーグ・ガドフライ(Bloomberg Gadfly)のコラムニスト、クリストファー・レンゲル氏は「2018年元旦」という具体的な日付を示した。
彼の見解を、以下まとめてお伝えする。
「銀行融資のチャンスがさらに大きく制限され、銀行は最も確実な借り手にのみ資金を提供するようになる新しい規範が、まさに2018年1月から効力を発する。ブルームバーグ通信が行ったアンケートに答えた分析専門家らは皆、こうした措置は『世界中の倒産件数増加を促すだけだ』と指摘している。
例えば、銀行領域を調整する規範のみが厳しくなった場合、米国において銀行の働き口の数は、著しく減少してしまった。これは銀行が、追加資本を解放するため、採算の合わない支店を次々閉店せざるを得なかったため、起きた事だ。
銀行は、自分達の資金を制限せざるを得なくなる。この事は、さらに多くの倒産を呼び起こすだろう。首にされる人が増え、働き口が少なくなる。そうした事は、世界金融危機再来のシナリオを容易に思い起こさせるものである。」
1. 2016年3月30日 05:33:34 : KzvqvqZdMU : OureYyu9fng[330]
いつでもどこへでも軍隊を派遣できる、それが独立国家ってもんだろ。
米国についていくかどうかは その時の政治判断だ。
そもそも階級闘争論者は、外部の敵より内部の敵、すなわち自国政府こそ
なにものより勝れる階級敵なのだな。
であるから外部の敵に備える軍隊なんかどうでも良く、というか階級闘争のためには敵にしたりするのだ。外敵の走狗になったりもする。
外敵に備えるための安保法制も 戦争法案と言うレッテルを貼って政争の道具にするのだ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/628.html#c1
”しばらく、ひとつひとつの、
ていねいに書かれたメッセージに見入る。
きっとたくさんの作業員の方を
勇気づけたことだろうと思う。
そしてその先は、まさに廃炉作業の最前線だ。”
twitterから
https://twitter.com/hayano/status/714753031590580225
ryugo hayano認証済みアカウント
@hayano
御意.僕と糸井さんの「福島第一原子力発電所へ。」もどうぞ→ http://www.1101.com/fukushima/2016/index.html … @kikumaco: いちえふとにえふを見てきました。あれは機会があったら見た方がいいよ
★「福島第一原子力発電所へ。」
http://www.1101.com/fukushima/2016/index.html
震災から5年が経とうとするある日、
1通のメールが届きました。
ちいさな縁はつながって、
福島第一原子力発電所のなかを
視察できることになりました。
約3時間の視察。
そこで、見たこと、感じたこと。
すこし長いレポートになりました。
担当は、ほぼ日の永田です。
いま、福島第一原子力発電所では1日に7千人が働いている。
福島第一原子力発電所がどういう存在であるかは
見る人の立場や考え方によって、
さまざまに変わってくるのだと思う。
事故のあった原子炉として語られることもあるし、
ある思想の象徴としてとらえる人もいる。
そこに好きとか嫌いとかの感情や、
是か非かみたいな主張が交ざると、
さらに複雑な見え方をすることになる。
福島第一原子力発電所は、いわば多面的な存在で、
だからこそ、それについてなにか書くときは、
なんとなく前置きや注釈を添えなければならず、
そこが、すこし、ややこしい。
昨年の11月、糸井重里と、
原子物理学者の早野龍五さんとともに
事故から5年後の福島第一原子力発電所を視察した。
そのときぼくがいちばん強く感じたのは、
そこが「現場」である、ということだった。
そういう一面は、実際に行かなければわからなかった。
福島第一原子力発電所は「現場」である。
2011年3月11日から今日にいたるまで、
そして、たぶん、何十年も先の未来まで、
福島第一原子力発電所は
「現場」であり続けるのだと思う。
いま、福島第一原子力発電所では、
1日に7千人が働いている。
誰も立ち入れない死の場所ではないし、
あの日から時間が止まったまま、
というような風景でもない。
7千人が働く「現場」は、思った以上に活気があった。
もちろん、働く人たちは防護服やマスクといった
しかるべき装備を身につけるし、
出入りの際には放射線量や装備品に関して
徹底的なチェックを受けるという厳しさがある。
出入り口付近にずらりとならんだ個人の線量計は
そこがふつうの場所ではない
という事実をぼくらに突きつける。
けれども、マスクを外した人どうしが
通路ですれ違うときには
「お疲れさまでーす」と声をかけ合うし、
休憩スペースにはくつろいでいる人たちがいる。
壁には前向きな標語が掲げられているし、
最近できたという食堂には
ひと月分の献立が貼り出されている。
ふつうではない面も多いけれど、
人が働くふつうの「現場」としての面も
当たり前に持ち合わせている。
とくに、ここ一年くらいのあいだに、
そういった環境が整ってきたということだった。
象徴的なのは、自動販売機だ。
なんの変哲もない、ふつうの自動販売機だ。
しかし、福島第一原子力発電所には、
最近までずっと存在しなかった。
7千人が働く「現場」なのに。
自動販売機が存在するためには、
スペースや電源だけでなく、
管理の仕組みが成り立っていなければならない。
もっと具体的にいうと、
定期的に飲料を補充する人と、
そこから出るゴミを回収する人がいなければならない。
震災から5年が過ぎ、
浜通りの放射線量はずいぶん下がった。
常磐自動車道は開通し、
国道6号線も通れるようになった。
しかし、福島第一原子力発電所のなかの
大型休憩所に置く自動販売機に
飲み物を補充する人や、
そのゴミを日常的に回収する人を募るのは、
それほど簡単なことではないのだ。
いま、福島第一原子力発電所には自動販売機がある。
近くに給食センターができて
毎日違ったメニューが配膳され、
宿泊のためのカプセル型簡易ベッドもできた。
そういうことは、テレビのニュースを見ているだけでは
なかなか伝わってこない。
福島第一原子力発電所で1日7千人が働いていて、
給食のメニューには定食のほかに丼やカレーがあって、
最近、自動販売機が設置されたというような一面は、
なかなか報道されない。
もちろん、それはそれで仕方のないことだとも思う。
福島第一原子力発電所を実際に視察して、
はじめてわかることがたくさんあった。
みんなが訪れるべきだとは思わないけれど、
少なくとも、自分は来ることができてよかったと思った。
そういう意味では、この場所に限らず、
「被災地とのかかわり」そのものによく似ている。
いろいろ考えているとなにもできなくなるけれど、
実際に動くと、わかることがたくさんある。
5年前のあの日以降、
ぼくはそういう思いを何度も味わってきたように思う。
今回、ぼくらが福島第一原子力発電所を
訪れるきっかけになったのは、
ほぼ日刊イトイ新聞に送られてきた
1通のメールだった。
送ってくださったのは、
福島第一原子力発電所で安全管理を担当している
東京電力の齋藤寿輝さんだ。
しかし、齋藤さんは、完全に「東京電力の人」として
「ほぼ日」にコンタクトを取ってきたわけではない。
届いたメールは会社のアドレスからではなく
齋藤さんの個人アドレスから送られたもので、
内容的にも、東京電力の人としての意見と、
個人の思いが、ないまぜになっていた。
メールの中で、齋藤さんは、
いま福島第一原子力発電所で作業することの
難しさについて書いていた。
「なにを目標に、どうがんばればいいのだろう?」
メールには、そういった迷いのようなことが書かれていた。
「誰かに理解してほしいということかもしれません」とも。
のちに、齋藤さんは、このメールについて
「仮設の寮に帰って、ひとりになったとき、
さまざまな思いが頭を駆け巡り、
いろいろなことが重なって
気づいたときにはメールを送っていた」と、
若干の反省をこめて回想されていた。
しかし、そのように、
ビジネス的な意図とはまったく違う次元で、
「矢も楯もたまらず」書かれた文面だからこそ、
そのメールには説得力があった。
迷いや悩みを表しつつも、
当事者しか書けない、
たしかな強さのようなものがあった。
その日のうちに糸井重里は返事を書いた。
糸井から返事が来たことで齋藤さんは、
公私が混同した中途半端なメールを書いてしまったことを、
あらためて反省されたようだったけれど、
糸井はそのあたりをまったく気にせず、
「会社の看板をまったく気にせず、
『わたし』として、一度会いませんか?」と書いた。
そのようにしてやり取りははじまり、
去年の夏頃に齋藤さんは
東京のぼくらのオフィスにやってきて、
自由に、長く、話をした。
福島第一原子力発電所に勤める人というより、
ひとりの社会人として、
働くことの意義や、震災や、生き甲斐などについて、
とくに録音も撮影もせず、自由におしゃべりをした。
福島第一原子力発電所はいろんな面を持っている。
齋藤さんにとって、
福島第一原子力発電所は「職場」である。
齋藤さんは1995年、東京電力に入社した。
入社してからずっと原子力関係の部署に勤務している。
2011年3月11日、未曾有の揺れが東日本を襲ったとき、
齋藤さんはまさに福島第一原子力発電所に勤務中だった。
そこからの数日間は、
ほんとうに命がけの格闘だったという。
齋藤さんは事故の直後から、
のちに「吉田調書」で広く名前を知られることになる
吉田昌郎前所長とともに
現場にとどまり続け、必死で作業にあたった。
(そのあたりのことは門田隆将さんの
『死の淵を見た男』という本に詳しい)
その作業は、切迫の度合いははるかに違うとはいえ、
5年前からいままで途切れず続いているともいえる。
当時現場に居合わせた人たちも、
人事異動によって徐々に部署を移動し、
5年経ったいま、福島第一原子力発電所のなかで
あの日の現場を知っている人たちは
ずいぶん減ってきているという。
震災の数年前、齋藤さんは
福島第一原子力発電所のある大熊町に新居を構えた。
大熊町はそのほぼ全域が
いまも帰還困難区域に指定されている。
まだ新しいその家には震災以来帰ることができず、
奥さんと子どもたちは会津若松市の仮設住宅に移住。
齋藤さん自身は新しく建てられた会社の寮に
単身赴任しているそうだ。
いつ終わるともわからない作業を毎日続け、
寮の自室に戻り、ひとり、悶々と考えていると、
さまざまな思いが頭を巡り、
齋藤さんは、つい、メールを書いた。
それがぼくらに届き、思いがけず、
福島第一原子力発電所とのつながりをつくった。
視察にあたって、
糸井は物理学者の早野龍五さんに声をかけた。
早野さんは福島第一原子力発電所の事故直後から
放射線量など各種のデータを分析し、
いち早くツイッターで広める活動をした人だ。
震災後の混乱のなか、冷静にデータのみを報告し、
多くの人が早野さんのツイートを判断の拠り所にした。
糸井もそのひとりである。
事態が一定の落ち着きを見せたあと、
早野さんは内部被ばくを心配する福島の人たちのために、
給食の陰膳検査を提案して自ら実行し、
問題がないことを実証した。
また、赤ちゃんの被ばくを心配するお母さんのために
「ベビースキャン」という
赤ちゃんや幼児の内部被ばくを測定する
特別なホールボディカウンターを開発した。
ツイッターを通じて知り合った早野さんと糸井は、
本来、まったく違う分野の人であるにもかかわらず、
さまざまな価値観、そして「好み」などが重なり、
震災後の福島をテーマにしたいくつかの重要な仕事を
ふたりでこなすことになる。
その集大成が、福島と放射線をめぐることについて
「すくなくともこれだけは言える」
ということを慎重に語り合った
『知ろうとすること。』という本である。
たぶん、福島第一原子力発電所の事故がなければ、
ふたりは接点をもたなかった。
今回の視察にあたり、
糸井が早野さんに声をかけたことに
どうしてもそうでなければならない理由や
具体的な仕事などはなかったが、
ふたりが福島第一原子力発電所を訪れるのは
たいへん必然的なことであるように思った。
齋藤さんからはじめてメールが届いたのが
2015年7月28日のことだった。
早野さんに声をかけて、日程を調整し、
福島第一原子力発電所を訪れるのは
11月5日と決まった。
視察の当日は、幸い、とてもよく晴れていた。
福島第一原子力発電所に入るまえに、
ぼくらは発電所から20キロ南にある
「Jヴィレッジ」を訪れた。
ここで、今回の視察の概要など、
さまざまな説明を受けることになっている。
Jヴィレッジは本来、サッカーをメインとした
スポーツのトレーニング施設である。
しかし、福島第一原子力発電所の事故後は、
トレーニング施設としては閉鎖し、
事故の対応の重要な拠点となっている。
福島第一原子力発電所の事故は
取りかえしのつかない大きな不幸だけれど、
その大きな不幸のなかにも、
「不幸中の幸い」が3つある。
そういう言い方が不謹慎であれば、
「最悪の事態に至らずにすんだ3つの偶然がある」
と言い直してもいい。
ひとつは、福島第一原子力発電所が、
「発電所としてはとても広かった」ということだ。
それで、一時的なものや、正式なものも含めて、
たくさんのタンクや廃棄物を置くことができた。
ぼくはこの話を聞いて、とても興味深く思った。
「広かったのでいろいろ助かった」と聞いて、
すごく正直にいえば、
へぇ、そうなんだ、おもしろい、と思った。
しかし、そういう表現は、ふつうはできない。
そして、「福島第一原子力発電所が広かった」という話も、
「原発の事故」という最悪の事態を伝える報道のなかでは、
バランスとして紛れ込ませづらいことだから、
とくにニュースになることもない。
でも、そういうエピソードは、
おもしろく語られたって別にかまわないのだと思う。
「最悪の事態に至らずにすんだ3つの偶然」に戻ると、
そのふたつ目は、
福島第一原子力発電所に「免震重要棟」、
いわゆる「免震棟」があったことである。
「免震重要棟(免震棟)」というのは、
「地震に備えた免震構造を持つ建物」、
ようするに揺れに強い建物のことだ。
福島第一原子力発電所にまつわるニュースでは、
この「免震棟」ということばが
事故の直後から頻繁に登場していた。
東日本大震災による物理的な揺れによって、
福島第一原子力発電所の事務棟は大きな損害を受けたが、
揺れに強い免震棟は無事だった。
それで、免震棟は事故後の対応の本部として活躍した。
免震棟がなければ、現場の混乱はさらに深まり、
きっと、対応に大きな遅れが生じたことだろう。
ちなみにこの免震棟という施設については、
その設立の背景にさらなる偶然を見ることができる。
福島第一原子力発電所の免震棟ができたのは、
じつに震災の前年、2010年7月のことなのである。
2007年、新潟県中越沖地震が発生し、
柏崎刈羽原子力発電所が緊急停止した。
いくつかの建物が被災し、指揮系統が混乱した。
それによって免震構造を持つ建物の重要性が指摘され、
福島第一原子力発電所にも免震棟が建てられた。
新潟の地震があってよかったとは言えないし、
そもそも、免震棟がなかったという危うさはある。
しかし、とにかく、2011年3月11日に、
福島第一原子力発電所に免震棟があってよかったと思う。
なお、福島第一原子力発電所の免震棟には
現在も緊急時対策室が置かれている。
そして、「3つの偶然」の最後が、
ぼくらが視察の前に説明を受けたトレーニング施設、
「Jヴィレッジ」の存在である。
Jヴィレッジは述べたように
福島第一原子力発電所から20キロ離れた場所にあり、
十分な広さもあったため、
人員の駐留や物資のプールなど、
事故対応におけるとても重要な拠点となった。
スポーツのトレーニング施設だからこそ、
汎用性の高い広いスペースがあった。
そして、ありがたかった偶然は、
福島第一原子力発電所からの距離である。
事故の直後、警戒区域が設けられていたとき、
Jヴィレッジはぎりぎりその境界線の外側にあった。
この施設がもうすこし近い場所にあったら
復旧活動の拠点にならなかった。
逆に、遠すぎたら最前線の拠点としては
機能しづらかっただろう。
そのJヴィレッジで、ぼくらは、
この5年間に起こったことや現状についての説明を受けた。
説明してくださったのは、
東京電力の石崎芳行副社長である。
石崎副社長は、賠償・除染など復興関連業務を統括する
「福島復興本社」の代表も務めている。
お話のなかで印象的だったのは、
福島第一原子力発電所の廃炉作業に従事する
1日7千人の作業員のうち、
半分の方が福島県民の方であるということだ。
地理的なことを考えれば自然なのかもしれないが、
福島の人たちが背負わざるを得なかったものの重さを
またひとつ新たに知ったような気がした。
「福島のみなさんにたいへんなご迷惑をおかけしながら、
厳しい廃炉作業を福島のみなさんに支えられている」
という石崎副社長のことばには、苦しさが感じられた。
その話を聞いて、
須賀川市にある公立岩瀬病院を取材したとき、
病院や市役所の職員のカウンセリングをしている方が
実感として伝えてくださったあのことばを思い出した。
──福島の人は我慢ができすぎます。
そんな福島の人たちに対して、
東京電力の社員は、さまざまな活動を通して
できる限りのお手伝いをしようとしているそうだ。
石崎副社長はこう続ける。
「5年近く帰宅できなかった方のご自宅は
かなり傷んでおりますので、
社員をできる限り動員して、
家の片づけ、草刈り、お墓の清掃、冬は雪かきなど、
いろんな活動をさせていただいています。
東京電力は関東中心に活動をしていますので、
関東で働いている社員は、
このJヴィレッジに二泊、三泊と宿泊してもらって、
ここから福島のあちこちへ行って、
作業をしてもらっています」
東京電力の社員数は約3万5千人だが、
ひとりに何回も来てもらって作業してもらうことにより、
福島で汗かき活動をしている人の数は、
のべ20万人を超えたそうだ。
だからなにかが許されるというわけではないだろう。
しかし、こういった活動も、報じられていいと思うし、
すくなくともぼくは知ってよかったと思った。
石崎副社長は言う。
「最初のうち、社員は
東京電力の制服を着て行くことを嫌がりました。
それでも、私は制服を着て活動するように言ってます。
私もいつも制服を着ています。
なにを言われても、東電の社員であることを
きちんと名乗って誠意を尽くす、
それしかないんだということで、
社員に発破をかけているところです。
『東電は許せない』とおっしゃる住民の方でも、
一人ひとりの社員が家の片づけを手伝うことについては、
お礼の言葉をかけてくださったり、
飲み物を出してくださったりします。
すこしずつではありますが、
住民のみなさんから笑顔のあいさつを
いただけるようになったとも聞いています。
これからも、賠償、除染といったことのほかに、
こういう活動を続けていかなければ
いけないと思っています」
東京電力で働く人たち、福島県に住む人たち、
そして東京から取材にやってきた人たち。
属性で大きくくくってなにか論じることもできる。
けれども、一人ひとりは、一人ひとりだ。
それぞれに、常識的に振る舞い、礼儀を重んじ、
できれば穏やかに暮らしたいと思っている、一人ひとりだ。
思うことや、主義や、許せないことの度合いも、
一人ひとり違う。
それはもう、当たり前の話である。
しかし、人を大きなかたまりにして
属性で語る話ばかりに接していると、
その当たり前のことを、ぼくらは簡単に忘れてしまう。
その後、視察に関する注意事項の説明があり、
身分証明書を提示しての本人確認などをすませて、
ぼくらはマイクロバスに乗り込んだ。
国道6号線を通って
福島第一原子力発電所へ向かう。
2011年の夏、
ぼくは動物愛護団体ランコントレ・ミグノンの
友森玲子さんの活動を手伝って、
福島第一原子力発電所の20キロ圏内、
当時は「警戒区域」と呼ばれていた場所に何度か入った。
国道6号線を福島第一原子力発電所へ向かって走るのも、
はじめてのことではない。
(たしか福島第一原子力発電所を車内から見たときは、
熱射病になって後部座席で横になっていた)
よくつかっていた国道6号線だから、
当時との差がはっきりとわかって感慨深かった。
あのころは、車内でも防護服を着ていた。
警戒区域に入る検問のところで装備をチェックされるから、
検問にいちばん近い道の駅の駐車場で
防護服を着込むのがふつうだった。
いま、Jヴィレッジから出発したぼくらは
当時の警戒区域内を進んでいる。
しかし、装備はいつもの服装のままである。
バスが検問に差し掛かる。
2011年のときの
「警戒区域の境界に設けられた検問」ではなく、
「福島第一原子力発電所へ入るための検問」である。
出入り口やゲートに関する箇所は、
安全の対策上、写真を撮ることができない。
いくつかの照会とチェックを無事にパスし、
敷地内にある建物へ。
そこであらためて持ち込む機材などをチェック。
そのあたりの管理は徹底している。
構内の視察に備えて装備品を身につけることになった。
しかし、予想外にそれは簡易なものだった。
身分証明や機材のチェックが厳しかったから、
こんな軽装備でいいのか、と拍子抜けした。
今回の視察ではバスから降りる予定がない。
しかし、それにしたって、
メルトダウンを起こした原子炉のそばに行くわけで、
2011年の自分の経験と照らし合わせても、
当然、防護服とマスクくらいは
身につけるのだろうと思っていた。
けれども、装備は、ふつうのマスク
(風邪や花粉症の対策として
みんながつけるふつうのマスク)と
手袋、そして靴カバーだけだった。
その靴カバーにしても、
原子炉に近づくからというわけではなく、
建物からバスに移るときに
外の敷地を一瞬踏むために義務づけられているようだった。
さらに言うと、視察が終わるころ、
放射線についてはだいたいのことを知っている早野さんが、
東京電力の方に、こんなふうに言ったからびっくりした。
「ほんとは、バスから降りなければ、
このマスクも必要ないんでしょう?」
東京電力の方は苦笑した。
そうなんですよ、と答えるわけにはいかないのだろう。
もちろん、原子炉の間近で廃炉作業に携わる人たちは
いまも厳重な装備を義務づけられている。
ほかのメディアの視察レポートなどを読むと、
線量の高い場所でバスから降りる場合は
やはり同様の重装備をまとっている。
一方で、線量がそれほど高くない場所、
つまり原子炉から離れた場所では、
たとえ屋外の作業であろうと、
作業員が防護服を着ていない場合もあった。
つまり、違う言い方をするなら、
福島第一原子力発電所のなかの
放射線量と装備に関することは、
さまざまなことがきちんと検証されて、
ルールが徹底しているということだろう。
視察するにせよ、作業するにせよ、
場所と状況によって、どうするべきかということが
科学的に管理されている。
バスの中のマスクは科学的とはいえないのかもしれないが、
早野さんが開発したベビースキャンがそうであるように、
「科学」ではなく「心」のために必要なものもある。
その両方が必要なのだということは、
『知ろうとすること。』にしっかり書いてある。
バスは原子炉へ向かってゆっくり進んでいく。
たくさんのタンク。さまざまな形がある。
積まれている容器には、使用後の防護服など
5年分の廃棄物が詰まっているという。
ニュースなどでよく見る、
あの建物が遠くに見えてくる。
バスのなかでは、東京電力の方が
手持ちの計器でつねに車内の線量を測定している。
敷地内のところどころには
定点観測のための線量計も設置されていて、
リアルタイムで線量をチェックすることができる。
ふと窓の向こうに見える外の線量計を見たら、
「2.3マイクロシーベルト毎時」だった。
低い、とぼくは思った。
2011年の夏、ぼくは福島県の高校野球を取材した。
全国高等学校野球選手権、
いわゆる夏の甲子園の福島県予選を
開会式から閉会式まで追いかけた。
個人的な話だが、そのときの取材を通して、
ぼくのなかには、放射線量に関するひとつの基準ができた。
具体的にいうと、その基準は
「3.8マイクロシーベルト毎時」である。
東日本大震災のあったあの夏は、
福島第一原子力発電所の事故の影響で、
大会の開催そのものが危ぶまれた。
福島県の高野連をはじめ、多くの人たちが尽力し、
なんとか大会は開催されることになった。
しかし、無条件で開催されたわけではない。
各球場の試合のはじまりには、
グラウンドの放射線量を測ることが義務づけられた。
そして、その数値が
「3.8マイクロシーベルト毎時」を超えた場合、
試合は中止される、という決まりだった。
(結果的には中止になった試合はなかった)
だからぼくは、
その後、警戒区域内に入って作業をするときも、
「3.8マイクロシーベルト毎時」を
ひとつの基準として考えるくせがついてしまっていた。
「3.8マイクロシーベルト毎時」以上の数値を見ると、
ここでは試合ができないんだな、と思った。
いま、福島第一原子力発電所の敷地内にある線量計は
「2.3マイクロシーベルト毎時」を示している。
もちろん、低い数値ではない。
しかし、ぼくが思っていたよりもずっと低い。
バスは1号機へ近づく。
あの、四角い建物が間近に迫る。すぐ横に2号機。
ゆっくりと、そのそばを通り過ぎるが、
「これがそうか」と見るばかりで、
なにができるわけでもない。
窓の外に向かってシャッターを切る。
いよいよ目の前に大きく
1号機と2号機の建屋が広がったとき、
ふと車内の線量計を見ると
「44マイクロシーベルト毎時」を超えていた。
その劇的な上昇に、
放射線量において「距離」というものが
とても大きな要素なのだということを、
あらためて理解する。
「3号機の前は線量が格段に高くなります」と
東京電力の方が言った。
バスはややスピードを上げる。
まだ生々しく壊れている外壁。
3号機だ。
線量計をたしかめて、驚いた。
「200マイクロシーベルト毎時」を超えている。
早野さんは視察しながら、
東京電力の人にいくつか技術的な質問をする。
「壁についている緑色の樹脂はなにか?」
「使用済燃料プールを支えている支柱は?」
「4号機に充満した水素はどこから入ったのか?」
4号機の前まで来ると線量は
10分の1ほどに下がる。
すこし離れたところにある
5号機、6号機付近までくると、
数値は「1.9マイクロシーベルト毎時」ほどになる。
「このあたりはふつうのマスクで歩けます。
防護服を着なくてもいいエリアです」との説明。
実際、少し離れたあたりにいる作業員は軽装である。
「距離が、ものすごく関係するんですね」と、
糸井がしみじみつぶやく。
そして、原子炉は遠ざかっていく。
あらためて、ここが広い場所だということを痛感する。
海辺の道を通り、陸側遮水壁の説明などを受けて、
バスは免震棟の前へ。
車を降り、靴カバーを外し、免震棟へ入る。
述べたように、免震棟はいまも
事故後の対策の本部として機能している。
機材や備品が並んでいる通路を抜けると、
階段と、踊り場がある。
天井の高くなったそのスペースに、
たくさんの千羽鶴。
そして、激励のメッセージ。
しばらく、ひとつひとつの、
ていねいに書かれたメッセージに見入る。
きっとたくさんの作業員の方を
勇気づけたことだろうと思う。
そしてその先は、まさに廃炉作業の最前線だ。
緊急時対策室。
フロアに所狭しと並べられた机とPC。
たくさんの人たちが、
慌ただしく動き回っている。
のんびり業務をこなしているという感じではなく、
誰もがじぶんの仕事に取り組んでいるという
活気のようなものがある。
広いホールの中央には、
これもまたニュースでよく目にした、
「福島第一原子力発電所の免震棟と
東京電力本店を結んでいるモニター」。
いまも、リアルタイムで機能しているようだ。
免震棟について説明してくださったのは
福島第一原子力発電所の小野明所長である。
小野所長は、緊急時対策室の働きやこれまでの経緯などを
ざっと教えてくださったあと、
予定した時間を超えて、
早野さんや糸井と活発に意見を交換し合った。
立ち話のまま、そこにいた東京電力の社員の方を交えて、
けっこう長く話した。
視察のときに、そういったかたちで
話が盛り上がるのは、
なかなかめずらしいことだと後から聞いた。
やり取りの中で、
糸井重里は小野所長にこう質問した。
「いま、ここで働いている人たちは、
これまでの『発電』とは
まったく違う仕事をしているんですね?」
ぜんぜん違う仕事をしています、
と小野所長は答え、さらにことばを続けた。
「発電とはまったく違ういまの仕事に、
若い社員はやりがいを感じているようです。
ずっと発電を仕事にしていたベテラン社員は、
これまでの知識が役に立ちませんから、
やはり、若い社員のほうがモチベーションは高い。
若い彼らが新しい設備をどんどん整えて、
道を切り拓いています。
事故の前と後では、仕事の内容というか、
仕事のジャンルそのものも変わってしまいました。
福島第一原子力発電所の作業員は
現在、7〜8千人ほどですが、
そのうち半数にあたる3〜4千人が、
『土木と建築の分野』で働いています。
震災の前は、これだけ大規模に
土木工事をしている原子力発電所は
どこにもなかったと思います」
糸井はうなずきながら、
今日の視察の総合的な感想としてつぎのように言った。
「ある意味で、土木工事の最先端の仕事が
ここに集まっている、ともいえますね」
たしかに、福島第一原子力発電所は、
思いがけないほど「土木の現場」だった。
たとえば、あちこちで行われていたのは
「土の表面をコーティングする」という作業だ。
土が剥き出しになっていると、
雨が染み込み、地下へ流れて、汚染水の原因となる。
それをふせぐために、
福島第一原子力発電所の敷地内では、
現在、斜面や街路樹の根元なども含めて
すべての土を舗装しようとしている。
750トン級のクレーンは日本に数台しかないそうだが、
一時期、そのうちの3台が
福島第一原子力発電所にあったのだという。
糸井は言う。
「最新の土木工事の現場であると同時に、
『廃炉』に関しても最先端ですね。
誰もがやってないことに、
必然的に取り組んでいるというか、
ある意味で宇宙開発のように、
ここにしかないものがそろうことになる。
その意味では、『廃炉』に携わる人たちが
世界中からここに学びに来る、
という場所になるんじゃないでしょうか」
実際、原子炉のなかにいまもある
燃料デブリ(原子炉の燃料が融け落ちて固まったもの)を
調査、撮影するために、
最新のロボット技術が駆使されているという。
それを取り出すには、さらなる技術改革が必要だ。
早野龍五さんは、小野所長に新しい提案をした。
それは、近年、早野さんが取り組んでいる、
「世界の高校生たちに福島を知ってもらう」
というプロジェクトの一環だ。
「若い人たちにここを知ってもらえたら
と思うのですが、
視察するにあたって年齢規制はあるんですか?
たとえば、外国の高校生たちを
連れてくることは可能ですか?」
福島第一原子力発電所を視察する年齢については
法的な規制はないということだった。
しかし、当然ながらここは帰還困難区域でもあるので、
別の問題はあるのかもしれない。
早野さんの計画については、
今後、前向きに検討していくことになった。
約3時間の福島第一原子力発電所視察を終え、
ぼくらはふたたびJヴィレッジに戻った。
濃密な3時間だった。
福島第一原子力発電所からJヴィレッジへの道のりに、
一面のすすきが揺れる広い場所がある。
皮肉なことに、というか、
福島第一原子力発電所から数キロの場所、
かつて「警戒区域」と呼ばれていた地域は、
この5年間、ほとんど人が入れなかったため、
たいへんに自然が豊かだ。
そもそも、福島の自然はほんとうに美しい。
Jヴィレッジへ向かうバスのなかで、
ぼくは、きらきらと輝くすすきの海に向かって
何度もシャッターを切った。
ほんとうに、夢みたいにきれいだったから。
福島第一原子力発電所は、
とらえる人の考えや立場によって
さまざまな見え方をする。
直接、そこを見て、なかに入って、働く人の話を聞いて、
ぼくのなかにはまた新しい一面が加わったように思う。
最後に、今回の視察とは、
直接関係のないことかもしれないけれど、書いておく。
福島第一原子力発電所とぼくらをつなげてくれた、
齋藤寿輝さんには、娘さんがいる。
福島第一原子力発電所が齋藤さんにとって「職場」なら、
娘さんにとっては「おとうさんの職場」ということになる。
『つなみ』という作文集がある。
ジャーナリストの森健さんが編纂したもので、
東日本大震災の後(数ヵ月後と1年後)、
震災を乗り越えた子どもたちに作文を書いてもらい、
それをまとめたものだ。
そこに、齋藤さんの娘さんが
2012年に書いた作文が掲載されている。
当時、中学3年生だった彼女はこんなふうに書いている。
「私の町は先程も言ったように原発のある町です。
おそらく、もう私の生きている間には戻れません。
ですが、私はこの事を
けっして原発のせいだとは思いません。
確かに原子力発電所での爆発が無ければ、
私はもう一度あの町でいつものように
過ごしていたと思います。
しかし、私は原発の事を恨んでなどいません。」
齋藤さんの娘さんは、
じぶんの父親が東京電力に勤めていること、
そして、震災後は、ずっと家に帰ることなく、
事故の対応に力を尽くしていたこと、
そして、じぶんの故郷の風景が
原子力発電所とともにあったことと、
それをただ「悪いもの」として叩く人との
ギャップに悩み、しだいにふさぎ込んで、
学校にも行けなくなってしまう。
しかし、大好きなサッカーを通して気持ちを保ち、
いまはスポーツの専門学校に通っている。
今年、出版された『つなみ』の続刊、
『つなみ 5年後の子どもたちの作文集』には
彼女の新しい作文が掲載されている。
そこに綴られたことばに、胸を打たれた。
「人生は、辛い事ばかりのように感じて、
どうして自分だけが
こんなに辛いんだろうと思う時もあります。
だけど、自分も含め、人が必死に生きるのは
次にある幸せを心のどこかで
期待しているからなんだと思います。
どんなに些細な事でも、
喜びは人を笑顔にしてくれます。
私が5年前から変わらずに思っているのは、
将来は人に笑顔や勇気、
希望を与える人になるということ。
みんなの笑顔を見ると自分も笑顔になれます。
誰かの笑顔に私はなりたいです。」
福島第一原子力発電所を、
そして、東京電力を、許せないという人はいる。
それはもう、仕方のないことだと思う。
言っても仕方のないことだけど、
ぼくは、福島を取材するたびに、いまだに思う。
「せめて津波が来ていなければ」と、いまだに思う。
思ってもしょうがないことだ。
津波は来たし、東日本大震災は起こったし、
福島第一原子力発電所は電源を失って、
起こってはいけない事故が起こったのだ。
なにもかも元には戻らないし、
それを怒ったり、悲しんだりするのは、
とても自然なことだと思う。
そのうえで、いま、活動をしている人たち。
廃炉に向けて、新しい仕事をしている人たち。
希望に向かって、歩き出している人たちを、
やはり、ぼくは、応援したい。
二度と起こらないようにする努力や、
少しでも元の場所に近づけようとする作業を、
ひとつひとつ、尊重したいと思う。
福島第一原子力発電所は、さまざまな面がある。
きっと、ぼくが生きているうちに、
すべては解決されないのだろう。
それでも、そこからはじまる希望だって、ある。
この場所を、許せない存在だと感じることを否定しない。
自分たちを引き裂いた元凶だと感じる人もいると思う。
福島第一原子力発電所は、さまざまな面がある。
人の数だけ、とらえ方がある。
どんなとらえ方だって、その人にとって、リアルだ。
だからこそ、ある一面だけを絶対的な見方として
ほかの人に強制するような不自然なことが
なくなりますようにと、せめて、祈る。
まだまだたくさんの問題がある。
きっと、ぼくの知らない困ったこともあるだろう。
勘違いだってしているかもしれない。
それでも、ぼくは、
完全な理解や把握を目指して動けなくなるよりは、
実際の行動を選ぶじぶんでありたい。
現実的な、具体的な、実際の行動が、
たとえほんの少しずつでもよいことに近づくと、
あいかわらずぼくは信じている。
「人が必死に生きるのは
次にある幸せを心のどこかで
期待しているからなんだと思います。」
・・・
<参考リンク>
■1Fで妨害活動?! 反原発派が作業員として紛れ込んでいた(くっくりさん)北海道泊原発の建設現場で不審火が何度もあったな。
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/393.html
27. 大和狼[501] keWYYZhU 2016年3月30日 05:43:49 : hy55y1MCkU : h4GysCZjF7o[69]
ハチャメチャなコメント欄になったな。
中川隆、オモシロイ取材記事だったじゃねーか。
◎川隆◎ ◎に大と法の字が入るのかと思ったくらいだ。
アメリカの文書は全文公開されるべきだな。清和会と売国外務官僚の
悪行が白日の下にさらされる事が日本国の再起動には必須だ。
日本の増ゴミに指導してやれ。バニーガールもオモシロかったぜ。もっとやれ。
ただし、南京のガセ寝たはもう止めれ。
最後に本題だが、
保育所待機児童は生みの母親のもとに自宅待機にすればいいだけだ。
母親に手当てを支給すればいいだけ。
本当に働きたい母親だけ保育園に入所すればいい。
これで待機児童問題、子育て問題は解決。
野党の女性議員、これで頑張ってください。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/545.html#c27
1. 2016年3月30日 05:46:56 : hkH2oFZHns : sdLX7N4clbA[187]
アベ日本総売り大臣とゲスウヨ自民がある限り
日本の富はアメリカにたたき売られるのだ
それを喜んで寿司食っている
田崎史郎や橋本五郎
やつらは鬼畜だ
でなけりゃ
平気で人前で人をだます発言はできないだろう
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/637.html#c1
1. 中川隆[2163] koaQ7Jey 2016年3月30日 05:50:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2146]
昭和天皇が2・26事件を起こさせた本当の理由
ねず氏は、天皇は自分の統帥権が犯され、統帥権が奪われようとすることには敏感に反応するのであって、統帥権を断固維持しようと腐心する。これは天皇家の歴史的本能だ、という。
2・26事件は為替相場を不当に操作して儲けるために起こさせたものだった.
2・26事件が起きると、当然のことながら日本の国家信用が落ちて、為替や株価が暴落した.
もし、天皇があらかじめ為替や株価でも儲けを企図し、シナリオを書かせていたとしたら、事件で暗殺される「重臣」たちが青年将校らによって殺されることも計算のうちに入っていた、あるいは気に入らない「重臣」を消すために事件を起こさせたとも考えられる。
青年将校らにとっては、いわば天皇親政によって昭和維新を断行するのだと夢見ていたのだろうが、実際の天皇はそういう人ではなかった。つまり天皇は飾り物にされ、周囲の奸臣・奸官に取り巻かれているから正しい政治が行われないと善意に解釈していたが、そうではなくいわば奸凶は天皇自身だったのである。
2・26事件がおきると、天皇はその40分後には情報を得て、ただちに彼らを反乱軍と断じ、鎮圧を命令している。決起した将校らにしてみれば、天皇にまさかの裏切りにあったのである。しかし、この天皇の裏切りは、「将校らにしてみれば」なのであって、私は彼ら将校は天皇・財閥側が仕掛けたワナにハマっただけではないかと思う。
天皇は、決起将校らを私利私欲に基づくものと激怒したが、当の将校らは無私の心で決起した心づもりだから、まるで話がかみあわない。むしろ、天皇のほうが、私利私欲で自分の資産の運用だけの思惑で動いていたのだ。
なにしろ、戦前の天皇家は世界一の金持ちとも言われるほどの天文学的資産家であった。天皇は、大財閥や主要銀行、大企業などの大株主であったから、国家から予算として年額150万円を支給されていたとは別に、その配当は巨額なものであった。
だから戦争をやれば、こうした大企業が巨利を得ることになり、それがそのまま皇室の持ち株への巨額配当となって返ってくる仕掛けだった。事変=戦争を起こし、植民地で搾取すればするほど皇室の懐が潤う仕掛けである。
だから天皇家は、日本が満州事変、支那事変、大東亜戦争へと打って出ることに反対しなかった。2・26事件の将校を断罪するなら、なんで満州事変や支那事変を主導した軍部を断罪し止めなかったのだ?
それは昭和天皇が、立憲君主ではなく、実は専制君主であったからであり、実際、戦争に反対するどころか積極的に戦争を押し進めた。
大東亜戦争中は、なんと宮中に大本営を置き、作戦を指揮し、認可していたのが真相である。
2・26事件のときだけ政治的に介入し鎮圧を命じて、あとのときはすべて「君臨すれども統治せず」を貫きとおし、終戦のときだけ仕方なく決断したなんてことがありようか。
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060825
2・26事件が起きることを天皇はあらかじめ知っていたのではないか。財閥から情報が入っていたに違いないのである。というよりも、そもそも天皇と財閥(とその代理人)が2・26事件を仕掛けたと見るべきではなかろうか。
事件発生から終息までの2日間もちゃんと前もって計算されていたのであるまいか。仕掛けた闇の勢力は当然、真崎らがどう動くか、どう終息させるかも読んでいたか、指示していたに違いない。
クーデターが起きれば為替も株も暴落するのは、あらかじめわかりきった話である。それをあえて事前にわかっていながら反乱を阻止しなかったこの不自然さ。反乱を起こす予定の将校らには財閥から資金が流れていたし、将校らには官憲が張っていたのだ。彼ら将校は六本木第一師団司令部(防衛庁跡地)前の中華料理屋でしきりに会合(飲食?)を開き、談論風発をやって、決起、決起と気勢をあげていた。それが官憲に筒抜けにならないわけがなかろう。それなのに、将校が事件直前に弾薬庫から実包(実弾)を運び出しても黙って通過せているのだから、こんな見え見えの策謀はない。
皇室も財閥も「クーデターによって為替の相場を下落させて、売買の操作によって利を求めるドル買い事件にすぎなかった」この2・26事件を、すべて芝居でやらせたのではなかったか。
つまり、すべては財閥と天皇の書いたシナリオに従っていただけで、すべては企画された事件だったのではあるまいか。
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/6863442c2632a11902486caa91a0cb55
昭和天皇は、自分の恋(つまり後の良子(ながこ)香淳皇后との恋)を成就させるために、右翼勢力の力を借りた。そのために右翼の台頭を許してしまい、かえってみずからの統帥権をその右翼壮士らに脅かされる事態になったので、その動きを壊滅させるために、右翼の首領で日本政治に隠然たる力を行使していた頭山満を使って2・26事件を起こさせ、一気に理屈をこねる右翼を壊滅させたと鬼塚氏は見る。
そして自らの統帥権をしっかりと把持すると、いよいよユダヤ国際金融資本の陰謀に乗せられて、支那大陸へ、東南アジアへと戦争を仕掛けていくのである。
昭和11年2月が2・26事件であり、翌年8月には第二次上海事変が起きて、一気に支那事変が拡大していく。
これを見れば、あきらかに天皇や財閥が、支那へ戦争を仕掛ける意図をもって、事前に2・26事件を起こしたらしいことが見てとれる。
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/bd61d9d5c3085df3fddc6adf68c4c7d2
本来であれば、忘れ去られてしかるべき歴史的事件が、今もなお、
「昭和史最大の謎」として話題になるところは、2・26事件のす
ごさでしょう。
1年半前に我々がとりあげた鬼塚英昭さんの「日本のいちばん醜い日
」は8・15クーデター未遂事件は、天皇側が仕組んだ偽造クーデ
ターと考えています。そしておそらく2・26事件も。
また、8・15事件のシナリオを書いて、細かな演出をしたのは塚
本誠憲兵中佐だと紹介しています。
驚くことに、8・15クーデター事件の背後で暗躍していた塚本誠
中佐は、2・26事件のときも背後にいました。
塚本は当時、上海で憲兵をしていましたが、昭和「11年11月に(大阪
の留守宅で)三男が生まれた」とありますから、昭和11年2月ごろ日
本にいたようです。おそらく上海をベースにしながら、偽クーデターが起きるように日本にちょくちょく帰って煽って歩いていたのではないかと思われる。
記述のない前日まで日本で暗躍して、当日はアリバイ作りのために上海にいたのではないかと思われます。鬼塚さんは2・26も8・15も、天皇側が仕組んだ偽クーデターと考える。 またシナリオと演出は塚本誠憲兵中佐だとバーミガニの記述を紹介。
「塚本は、1934年に陸軍大学における北進派即ち征露派の陰謀を暴露するのに
、宮廷の密偵を助けたことで、天皇の注意を惹いた。彼はそれから1935年の間
じゅう、大阪で皇叔東久邇宮の下で様々な秘密計画に携わった。その1つは(略)
永田軍務局長の殺人であった。」
http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/220305.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/220216.htm
02. 中川隆 2013年3月01日 19:29:08 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ 著 松崎元 訳
2・26事件
忍び寄る大詰め
皇位周辺の我欲旺盛な古参忠臣たちにとって、身の危険を心配するもっともな理由があった。というのは、裕仁が実際に彼らが暗殺の標的であるかのように言い、暗殺を準備中の者たちに行動を起こす動機を与えていたからだった。暗黙のうちに繰り広げられてきた北進派との三年間にわたる内紛は、もはや充分長引いており、いよいよ決着の時を迎えていた。裕仁とその一族は、公然たる叛乱のみが、国民を恥入らせ、その不平、不満を根こそぎ払しょくさせるに足る大義名分となりえると見ていた。同様に、北進派の荒木、真崎の両将は、同期の古つわものたちと共に、兵卒層の叛乱が充分に大規模で長続きしうるものならば、大衆の支持を獲得でき、裕仁に影響を強いうると考えていた。
来る対決のために選ばれた暗殺実行者たちは、前年に士官学校事件を起こした若手国体原理派の反ファシスト尉官たちであった。彼らが騒動の中で献身的穏健派と見なされたのは、名目的に北進派と連携していたものの、彼ら自身は対外戦略なぞにはとんと関心はなく、国内の改造と公明さをのみ欲していたからであった。
これらの国体原理派の若手らは、その決起を1935年11月とする可能性を探るため、酒場や場末の待合で、会合を持ち始めていた。その会合の首領は、二人の元陸軍の同僚、村中と磯部で、この二人がこの三月に、1931年の三月事件への永田の関わりを喚起させるための扇動小冊子を書いていた。この小冊子は、7月に真崎大将を追放する闘いの最中、閑院参謀総長に宛てられたものだったが、それは閑院を怒らせてしまった。この二人の小冊子作者を陸軍から除隊させる許可を天皇より得るため、7月30日、閑院親王は林陸相を葉山の御用邸に送った。現役の兵士を予備役に移籍させることは、陸軍内の問題分子への処罰としては特異な扱いではなかったが、陸軍から完全に除隊させてしまうのはいかにも異例だった。彼らの同僚たちは、除隊で新民間人となった憤懣やる方ないこの二名に大いに同情していた。
裕仁の弟、秩父親王は、士官学校の同期生である四人を通じて、国体原理派の計画を個人的によく承知していた。彼はこの四人を、いつも自邸に呼んでは歓談していた。またこの後、この四人に銃殺刑の処罰が決まった際、自分たちは秩父親王から勇気付けられたのだと、空しい訴えを行うこととなった。その内の一人は、次のように記した悲嘆の一文を家族に残した。「秩父親王は私にいった。 『クーデタの時、私は君が仲間の先頭に立ち、兵営から行進して出てゆくところを見送らせてほしい』 」。他の一人は、刑務所で書いた一連の詩を残した。この詩は、憲兵隊が押収し、秩父親王の馬番に手渡された。秩父親王は、それに目を通し、それをその若者の家族に返した。その際、秩父親王妃がその内の数編を自ら選び、それを美しい台紙に張り、額にまで入れて返還したため、後に残された両親は、それを身に余る名誉と受け止めていた。
天皇の二人の叔父、東久邇親王と朝霞親王は、その若い策謀者たちとしばしば語り会い、彼らの憤懣に同情を表した。しかし、彼らに最大の激励を与えた人物は、北進派に手先を浸透させようとの宮廷からの命を受けていた、マレーの虎こと、山下少将だった。山下は、よくその若い策謀者たちと酒場で会い、酒を飲み交わした。そこで山下は彼らに、一般参謀諜報部長をしている三番手烏の岡村少将と、陸軍省報道対策班の根元大佐――永田が殺害された時、剣士相沢に祝福を与えた――を紹介した。山下少将やその同僚は、そうして得た彼らの観察結果をすべて、閑院参謀総長に報告した。
国体原理派のその若者たちは、天皇の側近から受けた注目に歓喜していたが、用心すべきことは知っていた。彼らは、友人たちから、利用されないようにと警告され、「貴様らは、まるで左翼の衣を着た右翼だな」 と冗談まぎれに言われていた。そうして彼らは、北進派の指導者、元陸相の自宅に代表を遣った。荒木は笑顔で彼らを迎えて激励したが、自分の言質をあたえることのないよう、慎重に対応した。彼らは山下少将――南進派のスパイ――のもとに戻り、「周到な準備なくしては行動しないよう」 との助言をもらった。彼らは、決起の日を、欧米の外交武官が祝福休暇に入っている1935年のクリスマスの日に暫定的に設定した。(36)
12月20日、彼らは、北進派の第二の指導者、真崎のもとに遣いを送った。彼は遣いに、叛乱を考えるのはおろかなことで、それを、すでに打撃を受け、常時警察の監視下にあると解っているはずの自分のところに相談にくるとは、二重におろなかことだと言い渡した。彼らはさらに、三番目の北進派の将官# 1に会い、いっそう明瞭な助言をもらった。 「天も、陛下も、そして大地も、すべてが君らに反対している。統制派(南進派)の連中は、生煮えの準備で決起する君らを、大掃除のいい機会だとして、手ぐすね引いて待ち受けているのだ」(37)。
# 1 この将官とは、荒木陸相の下で副大臣であった、柳川平助中将である。彼は、天皇には穏健北進派として知られ、顔の広い鈴木大佐の親しい友人であった。この時、彼は、台湾軍司令官として、厳格な寺内に代わり、台湾に赴任するところであった。後の1937年、彼は、日本軍の南京制圧を可能にした杭州湾上陸作戦を立案して、天皇の目から、北進派の汚名を取り除くこととなる。
南進派部隊からの潜入者、山下少将は、12月22日に、東京北部の高級割烹で若手理想主義者たちと会うことに同意していた。しかし彼は、その約束を守らず、その夕べを通して、彼が現れるのを空しく待たされている間に、その謀議者らは、クリスマスの日の蜂起の計画は無理だということに決めてしまった。そしてその帰路途上、その内の一グループは、ある警察署に立ち寄り、自主的に自分たちの計画について、全面的に報告することとなった。(38)
まだ泳がされていた謀議者らは、クリスマスの前夜、北進派の理論家で、強靭な急進的著述家、北一輝の自宅に立ち寄り、慰労にと、酒を少々ふるまわれることとなった。北は、1922年に裕仁の教化機関である皇居内の大学寮への参加を断り、天皇の特務集団から最初に離脱していた。憲兵により数年間にわたって鍛えられた経験から、北はそうした若手に、辛抱強く、時期を待つようにと諭した。そして彼は、前首相の斎藤が内大臣に任命されたことに抗議する小規模な集会に参加してはどうかと、彼らに持ちかけた。北は彼らに、斎藤は1934年の帝国人絹疑獄にからんで賄賂を受け取っていることを確信させた。12月30日、その抗議集会は予定通りに開催され、これまた予期した通り、警察によって解散させられた(39)。その際、若手将校の幾人かが拘留されたが、彼らの計画を満たさせるかのように、数日後に釈放された。
その年の暮れ、大兄で内大臣秘書の牧野侯爵は、自分の日記に、謀議者の最新の叛乱計画についての警察報告を書き込んでいる。それは例えば、歩兵第一連隊第一中隊は内務大臣公邸を掌握、歩兵第三連隊第三中隊は首相を殺害、歩兵第一連隊第二中隊は斎藤内大臣を捕縛、等々(40)。幾つかの詳細を除き、それは1934年の士官学校事件計画と事実上同じで、それはまた、その通りに、その二ヶ月後に実行されたものであった。かくして、その運命的新年を迎えるまでに、宮中の侍従たちは、暗記しているほどに、その計画を知り抜いていた。
もし、思いこみの強い宮廷人の誰かが、陸軍将兵の意識の程度について疑いを抱いていたとしても、一月のある日、日本の歩兵の全連隊がその任務中、非任務中の将校ともども、満州国境を越えてロシアに入り、赤軍に投降してしまい、その疑念が現実のものとなってしまうとは予期していなかったろう。そうした将校たちは、国家政策を北進へと変えさせようと、事件をおこそうと望んでいた(41)。その将兵たちは、ただ、その職務執行にあたる満州国の拷問と殺人の地獄から脱け出そうと欲していた。かって日本軍の兵士の誰も、外国軍のもとへと脱走することなどなかったが、いまや、政権の誰もが、絶望のみが彼らをそうした行動に駆ったのだと覚らされることとなった。
もの言う大神(42)
まさに発生しそうな出鱈目な叛乱に備えて、裕仁のしたたかな叔父、東久邇親王は、過去に裕仁を歯に衣を着せずに批判した貴族を土着宗教を使って脅し、口を封じた。1935年11月22日、東久邇親王は、宗教取り込み詐欺師で腹話術師の、小原たつお、別名、小原竜海〔りゅうかい〕を、皇居南端の明治天皇旧御所にある、当時未使用の一室に呼んだ。そこで東久邇は竜海に、皇室の式服一式や、裕仁の手袋や菊の紋章入りの煙草ケースなどを、彼の好意の印として与えた。竜海はこれらの品々に、口をきく観音像――少なくとも、彼はそう見せることができた――を加え、東京郊外椎名の入船に御堂を設けてそこに祀り、神託所としての事業にした。
東久邇の紹介によって、竜海は、元宮廷女官長の島津治子――1933年に赤化事件と妾問題に絡んだために皇居を追われた――の後援を獲得した。しかし島津夫人はただ、精神を高揚させ身震いのする彼の交霊術を気に入っていただけだった。彼女の親しい友人も同様であり、また、彼女は理想的な人脈をもっていた。皇后良子の母のいとこ、そして、裕仁の母の貞明皇太后の親友として、彼女は、貴族階級の高齢世代で、―国政に高度な倫理的関わりをもつ、ほぼあらゆる親近的集まりと、強固な霊魂的関係を保っていた。伯爵、伯爵夫人に加えて、彼女の知人たちには、退役陸海軍大将、在郷軍人会の指導者、反機関説論者などなどがいた。そのうちの最も懇意な友人が、神道神主の秦真次で、彼は真崎を追放する争い中の南進派に不利な資料を提供した元東京憲兵隊々長であった。
1月半ばまでに、島津夫人は、竜海の観音像の腹話術的神託を聞き、霊魂の顕現に参加するため、彼女の友人たちをたくさん連れてきていた。竜海のきらびやかな御堂の外には、本物の刑事が立ち、夜を通し、参加者に関しての記録をつけていた。後の警察報告では、老いた海軍大将山本英輔が、その「集まり」 の常連として、目立っていたとしている。彼は、国体原理派の若手叛乱者が政権を握ろうとした際の首相として、第一の候補者にあがった者の一人だった。他の際立った常連参加者たちは、東京の上流階級の夫人たちだった。その誰もが、そうすることで、数ヶ月先の身の安全が得られると説かれていた。
降霊会では、貴族階級の一同は、竜海がさずける東久邇親王についての堕落と哲学の合成物を聞かされた。そしてゴシップ談が一同を楽しませ、また、おじけさせもした。1936年12月に療養所に収容された後の警察記録に残された元宮廷女官長の島津治子の話では、参加者の前に生者死者双方の霊魂が現われ、あらゆるたぐいの皇室を冒涜するような話を、次のように告げたという。
難波大助 (1923年に裕仁の暗殺に失敗して処刑) の死霊が秩父親王 (裕仁の一番目の弟)の生霊と共に現れ、秩父の霊が、難波は自分の婚約者の処女を奪ったと言った# 2。
高松親王 (裕仁の二番目の弟) が霊となって現れ、彼の実母は、大正天皇にはべった女官の一人の、何某様だ・・・・
皇太子時代の裕仁仕え、切腹した侍従(乃木大将)が現われ、その霊は、 「秩父親王が正式の皇太子に着くべきだと主張したが退けられた・・・」と、親王自身の服装を着けて言った。
大正天皇の侍従の霊が現われ、自分は貞明皇太后(裕仁の母)の愛人だった、と言った・・・
九条家の人たち(貞明皇太后の兄弟と義理の妹)が質問をした。
秩父親王の生霊が現われ、礼子(伊藤礼子で学習院での赤問題に絡んでいた)との情事関係を話した。
あらゆる鏡には、表と裏の両面がある。我々の鏡の表面には、我々が大神を崇拝すれば我々は守護されると公に刻まれている。だがその裏では我々は、皇族の役目は、最終的に、天皇維新への道を清め照らし出すことと信じている。裏面はそうした意味をはらみ、表面がいつの日か裏面にお目見えできると平民に説いている。信仰心の篤い人でも、裏面に達するのは序々にである。そのさらに鏡の裏の先には、ひまろぎ等といったさらなる光明があって全き天啓をもたらしている。最も意識の高い人のみがそこに到達しえ、それはめったにあることではない・・・
7月17日に、この世のあらゆる霊魂の集いがある。五光が初めてお集まりになる・・・ 明治天皇の御霊は、貞明皇太后の用件にさかれ、今回は参加されない# 3。この集いで、国体明徴と維新――神の治世と神の世――への道が開示される。
五光がなす使命は、摂政を決め、年少の皇太子(現天皇、明仁)のために補佐を選ぶことである。霊魂の世では、皇太子は明治天皇の霊魂を引き継がれ、同時に、偉大なご自身でもおられる。これは我々に明示されてきていることだ。従って、秩父親王は高松親王に道をゆずって引退し、高松親王が補佐と摂政になられる。現天皇は、15年後(1951年)に亡くなる・・・ 現天皇は前世からの罪をあがなう因縁があり、国体明徴の道と維新の実現はできない。彼は早い逝去が避けられない。我々は、大神の維新と国体明徴をなしとげるために、開明をなしとげ、我が国土の大神に至高をささげねばならない。これがいわゆる天の岩戸開きであり、我々がそのための鍵を持っている・・・五光は十、二十、四十の光となる・・・我々は信奉を続け、広げなければならない。
# 2 兄弟を混同しているようだ。皇后良子の兄、朝融は、1924年、婚約を破棄した。それは、その婚約者が難波の近親者と関係をもっていたからであった。(43)
# 3 貞明皇太后は、息子の裕仁に対する小陰謀事件に巻き込まれた。五光の正体は不明である。ある教育ある日本人の推測では、4人は数世紀昔に天皇のために死んだ忠臣であり、一人は最近犠牲となった、一番手烏の永田であろうということだ。
島津夫人が警察で思い出したことは、かくもとりとめのないことだった。しかし、たとえ話が猥雑でつかみどころがなくとも、その話を反論もなく聞いた者には、大逆罪を確信させるに充分なものであった。また悪いことに、その神秘主義は、裕仁を排除することを確かに欲し、裕仁の統治の間の多くの殺人の罪を裕仁にきせているように、いっそう見せてもいた。
最後の扇動
1936年1月27日、東久邇親王は、1933年の神兵隊事件に連座した疑いで投獄されてきたおよそ500名の屈強な剣士が釈放された時、新たな脅迫の手段に出た。東久邇に忠実な使い走り、安田予備役中佐の監視下で、仮釈放中の彼らが拠点を設立し、叛乱部隊――もし、来る叛乱に何らかの不発が生じた場合、その代役に使える「選りすぐりの部隊」 ――として何時でも動ける用意を整えていた(44)。東久邇の手下の安田は、その動向の情報を使いを通じて東久邇の屋敷の門衛# 4に逐次伝えた。実際には、この予備部隊が役立つことはなかったが、彼らは、この予備部隊となることで、刑の執行からは逃れることができた。
# 4 東久邇の守衛班長は清浦末雄大尉だった。彼は、1924年の長州閥排除の際、裕仁が閑職から引き立てて政府を率いた、清浦元首相の八男。(45)
1936年1月28日、永田の殺害者で、東久邇の部下の相沢少尉の軍法会議の裁判手続きが開始された。この手続きは、第一師団の兵営で、感情的に最も高ぶった雰囲気の中で進められた。第一師団は、東京に拠点をおく、二つの師団のひとつで、反ファシストの国体原理派の若手将校がもっとも結集していた師団であった。またそれは、過去の陰謀計画の中で、どの師団より多数の叛乱軍を提供することが期待されていた師団でもあった。軍法会議の相沢被告は、1926年から1931年まで、その師団で大尉と少佐を勤め、その師団の将兵は、その12月に、満州の守備隊任務に直ちに移駐されることが通告されたばかりであった。第一師団はそれまで、戦時下の作戦行動を除き、海外に派遣されたことはなかった。
暗殺者相沢を担当した弁護人は、満井佐吉中佐だった。彼は、二年前、三井財閥の幹部宅に押し入り、また、数ヶ月の間、北進派の兵卒の中で、南進派のスパイ、山下少将と緊密に共同して働いた。1937年には、満井は、1936年の叛乱に参加した罪で、三年間の執行猶予の判決を受ける。さらに1942年の戦時下、彼は国会議員に選出される。
相沢の公判では、彼は満員の法廷で活躍した。 「もし、この裁判に誤りがあれば、それは深刻な結果をもたらしましょう。・・・もし、この法廷が、相沢が従った精神の理解を誤れば、第二、あるいは、第三の相沢すらが現れてくるでしょう。・・・圧倒的多数の下士官は、陸軍が影響力を失っているとしてその一掃を決断しており、国民も、陸軍が真に天皇の軍隊であることを証明するよう、心底から望んでいます」、彼は演説した。
暗殺犯相沢は、被告席に着かされ、同情的な反対尋問を受けた。彼は、東久邇親王と朝霞親王と会ったことについては、ひと言も漏らさなかった。しかし、永田を殺すためではなく、警告するための最初の上京について証言し、「私は車中では眠れず、翌朝、あたかも空から聞こえてくるような声で、早すぎる行動はするな、と言うのを聞きました。・・・後になってから、私は、永田があらゆる悪の根源だと知りました。もし、彼が辞任しようとしないのなら、するべきことは、ただ一つでした。私は、自分を鬼にし、一刀で彼の命を終わらせると決心しました。・・・統帥権により、教育総監が軍事参議院の名誉職に転任させられた時、私には、皇軍を私兵化したかに感じました。」
大兄で内大臣秘書の木戸は、相沢裁判の進路を閉ざし、その行方に懸念をもたらした。しかし、2月2日、入念な調査の後、彼は、すべてに問題はないと決断した。彼は、弁護人の満井中佐を、満州征服を計画した石原莞爾大佐や、後にアメリカの小型砲艦パナイ号沈没させた火付け役の橋本欣五郎大佐らと比べてみた。三人は皆、国内改造の必要を感じており、国体原理派に同調していた。「しかし、いざという時においては、彼らは外部者と統一戦線を形成するだろう」、と木戸は結んでいる。(47)
相沢裁判が進行する一方、国会が解散し、国は1932年以来の二度目の総選挙戦に入った。陸軍の北進派は、伝統的な武士道精神の綱領を掲げて〔機関説排除を訴えた〕政友会を押した。反政友会、裕仁の統制派そして清軍運動は、現職の岡田首相を押した。彼らは、ファシストに傾き、「議会政治かファシズムか」とのスローガンのもとで運動した。人々は、そのスローガンに動かされ、205議席のうち、174議席を政友会に与え、地滑り的勝利をもたらした(48)〔訳注〕。それは、裕仁の公式の表明が支持され、彼が密かにもてあそぶファシスト構想が拒絶されたことは明らかであった。
〔訳注〕 この選挙結果は誤り。1936年2月の総選挙結果は、政友会が敗北し、他方、解散前3議席であった無産政党が、社会大衆党をはじめ21議席に増やした。これは、軍部と戦争政策への有権者の批判と読みとれる。ここに述べられているように政友会が大勝したのは1932年の選挙の結果で、著者は両選挙結果を混同している。
土壇場の勇気
一月中に、反目する国体原理派の若手将校たちは、秩父親王、川島陸相、北進派の真崎大将のもとを訪問した。三人はいずれも友好的ではあったが、支持も邪魔もしないといった、どっちつかずの態度であった。たとえば、真崎大将は、彼らに金を貸してもよいと言いながら、「何が生じても、誰から提供されたかは言わないように」 とつけ加えた。
1月28日夕刻、謀略者たちは、同調的な中隊長、山口一太郎大尉――裕仁の侍従武官長本庄大将の娘婿――と会った。2月10日に彼らは再び、山口大尉と彼の勤務する第一師団、第一連隊の参謀室で会った。そこで初めて、彼らは叛乱の計画の具体的な作戦行動について話し合った。その翌日、北進派の理論家、北一輝の自宅に代表を送り、彼の弟子で従事である西田力に会った。彼らと同じく、西田も秩父親王の友人であり同窓生であった。1921年に秩父親王のために書かれた一輝の急進的な論文を最初に謄写版刷りにして知識人に配ったのは西田であった。今、彼は謀反者らを歓迎し、彼らのために大衆的な支持を集めることを約束した。
2月15日、消極的な叛乱兵士たちは、宮廷から送り込まれている監視役、山下少将と再び会った。その翌朝、若手将校らは、自連隊の兵器庫の武器を得る手順を確認した。また翌々日には、安藤輝三大尉――山下少将に最も親しい陰謀首謀者――は、仲間の会合において、 「私はもうあえて決起する気はない」# 5と率直に吐露して、陰謀計画に冷水をあびせた。
# 5 1932年、犬養首相暗殺の後、山下の命令で、安藤は、東京大学の学生で血盟団と牧野内大臣の間の連絡係であった四元義隆を自分の住居に数日間かくまった。
安藤が一同を白けさせた後、他の陰謀者たちはなんとか、 「次週の半ば」 を決行日と決めた。そしてその翌日の2月19日、陰謀者間のさらなる会合で、東海道を下った豊橋の陸軍学校の同魂同志が計画に加わり、老公西園寺親王を暗殺することを引き受けたと知らされて元気付けられた。
2月21日、一年前に扇動小冊子を書いて軍を追われた磯部と村中は、侍従武官長の娘婿の山口と再び会って、再確認をとった。第一連隊の週番司令として、山口は、自分の連隊には、叛乱に参加しない者でも、それを制圧する命令は誰も受け取らないことを確約した。その夜、週番司令の山口は、北の理論の謄写刷版発行者の西田――北進論の第二の理論家――を自宅に招き、師の北に、決起の日は2月26日に暫定的に決まったことを伝えるように頼んだ。(49)
決起日4日前の翌朝、若手将校たちは集まり、互いに緊迫していることを認め、そして、東京を占拠しえた時、壁に掲示し、ラジオで放送するつもりの趣意書の最初の文案を書いた後、散会した。(50)
決起日3日前の2月23日、若手将校たちは、彼らの兵器庫から2,000発分の弾薬を運び出し、また、新たな大尉や中尉を数名、仲間に迎えた。西園寺親王を暗殺する計画は、政治に長けた叛乱の支持者から異論が出た。そこで同日、本庄の娘婿の山口は、失墜した北進派の真崎大将に相談をもちかけた。すると真崎は山口に、情報屋の亀川哲也――政友会の一部# 6から叛乱への資金援助を得る仲介役をしてきていた――に会うように助言した。(51)
# 6 ことに、日立財閥の創設者、久原房乃助。彼は、株式と広範な資本財の保有に基ずくアメリカ式資本主義の熱心な主唱者であった。
決起日2日前の2月24日、情報屋の亀川は、相沢の裁判を担当する民間人弁護士を訪ねて蜂起計画の全てを明かし、追放された真崎大将を次期首相に推薦するよう西園寺親王を説得するよう、協力を依頼した。その弁護士は、名を鵜沢聰明という西園寺の友人で、出来るだけのことをし、西園寺には暗殺されようとしていると警告するとすると約束した# 7。(52) この警告は、西園寺の執事で国会議員の津雲国利と、西園寺の以前の秘書である事業家中川小十郎をはじめとする、入り組んだ経路を経て、興津に届けられた。(53)
# 7 一年後、法務大臣のおひざ元の秘密軍法会議において、憲兵隊は鵜沢弁護人を叛乱の共犯者としてその告訴を試みた。しかし、鵜沢がタイミングよく西園寺に警告を与えていたことが、彼を投獄から救った。というのは、数回の審判の後、西園寺に感付かれることなく鵜沢の裁判を続けることは困難なため、彼に対する裁判は取り下げられたからであった。(54)
西園寺はその警告の信頼性を疑うことなく、即座に対応した。そして、興津と東京の宮中との間に敷かれている、スパイ秘書の原田という 「確実な連絡回路」を作動させることにした。西園寺は、使用人たちに、あたかも何も知らないよう、また、あたかも老いた主人が何事もなく在宅しているかのように、自然にふるまって電話に出るように指示した。その上で自分は、椅子かごに乗って、密かに、自宅の裏山に移動した。そうしてその人目につかない道で公用車に乗り移り、警護の厳重な静岡県知事公邸へと運び去らせた。(55)
一方、同じ決起日二日前、野中大尉――秩父親王と親しい叛乱将校の一人――は、趣意書案を北進派理論家の北一輝宅へと届け、それに手を加えてくれるよう依頼した。北は、その軍人たちが書いた無骨な文章を、火炎のような論理と難解な漢文調の文体に改め、古典風名文に作り替えた――これが数日後、天皇裕仁に読み上げられることとなる――。この手直しの後、野中大尉は、北の手下の西田と北の仕事部屋にこもり、その文案を清書し、皇位に提出するための巻物に仕上げた。(56)
その夕刻、本庄の娘婿の山口大尉は、第一連隊の指令室で謀反者らと会い、叛乱計画の詳細をつめ、陸軍大臣公邸、陸軍省、そして一般参謀本部の警護地図を謄写版印刷したものを200部与えた。
決起日前日の朝、謀反者らは、かねてからの陰謀の黒幕である前内大臣の牧野が、二時間ほど隔たった湯河原の田舎旅館に隠れているところが発見されたと伝える彼らの一妻からの手紙を受け取り、活気づけられた。この情報に基づき、一人の若手将校が、同志が東京で決起するのと同時に襲撃する準備を整えるため、湯河原へと車で送り出された。(57)
同じ朝、追放された北進派の真崎大将は、相沢の裁判の弁護側証人として呼び出されていた。彼は、相沢に代わって、宮中の要職にあった者が天皇の許可なく執務中に知り得たことを暴露することは出来ないことを理由に、問われた質問に答えることを拒否した。そして法廷では、真崎は多くをしゃべらずに50分を過ごし、新聞記者の質問にも、その返答を拒否した。その日の午後、相沢の軍人弁護人、満井佐吉中佐は最終弁論を述べたが、能弁ではあったものの、事実はには言及せず、ただ心証を述べただけであった。(58)
かくして、裁判が開かれていた第一連隊の兵営では、相沢は絞首台に送られるのを黙って受入れ、真崎は沈黙のうちに退役し、そして結局、南進派が勝利するだろうことは、誰の眼にも明白となっていた。第一連隊の若手将校たちは、信念上の望みの余り、自分たちと同世代の天皇が、現実を充分に知っていないのだろうと感じていた。だからこそ、山下少将を通じ、あるいは、侍従武官長本庄の娘婿である山口大尉を通じ、あるいは、秩父親王を通じて、彼らは、裕仁には真実を示し得るだろうと考えていたのだった。(59)
ついに流血(60)
高貴な人々の勇気付けから三ヶ月以上が過ぎた時、謀反者らは遂に、面目躍如に行動を開始した。その夜を通し、一団をなしていた19人の尉官は、第一および第三連隊の同朋将官たちに号令を発した。秩父親王は1922年から1935年8月まで第三連隊に属しており、彼の名は彼らによって〔同志として〕自由に使われたが、新たな参加者は、いずれも少尉である二名を獲得しえたのみだった。それに、謀反者たちが同僚たちから引き出しえたものも、良くても、邪魔をしない誓い程度だった。
2月26日、午前2時、皇居からおよそ20区画離れた麻布の第一、第三連隊の兵営に公然と起床ラッパが鳴りわたった。それからの一時間に、まだ眠気に捕らわれていた兵士たちは、陰謀者からの長広舌と、反陰謀者からの警告の双方に見舞われた。それでもなお、兵士たちは高揚した気持ちをもって行動を起こし、午前3時30分頃には、1359名の兵士と91名の下士官たちが、計画に関わってきた2名の大尉、8名の中尉、11名の少尉に従っていた。午前4時には、装備を着けた叛乱兵らは出発を始めた。彼らは、およそ8,500名兵士を兵営に、まだいびきをかいている将校多数を近くの上官宿舎に残していた。彼らはまた、侍従長本庄の娘婿の山口大尉を、邪魔をしないという誓約を守らせるために残していた。
二月の朝の厳しい寒さの中、兵営の外では、皇居の聖域内の兵営から、精鋭近衛師団第三歩兵連隊第七中隊が彼らに合流した。この合流部隊は、他の部隊と違って、自分たちが叛乱を起こしているとは知らなかった。秩父親王の友人で彼らの指揮官である中橋基明中尉は彼らに、明治神宮での神事のために行進すると説明していた。13台のトラックが先遣隊を運ぶために待機していた。三人の見習い医師が、負傷者が出た場合に備えて同行していた。
東京は一面、雪に覆われ、まだ雪が降っていた。雪を踏みしめる兵士たちの靴音が、まだ暗く人けのない街路に響いていた。彼らの兵営から皇居までは、1マイル半〔2.4km〕もなかった。午前4時30分までに、堀に囲まれた皇居に近い東京の官庁街の神経中枢のすべてに、偵察兵の列による無言の警戒線が張られた。そこには、国会、陸軍省、幕僚本部、警視庁、国土地理院、内務省、外務省、そして、海軍省と軍令部が位置していた。さらにその警戒線内には、閑院親王、高松親王、内大臣、正副陸軍大臣、正副外務大臣、内務大臣、そして首相の公邸があった。
午前5時までには、叛乱軍は、主要な目的地を占拠し終わっていた。前線司令部を設置する予定の山王ホテルでは、宿泊客――2,3名の西洋人が含まれていた――が起こされた。それらの客は、ホテルの交換台に配置された人員により、丁重に東京の他のホテルや旅館に新たな部屋がとられた。陸軍大臣公邸では、叛乱兵士は自分たちの存在を川島陸相に通告したが、重い風邪で寝ている必要があるとの要望があり、彼らは、面会のために大臣が起床できる午前7時まで、そのままにしておいた。警視庁では、夜勤にあたっていた巡査たちに彼らが加わって、外部の歩哨が二倍となった。
参謀本部では、灯りがこうこうとともされ、今や作戦課長の石原莞爾大佐――満州作戦の戦略家――が、遅ればせに届いた決起の報を受け取り、部下と会議を持っている最中だった。午前5時頃、石原大佐は自室から飛び出してきて、外で任務についていた叛乱軍の歩哨一人を撃ち、自分の公用車で自らがすべきことを成しに出て行った。しかし、時はすでに遅しであった。(61)
暗殺部隊は、 「君側の奸」〔天皇の傍に使える悪人〕 を殺すために、5派に分かれてすでに出発していた。午前5時5分、その第一派が襲撃を開始した。近衛師団の中橋基明中尉に率いられた百名の兵士は、もじゃもじゃの髭を蓄えた日本金融界の “サンタクロース” かつ、秀でた異端派経済専門家である大蔵大臣高橋是清、81歳、の自宅を取り囲んだ。屋外で守衛に当たっていた警官を負傷させた後、中橋中尉は住居内に押し入って老蔵相の寝室に駆け込み、布団をはぎとって 「天誅」と叫んだ。高橋が眼をさました時、中橋は彼に三発発射し、さらに周到に、刀で二度、突き刺した。彼は即死した。
同じころ、200名の兵士と一人の中尉、三人の少尉からなる第二派の殺人部隊は、新たな内大臣で元首相の斎藤実大将宅を包囲していた。物腰柔らかく、好人物のその老貴族は、前夜遅くまで、アメリカ大使館でグリュー大使夫妻とジャネット・マクドナルド=ネルソン・エディーの映画、 「Naughty Marietta」 を鑑賞し、ぐっすりと寝込んでいた。 (62)
若い尉官たちが駆け込んでくる音を聞き、斎藤子爵夫人は夫の脇からとび起き、彼らの眼前で寝室のドアを閉じ、 「ちょっとお待ち下さい」 と叫んだ。
尉官たちがドアを蹴破ると、斎藤大将は起きて、夫人の後ろに寝巻姿で立っていた。三人の尉官はほどんど同時に彼を撃った。夫人は夫の体に被さってしっかりとしがみつき、泣き伏した。尉官たちは、彼女を引き離すことができないため、その体の下に武器を差し込み、ヒステリックにさらに銃弾を撃ち込んだ。後の裁判で、彼らはその老人の喉を切ろうとしたが、婦人が邪魔でそれが果たせなかった、と証言している。 (63)
全部で47発の銃弾が斎藤大将の体に撃ちこまれ、夫人は両腕と肩に傷を負った。暗殺者らは、引きあげる際に玄関の前で静止し、天皇陛下に 「万歳」を三唱して立ち去った。
暗殺部隊の第三派は、山下少将の手下、安藤輝三に指揮され、侍従長の鈴木貫太郎大将宅を襲撃した。彼らは、門前での守衛警官との小競り合で手間取り、10分ほど遅れた。鈴木侍従長もその前夜、グリュー夫妻といっしょだった。安藤は、彼が夫人といっしょに寝ているところを発見し、彼と国策について議論してさらに時間をくった。侍従長はなかなかの口上手で、安藤大尉と10分ほどの遣り取りを交わした。
だが、公式記録によると、午前5時10分、ついに安藤は、拳銃でその議論を断ち切り、その68歳の侍従長に三発を発射した。彼は、脇に居た夫人に、 「まだ脈がおありなので、彼に刀でとどめを与えたい」 と言った。
武士道を心得ていた夫人は、 「どうしても必要というなら、私がそれを致します」 と答えた。 「恥じ入った」 安藤は、そこでその部屋を後にしたという。
その後二日間、叛乱軍の同志が雪の中を警戒している間、安藤は近くの料亭 「後楽」 で時間をつぶしていた。そして、叛乱が不成功に終わった時、彼は自殺を試みたが失敗した。明らかに、彼はその狡猾な老被害者と取引をしていた。侍従長鈴木は、四日後、危篤状態を脱して生き延び、後に、戦時中最後の首相となった。
鈴木は、後に好んで話したように、 「みっともない」 死にそこないを演じた。彼に発射された弾丸の一発は、彼の急所に残っていたらしく、彼を手術した外科医は、「金玉から鉛玉」 を摘出した自分の処置の手際の良さを、偉業めいた歌にして書き残した。
侍従長の鈴木が苦痛と格闘している時、300名の兵隊と五人の尉官からなる第四派の暗殺部隊は、三人目の南進派海軍大将、岡田啓介首相を襲った。彼の公邸は、フランク・ロイド・ライトの設計になる帝国ホテルを模した奇怪な建築物で、四年前、犬養首相がそこで、霞ヶ浦の飛行士によって撃たれていた。先の悲劇や数々の警告話にも拘わらず、わずか4名の警官が警護についているのみだった。襲撃部隊はその四人を射殺し、五人の尉官は公邸の迷路のような廊下や各部屋を手分けして捜索し始めた。
73歳の首相は、前夜を名高い芸者の妾と過ごした後で、自分を守ろうという気概はもうなえていた。そして、 「万事休す。何をさわぎ立てる」 と、悲惨げに言った。
だが、彼の女中や秘書官で義弟の松尾伝蔵大佐は、彼を寝床から引っ張り出し、彼の部屋を出て使用人区画へと急ぎ連れて行った。捜索する兵隊の足音が聞こえると、彼らは首相をそこの便所に礼儀もなく押し込め、そして彼に、内側からかんぬきをかけて閉じるようにと言った。そうしておいて松尾大佐は、英雄的な行動に出て付近の中庭に跳び出して「天皇陛下万歳」 と叫んだ。彼は瞬くうちに機関銃弾の雨を浴び、彼の顔はほとんど識別が出来ないほどの様相と化した。
彼を撃った兵士たちがその遺体を岡田の寝室に運び、吟味した。彼らは写真とその顔を見比べ、女中たちの機転も手伝って、それが岡田首相だと判断した。
その朝、憲兵隊員が叛乱軍によって占拠された皇居の堀に沿った地域に入りこみ、兵士たちと平穏に接触した。そうして捜査をしているうちに、憲兵隊は、首相公邸の女中から、岡田首相がまだ生きていることをつかんだ。岡田の秘書官の娘婿やその付添いが、首相の身代りとなった松尾の葬儀をするようにと、叛乱軍の警戒線を越えて呼び出された。他方、ようやく落ち着きを取り戻した岡田は、もっと居心地のよい、押し入れの中に移されていた。松尾の会葬者たちには同情が寄せられ、叛乱軍の監視も緩んでいた。
翌朝、岡田の生き残った秘書官の福田耕は、お棺運搬係として、フロックコートを着た二十人ほどの年配の憲兵隊員を官邸に連れこんだ。空腹で疲れ切った岡田は、持ちこまれたマスクと丸縁眼鏡で変装し、義弟の葬儀の会葬者に紛れこんだ。棺が官邸から運び出される際、憲兵とともに連れてこられた一人の老いた棺運搬係が心臓マヒを装って倒れ、担架で運び出された。そうした混乱にまぎれて、困憊していた岡田首相を車に押し込み、脱出させた。
東京での暗殺と時を合わせて、近県でも襲撃が行われた。蜂起の夜、兵士と予備役と士官候補生の一団が、老西園寺を暗殺するために興津に結集したが、警察によって解散させられた。一方、前内大臣の牧野は、20歳の孫娘の和子――戦後の首相、吉田茂の子供――とともに、湯河原の温泉旅館に身を潜め、事前の警戒はしていなかった。午前5時40分、夜中に使命を与えられた叛乱兵の一団が、その旅館に到着し、玄関前に機関銃を据え付け、宿の使用人に弾丸の雨をあびせ、牧野を要求した。すぐに牧野の一人の護衛官が現れ、拳銃を撃ちまくった。彼は、襲撃隊々長の河野寿大尉に傷を負わせたが、機関銃弾で穴だらけにされた。掃射された銃弾は、日本の旅館のやわな構造を貫通し、牧野の看護婦と彼の使用人が負傷した。 (64)
その短い銃撃戦の間、老いた策謀家牧野と孫娘は、他の泊り客や従業員と一緒に、旅館の裏口から抜け出し、裏山に登った。負傷した河野大尉――逮捕された後に死亡――は、その建物に火を付けるように命じた。建物が燃え上がっている間、兵士たちは、斜面を這い登ってゆくのが見える人影に、機関銃を向けていた。
後に牧野によって語られ、また、牧野の娘婿の後の首相、吉田茂が幾度も繰り返した話によると、牧野が裏山のある地点に達した時、彼の息はあまりに絶えだえで、それ以上先に進もうにもあまりに急こう配だった。彼はそこにしゃがみ込んでしまい、眼下の処刑執行者らを見やっていた。孫娘の和子は、彼の前に立ちふさがり、着物を広げて彼を隠した。二人とも、炎が彼らを照らし出しており、てっきり、もう最後かと思ったという。彼らからは、兵士たちが明るい炎を背景に、きびきびと動いているのが見えたが、そうした兵士からは、暗い山肌に溶け込んだ彼らはほとんど見えなかった。
機関銃は発射されず、襲撃が始まってから40分間後、山中にあって牧野は無事やりすごしていた。消防隊が消火を始めたころ、若い叛乱軍兵士は機関銃をしまい、やってきた地域駐屯地に引きあげ始めた。
東京では、叛乱軍部隊は、その当初の目標を果たし、第二の段階に移っていた。午前6時、斎藤内大臣に47発の弾丸を撃ち込んだ血に飢えた部隊の一部が、渡辺錠太郎大将――前年夏、真崎に代わって教育総監の地位についていた――の自邸前でトラックから跳び降りた。そうした彼らを渡辺夫人が玄関先でさえぎり、その出身部隊の名を要求した。彼らは夫人を脇にどけ、渡辺大将が立って彼らがくるのを待ち構えている居間へと走り込んだ。彼が「止めろ」 と命ずる間もなく、彼に最初の弾丸が撃ち込まれ、そして、いっせい射撃を受けて彼は倒れた。一人の少尉が、自分の刀で大将の喉を切り、その襲撃を終わらせた。
ポーカーの手の内
暴力沙汰は終わった。その朝も昼近く、叛乱部隊は、五大新聞社の建物を占拠し、そのうち、最も保守的な朝日新聞社の印刷を止めさせたが、人を殺すことはもうなかった。事件を目撃した西洋人を驚かせたことは、そうした叛乱劇が、突然に麻痺状態となって叛乱が終幕すると、1,483名# 8の兵士たちは東京中心部の完璧な占拠地帯に、〔それ以上の作戦展開もなく〕取り残されたことだった。
叛乱軍が日本帝国の中枢部を掌握したそれからの三日間、裕仁は自分の対処に不満な高官全員を相手に、暗黙の権力闘争を繰り広げていた。そして裕仁は自ら、ほとんど独力でそれを闘い、三つの主要な政治抗争に勝利をあげた。すなわち、彼は、叛乱軍が降伏するまで、次期政府のいかなる政策や人事にも譲歩することを拒否した。次に彼は、陸軍が、叛乱軍の鎮圧のみならずその蜂起そのものにも全面的責任があり、その責任をとる場合も、現人神としての裕仁の力に何らの依頼もあってはならない、と釘を刺した。さらに彼は、宮廷高官や皇族に断固とした態度をとり、公然と異論を表す者らには、それを厳しく圧した。
# 8 1,359名の兵士、91名の下士官、21名の将官、3名の医師見習い、8名の民間人、そして、1名の予備兵。 (65)
叛乱が鎮圧された時、裕仁の宮廷人たちは、この三日間に宮中で生じた諸事についての見解を宮廷内に広げたが、彼らの日記が物語るように、それは虚偽であった# 9。つまり 〔そうした見解とは〕、来る戦争という賭けが裏目に出た場合の反作用から天皇を守り、また、裕仁は任務のない叛乱軍兵士に仕事を与え、対中戦争の準備に同意することを強いられていたため、と言うものだった(66)。だが真の状況は、侍従長の本庄の日記に如実に表現されている。すなわち、蜂起の前日の2月25日、天皇は、戦時の足がかりを固めるために北中国の天津駐屯軍の編成拡大を認めた、と本庄は記している。そして天皇は本庄に、その編成拡大は、「外国の不信感を刺激してはならず」、かつ、「(満州征服の前に)我々が関東軍を再編成した場合のように、統制を不便なものにしてはならない」 と、〔その真意を〕告げている。
裕仁が本庄に説明したところでは、 「要は、我々が何をするかでなく、我々のすることへの世界の反応だ」、だったのである(67)。
# 9 最近まで、文献証拠がないために、歴史家はそれを受け入れるしかなかった。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_50_20_1.htm
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_50_20_2.htm
03. 中川隆 2013年3月01日 20:51:53 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
鎮圧(1936)
叛乱の夜明け
叛乱兵やその支持者に対する裕仁の圧倒的勝利は、早朝の最初の暗殺の数分前からすでに始まっていた。午前5時、本庄侍従長は東京北西部の自宅で、第一師団の少尉によって揺り動かされて目を覚ました。その少尉は、同師団の500名の士官と兵士が叛乱をおこしてすでに兵営を出発し、それ以上の将兵がそれに続いている、との娘婿の山口大尉からの知らせを持ってきていた。本庄は立ち上がると、ただちに戻り、山口大尉に、兵士に叛乱をやめさせ、兵営に戻させるよう、その少尉に命じした。
「しかし、もう手遅れです」 と少尉は答えた。
「最善をつくせ」 と本庄は命じた。そして電話に向かい、憲兵隊司令官と、天皇の寝室の近くに控えている宮中の夜勤番の侍従に電話をかけた。二人とも落ち着いており、当たり障りのない返答だった。本庄は車を呼び、宮中へ向かった。その途中、皇居のすぐ西にある英国大使館付近で、ほぼ一中隊の兵士たちと遭遇した。彼は、その兵士たちの軍服から、精鋭の近衛部隊の宮廷護衛部隊ではなく、彼の娘婿の属す第一師団の叛乱兵だと判断した。だが彼は、車を止めて彼らにそれを確かめようとはしなかった。
本庄は、午前6時、内宮に到着し、裕仁がすでに起床し、執務に付いているのを知った。数分して天皇に謁見すると、天皇は彼に、 「直ちに事件を終わらせ、この災いを転じて福となしなさい」、と告げた。そしてとがめるよう加えた。「侍従長、お主のみが、この事件が起こると予期し、案じていたね。」
自分の娘婿のことを想い浮かべながら、本庄は答えた。 「若手士官たちはただ、自分みずから、すべてをおおう天皇の正しき世界の中に、彼らの正義感を託す場所をみつけようとしているだけなのです。」(68)
木戸幸一侯爵――二ヶ月前までは牧野内大臣の、15分前までは斎藤内大臣の秘書――は、午前5時20分、その斎藤内大臣が襲撃されたと伝える宮廷からの電話で起こされた。木戸は即座に、「重大事件であることをさとった」。彼は警視庁に電話を入れたが、叛乱軍に包囲されていて、誰もが制約を受けずには話せないでいることを知った。 そこで彼は、公用車の車庫に電話し、直ちに宮廷まで行ってっくれるように頼んだ。その車の到着を待つ間、木戸は、近衛親王と西園寺のスパイ秘書の原田に電話して、そのニュースを伝えた。
車が到着すると、彼は用心深く、叛乱軍が占拠していると思われる地区を迂回して、遠回りするように指示した。(69)
午前6時、皇居外苑にある宮内庁の自分の机に着いた。そこで彼は、状況を掌握するため多くの電話をかけたが、その一本は、6時40分の興津の西園寺宅にかけたものだった。電話に出た女中は、確かに老主人とその家族は静かに就寝中であると告げた。木戸は、西園寺が数マイル離れた静岡県知事公邸にいることを、知っていたかどうかについて、どこにも明らかにしたことはない。木戸は自分の日記に、「大いに安心した」 とのみ記入しているだけであった。(70)
あまたの電話で出来る限りの情報を得た後、木戸は、宮内庁内で、スパイ秘書の原田の到着を待った。彼は、叛乱軍兵士に検問された時に備えて、宮内省の証明書を手に、午前7時ちょっと前に、徒歩でやってきて、木戸からの指示を受け取った。その受領後、原田は、皇居北の門に向かうのでも、また、任務として西園寺に仕えるため興津に向うのでもなく、叛乱兵士の占拠する地区の自宅に戻り、次の二日間を、近所家の隠れ家から、通常のように電話をかける作業で費やした(71)。
原田は察知していなかったかもしれないが、彼は、 「お節介な小男男爵」 として、叛乱士官の持つ 「発見次第射殺」 のリストにあがっていた(72)。そういう彼は、自分の近所宅に潜みながら、勇敢なスパイ役を演じていた。彼は木戸と綿密に電話連絡を取りながら、夜には危険をおかして外出し、叛乱軍の野営を監視していた。
木戸は、原田に指示を出した後、皇居内の庭園を歩いて横切り、内宮の裕仁の居住兼執務区画に入っていった。そして、裕仁の執務室の外にすでに集まっていた、侍従武官、湯浅宮内省大臣、広田副侍従長に合流した。彼らは、木戸が電話でその情報提供者より収集したものより、さらに新しい情報を彼に与えた。それによると、侍従長、首相、蔵相、そして内大臣、の全員が襲撃されていた。信頼されている天皇の他の寵臣と同じく、木戸はその後一週間、宮廷にとどまりつづけた。彼には、皇居図書館の裕仁の執務室から廊下を行った先に、仮の小寝室が与えられた。彼は、その侍従の部屋の畳部屋に、布団をしいて寝た。彼は、24時間、いつでも天皇の呼び出しに備えていた。(73)
蹶起趣意書
2月26日午前7時、川島陸相は、自分の寝室からようやく階下に降りて来て、邸宅の一階を占めた叛乱軍士官と言葉を交わした。彼らは陸相に、蹶起趣意書の正本を渡してそれを天皇に提示するように要求し、その写しの文書は、占拠地区のいたるところに張りだされていた。そこに明記されていた要求事項は、政府は天皇の執権の全面回復を宣言し、陸軍は派閥主義を撤廃し、それまでの陰謀の「首謀者」 である南、小磯、建川、そして宇垣各将を逮捕し、裕仁の特務集団の将官は軍職から追放され、荒木大将を関東軍の司令官にして 「ロシアを威圧し」、そして、陸相はこうした要求を天皇に提示するに先立って、北進派指導者の真崎と協議するよう求めていた。その文書はまた、陸相が、副陸相で天皇が信頼する航空専門家である古荘幹郎中将、および、宮廷の隠れたスパイ――叛乱軍人たちには知られていなかった――である山下奉文少将と話し合うことを推していた。川島陸相はそうした要求を重々しく聞き取り、自分ができるだけのことをする旨、約束した。(74)
午前8時、海軍軍令部総長の伏見親王が宮中に到着し、すぐさま裕仁に謁見した。彼は、各艦隊は、横須賀海軍基地から東京湾へと航行中であり、天皇の号令ひとつで、叛乱軍地区への砲撃の準備が整っている、と報告した。そして同時に彼は、新内閣を直ちに組閣し、叛乱軍に少々の譲歩を見せるよう助言しようと考えていた。叛乱軍の多くは、秩父親王の親しい友人であり、彼らを余りに過酷に扱うのは良くなかった。天皇は同意したのだろうか?(75)
それまで伏見には賛成できないことが多くあり、また、議論にも巻き込まれていたことを知っていた裕仁は、ただこう答えた。 「私は海軍の状況について、貴殿の報告を求めただけだ。この事件に関する私の意見については、すでに宮内省大臣の湯浅に述べてある。」
「それでは、湯浅に伺ってよろしいでしょうか。」
「その要望については、返答はまたの機会にしよう」 と裕仁は返答し、伏見親王は退席した。憤懣やる方ない伏見は、大兄で賞勲局長の木戸のところに直行し、すべたの親王たちに、そのいざこざの件をつたえるよう、命じた。
午前9時、川島陸相は、叛乱軍との遣り取りを終わらせて直ちに宮中に到着し、天皇に謁見した。彼は、叛乱軍の蹶起趣意書# 1の巻物を提出し、それを天皇に慎重に読み上げた。(76)
# 1 私 〔バーガミニ〕 は、蹶起趣意書の原文を以下に引用する。その深遠で近づき難い印象は、要約を許さないためである。そして、これまでに存在する唯一の翻訳版は、1936年にニューヨークタイムスの東京事務所で日本人翻訳者によってなされた独特の文体をもったものである――それは、日本近代史の数冊の文献に様々な形で引用れている――。それは、原文の内容をおおむねは表わしているが、手が加えられ、その灼熱地獄のような特性は失われている。
〔訳注〕 以下には、英語訳の邦訳に加えて、原文のままの引用も掲載。(ただし、カタカナ書きをひらがな書きに改め) 。
国体を護持する直接行動のための趣意書 (77)
永遠の神、天皇に、その統率の下にある我々は、神国の子のそまつな見解でありながら、この不満の意を提出する。我国の本源は、なによりも、一体をなす単独国家の継続的発展の成就と、天の下の全地球の包含にある。至高の優秀さと国体の尊厳は体系的な成長と、神武天皇による国の設立以来、明治維新よる社会変革にいたる注意深い養育によるものである。いまや再び、時勢の秋に到達し、我々は広く外地領土に挑み、新たな光明へとの眼に見える進展を遂げならない。
先の危機的時代にもかかわらず、いかがわしい不逞の徒が雨後の竹の子のごとく続出して、我々は、我利我欲にふけり、皮相な形式を許して皇位の尊厳を傷付け、すべての人々の創造的前進を阻害し、我らを怒りと悲嘆のうちに苦しませている。日本は益々と外国とのいざこざに巻き込まれ、時の潮流に押し流され、外国のあざけりの的となっている。元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等は皆、指導者としてこの国体を破壊に導いてきた。
(中略)三月事件や、えせ学者、えせ共産党員、逆賊的教団等が徒党を成して陰謀を企て、気付かれないままに、最も著しい事例を作ってきた。その悪事は血で天地をけがし、流血が義憤を表す時代に至っている。血盟団の犠牲的先進性(中略)、5・15事件の噴出、相沢中佐の刀の閃光は、彼らがなすべき理由と彼らを嘆かせた理由をまさしく物語っている。
今のこの終末に至ってもなお、僅かな反省と忍耐のために、幾度にわたって、生き血がこの地を濡らすのか。かつての如く、ただ時を費し、あるいは、我欲と保身をむさぼっている。今や、ロシア、中国、英国、そして米国とは、一触即発状態にあり、神国を狙い、我が文化と祖先以来の遺産の破壊の寸前にある。これは火を見るより明らかなことではないか。実際、内外には深刻な危機が存在し、無能議員や無能家臣が国体を弱体化し、皇位の神聖なる輝きを曇らせ、維新を遅らせている。(中略)
第一師団の海外移動の天皇命令を受け取った今、・・・国内情勢をかえりみらざるを得ない。・・・出来うる限り、我々と同志の精神は、宮廷の内壁を壊し、逆賊を斬首する自らの努めを果たさねばならない。我々は、単なる家臣でありながら、皇位より信頼された部下として正道を進まねばならない。たとえ、我々の行動が自らの命や名誉を害そうとも、我々にいささかの動揺もない。
同じ悲嘆と意志を共有する我々は、この機会に決起する。逆賊を討伐し、至高の正義を正し、この聖地の子としての使命を全うし、我が全身全霊をその火に投じる。我々は大神と祖先に礼拝し、その恩恵とご援助を賜わらんことを。
昭和十一年二月二十六日
蹶起趣意書(原文)
謹んで惟るに我が神洲たる所以は万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ遂に八紘一宇を完うするの国体に存す。此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方に万邦に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋なり。
然るに頃来遂に不逞凶悪の徒簇出して私心我慾を恣(欲)にし至尊絶対の尊厳を藐視し僭上之れ働き万民の生成化育を阻碍して塗炭の痛苦を呻吟せしめ随つて外侮外患日を逐うて激化す、所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等はこの国体破壊の元兇なり。
倫敦軍縮条約、並に教育総監更迭に於ける統帥権干犯至尊兵馬大権の僭窃を図りたる三月事件、或は学匪共匪大逆教団等の利害相結んで陰謀至らざるなき等は最も著しき事例にしてその滔天の罪悪は流血憤怒真に譬へ難き所なり。中岡、佐郷屋、血盟団の先駆捨身、五・一五事件の憤騰、相沢中佐の閃発となる寔に故なきに非ず、而も幾度か頸血を濺ぎ来つて今尚些かも懺悔反省なく然も依然として私権自慾に居つて苟且偸安を事とせり。露、支、英、米との間一触即発して祖宗遺垂の此の神洲を一擲破滅に堕らしむるは火を見るより明かなり。内外真に重大危急今にして国体破壊の不義不臣を誅戮し稜威を遮り御維新を阻止し来れる奸賊を芟除するに非ずして皇謨を一空せん。
恰も第一師団出動の大命渙発せられ年来御維新翼賛を誓ひ殉死捨身の奉公を期し来りし帝都衛戍の我等同志は、将に万里征途に登らんとして而も省みて内の亡状憂心転々禁ずる能はず、君側の奸臣軍賊を斬除して彼の中枢を粉砕するは我等の任として能くなすべし。
臣子たり股肱たるの絶対道を今にして尽さずんば破滅沈淪を翻すに由なし、茲に同憂同志機を一にして蹶起し奸賊を誅滅して大義を正し国体の擁護開顕に肝脳を竭し以つて神州赤子の微衷を献ぜんとす。
皇祖皇宗の神霊、冀くば照覧冥助を垂れ給はんことを。
昭和十一年二月二十六日
裕仁は読み上げられる趣意を黙って聞いていた。その高揚した言葉と武士道精神の背後に、彼は、自分の戦争政策への完全な否定を見出していた。その隠された、含みをもった形式に、叛乱兵たちは、今後の外交的混迷の危険の沈静と、彼の精力を国家改造と日本の伝統である素朴な情念への献身を裕仁に請うていた。
「口実がなんであろうと、私は不興である。彼らはこの国に泥をぬった。陸軍大臣、貴殿に、即座の鎮圧を命ずる」(78) と、裕仁は冷たく言い渡した。
川島は、自邸を占拠した兵士たちに与えるいくらかの猶予を得ようと努めた。しかし裕仁は川島に、皇位がその趣意を聞きとったこと以外には、皇位によるいかなる同情も理解の意をも表すことを禁じた。
戒厳令初日(79)
川島陸軍大臣が自分の苦境について考慮するために退席すると、直ちに裕仁は、軍事参議院のすべての将官と、個々に面会を始めた。彼らはその途上、陸軍の叛乱兵によって支障はうけず、また、皇位に自らの忠誠を示し助言を献することに篤い自負を抱く彼らは、全員、まだ閣僚や大将の欠席が目立ったその朝早くから、宮廷に参上してきていた。裕仁は、陸軍は彼ら「暴徒」 を鎮圧して責任を果たせと、彼らにその一点のみを強調した。もしそれができないのなら、海軍に命令を出し、それでもだめなら、自ら現地に出向く積りであった。
天皇が、責務を負う陸軍長老らに自ら指示を与えている間、陸相公邸で指揮に当たる六名の若手将校は、要求に対する回答を待ちながら、中庭において、助言や希望を言って絶え間なくやって来る上官たちに対応していた。実際、それは信じがたいことであったが、陸相公邸や近くの陸軍省、参謀本部での業務は、叛乱兵たちがその戸口のいたるところに立って警備線を設けているにも拘わらず、順調に続けられていた。
午前10時、片倉衷〔ただし〕少佐――満州事変当時の南陸相の甥――が川島邸に通常連絡任務でやって来た時、そうした状況の不調和が露呈した。片倉少佐は、1934年の士官学校事件を暴露する手助けを行い、その際、今度の叛乱に参加している多くの若手士官を裏切っていた。驚くまでもなく、そのうちの一人で、小冊子を作成した磯部――不名誉な退役処分となった――が、その彼の頭への一発の弾丸でそれを迎えた。片倉は、後にビルマで不運にも連合軍の捕虜となり、1944年に殺された 〔これは誤りで1991年死亡〕 が、その時は浅い傷で済み、回復した。彼の同僚の士官たちは、その負傷は当然のこととして受け取り、それ以降も、公邸に出入りする訪問者は続いた。
正午、最後の軍事参議官が謁見をおえた時、川島陸相は、山下少将を宮中の侍従武官室から叛乱軍へと派遣し、返答を与えた。それは簡単なもので、 「天皇は諸君の意図はお聞きになった。陸軍大臣は諸君の動機の真摯なるものを認める。軍事参事会が招集され、国体の保持が決定された。」
この通知ほどの致命的なものはなかった。血に染まった若い叛乱者は、彼らに対する天皇の、氷のような態度を感じ取った。彼らの敗北であった。もし彼らが空しく死ぬのであるなら、彼らは、最後の一人まで占拠を守り通すことを、山下に宣言するしかなかった。
山下は宮廷へ電話した。彼は対話を続けよと言われ、部隊の増強が確約された。そしてすぐ後、顔の広い鈴木貞一大佐――天皇に近い人物として知られ――と、第一師団司令官、小藤恵大佐――時分の指揮下にある若手士官への責任を負っていた――が、交渉チームに加わった。
交渉が、愛国的精神論に足をとられて遅々としている間に、裕仁は、国中で最高の各諮問団を招集し、その午後を彼らとの対応で過ごした。つまり、宮廷のある一室では、天皇の臨席のもとに枢密院会議が開かれ、他の一室では、ようやく宮中へと到着した内閣閣僚が集まっていた。第三の部屋では、軍事参議院が招集されており、北進派指導者の荒木や真崎が参加していた。内閣は、天皇から、岡田首相――その時はまだ押し入れの中に居た――を欠いた政府の継続について問われた。
それは、長い午後だった。裕仁は、政府における何らかの変化は、改造への一歩であり叛乱の成果とみられかねないため、新首相の指名はしたくなかった# 2。それに、軍事参議官の責務を軽減することも、たとえ口先だけの懐柔だとしても、それを望まなかった。叛乱兵が兵営にもどった時、裕仁は建設的な政府を再開するつもりだった。従ってその時まで、何らの署名もせず、ただ不満足でいる以外、いずれの側にも立たないとの姿勢を維持した。
# 2 岡田首相が生きているとの知らせは、憲兵がその日の午後早く裕仁に知らせたものと推定される。しかし、首相が占拠地区から脱出に成功した午後遅くになるまで、その存命の知らせは裕仁の周囲の宮廷人には知らされなかった。
内閣は、内務大臣の後藤文夫を首相代理に選んだ。また、軍事参議院は、ついに、 「説得文」 と 「勅令」 を叛乱軍に発することに同意した。説得文は、「諸君は天皇の注意を喚起することを望み、それは達せられた。諸君の国体の顕現を望む真摯な願いは注目されている」 とのみ述べられていた。勅令は、「1935年度の国防計画にのっとり、諸君らの師団の他部隊とともに、諸君らは、東京防衛のための所定配置につくべし」 というものだった。
一方、枢密院の御前会議では、天皇からの直接命令を出すことで、叛乱軍を解散させるのがよいのか、それとも、戒厳令を宣言し、鎮圧の責任を陸軍に与えるのがよいのかをめぐって討議された。裕仁は、自由な議論の外見を維持するための必要から、注意深く聞くのみで、何らの発言もしなかった。そこで彼は、採るべき第二の行動を起こし、簡単な便法に出た。すなわち、20ないし30分ごとに侍従武官長の本庄を呼び、あたかもニュースを聞くかのように、「陸軍は、気違いじみた叛乱兵の鎮圧に成功したかね」、と彼に尋ねた。そうしてついに枢密院は、しぶる陸軍に戒厳令を引くよう勧告することに同意したのであった。
午後3時、第一師団は1935年度の緊急事態計画にもとづき、兵士を防衛配置につかせ、叛乱をおこした同僚兵士と切り離した。午後5時、実りのない半日の交渉の後、山下少将は、報告のために宮中にもどった。その際、三名の叛乱軍士官がその聖域内に入ろうと彼に続いたが、警備兵によって阻止されねばならなかった。
山下の落胆する報告を聞いた後、湯浅宮内大臣は、信頼に足る家臣はすべてその夜は宮中に宿泊し、軍事参議院が先に決定した戒厳令をその真夜中より発令する、との裕仁の要求を伝えた。川島陸相はそれに従うことを確約したが、戒厳令が効果的かどうかを疑った。彼は湯浅内大臣に、次期内閣に陸軍が望む人物のリストを天皇に提示してもらえないかと要望した。湯浅はその要望を憤慨して拒否し、それを、天皇の大権の干犯であると決め付けた。川島陸相は、「狼狽した様子」 で、戒厳令本部の設置に取りかかった。大角海軍大臣が、午後6時30分、謁見を許され、暫定内閣と暫定首相を指名することで、国民の不安を解消してはどうかと嘆願した。
天皇はこれを拒否し、 「もし陸軍がこの緊張を避けたいと望むのなら、言葉による確約をもらいたい」 と述べた。その夜、陸相公邸の五名の叛乱軍士官は、林、真崎、荒木、寺内ら、少なくとも七名の将官と対談した。こうした上級制服組の登場でも、膠着状態は打開できなかった。叛乱軍は先の要求を繰り返し、逆賊とすら呼ばないようにとつけ加えた。
その夜、内閣は、二度にわたって解散した。最初は、午後9時、後藤代理首相が内閣総辞職を宣言した。それは、国家的な災難があった後に行われる、通例的な対応であり、天皇は、これも通例的にそれを却下したものだった。「平和と秩序が回復されるまで、むしろ真剣にその責任を果たすべきだ」、天皇は言った。
しかし、今回はこれでは終わらなかった。天皇の前から退出した閣僚たちは、その午後をそこで議論して費やした控えの間に戻った。その朝の暗殺で怖れを抱き、また川島陸相になにがしかの同情を抱いて、各自の辞表をとりまとめた。彼らはその提出を午前1時に行った。裕仁は、それを受け入れる以外に選択はなく、それぞれの大臣に、「新内閣が組閣されるまで、政務に留まるよう」 命じた。彼は明らかに、困っていた。彼はその日、もう疲れ切っていた。
裕仁自身の家族さえ、裕仁が危険なほど非妥協な態度をとっていることを案じていた。伏見親王と朝香親王は、皇族会議の開催を求めており、裕仁の弟、秩父親王は、彼らの肩を持ち、地方からその会議に参加するために呼び出されていた。内大臣秘書の木戸は、朝香親王と東久邇親王の立場を感じ取るため、その夕を二人とともに過ごし、彼らの忠誠を再確認して報告した。
しかし裕仁は、再確認を受け入れる雰囲気ではなかった。彼は、その朝から着ているしわくしゃとなった軍服をまだ着けており、午前2時少し前、内閣から出された辞表を読むために座った。午前2時、彼は侍従武官長の本庄に電話し、寝床にいる彼を起こした。「川島陸相は辞表を出し、他の閣僚も同じだ。彼は、誰も同じ責任を負うと考えているのかね。そんな感覚で、陸相が務まるとは思えん。」
本庄は、 「殿下はその後で、格子戸を通り、ご自分の寝室へ入られたのだと思います」 と、裕仁との電話を切ったのち、日記に記入した。
二日目(80)
2月27日の夜が明けた、決起二日目、雪はやんだものの、寒さは続いていた。戒厳令はその未明、2時50分に公布された。午前5時、侍従武官長本庄は、伏見親王の私的訪問によって、宮中の間に合わせの寝具の中で、寝たりぬ目を覚まさせられた。伏見は本庄に、若手士官たちが夜中、伏見邸を訪れ、叛乱を解決する条件として内大臣の地位を求めてきたと報告した。むろん本庄は、それに言質は与えなかった。午前7時、裕仁の叔父、朝香親王は、裕仁の弟の高松親王を海軍士官学校に訪ね、裕仁が新内閣を早急に指名するよう、彼の後押しを求めた。だが高松はそれを辞退した。
宮中では、侍従たちの控室が、まるで難民収容所の様相をていしていた。高齢の閣僚、将官、親王、侯爵らが寝巻姿で朝飯や茶をとり、寝心地の悪かった一夜の後、それぞれの会話を交わしていた。皇居の門外では、叛乱軍の歩哨が、雪の中を行き来していた。地下鉄〔「省線」 のことか〕の 「中央線」 は、運行を停止していた。ビジネス街や東京南部の港湾地区に通う通勤人たちは、皇居周辺の占拠地区を避けるため、何度も乗りかえを強いられていた。裕仁は遅くまで眠っていた。いつものオートミールと玉子のたっぷりな朝食の後、彼が机には向かったのは、8時と9時の間であった。
侍従武官長の本庄は、天皇に朝の挨拶をしに行った際、彼の率直なほとばしる意気に圧倒された。 「もし、叛乱の暴徒たちが、陸軍最高司令官の命令にただちに従わないならば、私は自ら、彼らのところに出かけるつもりだ。」
それに答えて本庄は言った。 「直接行動部隊の士官は、天皇の部隊に勝手に命令し勝手に出動を命じました。それは、天皇の統帥権を犯すことです。当然、それは許されざることですが、彼らを行動させている精神は考慮に値するものです。彼らは完璧に愛国的確信と国民に成り代わる思想によって行動しております。彼らの心には、陛下を強要しようとが、陛下の力を悪用しようとかと考える積りは毛頭ありません。」
しばらくした後、裕仁は本庄を呼んで言った。 「彼らは私の右手である家臣たちを殺した。そうした凶暴なる士官には、いかなる心的動機があろうとも、微塵の弁明もありえない。私の最も信頼しうる家臣を倒すことは、真綿をもって私の首を絞めるに等しい勇気だ。」(81)
本庄は答えた。 「老いた家臣を殺したり傷つけたりすることは、最悪の犯罪であることは言うまでもありません。しかし、彼らは混乱し誤解はしているものの、国のために行っているものと信じております。それが彼らの信念であります。」
本庄は日記にこう記している。 「私はこう、いろいろ違った方法で陛下に申し上げた。」
裕仁は、 「侍従長、そなたは、彼らの行動が、単に、私利私欲によるものだということが認められないのかね」、 と首をふりながら言った。
本庄は、ふさわしい返答ができぬまま、日記にこう書きとめている。 「この日はまた、陛下はたいへん昂ぶっておいでで、行動部隊を鎮圧する陸軍の努力は、どこにも見られぬと言われた。そして私に言われた。『朕# 8は、近衛師団に命令を出し、自ら、叛乱部隊を鎮圧する』」(82)。
# 8 「朕」 とは、中国のかっての皇帝が用いた 「我々」。この表意文字は、天の耳に話しかける月を表している。(83) 〔この説明はあやしさは脚注のように著者も気付いている。 「朕」 については、翻訳の他の個所ではあえてこの用語は用いず、 「私」 で通している。〕
その日は丸一日、国民は緊迫にさらされた。そのさ中、裕仁は執拗に、少なくとも13回は本庄を呼びつけ、陸軍が行動を開始したかどうかを尋ねた。川島陸相と老将官のほぼ全員は、皇居から数地区北にある憲兵隊本部に、戒厳令司令部を設置する準備に追われていた。午前10時30分、近衛師団が叛乱軍占拠区画の北西角に、向かい合って陣取った。また、第一師団の忠誠を維持している部隊が、その南西および南東地区に配置された。占拠区画の北東部は、皇居のお堀でさえぎられていた。その日の午後、叛乱軍は皇族会館に押し入り、居合わせた人たちを片っぱしから取調べ、16人の侯爵、伯爵、子爵、男爵たちをひとまとめにして、その夕刻まで、拳銃を突きつけていた。
西園寺のスパイ秘書の原田は、叛乱軍の警戒線を突破して潜入し、拘束されている皇族の幾人かと接触したが、その帰路、彼の顔を知る叛乱軍士官に阻止された。その士官は後にこう証言している。「もし彼が怖がっている様子を表わさず、あるいは、嘘をついて逃亡を図ったならば、自分は彼を殺しただろう。しかし、彼は、警告するだけで見逃してほしいと、いかにもか細い声で話していた。」(84)
午後、事が沈静すると、誰もが、裕仁の弟で叛乱軍指導者たちの友人である、秩父親王が東京に到着するのを待ち受けた。秩父親王は、その夜に予定されていた皇族会議で、裕仁に何かを言ってくれるものと期待されていた。内大臣秘書の木戸は、ほぼ丸一日を費やして、朝香、東久邇両親王と 「打開策」 について話し合った。午後5時17分、秩父親王の列車が上野に着いた時、叛乱軍もしくは陸軍が親王を誘拐するとの噂があったため、彼は侍従や警察の厳重な警護で迎えられた。そして彼の車列は、およそ4マイル〔6.4km〕の市街を、サイレンを鳴らしてフルスピードで走り抜け、30分で皇居に到着した。彼は直ちに天皇に謁見し、天皇、皇后との内輪の夕食をとった。
午後7時頃、彼らに他の親王たちが合流して、皇族会議が開催された# 4。侍従たちの話によれば、発言は申し合わされたもので、その雰囲気は上品なものであった。裕仁は、各々の親王に次々に質問をあたえ、用意された短い見解表示――中国をはじめとする様々な時事、長期軍事計画、そして国政改造など――に耳を貸した。しかし、その主要な懸念は、新内閣が早期に組閣されず、陸軍とともに譲歩が打ち出されなければ、叛乱軍の勢いが地方に広がらないかということだった。裕仁は親族に礼を述べ、そうした諸意見について検討することを約束し、午後8時30分、さしたる盛り上がりもないまま、会議は散会した。その後、秩父親王は大兄の木戸と、およそ30分間、話し合った。(85)
# 4 皇室典範によると、 「皇族は天皇の配下にあり」、皇族会議は、 「成年に達した男子皇族によって構成される」 とある。加えて、天皇は、外部の立会者、ことに、内大臣、宮内大臣、法務大臣、最高裁長官の出席を求めることが予定されている。1936年段階では、16親王がその資格を有していた。そのうち、6名が「親王」、10名が「王」であった。6名の親王とは、裕仁の3兄弟に、皇族選挙によって親王となる、次直系の家族の3名の王子――陸軍参謀総長の閑院親王、海軍軍令総長の伏見親王、そして、1934年にヒットラーに会った狂信的な賀陽親王――を加えた面々であった。この2月27日の皇族会議に参加した親王たちは、弟の秩父、弟の高松、従兄の伏見、(全員が親王)、そして、叔父の東久邇、叔父の朝香、従兄の梨本、そして、閑院親王の息子の春仁〔はるひと〕(全員が王)であった。(86)
その皇族会議は、二つの結果をもたらした。そのひとつは、小田原の別荘で意気消沈していた陸軍参謀長の閑院親王が東京に呼ばれ、 「たとえ都合が悪くとも」、天皇の背後に着くことを求められたことだった。翌日、閑院はそれに従ったが、どうしたことか、それから一週間、彼の君主とは会わせてもらえなかった。第二は、会議の夜、秩父親王が、友人で叛乱軍の最高の地位にある、野中大尉あての私信を書き、彼の部隊の撤退を懇請したことだった。野中は、一日考えた末、自分の口に拳銃をくわえて引金を引くという返答を行った(87)。侍従らは、親王たちが自分と叛乱軍下士官たちとの交友や交際関係がゆえに狼狽させられていながら、それでもそうした紛糾の中で、裕仁の側についているのを見て安堵していた。秩父親王は、午後9時10分、警察の護衛とともに宮廷を後にした。
翌朝、裕仁は、皇族会議についての見解を、宮廷の公式記録とするため、大兄の木戸――賞勲局長――に次のように報告した。 「高松宮が最も良ろしい。秩父宮は、5・15事件の時以来、大きく成長した。梨本宮は、〔この叛乱軍に〕私の恩赦を求めた時、涙を浮かべていた。私は彼を立派だと思う。春仁〔閑院の息子〕は気品がある。朝香親王は、正義の個人にとっての意味と、皇位の大義におけるその位置をのべたが、過激思想の影響を受けており、欠点がある。東久邇親王については、いい感覚を見せていた。」(88)
裕仁は、一族の模範を示す者として、東久邇親王の最近の恐喝事件と宗教詐欺に関する警察文書を読むことを求められていた。だが天皇は、自分の親族を、通常の日本人の道徳観によってではなく、いかに忠義であるかどうかという基準で判断した。平穏な皇族会議で彼は、自分の親族にただならぬ支配力を証明して見せたのであった。
会議が解散してしばらくして、真崎、阿部、西の将官たちは、陸相公邸におもむき、その一階で指揮をとる五人の叛乱軍士官に、望みを捨てて天皇の意志に従えと告げた。もし、彼らがそれに従わない場合、北進派の指導者真崎は、彼らを鎮圧するため、自ら特派部隊を指揮せねばならぬと宣告した。疲労し、悲嘆にくれた若き兵士たちは降伏に合意した。午後11時30分、三将官は、近衛師団と第一師団の歩哨に、その夜、叛乱軍占拠地区から脱出しようとする一般兵士には寛大であるようにと命令を出したと、宮廷に報告した。
しかし、それで事が終わったわけではなかった。叛乱軍は、あらゆる機会を通じて、東京郊外の隠れ家にいる急進的北進派理論家北一輝と、無線連絡を取り続けていた。職業革命家としてのそれまでの長い経歴の中で、北は、クーデタの策謀への表立った参加は避けてきていた。しかし今回は、彼はもう深く関わり、もし叛乱が失敗した場合、処刑される恐れがあった。それまでの二日間、彼は無線機に付きっきりで、その度ごとに叛乱軍を勇気付け、政治的駆け引きの助言を与え、また、霊媒の力をもつとの評判のある妻によるお告げを伝えていた。
その2月27日の夜、三将官が陸相公邸を引き上げた後のほぼ深夜、北は二人の叛乱士官と話し、まだあきらめてはならず、宮廷への圧力は高まっている。しかし、もしすべてが裏目に出た場合、彼らには審判なしの略式の死刑が科されるだろうと告げた。そして北は、その若手士官たちに、妻が見た夢の話を付けくわえた。それは、貧困のない極楽浄土で若手士官たちが勝利を祝い会っていた。叛乱軍はそれに聞き入り、それに賛同した。
第三日(89)
決起二日目の2月28日は、再び、曇天だった。侍従武官長の本庄は、午前7時、反乱事件の核心が変化したことを知らされた。すなわち、反乱軍は鎮圧されなければならぬ、というものとなった。ということは、本庄の娘婿、山口一太郎大尉が、いまや明白な反逆者と化した者たちに援助の手を貸したということで、刑務所送りとなることであった。それはまた、本庄自身の長年の忠義の経歴が恥辱にまみれるということでもあった。後に、彼の知人たちが語った話によれば、彼はその日一日で、一挙に、十年以上も年老いたということだった(90)。
午前11時頃、山口は戒厳令本部へ行き、叛乱軍を武力鎮圧する発令に対し、ほとんど一時間もかけて、それに反対する演説を行った。将官たちは、それに完全な同情をもって聞き入ったが、何も発言はしなかった。正午前、戒厳令参謀の石原莞爾大佐――満州作戦を立てた頭脳明晰な〔日蓮宗〕信者で、以来、対中和平を唱導してきた――は、長い会議机の端から立ちあがって言った。「我々は、出来る限り速やかに、鎮圧せねばならぬ」(91)。 そして彼は部屋を出て、外の使いに、発令書を配達するよう命じた。
第一および近衛師団は、一団となって鎮圧にあたり、叛乱軍のバリケードを爆破する計画に入った。叛乱軍士官は、 「降伏せよ、さもなくば鎮圧される」とのラジオ放送を聞いた。それに対し、叛乱軍は、 「皇意を過させる機関説論者によって成された命令には従えぬ」 と返答した(92)。
この段階では、秩父親王の伝言が野中大尉に伝えられ、また、山下少将が妥協に持ちこむ最終案を持っていたため、包囲する鎮圧軍には、 「待機」 と命令されていた。バリケード内での交渉の後、山下は川島陸相を伴って、午後一時、宮中の侍従武官室に戻った。そして山下は本庄侍従武官長に、叛乱軍士官からの誓約――それが作法に則ったものであると天皇に伝える勅使の立会のもとで、全員が自決する――を伝えた。本庄は直ちにその提案を裕仁に報告した。
「もし彼らが自殺したいのなら、勝手にさせなさい。そうした物たちに宮廷から立会人を送るのは、ともあれ、ありえないこと」、と裕仁は言った。
本庄は、自分の娘婿が士官を勤める第一師団は、以前の同僚に対して行動をしかけるのを嫌がっています、と哀れっぽく訴えた。
裕仁は声に鋭利さを込めて言った。 「もし第一師団の司令官が有効に行動できると考えないのなら、彼は自分の責任が何かが解っていないことだ」。
本庄は 「陛下に、そのような厳しさと怒りを見たのはかってなかった」 と目を見張らされていた。陸軍の指導者たちは、自決提案への裕仁の拒絶に唖然とさせられていた。娘婿の山口は、悲嘆と不可解の中で本庄に電話し、再度、天皇に働きかけてもらうよう懇願した。本庄は山口に、天皇はすでにいかなる曖昧さも含まない決断をし、さらに表すものは何もないだろう、と説明した。それでも、なおも働きかけを求める娘婿に、本庄は、悲しげにその電話を切った。(93)
午後3時、無頓着な参謀次長の杉山――その表情は 「まるで湯殿の扉のようにぼやけていて」 ――は、裕仁に謁見を求め、さらなる説明を願い出た。誤解があると彼は言い、叛乱者は、自分たちの自決に勅使の立会いを求めているのではない。ただ、ある家臣が、彼らの遺体を見届け、陛下に、決まり正しく腹切りの儀式を果たしているかを報告してほしいのみである。裕仁は、怒りを再燃させて、その新たな面子作り措置を見捨てた。この報が知らされた時、叛乱軍のある士官は、「しかし、飛行機事故ですら、陛下には報告されるだろうに」、と嘆きながら言った。
杉山参謀次長が天皇のもとに戻り、ほぼ一時間を要して、天皇をもっと慈悲深くさせようと、あらゆる手練手管の努力を行った。そして最後には、廊下に身を横たえ、天皇に、自分を踏みつけてもらいたいとすら訴えた。天皇はただ、彼をまたいで通り過ぎ、隣室で待ちうけている次の用件に取り掛かった。午後4時30分、結局、杉山と戒厳令軍# 5司令官、香椎浩平〔かしい こうへい〕中将は、その日の鎮圧行動はすでに遅すぎ、翌朝、一番に第一行動がとられると天皇に確約した。だが裕仁はそれを素っ気なく却下し、本庄侍従武官長を呼び、陸軍指導層のおしなべての不服従を非難した。
# 5 少なくとも23,491の兵卒と350の将官が、1,483の叛乱軍に対し集結していた。
裕仁は、 「陸軍は天皇に属すという話もあるが、陸軍は事件の重要さを意図的に回避しているとの話もある」、と言った。
それに本庄は、 「軍事政府を樹立しようとの意図のもとで、目下、陸軍は陛下のご意思に従うことを回避していると、この数時間、人々は申しております。こうした声は天皇の陸軍を極めて侮辱し、事件を速やかかつ平和裏に解決しようとしている陸軍の真摯な努力を無視するものです」 と返答した。本庄は後に、日記に次のように記している。
私は陛下に、陸軍に対する世論の誤解は、聞くに堪えられぬほどに厳しい、と申し上げた。そう言いながら、感情を押さえることができず、悲嘆にくれてしまい、話すこともままならなかった。陛下は一言もおっしゃらず、部屋を出ていかれた。
ひと時して、陛下は私を呼び、おっしゃられた。 「侍従武官長、陸軍に対するふとどきな非難が高じ、そちはそのように涙して、その理由を示してくれた。だが、もしこの事件がすみやかに解決されねば、よろしくない事態が起こる。すでに三日が過ぎ、政府の地位は揺らいだままだ。外国為替はほぼ停止し、銀行取引がそうなるのも近い。政情不安は首都以外にも広がり、叛乱の危険もある。第一師団の忠誠部隊も、我が部下を殺し、長老たちに野蛮な行いをした同志たちと合流するやも知れぬ。ゆえに私は貴殿、侍従武官長に、自身の異論と感情を軍事参議院で表明するよう許可を与え、状況を直ちに解決するように求める。」
本庄は、軍事問題に関し、すべての天皇の見解に成り代わる公的責任を負う立場にあった。過去において、この両者の間に見解の違いがあった時、裕仁がその老将をなだめたり、自分が譲歩したりしてその違いを埋めてきた。だが今や、裕仁は特別に、その本庄をそうした責任から解き、〔軍事参議院にのぞみ〕その彼の異論を公式記録に残させようと求めていた。そして同時に裕仁は、本庄に厚く信頼をおいており、腹心としての任務から解こうとしていたのであった。
(本庄の日記によると) その求めに従い、私は軍事参議院に、代表者を私の部屋によこすようにと求めた。北進派の荒木大将がやってきたので、私は彼に、一方で自分自身の心情と、他方で、天皇のご意志を伝えた。すると荒木大将はこう言った。 「これまで、天皇の命令は、軍事作戦を除き、有無を言わせぬものであると心得ておりました。」
59歳の荒木、60歳の本庄の二人の大将は、たがいに物悲しく見つめ合った。二人は、1989年に陸軍士官学校を卒業した同期生であり、それ以来、参謀本部において、さまざまの任務を共に果たしてきていた。二人は、過去において裕仁が、異なる意見の助言者の間から選んできたのを知っていた。また二人は、裕仁が、自分が欲する行動を提案している助言者を見つけるために、自分の道を外すことも知っていた。しかし裕仁は、それまでに決して、軍事参議院の助言を無視したことはなかった。だが今や、その35歳の現人神は、菊の御簾の内から出現し、専制的責任の全てを負おうとしていた。その二人の年長の大将は、互いに軽く礼をした後、その皇意に頭を下げた。その後、陸軍のすべての長老は、あたかも自らの責任はないかのように行動し、ただ、他の者に追随するようになった。それは歴史的瞬間であり、その二人の大将は、まゆをわずかに動かす以上の食い違いもなく、それを認めたのであった。
軍事参議院は、裕仁を危険な地位にさらすことから予防するための一つの努力を行った。午後7時30分、一組の代表団――荒木陸相、前陸相の林大将、そして参謀次長の杉山中将ら――は、小田原からの列車で着いた閑院親王と会い、裕仁の考えを変えるよう彼に説得してもらおうと試みた。閑院親王はそれを断り、自邸へと引き上げていった。陸軍長老からなる代表団は戒厳令本部へおもむき、そこで将校との会議を開き、状況を説明し、「陸軍の軍紀を破壊する武力制圧は、いかなる犠牲を払ってでも避けねばならない」 という意見を共有することに努めた。
戒厳令軍参謀、石原莞爾大佐――満州作戦立案者――は、正午以降、自分の発した命令が遮られていることを見ていた。その意図は理解されておらず、石原はそこで立ち上って、その代表団を率いる荒木大将を凝視し、そして言い放った。「これは統帥権の干犯である。貴殿の名前と階級を名乗られたい。」
「貴様は私が荒木大将とよく心得ておろう。貴様は上官に無礼を働こうとするのか。口を慎め。」
それに石原は、 「できませぬ。皇軍を皇位に対して用いることは、断じて許さざることであり、常識を越え、軍紀どころの問題ではありません。貴殿は自ら大将と称されるが、日本にそうした愚かな大将がおられるとは、信じがたい」、と応じた。(94)
この信義厚い憤激の表出がゆえ、石原は、数ヶ月後の大粛軍において、陸軍内に留まり得た。その後石原は、 「最後の北進論者」 と認識されるようになった。彼がつかつかと指令室から出て行った後、荒木やその他の大将たちは、翌朝に計画されている鎮圧行動を阻止する何の手だてもなかった。しかし、彼らは香椎戒厳令司令官に、武力によらず、叛乱軍を出来る限り説得するようにと説いた。その夜を通じ、ラジオ放送や叛乱軍の周囲を走るトラックが、「降伏か、さもなくば鎮圧化」 と繰り返した。上空を飛ぶ爆撃機からは、下士官や兵卒は恩赦されると書いたビラが投下された。夜明けには、叛乱軍に、妻や子供たちのために降伏せよ、と示したアドバルーンが上げられた。
その夜、山口大佐――本庄侍従武官長の娘婿――は、憲兵により大逆罪の嫌疑で逮捕された。
裕仁による解決 (95)
翌2月29日、蹶起3日目の朝、第一師団の部隊は、叛乱軍の境界線の無防備な部分を通って移動し、予想される戦闘地区から民間人を非難させ始めた。また、叛乱軍側は、しだいに占拠地区の主要拠点へと集結した。午前9時、香椎〔かしい〕戒厳令司令官は、ラジオを通じて国民にこう通告した。 「若手士官たちは遂に、叛乱者と見なされる事態に至った」。午前10時、部隊と鉄条網によって彼らは閉じ込められ、動揺した叛乱軍兵卒が、二人、三人と、彼らの占拠地点の回りの雪の積もった芝生や広場を横切り、脱出を始めた。正午、秩父親王の友人の野中大尉は自殺した(96)。2時過ぎ、すべての部隊が降伏し、憲兵隊によって拘留された。
裕仁は、最後の最後まで、疑念を頑固にも解こうとはしなかった。朝8時30分、陸軍の行動開始が最初に明らかになった時、内大臣の木戸は、裕仁に、「新内閣を指名して、国民を安心させては」 と助言した。だが裕仁は、 「制圧が完了するまで待ちたい」 と返答した。そして、制圧が終わった時、彼はそれでも満足していなかった。午後2時、彼は、興津に公式の使者を出すのではなく、電話でもって、西園寺親王に従来の要請――上京して首相を奏薦――を行った。腰痛を理由に、西園寺は、上京するまでに少しの時間が欲しいと返答した。午後4時、裕仁は西園寺に再び連絡し、組閣は緊急に必要で、出来るだけ早く上京するようにと告げた。
西園寺が気持ちを整理している間に、一日が過ぎて3月1日を迎えた。この日は日曜で、東京はこの日曜ばかりは、、西洋伝来の休日を楽しんだのみならず、本当に疲労回復と休養の一日となっていた。だが、裕仁は例外だった。彼は朝早くに起床し、軍服を着け、夕方遅くまで机に向かっていた(97)。それは、その先の数週間に自分に課すつもりの日課だった。彼は毎日一時間の運動を断念し、3月18日には、主要家臣の代表がやってきて、掛け替えのない身体に配慮するように懇願しても、なおも格別な注意は払わなかった。裕仁は、最後の兵が降伏するまで容赦なく攻め立てない限り勝利は危うい、という軍事的金言をそのまま実行していた。
3月2日、老公西園寺が東京に到着した時、裕仁の大兄たちが整えていた段取りは、ジュリアス・シーザーよろしく、彼らの指導者、近衛親王に、最初は首相の座、次に内大臣の座への就任を、それぞれ拒否するよう準備したものであった。それは、いざ中国との戦争が開始された時、その首相を近衛にする準備としての、手の込んだ芝居だった。近衛はそれまでいかなる公職にも着いたことはなく、ただ貴族院の指導者としてのみ知られていた。つまり国民には、彼が首相にふさわしい器であるとの考えが浸透する必要があった。そして、従順な人々は彼を受け入れたかも知れなかったが、陸軍が厳しい粛軍に面している時、彼はそれを受諾するわけにはいかなかった。だが、このことは、戦争中、彼の陸軍に対する指導性を弱めることにもなった。
西園寺は、近衛の首相受入れの不誠実を明らかにさせようと努めた。近衛が各方面の有力政治家から推されているのを知って、西園寺は近衛と会い、彼がその気でないことを知った。新聞報道では、近衛の奥ゆかしさと称賛されたが、西園寺は近衛の辞退をよそに、それでも公式に彼を天皇に推薦した。裕仁は自ら、近衛の健康が充分でないとして拒否することで、前例をくつがえした。だが西園寺は、なおも自分の推薦を繰り返して主張したため、裕仁は慣行上やむをえず、3月4日、近衛を呼んで組閣を求めた。
天皇との謁見を終えた近衛は、内大臣秘書の木戸に、 「まったく困っている」 と打ち明けた。一晩たった翌日、近衛は西園寺に再び会い、容赦を求めた。彼はその時、自分の医者の診断書を持参していた。それは、少なくともあと三ヶ月、その健康は職務を成し遂げ得るものではない、と述べていた。三ヶ月後とは、陸軍の粛正が完了する時だった。
そこで西園寺は、近衛はこの危機の時にあっても、政府を引き受けるという天皇の命に従うことを拒否したと公表し、自分を後継する血縁者の経歴を台無しにすることも、不可能ではなかった。だが、長い議論の後、そうする代りに、西園寺は態度を和らげた。彼は、国のためとはいえ、自らの健康を犠牲にできない大政治家の苦しい立場を見たと、新聞記者に語った。そうする一方で、彼は謁見室に戻り、実に困惑させられることですが、自分の推薦を変えなければならないと報告した。そうして今度は、裕仁の側近集団のより下位の中年者、広田弘毅外務大臣を推薦した# 6。
# 6 生え抜き外交官の広田は、地下組織の首領、頭山の手下としてその経歴を始めた。1921年に近衛親王と知己の関係となり、黒龍会の内部より、彼の情報提供者の一人となった。
広田は、3月5日、裕仁より内閣を組閣するよう命じられたが、3月9日になるまでその職は与えられなかった。というのは、その4日間、軍および政界は、内閣の政治、人事の両面について、それぞれに無理な要求を突き付けていたからだった# 7。「広田の困難」、「政府を組めない日本」と、新聞の見出しを埋めている間に、裕仁は自らの強固な外交諸政策を押し通した。
# 7 陸軍の強要で、牧野伯爵の娘婿、吉田茂――1946年から1954年の間、5度にわたって首相をつとめる――は、警察を管轄する内務大臣の地位より下ろされた。
3月4日、裕仁臨席のもとでの枢密院は、叛乱軍の若手士官を非公開の軍法会議にかけることと決めた。ということは、その上告はできず、その刑の執行も直ちになされるということを意味していた。3月2日、陸軍の各大将は、「最近の許し難い事件」 の遺憾の意を皇位に表わすため、その全員が職を辞任した。3月6日、裕仁はその大量辞任を受入れた。それは、単なる形だけのものではなく、4月23日付をもって実行されるものであった。さらに、裕仁は三名の軍規上の例外を残すという規定上のきまぐれを認めた。すなわち、粛軍派指導者、寺内大将とその同僚である西大将および植田大将は辞任しなかった。その寺内は陸相となり、西は教育総監に、そして植田は関東軍司令官となった。
宮廷の廊下を満たした抗議の声と小走りする足音が静まった時、自身の義務的退職を前に面子を失った苦痛な二週間を待たされていた侍従武官長の本庄は、その例外は「天皇の大権の行使」 とその日記に記している。同様な流れで、3月9日、裕仁は、軍事参議院と陸軍最高司令官のメンバー、閑院元帥、朝香中将、東久邇中将は辞職する必要がないとの措置をとった。
3月9日、広田内閣がようやくに組織を固め、機能を成し始めた時、裕仁は国威の統一に専念し、朝から真夜中まで、反対派に対し、非機関説に立った教育をほどこした。そして彼は、国事文書の公式署名を、「大日本帝国大権」 から 「大日本帝国神聖天皇」 へと改めた# 8。彼は、その叛乱に加担した4連隊の廃止を考えていたが、天皇への忠誠に対する雅量を見せるため、連隊旗を残し、一部の部隊を維持することは認めた。
# 8 それは、裕仁が一月末から考えてきた進展だった。
それと同時に、裕仁は、国防のための新たな徴兵計画を案として承認した。それは、四つの部門からなるもので、その国防体制下にはさまざまな部署が設けられていた。その四部門とは、@ 「憲法条項に従い」 国会に図られる財務部門、A内閣に報告される戦略と総合計画部門、B首相に報告される動員および人事部門、そしてC天皇と少数の参謀将官のみが関与する詳細作戦部門であった。そしてこの1936年3月に組織された専門部署のひとつが、北京近郊での夜間作戦計画で、これは中国との全面戦争への口火となるもので、また16ヶ月後には実際にそうなった計画であった。
この新国防計画の発足は、対中国戦に備えるというより、国の総合的戦力を構築するために寄与するものだった。日本は、中国戦に勝たねばならないだけでなく、西洋諸国からの介入を阻止せねばならなかった。広田内閣は、すでにその当時「準戦時経済」 として知られた統制計画を打ち立てていた。そして軍事支出はその後の12ヶ月間に三倍以上に膨れ上がった。赤字予算――叛乱で暗殺された賢明蔵相、高橋によって最低限に抑えられてきた――は、いまや時代の要請となっていた。工場の生産割り当てから為替交換まで、経済のあらゆる部門は、安易なお金の増刷と政府の厳しい統制に隷属するものとなった。
これと同時に、陸軍の規模を17師団から24師団へと拡大するため、詳細な秘密措置がこうじられた。新設された7師団は、予備役から徴用された。対中国戦が開始される先立つ数週間のうちに、余りに手際よく、供給物資、将校、そして再訓練施設が用意されたので、そうした新師団は、一夜にして戦闘準備を整えることができた。こうして、もし公式記録をそのままに信用するならば、第114師団は1937年10月に創設され、ひと月も経たないうちに、中国内にあって、南京にむけて進軍していた。(98)
陸軍の総体規模の41パーセントにもなるこの劇的な拡大が計画されている間、叛乱に憤慨していた裕仁は、それを指揮した士官の容赦のない粛清を命令し、それにより、その後の二年間、訓練将校に深刻な不足をもたらすほどであった。だが、その粛軍の必要に疑いはなく、また、3月3日の閑院親王と西園寺のスパイ秘書原田との会話に如実に語られているように、「過日の暴動に喚起されなければ進められなかったように――即ち、それが誰であれ、自らの内の臭いものにはふたをせよとの傾向の除去について――、我々には、陸軍の粛清を、容赦無き水準まで、徹底して成し遂げることが求められている。」(99)
大掃除という誰も嫌がる仕事を担ったのは、粛軍派の寺内新陸軍大臣であった。1936年の3月から8月の間に、陸軍の八千人余りの士官のうち、二千人をお払い箱にした(100)。北進派の拠点部隊とともに、陸軍の戦略的頭脳の優秀な半数が、ほぼ一掃された。この粛清は軍の上層部にもっとも打撃を与えたが、その見返りに、新しく若い人材に昇進の道を開く結果となった。
この天皇の専制的対処の後に不可避的に噴き出した憤慨や新たな政軍連携に対して、大兄たちの11人クラブはひとつの策を編み出した。それは、裕仁がふさわしいと判断できない内閣には彼が拒否権を持ち、また、その件に一切の形跡も残さないでそれが秘密のうちになされるというものだった。どの内閣も、陸軍および海軍大臣を含めなければならなかった。1913年に改定された法律は、現役および予備役の陸・海両軍大将の中から、その両大臣を選ぶことができた。ところが、現役将校のみが天皇の命令による拘束をうけたので、理論的には、西園寺が推薦する首相候補者には、天皇の許可を受けなくとも、閣僚大臣の一人を指名することができた。天皇は、当然に、そうした内閣の承認を拒否することはできたが、それは儀礼慣行にそうものではなく、彼の偏狭性を見せることにもなりかねなかった。5月初め、枢密院は、天皇臨席のもとで、陸海軍大臣は現役軍人のみに限るという法律改正を広田内閣に推奨した。
内閣はその改正に同意し、裕仁は直ちにそれに署名して改正法が成立した。5月18日、その改正は既成事実となり、ただそれがいつ発効するかのみが報道界と世間に知らされた。裕仁と宮廷内部集団は、その発効日議論を、望ましくない内閣の組閣を阻止したり、独自に〔宮廷の意にそわない〕目的を進める内閣をつまづかせるための常套手段とした。かくして 「軍」 という正体不明の怪物が跋扈をはじめ、恐怖をいだき、敬虔で、タブーを避ける国民は、そうした――叛乱以降、裕仁が名実ともに軍の最高司令官となった――現実にしだいに無知であるようになった。# 9
# 9 1913年から1936年の23年間に、そうした選任は可能であったにも拘わらず、予備役軍人から両軍大臣が選ばれた事例はなかった。しかし、1944年、厳密には違法でありながら、裕仁は、ただ海軍人事部を呼び、米内という名を現役名簿に復活させるだけで、予備役の海軍大臣を生みだした。
そうした重大な改変が日本の構造に加えられている一方、2・26事件の主唱者たちは、沈黙のうちに姿を消しつつあった。本庄侍従武官長は、最初、寺内陸相によってその職にとどまるよう勧められていた。3月8日、陸相は本庄に、「私こそ、多くの問題をかかえる地位におります。どうか辞職はなさらんでもらいたい」 と留意を勧めた。
しかし3月16日、本庄は日記にこう記している。 「寺内が来て、娘婿の山口の罪状についての詳しい情報をくれ、心配していると言ってくれた。・・・その日、山口の家族が私の家に引っ越してきた。彼らの家具は、山口の実家にあずけた。娘とその子供たちを私のところで暮らさせたい、というのがその実家からの要望だった。」
翌日の3月17日、本庄は皇位に自分の辞任の意志を伝えた。 「陛下は 『どの程度、そちの家族は関与したのか』と聞かれた。私は、 『どの程度は存じませぬが、目下お状況において、優先事項は陸軍の粛正であり、もし事例を示さねばないらならば、辞任する責任を感じます』とお答えした。陛下は、『それはそうであろう。よく考えておく』 と答えられた。」
3月28日までに、その辞任は受理された。本庄には、お金、美術品、自身の机上の一対の文珍などが贈られた。 「これらを貴殿に贈りたい。私が長く使ったものなので」と天皇は言った。皇太后は、プラチナのカフスボタン、鮮魚、そして、彼女がこしらえたお餅を贈った。4月22日、本庄は、南大将――満州事変時、本庄が仕えた陸相――と伴に、予備軍に着くことを命じられた。
「愛着の情を禁じえない」 と彼は記した。
他の被疑者は、はるかに厳しく扱われた。無骨だが誠実な北進派の二番手指導者の真崎大将は、一年半にわたり、憲兵によって拘束された。1936年の最後の週、あくまでも罪状を認めぬ彼は、一ヶ月のハンストを行い、その最後には、水さえ拒否した(101)。病院に担ぎ込まれ、薬品の効果で健康を回復させられた彼は、結局、友人の荒木大将――北進派の一番の指導者――が 「歴史上もっとも長文の法文書」と言う判決をもって、無罪放免となった。その文書は、真崎の大逆罪へのすべての関わりを克明に指摘し、取って付けたような主文により、無罪を判決していた。彼の赦免は、近衛親王の努力――分派主義の傷を癒し、戦争に備える国民的一致を作ろうとする――が大きく寄与していた(102)。
山下少将――宮廷のために北進派の兵卒をスパイし、若手士官の叛乱にはどっちつかずの態度を示した――は、朝鮮軍の旅団司令官に再任命された。それまでの数ヶ月間、彼は、宮廷からの指示を余りに広く解釈し、叛乱を煽り過ぎたためにその沈静化を難しくさせてしまったのではないかと案じていた。彼の妻によれば、彼は落胆し、民間の仕事を探し始めていたという。そして1936年12月、彼の宮廷での接点であった元侍従武官の川岸文三郎が、彼の上司の司令官として朝鮮に赴任してきた。川岸はその際、天皇からの感謝と激励の文書を持参していた。それを読んだ後、山下は大いに元気付けられた。そして彼はしだいに裕仁からの信頼を得るようになり、1942年には、帝国のためにマレーを征服することとなる。(103)
叛乱に加わった若手士官は、銃殺刑に処せられた。相沢中佐――一番烏永田を暗殺した――は、叛乱後は閉廷されていた軍法会議に戻され、5月7日、死刑の判決が下り、6月3日、執行された。9日後、生き残っていた叛乱軍の19人の士官のうちの13人が、相沢に続いて銃殺された。彼らは全員、法廷でその意志と意義の申し立てをしたいと希望していた。だが彼らは、開廷の一時間前、軍法会議法務士官より、それが完全非公開で開かれるのを知らされた(104)。
彼らのほとんどは、その死の直前、天皇に 「万歳」 ――天皇の永久の命を祈る――を献上した。うち何人かは、失望させられた友人、秩父親王に、せせら笑う万歳を加えた。「自分の遺体は貴殿にお任せします」 と言い残した者もいた。ある一人は、 「自分はそうした特権階級者らの深い反省を願う」 と叫んだ。別の者は、もの静かにこう言い残した、「天国行きを前に、皆が天皇陛下のために万歳を唱している。ゆえに自分も、天皇陛下万歳、皇国万歳を繰り返します。」 (105)
また、他の者は、陸軍に関するいっそう困難なメッセージを発しようと試みた。 「日本人が皇軍への絶対的信頼をおこうとすればするほど、その信頼は裏切られる。ロシアは中央アジアでは無敵であり、それが日本に破壊をもたらすのだ」。北進派は、その東端のウラジオストックへのみ、ロシア攻撃を考えていた。中国の主要都市と農業生産地帯の掌握の後、裕仁がモンゴル砂漠を横切って、ロシアの脇腹、中央アジアに攻撃をしかけるべきだった。だがそれは、試みないで終わろうとしていた。
2・26事件に関わった民間人が銃殺刑に処された時、北一輝――北進派の老練理論家――は、その居並ぶ銃口を見下して言った。 「座らなければならんのか、それともこのままで構わんのか」。そこで銃殺班が座らそうとすると、彼は叫んだ。「座らせたいのか。キリストや佐倉宗吾(1645年に磔刑にされた義民)のようには、立たせておくわけにはいかんのだな」。 だが、彼のこの皮肉に耳を貸す者はおらず、1937年8月19日、報道陣に注目されることもなく、彼の処刑は実行された。それまで、日本人は彼の苦難の運命論の精神を共有していた。それまで、日本人は自らを、隊列を組んで前進させてきた。そしてかくして、日本人は、中国との戦争開始を、あと一ヶ月後に迫らせていた。
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04. 中川隆 2013年3月01日 21:20:39 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
70年以上に亘って日本国民に対して絶対的に隠蔽され続けてきた2・26事件の真相、全面開示
太田龍(週刊日本新聞)
2008年1月25日 日本義塾公開講義
今日は「二・二六事件の真相の全体開示」ということをお話しします。ここにバーガミニの後編の32頁のコピーがあるでしょう。二・二六の青年将校達の決起趣意書がそのまま載せてあります。この決起趣意書というのは、バーガミニの本に説明してありますけど、青年将校の主な人達が自分で文章を作成したんでしょう。それを北一輝のところへ持っていったら、北一輝が文章に手を入れて、メリハリの効く語呂にしたと書いてあります。決起趣意書をお読みになったことありますか?
川島陸軍大臣が昭和天皇に謁見して天皇の前で決起趣意書を、青年将校はこういう趣旨で決起したようですと読み上げるわけですよ。読み上げたら裕仁がどう考えたかという事をバーガミニが書いています。
私が決起趣意書を読み上げてみます。
謹んで惟(おもんみ)るに我が神洲たるゆえんは、万世一系たる天皇陛下御統帥の下に、挙国一体生々化育(せいせいかいく)を遂げ、ついに八紘一宇を完うするの国体に存す。この国体の尊厳秀絶は、天祖肇国神武建国より明治維新を経てますます体制を整へ、今やまさに万方に向って開顕進展を遂ぐべきの秋なり。
しかるに頃來、遂に不逞凶悪の徒、簇出(そうしゅつ)して、私心我慾を恣(ほしいまま)にし、至尊絶対の尊厳を藐視(びょうし)し僭上(せんじょう)これ働き、万民の生々化育を阻害して塗炭の疾苦を呻吟(しんぎん)せしめ、したがって外侮外患(がいぶがいかん)、日を追うて激化す。
いわゆる元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等は、この国体破壞の元凶なり、ロンドン軍縮条約ならびに教育総監更迭における統帥権干犯、至尊兵馬大権の僭竊(せんせつ)を図りたる三月事件あるいは学匪、共匪、大逆教団等の、利害あい結んで陰謀至らざるなき等は最も著しき事例にて、その滔天(とうてん)の罪悪は流血憤怒、真に譬(たと)えがたきところなり。中岡、佐郷屋、血盟団の先駆捨身、五・一五事件の噴騰、相沢中佐の閃発となる、まことに故なきにあらず。しかも幾度か頸血を濺ぎ来たって今なお、いささかも懺悔反省なく、しかも依然として私権自欲におって・・・苟且(こうしょ)(これが分かんないんですねぇ、苟も且つっていうんですね)偸安(とうあん)を事とせり。露支英米との間、一触即発して祖宗遺垂のこの神洲を一擲(いってき)破滅に堕せしむるは火を睹(み)るよりも明かなり。
内外真に重大危急、今にして国体破壊の不義不臣を誅戮(ちゅうりく)し、稜威をさえぎり、御維新を阻止し来れる奸賊を芟除(さんじょ)するに非ずして皇謨(こうぼ)を一空せん。あたかも第一師団出動の大命煥発せられ、年来御維新翼贊を誓ひ殉死捨身の奉公を期し来りし帝都衞戍(えいじゅ)の我等同志は、まさに万里征途に上らんとしてしかも顧みて内の亡状に憂心転々禁ずる能はず。
君側の奸臣、軍賊を斬所(ざんじょ)して、彼の中枢を粉碎するは、我等の任として能く爲すべし。臣子たり股肱たるの絶対道を、今にして尽くさずんば、破滅沈淪を飜すに由なし。ここに同憂同志機を一にして蹶起し、奸賊を誅滅して大義を正し、国体の擁護開顕に肝腦をつくし、もって神洲赤子の微衷を献ぜんとす。皇祖皇宗の神霊、ねがわくば照覧冥助を垂れたまわんことを。
昭和十一年二月二十六日
っていうんですね。ここにバーガミニが説明してます。裕仁は黙ったままその趣意書に耳を傾けた、その激烈な言葉と軍人精神の勇敢な見せかけの背後に裕仁は彼の好戦的な全政策への完全な否認を読み取ることができた。ベールをかけた腹話的な言い方で反乱者たちは裕仁に請うてこれ以上の外征上の紛争の危険から手を引き、彼の勢力を内政改革と日本の伝統的な大和魂の保持に傾けるように求めていた、という風にバーガミニは説明しているんです。
バーガミニは、二・二六の決起趣意書と、それを裕仁が聞いてどう考えたかという事について、このように説明しているんですけど、こういう説明は、今まで日本人は全く聞いたことはないですよ。バーガミニの評価、説明は大変妥当な、非常に当たり前の説明だと私は思うんですね。
しかし、裕仁はそういう風に考えたけど、川島陸軍大臣、本庄侍従武官長、その他陸軍の中枢将官のほとんどは、こういう青年将校の決起に完全に同調、共鳴というか同情というか支持というか、そういう風な気分だったわけですね。そのことをバーガミニは事実に即してちゃんと説明しています。しかし、日本で今まで出版されている、公表されている、あるいはテレビ、その他等で言われている説明とは甚だしくギャップがあるわけですよ。それで、問題がどこにあるかをまず明確に設定しないとダメですよ。
これはバーガミニの英語の巻の上巻です。上巻と下巻があって、全一巻本というのもあります。日本の翻訳は1973年に出た、いいだもも訳の上下二巻、約1100頁少しなりますかね。バーガミニの本は、日本語で出たものとしてはもちろん、その前の英語で出たものとしても、明治以降の日本の歴史、とりわけ大正天皇以降、大正11年に裕仁が摂政になって以降、昭和天皇が日本の国家の中枢を握ったわけです。その昭和天皇の歴史の真相について、バーガミニの本が初めてそれを明らかに光を当てたんですよ。
この本がアメリカで出たら、凄い大ベストセラーになって色々な人が非常に高く評価した書評を書いたりしてるんです。ところが! これはよく熟読してくださいね。短い文章でしょう。83年の新版、新版というのは日本語の新書版が出るのでその序文を寄せたわけです。驚くべきことが書いてあります。
「天皇の陰謀が物書きとしての私の経歴をお終いにしてしまった」と言ってるんですよ。
これはビックリしませんか? 非常に私はビックリしましたよ、それを初めて知って。
この本が出た1971年以来、大ベストセラーになったんです。良く調べると、なんとこのバーガミニという人はアメリカの大学を出た後、ローズ奨学生になってオックスフォードに入学してます。ローズ奨学生のオックスフォード卒業生ですよ。これは欧米ではとてつもないエリートです。インサイダーの候補です。
そういう人が、自分は日本に非常に縁が深いので昭和天皇の歴史を中心とした日本史を書いてみようという訳で、アメリカの有力な権力層から日本の多くのインサイダーへの紹介状を貰って、インタビューしたりして、本もたくさん買って、京都に住んで、京都の学生・卒業生とかを助手にして、非常に詳しい調査をして、日本のインサイダー、元将軍、元なんとかという人たちのインタビューをしたりして書いた本ですよ。これは凄い本だということで前途洋々かと思うと、とんでもない。この本を出したおかげで、自分の物書きとしての経歴がおしまいになったって言ってるんです。
内輪に見積もっても200万〜500万ドル。今のドルではなくて1970年代だからもう少し価値があったんじゃないでしょうか。200万〜500万ドルが、私を押さえつけておく賄賂ないしは監視料として使われたって言うんですよ。奇妙奇天烈な話じゃないですか? いかなる手段によるにせよ、その勘定、つまりお金は日本政府からは出ていないって言うんです。じゃあ誰がそのお金を出したんですか?
「とりわけエドウィン・O・ライシャワーが、私を押しつぶす大きな蝿叩きを作るために手を貸した」って言うんですよ。ライシャワーは、気の赴くままに合衆国の大学に与える贈り物を持っていたし、日本での訓練期間中に彼に借りを作ったCIAの手の者達の中核の献身を受けていたって言うんです。
つまり、ライシャワーを中心とする、アメリカのまさしく権力エリートが、バーガーミニを著述家として葬り去るために全力を尽くしたわけです。賄賂ないし監視料というのは、バーガーミニの著述家としての活動の全てに渡って完全に抹殺するように米国の権力が総力を挙げて襲いかかったんですよ。奇妙奇天烈な話じゃあないですか?
本を5冊書いたけどね、出版社に持って行くと、すかさずその出版社に手がまわって、その賄賂ってわけで、これだけ金をやるからバーガーミニの本は出すな、どうのこうのって訳ですよ。アメリカの日本問題専門家は全部ライシャワーの息がかかってますからね。ライシャワーが命令して「あいつはもう一切相手にするな」って言うわけです。
そんな風にして、彼はあっという間に物書きから転落していくわけですよ。そうしてね、いまの私はマイクロコンピューターを売ったり、コンピューターのプログラムを作ったりすることで身を立てておりますって言うことになっちゃった。そして、彼は「私の愛国心は幻滅に帰した」、つまり、アメリカは自分の祖国と思っていたがとんでもない、自分が1冊の本を書いたが為に、アメリカという国家は自分に襲いかかって、自分を叩き潰そうと、もう叩き潰してしまった。愛国心ってのものは無くなったと、そう言ってますよ。
これは実に驚くべき序文ですよ。バーガーミニの本は、日本の天皇を中心とする体制にとっては、絶対あってはならない本だと考えるのは当然ですよ。ところが、日本ではなく、アメリカの国家権力そのものが、バーガーミニに襲いかかった。それはこの本が、米国つまりイルミナティにとって虎の尾を踏んだ、絶対隠蔽すべきタブー、隠蔽すべき秘密を、バーガーミニが白日の下にさらけ出してしまう。そういう悪い事をした、犯罪を犯したという評価ではないかと。従って、そういう扱いを彼は受けるわけですよ。
いいだももさんが翻訳者ですけど、いいだももさんがね、このバーガーミニの新版の序文を高く評価して、何かコメントしたかどうか、私は調べてないけど、少なくとも私は知りませんよ。
それで、アイリス・チャンという人が、すごく悪名をつけられてしまったTHE RAPE OF NANKING という本、アメリカで出たら日本の天皇教狂信者達が一斉に襲いかかって、あれはとてつもない出鱈目だインチキだ悪書だって言ってすごく悪評が充満して、一般の日本人はそういう悪評だけ耳に入っていて、本物の本は全く知らないっていうことが続いて、最近10年後に日本語訳が出ましたね。その日本語訳を読んだら、そのバーガーミニの本がいろいろ引用されてます。しかし、アイリス・チャンも、アメリカでも高名な偉い学者達はみんな、バーガーミニの本を否定してるっていう風に言ってるんです。だから、普通の人は理解不可能です。
何故そうなるのか? 日本の天皇教信者と日本の国家権力とその他、それに類する御用作者・御用学者・その他が、バーガーミニを否定するのは当然でしょう。しかし、なんでアメリカの権力がバーガーミニを葬り去ろうとするのですか。この本は全くのインチキだって否定するんですか。
それはまさしく、昭和天皇が単に日本的存在であるだけではなくて、イルミナティ、サタニスト世界権力によって育成された、極めて有能な重要な貴重な傀儡である、イルミナティ、サタニスト世界権力の道具として裕仁は機能したし、ずっとこの本が出た当時もそうだし、今に至るまでそうである、ということの明確な証拠であると私は思います。そう評価することで、バーガーミニの本の重要性と、今それを再評価して日本人がちゃんと勉強する、消化することを始めるべき緊急な必要性があることが証明されると思います。
裕仁は別のことを考えていた
それで、私が読み上げた「蹶起趣意書」については、侍従武官長も、陸軍大将も、他の軍事参議官(まだ予備役になっていない現役の陸軍大将の全部か一部が天皇の軍事顧問の役割を果たすよう設定された職務。軍事参議官会議とは昭和天皇の諮問に答える)も、将官クラスも、ごく少数の非常に突拍子もないへんてこりんな軍人以外の、当時の日本の軍人・将校のほとんどが、この蹶起趣意書にすごく共感したわけです。
当時の日本の人口の6〜7割は農民ですけど、その農民は、第一次大戦後の軍が入ってきて、それから昭和4年(1929年)の世界経済大恐慌の前後からずっと続いてる、日本の経済恐慌の結果、農村は生きることも、死ぬこともできない様な塗炭の苦しみを味わってるわけですよ。兵隊はそういうところから出てくるんですから、将校はそれをひしひしと感じてるわけですよ。だから、多かれ少なかれ趣意書に書かれていることは、天皇の重臣などを殺したというのは、私利私欲、私的目的の為ではなく、こういう趣旨を掲げて、何とか変えてもらいたいと決起した志を酌むべきではないか、少なくとも天皇はその志を酌んで名誉を与えてもらいたいというのが、当時の(海軍は別ですけど)陸軍の首脳層のほぼ全員一致の考えです。
それでも、裕仁は全然問題にしないわけです。全然別の考えなんです。
バーガミニは、二・二六が起きた後、裕仁は単身、厳密に言えば一人じゃないですね、裕仁のそばにいた木戸幸一は、そのころ内大臣府秘書官長だった。二・二六で内大臣の斉藤実が殺されたでしょう。そのあと(1940年から)木戸幸一が内大臣になった。しかし木戸幸一1人じゃない。裕仁(昭和天皇)の摂政時代から、「十一会」という私的な結社を主宰してるんですよ、昭和天皇の顧問団。しかし、バーガーミニは、昭和天皇は単独で自分の考えを強行突破して、あらゆる反対、異論を押し潰して、いくつもの政治決戦に最終的に勝利したと評価してます。
それは全く正当な評価です。日本人は、そんな話はいまだかつて聴いたことがないですからね。だからね、それは非常に衝撃的な評価ですけど、バーガミニの本を最初から読んでいくと、当然そうなるとわかる。
薩摩と長州の宮中掌握
二・二六事件の当事者、関係者をあげていくと11項目ぐらいになる。決起趣意書については先程お話しました。二・二六事件の主役として、表面に出てくるのは4つの勢力なんです。昭和天皇、陸軍の北進派、陸軍の南進派、決起青年将校団の4つです。しかし現象面として挙げていくと、そう言えるという事であって、その現象では物事の本質は見えてこない。本質は何か、さかのぼって突き詰めていくと、落合莞爾さんが吉薗(よしぞの)周蔵〔上原勇作陸軍元帥の私的特務をしていた人物〕の手記について、今ニューリーダーに連載していることの画期的な意味、今まで日本人が全く知らされていない、気がついていない、極めて重要な根源的な近代日本の状況を知る為の要素があります。私も落合さんの連載を読んでいて気がついたんですけど、そもそも孝明天皇を弑逆(暗殺)した主役が長州なんです。公家の一部(岩倉、三条など)が共同謀議して実行したんでしょう。ところが、薩摩が長州と共同歩調をとらないと、それはうまくいかないんですよ。薩摩が孝明天皇を弑逆して大室寅之祐を天皇にすり替えて、イルミナティの傀儡として全く偽者の天皇をでっちあげて、それを本物の天皇として日本人に見せかけて、日本人をずっと騙して、その真相を絶対に秘密にする、そういうシステムを作る上に、薩摩と長州がその二つの主役だった事を私は既に色々なところで言ってます。
しかし薩摩は西郷隆盛が主たる人物。西郷隆盛は、イルミナティのコントロール下で彼らの傀儡となって日本を支配するというような生き方には、究極的にNOと言ったんです。NOと言ったのでフリーメーソンがイルミナティに西郷隆盛の排除を命令したんです。長州と薩摩も彼らの傀儡に対して。それが西南戦争です。西郷さんと一緒に薩摩の武士の約半分は殺されました。残った半分はどうなったかというと、そのすぐ後に大久保も殺されて、その為に、薩摩の力が弱くなって長州のひとり天下のように思われるわけです。
ところが、実はそうでもないんですね。その事を落合さんがずっと調べていって、重要な事実を発見しました。薩摩は英国と戦争をやって、長州は4カ国と戦争をやって、敗北したら掌を返すようにイルミナティの家来になるわけですよ。薩摩も長州も。そして薩摩藩は有能な青年武士をフリーメーソンのグラバーの手引きで英国に留学させた。長州ファイブと英国では言うようですが、その中の一人が伊藤博文です。それから井上(馨)。伊藤と井上は明治時代ずっとペアで日本を支配する。その他、その長州ファイブが、フリーメイソンと、フリーメーソンを上回る直系の長州政権内の決定的なワンワールドの支持の元に動く。これについては加治将一という人の本に割と詳しく書いてある。ところが薩摩も長州とほとんど同時に何人かの青年武士をロンドンに留学させている。そのほうもワンワールド・フリーメーソンに会っただろうと加治って人も言ってます。
しかし、落合っていう人が言うのには、西郷軍(西郷さんの陣営)が完全に潰された後、薩摩は長州に対して弱体化したかというと、そうではないんですね。西郷、大久保、吉井友実〔よしい・ともざね、1828〜1891年。西郷、大久保と同等クラスで、薩摩藩のナンバー3。フランスに留学してワンワールド・フリーメイソンに加入し、明治初期から宮中に入っていた。西郷、大久保なき後、ワンワールドの代理人として宮中を掌握〕の3人が主要な指導的人物と言われていて、その吉井というのが明治になって留学してフリーメーソンに加盟したと落合さんは言ってる。陸軍に入るけど留学して、そして宮中に入る。つまり、ワンワールド、フリーメーソンは宮中を完全に掌握する事を重要な政治課題として設定したと私は思います。
それから、松方正義〔まつかた・まさよし、1835〜1924年。薩摩藩。金融を掌握〕は有名な財政家・金融家ですけど、これもワンワールドでロスチャイルド直系の子分だと言ってます。従って薩摩はワンワールドを通じて西郷さん一派が完全に消えた後も金融を押さえ、宮中を押さえる。そういう風にしてワンワールドは長州の陸軍、薩摩の金融・宮中の勢力が二本立て、両建てで日本をコントロールしたと、私が要約するとなります。
これは私は気がつかなかった。その後、高島鞆之助〔たかしま・とものすけ、1844〜1916年〕という長州(薩摩の言い間違え)の有望というか有能な武士が、陸軍中将になるけど、やはり宮中に入るんです。高島鞆之助もヨーロッパに留学してフリーメーソンに加盟したと言うんです。薩摩の吉井と高島が、普通の歴史には全く出てこないけど、長州の陸軍、官僚と並んで同時にワンワールド、フリーメーソンの日本支配の極めて重要な陣営として機能してる、という事なんです。
私がここで何を言いたいかと言うと、大室寅之祐を擦り替えて天皇にはした。当然、京都で継続してきた日本の朝廷、天皇の系統とはまるで別物ですけど、別物であるにも関わらず、継続した天皇家の正統であると日本人に思わせないといけません。これは非常に難しい仕事ですよ。代々ずっと続いた天皇の正統な継承者であるというふうに日本国民に思わせるように、パフォーマンスというか、フリというか、演技というか、そういう風に作ると同時に、裏のほうでは国民に全く知られないところで宮中はワンワールドの司令通り忠実に動くように演出しなければならない。これは途轍もない難しい仕事ですよ。そういう場に際したのが、吉井と高島。薩摩の非常に有力な武士団の実力者です。
という事を、上原勇作〔うえはら・ゆうさく、1856〜1933年。薩摩藩。山県有朋と同時代の陸軍大将。吉井、高島のひいきで出世。やはりワンワールド〕を調べていた落合莞爾が気がついたという訳なんですね。そういう風に見ると今問題になってる事が凄くよく解る。そうして宮中を握るでしょう。そうすると出てきた現象はどうなるかというと、皇族の男子は全員原則として軍人になるべしというような規則にするんです。軍というのは、陸軍か海軍かのどちらか。従ってバーガミニは、明治、大正、昭和と皇族の表をずっと作って、追って行くわけです。驚いた事に日本には皇族がどうなっているかについて詳しい情報は全くない。変な話だが、わざとそうしてる。そこを調べて行くと、皇族の男子の軍人というのが、陸軍軍人、海軍軍人、ものすごくたくさんいる。そんな事は孝明天皇までの日本の天皇の伝統には存在しないです。
明治天皇がそんな事を考え出して、こういう風にしようなんて事はあり得ない。ワンワールドの司令を受けた宮中を完全に支配する力を得た、吉井、高島、そういう薩摩の藩閥勢力によって宮中がそういう風に作り変えられていった訳ですよ。陸軍軍人、海軍軍人らの皇族は、当然の事ながら英国、フランス、プロシア(ドイツ)、その他ヨーロッパの王室、陸軍・海軍の軍人のシステムをそっくり同じ様なものを作るわけですよ。
大正天皇のクーデタ
大正天皇が明治11年に生まれ、昭和天皇が明治35年(1901年)に生まれ、教育を受ける頃には、宮中のワンワールド支配が濃密に丹念に入念に準備されていたわけです。その結果、どういう現象が起きたか。大正天皇が32歳で天皇に即位する。その時にバーガミニは大正天皇の失敗・未発に終わったクーデタについて書いてます。それはこの本の第2巻で、いいだもも訳には省略されてる部分。
いいだももの要訳では、昭和天皇の時代は昭和3、4年ぐらいから始まる。それまで大正天皇の時代、摂政になる時代、昭和天皇が即位して最初の2,3年。この時代の記述はいいだももの訳には省略されてる。ところが重要な事がたくさん書いてあり、それを追って行かないと話が結びつかないのに、カットされてます。
大正天皇の不発のクーデタなんて、私は日本人の書いたものでは読んだことがない。クーデタとは何を意味するか? 山縣有朋は当時の元老です。大正天皇の時代の元老では、西園寺公望、山縣有朋、大隈重信、主要なのはその3人ぐらいです。大正天皇が山縣有朋と衝突するというんです。衝突って何を意味するかというと、西洋式のナポレオンとかアレキサンドル大王とかいった人物が大正天皇の理想像になったと言うんです。つまり、大正天皇はそういうふうに日本を、国家を、改造する気なんですよ。明治憲法によって作られた議会制度は余計だっていうわけですよ、大正天皇は。そんなものは廃止して天皇の絶対独裁の国家体制にしたいって大正天皇は考えた訳です。それがクーデタです。明治憲法(大日本帝国憲法)の議会で予算が審議されるでしょ。議会が予算を否決すると困っちゃうんです。政治的な焦点は、予算について言えば、日露戦争やって日本は莫大な外債(借金)を背負ってヒーヒーするわけですよ。それで国力を養わなくちゃならないというのが国民、政治家の大多数の意見だけど、しかし、それとは全然逆の方向、つまり日本を西洋をモデルとした帝国として建設に向かって急速に前進すべきだ、その為には陸軍と海軍を増強しなければならない、そして、それに反対する議会ってのは邪魔な奴だ。こんなものは蹴散らかして天皇絶対の国家体制にすべしと大正天皇は考え、それが大正天皇のクーデタだというのです。山縣有朋は、そんなとんでもない事を言うなという訳です。大正天皇に。山縣有朋と大正天皇が正面衝突しかかり、その時点では山縣と長州閥の勢力が圧倒的に強いから、大正天皇は押さえつけられて未発に終わったと書いてある。
こんなことは私は日本人が書いたこれまでの歴史で読んだことがないです。そして、裕仁は大正天皇の不発に終わったクーデタを諦めないで実行しようとする訳です。それが要するに基本なんです。立花隆が『天皇と東大』という本を書いたでしょ。文芸春秋に連載して、いろいろ補足して厚い本を出した。東京帝大の憲法学の教授が二人いて、その一人の上杉慎吉は議会を撲滅せよと言うんですよ。上杉憲法学の根本的なアジェンダは「議会なんていうのは天皇を神聖化する日本の国体に全く反するものだから議会を一刻も早く撲滅せよ」というもの。そこから右翼的な組織が出来たりどうのこうのと立花さんは説明してますけど、それは現象を言ってるだけであって、上杉っていう学者の話じゃありませんよ。もっと根の深い話で、大正天皇が傀儡として議会は邪魔だって言い始めたんですから。邪魔だっていうのは、大正デモクラシーの時代にはとんでもないアナクロニズムで、問題外だと多くの人が思ったかもしれないけど、ところがそうはならないですよ。
昭和になってクーデタ、暗殺、その他、諸々わっと出てきて、二・二六を昭和天皇が完全に圧殺・抹殺した後は、文字通り議会は消えて、お前ら消えて無くなれってふうになって、大政翼賛会でね、陸軍にちょっとでも逆らうような政治家は暴力的に黙らせるというふうに、実現してしまう。イルミナティのワンワールドの意思が働かなければ、日本の純粋な国内の状況でそんな現象は起きないですよ。
ザビエル以来の日本全滅計画
しかしそういう事が何故要求されるのか? 私の『ユダヤの日本侵略450年の秘密』という本に書いてますが、ザビエルが日本に来て「日本はこの地上から抹殺されるべきだ」「日本人はこの地上で生きていてはならない民族だ」「これは我々にとって極めて危険な強力な敵になる可能性があるから一刻も早く一人残らず皆殺しだ」と、ザビエルはイルミナティ本部に申告しているんです。450年あまり、イルミナティの対日アジェンダはずっと継続してます。
家康が鎖国をして次にペリーがやってきたでしょ。ペリーがやってきたら、日本の内部から崩れて、孝明天皇が殺されて日本は既に仮死状態ですよ。神経麻痺してます。ゾンビ人間みたいなものですね。その後に出来た日本の天皇を中心とする支配階級はイルミナティの檻の中に入っている実験動物のネズミのようなものです。孝明天皇弑逆事件以降、主体的な意志を持つことは許されていないんです。
しかし、彼らが日本を完全に抹殺するには日本の独自の軍隊を完全に破壊しないとだめです。独自の武力を破壊して日本全土をイルミナティの軍隊が占領しないと、話は先に進まないです。それはなかなか難しいです。米国は太平洋の遥か向こうにいるでしょ、英国に至っては太平洋どころか延々と日本にやって来て英国が日本を占領する大軍隊を日本に派遣するなんてことは夢物語にもならないです。したがって英国は別のエージェントを使って日本を占領させないとだめでしょう。英国を本部とするイルミナティは、あれこれ謀略の限りを尽くしているわけですよ。
ペリーが来て日本はイルミナティの資本主義のルールの中に取り込まれた。それだけでは話は全然進まないですから、日本全土を占領して日本の陸軍も海軍も一兵も残さず一掃する、消してしまう。話は簡単だけど実行するのは難しいですよ。その為には日本を扇動して、西洋式の帝国主義になる、成り上がるという気持ちを起こさせ、その為に強大な軍隊が必要、陸軍も海軍も強くしなければということにしないといけない。そんな事をすると一般の日本人は汲々として生きていかれないような状況になります。当然ながら一般は日本人はそんな事は嫌だと言うでしょう。そんな事はヤダよと言わせないようにしないといけませんよ。そもそも議会というのが邪魔だとなります。
陸軍でも海軍でも良識的な優れた軍人はね、負けるに決まっている戦争はやらないです。そんな戦争はやるな、自分は反対だというでしょう。そういう反対する良識的な軍人は全部抹殺しないといけません。そしてイルミナティの命令どおり、最終的に日本は満州を占領して、中国全土を占領して、東南アジアも占領して、英国と戦争して、アメリカとも全面戦争して、ソ連とも全面戦争してと、そういうふうにするアジェンダというか、そういう軌跡というか、そういう方向に日本を突き進めないとだめですよ。
普通の日本人、日本の指導者でも政治家でも官僚でも陸軍の軍人でも海軍の軍人でも、多少でもまともな良識持っていれば、そんな事は自分は反対だって言うでしょうよ。そんな事やったら日本が全滅するのは子供だってわかる道理ですから、反対だって言いますよ。だがそんな事でイルミナティは諦めない。そこを何とかして謀略の限りを尽くし、良識的な官僚、政治家、知識人、陸軍軍人、海軍軍人を、みな追放して、イルミナティの挑発、プロパガンダ、謀略にほいほい乗ってくれるアホを日本のトップにして、全世界を敵にして百戦百敗の戦争に突っ込むようにもっていかないといけない。
そんな事は普通の国家体制では出来ませんよ。ほとんど全国民が嫌がることをやらせるには仕掛けが必要です。その仕掛けが絶対主義的天皇制度だった。天皇とは天照大御神から直系した現人神であり、日本の精神をすべて支配し、権力をすべて支配し、天皇の為に死ぬ事が最高の名誉であって、天皇に一言でも批判したり何か言うだけで特高警察がやって来て撃ち殺されても当然だという具合に日本の空気を持っていかないといけません。そういう仕掛けが二・二六の後、日本に完成したんですよ。
そういうふうに二・二六を見ないといけません。二・二六までは陸軍の将官の圧倒的多数は中国との戦争には反対です。当たり前です。最終的に日本はずるずる中国大陸に引きずり込まれて、昭和20年敗戦の時には、日本の陸軍は約100万人の軍を中国全土に占領軍として派遣した。100万の軍隊というのは口で言うのは簡単だけど途轍もない事ですよ。しかも、100万の陸軍の兵隊を中国戦線で維持しながら、さらに英国(英国がアジアに向ける国力は少しだが)と、モロに国力の半分を日本に向けるアメリカと、そういう戦争に向かって突入していく。気が狂ってなければこんな事はしません。普通の日本人であればこんな事はしません。しかしそれに反対すると天皇が出てくる訳です。天皇の命令に反すると直ちに死を意味する。殺されて何も言えないって具合になる。そういう仕掛けが完成したのが二・二六の後です。
二・二六、そして日支事変があって、その後どんどん戦争が拡大していくでしょ。それで予定通り日本は敗戦してイルミナティが日本全土を占領したんです。今に至るまで占領体制下にあります。占領してしまえば、日本は完全に籠の中の鳥、檻の中のネズミとして彼らがどうするのも自由自在。そうなってるでしょ。
根本的な当事者は裕仁だ
日本人には今に至るまでその歴史が一向に釈然としない。釈然としないから二・二六について非常に多くの人がいろんなことをあれこれ言うけどね、しかし一向に問題の真相、本丸に迫らないんですよ。鳥居民という人が『近衛文麿、黙して死す』という本を一昨年出しています。近衛文麿と木戸幸一が元宮中の中枢に近い二人の人物でしょ。近衛文麿は陸軍の一部(統制派)による中国に対する全面戦争には全く反対したんです。一方、木戸幸一は統制派の陸軍とともに陸軍による中国全土占領政策に舵を切るんです。にもかかわらず、大東亜戦争、東京裁判のあと、日本では近衛が悪玉で木戸が善玉になっている。非常におかしい。全くおかしな世論操作が行われているんじゃないかと、この人(鳥居民氏)は言った。
二・二六についても決起青年将校の趣旨が若干でも日本の国家に取り入れられれば、その後、日支事変、中国に対する戦争も開始しないし、その後の全面的な戦争とは全然別の路線を日本はとったはずだけど、その時点で昭和天皇に対して方針・政策を提案する決定的な立場にあった木戸幸一は、二・二六に対して即時徹底的に鎮圧すべきという方針を提起して、昭和天皇はすぐにそれに賛成して、そういうふうに進んでしまったっていうわけで。
近衞は全く別の方針だったけれど、近衞は全く排除されたという風なことを言ってます。だから木戸は二・二六の後の方針についても、それから日本が米国との戦争を回避するかという議論でも、近衞は全く反対したんですね。近衞は、日本は中国から陸軍を全面的に撤兵して、米国と交渉し直して、米国と戦争しないような方向に持っていくべきだと言ったけれども、木戸は陸軍中枢部の線に沿って、中国からの撤兵反対、アメリカとの戦争辞さず、そして実際にアメリカとの戦争というふうに持っていった主犯であるとこの人は言っている。
しかし日本人は、今更そういうことを言われても全然ピンと来ない。というか、今更そんなことを言ってもしょうがないんじゃないかということで終わりになっちゃうわけです。
木戸幸一じゃなくて根本的な当事者は昭和天皇なんです。鳥居って人はそのことには触れることはできない、そのことに触れるとそれはたちまち現代日本の体制を支配している絶対的なタブーと衝突して、自分の方がぺっちゃんこになるかもしれない、だからそういうことはしないというわけです。従って今まで昭和天皇を弾劾する、昭和天皇の政策を告発する、それを否定する、昭和天皇が反日本的な方針を強行したということについては一言も言えない、そういう呪縛が日本人を縛り続けているんですね。
どの識者にもイルミナティ(英・米・露という国家の枠を超えた存在、
自由主義・共産主義という思想の枠を超えた存在)が見えていない
バーガミニは、昭和初年以降の、満州事変以降の日本の戦争の主犯は、その主たる決定者は昭和天皇だという説を立てて、論証していく。だから昭和天皇の陰謀ってわけだ。日本ではいかなる実力者もいかなる人間も政治家も軍人も官僚も、昭和天皇の意思に異議を唱えることはできない。満州事変以降、日本の戦争期間中に総理大臣がたくさん替わっているでしょう。一年か二年ぐらい、ひょっとすると一年未満で辞めたりして、非常にたくさんの総理大臣が替わってます。そういう人たちが共同謀議をして一貫した日本の戦争拡大を遂行するなんてありえない。その方向の主犯、謀議の中心は昭和天皇なんです。昭和天皇は側近を通じてその政策を実行したと一応バーガミニは書いている。その(表面の)現象は書いてある。昭和天皇の背後に存在する勢力についてはバーガミニには分からないんですよ。だから本当にちゃんと調べて自分は解明した、昭和天皇の時代の日本の歴史の真相を解明したと思ったところが、それにアメリカのためにもすごく大きな仕事をした、みんな褒めてくれるよと思ったところが、たちまち背後から襲われて、なんだか訳のわからないうちに潰されちゃうんですよ。彼には見えないイルミナティのアジェンダの中に日本が設定され、日本が取り込まれていて、その結果いろんな現象が出て来るってことがバーガミニには分からない。
私は『ユダヤの日本占領計画』という本の中で、日支闘争計画について割と詳しく説明してます。渡部悌治先生の『ユダヤは日本に何をしたか』という本の中にも日支闘争計画については説明してあります。日支闘争計画というのは1918年の秋、モスクワで全ユダヤ会議の代表とボルシェビキ政権の代表と、イルミナティの代表が集まって日支闘争計画という長期計画を立てた。それは日本と中国を戦わせる。日本と中国の全面戦争に持っていく。その過程で共産主義が中国の中で主導権を取るように持っていく。そしてその次に日本に対してアメリカとの戦争、英国との戦争、最後に共産ソ連との戦争、に持っていく、そして最終的に中国も日本も同時に我々が支配する、そういう計画を立てたというんですね。それがロシア語の新聞に載っていたものを日本の諜報機関が手に入れて、東京に報告したけど、その意味が全然わからないままになっていると渡部先生は言ってます。渡部悌治先生が仰るには、その問題の情報が載っているロシア語の新聞は、1918年の秋に行われたのですからそのあとなんでしょうね、国会図書館にありますよとおっしゃっていました。あいにく私はそれを調べてないんですけど、国会図書館にまだ保存されているなら、ロシア語のわかる人が見れば出てくるでしょう。
それで日支闘争計画というのは、ボルシェビキ共産政権、コミンテルン、共産主義の勢力だけじゃなくて、全世界のユダヤ人組織の代表が入ってる。それからイルミナティの代表が入ってると説明されています。日支闘争計画というのは、ソ連共産主義政権の単独のプログラムではない。全世界のユダヤ人組織、イルミナティの世界組織の計画でもある。真相に迫ろうとする人は、そのところで止まってしまっているんです。
二・二六事件研究家の山口富永(ひさなが)氏。國民新聞という右翼の月刊新聞をずっと購読してて、この山口という人の文章を読んだら、面白いことを言ってると思ったんですけど、最近バーガーミ二の本を読んだら、改めてこの人を注目しなくちゃと思ったんです。
平成2年に出版された『二・二六事件の偽史を撃つ』を最近山口さんから送って頂いた。山口さんは1924年生まれですから、戦争末期軍隊に徴集されたんですね。少年時代、中学生の頃からでしょうか、真崎甚三郎大将と交流があって手紙のやりとりをして、真崎大将と皇道派の志と方針に全面的に共鳴した人なんです。たいていの人は少年時代の話はしばらく経つと忘れちゃって、捨てちゃってサヨナラするのが普通ですけど、この人は84歳に至るまで真剣にそのことを追求しています。
これは最近、連載されたものです。皇道派の真崎大将は、日本の国力相応の軍備強化(口先だけの外交は不可)、戦争の拡大は絶対に反対という人ですからね。真崎大将はイルミナティからすれば、大変邪魔なんです。無自覚的にイルミナティのエージェントにならされた統制派の人たちは、裕仁の直系の軍人でもあるんですよ。統制派の最たる者が有名な永田鉄山少将で、相沢中佐に陸軍省の中で惨殺された(1935年)。永田鉄山がイルミナティの道具として使われた最も代表的な軍人でしょう。
イルミナティにとって真崎は邪魔だから排除しようとした。二・二六事件を奇貨(きっかけ)にして、二・二六事件の共犯者だと称して(真崎を)逮捕して調べたんですけど、陸軍の司法部、陸軍の軍事裁判は無罪の判決を下したんです。もともと何の関係もないですから。皇道派の真崎大将は、イルミナティが日本の完全抹殺に向かって決定的に歩を進めようとするときに、日本の陸軍の良識的な部分として、しかも陸軍の軍人から絶大な信頼を得ていた。そういう人物の排除が、至上命令だったことがよくわかります。
したがって、私は、昭和天皇が二・二六事件の主犯である、日本を滅亡に追い込んだ国賊である、日本の歴史上もっとも顕著なもっとも極悪の国賊である、という風に昭和天皇・裕仁にレッテルを貼り付ける必要があると思います。そういう風に価値観を変えないとダメです。
明治天皇と昭和天皇は全然異質なんです。明治天皇は15歳までは、大室寅之祐、普通の日本人ですからね。傀儡とされたけども、薩長の藩閥の傀儡なんです。それを通じてイルミナティの傀儡に位置づけられたけど、少年時代は日本人として教育されているから、そう簡単には動かされないんですよ。西南戦争で、大久保・木戸一派が、とにかく「西郷を殺せ」っていうけど、明治天皇は本心では絶対反対なんですよ。大久保と木戸は、明治天皇に、西南戦争の最前線に立って、大本営を広島辺りに持っていって、天皇の威光でとせっついたけれども、明治天皇はそれを拒否して、宮中に篭ったまま外に出てこない。これは歴史に残ってます。明治天皇は反対なんですよ。
西南戦争で西郷さんが死んだ後、木戸が途中で病死、大久保は明治11年に殺され、岩倉は明治16年に病死した。その後、明治天皇は西郷隆盛の名誉を回復しろと命令し、それは実行されたんです。「西郷隆盛の遺族はどうしてる?」と明治天皇が尋ねて、調べたら、妻子は山中に隠れてひっそりしていたことがわかって、どうこうとなるわけです。一刻も早く名誉を回復させよと、明治天皇が言うわけです。次に日清戦争を起こすでしょ。明治天皇は日清戦争は反対なんです。しかし、薩長藩閥政権はイルミナティの傀儡だから、明治天皇がなんと言おうとも問題にしないんですよ。明治天皇の意思に反して、日本は日清戦争に突っ込んだわけですよ。
私が『長州の天皇征伐』という本を書いて出すときに、出版社が「明治天皇国賊論」という案をいってきたんですが、明治天皇を国賊と言い切るわけにもいかないんですよ。しかし、昭和天皇は、明々白々、歴然たる日本史上最悪の売国奴です。日本全土を今に至るまでイルミナティの占領下において、日本はその命令通り日銀の利子をゼロに近づけて十何年やっているんですからね。そのお金をユダヤ・アメリカ・イルミナティがただ持っていって盗っていることに、日本の国家は何も言えない。日本の占領はますます強化されてますよ。そういう状態にしろと言われ、その通りに実行したのが裕仁なんですよ。裕仁は日本史上極悪の売国奴だと私は考えてます。裕仁については「国賊・昭和天皇」と言うべき時だと思います。そういう風に日本人の価値観を変えないとだめです。明治天皇は違いますよ。昭和天皇はイルミナティの傀儡として百点満点というわけです。
二・二六でイルミナティの傀儡としての昭和天皇を独裁者としておくことが必要だった。そうしないと、百戦百敗、完全に惨敗して、日本が滅亡することが決まっているような、中国に対する戦争、中国に対する全面戦争はやがて、松岡洋右が当時言ったように、必ず米国との戦争に日本は引っ張り込まれ、最終的にソ連との戦争となる。日本は全世界を敵にして、滅亡するしかない。松岡洋右はそう言ってます。松岡は外務大臣で、昭和天皇が大嫌いなんです。裕仁は松岡についてあれこれ悪態をついてます。
日本を全世界に対する無謀な、惨敗して滅亡するしかない状況に持っていくために、裕仁は使われ、その通りに裕仁は演技したんですよ。これを売国奴と言わずして何と言うんですか? 二・二六事件は、それを象徴的に表しているんです。陸軍の将官が全員、決起将校の心情、政策、志をちゃんと評価すべきだと言ったんです。しかし、昭和天皇はそんなものは問題外だと排除した。バーガミニはそれを「政治戦に裕仁は勝利した」って言ってるんですけど、その通りです。
日本の蘇生には真崎大将の名誉回復が絶対必要条件
二・二六事件についてそう考えると、真崎甚三郎大将の遺志が、今、非常に重要になっている。日本人が、真崎大将の名誉回復をすることが、滅亡寸前の日本の再生と蘇生のために絶対必要条件だと、私は、山口さんの本を読んで気が付いたんです。
この山口さんが、昭和19年に陸軍に徴集されて入隊する時に、真崎大将を訪問した。山口さんが、真崎大将に「今、日本に天皇陛下はおられるのですか?」って聞いたそうです。そしたら真崎大将は「二・二六の将校もそれを嘆いて死んでいった」と言われたと。昭和19年のことです。山口さんは皇道派の志に同調してたから、「今の天皇というのはなんだ?」「あれは本物の天皇なのか?」「今は日本に天皇はおられるんですか?」という疑問が出てきたわけですよ。本当にその通りですよ。実際、銃殺刑に処せられる青年将校十何名の中には、天皇を公で批判した人もいるし、批判しない人もいるけど、と言ってますね。山口さんは非常に重要なことにちゃんと迫ってます。しかし、「裕仁は国賊だ、売国奴だ」とはっきり言い切るのは、日本人にとっては難しいです。左翼はイルミナティの虎の威を借りて「昭和天皇は戦犯だ」とわめくんです。彼らはイルミナティの手先ですからね。イルミナティの虎の威を借りてあれこれ言っているだけのくだらない人達です。左翼そのものがイルミナティのエージェントとして日本をイルミナティに売る売国奴ですから、こういう人たちは問題外。日本人の立場として日本民族の立場から見て昭和天皇とは一体なんだ? そのことに今までで一番接近しているのは、二・二六事件に全然関係ないのに逮捕された皇道派の首領である真崎大将ですね。
真崎大将が「東條ごときはものの数でもないが、自分に対する圧迫が宮中からずっと来た、そのことが一番難しい、苦しいところだった」という趣旨のことを言ったと書いてあります。宮中ってなんですか? 木戸内大臣は天皇の番頭であって、権力そのものじゃないです。宮中ってのは昭和天皇でしょ。しかし真崎大将も昭和天皇に対してストレートにそれを告発する、それを批評することが心理的にできないんですよ。
それを超えることができなければ日本の民族はもう終わりですよ、と私は思います。つまり、イルミナティは孝明天皇を弑逆させて、その辺りに傀儡を作って、明治天皇はなかなかイルミナティからすれば素直じゃないでしょ。大正天皇は明治11年生まれですから、それを教育する宮中はワンワールドの手先。完全に支配してるんだからね。昭和天皇に至っては明治34年生まれですから、ワンワールドによる宮中の支配は完璧になってます。裕仁はイルミナティの純粋培養の作品です。イルミナティの傀儡として終始し、摂政の時代も、昭和前期も、占領中も、一応講和回復後も、イルミナティの言う通り期待通り百点満点と評価していい存在だった。
そうして日本は敗戦、講和回復しても昭和天皇の言うとおりに、ずっと占領下にあります。その件について多少真相に迫った学者などが2〜3名存在します。その学者の研究によれば、朝鮮戦争が起きて米国政府が日本との講和条約交渉を始める。その時に吉田茂首相は常識として当たり前だけど、講和が締結すれば戦争は終結だから米軍は全部撤退する、それが当然と思って進めていた。ところがなんと昭和天皇が吉田首相の頭越しに、吉田首相の知らないところで裏取引、秘密交渉をやるわけですよ。秘密交渉の相手はダレスです。ダレスは共和党系だけど、民主党政権でも有力な外交顧問になってた。対日講和条約はダレスが主任となった。ダレスと言うのは1920年代からロックフェラー財団の最有力者で、イルミナティのコンコンチキですよ。そういう人物と裏取引、直取引して昭和天皇は吉田茂の方針を否定して、講和条約締結後も無期限に日本は米軍に軍事基地を提供する、というよりも米軍に無期限に日本に駐留してもらいたい、と言うわけです。沖縄に至っては50年くらい、事実上半永久的に米国の領土として日本は認める考えがあるということをダレスに対して昭和天皇は言うわけですよ。
これは何なんですか?
これを売国奴と言わずして何というんですか?
日本人が正式に選んだ吉田茂首相とその内閣、吉田茂は常識として戦争終結したら米軍は日本全土から撤退する、そういう当然の前提のもとに講和交渉を始めたんです。当たり前のことじゃないですか。それを昭和天皇が横やりを出して、ダメだというわけです。率直に言えば、日本は米国に無期限に占領してもらいたいと言うわけです。
これは何なんですか? その結果、今のようになってんですよ。これは何なんですか?
しかしこれは昭和天皇の日本に対する無数の裏切りの一つに過ぎません。しかしながら日本人はそのことを公然と報道し、論評し、批評する自由を全く与えられてないんです。というよりは、日本人がその言論の自由を行使する気力を奪われているんです。これは日本が刻々急速に滅亡していく、そういう絶対的な心理的条件以外の何ものでもないと私は思います。しかしそうなった歴史的背景は何なのか? そういうことを日本人には真剣に考える必要があります。
天皇=イルミナティの傀儡、として歴史の再検証を
別の話になるんですけど、日本でユダヤ・フリーメーソン批判を最初にやってずっと最後まで主要な指導的な役割を果たした、四王天延孝陸軍中将〔1879〜1962年〕は、士官学校、陸軍大学を出た日本の陸軍のエリートコースの一人です。そして第一次世界大戦中フランスに観戦武官として派遣されていたんですね。そうしているうちにフランス人にいろいろ友人ができて、その友人から「この戦争はお前、ユダヤが始めた、主体はユダヤだということを知っているか?」って言われるんです。それを聞き逃す人もいるかもしれないけど、四王天さんは真剣に受け止めて研究をはじめるわけです。一体これは何だ? 今は違うでしょうけど、その頃のフランスには非常にたくさんのユダヤ・フリーメーソンに批判的な文書・言論があったんです。そういうものをたくさん集めて、真剣に研究調査していくわけです。
第一次大戦中の観戦武官として派遣されるのは、紛れもない軍のエリートコースですよ。第一次大戦以降日本はシベリア出兵するんですけど、四王天さんは満州の北部に陸軍の諜報機関の事務所を作って、反ボルシェビキ、反共産主義的ロシア人と接触していろいろ情報を得たり工作したりするんです。そういうことを通じてボルシェビキ共産革命が国際ユダヤによって計画され実行されたという話を聞いて、たくさん情報を集める。そうして四王天さんは最も早い時期から日本でユダヤ・フリーメーソンに対する批判、思想戦、それに対する対策、そういうものをずっとやってたわけです。
国際連盟ができると、日本はその頃の世界の主要5カ国の一つになるんですね。その主要5カ国が国際連盟の軍事委員会を作る。日本の陸軍はその国際連盟の軍事委員会の日本軍の代表として四王天さんを派遣するんですよ、ジュネーブに行きます。その頃、陸軍少将になってるんじゃないでしょうか。そういうコースは、軍のエリート・コースですよ。
ところが、ジュネーブから帰任すると、すごく露骨に左遷されるんです。名古屋師団付といっても特別な仕事は何もない、完全な閑職、クビ寸前の地位に置かれる。それでも、四王天さんは日本全国を奔走して、一般の日本人に対して、ユダヤ・フリーメーソンの危険を警告する講演会をたくさんやっているんです。そしたら、上原勇作元帥がじきじきにやってきて、「お前はユダヤ問題なんていうくだらないことはもうやめろ」と言うんだって。「いや、それはできません」と言ったら、たちまちのうちに四王天さんは、陸軍退役ですよ。陸軍からクビです。だから、上原勇作って言う人は何かって思うでしょう。
四王天さんは、昭和16年、大東亜戦争が始まる年に有名な『猶太(ユダヤ)思想及運動』という本を出したんです。その本の序文のなかで、四王天さんは、以前はユダヤ問題を自分がやっていくと、上のほうからやめさせる圧力が非常に強くかかってきて、最近はその頃に比べればずいぶん違ってきた、そんなことを書いていますよ。一番上ってどこかって言ったら、天皇と宮中以外にないですよ。日本のシステムでは。
落合莞爾(かんじ)さんの話では、上原勇作はフランスに留学中にフリーメーソンに加入している。上原元帥は明確なワン・ワールド、フリーメーソンだと言っています。従って、日本では、陸軍・海軍・財界・その他、明治以降の中枢部に、ワン・ワールド、フリーメーソンの指揮系統がずっと機能している、機能していたと見ることができます。
渡部悌治先生は『ユダヤは日本に何をしたか』のなかで、二・二六も背後では、ユダヤ国際資本が操っていたと言って、あまり詳述してないですけど、そう言っています。従って私たちは、地球を支配している、ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティといった勢力をちゃんと確認して、明確に意識して、デーヴィッド・アイクは『グローバル・コンスピラシー』という本を出してますが、そういう枠組みのなかで、もう一度日本の歴史を見直すことが必要です。グローバル・コンスピラシーという大きな枠組みのなかで、孝明天皇弑逆と、それ以降イルミナティの傀儡として作られた歴代天皇、こういうものを批判的、客観的、詳細に検証していく精神的・心理的な力が必要です。
今の日本では、天皇をあれこれ批判したりすること自体が絶対禁止されている。別に法律で禁止されているわけではないけど、自分の内心で押さえつけている。あるいはイルミナティの有力な御用機関として、右翼と称する反日本的な売国奴集団が暴力で脅迫する、そういうことを通じて、発言・言論を抑えてるんです。しかし私は、その精神的呪縛を断ち切らないと日本は完全に滅亡していくだけだと思います。
「今、日本に天皇はおられるのでしょうか?」
私は山口富永(ひさなが)さんを國民新聞で読んでたんですけど、そういうことに最近気がついて、ちゃんとやることにしようと思って連絡しました。この本は平成2年に国民出版社から出てもう絶版で、国民出版社には在庫はなくて、山口さんの手元に若干在庫はあるそうですから、私がほぼ全部50冊くらい買取ることにしたんです。だから、是非皆さん読んで頂きたい。山口さんは、昭和19年、軍隊に入るという時に、「今日本に天皇はおられるのでしょうか?」っていう大胆な質問を真崎大将にしたというんですから、この人の心はちゃんとしていますよ。だから六十数年経った現在でも、しっかりした文章を書いておられるんでしょう。しかしこの人も、世界のイルミナティ・フリーメーソンの陰謀、グローバル・コンスピラシーの存在にはまだ気がついておられないんです。
でも、それは私達がちゃんとやっていく事であって、この人が成し遂げられた仕事は評価していく必要がある。それから、真崎大将の名誉を復権することが絶対必要条件だと私は思います。真崎大将も、昭和天皇がおかしいんじゃないかと内心確信されたじゃないかというふうに推測するんです。しかし、それを言葉に出して言うことは出来ないんですよ。だから、東條ごときは、せいぜい少将どまりの馬車引きくらいが適当な男で、問題視しない。しかし「宮中」が問題なんです。「宮中」とは裕仁のこと。それを何とかしないと、日本はどうにもならないんじゃないか?ということを真崎大将ははっきり認識していたと私は思います。
山口さんが昭和19年に軍隊に入る時に「今日本に天皇はおられるのでしょうか?」と聞くって事は、天皇はいないんじゃないかという気持ちがないと、そういう質問は出てこない。いや、昭和天皇と称する者はいったい何だ?となるでしょう。内心、心の奥にはそういう失望があるわけですよ。そういう必然的な思考の過程、行動の過程として、私がそろそろ問題を前面に押し出さなければならないと思っています。
二・二六事件については、完全に真相が隠蔽されているのみならず、Disinformation(偽情報)が日本人に徹底的に刷り込まれてます。それを転覆するには我々の価値観を変える必要があります。真崎大将の名誉回復は、とっかかりとして重要であり、意味があると思います。
鳥居民という人の本を、まともに読んだことがないけど、この本はざっと読んだ。そしたら木戸幸一を一所懸命叩いてるわけですよ。今更木戸幸一をぶっ叩いてどうなるんですか? 東京裁判で終身刑、その後釈放されて昭和天皇に即優遇されて頭をなでられた木戸幸一を叩いても何も生まれない。この人はすごく臆病な人ですよ〔為清註:臆病だからこそ慎重・入念に策謀するわけで、木戸という人物は決して侮れないと思う〕。臆病というのが今の日本民族にとって一番危険な心理なんですよ。臆病を克服しないと日本はもう生き延びる事も蘇生することも出来ないです。臆病、恐怖を超えるってことをデーヴィッド・アイクは一所懸命言ってます。李洪志の法輪功でも言ってますね。恐怖を超えるには大変高い心理的、精神的次元が要求されます。恐怖を超えるということの意味は中々一筋縄ではないですね。その話はまた別にしましょう。
私は二・二六事件について、初めて本格的に、日本人が真相に迫る動きを始めないといけないと考えてます。私の話を一応終わりにして、皆さんの質問を紙に書いて頂いても口頭でもいいですけど、ちょっと休憩して質問を受けます。何枚か重要な文章のコピーを配りましたので、よくお読みください。
近衛上奏文を無視した裕仁
それでは私の話を続けますね。
日本の国家の中枢部は天皇ですね。中枢に一番近いのは近衛公爵と木戸幸一内大臣。そして木戸と近衛の対立については少し言われてることがありますけど、この鳥居さんの本で比較的詳しく説明されている。しかし鳥居さんの著述家としての立場は大変臆病で、私はあまり感心しないです。
山口富永さんが国民新聞の一面欄に連載物語でいろいろ書いている。昭和19年(20年の誤り)の初め、有名な「近衛上奏文」というのがあるでしょう。近衛文麿が昭和天皇に対して上奏文を提出したって言うんです。その上奏文の筆者は岩淵辰雄という政治評論家だと山口さんは言っています。岩淵辰雄って名前、聞いたことありませんか? この人は戦前、戦時中、戦争後しばらくの間、非常に活躍した重要な政治評論家です。岩淵さんは、真崎大将、皇道派に近い立場の評論家なんです。
それで、近衛文麿が昭和20年の初めに昭和天皇に提出した上奏文の作者は岩淵辰雄であると言ってます。岩淵辰雄は近衛さんを中心にして終戦工作をやったと言うんです。終戦工作とは、単なる評論活動ではなく、岩淵さんと近衛公爵を中心とするグループは、昭和天皇を説得して真崎大将を陸軍大臣にする考えだった。小畑敏四郎というのは皇道派で、退けられていた人です。陸軍中将で予備役になったのではないでしょうか。その小畑敏四郎中将を参謀総長、そして近衛さんを首相って訳です。
そういう体制で日本の国策を完全に一変させる方針を立てたと山口さんは説明してます。もしもそういう構想が実現した場合には、真崎大将は皇道派の総帥として中国との全面戦争にも米英の戦争にも絶対反対の立場ですから、なすべきじゃない戦争を実行した陸海軍(特に陸軍)の主要な指導者ら戦争責任者を何百人も一斉に逮捕して裁判にかけて、日本の国策・外交方針を完全に一変する、そして中国から撤退して米英と講和交渉する、という方針を立てていたと書いてます。
その一環として岩淵辰雄が書いた近衛さんの上奏文を天皇に提出したけれど、天皇はぜんぜん相手にしない。そして東條内閣、憲兵隊の操作を通じて、そうした謀略をした連中を一斉に逮捕する。その逮捕した中に吉田茂も入ってたんじゃないですか。で、この構想は実現しなかったと言ってます。これは東條がどうこうという話ではないです。首謀者は昭和天皇ですから。昭和天皇に上奏文を出してもお話にならないです。だけど、何もしないでいる訳にはいかないから、そういう計画を立てて動いたということでしょう。しかし、その計画にとって決定的な障害物は昭和天皇自身ですから、それは無意味です。
近衛上奏文はその時点で東條政権の憲兵隊を通じて弾圧して、近衛上奏文そのものが見えないように、無いことにされてしまったんじゃないですか。だから日本人は未だに近衛公爵の工作とか背景とか、その構想とか上奏文そのものとか、普通の日本人は知りません。近衛上奏文という言葉はチラッと目についた人もいるかもしれませんけど、普通の日本人は今何も知りません。
しかしそういう事が万が一実現され、真崎陸軍大臣という政権が実現されたとしたら・・・。小畑敏四郎という人は色々因縁があるんですよ。バーガミニは、1920年(大正9年)、ドイツのバーデンバーデンという温泉地でヨーロッパ在勤の陸軍の少佐クラスの将校が集まって国家改造計画を立てたっていう訳です。有名な話です。その中心人物は永田鉄山(当時は少佐)。小畑敏四郎は、そのバーデンバーデンの三羽烏(永田と小畑ともう一人)の一人です。小畑敏四郎のほうは、昭和になるにつれて、中国に対する戦争、中国全土を占領してさらに南進するという基本的な国策に反対の立場だった。だから永田鉄山、東條とは反対の立場だった。したがって、昭和10年前後、小畑敏四郎は中将で退けられて失脚、というか排除された訳です。
それで小畑敏四郎を参謀総長っていう話が出てくる。そういう体制だったら、真崎大将が、統制派、日本を中国、全世界との戦争に引きずり込んだ主要な責任者を全員逮捕して裁判にかけ、一掃するだろうと書いてあります。そうして日本が国家体制・基本政策・国策・外交政策・戦争政策を完全に一変する、そして中国から全面撤兵して蒋介石と講和することを目標に立てた訳です。
そうなると、戦争を実行してきた東條たち統制派の軍人にとっては自滅ですから、絶対に抵抗して排除する、芽を摘むという行動をとるでしょう。東條の憲兵隊は当時はちゃんと生きて働いているから忽ち摘発されて潰された訳です。
「軍部に操られた平和主義者の天皇」というイメージ作り
しかし、昭和天皇とその側近はそれとは全く別な形で米英との平和交渉に入っていく。そのやり方については鬼塚さんが『日本の一番醜い日』という本の中で詳しく書いてます。つまり昭和20年8月15日、昭和天皇はラジオ放送で「敗戦」といった放送をする。その時にまったく偽装の対天皇、対日本政府のクーデタを演出して、危ないところで昭和天皇の放送が実現したという話を作っているけど、それは裕仁と、三笠宮が主たる助手になって、でっち上げた話。そのクーデタによって、昭和天皇は、昭和初年来の戦争また戦争、全世界を敵にして日本が全滅する戦争を推進した軍国主義者の姿から、平和と民主主義の人、連合国の忠実なエージェントへと、一夜の内に変身する。そうした目的の偽のクーデタを実現し、連合国とは裏取引をして、昭和天皇は戦争犯罪から免責されて、占領軍の協力者として温存・保護される、という具合にひょいと変わる事を目的とした偽のクーデタを実行する訳です。それが裕仁のやり方です。
裕仁は、皇道派を復権させると自分の身に火の粉が降りかかる、自分の身すらやばい可能性が大であるし、名誉も何もおかしくなるから、東條を使って完全に消した。近衛さんを中心とする皇道派を復権させて日本が全面的に戦争を停止し、中国から自発的に撤兵して蒋介石政権と講和して、という方向に転換するのを阻止した訳です。
もしも近衛・真崎のラインで日本が方向転換すれば、敗戦後の日本は今のような状況にはなってない事は確実です。すべてを失い、民族の魂を失い、どんどん堕落して滅亡に転落していく方向になってないですよ。しかし裕仁はそこでも明確に日本民族を裏切ったんですよ。日本民族をイルミナティに売り渡した。売り渡した事によって裕仁と一族の身の安全を担保し、保障してもらった訳です。こうして裕仁と一族は日本を裏切って裏切り続けている。その裏切りが日本民族によって完全に暴露され裁かれない限り、決着がつかない限り、日本民族はイルミナティの、天皇という傀儡を使った精神的呪縛に掛けられたまま、まあ、死んでいくしかないですね。今でも日本は精神的にはゾンビ人間です。日本民族は自分の精神を失ってますからね。近衛さんの動きが実現されればそうはなってないでしょう。近衛さんが最後のところで日本の貴族の根性、やる気、勇気を表明しようとした事は評価できるんじゃないですか。
鳥居民という人の本は、私が申し上げたレベルから見ると低い次元で現象をあれこれ言ってるだけです。その程度の話でも、今の日本人につぎ込まれている戦争と敗戦のプロセスに関するデマ情報と比べれば遥かにマシでしょう。
近衛さんが皇道派寄りだったこと、皇道派に同情・同調的だったことは、歴史資料にも少し出てきますよ。それをさらに突き詰めて研究する、考える、そういう事は全くなされてない。なされてないというか、それを突き詰めるとただちに裕仁が標的になりますから、その遥か手前で止まってしまうんです。それを先へ進めないといけないんですよ、私達は。そのために私達に手がかりとして与えられているのは「真崎大将」なんです。
皇道派の荒木貞夫がワンワールドのエージェント? 話は一層複雑に
田崎末松という人の真崎大将の評伝はかなりマシです。皇道派でも荒木大将っているでしょ。荒木大将は皇道派のNO.1、代表と当時言われていた。ところが荒木大将というのは、大変危なっかしいというか、奇妙というか、いかがわしい存在なんですよ。この人はずっと陸軍大臣をやってて、二・二六後も処罰されることもなく、昭和天皇に追放されることもなく、戦時中大臣をやった事もあるんじゃないでしょうか。
私は荒木大将とは非常に奇妙な人物だけど、何だろうと思ったんです。落合莞爾の「ニューリーダー」の連載を読むと、この人が上原勇作元帥の後継者に指名されたとあるんですよ。これは非常に奇妙です。上原勇作はれっきとしたフリーメイソン、ワンワールドのエージェントですよ、日本の軍の中で。単なる薩摩派閥でもないです。そうして上原元帥は全く目に見えない秘密の特殊工作をやったということですが、その後継者に荒木大将が任命されたというのはとても奇妙に思えるでしょ。彼が皇道派というのは辻褄が合いません。上原勇作の後継者という事は荒木大将もワンワールドの紐がついてる事を意味します。
真崎大将にはそういう事が全くない。山口さんの国民新聞の連載の中で、戦時中に英国のスパイとして逮捕され、ビルから投身自殺したコックスという人がいます。そのコックスを警察が取り調べたときの話が色々あるみたいですけど、そのコックスという英国のスパイが自供して、「われわれは日本の陸軍の主要な指導者、軍人を全て接近・工作して取り込んだ」と言うんです。しかし、「真崎大将だけは、全く取り付く島がない、工作する事が出来なかった」と供述したという。幕末から明治初年、フリーメーソンが薩長の維新政権の主要人物を全部取り込んで何らかの形で紐をつけたけど、西郷隆盛だけは頑としてフリーメーソンの誘いにも工作にも応じなかった。それでフリーメーソンは西郷隆盛の排除を指示したという事が「月刊ユダヤ研究」に載ってます。そのことを想起しましたね。真崎大将という人は、現代日本において本当に重要な人物なんです。
「わからない奴はわからないんだ。ほっとけ」
非常に重要な日本民族の指導者であり、指導者たるべきところを排除された真崎大将について、山口さんが言うには、二・二六事件の前から、敗戦後、現在に至るまで、一貫して真崎大将についての偽情報、誹謗中傷、全くの嘘の情報、デマ情報がまかり通っている。その偽情報を振りまいてる主要人物、ジャーナリストの代表格が、半藤一利とか、ハタ何とか(秦郁彦)とか、年中マスコミに出てくる、昭和史についてくだらない話、偽情報を振りまいてる作家ですよ。体制側で持て囃されてる人達。こういう人達を通じて、真崎大将と皇道派についての偽情報をばら撒いてる主要勢力は、左翼だと言ってます。左翼ということは朝日新聞と岩波書店ですね。こういう連中はなぜ皇道派の悪口を言わなければならないのか? 大変興味のあるところでしょ。なぜ左翼、岩波・朝日は、皇道派の悪口を言うの? 全くの嘘八百を並べ立てて、皇道派・真崎大将を貶めてどうしようと? どういう理由でそういう事をするんですか? それは大きな事なんですよ。左翼は決して信用してはなりません。もっともらしい事を言っても、左翼はイルミナティの紐付きですからね。心を許してはいけませんよ、左翼には。リベラル派もね。
山口さんは、少年時代から真崎大将が亡くなるまで親しく交流して、真崎大将の死後も孤軍奮闘して皇道派の旗印を守ってる訳です。こういう人がいるとは本当に改めて見直しました。それで戦後ずっと皇道派が正しかったと伝えようと、活動し続けてる訳です。そしたら、真崎大将に「おまえ、もうわからない奴はわからないんだ。ほっとけ」「もういいよ」「いい加減にもういいんじゃないか」って言われた。「その内、時代が皇道派(我々)の正しさを発見するだろうから」と何度も言われたと書いてあります。しかし、体制側・権力側が垂れ流してる情報以外全く存在しないとすれば、日本人は皆それに洗脳され、何となくそんなもんかという気になります。私も(今まで知らずにいて)ずいぶん恥かしい話だと反省してます。本物の情報がなければ、日本人は洗脳されっぱなしですよ。今、日本は土壇場に追い詰められ、精神的に腐敗が進行してますから、それが一番危険で致命的ですよ。それで、私達は再生・蘇生する方法を見つけなければいけませんが、まずは皇道派・真崎大将のことを日本人が真剣に見直して、名誉回復の動きを起こすことです。
真崎大将の名誉回復ということは、裕仁を告発することになります。ここに山口さんが書いてる真崎大将の言葉がある。「東條ごときは物の数でないけど、しかし自分を弾圧する根源が宮中から来た。その事が一番自分にとっては苦しい事であった」と。宮中ってなんですか? 裕仁ですよ。昭和天皇によって真崎大将はキュウキュウに追い詰められ弾圧される。二・二六と関係ないのに、寺内陸軍大臣は真崎大将を逮捕する。陸軍大臣が陸軍の軍事裁判の委員長だから、陸軍大臣が決定する訳です。寺内陸軍大臣は、青年将校と北一輝の裁判をする前に、判事団(軍事裁判の裁判官、軍人)に判決書を渡してる。判決は有罪で死刑です。事前に死刑の判決を出せと陸軍大臣(軍事裁判の長)の名で紙を配っていた。出来るだけ判決は重く執行は早くとの基本方針を陸軍大臣が与えて、二ヶ月の暗黒裁判で死刑判決、直ちに死刑執行。その後、真崎大将を逮捕。そういう命令を受けていたにも関わらず、裁判官も検察官も(検察官と裁判官は一人二役です)、真崎大将を有罪とする何の証拠もない。寺内陸軍大臣は、真崎は銃殺刑だ、死刑だと大声で喚き立てたそうだ。それでも裁判官・検察官は、「いくら何でも全く関係のない真崎大将を死刑判決には出来ない」という訳で無罪釈放にした。寺内陸軍大臣の方針は裕仁の意思でもありますからね。裕仁は全く無実の真崎大将を殺せって言った訳です。そこで裁判長・検察官のホサカ〔為清註:軍法会議で首席検察官をつとめた匂坂(サキサカ)春平?〕という人は、言われた通り17名、青年将校、北一輝、西田税に死刑の判決を下して、その事に死ぬまで鬱々と苦悩してる。敗戦後は自宅に篭ったきりで、比較的早く死んだと言われてます。この検察官が最高責任者でしょう。しかしそれをやらせたのは誰ですか? 裕仁以外の何者でもない。裕仁は何の為にそうしたんですか? イルミナティの命令を実行したんですよ、裕仁は。
そうして二・二六の時に日本の運命が決定されたんです。陸軍の将官の絶対多数は、決起将校の趣旨は酌むべきものがあり、統制派と裕仁が強行するような中国との全面戦争は絶対してはならないという気持ちだった。日本の軍事専門家は自分たちの軍事力の限界をよく知ってますよ。そういう日本の軍事的・経済的力で、中国全土を占領なんて、どんな戦争をするんだ? 自分達の責任上、絶対賛成できないと思った訳です。日本の国民もそうです。今の様に選挙で投票したら、そんな事に賛成する国民はただの一人もいないですよ。政治家にも。にもかかわらず裕仁は、日本に絶対独裁制を敷き、イルミナティの指揮通り、日本を必敗、百戦百敗、必ず壊滅する戦争へと、日本が滅びる方向に引きずり込んでいったのです。これが日本に対する売国奴でなくて、日本民族に対する裏切りでなくて、何なんですか?
二・二六の時に決定的に転換させられたんです。その頃、日本人の絶対多数、日本の権力層の軍人も、そんな事はしてはならない、出来ないという良識・常識があったんです。当時の日本の国家権力の最も強い力は陸軍が握っていたでしょう。陸軍の絶対多数もそういう考えです。良識の代表は真崎大将です。そういう者を排除して、裕仁はいったい何をしたんですか、日本民族に対して。日本民族に対する裏切りと言わずして、何と言えるんでしょうか?
裕仁と称する人物は日本人ではない。天皇を詐称するイルミナティの傀儡です。イルミナティは、日本という国は彼らにとって最も危険な、致命的・驚異的な存在となるであろうから、絶対抹殺しなければならないと、ザビエルが来た時に既に決定してる。彼らイルミナティのアジェンダ通り、450余年、日本は攻撃され侵略戦争を仕掛けられているんですよ。その侵略戦争の傀儡、道具として、裕仁は百点満点を与えられた存在なんです。
そしてその事が、二・二六事件の全経過を通じて完全に暴露された。
真崎大将もついでに死刑にしようとしたが、陸軍内部の良識が幾らなんでも出来ないといって無罪釈放にした。その後も真崎大将は完全に干されて監視されることになった。近衛文麿が皇道派を復活させ、真崎を陸軍大臣にして、日本の国策を完全に一変し、統制派・裕仁がずっと追求してきた政策を否定してやり直す、一変する方針を立てようとしたら、裕仁は拒否・否定した訳です。
最近になって私がバーガミニの本を読み始めたのは、鬼塚さんの『日本の一番醜い日』を読んでる内に、あれはあの通りだろうけど、それで全てという事でもないしと思ったからで、この半年ほどいろいろ考えて、次第に物事が見えてきました。今日はいろいろ話しましたけど、参考文献や私の話などを参考にして、日本人として、今、何をすべきか、それを真剣に考えて頂ければありがたいと思います。(講義終わり)
http://tamekiyo.com/documents/ota_ryu/226.php
05. 中川隆 2013年3月01日 21:24:38 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
天皇の戦争責任を暴いたバーガミニをアメリカが抹殺した理由は?
デビッド・バーガミニ(David Bergamini 1928〜1983)は、アメリカでベストセラーになった1971年の著書『天皇の陰謀』の日本語版序文(ただし1983年発行の新書版のみ)で、「私はこの著作のせいで文筆活動を絶たれることになった」と書いている。この序文は、非常に重要だが、誰も指摘していない。バーガミニを抹殺するために、200〜500万ドルの賄賂・監視料が使われた。日本政府から出た資金ではない。エドウィン・ライシャワー駐日大使(妻は松方正義の孫・松方ハル)を中心とする米国エリート勢力だった。また、アメリカの主だった学者は、揃ってバーガミニをインチキ扱いしている(日本研究の権威だったライシャワーの影響力によるものだろう)。
バーガミニ本人は、昭和天皇・裕仁の戦争責任を暴いたつもりだった。したがって、日本から非難を受けることは想定していたが、祖国アメリカから称賛はされても、まさか攻撃を受けるとは思っていなかった。その結果、バーガミニは、愛国心を喪失したと書いている。
どうして天皇のことを暴くと、アメリカ国内の勢力から攻撃を受けるのか? それは、裕仁がイルミナティの養成したロボットであり、ザビエル以来の日本破壊の計画を完成する重要な役割を担っていたからである。裕仁は「平和を愛したが軍部に押し切られた無力な天皇」でなければならなかった。
二・二六の決起趣意書の真意は理解されているのか?
川島義之(陸軍大将)が裕仁の前で読み上げた二・二六の決起趣意書(北一輝が手を入れたという)をバーガミニは「外政上の紛争から手を引き、内政改革と日本の伝統保持に傾けるよう天皇に求めたもの」と評価している。これは妥当な解釈である。農村は困窮していた。本庄侍従武官長、陸軍中枢部も決起将校たちに同調的だった。日本の書籍やマスコミで一般的に理解されているものとは乖離がある。
今でも、官僚、政治家、企業が悪いと言われているが、基本的にはそれと同じ趣旨で、庶民の観点に立っている。決起将校たちは、天皇が庶民の味方だという根本的な勘違いしていた。庶民の味方であるわけがない裕仁は、徹底鎮圧を指示した。木戸幸一(きど・こういち、1889〜1977年。長州藩の木戸孝允=桂小五郎が大叔父)も徹底鎮圧を勧めた。
396年計画 1549.8.15-1945.8.15
こうして一般民衆を敵視し、権力者に操縦されるだけの天皇ロボットの歴史は、ザビエル来日の昔にまで遡る。ザビエルは、1549年8月15日(カトリックの聖母被昇天の祝日)に、現在の鹿児島市祇園之洲町に来着した。
日本を訪問したザビエルは、「日本人は危険な存在である、最後の一人まで抹殺しなければならない」とイエズス会の本部に報告した。鎖国を経て、ペリーがやってきて、孝明天皇が暗殺されて以来、日本は麻痺状態。それ以降の天皇・日本政府はイルミナティの檻の中の実験動物のようなもの。
イルミナティは薩摩藩、長州藩に浸透した。西郷隆盛はイルミナティの傀儡になることを拒否したため、西南戦争で抹殺された。孝明天皇の暗殺、明治天皇のすり替えを経て、大正天皇の頃には、イルミナティの宮中浸透は完成していた。大正天皇も昭和天皇も、そうした環境で育ち、日本をイギリスやアメリカのような国家にすることを夢見ていた。
明治天皇は薩長の傀儡だった。間接的にはイルミナティの傀儡とも言えるが、それでも、少年時代は日本人として育っていたため、簡単には染まらなかった。西郷を殺すことにも本心では反対していた。それで死後に西郷の名誉回復もしている。日清戦争にも反対していたが、明治天皇の意志に反して、行われた。だから、明治天皇を単なるイルミナティの傀儡、国賊と言うべきではない。
大正天皇の不発クーデタ。大正天皇は精神を病んでいたといわれるが、西園寺は自分が仕えた4代(孝明〜昭和)の中で最も知性に優れていたと語っている。大正天皇はナポレオン、アレクサンダー大王を理想として日本を改造したかった。議会は廃止して天皇独裁にしたいと思っていた。日露戦争で莫大な外債を抱えていた。議会が予算を承認しないと困る。陸軍・海軍を増強して「帝国」にしたいのに障害になる。その天皇の考えに山県有朋は衝突した。
裕仁は大正天皇が不発に終わったクーデタを実行しようとした。立花隆の『天皇と東大』によると、上杉憲法学は議会の撲滅を主張していた。議会を大政翼賛会とし、日本を破壊するための軍国主義体制を整えるように「宮中」から指示をしていたのが裕仁である。日本を戦争に導くため、戦争反対派(皇道派)を一掃する「きっかけ」として利用されたのが二・二六事件だった。
イルミナティが日本を完全に抹殺するためには、自滅の軍事力を築く必要があった。そうしてイルミナティの軍隊で占領する必要があった。遠くイギリスから軍隊を派遣することはできない。ではどうやって抹殺したのか? エージェントを養成し、西洋のような国を目指すように仕向け、大きな軍隊を作り、戦争を起こさせて、自滅させるのだ。良識ある官僚、政治家、軍人ならば、そんなことは反対する。英米、中国、ソ連と世界のすべてを敵にするような戦争をするわけがない。その反対を押し切るためのエージェントが天皇だった。英米の言いなりになるアホをトップに据える必要があった。その仕掛けが、絶対的天皇主義。それが完成したのが二・二六の後。二・二六事件までは陸軍の圧倒的多数は中国大陸での戦争に反対していた。中国に100万の軍隊を展開しながら、太平洋でアメリカと戦うのは、自滅の戦争であることが子供でもわかる状態だった。だが、それに反対するのは、天皇が許さない。そういった仕組みが二・二六で完成した。
中国への戦争に反対していた真崎大将を二・二六事件の「黒幕」だとして刑務所に閉じ込めている間に、統制派は中国との戦争に火をつけた(1937年の盧溝橋事件)。こうして最後にイルミナティの日本滅亡計画(敗戦革命)を完了させるため、アメリカを相手に戦わせたのが「太平洋戦争(Pacific War=平和の戦争)」である。近年になって公開された米国政府文書により、アメリカがわざと真珠湾攻撃に日本を誘い出したことは明かになっている。開戦時、日本側では、内大臣の木戸幸一が中国からの撤兵反対、米国との対戦を主張して、米国の謀略に合わせていた。たが、木戸というより裕仁だ。近衛はその逆だった。終戦の半年前の昭和19年2月には「近衛上奏文」(「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞)で戦争に導いてきた軍人たち(共産主義に染まっていた)の一掃を勧めているが、裕仁はこれを無視し、特攻隊、本土空襲、原爆投下をまねいている。
太平洋戦争は、1941年12月8日(カトリックでは聖母の無原罪の御宿りの祭日)の真珠湾攻撃に始まり、1945年8月15日(カトリックの聖母被昇天の祝日。ザビエルの上陸記念日)の「終戦の詔勅(玉音放送)」で終わった。
裕仁の売国奴ぶりは終戦後も続く。吉田茂は、日米講和条約が成立すれば米軍は撤退するものだと思っていた。ところが、吉田茂の知らないところで昭和天皇が裏取引し、ダレス(ロックフェラー財団の有力者)と秘密交渉、米軍が無期限に日本に駐留することにさせた。沖縄は半永久的に米国の領土として認めるといったことをダレスに言っている。
「いま日本に天皇陛下はおられるのでしょうか?」
皇道派の支持者だった山口富永(ひさなが)さんが昭和19年に陸軍に入隊するとき、真崎大将を訪ねて聞いた。「いま日本に天皇陛下はおられるのでしょうか?」
それに真崎大将は「226の将校もそれを嘆いて死んでいった」と答えている。その真崎大将も、宮中(裕仁)に抵抗することはできなかった。真崎大将の死後、その長男が裕仁の通訳を30年も務めた。この天皇の呪縛を超えない限り、日本人に未来はない。
http://tamekiyo.com/documents/ota_ryu/226.php
06. 中川隆 2013年3月01日 21:29:36 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
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参考
あなたの知らない「天皇家」の謎 皇室の祖先にワニがいた!?
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/256.html
東京ホロコースト 西岡昌紀
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/479.html
君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html
戦争に行ったら こんな事もしてみたい あんな事もやってみたい__わくわく どきどき
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/313.html
昭和天皇が戦争狂になった訳
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html
原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html
こんな女に誰がした_1 (天皇陛下を恨んでね)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/332.html
この人を見よ _ 人間の屑 福沢諭吉のした事
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/485.html
07. 中川隆 2013年3月02日 09:00:21 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
上記のアホ陰謀論者 太田龍の言葉を信じるのはアホだけですが、その中に真実も含まれているのは間違いないですね。
日本人も2・26事件だけでなく太平洋戦争も昭和天皇とルーズベルトの書いたシナリオに従っていただけで、すべては企画された事件だったという事に早く気付いた方がいいです。
八百長戦争やって得したのはアメリカと国際金融資本と天皇家、三井・三菱等の財閥だけですからね:
天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ 著 松崎元 訳
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_02_contents.htm#mokuji
08. 中川隆 2013年3月02日 09:21:00 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
9本の動画 日本の真相 鬼塚英昭
http://www.youtube.com/playlist?list=PLMA8BWNvBdz-29sRtVJgysWMcX_586YDt
日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&list=PLMA8BWNvBdz-29sRtVJgysWMcX_586YDt&v=eugXzHoKnes
昭和天皇が自身の秘密や財産を守るための戦争をした。完全に天皇が指揮していた。おまけに米国、スターリンそして西洋銀行家とも天皇が内通していたのである。
DVD『鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密』成甲書房より転載。
以下本文。
これからは2・26事件について語ろうと思います。2・26を追究して、いくらかでもその真実に近づけば、日本のこれからの未来のためにも役立ちます。2・26事件というのは若い将校たちが叛乱を起したと。で、その将校たちの叛乱を気に入らないというので天皇が怒り、数多くの将校たちが処刑されました。しかし、これには裏があります。今、私が秩父宮と昭和天皇は父親が違うということを喋りましたが、これは東久邇が喋ったことなんですね。
笠原和夫は広島のジャンク映画『仁義なき闘い』を初め、色々な芝居の脚本を書いて、それでなお昭和秘録というようなものに挑戦して、2・26にも挑戦します。しかし「2・26は映画になりきれなかった。書けなかった」と、彼は本の中で断念していますが、それはそうなんです。あれを追究すると映画にはなり得ないんです。なぜなら、あれは秩父宮が最初に仕掛けたクーデター劇なんです。これはもう他の人もみなさんご存知なんです。ところが真相は、秩父宮がある時点で若き将校たちを裏切るんです。それで彼らは行き場を失うわけです。
秩父宮が安藤輝三(てるぞう)という大尉に話を持ちかけます。これはまちがいない事実です。そして安藤は非常に冷静な男だったので断ります。しかし秩父宮は懐から懐中時計を出して「俺の真意を汲んでくれ」と言います。それで彼がリーダー格となり、若い将校たちを仲間に入れます。そして革命を起したときに、秩父宮は弘前に逃げます。そして安藤に言います「弘前で軍人たちを募ってやって来るから」と。それで安藤と仲間たちの将校は、秩父宮の言葉を信じて革命を起します。しかしその革命はみなさんがご存知のように失敗します。なぜ失敗したか?彼は途中で天皇の味方につくわけです。私はそう思ってます。それで失敗します。その結果どうなったのか?
結局2・26事件を起した連中は−それとその指導者たちは皇統派と呼ばれています。で、もう一つ統制派というのがあります。統制派というのあは陸軍16期生というのがありまして、陸士ですね、その中で1921年だと思いますが、10月にドイツのバーデンバーデンというところにある4人の男たちが集まります。そういう連中がドイツに集まった所に、東久邇が裏で緒を引いて、結局そこから統制派というのが生まれてくるんです。リーダーは暗殺された永田鉄山という男ですが、永田鉄山は途中で暗殺される。これが一番優秀な男だったわけでありますが、その連中が東久邇と秩父宮にそそのかされて、結局、日本をおかしな方向に持っていくわけです。で、日本はアメリカとソ連を敵対国とするんですが、統制派というのはアメリカを打倒しなければダメだという。まあこれは大体のストーリイですけど。で、皇統派というのはアメリカと戦っちゃいけないと、あくまで日本は敵を想定するならソヴィエトだということなんです。
これは大まかなストーリイですけど、そうした中で、みなさんご存知のようにゾルゲという男がいます。ソ連のスパイをやった男です。そのゾルゲを尾崎秀実(ほつみ)というのと、さっいいました西園寺八郎の息子の公一(きんかず)というのが、ゾルゲに秘密情報を流したというわけです。どんな本を読んでもそういうストーリイです。しかしこれは西園寺公一と昭和天皇が兄弟であったと私は申しました。西園寺八郎が妻に産ませたのが公一です。でその公一と昭和天皇は兄弟です。昭和天皇は木戸幸一を通すんですけど、自分の弟の公一に、ソ連のスターリンに向けて発したい情報を伝えるわけです。それを尾崎秀実という朝日新聞の記者が一緒になって、ゾルゲを却って誘惑するわけです。ゾルゲにおべらかしやインテリ女を与えて、ゾルゲを懐柔します。ゾルゲは女遊びをしてオートバイを乗り回してフザケた男ですけど、で、公安はぜんぶゾルゲをチェックしますけど、天皇一族はゾルゲを野放しにします。
ゾルゲは日本の一番重要な情報をぜんぶ手に入れて、スターリンに渡します。スターリンはそれを信じるわけです。だからスターリンは、日本がソヴィエトを攻めてこないということを知るわけです。天皇を初め統制派の連中ですね、永田鉄山が殺されましたから東条英機が首相になって、アメリカを攻めるストーリイは最初から作られたということなんです。戦争というものは必ずどこかで企みがあるものなんです。昭和天皇が、1938年12月ですから大戦が一年前、これは木戸幸一の日記に出てきます。木戸幸一にこういうことを言っています「もう世界大戦は始まる。そして最後に勝つのはソ連とアメリカで、他の国は全部潰される。日本も同じように潰される。だけど日本人は臥薪嘗胆して質実剛健を維持すれば、10年後には復活する」と。
これは見事に予言的中しているわけですよ。その一年後に第二次世界大戦が始まります。真珠湾攻撃をちょうど一年後にやります。10年後というのはちょうど講和条約の時です。だから考えようによっては、昭和天皇だけが日本のストーリイを全部知っていたんじゃないか、ということになりませんか? 僕はそう思います。で、戦争が始まる一年前に近衛が天皇に面会を申し込みます。天皇は拒否します。それで近衛が木戸に会います。これもまた木戸日記にちゃんと書いてます。近衛はどういうことを言ったかと。
「お前は天皇に言え。いいか。海軍は二年しか石油がない、戦争をすれば一年半持てばいいけど、まあ一年で終わる。陸軍は石油を一年分しか持ってない。この状態で戦争が出来るわけはない」と嘆いて木戸の許を去ります。木戸日記に書いてあります「俺もそう思う。戦争すれば負けるワイ」。これは木戸日記にはっきり書いてあります。
ところが実際は戦争は4年も5年も続いたじゃないですか。石油のない時代は、最後の一年間くらいは石油が尽きたけど、石油はあったんですよある程度。みなさんもご存知のように、ガダルカナルや何とかでいっぱい負けますけど、やっぱりあれは石油があったんですよ。なぜ石油があったか考えてみたことありますか。これはですね、戦争の時にアメリカが「日本には石油は売らない」。ところが「パナマ国籍の船ならば油を積んでいって日本に売っても、これは自分たちは攻撃できない」という理屈で、日本に石油を間接的に売るわけです。本当なんです。三菱が作った『昭和通商』という会社がそれを引き受ける。『昭和通商』と三菱は同じです。それではマズイというので『日本水産』(注 白洲次郎は取締役)という会社が代行するわけです。魚を運ぶということではなくて、魚の代わりに石油をパナマ国籍からもらって持って帰るので、戦争は長びくわけです。
◎鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日』より該当箇所抜粋。
『多くの資料がソヴィエト連邦解体とともにクレムリンから出てきた。その資料から、野坂参三の過去がかなり暴かれた。世に言ういう二重スパイ説である。しかし、野坂参三が天皇のためのスパイであった、とする文書は闇に消えている。野坂参三が天皇のスパイ、アメリカのスパイ、クレムリンのスパイのみならず、国際金融同盟、すなわち、闇の支配勢力のスパイであったことは間違いのない事実である。』
『野坂参三は天皇のスパイから出発し、ついにクレムリン、アメリカ、そして国際金融同盟のスパイに仕上げられ、次に中国共産党の内部深くに侵入していくのである。その国際金融同盟がつくった太平洋問題調査会の第六回国際会議がアメリカのヨセミテで、1936年8月14日から29日の間に開かれている。この会議にゾルゲ機関の一味の尾崎秀実が日本側委員として出席している。』
『私は太平洋問題調査会の第六回国際会議に出席した尾崎秀実とのコネクションを野坂参三が手配していたと考える。太平洋問題調査会はロックフェラー一味、ロスチャイルド財閥、そしてソヴィエトの謀略機関であった。南進策がこの会議では討論されていない。しかし、「北進策を日本がとるべきではない」ことが討議されたのである。尾崎は帰国後、満州の軍事会社にいた日本共産党員に資料を作らせる。この背後にも間違いなく野坂参三がいたと思われる。この年の六月頃から年末にかけて野坂参三の行方は不明となる。私は尾崎と行動を共にシ、日本に帰国後、秘密裡に満州に入り、モスクワに帰った、とみる。』
◎私見では尾崎秀実を破滅に引き込んだのは吉田茂&白洲次郎である。
次郎のコネクションである牛場友彦と松本次郎が仲介役である。
『白洲次郎の幼馴染の牛場友彦(東大卒業後、オックスフォード大学入学、その後太平洋問題調査会IPRに入っていた)が近衛文麿に従い、二ヶ月のアメリカ旅行を行った。その旅には樺山愛輔(注 白洲の岳父)の国際通信社の取締役であった岩永祐吉も同行した。岩永の推挙もあったようだが、この旅で昭和12年に近衛の組閣に際して、牛場は近衛の秘書官となるのである。
牛場の証言によると、白洲次郎とは昔から”ジロー””トモ”と呼び合う仲であったが、昭和12年以降(注 白洲が日本水産の取締役になった年)その親密さは増し、白洲の近衛の政策ブレーン−後藤隆之助、西園寺公一、あるいは尾崎秀実など−との交渉も頻繁になっていった。』(青柳恵介『風の男 白洲次郎』新潮社より)
この牛場と松本重治次郎が白洲次郎の汚れ仕事の仲間である。
尾崎秀実を朝飯会に入れた牛場友彦・松本重治・白洲次郎は、
近衛文麿を排除すべく秘密工作もしている。
占領期になると三人は近衛を追い詰める工作をあれこれやる。
近衛の自殺は自殺という形の暗殺である。
前夜二人は白洲次郎に渡された青酸カリを持って近衛を訪問、
二時間余りも脅し強要して自殺させたのである。
『私は(通説とは)逆に、西園寺公一と原田熊雄たちが、天皇と木戸、近衛に踊らされていた、とみるのである。ゾルゲ・ルートで一方的に数万点の機密資料を垂れ流した天皇、木戸、近衛は、一方でソ連に日米和平の仲介を依頼すべく闇のルート(たぶん野坂参三のルート)で知らせ、その情報を讀賣新聞に流したのだろう。南進策こそはアメリカとイギリスとの戦争そのものを意味した。』
『私たち平成の世に住む人々は、あの時代の貧乏を理解できない。農村は働き手を兵隊にとられ、娘たちの多くは売春婦になっていった過去を知ろうとしない。天皇とその一族が優雅な生活を続ける一方で、日本人のほとんどは、どん底の生活に落とされていた。どん底に生きる人々を恐れている神の一族は、たえず何かを仕掛けなければ生きていけない。そこに暴力性が要求される。』
『2・26事件を私は、天皇と秩父宮が密かに練った偽装クーデターとの説をとる。秩父宮は密かに仙台から遠回りの鉄道を使い東京に出て来て、高松宮と会談し、その後で二人で天皇と会っている。この事件をいかに収拾するかについて話している。8月15日のあの事件と2・26事件は共通する。前者は三笠宮が策を練り、後者は秩父宮が策を練ったのである。天皇教はたえず暴力装置を作っては、それを策動して生きながらえてきた。どん底の人々は、大きく二つに分かれた。天皇教の側に立って共にその暴力装置に加担する一派と、その逆の立場の人々である。
統制派は天皇側について南進論を推し進めた人々である。皇統派はその暴力装置に対抗すべく日蓮宗に救いを求めた。軍人のほとんどが、軍人たちの一部(天皇教の暴力装置に組み込まれた軍人たち)を除き、アメリカと戦争する拙劣きわまりない行為を知っていた。それでも天皇とその一族は戦争を仕掛けるのである。その謎を徹底的に追究しようとして私は書いてきた。』
『ねずまさしは「天皇昭和紀(上)大日本帝国の崩壊」の中で「2月26日午前4時、第一師団の歩兵および第三連隊の営門から、部隊は堂々と市内へ出発した・・・・かくて彼らは、目ざす重臣五人を殺した、と信じて陸軍省などに引き揚げた・・・牧野は早くも旅館からのがれていたため、護衛の警察官が射殺され、旅館は焼かれた。西園寺ももちろん、ねらわれたが・・・襲撃直前になって突然中止した。」と書かれていることに注目したい。
牧野は数多くのテロの標的となってきた。しかしそのつど、直前にいつも逃亡に成功した。これは何を意味するのか。彼が背後でこれらのテロを操っていた黒幕であることを意味する。岡田啓介首相も難を逃れた。事前に彼の娘婿の迫水久常(終戦時の鈴木内閣書記官長)が岡田首相を連れ出すのである。迫水久恒は、皇統派と見られていた。実際は岡田のスパイだった。』
『このクーデターの首謀が秩父宮であることを書いた。このクーデターを、天皇、高松宮、三笠宮、牧野伸顕、岡田首相らが事前に知っていたのである。天皇は彼ら将校を「暴徒」と決めつける。天皇が最初から「暴徒」と断定しえたのは、密かに秩父宮と共同歩調を取ったからだと私は書いた。しかし、政府要人が数名殺されたり、傷を負ったから、2・26事件は本物のクーデターとして位置づけられ、誰も疑わない。ねずまさしも、である。』
『このクーデターと酷似するのが、あの8・15の「日本のいちばん醜い日」である。将校と兵隊のかわりに、将校と近衛兵を使った。リアリテイを見せるために、一人とはいえ、森近衛師団長を惨殺した。石原莞爾がいみじくも指摘した放送局を占拠するというマネまでもしたのである。この二つの偽装クーデターは、秩父宮と三笠宮の暗躍がなければ決して実行されなかったのである。真の首謀者の二人は未だに闇の中に消えているのである。』
『この事件の結果、どのように変化したのかを書いておきたい。北進策をとる皇統派の将軍・将校たちが主流からはずれ、東条一派−あのバーデンバーデンで密約した一派、東久邇宮と結ばれた一派−の統制派が軍の要職を占めるのである。統制派は南進策を主張する人々である。秩父宮は、自らが天皇になろうとしてクーデターを起させた可能性大である。笠原和夫もその説をとる。しかし、私は天皇と秩父宮が密かに結びつき、2・26事件を若手将校に起させ、南進論一本にすべく行動したのではないかと思っている。』
『この1936年が日本のターニング・ポイントになるのである。1936年、ゾルゲと西園寺公一と原田熊雄、尾崎秀実の暗躍。もう一つは日本共産党の野坂参三の動き。これらと2・26事件が糸のようにもつれあって連動したことは間違いないのである。2・26事件以降、天皇により軍紀がひきしめられる。天皇はその役を東条英機に命じ、陸軍大臣から首相に任命する。東条英機は佐藤賢了中将を軍務局の要職につけ南進策を推進させる。太平洋戦争への道である。』
『天皇は皇統派を一掃し、統制派を参謀本部に配し、ついに自らの住む御文庫の中に彼らを入れて太平洋戦争に突入するべく机上演習を始める。誰ひとり天皇に逆らえる者ない、であった。この机上演習の中から、真珠湾攻撃とシンガポール攻撃が登場してくる。そのために一番役立ったのがヴェルサイユ会議で日本に与えられた、委任統治権であった。天皇は太平洋戦争の前から、闇の権力者たちが創作した、世界のグランド・デザインをどうやら知っていたらしい。近々日本が「非常に苦心せざるべからざる環境に置かれる」とは、戦争以外のなにものでもない。大戦後に、まさしくアメリカとソ連が世界を二分する大帝国となることも知っていたらしい。それにもまして「十年を覚悟し」さえすれば、「有終の美を挙ぐる」とは、敗戦後五年で、1950年に講和条約ができ、日本は再び独立国となる、ということであろう。そのために、一年後に戦争に入るべく努力をしているのだ、と天皇は語っているように思える。』
『その裏に見え隠れするのは、「木戸よ、このようにして日本を導かなければ、天皇一族の運命が風前の灯となるのだよ。お前も協力してくれ」との天皇の哀訴である。大室寅之祐の代から天皇ニス変えた木戸孝允の孫の木戸幸一は、「天皇と一蓮托生の命である」と答えたのではないのか。天皇はあるルートから、一枚の極秘文書を渡されたと私は考える。その文書に木戸に語っていた内容が書かれていた。「有終の美を挙ぐるは困難ならず」とは、「敗北しても、天皇の命は保証され、国体は護持する」との確証を得たとのことではないのか。日本の国民の民草に天皇が思いを馳せる素振りをするのは、「終戦の詔書」の中だけである。それも見せかけ以外のなにものでもない。』
『天皇が脅されてなんかいなかったと思っている人が多いであろう。私はルーズヴェルト大統領も、チャーチル首相も、スターリンも、闇の支配者たる国際金融資本家たちのグループに脅され続けていた、と書く。天皇においておや、である。まことに日本は国際決済銀行(BIS)により、利益追求システムの中に組み込まれ、ついに必然的に戦争状態の中に入っていく。戦争は巨大なマネー・ゲームである。ヒトラーもスターリンも、それを知り尽くしていた。ルーズヴェルトとチャーチルはマネー・ゲームをさせられていたのである。天皇が仕掛けた南進策は、巨大なマネー・ゲームの創造であった。この面を考察しないから、私たちの日本史は欺瞞だらけのエセ日本史となっている。』
『天皇と祖の一族は、三井、三菱、住友らの財閥と組んでマネー・ゲームをしていたのである。それゆえ、国際決済銀行に日本銀行と横浜正金銀行が参加したわけである。ひと度、この銀行組織に加入してから天皇とその一族は、国際金融のグループ、主としてロスチャイルド財閥の手の内に落ちていったのである。ドイツのアフリカでの敗北を見こして、日本の役員たちも、スイスという黒い貴族たちの巣窟でマネー・ゲームに興じ、天皇のために金を稼ぐのである。戦争がいちんばん金のもうかるゲームであることを天皇ヒロヒトほど知り尽くした人物は日本にはいなかったし、これからも登場しないであろう。』
『第二次世界大戦はどのように仕掛けられたか。その第一はヴェルサイユ講和条約にあった。日本は統治諸島を手に入れた。ドイツの賠償金を受け取るとの名目で、国際決済銀行ができ、ドイツに秘密裡に多額のドルを貸し与えた。そしてナチス・ドイツを育てた。共産主義の恐怖を煽る一方で彼らは太平洋問題調査会をつくり、中国を共産主義にすべく動いた。日本の天皇の野坂参三を使い、共産党国家中国の援助をした。これらはすべて、マネー・ゲームの面を持っている。これらの動きに国際決済銀行がからんでいるからである。彼ら、この国際決済銀行を実質ッ的に支配する国際金融同盟は、次々と日本に甘い汁を与え続けた。青島の中国銀行の倉庫に大量のヘロインがあった。これから軍人たちはヘロインやアヘンの売買をやって大金を稼ぐ。すべては彼らユダヤの国際金融資本家たちが考えた、日本を戦争に導くための甘い汁だった。満州国建設の金は麻薬によったと認めるべき時がきているのだ。』
『1945年10月にGHQが発表した皇室財産は37億2千万円。日銀物価価格で計算すると311倍となり、7912億円。東条の10億とか15億がいかに天文学的数字であるかが分る。今の貨幣価値で数千億円の金を、東条はアヘン取引で稼いでいたことになる。これが戦争なのである。国民の大半が飢餓線上にあり、住む家も焼かれていたとき、天皇から首相に任命された男は天文学的な利益を上げていたのである。三井と三菱はペルシャから年ごとに船を出し、アヘンを仕入れ、朝鮮に送った。それをアヘンかヘロインにして中国人に売りつけた。その金の大半は天皇と三井、三菱の懐に入った。その一部で国際決済銀行を通じてアメリカから必要な軍需物資を仕入れた。戦争を長引かせるよう、国際決済銀行を実質的に支配する国際金融同盟が天皇を指導したのだ。天皇とその忠実な部下である東条英機首相は、戦争を長引かせることで天文学的は利益を上げた。麻薬を売りつけ、その上がりで軍人たちはメシを食っていたのに、何が大東亜構想なのだ。』
『木戸は警察関係の連中と三日に一回ほどの頻度で会っている。これらはすべて天皇に上奏され、また天皇から伝送される。平和運動を抑圧し、終戦工作を妨害しつづけたのは、天皇ヒロヒトその人であったことを理解しないと、戦争の本当の意味が分らない。日本人だけが、昭和天皇を「無私の人』だち思っている。真実はまったく違う人間であったことは、ほぼ間違いのない事実である。戦争がマネー・ゲームであることが理解できたであろうか。田布施のこのグループにやがて、吉田茂が一族として加わってくる。上海にいたサッスーン、ジャーデイン・マセソンというロスチャイルド財閥から援助され財をなした吉田健三は、ある長崎の女郎が生んだ子どもを養子にする。吉田茂その人である。その子が長じて東大法科に裏口入学し、牧野伸顕の娘と結婚する。満州利権を守るため、田布施村の一族と血の契りを結ぶ。のちにヨハンセン・グループを作り、天皇の承認のもとに、アメリカ大使のジョセフ・グルーに極秘情報を流し続ける。こうして、、マネー・ゲームは続くのである。』
再び鬼塚氏のDVDの続き。
そしてある時になって、「石油はやらない」という時になって、天皇は気がつくわけです「ああ。ついに終わりが来たか」と。ね。これが真相なんですよ。近衛とか木戸はその辺を知らなかったんです。天皇と一部の大本営、『御文庫』といって、天皇の宮殿内の地下深くに『御文庫』をつくり、そこに大本営を置いて、毎日毎日「今度はここ行け」「ここ行け」指図した。それを指図が出来ると、東条に渡すわけです。東条は御文庫の中に入れない。そういうシステムで戦争が進んでいる訳です。最後に天皇も「もう尽きるところまで来たな」って、天皇も終戦工作に入る。終戦工作に入るのはロシアを通して入ろうと、ロシアを通して終戦工作に入りますけど、上手く行きません。
終戦工作は白洲次郎という男が全部絡んできますけれど、これが終戦工作をやります。ヨハンセン・グループというのがやります。ヨハンセン・グループというのは、吉田反戦グループといいます。それでヨハンセンとなります。アメリカ人の暗号名です。「ヨハンセンから連絡があったか?」。ヨハンセンというのは吉田と樺山愛輔という貴族と、その中に連絡係りの白洲次郎がいます。彼らがグルーからも貰うし、別のルートからもデータを貰い、まだ御前会議で戦争を遣る最後の会議の時にも、御前会議が始まると次の日にはもう、グルーを通してアメリカの上層部に日本の最高機密が流れていくわけですよ。これが日本の現実なんです。ね。
で、白洲次郎が『カントリー・ジェントルマン』とかいって、戦争のときは鶴川の山の奥で農業をやっていたというのは全部デタラメです。これは『日本水産』の社長であった有馬というやつがいますが、これも貴族ですが、『日本水産』のトップですが、この男の日記にダーッと出ている。「また白洲が来た。とんでもないニュースを持って来た。アメリカがどうのこうの。何で彼はこんなことを知ってるんだろう」ずーっと出てきます。そういう事なんです。で、結局ですね、最初から日本は戦争をするように仕組まれていたと考えると、すべて矛盾がなく納得できるんです。だからゾルゲを使って、天皇は弟の公一に機密情報を流してソヴィエトに渡せと、で、ソヴィエトを安心させて南進策を取るわけです。で南進政策を取ッとる時に、木戸が日記に書いてますよ。「おい、火事場泥棒をしたな」「へい」と木戸が言うわけですよ。「火事場泥棒も時によってはしょうがねえなあ」と天皇が木戸に言ってんです。火事場泥棒なんです。ね。
あのおとなしいような天皇は非常に頭が良くてですね、昭和天皇はズル賢くてすべて計算してたわけです。だから日本をアメリカとの戦争に持っていくよう仕組まれたら、それに応えるよう敢えて真珠湾攻撃の大事なところで手を抜くわけなんです。だからあれは山本五十六に命じますけど、山本五十六は言ってんじゃないですか。「一年くらいは持つ。勝った勝ったと言うだろう。だけど後はもう知らん」。そしたら天皇はそれでもいいからやれというわけですよ。やらないと自分の身が危ない。スキャンダルをみなバラされて、全部失う。スイスに貯めた金も失うと。
もう一つ、石油を買うお金は何処から来たかということですが、日本は南方に攻め込みます。中国はもちろん、ビルマからタイからダーッツと行きます。あすこにある金銀財宝をカッさらいます。そして日本に持ち帰ります。それを金を溶かして丸福といいます。丸に福が書いた名前の金貨をつくり、それを持ってフィリピンとかに行って、農家の人に渡して食料を得る。アメリカ軍は自分の国から大きな船で食料を運ぶんですけど、日本はそんな余裕はないわけで、現地調達をやります。フィリピンで現地調達をするのに軍票というのが、こんなの受け入れません、フィリピンの百姓たちは。それで金貨をやります。「そんならしょうがない」って言って、米をもらったり野菜をもらったりして、何万人の兵隊たちがフィリピンの農民から肉や魚を買います。これが戦争なんです。
で、もう一つ、その金貨を黄金をインゴットにしてスイスに送ります。スイスでスイスフランかドルに換えます。そのスイスフランかドルを・・・国際決済銀行というのが出来るわけです。第一次世界大戦の後に出来ます。その決済銀行を通して、日本はアメリカにパナマ国籍で金を払い石油を貰うと。で、アメリカとその石油で戦争をします。太平洋でいっぱい戦争をしました。あれはアメリカの石油をもらって、アメリカの石油を使った軍隊と戦争ごっこをやったということですよ。ドイツも同じです。戦争するのにドイツは分るように石油は出ません。石炭は出ます。で、ドイツのヒトラーが言います。「戦争をしろというけど石油が無い」って。ロイヤル・ダッチッシェルというところのデイターデイングというユダヤ人がヒトラーに言います。「石油は渡す。やれ」って。「誰が持ってくる?」「オナシスというやつのタンカーが来る」「戦争してたら沈没したらどうするんだ?」「オナシスの船は絶対沈没しないから心配するな」。で、戦争中ずっともらいます。
じゃあヒトラーはどうしてスターリンの所に攻め込んだんだ?というと、途中で言われます。「もうやらない」って。じゃあヒトラーはどうしたらいい?スターリンのところへ行って石油を取ばいい。それでヒトラーはロシアを攻め込んで、石油基地を奪おうとして行く過程で滅ぼされます。日本も同じです。イタリヤはどうか?ムソリーニはヒトラーに言われます「一緒に戦おうよ」。ムソリーニは言います「オレは石油がない」。ヒトラー「俺はシェルからもらえるけどお前はシェルからもらえないのか?」ムソリーニ「シェルはオレにくれるといわない」。それでもヒトラーとムソリーニは協定を結んでたから、ヒトラーが戦争を始めた以上、ムソリーニもやらざるを得ません。すぐムソリーニのイタリヤは潰されます。これは石油がないからすぐ潰されます。
戦争というものの実態は「物事はすべて必然性がある」んです。大きな出来事は偶然性で発生するものは何もありません。第一次世界大戦も今いった第二次世界大戦も、ぜんぶ八百長なんです。八百長システムが見事に働けば戦争は長引くんです。戦争は長引くんです。だからノルマンデイー上陸作戦というのがあります。あれは第二次世界大戦が始まって、すぐルーズヴェルトが「勝利の計画」というのを立てます。ウエデマイヤーという優秀な男がいまして、これが計画を立てます。ウエデマイヤーは戦争が始まって一年後に、ルーズヴェルトやステイムソンやらマーシャルやらみんなを説得します。「戦争はこれで終わりです。ヒトラーを、ナチスらを、やっつけましょう」。ね、一年後ですよ。
それがなぜ延びたか?上層部の連中が「No」と言います。誰が「No」と言ったか。スターリンもチャーチルに「これで戦争は終わりやなあ」と。モロトフもチャーチルに会って確約をもらい、ルーズヴェルトに会って「戦争は終わり。終わらせないとみんな可哀そうやな」。でも最後にチャーチルがみんなに言います「戦争は継続しないといけない」。でルーズヴェルトは魂消ます「なぜだ?」って。
チャーチル「戦争は継続しないといけない。継続しないと金儲けに繋がらない。それでアフリカ作戦に切り換えよう」って。アメリカ人は分りません。そこでアイザンハワーという男が登場します。これがウダツの上がらん男です。フィリピンでマッカーサーの下でずーっと中佐であった男です。この男が呼び出されるわけです。で、ヨーロッパに派遣されて、一気に中佐、大佐、少将、中将、大将、元帥と一年足らずの間に元帥になって総指揮官になります。完全なユダヤ人です。ルーズヴェルトがヨーロッパに行った時に、アイゼンハワーに会います。アイゼンハワーの顔を初めて見たといいます。大元帥の顔をね。で、アイゼンハワーはイギリスの連中に応じます。イギリスの貴族たちが(戦争終了に)反対するわけです。
僕はこれを『20世紀のファウスト』に書いたんですけど、何と悲しいことよと。人間の命なんかどうでも良い連中が、ゴロゴロいるわけですよ。ルーズヴェルトでさえ嘆いているんですよ「戦争が終わるのになぜ終わらせないのか?」。そうこうしているうちに、まあ後で話しますけど原子爆弾ですね、原子爆弾が完成しなかったんですよ。予定通り。これが完成間際になってヒトラーも手を挙げます。で終わります。で日本は「まあ〜だだよ」とステイムソンが言うわけです。「まだガマンしとけ」。そして原爆が完成して、同時にスケジュールが出来た。と同時に何が起きたかというと、天皇は広島に第二総軍を作って、畑という男を入れます。ね。怖い話じゃないですか。
それで戦争を始めるように仕組まれてるわけですよ。僕がいちばん日本人の作家たちが書いた本を読んで情けないと思ったのは、御前会議ですけど、次の日にはもうアメリカは内容を全部知ってます、これは吉田茂が樺山愛輔に流し、樺山愛輔がグルーのところに持って行って、グルーが電報で打って全部次の日には・・・グルーも『回想十年』で書いてます。「ヨハンセン・グループにもらって全部やった」て。まあ後に翻訳されますけどね。まあ僕は昭和史を読んでて「悲しいなあ」て思ったのは、昭和天皇が御前会議の席上、戦争をやれというとき「分った」と。で、杉山元(はじめ)という参謀長に言います「勝てるか?」。「勝てるかどうかはやって見ないと分りません」。すると天皇はみんながシーンとしている時に「四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思う世になど波風の立ち騒ぐらん」と読んだ。で、それが戦後になって昭和天皇が戦争に反対した証しだとか、昭和天皇は戦争に責任がないという一番の証拠にされるわけです。この歌を以って反戦の歴史学者もみな賛成するわけです。
井上清やら『人間の条件』を書いた五味川純平もその歌を以って、天皇はやっぱり反戦主義者であったことは認めるということになるわけです。五味川純平の書いた『御前会議』という本があります。『人間の条件』を書いた男が『御前会議』というのを書いてね、その時僕は思いました(彼らは何とダマされやすい歴史学者なんだ・・・)と。これはちょっと歴史の勉強すれば分るんですけど、この歌は戦意高揚のためにずうっと歌われてきたんです。日露戦争の時に天皇が詠んだとされて、ずうっと戦争高揚の歌でやってたのが、突然、戦後になって一部の天皇の周辺の者が「あれは天皇が反戦の意を伝えた」と言ったら、みんな(以下)同文なんです。何て情けないんだ。なぜ歴史を勉強しないのか。
この歌は井沢匡(ただし)というドラマの脚本化が書いたり小説書いたりするのがおりまして、この人は『維新・明治天皇伝』というのを書いています。この中でこの歌は、西南戦争の時に天皇が西郷隆盛を偲んで詠んだ歌だとされてんですよ。飛鳥井雅道(あすかいまさみち)という歴史学者も、井沢説と同じなんですよ。まあ一部は違いますけど。『日露戦争』というのがあるんですけど、これは西南戦争の時に「やっとこの世の中で幸せが来ると思ったのに、自分を助けてくれた西郷は死んでしまった。何と悲しいことだ」という歌なんですよ。「四方の海みな同胞」というのは、「四方の海」は四つの海で四海、「同胞(はらから)」というのは「同胞(どうほう)」なんですよ。「四海同胞(しかいどうほう)」ということなんで、「四海同胞」とは僕たちは簡単に言いますけど、これはずい分前から「同胞(どうほう)」というのは結局、部落民を指す言葉なんです。あんまり良い言葉じゃないんです。天皇のような貴きお方が喋る、歌にするような文句じゃないんです。
足利尊氏が室町幕府を作りますが、その時に負けた楠とか新田の一族が「散所(さんしょ)」「別所(べっしょ)」というんですが、閉じ込められるんですよ。一定の場所に。もう反乱を起さないように。で、それで彼らは部落民になるわけですよ。楠一族とか新田一族は部落民になるわけです。その時に四海同胞衆というのが、彼らの世界から生まれてくるわけですよ。閉じ込められた人間が解放されたと言って、で、そこから坊主になって解放される道があると言って、坊主が沢山生まれてきます。そういう意味なんです。だから明治天皇がこういう風に「俺たちは部落民としてガマンしてきた。四海同胞市民として生まれてきたけど、やっと迎えられたのに西郷は死んでしまった」という歌なんですよ。それを「日露戦争の時に明治天皇が作った」という歌にして、それはそれでいい。戦意高揚の歌だんですよ。八紘一宇の代表的な歌として、ずーっと歌われてきた。で、戦争前まではそれで筋が通ってきた。色んな人がこの歌を、子どもたちの教科書に載っている歌でさえ(戦意高揚の歌として歌ってきた)。
戦争が終わって一部の軍人たちが「反戦の歌を詠んだ」となると(今度は)ずーっとそうなるわけです。何と情けない話じゃないですか。今でも、そのさっき言いました秦とか、そういう連中はみな、この歌を以って「昭和天皇は反戦の意を唱えたけれど、軍人たちは天皇の意に反して戦争をしたんだ、軍人たちがけしからん」ということで、第二次世界大戦の総括をやっているわけですよ。で、その意に逆らう歴史家は未だにいません。私は一人だけ逆らってますけど。どうかみなさんも真実を知って、簡単に人の言うことを、権威者の言うことを信じないでください。これは大事なことなんですよ。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/700.html
09. 中川隆 2013年3月02日 09:27:23 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
2・26事件と8・15宮城事件に共通して登場する人物
2・26事件と8・15宮城事件に共通して登場する人物 From 得丸
皆さん、ちょっとびっくりしたのでお知らせします。
2・26事件の磯部・村中が軍を追われることになる昭和9年の11月事件と、昭和10年の永田鉄山惨殺事件と、昭和20年の8・15宮城事件に共通する人物がいることがわかりました。
なんと鬼塚さんの本に引用されていました。
鬼塚英昭さんの「日本のいちばん醜い日」の14ページに、バーガミニからの引用が紹介されています。
「塚本は、1934年に、陸軍大学における北進派即ち征露派の陰謀を暴露するのに、宮廷の密偵を助けたことで、天皇の注意を惹いた。
彼はそれから1935年の間じゅう、大阪で皇叔東久邇宮の下で様々な秘密計画に携わった。その一つは、裕仁の防空室を描いた鈴木記念館の絵のなかで時代錯誤の幽霊となって現れているあの永田軍務局長の殺人であった。」
この1934年の陸軍大学における陰謀というのは、磯部浅一と村岡孝次が陸軍をクビになる11月事件であると思われます。
そして、永田鉄山惨殺事件(=相沢事件)にも、塚本が関係したという記述がバーガミニの本にあったということは、いったいこれは、、、、、、、
2・26事件について、浜田政彦さんが考えている以上の根深い陰謀があるのではないかという気になりませんか
とくまる
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2・26事件の首謀者である磯部、村中と、8・15宮城事件の陰謀の筋書きを書いた塚本は、意外に近い関係だったのですね。
得丸
以下、ネットよりコピペ
塚本誠(陸士36)、村中孝次(陸士37)、磯部浅一(陸士38)は、陸軍士官学校の一年ずつ先輩後輩です。
磯部浅一
・ 山口県出身。陸士(38期)卒。陸軍経理学校卒。
・ 早くから北一輝のもとに出入りし「皇道派」青年将校の先駆的
存在の一人。
・ 士官学校事件で、村中孝次らとともに、辻政信ら「統制派」の
陰謀に陥り逮捕。のち停職処分。
・ 冤罪を訴え続け、村中とともに「粛軍に関する意見書」を作成
、配布。これにより免官となる。
・ 真崎教育総監更迭、相沢事件ののち、相沢を支援しつつ、活動
を活発化される。
・ 二・二六事件に際しては、栗原安秀とともに時期尚早論を抑え
、計画を指揮。
・ 獄中で「行動記」「獄中遺書」を書き、決起の正当性を主張。
刑死。
村中 孝次(むらなか たかじ、1903年10月3日-1937年8月19日)は、戦前日本の軍人、国家社会主義者。北海道旭川市出身。
札幌中学を経て、陸軍士官学校37期。歩兵第27連隊付・士官学校区隊長を経て、1932年歩兵第26連隊付。同年陸軍大学に進むが中退。
この頃から皇道派青年将校グループの中心人物として知られるようになり、維新同志会の西田税らと交遊。1934年大尉。同年磯部浅一らとともにクーデター未遂容疑で検挙され、休職となる(陸軍士官学校事件)。
翌1935年磯部と「粛軍に関する意見書」を作成・配布し、免職となった。また、真崎甚三郎教育総監の更迭は永田鉄山軍務局長を中心とした統制派の皇道派弾圧の陰謀であるとする「真崎教育統監更迭事情」を作成し、相沢三郎中佐に送付。同年の永田軍務局長殺害事件(相沢事件)の遠因を作った。1936年の二・二六事件の首謀者の一人となり、1937年に西田や磯部らと共に射殺された。
塚本 誠
明治36・9・24〜昭和50・8・6
大13・7 陸士卒(36期)
13・10 任歩兵少尉・歩兵第59聯隊付
昭2・10 任歩兵中尉
6・5 仙台教導学校付
7・11 任憲兵中尉・仙合憲兵隊付
7・12 岡山憲兵分隊長
8・8 任憲兵大尉
9・3 憲兵司付
10・3 大阪憲兵隊付
10・4 上海駐在
12・8 上海派遣軍司付
12・12 中支那派遣憲兵隊付
13・3 台北憲兵分隊長
13・7 任憲兵少佐
14・3 参本付仰付(上海駐在)
14・9 支那派遣軍総司令部付
16・3 中支那派遣憲兵分隊長
16・8 東京憲兵隊付(特高第2課長)
17・8 任憲兵中佐
18・8 宇都宮憲兵隊長
19・5 ビルマ方面軍憲兵隊長
19・12 第10方面軍司付
20・4 第10方面軍参謀
20・6 任憲兵大佐
20・8 東部憲兵隊司部員兼憲兵参謀
20・9 軍務局付
20・12 予備役
24年 電通入社
48年 電通取締役で退社
憲兵練習所甲種学生 首席
* 11期:昭和7年11月14日/塚本誠 歩兵中尉
==============================
2・26事件も結局、天皇が仕組んだ陰謀だったのでしょうか、、、、
とくまる
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_02_contents.htm
天皇の陰謀
天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ 著
松崎 元 訳
私の調べた確証から浮かび上がる天皇の姿は、公式の伝記にあらわれる姿とは、まるで写真のネガとポジのように異なっていた。私の見方では、裕仁は、献身的で、衰えを知らず、利巧かつ細心で、そして忍耐力を備えた、卓越した戦争指導者だった。彼は、アジアから白人を追放するというその使命を、大祖父から引き継いでいた。
だが、国民は無関心かつ後進的であったので、人々をそうした役務にかりだすため、戦争の20年前から、心理的、軍事的に準備を重ね、巧みにあやつっていった。
私は、裕仁を「陰謀」の首謀者として登場させるつもりである。
だが陰謀というこの言葉は、過剰使用と盲目的愛国心のおかげで、一般的には不信をもたれる言葉となっている。だが国際軍事法廷は、日本人指導者に「侵略戦争への陰謀」との判決を下し、1928年から1936年の間の日本を運命付けた少なくとも八件の主要陰謀を明白とさせた。また、陰謀は、日本文化においては、古くから、由緒ある地位に置かれてきた。戦前の日本の領土軍〔植民地配属軍のことか〕は、公式に「謀略部」と称する参謀チームを設けていた。私は、その連合国判事が判明させたリストに、さらに六件の陰謀を加え、それらのすべてを、裕仁を中心とする皇室がからむ陰謀とした。
裕仁は、秘密裏に少数派に働きかけ、最初は日本を欧米との戦争に導き、そしてそれに敗北すると、その記録を隠蔽した。
ある60才代の風変わりな華族は、私に英語で以下のように告げた。
「もちろん、貴君は私をたぶらかそうとしていると思う。貴君は私に何を言わせたいのかね。私は裕仁を子供の頃から存じている。彼は、戦争好きの馬鹿ロマンチストだったし、たぶん今でもそうだと思う。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_04_choshakara.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L2/220216.htm
10. 中川隆 2013年3月02日 09:34:49 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
鬼塚氏が8・15の偽装クーデターを徹底検証した『日本のいちばん醜い日』には、狂言回しとして憲兵中佐・塚本誠が登場します。 後の電通の取締役です。
塚本誠と懇意にしているのが松本重治。国策通信社『国通』の上海支局長です。
この二人を中心に人間関係を描くと次のようになります。
当時の松本重治の人脈は「上海クラブ」の上流階級、すなわち、
長州5を英国に留学させた麻薬王ジャーデイン・マセソン商会の子孫ケジック兄弟、
兄弟を紹介してくれたロイター極東総支配人クリストファー・チャンセラー、
秘密工作で一緒に奔走してくれる麻薬王・里見甫、
西安事件の大スクープネタをくれた義父の親友・須磨弥吉郎。
やがて須磨はスペイン大使になって「天皇のスパイ」べラスコを発掘。
べラスコが一方的にトモダチだと思っているのがキム・フィルビー。
キムはヴィクター・ロスチャイルドのスパイ組織に属するホモダチ。
スターリンが「ご主人様」と呼んでいるのがヴィクターその人。
つまりキムはヴィクターの根城に避難しただけです。
この点、高橋五郎『天皇のスパイ』はかなりパースペクテイブが狂っていて、ベラスコを天皇のダチッコとして大物扱いしていますが、ヴィクターに遠隔操作されていた小物スパイに過ぎません。
そしてヴィクターの忠実なポチがロックフェラー三世。
ロックは日本の敗戦直後に日米文化交流という名の侵略を開始。
松本重治が国際文化会館を創設してバックアップ。
塚本誠は電通に潜り込んで反乱分子を監視。
塚本誠と松本重治が諜報組織で繋がっている構図が見えます。
今回登場する大宅壮一、半藤一利、秦郁彦もこの構図の中にいます。
かつての三島由紀夫もこの構図の範疇にいます。
ここからはみ出すものはメジャーにはなれません。
では815の概略を見ていきましょう。
鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日』成甲書房より以下抜粋します。
ポツダム宣言が米中英三国により共同宣言として発表されたのは一九四五年七月二十六日だった。その日、塚本誠憲兵中佐を日本に呼び戻す命令が台湾に打電された。塚本誠は『ある情報将校の記録』(一九七一年私家版・一九七九年芙蓉書房刊)(注 序文を松本重治が書いています)の中で次のように書いている。
「私は東京転勤のため、七月二十六日午後、海軍機に便乗、台湾飛行場を福岡へ飛び立った。・・・この日早朝にポツダム宣言が放送されることを、私は終日知らずじまいであった。・・・翌二十七日夕、福岡に着き、ポツダム宣言を知った。米中英三国首脳が連名で、日本に無条件降伏を要求しているが、この宣言は軍をゆさぶるに違いないと思った。」
塚本誠憲兵中佐はさりげなく書いているが、彼はある目的をもって帰国命令を受けたのであった。彼は特別任務を与えられての帰国であることを知っていた。八月十五日を中心とする終戦秘史を書いた本は多い。しかし、塚本誠に注目し、彼の行動について書いた本は皆無に近い。どうしてか。彼がポツダム宣言の発表直後に帰国命令を受けた意味を知ろうとしないからである。
この件について具体的に追及したのは、私の知るかぎりにおいて、デイヴィッド・バーガミニとレスター・ブルークス。バーガミニは日本の歴史を勉強し、日本の暗殺がなにゆえに行われ、どのような方法で構成にその暗殺が伝えられるかについて考察し、記録にとどめた稀有の学者でもあった。バーガミニの書く文章の意味が、私がこれから描く事件の経緯のなかで判然としてくるであろう。塚本は「日本の最良の警察」の役割をすべく、宮中の偽装クーデターの見届人として登場するのである。
デーヴィッド・バーガミニ
『天皇の陰謀』より写真転載
警察の見届人塚本が加わったがゆえに、陸軍の愛国的な少佐や中佐が急速にクーデターに熱中していくのである。このクーデターが秘密の会合から誕生したものでないことを何よりも証している。塚本はクーデターを計画しているといわれる井田正孝中佐に会見する。塚本は「私の東京転勤の陰の推進者はどうやら彼(井田中佐)だったようである」と書いている。だが、真の推進者が誰であったのかについては書いていない。一介の陸軍省事務局の中の軍事課員にすぎぬ一人の中佐が、塚本憲兵中佐を台湾から強制的に帰還させることはできない。彼の帰還命令の背後には大いなる実力者がいなければならない。この大いなる実力者が真のクーデターの実行者であるはずである。この物語は真の実力者が暗躍する過程を描くことになろう。
塚本の本からの引用を続けよう。「やがて二人の見知らぬ佐官が、井田中佐の横の両脇に座った。彼の紹介によると、一人は椎崎二郎中佐(45期)、もう一人は畑中健二少佐(46期)、共に軍務課員ということであった。」彼らの計画を塚本は書きとめた。
「降伏が最後になる前に、宮城を占拠し、天皇に不名誉を受け入れるよう助言した君側の奸から天皇を救い出すべくクーデターを決行する。もし、彼らの陰謀が失敗した時は自決する。私たちは、阿南と直接に幾度も討論した。阿南は終始加担しなかったが、彼らの大義に同情を示した。私たちは近衛師団長と東部軍司令官にも進言した。二人の将軍は、軍隊の規律についての適当な見解を開陳して応えたにとどまり別に私たちを止めようとしなかった」
塚本はこの三人からクーデター計画の内容を聞きだし、自分の仕事がなんであるかを知った。この物語は、塚本中佐が台湾から帰還し、竹下正彦中佐、椎崎二郎中佐、畑中健二少佐の三人の軍務局少壮課員に会った時をもって始まる。塚本が指摘する竹下中佐が、彼らと陸将のパイプ役であった。
畑中健二少佐
『日本のいちばん醜い日』より
椎崎次郎中佐
『日本のいちばん醜い日』より
バーガミニの説とブルークスの説がわかれる分岐点がこのあたりにある。バーガミニはこの日(十三日)から始まるクーデターを最初から偽装クーデターと認識し、塚本憲兵中佐をこのクーデターの記録係とし、井田正孝中佐を誘導及び報告係りとする点である。ブルークスは井田正孝が塚本憲兵中佐に語った言葉を信じている。バーガミニは疑っている。
後述することになるが、バーガミニは八月十四日の昼過ぎから起きるクーデターを宮廷がらみの偽装クーデターであり、首謀者とされる井田正孝以下の将校たちは、宮廷グループ(この人々については、ゆっくりと説明していく)の面々により誘導されたと見る。その最大のイベントが森近衛師団長の惨殺事件であったと。それゆえ、大城戸(注 塚本に指示を与えている上役)も塚本も井田も、宮中のスパイであり、彼らが若手将校や近衛氏団の歩兵たちを操って事件を起こしたと見る。しかし、あの宮中事件について書いた他の本はすべて、あの八・一四および八・一五の事件は真実のクーデターであった、という点で一致をみている。
ブルークスは憲兵司令官大城戸三治中将の存在をご存知ないらしい。彼は宮廷の飼い犬である。すべての彼の行動は内大臣木戸幸一の指示のとに動いている。従って大城戸は政治への参与をゆるされない。塚本中佐も陸軍省に入り込んだ井田中佐も内大臣木戸の手先である。内大臣木戸はこの憲兵隊のデータを天皇に報告する義務がある。『木戸幸一日記』には、この憲兵隊司令官がたびたび登場する。情報を知り、その情報を天皇に伝奏する様子が書かれている。しかし、終戦直前の記録から、この「憲兵隊」という言葉がかなり消える。木戸は意識して憲兵隊の名を伏せているとしか見えない。
バーガミニは書いている。「塚本の到着によって、阿南の幕僚の狂信者達は、公式の見届人が与えられた。このことは彼らにとっては、彼らの行為が記録されて、死んだ場合には例会で祖先から嘉せられることを意味しているが故に、重要なことだった。」森師団長と同じように惨殺された多数の軍人たち、空襲で命を失った数多くの民間人たちは霊界でどうなっているのか・・・。まわりくどい言い方を止めよう。私はこれから“天皇タブー”に挑戦する。この本はそのためにのみ書かれたものである。
半藤一利の『日本のいちばん長い日』(決定版)・・・の中に、三笠宮は二回ほどしか登場しない。しかも「これらの人々が憂いていたのは、軍の反抗である」と書かれている人物は三笠宮と蓮沼蕃(はすぬましげる)侍従武官長である。私はこの重要人物が故意に書かれざる存在であると思えてならないのである。どうしてか。答えは塚本憲兵中佐の台湾帰還を命じた人物こそ、三笠宮か、三笠宮に近い皇族の東久邇宮ではないかと思えるからである。
塚本が、誰が自分を直接に命令を出して帰還させたかを全く書いていないのも不条理であろう。彼はその人物を知っていた。そして、その人物から直接に命令を受けた、と私は考える。なぜなら、彼は“儀式”の見張り役を命じられたのである。いわば、このクーデターの進行係のような行動をとるからである。塚本は、「陸軍大臣室での模様については、終戦直後に井田中佐から直接聞いたことがある」と書いている。しかし、終戦直後とはいつの日なのか。八月十四日を終戦とする説があるのだ。私は、塚本は陸軍大臣室に入り、ペンを執って模様を写していたと見ている。彼は陸軍大臣とその部下たちのもとにへばりついていたからである。
『日本のいちばん長い日』の中の、ある“気になる文章”のことを書いてみる。私は半藤のミスかと思ったが、そうでもないらしい。故意であろうと確信するにいたったのである。以下、大宅壮一編になる『日本のいちばん長い日』を「大宅本」とし、半藤一利著なる本を「半藤本」または「決定版」としたい。
(@_@;)
○一九六五年発刊『日本のいちばん長い日』大宅壮一編→「大宅本」
○八年後角川文庫本として発刊→「角川文庫本」
○一九九五年発刊『決定版 日本のいちばん長い日』半藤一利著→「半藤本」「決定版」
まずは「大宅本」からの引用文を見てほしい。「とまれ、彼らは作戦をたて、第二段階ともいうべき布石をようやく終わろうとしていた。曽我副官が四連隊副官よりの奇妙な電話を受けた後、宮城内に入り、二重橋ぎわの衛兵司令所についたとき、副官はそこに見知らぬ三人の将校を認めた。通常近衛兵以外は入れないことになっている宮城内に、しかも夜も八時を十分か十五分過ぎたころになって、中佐が二人、少佐が一人やすやすと入れたということは、副官のそれまでの常識にはない経験であった。よくよく注意すればそこに事件の匂いをかぎとることができたかも知れない。」
次に、八年後に出た「角川文庫本」から‐。「とまれ、彼らは作戦をたて、第二段階ともいうべき布石をようやく終わろうとしていた。曽我副官が四連隊副官よりの奇妙な電話を受けた後、宮城内に入り、二重橋ぎわの衛兵司令所についたとき、副官はそこに見知らぬ三人の将校の姿を認めた。通常近衛兵以外は入れないことになっている宮城内に、しかも夜も八時をとっくに過ぎたころになって、中佐がひとり、少佐がふたりやすやすと入れたということは、副官のそれまでの常識にはない経験であった。」
「大宅本」では「中佐が二人、少佐が一人」となっているが、「角川文庫本」では「中佐がひとり、少佐がふたり」となっている。決定版たる半藤本も角川文庫本と同じである。このちょっとした文章の故意としかおもえないところに、大きな問題が含まれているのだ。
(@_@;)
中佐が二人、少佐が一人→中佐がひとり、少佐がふたり
わざと平仮名にしているところに不自然な作為を感じます。
大宅本には※(注)がついている。「曽我音吉氏のはっきちした記憶から類推すると、少佐は畑中、中佐の一人が椎崎であることは間違いない。しかし、もう一人の中佐が誰であるかわからない。他に事件関係者の中佐といえば、竹下正彦氏と井田正孝氏ということになるが、両氏とも後に述べる事情からすればこれは該当しないのである。従ってここでは不明としておく。」
角川文庫には「注」がついていない。曽我音吉氏は少佐の畑中と中佐の椎崎を記憶し、もう一人の中佐を思い出せないとは、不可解以上の何かを思わせる。では、この“某中佐”について半藤一利本人はどのように考えていたのであろうか。『昭和史が面白い』(一九九七年)の中で、半藤一利は高木俊郎(作家)とともに岩田(旧姓・井田)正孝と会談している。この中で“某宮様”が登場する。
高木
「このときの青年将校は判明しているのが、畑中少佐、椎崎中佐のほか、近衛師団参謀の小賀秀正、石原貞吉の両少佐、それに久保田兼三少佐、上原重太郎大尉の六名です。しかし本当にこの人たちだけであったのか。実は明らかにされていない影があるのではないか。」
岩田
「何もありません。立ち上がったのはその六名だけです。それに私が森近衛師団長説得のため、手を貸した」
半藤
「実は『日本の一番長い日』を書いたあと、妙な話を耳にした。あの夜、宮城の近衛師団の『守備隊大隊本部』に、参謀懸章をつった中佐、それも某宮様によく似た人がいた、と言うのです。確証はありません。確証はないが、とすると、国体護持のため弱気の陛下ではなく、別の天皇陛下をいただいて、という計画がひそかにあったのではないか。」
岩田
「驚きましたね、そんな話は。今はじめて聞きました。六人以外に同志はいなかったですよ。椎崎中佐を見間違えたと思いますよ。それに天皇陛下が弱気だからなんて考えたこともない。弱気だったのは外務大臣ですよ。」
半藤
「しかし、時日は、宮城占拠の近衛兵たちは御文庫に機関銃を向けているんですよ。」
岩田
「これは想像ですけどね。暗くて、どっちに御文庫があるかわからなかったのでは。」
半藤
「いや、いつも警備任務についている近衛兵ばかりなんですよ、占拠しているのは。」
岩田
「御文庫にいた侍従や女官たちの恐怖にかられた想像、いや妄想ですよ。近衛兵は泣いていますよ。」
半藤一利は「確証はありません。確証はないが、とすると、国体護持のため弱気の陛下でなく、別の天皇をいただいて、という計画があったのではないか」とも語る。ここから近衛兵たちが(後に詳述するが)わけもわからず、宮中のそれも天皇の住まいである御文庫まで「行け!」と命じられるのである。多くの軍人たちがその某宮様の指示、否、命令で動いたのである。しかし、つねに無名という名を与えられているのだ。岩田正彦はこの某宮様(この本では某中佐)と行動を共にしていたのである。時は流れ過ぎゆくも、この某中佐の存在すら否定しえ、偽証の生き証人として彼は生きてきたのである。私は、この“某中佐”の行方を追ってみようと思う。どうしてか?私は“天皇のタブー”い果敢に挑戦し、このタブーを打ち破る以外に、日本の未来への道は開けないと確信するからである。
三笠宮崇仁(終戦当時二十九歳)が雑誌「文藝春秋」(二〇〇五年九月号)の「特集・運命の八月十五日」に「玉音放送までの苦しかった日々」を寄稿している。
「昭和二十年八月寿五日といえば、中高年の日本人にとって忘れられない日であろう。もちろん私もその一人である。それから六十年経った今、頭に何が浮かぶかと聞かれれば、それはいわゆる玉音放送をラジオで聞いた時の、『やっと辿り着いたなぁ、という安堵感』と答えるしかない。・・・当時、私は航空総軍参謀として勤務していたが、私の部屋に来て、目の色を変えて抗戦の決意を述べる将校もいた。また自宅‐といっても家は消失したので、防空壕の前におかれた椅子と卓‐に来られた将校もおり、話しているうちにやがて大激論となった。・・・また、要職にある某将軍が前期の自宅にみえたことがあった。話の要点は、『大元帥陛下が、降伏の決心を翻して、戦争を継続していただくよう』陛下に申上げてくれとのことであった。私は、その温厚な顔つきや話し方を聞きながら、将軍が依然、侍従武官をしていたことを思いおこして、陛下(昭和天皇)を、かわいいわが子のごとく想っているのではないかという印象を受けた。しかしこの要請を、私はどうしても受け入れることが出来なかった。はっきりとお断りした。将軍は肩をおとして退出された。防空壕は低地にあったので、坂道を上らなければならなかった。妻は将軍の後姿を見て、感傷に堪えなかったという。そのすぐ後、将軍は自決された。大元帥陛下と、蹶起にはやる陸軍将校たちとの間にたって、苦悶されたであろう将軍の心の内を思いはかると、あまりにも悲愴な出来事であったというしかあるまい。あんな戦争は今後あってはならない。」
三笠宮と陸軍大臣阿南惟幾を終戦工作で結びつける資料は非常に衝くない。しかし、最後の最後まで三笠宮が阿南を動かしていたと思われるのである。大森実『戦後秘史(2)天皇と原子爆弾』(一九七五年)の中に「大森実直撃インタビュー」が入っている。そこで大森は阿南綾(陸軍大臣阿南惟幾大正未亡人)をインタヴューしている。このなにげない大森と阿南夫人の対談は、八月十四日に起きた事件が、今までに考えらえていた事件とは全く洋装の異なったものであることを暗示している。
その第一の点は、十四日、三笠宮と阿南が何かの目的のためにかなりの長時間会っていたことを示している。陸軍省にも陸軍大臣官邸にも、阿南のいそうな場所に阿南夫人はたびたび電話している。要件も彼の部下に話しているにちがいない。自分の息子の死を知らせる息子の友人の話を、せめて電話を通してでも聞きたいと思わない親がどこにいようか。しかし阿南夫人が「はあ、十四日は、三笠宮様のところに伺ったり、あちこちおりましたらしいんでございますよ・・・」と語るように、その居場所さえはっきりしないのである。後述するけれども、森近衛師団長も同じようにはっきりしない時間帯がある。ひょっとすると二人は監視下におかれていたのかもしれないのだ。
阿南惟幾大将
『日本のいちばん醜い日』より
森赳近衛師団長
『日本のいちばん醜い日』より
木戸幸一(当時内大臣)は戦後戦犯となり巣鴨プリズンに収監された。彼はこのプリズンの中でも「日記」を書いたが、『木戸幸一談話』が残っている。その中で木戸は奇妙なことを語っている。「極東軍事裁判に関する談話」から引用する。彼とは阿南陸相をさす。
(十)阿南惟幾
よく識(し)っている。立派な人で終戦も彼が陸相でよかった。我々の立場もよく諒解してくれた。彼の自決の八月十五日の朝、私のところに来て「もう一度考え直してもらえないか」と云うので、私は「事情でも大きく変わったら兎に角、既定の線で押し切る外ない」と答えると「君の立場はよく判る」と笑って辞去した。
なんとも不思議な文章ではないか。木戸ははっきりと“自決の八月十五日の朝”と書いている・三笠宮も“十五日”と書いている。以下は私の推理である。八月十五日の早暁(夜中の零時〜一時ごろ)に、三笠宮邸の防空壕の中にいたのは、木戸内大臣、阿南陸相、畑中、椎崎、上原たちではなかったか。阿南は畑中たちの命を救ってやりたい。それで、「もう一度考え直してもらえないか」と三笠宮と木戸内大臣を説得した。
阿南は十四日午後十一時三十分、鈴木首相に最後の言葉を告げるために残っている。首相官邸を辞した後に、三坂宮の防空壕に行くと十二時をすぎ、十五日となるだろう。そこで重大な論議を、三笠宮と木戸をはさんで阿南陸相がしたのであろう。結論は出なかったに違いない。三笠宮が有末(精三)に語った“陛下のおたのみ”が論議されたと私は考える。三者は口論となり、話はまとまらずに別れたのちがいない。
午前一時すぎに、近衛師団長室の二階に向かって暗闇の中を車が走った。そして、某中佐と畑中、椎崎、上原が二階に向かってかけよった。そこに銃剣を持った井田中佐がいた・・・。某中佐は畑中が森師団長をピストルで撃った後、暗闇に消えた。そして、どこへ行ったのか。それを暗示する文章がある。下村海南の『終戦秘史』(一九五〇年)を引用する。
「矢部理事のもとへ兵士がかけて来て、『あなたもこちらへ』という。何事が起ったかと引き返し、将校の前に出ると、大隊長は、『今あの室の入口に上衣をぬいでいた人は高松宮殿下ではないかと思うがどうだ』と聞く。この深夜に高松宮様が宮内省の一室に宿直しているなどとはとんでもない錯覚だが、たずねられるままに茶目気を出した矢部理事は、『そういえばいかにも似ていますね』と答えた。大隊長はまじめな顔で、『○○中尉、あのお方のところへ行って伺って来い、失礼のないように』○○中尉は『ハイ』と答え、帽子を直したり、ボタンをかけたりして、あわただしく走っていった。すぐ引きかえして、『高松宮殿下でないそうであります』」
どうして下村海南(本名宏、当時情報局総裁)は、こんな妙な文章を挿入したのであろうか。下村の本を読むと(これも後述する)、この本は森赳(もりたけし)に捧げられているような気がするのである。彼は事実を残したいという、やむにやまれぬ気持ちを後世に伝えるために、一見意味不明のこうした文章を入れたと私は信じている。
ブルークスの『終戦秘話』の中の一文を引用したい。十五日午前三時ごろの“ひとりの将校”のことが書かれている。たぶん、ブルークスは某中佐のことを書いていると思うのだ。
「午前三時ごろ、ひとりの将校が御文庫の入り口に現れて、側衛隊長に、その五人の部下の武装を解除をするように要求した。側衛隊長は狼狽して、その要求を入江(相政すけまさ)侍従に告げた。」
ブルークスは姓名をすべてつけて記述している。このように“一人の将校”と書くのは例外である。しかも天皇が住む御文庫の入り口である。下村海南がかいているごとく高松宮によく似たある将軍が二時半ごろに登場する。それは間違いで別人となる。しかし私は、この人物と三時過ぎの“一人の将校”は同一人物に思えてならない。この“ひとりの将校”は皇居警察の側衛隊の武装解除を要求する。この皇居警察の部長の上官として、侍従部長の蓮沼蕃大将がいる。それを承知の上で、武装解除を要求できるのは、皇位に非常に近い“某中佐”以外にいないと思う。高松宮によく似たとされる某中佐は森赳殺害現場から去り、宮中で服を着がえ、侍従武官長と木戸内大臣と会い、それから外に出て、いろいろと武装解除について皇居警察部長に指摘したのであろう。『すべての窓や出入り口の鉄扉を締めろ。偽装クーデターの近衛兵がやってくるが、彼らを取り締まらずに見て見ぬふりをしろ・・・』と言い残して、消えるのだ。それも「将校が向かって行ったかなたの闇のざわめきが、いるのは彼ひとりではない」という闇の中へだ。
さて、この項の最後に、「This is 読売」(一九九七年五月号)での三笠宮崇仁と平山郁夫画伯の対談「大戦の芽は明治健軍の時代にあり」からアカンベ宮様の思想の一面を紹介したい。「この狭い島国における共同生活では、伝統的な風習を守らないと村八分にされるおそれがある。そこでふだんから目立たない言動をし、控えめにふるまうことが身に付いてしまったのですね。」
三笠宮殿下には申しわけないが、私は村八分を少しも恐れない。文筆業の人々は、妙な事を書いて飯が喰えなくなるのではと思っている。即ち、“天皇タブー”をよけて飯を喰っている。私は貧乏の底をはいつくばって生きてきた。それでも生きてペンを執っている。村八分にしたけりゃ、それでよし。そんな連中にめぐり合ったら、“アカンベ”をするだけだ。
以上、鬼塚氏前掲書より転載。
http://perimari.gjpw.net/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E6%A4%9C%E8%A8%BC/20130226_122
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/879.html#c1
1. 2016年3月30日 05:52:40 : KzvqvqZdMU : OureYyu9fng[331]
共産党って不気味なトコあるね。
まづ、政策理論より大衆動員、じつに不気味だ。
高校生のガキども、子連れママ、茶髪、政治のセの字も知らん連中を大量動員
して、政治スローガンを叫ばせる。
30. 中川隆[2164] koaQ7Jey 2016年3月30日 05:56:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2147]
>>26
だから俺は共産党のシンパだと言ってるだろ
日本再生には天皇制廃止と日米安保廃棄が必須なんだ
日米安保と憲法第九条は天皇制維持を目的としているからね
31. 中川隆[2165] koaQ7Jey 2016年3月30日 05:59:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2148]
日米安保と米軍駐留と第九条維持は昭和天皇のたっての願いでアメリカが仕方なくやっているもの
天皇が護憲派なのは、天皇一族は日本国憲法で保障された日本最大の既得権益者だから簡単に改憲される様になったら困るんだよ
そもそも米軍が東京の近くにいるのも革命から天皇一族を守る為
日本に軍隊が有るとクーデターや革命を起こして天皇一族を処刑する可能性があるので、昭和天皇は
日本が永遠に軍隊を持てなくなる様にしてくれ
とマッカーサーに頼んだのさ
それが第九条の背景
昭和天皇も今上天皇も軍人によるクーデターや革命を極度の恐れているから、日本軍を持たないで米軍に皇居の近くに駐留して天皇一族を守ってもらいたいという事さ
占領政策は昭和天皇とマッカーサーが何回も会談を重ねて決めた
戦前も戦後も日本の外交は昭和天皇がすべて決めていたよ
戦後総理になった幣原も吉田茂も昭和天皇の指示通りに動いていたしね
マッカーサーと昭和天皇が一番恐れて居たのは天皇制を廃止される事
そうならない様に天皇制を保障する日本国憲法制定を急いだんだ:
マッカーサー草案は、1946年(昭和21年)2月12日、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)により作成された日本国憲法草案である。
2月3日、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは、憲法改正作業を日本政府に任せておいては、2月26日以降、マッカーサーを連合国軍最高司令官に任命(昭和20年8月15日)した極東委員会の国際世論(特にソ連、オーストラリア)から、天皇制の廃止を要求されるおそれがあるとして、総司令部が憲法草案を起草することを判断した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E8%8D%89%E6%A1%88
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/571.html#c31
4. 2016年3月30日 06:02:27 : hkH2oFZHns : sdLX7N4clbA[188]
倉重はアベの隠れ寿司友だ
援護だよ
でなけりゃ
あの権力欲のバカの思考を読めない
さらにn大馬鹿もの
こんな奴が毎日TBSの重鎮だったらつぶれるな
ヒトラーがベルリン最後の夜 言い放った
俺を総統にしたの国民だ
あの小心なヒトラー崇拝者は
一次政権を投げ出した後
すごく後悔した
総理から降りればただの人以下
だから日本がどうなろうと
自民党がどうなろうと
自分が総理であり続けれるため
手段を択ばない
そして、引いたら負けだと
バカ派論理で押し切れると思ってる
こんな奴が最高指揮官だと
日本は203高地の突撃やら
インパールガタルカナルに
国民を巻き込むぞ
そのとき最高指揮官どのは
テレビ見ながらそのさまを
田崎や橋本らと寿司くいながら
腹を抱えて笑っていやがるのだ
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/622.html#c4
3. 2016年3月30日 06:05:55 : tHIVKuZsdo : _YgkBQOb_8U[509]
>>2
> 大衆運動ほど危険なものはなぃ
> つまりファッシズムの温床であるってことだ。
そうだね。
> わけの分からん 子連れママとか
わけのかたまりだったよ。
> 茶髪とか
うんうん。個人のファッションに「わけの分からん」とかケチ付けるのはファッシズムの特徴だよな。
> 高校生のガキとか、
「わけの分からん」頭の弱いおとなガキ風情に子供扱いされた歳でもないだろうにね。
ファッシズムはこれだから危険だよ。高校生の爪の垢飲ませたいな。
> ガングロねえちゃんとか、そんなんが大勢集まって熱気につつまれ、
ガングロねえちゃんは見た事ねぇなぁ〜。
ファッシズムの温床ってのは俺らが政治スローガン叫んでるのと明後日の辺りで活動してるのかい。
其処ぁどんだけガングロ率高いのかな。気持ち悪そうなところだね。
> どこかで見た光景とももわんか。
まだ日本語学校で苦労してる様だねぇ。単純労働じゃぁ学校終わったところで帰国せにゃならんよ。
自分の心配するのが先じゃないかな。
> ベルリンの街をねり歩いたヒトラーユーゲント、少年少女たち。
自己紹介ありがとう。少年少女煽ってねり歩いて国会に放火するんでしょ。
わけの解る形だねぇ。
> 背後であやつる「執行委員会」
知ってるよ。其処は安倍が陣頭指揮とってるんだよね。アタマがはっきりしてるのもファッシズムの特徴だよなあ。
> 天安門広場や 赤の広場、ベルリンの街
…を蹂躙したあの独裁者、あの独裁者、あの独裁者みたくね。
> 大衆運動ほど危険なものはなぃ
> つまりファッシズムの温床であるってことだ。
そうだね。あんたらだ。おまえさんだよ。
おまえさん等程危険な者は無い。
全ての手管で必ず叩き潰す。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/633.html#c3
4. 2016年3月30日 06:06:02 : skMUmOSPqE : FeMQi2lXNZI[74]
私は、遠くて参加できませんでした。デモに参加された方々に感謝します。
ヒトラーをまねる安部独裁に対抗する、最大の手段。
子連れママとか茶髪とか高校生とか、ガングロねえちゃんまでもが参加してくれていましたか。運動の意義を感じます。
「殺し合いをしたくない」 この一点のためにですね。
シールズなど運動の原動力になっている方々のご苦労にも感謝です。
地方での活動があれば全面協力します。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/633.html#c4
57. 知る大切さ[4863] km2C6ZHlkNiCsw 2016年3月30日 06:07:46 : rXmQVSTR26 : wmfWUboB@Eg[826]
>55.56
おはよう「ドラクエ君」
なっ結局、貴殿らの誰一人、小出が「食べろ」の一次資料を提示すらできないんだ。
検証に耐えれるだけの根拠が無いんだね。
・発言者の日本語を正しく理解して趣旨を汲み取ってコメントしてるか?(普通の理解力)
・単に単語を切り出して意図的な批判に使っているか? (お子ちゃま理解力)
を見るだけなのに、、、、、発言したとする一次資料すら提示すらできない
出してくれないから
おそらくなんだけど、言いがかり批判とモロバレするからね。
だ・か・らその批判て捏造じゃね?と散々ウマシカ扱いされるんだ。
そんな存在なだよボウフラの民はね。
今回ドラクエ君は引きこもるらしいけど、多分今日明日には新たなIDでドラクエ君が
現れるんだろうね。 今迄もそうだから、だからこんなスレッドが成立するんだ。
貴殿いれたら18IDかな?であれだけコメントしている、おしゃべりな輩が
根拠提示ができないとかあ・り・え・な・いんだけどね。
貴殿らのコメントの動向見ると数人で回してるの見え見えなんだけどね。
だからドラクエ君もすぐにリセット再登場間違い無しだね。
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/387.html#c57
2. 2016年3月30日 06:10:24 : w9iKuDotme : S@BYVdB2dgc[1382]
「生活保護と政治活動の関係が問われている。」
そうですね。それと「お布施」も調べましょう。神道政治連盟に生活保護費が流れているなら明らかな政治活動です。
神道政治連盟は解散が求められますね。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/638.html#c2
1. 2016年3月30日 06:14:56 : w9iKuDotme : S@BYVdB2dgc[1383]
そしてこの作業は、産業にとって何も生み出さない。
ただの負債だということを忘れてはいけない。
私たちが子孫に遺した最大の負債は、このフクシマなのです。
その巨大な負の遺産をつくり出したのが、東電と小役人とアメリカと読売ですね。事実として。
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/399.html#c1
このところ よく 眠れる
居眠りも 多いのが こまっちゃうけど
これは これで いいのか なんて 気も する
たぶん 花粉症の 軽い やつ なんだろうな
たばこの おかげだと 思うけど
あたまが いたく なったり 目が かゆく なったり
しないのが ありがたい
はんぶん 居眠りしながら ぼーっとしているのを
いままで 悪いことだと ばっかり 思ってたけど
そうじゃ なくて あんがい おもしろい ことかも
しれないよな
あたまだけで ものを 考えるんじゃなくて
あし こし はら むね あたま の
からだ 全体で ものを 思い 考える
からだ 全体から でてくる
おのずからの うごきの なかで
ものを 思い 考える
というような ことを はじめの うちは
居眠り みたいな ぼーっと した 感じとして
うけとめてるのかも しれないよな
すっきり さわやかな 感じで いたいんだけど
それを あたま だけが はたらいてる
すがたじゃ なくて
からだ 全体の おのずからの うごき
からだ 全体を めぐる 意識の ながれが
すっきり さわやかに なってる
そんな ふうに 自分を からだ 全体に ひろげて
その ひろがった すがたが すっきり さわやか
なんて ことに なると おもしろいんだけどね
いままでの 文明は あたまで 考える こと
ばっかりに かたよってたんじゃ ないかなあ
あたま というのは 外の 世界からの
情報の 受信機だ なんて 言われるけど
そとの 世界に あわせて ものを 考えるのが
あたまの はたらき なのかもな
だけど 外の 世界 といっても
いろいろ あるからなあ
おばけ みたいなのが うようよ してそうだ
ヨーロッパ哲学は ゆがんでる
だから あたりまえの 日本人は
ゆがんだ 哲学を とても 理解できないのは
当然だ
なんて 言ってる 哲学者が いたけど
そんな 感じは するよな
あるとき どこかで おばけに
乗っ取られたんじゃないかなあ
それで いびつに なっちゃった
哲学 だけじゃ なくて 文明全体が
そうなんだ
宗教で
わたしは ねたむ ものである
わたし だけを あがめ たてまつれ
なんて 言っているのが
文明全体を 乗っ取ってる おばけと
おなじもの なんだろうな
その おばけが 言ってるように
その 文明には おわりの ときが 来る
それが ちょうど いま という こと なんだよな
まあ ともかく
あたま というのは おばけでも なんでも
外から やってくる 情報に したがって
その わくの なかで 動くことしか
できないんだなあ
そして 簡単に イデオロギー中毒に
なっちゃう
だから 人間の あたまを 乗っ取るのは
あんがい 簡単 なんだよ
へんな イデオロギーを ふきこめば いいんだ
という わけで あたま だけで 突っ走るのを
やめなきゃ いけない
それには あし こし はら むね あたま
全体を はたらかせる という
人間本来の うごきを 取りもどす
という ことなんだろうな
これが さかしら ことあげを 嫌う
日本 本来の うごきなんだよな
そして この うごきが これからの 世界文明を
つくって いくんだ
そんな ことを 考えてみると
居眠り していても
あんがい からだの なかで
からだ 全体を つなげ むすびつけるような
動きが おこっているのかも しれない
そうだったら おもしろいんだけどなあ
なんて 思っちゃうよ
こんな 時代 だから
そんな ことも あるかも しれないよなあ
だけど 困るのは それを 確かめることが
できない こと なんだよな
でも 考えて みたら
確かめる 必要 なんて ないんだ
自分が そのつもりで いれば
おのずと そう なるんだ
自分の からだ 全体 から でてくる
おのずからの 動きを じゃま しなければ
おのずと すがたを あらわして くる
そんな 文明を おれは 望んで いるんだよな
それこそが ほんとうの 文明だと 思うんだよ
あたまを 中毒に させるような
イデオロギーが 文明を つくるんじゃ なくて
からだ 全体が ひとつになった
人間の うごきが
文明と なって あらわれるんだ
よく 言われる フラクタル という やつだよな
べつに 確かめる 必要 なんて ないんだ
おのずと そうなるように なってる
居眠り したければ さからわずに 居眠りしてる
それが 文明を よみがえらす
なんて 思ってれば いいんじゃ ないかなあ
居眠り してるのも あんがい
クリエイティブ なのかも しれないぞ
そう いえば なんという SF映画 だったか
何人もの ひとが
電線を 何本も あたまに つないで
居眠り してるみたいな 感じで
椅子に すわっている
それが なにか クリエイティブな ことを
しているらしい
というような 場面が あったけど
そんな すがたを 思いだしちゃうな
自分の うちがわの クリエイティブな 動きを
電線で そとに 流してる ということ
なんだろうけど
ほんとは 電線 なんて なくても
ちゃんと 伝わるんだろうけどね
そういう わけで 居眠り することに
いぜん みたいな 罪悪感が なくなったのかも
知れないなあ
花粉症から 来るらしい 居眠りを そうやって
いいわけ してる だけかも しれないけどね
ごくろうさん
… ぽんせん堂 主人
… にこにこ にこざえもん
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/324.html
5. 2016年3月30日 06:20:01 : tHIVKuZsdo : _YgkBQOb_8U[510]
>>4
お疲れ様です。
拡がりが急務です。中央に集結出来ないでも、寧ろ地元で尽力して下さい。
集会等が出来れば、或いは参加出来れば盛り上げて頂きたい。また、
そう云う機会が得られなくとも日常でのアッピールは可能です。
スローガン等を ワンポイントで構わない…目立つ形でファッションに取り入れて
通勤なさるなり、お買い物に出かけるなりしてみて下さい。
意外な程声をかけられるものです。そういうのもチャンスです。
声を上げたい潜在的な人々が案外居るのです。あなたを見つけた此れ幸いにと
彼らは堰を切ったように饒舌に話し始めます。
街中でそういう会話をしてる処を道行く人に見て貰う事に効果が在ります。
道行く人に「ああ。こういう話をしても良いんだ」と、発見して貰えます。
一人つかまえて何十人の効果ですよ。 がんばってくださいね。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/633.html#c5
ハイパーインフレに 続いて
ベーシックインカムが 実現する
という シナリオに ついて
ほんの ちょっとだけ
考えて みたく なった
ハイパーインフレ みたいな ことで
世界中の通貨が めちゃくちゃに なる
そして だれもが 新しい ものを
受け入れざるを えなくなる
その 新しいもの として
ベーシックインカム みたいな ものが
実現する
という シナリオ なんだけど
いま ちょっとだけ 考えて みたいのは
それを 実現させる 条件に ついて なんだ
おかねの ために しかたなしに いやいや 仕事を
している
という 職場からは ひとが いなく なるだろうな
だから しばらくは 混乱が つづく
そのとき 必要な 仕事を 誰かが 買って出る
という 助けあいが はじまるか どうかが
この シナリオの いちばんの ポイント だよな
台風や地震 みたいな 災害の とき
貧乏人も 金持ちも くべつなく
そのときに 困っている ひとを 助けようとする
という 本能的な うごきが
日本では つよく 残っていて
それが 世界中の ひとたちに おどろきを
あたえて いるんだけど
この シナリオが なりたつ ためには
日本人の この本能が 表に出てくる
それを 世界中の ひとが まねる
ということが どうしても 必要 なんだろうな
これは たぶん 大丈夫だ
世界の すべてを 巻き込む ハイパーインフレ
という 災害を 目のまえに すれば
そして 必要な 仕事を 目の前に すれば
たぶん 大丈夫だ
なにしろ 災害の ときには
どろぼうは どろぼうを やめる
暴力団は こまっている ひとたちに 水を
くばる
そして 助けあいが はじまる
そして それが 世界中の ネット あるいは
マスコミで つたえられる
というのが 神戸でも 福島でも
実現 してるんだからね
ベーシックインカムで だれもが ボランティア として
いくらでも 活動 できるように なれば
助けあいの うごきは いくらでも ひろがるだろうな
それぞれが 思い思いに うごき
まとめ 役が あちこちで 思い思いに うごく
ということが 実際に おこってるんだよな
だれかが 中心に なって 全体を みちびく
なんて ことは 必要 なくてね
これは 世界を 混乱 させようと する
連中に とっては おおいに 困った こと
なんだろうけどね
だからといって 日本人の やりかたを
だめに しようとして あからさまな 手を
打ってくれば 逆効果に なるだろうしね
というか 神戸や 福島は 日本人を
だめに するための 手段に しようと
してたのかも しれないけど
逆効果 だったんじゃ ないかなあ
ということで この シナリオの 第一の
ポイントは 大丈夫 という ことだと 思う
そこで つぎの ポイント だけど
これも おれは 楽観的 なんだよな
ベーシックインカムで だれもが
かねの ために 働く必要が ない
という あたらしい 世界で
われわれは 生きる 楽しみを どこに 見つけ出すか
という ことなんだ
これは 江戸時代の 庶民の くらしぶりが
参考に なるんだろうな
江戸時代の ひとびとの くらしが
いかに すばらしいもので あったかを
外国人が おどろきの 目で 語っている
本が たくさん ある みたいだ
世界中の ひとが あこがれるような くらしが
あったんだ
それを ベーシックインカムで よみがえらせる ことが
できるか どうか
という ことに なるんだよな
ジャパン クール なんて 言われる いまの 日本の
うごきを みても 楽観的で いて
いいんじゃ ないかなあ
それぞれが 勝手に おもしろいことを はじめるのが
日本の おいえげい なんだよな
日本人の 欠点 として
おかみに よわい
官僚組織に 簡単に 支配される
という ことが 言われるけど
ベーシックインカムが ほんとうに 安定 したら
その 欠点は きえちゃうんじゃ ないかな
だから いまの 世界を 支配している
連中は
ベーシックインカムを なんとか 骨抜きに したい
なんて 思ってるに ちがいない
日本人が 簡単に 支配を うけいれ
そして たがいに いがみあい 奪いあうように
しむける しかけを もぐりこませて おきたいと
思ってる はずだ
ここだよな 第二の ポイントは
ベーシックインカムの 骨抜きを ゆるさない
という つよい 態度が とれるか どうか
ひとり ひとりに がんばって ほしい ところだよな
たぶん 大丈夫だと 思うけどね
ということで ほんとうに ちょっとだけ
この シナリオに ついて
考えて みたんだけど
楽観的に なって つよい 態度で
シナリオの 実現を のぞむ
という ひとり ひとりの 思いを
表に 出してくる ことが
シナリオの 実現の ためにも
実現した あとの 世界を つくる ためにも
肝腎なんじゃ ないかなあ
そんな 気が するんだよな
… ぽんせん堂 主人
… にこにこ にこざえもん
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/325.html
28. 2016年3月30日 06:25:37 : wmpQp2uMBc : otG2NMtzfoE[152]
やっぱりね、どーせそんなことかなと思って見なかった。報告ありがとう。
脱いでみたら水着どころか、ガッチガチのヨロイカブトってところだなあ。
どのテレビ局も酷いが、戦争屋&金貸し屋パシリの色が一番強いのはNHKだ。
9.11.ペンタゴン航空機突入映像に航空機の影も形も破片なしABC放映疑惑情報
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aku183.html
『NHK腐蝕研究』
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nhk.html
↓悪質なイタズラ?
セントラルパークにトランプ氏の墓石出現!
http://jp.sputniknews.com/us/20160329/1860065.html
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/784.html#c28
15. 2016年3月30日 06:31:57 : feHAWvH9IQ : mKjmfwpljAY[5]
日本はもう駄目だな。イギリスだって米一辺倒だけじゃなくて中国の投資銀行に参加したというのに。コービンだって選出された。消費税も何もあきらめて、議院の身分維持にだけ走る民主にはあきれる。多数の民衆票の行き場も無い
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/619.html#c15
4. 2016年3月30日 06:35:55 : feHAWvH9IQ : mKjmfwpljAY[6]
ゲス岡田民進全部消えてなくなれ。そしたら何かが生まれる
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/618.html#c4
91. 中川隆[2166] koaQ7Jey 2016年3月30日 06:35:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2149]
AXIOM80愛好家の集い〜第11回〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2016年03月29日
オーディオ界では旧くて新しい話として次の2説が根強く存在している。
「ほんとうにいいシステムならクラシックにもジャズにも両方対応できてうまく鳴ってくれるはずだ。」
その一方では
「クラシックは教会やコンサートホールで直接音と壁や床などに反射した間接音が微妙にブレンドされた音を鑑賞するもの。
しかし、それとは違ってジャズは直接音を聴くように出来ている音楽だからこの二つはまったく別物。
したがってシステムも分けてそれぞれ専用にして聴く方がいい。」
どちらの説に与(くみ)しても一向に構わないし、いいも悪いもないが、いったいこの両説のどちらが正しいのか、その妥当性に一つの示唆を与えるのがスピーカーのタンノイ・オートグラフの存在ではないかと思う。
音が膨らみ過ぎてジャズはからっきし聴けないスピーカーだが、クラシックとなるとオーディオルームがたちまちコンサートホールに変身するという逸品である。
わざと寝ぼけたような音を出して雰囲気感をことさらに強調するのだから、ここまで徹底するともう降参するしかない(笑)。
ただし、国内に出回っているオートグラフは大半がティアックなどの国産品の箱なのがちょっと物足りない。やはりオリジナルで聴いてみたい・・・。
オリジナルのオートグラフといえばすぐに思い浮かぶのが五味康祐さん(故人)だが、内蔵されているユニットは「レッド」だ。
ところが、このたび「レッド」よりも1世代前の稀少な「シルヴァー」が内蔵されているオリジナルのオートグラフがはるばるイギリスから、とあるオーディオショップに入荷されたというのだ。
お客のSさんから伺った情報によると、オリジナルの「タンノイ・オートグラフ」(ユニットはモニター・シルヴァー)のお値段のスタート価格は850万円とのこと。
「高いことは高いですけど、お得な買い物になるでしょうね」と申し上げた。なにしろ世界遺産に匹敵するほどの代物だから年数が経てば経つほど値上がりするのは間違いない。仮に20〜30年愛用して持ち主が亡くなるときはおそらく倍以上の値段になっていることだろう。そのときは遺族へのいいプレゼントになる(笑)。
S財閥なら不可能な話でもないので「どうですか」とお薦めすると、「いやあ、そんなことをすると家庭崩壊ですよ」と仰ったが、もしかしたら・・・。
いずれにしろ、「一生に一度しか聴く機会が無いでしょうから、近々聴きに行ってみます。」とのことだった。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/864b6d961ddfe9109d927e67b3eb2db2
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/cbc8fdee11e091090bf2f265e55a3db8
2. 2016年3月30日 06:37:43 : feHAWvH9IQ : mKjmfwpljAY[7]
民進見限って何処が悪いか
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/617.html#c2
28. 2016年3月30日 06:51:28 : 3vQjzrqG8s : Je8Jhb4dyFE[7]
星浩、目が泳いでますな😵
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/605.html#c28
2月の指標と消費税増税の先送りに関する噂
http://blog.livedoor.jp/analyst_zaiya777/archives/52790587.html
2016年03月29日 在野のアナリスト
2月の経済指標がいくつか出ています。有効求人倍率が1.28倍でしたが、問題は求職者数が年度単位でみると前年同月比で3.8%以上の減少をつづける中、求人数は25年度まで2桁の増加がつづいた後、26年度には5.5%に急低下している点です。しかもそんな中、就職件数は右肩下がりで悪化をつづけ、26年度は5.3%の減少になっている。つまり就職が決まっていないにも関わらず、求人の伸びが止まった。退職者の再雇用が増えたとはいえ、企業活動の不活性化もうかがえる内容です。
2月の労働力調査と合わせ、少し気になるのが、労働人口が女性で前年同月比で回復傾向を示したところで、完全失業率が微増になった点です。また正規と非正規の割合が大体6.3:3.7ぐらいの比率であるのに、有効求人倍率をみると6:4ぐらいの比率で、求人がある。この傾向を合わせると、ますます日本では非正規の比率が高まり、ベアも定昇も景気への効果は低くなるのでしょう。
家計調査では広く指摘されていますが、今年は閏年で、その効果を含めると実質で前年同月比1.2%の増となりますが、それを除くと概算で1.5%減になるなど、弱さがみられます。伸びているのが物価の影響が強い食料品、それを除くと保健・医療、そして季節的に教育の分野など、余裕があって増える支出とは大きく異なります。これは勤労者世帯の実収入が実質で前年同月比2.4%減など、半年ずっと2%辺りの減少をつづけるのですから、消費マインドが回復するはずがありません。世帯主の収入が2.7%減、配偶者の収入が8.4%増、実は深刻な賃金引下げ圧力が加わっている。雇用が回復しているなら、ほとんど起こらないはずのことが起きています。これは求人数が減少していることでも分かる通り、企業活動が停滞気味にあることを示しているのでしょう。
今日の株式市場は配当権利落ち日で、一時的には権利落ち分を埋めるなど、比較的強い動きでした。ただこれは配当分の再投資が、昨日から日系の証券会社を通じて入っており、その影響が強いものです。ただ年金による円売り、株買いのドレッシングがある、との見立てが強いのに、それに追随して上げを主導するような主体が、まったく見当たりません。それが上値追いがない現在の市場です。つまりこれは、デイトレのような日計りの取引で稼ごう、という主体もいないということ。むしろ4月に需給が崩れたら売りたい投資家が多い、ということを意味します。外資系の証券会社がコストダウンで日本ウォッチャーの人員削減をすすめていることもあるでしょうが、日本の株式を少しでも買い持ちしたくない、そんな意図が裏では働いているとみられます。
そんな中、少し悪い噂があって、安倍首相が消費税の再増税を再先送りにした場合、今度こそ外国人投資家は、日本国債を売りたてるのでは? とも言われます。つまり日本では解散に関して、首相はウソをついてもいいとの不文律もありますが、税制でウソをついていい、という暗黙の了解、慣例はありません。安倍氏は「リーマンショックや震災」を再先送りの条件としますが、それを破って政局目的で先送りするなら、外国人投資家は「騙された!」と感じることでしょう。
1月の黒田日銀総裁のマイナス金利もそうだったように、安倍政権はサプライズを重視するあまり、投資家にとって最も不都合な「ウソをつく」との認識が広がれば、もう日本に安心して投資しておけない。マイナス金利で、すでに値上がり益を期待した買いしかない日本の国債、その先物市場を混乱させれば、パニック売りが出てくることが容易に想像できます。つまり売り崩しの材料にされる、というのです。外国人投資家が保有する国債を売って、さらにカラ売りを仕掛ければ、そんな事態ともなるでしょう。もし株式が少し好感して上昇したとしても、それをふっ飛ばすマイナス材料になりかねません。そして安倍政権は混乱する国債市場に慌てふためくことにもなるのでしょう。狼少年、というと「狼がくる」とウソをついて混乱させましたが、「狼が来ない」と言ってたのに、実際には襲い掛かられるかもしれない、という不安。サプライズにこだわり、ウソをついていたら、いつの間にかもっと大きな狼の群れに、日本はずたずたにされる恐れも、安倍政権では強まってきていると言えるのかもしれませんね。
5. 2016年3月30日 06:55:46 : jqrTHfaxH6 : u_anhjkxb@Y[121]
こういった税の議論は無駄。入り口をこじつけてるだけで集めた金はシロアリ官僚やトヨタの肥やしにつかわれるだけ。消費税の用途を見たら明らかです。また天下り組織が作られんだろうなとしか思わない。
http://www.asyura2.com/16/hasan106/msg/892.html#c5
3. 2016年3月30日 06:56:38 : CmIgIBvBWg : F8qHV8iRkhc[3]
FNN動画ニュース
乙武洋匡さん、参院選出馬見送りへ 不倫報道の反響など大きく
03/30 04:46
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00320183.html
自民党から夏の参議院選挙への出馬が検討されていた、乙武洋匡さんの立候補が見送られることがわかった。
乙武さんは、夏の参議院選挙で、自民党の東京選挙区から出馬する方向で調整されていたが、先週、一部週刊誌で、不倫が報道されたことから、自民党は、乙武氏の意向や世論の動向など、立候補の可否を慎重に検討してきた。
しかし、報道の反響などが予想外に大きく、出馬は難しいとの判断に至ったもので、自民党は代わりの候補者選定を行うことになる。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/635.html#c3
7. 2016年3月30日 06:57:02 : fpt8itpB5Q : zW@YYVl31Kw[498]
なんだこれ、政府を擁護してるのかムカつく朝鮮人だな
日本政府は150年前に誕生してから
機会があるごとに日本人を殺して朝鮮人に置き換えてきた
日本政府は未だかつて日本国民を守ったことがないんでちゅ〜
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/577.html#c7
4. 2016年3月30日 06:58:47 : CmIgIBvBWg : F8qHV8iRkhc[4]
自民、不倫問題の乙武氏断念か 擁立見送りで調整
日刊スポーツ 3月30日(水)2時17分配信
自民党は、今夏の参院選に擁立する予定だった作家、乙武洋匡氏(39)が、「週刊新潮」に深刻な不倫問題を報じられたことを受けて、同氏の擁立を見送る方向で調整に入ったことが30日、分かった。
同党はこれまで、乙武氏を「目玉候補」として東京選挙区(改選6)に擁立する方針だった。現職に加え、新人候補として乙武氏を擁立し、無党派層の支持を見込んだ上で、2人とも勝利を目指す方針だった。
しかし、関係者によると、すでに乙武氏の出馬を見送った場合を想定して、新たな新人候補の擁立に向けた人選の作業に入っているという。
乙武氏は24日発売の「週刊新潮」に、自身に妻子がありながら、妻以外の女性と年末年始に海外旅行に出かけたことを含め、これまでに5人の女性と不倫関係にあったと指摘され、本人も事実関係を認めた。「これまで支えてくれた妻、私を慕ってくださっている方々を裏切る行為。けして許されるものではありません」などとする謝罪のコメントを発表した。
乙武氏の妻仁美さんも「このような事態を招いたのは、妻である私にも責任の一端がある」とする、夫の不貞を受け止める心境をつづったコメントを発表、世間の反響を呼んでいた。
永田町関係者によると、乙武氏には今後も、女性関係に関する報道が出る可能性があるという。不倫問題に対する世間の視線は厳しいことから、自民党は乙武氏の擁立は厳しいとの判断に傾いているとみられる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160330-00000007-nksports-pol
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/635.html#c4
32. 2016年3月30日 06:59:09 : 4OAG5Jdpn6 : lmN1oQvkOoY[214]
>>30 >>31
なるほど。
じゃあなぜ君がシンパシーを感じる共産党が、憲法第九条の維持に躍起になるのかね?
君の31のコメントからでは、その意図が全く分らんよ。
29. 2016年3月30日 07:01:16 : 4mhn3tC78A : y0w5MABR5bE[12]
アメリカの朝日新聞支部長?自民支持偏向編集者、朝日新聞破壊の犯人と
相場が決まっている。
政府、アメリカに迎合の星浩をキャスターに据えるなんてTBSの幹部は
「安倍の寿司友」か?
【星浩 Wikipedia】
2016年1月26日、TBSテレビの発表で、同年3月28日から『NEWS23』の新キャスターに就任することが発表された。キャスター就任に伴い、朝日新聞社を退社する手続きを進めていることも明らかにした。
【元朝日新聞ワシントン特派員 政治記者30年の経歴】から分かる事
アメリカで朝日新聞ワシントン特派員、政治記者30年の経歴を見ると、C〇Aの「ハニー・トラップ」に絡め取られたエリート?の典型。アメリカの代弁者に違いない。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/605.html#c29
92. 中川隆[2167] koaQ7Jey 2016年3月30日 07:02:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2150]
16 : でしべる 2015/02/24(火) 12:03:07
HPD−385とHPD−385Aの相違点ご存知の方いらっしゃいませんでしょうか。
19 : 薬漬け 2015/02/24(火) 18:02:23
>>16
本体には差はなく(両機種ともマグネットはAlcomax5の筈です)、主にネットワークの改良によるものと思われます。
両者のメルクマールは、
オリジナルの385ではスピーカーターミナルがモニターゴールド後期型のようにネットワークと一体となっているのに対し(色以外は見た目そっくりです)、
385Aではスピーカーターミナルがネットワークから独立しています。
このユニットはどうもいい印象がないのですが、ユニットに責任があるのか、それとも試聴時に着いていたエンクロージャー(もちろんタンノイ純正のレクタンギュラーヨークとかですが)が悪かったのかは定かではありません。
(モニターゴールドもこのいわゆるオイル仕上げのチーク材による後期オリジナル箱ではいい印象がありません…。)
おそらくはポテンシャルのあるユニットだとは思うのですが。
20 : でしべる 2015/02/24(火) 20:17:25
HPD−385Aは付属の専用ネットワーク改良版でスピーカーユニットの違いは無いのでしょうね^^
付属の専用ネットワークを含んだ型番と考えると納得できます。
HPD−385いい印象が無いけど、悪い印象も無いでしょうかね。
なんてったって泣く子も黙る?クルトミューラーコーン紙ですから〜
世界のタンノイ、腐ってもタイノイ^^;
21 : 薬漬け 2015/02/25(水) 09:35:48
>>20
もちろん悪い印象は無いですよ。
非常にオーソドックスな鳴り方をするユニットだという認識は持っています。
ただ、先先代のモニターレッドのシャープさ、先代のモニターゴールドの煌びやかさに比して、少々地味なところが損をしているのかも知れませんね。
それと、エンクロージャーのシリーズがハーマン傘下での“簡易型”に代わったところも、このユニットの運の悪いところだったのかも知れません。
23 : RW-2 sage 2015/02/25(水) 15:44:29
>世界のタンノイ、腐ってもタイノイ^^;
TR時代の大パワーにマッチするような設計になってますね。補強リブを入れたり。
クルトミューラーのコーン紙は薄いですからね。
ビクターも表や裏にコブコブを付けてましたでしょ。
コーン紙が補強されますとエッジやボイスコイルもロングトラベル型が使えるわけです。
代償として能率が下がったのは仕方ありません。
24 : 薬漬け 2015/02/25(水) 18:14:07
>>23
能率は悩ましいですねえ。
モニターブラックが92dB、シルバーも同様の92dBのようで、
レッドになった時に94dBに上がりますが、ゴールドになって92dBに戻るようですね。
(出力はブラック20W、シルバー25W、レッド50Wですが、ゴールドは50Wで同じです。)
で、HPDですが、資料により 91dBか 92dBか混乱がありますが(出力は85W)、これはどうも HPD385aから新JIS法に依ったため測定ベースが変わったのが原因のようです。
それを踏まえて、HPD385 は 92dB で HPD385a が 91dB となりましょうか。
これで行くと、レッドは真空管全盛期を反映して高能率とは言えそうですが、それ以外はそう大きくは変わらないような気がしますが…。
(もちろん対数ですから1dBでも大きいといえば大きいですが…。)
25 : RW-2 sage 2015/02/25(水) 18:40:11
あらら、能率は低かったのですね〜。聴感上シルバーはもう少し高いと思ってました。
26 : VOH 2015/02/26(木) 23:43:23
HPDですが初期のネットワークがスピーカーターミナルと一緒のタイプはツイーターのボイスコイルが白っぽい絹巻き線と言われている物が使われています。
HPDのAタイプになるとその後一般的に使われている赤いボイスコイルの物になるようです。
ゴールド以前のタンノイは絹巻き線が使われています。
タンノイのユニットは個人の感想としましてマグネットカバーの色と同じような
音質傾向を感じます。
シルバー・・・元祖いぶし銀。
レッド・・・スパイシーなピリッとした味がある。
ゴールド・・・うるおいがあり個人的にはゴールデンバランス。
HPD・・・ベージュやグレーっぽいカバーもありますが正にそのような落ち着いた音色で逆に色々な要素含んでいるともいえます。
ゴールド以前は中域から上の反応が良く楽しい音で HPDは逆に中低域の音色が出やすいので音の陰影は勝る傾向にあると思います。
アメリカのハイエンドアンプのメーカーでも HPDをモニタースピーカーとして使っているメーカーもありますのでトランジスタの色々なアンプで使いごなしの楽しみがあるのは案外HPDかもしれません。
以上はまったく個人的な感想ですので人により感じどころは違うと思います。
27 : でしべる 2015/02/27(金) 08:34:48
ツィーターの仕様が違うのですね、耐入力向上の為でしょうか。
マグネットカバーの色と音質傾向が似ているのは面白いです。
HPD−385Aは、落ち着いた味のある音なのですね^^
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/lite/read.cgi/music/11602/1423704997/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/494.html#c92
6. 2016年3月30日 07:03:30 : fpt8itpB5Q : zW@YYVl31Kw[499]
安倍のような知恵遅れ朝鮮人より人工知能の方がマシだ
それもPC上で動作させる人工知能で十分だろう
1日10円くらいの電気代で動くんじゃないのか
いや、何もしない猫総理でも安倍よりマシだが
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/785.html#c6
7. 2016年3月30日 07:06:25 : 1hTYD6Y7o6 : OvL5FO82O2o[30]
統一教会も国際勝共連合も公安の監視対象だな。
神道政治連盟も神社本庁も日本会議も監視対象にすべきだな。
CIAは既に監視対象としているだろうよ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/629.html#c7
7. 2016年3月30日 07:11:28 : ge82Jvqjdk : KAHImNPipgQ[42]
『まぁどう言い訳しようが、「学歴詐称」は厳然たる事実ってことさ。』
だって、張本人が“削除”しちゃってるんだからね。
<ウソツキしんちゃん>が何をどう誤魔化そうが、全ては白日の下にさらけだされているんだよ。
<アホノミックス>大失政と同じことさ。
何が「にっぽんをトリモロス」だよ。
<ヘドロ姦猟族>の暗計に乗せられて、“コピペパペット”を演じてるだけの“暗愚”が何をどう言い訳しようが、もう格好のつけようは無いってことさ。
袋だたきに合う前に、さっさと引退してくれよ。
そのほうが<パンパースちゃん>の老後は穏やかに過ごせるんじゃぁないの?
58. 知る大切さ[4864] km2C6ZHlkNiCsw 2016年3月30日 07:14:14 : rXmQVSTR26 : wmfWUboB@Eg[827]
それにしても・・・・・・・
コメント31.36でも指摘したけど「茶色のウ○コ」て
ありえないぐらい屑人間だよね。
ずっと他のスレッド(スタジアム)では暴言仕放題だけど、、、
ここには近寄りもしない。
昨日施行された戦争法案の
「国民に丁寧に説明します」のアホ総理と同じでポーズだけ実際はなーんもやらない。
ーーーーーーーーー以下コメント31&36ーーーーーーーーーーーーーー
「茶色のウ○コ」に至っては
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/388.html#c36
>んとーに、卑劣な、信者連中だなー! 汁も!
>(別スレ「小出ガー」で証拠なら沢山あるよー♪ばか)
とメインスタジアムにすらあらわれず他のスタジアムで野次る始末。
一次資料を沢山携えて登壇するか見ものです。
で・す・が
おそらく過去の例では出没した試しが無いので、今回も同じ結果だと思いますがね。
脱兎の一次資料
http://www.asyura2.com/14/genpatu41/msg/684.html
http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/327.html
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/387.html#c58
シャープに続いて家電部門を手放す東芝の室町社長(C)日刊ゲンダイ
売上高が軒並み減収…数字が物語る“ニッポン家電”の衰退
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/178267
2016年3月30日 日刊ゲンダイ
台湾の鴻海による“シャープ買収”続いて、中国家電大手の美的集団は東芝の家電部門を手に入れる。自動車と並んで日本の輸出産業を支え続けてきたニッポン家電は縮小に次ぐ縮小だ。
そんななか、東京商工リサ―チは「白物家電関連メーカー業績動向調査〜海外企業が主導の業界再編が動き出す」を公表した。その書き出しはこうだ。
「数年前まで世界に冠たる白物家電メーカーが国内で切磋琢磨していた。だが、わずか数年で新興国を中心に低価格商品が市場を席巻し、国内の白物家電メーカーは淘汰の波にもまれている」
大手電機メーカーの売上高(家電部門)は、三菱電機を除き減収だった(2015年4〜12月)。パナソニックは前年同期比で2.7%減、東芝は27.3%減、日立製作所は2.9%減、シャープは7.3%減だ。三菱電機は国内外の空調機器や冷蔵庫が好調で、6.0%増を記録した。
白物家電メーカーは39社(14年度)あり、売上高の合計は3984億円。前年度に比べ5.5%増で、増収は22社(構成比56.4%)あった。
個別企業で見ると、富士通ゼネラルが空調を主体に国内外で好調で、前年比11.0%増。電子炊飯器やポットを手掛ける象印ファクトリー・ジャパンも7・9%増だった。
「中国人の爆買いにより、高級炊飯ジャーが堅調で、全体の売上高を押し上げている」(市場関係者)
12年には、中国のハイアールが旧三洋電機の白物家電部門を買収した。このころから、日本家電の衰退は顕著になった。
「白物家電の世界シェアはトップが三洋を買収したハイアールで、2番手は東芝の家電部門を買う美的集団です。日本企業にかつての勢いはまるでありません」(電機メーカー関係者)
東京商工リサーチのリポートは、「国内メーカーの多くは内需だけでなくグローバル市場でも厳しい価格競争に巻き込まれており、白物家電メーカーが生き残れるか、これから厳しい時代を迎えている」で締めくくっている。
世界規模の白物再編は、これから本番を迎える。
73. けろりん[487] gq@C64LogvE 2016年3月30日 07:18:32 : 27HKu4dCRg : CigpIiZRE1g[244]
うんこ。
もう、三段階ほど、自分自身の洗脳を解いてから
ジェダイに入ってこい。
低能底辺無知保身ウヨクも、
組織依存シンジャサヨクも、
安全厨房も、
危険厨房も、
宗教厨房も、
マトリクス内部の代理人スミスに、
覚醒を促して行くのがオマエのシゴトだ。
マトリクス脱出・パイプ切断ワ〜クだ。
精進セイ。
_________________
自分自身に掛かっている刷り込み洗脳を
自分自身が自分で解いていく・・・・・
これが曵いては、周りの洗脳をも同時に
解いていくコトになる・・・。
< 永遠の覚醒運動=解放=自由 >だ。
・・そういう構造になっている。
独房_牢屋_娑婆_会社員_自由業_→→→
リアル世界と同じように、意識世界も上記と同じだ。
どんどん制限が外れて、明るく軽く豊かになっていく・・・
自分も周りも泣くヤツが、どんどん減っていく・・・
まずは< 自分 >からだ。自由を目指せ。
23. 2016年3月30日 07:18:37 : 4mhn3tC78A : y0w5MABR5bE[13]
安倍-黒田の『アベノミクスは平成の改鋳』
日本の財産が増えないのに「お札」だけ増刷は「金の成分の少ない改鋳小判」より
タチが悪い。
株価だけ揚がって喜んでいる者は必ず「しっぺ返し」を受ける。
不動産の価格が上がらないのは「アベノミクスは長続きしない」ことを
経済界が解っているから。
安倍の近眼は遺伝性。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/574.html#c23
セブン&アイHDの鈴木敏文会長(C)日刊ゲンダイ
狙いは株高か セブン&アイ物言う株主が“世襲批判”の真意
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/178255
2016年3月30日 日刊ゲンダイ
セブン&アイホールディングスが“物言う株主”に揺さぶられている。
これまでソニーやファナックなどに対し、さまざまな要求を突き付けてきた米サード・ポイントが、今度はセブン&アイに目を付けたのだ。
「サード・ポイントは昨年11月にも、セブン&アイにイトーヨーカ堂を切り離せと迫っています。ヨーカ堂は15年2月期に68億円の最終赤字を出すなど業績が悪化しています。不採算部門を売却すべきだという提案は理解できます。でも今回、新たに突き付けてきたのはトップ人事に関する要望です。なぜ、そこまで踏み込むのか。理解できません」(市場関係者)
サード・ポイントはセブン&アイの株式を5%程度保有しているとみられる。大株主として、書簡で鈴木敏文会長(83)の後継人事に注文を付けたのだ。書簡には、「鈴木会長が次男の康弘氏(51)を、セブン&アイのトップに就ける道筋を開くという噂を耳にした。事実なら、鈴木会長のトップとしての適性と判断力に重大な疑問が生じる」との指摘があった。
セブン&アイ関係者は、「心外というしかない。人事は実力や実績に基づいて判断しています」と反論する。
鈴木会長の次男、康弘氏は取締役執行役員最高情報責任者(CIO)として、リアルとネットを融合させた「オムニ戦略」を推進している。
■“ポスト鈴木”は三つ巴だが…
「ポスト鈴木候補として、康弘氏の名前は以前から挙がっていました。サード・ポイントはセブン―イレブン・ジャパンの井阪隆一社長(58)を最有力候補としています。さらに創業者・伊藤雅俊氏(91)の次男である順朗取締役(57)も候補者のひとりです。三つ巴の戦いといわれる中で、世襲批判が飛び出した。物言う株主は、セブン&アイの株価を上げたいだけかもしれませんが、何か裏があるのではという臆測は絶えません」(株式評論家の倉多慎之助氏)
確かにセブン&アイの株価は低迷している。サード・ポイントがイトーヨーカ堂の分離を迫った昨秋は、5700円水準だったが、28日の終値は4911円と5000円を割り込んでいる。
「サード・ポイントは、株高につながるヨーカ堂分離を実現させるため、世襲批判を持ち出したのでしょう。分離しないのなら、セブン側が嫌う世襲批判をさらに展開。そんな狙いかもしれません」(証券アナリスト)
鈴木会長はどんな決断をするか。株主総会は5月下旬。残された時間は長くない。
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