雑感。7月選挙で確定か?
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2016年03月12日 在野のアナリスト
安倍首相が自民党本部で開かれた幹事長会議で「7月の参院選…」と述べ、慌てて訂正する場面がありました。国会日程からも6月選挙は可能ですが、それだと18歳に引き下げた投票年齢ですが、施行日前なので投票はできない。また国会日程が非常に窮屈になる。官邸はすでに7月選挙で固まっていることが、ここから理解できます。しかし意外と20歳以下の世代に不人気、という調査結果が党内で出ているともされるので、投票人口の増加はどちらに転ぶか、よく分かりません。
安倍氏は参院本会議で「保育所」を「保健所」と答弁し、議場を騒然とさせています。間違いは誰にでもあるとしても、もっとも間違えてはいけない言葉でしょう。上記の7月参院選の話にしろ、心ここにあらず、という感じです。今回の支持率下落は、金融緩和も利かなくなり、唯一の成果でもあった株価のもどりも鈍い。手の打ちようがないという点では政権をとって以来、恐らく最大の逆風が吹く厳しいものです。再度の増税延期は、明確に安倍ノミクスの失敗を意識させますし、争点づくりも難しい。ここに来て、これまで政権が手をつけてこなかった子育て支援でも、今からやります、始めます、などと言い出せばそれこそ怒りが政権に集中する可能性もあります。
民主党は立憲民主党と民進党で、世論調査を行って新党名を決めるとされます。大体、公募をかけた時点で大半が民主、維新の関係者からの投稿になることは想定されましたが、もっとも無難なところになりそうです。しかし無難、というのは訴求力がない、ということ。せっかくの公募なのに、数で決めてしまえば無難にしかなり得ないのです。それが民主主義というものかもしれませんが、突飛でも華のある、センスを感じさせるものにできない点に民主、維新の脆さもうかがえます。
例えば民主党の野田前首相が、生活の党の小沢氏を「民主を壊した、許せない」として排除する姿勢を示します。ただそうなると、野田氏は過去の遺恨で相手を排除してしまう、狭量さを示すことにもなります。相手は同じ政治家、意見の相違があって一緒になれないというならまだしも、私怨で遠ざけるのなら今後、野田氏の周りに人は集まってこないでしょう。なぜなら、常に野田氏との距離をうまく保っていないと、敵対してしまえばもう終わり、との意識が働くからです。
実は、野田氏と同じ理屈をつかうのが安倍氏です。組閣でも、一部では年功序列や派閥の論理をつかって人選しますが、ほとんどは身内、第1次政権を投げだした後もついてきてくれた人ばかりで固めます。しかしそれが甘利前経済再生担当相の贈収賄をはじめ、人間性に問題があるとの醜聞がでた河井首相補佐官、羽織姿でTPP調印式にのぞんだ高鳥内閣府副大臣、パンツで有名な高木復興相、ちょっと思いつくだけで醜聞だらけ、という醜態をさらします。本当にいい人材を見極められない、敵対していてもやる気のある、優秀な人材がこの政権では集まってこないのです。
安倍氏は次の選挙を「自公対民共だ」という言い方をします。しかしこうした敵、味方と別けて考えることは、結果的に国民の総意をつくり得ないのです。必ず少数の、意見を組み入れられない側が不満を溜め、国内を不安定化させる。民主も共産も、同じ国民、日本人です。その主張、意見に誤りがあれば採用しない、一方でよい意見は取り入れる、という姿勢でない限り、国民にとってよりよい政策が実現することはないのでしょう。多数のエリートが…などという仕組みは、失敗してきたのが世界の歴史です。また敵をつくって自身の支持をあげる、という手法の怪しさは今、米国が証明しつつあります。多様な意見を集めきれない政治家の愚かさ、拙さ、危うさ、こうしたものが意識されたとき、次の選挙の帰趨もまた、変わってくるのでしょう。最近、安倍氏の髪型が「鶏冠にみえる」という人がいました。それは3歩すすむと忘れてしまう、同じことしか言わない、という決してよい評価ではない言葉です。次の参院選で自民が擁立する見込みの今井氏に早くも醜聞が発生し、身体検査はどうなっているんだ! と安倍氏は『鶏冠に来ている』との話もあります。鶏頭牛後という言葉は、集団の下にいるより小さな集団のトップにいる方がよい、という意味ですが、小さな集団で日本を回しているだけでは弊害がめだってきた、ということだけは間違いないのでしょう。次の選挙は、小さな集団しか回せない人材ではなく、大きな集団を回していけるような選択をしていかなければいけないのでしょうね。