「どっかいっちゃってた人たちが、いまやれ国を守るだ、やれ緊急事態法制のための改憲だとか吠えている」
http://sun.ap.teacup.com/souun/19631.html
2016/3/12 晴耕雨読
こたつぬこ氏のツイートより。https://twitter.com/sangituyama
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3月11日
#5年目
五年前のこの時間は大学の研究室で博士論文を書いていた。
アラブ革命が進行していて雪の日になんとかバーでタハリール広場の企画があり、大勢集まっていた。
翌週の素人の乱12号店でのイルコモンズとの企画でなにをしゃべろうかとぼんやり考えていた気がする。
その企画はもちろんなくなった。
5年前の今日、安倍さんは何をして、何を思ったのかね。
野党自民党のみなさんは。
彼らからそういう体験が語られたのを一切聞いたことがない。
何もなかったかのように。
不思議なくらいに。
僕は民主の細野とか福山とか好かないけど、やはり311の体験を共有しているという「何か」はあるんだよね。
そこからすると安倍とかあのへんは、別世界にいたんじゃないかとすら思えてしまうくらいに共有感がない。
後に聞いたんだが、311のあと国会から真っ先に逃げたのはアノS新聞ね。
官邸と国会で残っていたのはいまの野党議員たち。
それ以外はどっかいってガラガラだったそうですよ。
その311の後にどっかいっちゃってた人たちが、いまやれ国を守るだ、やれ緊急事態法制のための改憲だとか吠えているわけで。
茶番としか思えないのよ。
>ひろすけ 3.11で安倍がしたことって、デマ撒いただけでしょ。
>佐藤 圭 311後、在京メディアでも、相当な人数が東京から西へと逃げた。やっぱり恥ずかしいのかなあ、官邸クラブの状況なんかを赤裸々に語った人を寡聞にして知らない。ちなみに私は12日に空路青森、その後青森、岩手を南下。青森、岩手の被災地を回っていると、原発なんて全く眼中に入らなかったなあ。
>自民党広報 東日本大震災、原発事故から5年を迎えて 党声明: 平成28年3月11日自由民主党 /news/discourse/img/dis_131161_01.. http://bit.ly/1YBYKA3
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読んでみたら「僕たちうまくやってますよ!」というポジティブトークでした。
> 守山玲司 あの原発が爆発する映像を見ながら、「ここから先は見て見ぬ振りをするのだけはやめよう」みたいなことを漠然と思っていたのだけは鮮明に覚えている。
夜勤明けで帰ってきて、仮眠をしてテレビつけたら爆発した映像が飛び込んできて、なんかこう、腹が重たくなる感じで「死ぬ」と思いました。
あのときはデモなんか全く頭になく、とにかく誰かといないと不安でした。
TLに流れてくる、311の時のいろんな人の体験ツイートをみていると安心する。
あのときの不安がフラッシュバックするからかな。
まがりなりにも医療人として逃げられない。
だから津波がきても患者を守るために逃げられなかった看護師さんや医者をおもうといまでも辛い。
でも逃げられる人には逃げてほしかった。
あのとき逃げる人を非難した奴な全員ネトウヨだと信じている。
安倍は原発事故とその被害者を無視したが、天皇は語った。
安倍はひたすらポジティブ、天皇は現状の困難をひたすら語る。
あまりにも対照的。
テレビのキャスターは、追悼式での安倍は無視して、天皇の言葉だけ繰り返し解説する。
これはキャスターの気持ちがよくわかる。
>政府主催の追悼式で安倍首相は「魅力ある地方の創生につながるような復興を実現していく」と述べた。 http://bit.ly/224JIIA
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ムカついた
>エミール完全な主観だけれど、天皇の言葉には被災者を思う「心」を感じ、 安倍さんの言葉は軽々しく、思いの先は見当たらない。
>Hideyuki Hirakawa 原発事故は安倍も共犯だからな。国会で問われた津波による過酷事故対策の必要を、官僚ペーパー読むだけで、まるまる否定してリスクを放置した。責任を取らない最高責任者。
>Hideyuki Hirakawa まぁ、安倍が原発事故とその被害者のことをスピーチで丸無視するのは、そういう自らの無作為を後ろめたく思ってるわけでは全然ないのだろうけど。
>菅波 完 東日本大震災5年の政府追悼式。ラジオで聞いていましたが、安倍の言葉は表層的で、血が通った感じがしない。政治家として、人間としての度量の問題。一方で、天皇の言葉は具体的で、被災者や遺族にきちんと配慮されたものだった。
Reading:天皇陛下 東日本大震災追悼式でのおことば(全文) NHKニュース http://nhk.jp/N4O74NaP
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>fareast 311の夜に宴会してたんだってね、こいつの一味
かつては「追悼」や「黙祷」を「やらない」ことが主に右派からの批判の的であり、こうした儀礼は例えば辺見庸などから同調への屈服とみなされた。
しかし今や追悼や黙祷を「やること」がネトウヨからの批判の的になってる。
著しく意味合いが変わった
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http://nhk.jp/N4O74NaP
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天皇陛下 東日本大震災追悼式でのおことば(全文)
3月11日 15時12分
天皇陛下 東日本大震災追悼式でのおことば(全文)
天皇陛下は、皇后さまとともに東日本大震災の犠牲者の追悼式に出席し、これからも国民が心を一つにして被災者に寄り添っていくことが大切だという思いを述べられました。
おことばの全文です。
東日本大震災から5年が経ちました。ここに一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。
5年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、2万人を超す死者、行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が非常な速さで押し寄せてくるテレビの映像は、決して忘れることができないものでした。このような津波に対して、どのような避難の道が確保できるのか暗澹たる気持ちになったことが思い起こされます。また、何人もの漁業者が、船を守るために沖に向け出航していく雄々しい姿も深く心に残っています。
このような中で、自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、さらには、一般市民が、厳しい状況の中で自らの危険や労をいとわず救助や捜索活動に携わったことに深い感謝の念を抱いています。
地震、津波に続き、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染のため、多くの人々が避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられていますが、今なお、自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。
こうした苦難の中で、政府や全国の地方自治体と一緒になって、多数のボランティアが被災者のために支援活動を行いました。また、160を超える国・地域や多数の国際機関、また在日米軍が多大な支援に当たってくれたことも忘れることはできません。
あれから5年、皆が協力して幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けてきました。この結果、防災施設の整備、安全な居住地域の造成、産業の再建など進展が見られました。しかし、被災地で、また避難先で、今日もなお多くの人が苦難の生活を続けています。特に、年々高齢化していく被災者を始めとし、私どもの関心の届かぬ所で、いまだ人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないかと心に掛かります。困難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく、一日も早く普通の生活を取り戻すことができるよう、これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。
日本は美しい自然に恵まれていますが、その自然は時に非常に危険な一面を見せることもあります。この度の大震災の大きな犠牲の下で学んだ教訓をいかし、国民皆が防災の心を培うとともに、それを次の世代に引き継ぎ、より安全な国土が築かれていくことを衷心より希望しています。今なお不自由な生活の中で、たゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ、被災地に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉といたします。
http://www.asyura2.com/16/senkyo202/msg/665.html