連日、有名元プロ野球選手Kの逮捕事件でにぎわった2月のジャパン。テレビに出てくるのは覚醒剤の専門知識もなければ、暴力団界隈のナイトライフの事情もしらず、またK本人との密接した交流があったわけでもない、いわば便宜上の関係者か赤の他人でしかないので、「偉大なスター選手でも覚醒剤はいけません」という標語の域を超える論議などにはなるわけはない。
北海道でのトホホな落選事件の顛末から少しは傍若無人な露出は控えていると思ったら、苫米地英人がまたご意見番として押し相撲一点張りな覚醒剤講義をしていたのに笑った。いつからお前は麻薬グルに成り下がったのだ、心理学・認知学・脳科学の三冠王としてKという三振王の人物に関しての分析はしないのか。おそらく知らないのだろう。
私は格闘技の愛好家であり、プロ野球には関心がないので、Kがどういう活躍をしてきた追ってきたわけではない。しかし彼が記録的な頻度にてデッドボールを受けるという形で暗黙のイジメにあっており、ある時タガが外れて先輩投手に暴行事件を起こしてしまったことは印象強かった。実はそれからKは実力への嫉妬に加え問題人物としてさらなる迫害を受けることになり、それは強面で睨みをきかせるような見せかけの豪傑へ彼を駆り立てていたのだ。
1997年。格闘技の中心地であるアメリカのUFCで、日本でも活躍していたキックボクサーのスミスがチャンピオンを打ち負かす出来事が起きた。K-1の一線を退いた下り坂の黒人ボクサーが、栄光のリングに返り咲き格闘技界の頂点に立つ快挙をとげた瞬間だけに格別な注目が集まった。スミスは試合後のインタビューを「キヨ」と呼ばれる日本人の弟子にメッセージを捧げて締めくくった。
そのキヨ、というのが他でもないKのことであった。彼は同郷の格闘家、前田明の紹介でシアトル市にあるスミスの道場に野球のスケジュールの合間をぬって留学していたのだった。UFCの世界チャンピオンから名指しされるKは、格闘家やプロレスラーへの転向の話が何度も持ち上がり、かなり本腰を入れた格闘技修行をしていたことは間違いなかった。
しかし、それから数年して、どういうわけかスミスの元からファイターとしてデビューするはずだったKは全く異なる環境で今度はブラジリアン柔術の特訓を開始したのだった。シアトルではなくカリフォルニア州ロサンゼルス郡にあるヒクソン・グレイシー・アカデミーである。
ヒクソンといえばKの相談役でもある前田明の宿敵にあたり、スミスの道場を抜けてヒクソンの下に走るというのは不倫にあたる。Kはそのことについて「ヒクソン先生みたいに強くなればデッドボールを当てられるようなこともなくなる」と語っていた。つまりあれだけ体格が大きく、番長と呼ばれる存在であったKだが、実はスミス道場での練習だけでは自信がつかずいまだに軟弱児のような気弱な精神を引きづっていたということである。(K-1ファイターで、やはり前田明の紹介でスミス道場に留学していた佐竹雅昭は、自惚れの強いKに「どちらが強いか決着をつけよう」と言い寄ったところ、逃げられたと回顧している。おそらくこれがヒクソンへの逃避行をさそったのだろう)
ヒクソン・グレイシーというのは80年代にブラジルで活躍した伝説的な柔道家である。競技成績は無敗といわれており、日本でもプロレスラーなどを相手に連勝をつづけた。しかし、弟子が誰1人成功しないことや、長男をドラッグの過剰摂取で失ったことなど(日本の格闘技メディアには圧力がかかってオートバイの事故と報道された)、指導者としての力量が疑われていた。伝説を鵜呑みにしてやってきたKがどこまで素質どおりの実力をつけたかは疑問である。巨人の若手相手にブラジリアン柔術の腕前を披露している様子が報じられることもあったが。
世界的に有名なエリート道場にて格闘技の武者修行を積んだ大男のKであったが、最近のブログにて飲食店ですれ違ったような見知らぬ一般人の態度に腹を立て暴力的な衝動を収めるのに必死だったという告白をしているK。本当に自分に自信のある人間がこの様ではオチにならない。一昔前に読んだヤクザのの話によるとKは「組員にボディーガードをしてもらい、路で侮辱してくる奴を一人一人やっつけてほしい」と懇願していたという。いくら番長とおそれられようと、格闘技に取り組もうと、結局彼の恐怖心がはらわれ、心に平安が訪れることはなかったのだ。
覚醒剤だけが彼を癒してくれる友人だったのだろうか。
報道陣の前にしゃしゃりでてきては彼を励ますフリをするもの、サポートするフリをするもの、売名行為に開き直るものばかり、どこまでKの孤独と不安について理解していたのか、どこまで彼が市民社会から受ける迫害に気付いていたのか、それについて何の言及もないまま一体何を語ろうというのか。
一人だけまだまともなアドバイスを持っていたのが泉谷〇げるだった。泉谷は他が「〜するな」「かっかしないように抑えて」という見解しかない中、一人だけ「もっと怒れ」とK本人に進言していたのだ。その通りである。Kは「大物選手で、これだけ大きくて強い自分がもう少し畏怖されるべきだ」という想定と、現実のギャップに苦しみ傷つくあまり、健全な精神を保つための感情的サイクルというものを不全化させていた。侮辱されたら、怒る。それでいい。あたりまえの情動を「嘘の理性」で無理矢理抑制しまうのは、怒る行為を対人関係の文脈の中で完結する知力がなく「暴力をふるうこと」でごまかす怠惰と同じくらい愚かなことである。
Kが「怒り」を表現する行為に挫折したのは89年の暴行事件である。本当は相手にキレてやるべきにも関わらず、安易に調子づいて格好つけた暴力に訴えたため、逆におこられる結果を招いたのだ。理不尽なデッドボールに怒ったのなら、その怒りを完結しなければならない。殴られようが、多くの選手を敵にまわそうが、最後まで怒り続けるべきだった。そこから一度逃げたら、あとはどれだけ力こぶを見せて威嚇したところで誰も引き下がってはくれまい。
長くなったので、苫米地の話に戻そう。覚醒剤のおそろしさは「効かせるために増量していく」ところだとトンマビッチの分際で明言したのは私が過去に書いた「効かなくなることがドラッグの最大の落とし穴」だという真実の言葉に類似したことでまあいいでしょう。
気をよくした苫米地は自分が話題の中心でないと気が済まないいっちょかみな本性をあらわにし、こう言い切った。「オウムの第七サティアンで大量製造されていたのは覚醒剤であり、村井が暴力団から殺されたのはそれが原因だ」と。
結局それかい。北朝鮮(原料調達)➡上九一色村(製造)➡関東一圓(流通販売)
村井一人の口止めに意味がないことは前にも言った通りで、村井が言わなくとも遠藤など他の誰でも口を割ることは可能。覚醒剤でしのがないことを団体の方針にかかげている山口組の看板をわざわざ使ってまで「覚醒剤販売ルート隠滅のための」謀殺が行われなければいけなかった、とするのは無理のあるところであろう。
村井がやられたら、警視庁はそこから一切のサティアン調査における「覚醒剤疑惑」に目を伏せ、なかったことに示し合わせる。なんてことも考えにくい。そのための麻薬利権勢力からの尻尾切りだということに説得力はない。