「1F事故の時、もし免震棟がなかったら、もっと被害が大きかったし、事故対応なんて出来なかったのに。」
http://sun.ap.teacup.com/souun/19420.html
2016/2/8 晴耕雨読
ハッピー氏のツイートより。https://twitter.com/Happy11311
これは酷い、あり得ない(>_<)1F事故の時、もし免震棟がなかったら、もっと被害が大きかったし、事故対応なんて出来なかったのに。
東京新聞:申請の11原発、免震機能省く 事故対策拠点 川内審査受け縮小:社会(TOKYO Web) https://t.co/C0FiMoapqO各電力会社は、免震棟がどれほど重要なのかわかってない。
こんな縮小なんて考えを安易に持ってしまうのは、しっかりとした1Fの事故検証と対策がないがしろになってるから。
1F事故時の免震棟の状況を検証すれば改善するべき点は山ほど出てくるだろうし、そもそも占有面積だって全然足りてなかった。
1Fの事故当初、オイラも含めた多くの人が免震棟で全面マスクを着けフル装備のまま、床や階段で打ち合わせや出動待機しながら、飲まず食わずで必死だったんだ。
その対応に従事したほぼ全ての人達は、免震棟が最後の砦と感じていたはず。
その最後の砦を造らない、縮小なんて絶対にあり得ない事だよ。
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toriiyoshiki氏https://twitter.com/toriiyoshiki
>moriokahiguma 事故前の安全神話への回帰ここに極まれりというかんじだね。原発そのもの是非以前に運用者である電力会社のガバナンスが信じられないのも再稼働反対の理由:東京新聞:申請の11原発、免震機能省く 事故対策拠点 川内審査受け縮小https://t.co/PLG6vRdnBT
「安全神話」というのは、事故が起きたときのコストを考えたら原発は経済的に成立しないから、「事故は起こらない」ことにしてコストの引き下げを図ろうという国と電力業界の作ったフィクションのこと。
これはまさに「安全神話への回帰」だ。
電力業界が「安全神話」に回帰しようというのは、営利企業としてある意味で当然のこと(肯定しているわけではありませんぞ)。
福島第一原発についても、「東電は、10m高の津波がきた場合、原発が冷却不能に陥る可能性を認識していた」ことが裁判などで明らかになりつつある。
しかし、対策には費用がかかりすぎるので、「そんなことは現実には起こらないだろう」という安全神話に依拠して対策を怠っている間に事故が現実のものになってしまったのである。
アメリカでは原発の導入にあたって事故が起きたときの被害額を試算した。
その結果、民間事業者ではとても補償は不可能だという結果が出て、一定額以上は免責(=政府補償)とした。
1957年のプライス・アンダーソン法である。
政府がそこまでして原発を導入しようとした理由は核武装との絡みである。
当時は米ソの冷戦のさなかで、核兵器の開発競争が繰り広げられていた。
核兵器の製造にはプルトニウムが必要。
どうせプルトニウムを作るのなら、その過程で発電もした方が合理的だという判断である。
つまり、事故のコストを考えれば経済的に成立しない原発が推進された理由は「軍事上の必要」だった。
日本の原発はアメリカからの売り込みによって本格化するのだが、日本にはコスト的に合わない原発を推進するだけの「軍事的な理由」はなかった。
その矛盾を埋めるために生み出されたのが、「事故は起きない」ゆえに「事故のコストを計上する必要はない」という「安全神話」だったとぼくは理解している。
>nero F800R 個人的には全く違う見解である。 危険な原発を批判してこなかったマスコミが自己弁護の為に作り出した言葉のように思う。 何故なら事故以前に「安全神話」なんて言葉を聞いた記憶はないからだ。 如何だろうか?
「安全神話」という言葉は事故よりはるか以前からあったものです。
原発建設に批判的な人たちが、「日本では過酷事故は起こりえない」という推進派の主張を「客観的根拠を欠く信仰のようなもの」だとして「安全神話」と呼んで批判したように記憶しています。