宜野湾市長選挙の残念な結果を見ながら
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2016-01-25 反戦な家づくり
昨日投開票された宜野湾市長選挙は、残念な結果だった。
佐喜真氏が再選 宜野湾市長選 志村氏に5857票差
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-209609.html
2016年1月24日 琉球新報
任期満了に伴う宜野湾市長選は24日夜に投開票され、政府・与党の支援を受けた現職の佐喜真淳氏(51)=無所属・自民、公明推薦=が2万7668票を獲得し、元県幹部で翁長県政与党の支援を受けた新人の志村恵一郎氏(63)=無所属=の2万1811票に5857票差をつけて再選を果たした。
米軍普天間飛行場の返還・移設問題が最大争点になった今回の市長選で、名護市辺野古移設を進める政府・与党が推す現職が勝利したことで今後、安倍政権は移設作業を強硬に推し進めることが予想される。
佐喜真氏は政府・与党の全面支援を受けて自公幹部らを水面下で投入して企業・団体票を固めた。与党市議団が地域をくまなく回る「どぶ板選挙」を徹底して支持を広げた。普天間問題では「固定化阻止」を強調して争点化を避け、経済振興や子育て支援の実績が市民に評価された。
(引用以上)
どぶ板で現職の強みを発揮したこともあるが、普天間基地の固定化阻止を掲げて基地反対派をも取り込んだことが大きいのだろう。
双方が普天間の返還を言う中で、どちらがより現実的に一刻も早く返還されるのか、という市民の判断になってしまった。
政府方針通りに辺野古に押しつけての返還か、県内移設を拒否しての返還か、普天間の地元としては本音では前者が現実的だと考える人が多いのは致し方ないことだといえる。
そのなかで、たとえ茨の道でも辺野古反対に投じた人が、得票率で44%もいたのはむしろすごいことだと思う。
とはいえ、負けは負けであり、惜しかったとか善戦したとかでお茶を濁すべきではない。
(と、何のお手伝いもできなかった私ごときが言うのはおこがましいのは承知の上だが、先に進むためには厚かましく批評させてもらう。もちろん、外から見た表面的な見方に過ぎないけれども。)
まず、第一印象としては、保守の強みを活かしていなかったように見えた。シムラ氏のプロフィールを拝見すると、県の幹部職員として建設業界とのパイプもあるようだし、お父さんが自民党の元県議会議長とのことで、典型的な保守の方ではないかとお見受けするのだけれども、そういう面をあまり出さずに、辺野古反対を前面に出しすぎたのではないかという気がする。
翁長知事の選挙の時は、10のYESと3のNOというように、辺野古反対を明確にしながらも、沖縄の将来像を肯定的かつ現実的にに描いていた。
名護の稲嶺市長も、選挙の時の演説をネットで拝聴した印象では、辺野古のことも言うけれども、市民生活に密着した話をかなりしていたように思った。
私は、「正義で勝てる選挙はない」 と考えている。
これは、善悪の話ではない。宜野湾市民を責めているのでもなければ、選挙に正義はないと選挙を貶めているのでもない。
ほとんどの人は、まず、自分の暮らしがどうなるだろう、という観点で投票するものだ、ということだ。
ここを考え違いしているから、「世論調査と選挙の結果が違う。不正選挙だ」という話が出てくる。
原発や安保法制などの世論調査の賛否の割合と、選挙結果が違うのは当たり前だ。
各課題の世論調査は、「正義」の問題であり、投票は明日の生活だからだ。
明日の生活を考えたら、多くの人は体制に寄り添おうとする。これはある意味当然だ。
権力にまつろわぬもののヒロイズムを賞賛しながら、投票では権力に投じるのが、たくましい庶民というものだと、うぶな政治市民は思い知らなければならない。
自らを「市民」とか「リベラル」などと自覚する特殊な人たちは、2012年から続く数々の敗戦に、謙虚に学ばなければならない。
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ひるがえって、今年の参院選を考えたとき、戦争法案や改憲だけで戦おうという議論は自滅行為だということができる。
もちろん、世論調査をすれば、戦争法案も改憲も圧倒的に反対が上回るだろう。しかし、それは投票の基準にはならないのだ。
これだけ負け続けて、そのことを学ばないのは、口さがなく言わせてもらえば利敵行為だと思う。
戦争法案を廃案にし、改憲を阻止しなければならないからこそ、それだけを掲げて戦ってはいけないのだ。
庶民の明日の暮らしを、「なるほど」と思える明るさで照らさなければ、選挙では勝てない。絶対に勝てない。
今回の悔しさから、そのことを学ばずに、有権者が悪いかのような総括をすることは許されない。
自公政権は、そのことを骨身にしみて、もう本能といえるレベルで理解している。
だから、株価が暴落して、あらゆる経済指標が悪化しているなかで、ウルトラCの手段を使ってくるだろう。
あり得るケースは、安倍が5月くらいで退陣して、一見ハト派の谷垣あたりが首相になり、消費増税の延期を発表するというもの。
その流れの中で、民主党+維新の党との大連立ということもないとはいえない。
(もしそうなれば、おおさか維新は当て馬で使い捨てということになる。)
TPPの「功労者」である甘利を切り捨てる動きは、その始まりの可能性がある。
そうなれば、戦争法案や改憲は完全に争点をはずされ、地滑り的に自民党が圧勝することになる。
そして、やつらは、勝ってからことを始めるのである。
であるならば、こちらはそれ以上の「勝利の執念」がなければ、勝てるわけはない。
金も人も情報も、何もかも不利な条件の下で、勝てるとすれば「執念」だけだ。その「執念」で負けていたならば、どう転んでも勝てるわけがない。
勝負は、「執念」を持った勢力をどれだけ作れるか だ。
「正義」をもった勢力は想像以上にたくさんいるけれども、それでは勝てない、というのが貴重な貴重な教訓だ。
今年の参院選には間に合わないかもしれないが、今後数年の間に「執念」をもった勢力をどれだけ集められるか。
そこに未来がかかっている。