先に投稿した「笹の葉は・・・」のメロディーを Finale で短調にした。映像は、タイの田舎で撮影。
これ楽譜を見ると、ホ短調における第二音、「ファ」が半音あがるだけなのですな。なんで、これだけで、曲調が変わってくるのか、しつこいようですが(笑)・・・不思議だ。短調には、内在的に、人間に哀歓を抱かせる何かがあるのか?あるいは、社会的な刷り込みの結果なのか?
独裁政権のマッドサイエンティストになることができたなら、一人、クローン人間を作って、実験してみたい。子供の頃から、短調の歌を聞かせてからおっぱいを与えるとか、なでなでしてあげるとか、そういう風に習慣づけ、短調と「楽しい気分」とが観念的に連合するように仕向けるのだな。そうすれば、この人は、短調の曲を聞けば楽しい気分になるかも(笑)
しかし、これ、オレが知らないだけで、民族学(文化人類学と言うべきか)かなんかの分野で既に研究があるかもね。「音階と共同体における共通感覚に関する一考察」とかね・・・メイウッテ(笑)日本の民謡なんかでも、哀調をおびたメロディーが、おめでたい場で、お囃子にのせて歌われたりするから(佐渡おけさ、なんかどうかな)、今の我々の感覚で、割り切れる問題ではないのかも。