霞ヶ関主導のAI研究所は本当に必要か〜90億もの「予算消化ありき」のやり方に異議あり!
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46792
2015年12月10日(木) ITトレンド・セレクト 小林 雅一 現代ビジネス
文部科学省が2016年度に新設する予定のAI研究所。その初代所長に誰が就任するかを巡って、今、AI研究者らが気を揉んでいるという。
が、その前に「そもそも、こうした研究所は本当に必要なのか?」という議論も為されるべきではないだろうか。
●"文科省の新設AI研 トップ人事に気をもむ研究者の本音 " 日経BigData, 2015/12/8(http://www.nikkei.com/article/DGXMZO94844710X01C15A2000000/)
■「AIPセンター」の特殊な勤務形態
上の記事によれば、文科省が新たに設立する「AIPセンター」は、国内最大級のAI(人工知能)研究拠点となる。
AIPとは「Advanced Integrated Intelligence Platform Project」の略で、同省の主要政策「人工知能/ビッグデータ/IoT/サイバーセキュリティ統合プロジェクト」の中核となる。これに向けて文科省は90億円の予算を要求しているという。
AIPセンターの研究員には常勤の研究者に加え、東京大学や京都大学をはじめ各地の大学から「クロスアポイント制度」なるものに従って、一種の客員研究員を確保する。彼らは週の1日はAIPセンターに勤務し、残り4日は所属する大学に勤務するという。
筆者は以上のような試みを頭ごなしに否定するつもりは毛頭ない。実際、AIの研究開発では日本はグーグルやIBM、マイクロソフトをはじめとする米IT企業に後れをとっている。これに対してキャッチアップを図るとともに、日本の新たな基幹産業を育てるためにも、官学共同で新たな取り組みを開始しようという主張は、それなりに筋が通っている。
■本当の動機は何か?
が、その一方で、この種の、つまり「官主導のプロジェクト」の効果、あるいは(文科省に限らず一般に)日本の中央官僚がなぜ、こうした産業振興プロジェクトに積極的なのか? つまり、その真の動機については、常日頃から疑問に思っている。
実際、(具体的な省庁名はここでは明かさないが、少なくとも複数の)霞が関官僚の方々と面と向かって話してみると、「金(予算)はある。あとは、それをどう使うかだ」、あるいは「だって、こんなこと(この場合、AI研究)にでも(予算を)使わなかったら、他のことに使われちゃいますよ」といった本音が聞かれるのである。
つまりは予算の争奪戦ではないか。最近ブームのAIは、その道具にされている感がある。中央官僚の方たちには、もうそろそろこの種の考え方を卒業して欲しい。筆者は心底そう思う。
まず第一に「金(予算)はある」というのは大きな間違いである。確かに日本の一般会計予算は例年100兆円程度あるが、その少なからぬ部分が国債だろう。つまり「金がある」のではなく「借金がある」というのが正確な表現だ。となると、「あとは、それをどう使うかだ」という後半の展開は完全に説得力を失う。
次に「こんなことにでも使わなかったら、他のことに使われちゃいますよ」という霞が関官僚の基本的考え方。実に率直な発言であり、聞いている私の方でも(内心)微笑を禁じえないほどだった。
確かに一理ある。たとえば80年代バブルが弾けた後、国は要らない道路や橋や港などを次々と作って、借金を膨らませた。そうした不毛な公共事業に比べれば、AI研究は有意義でノーブルな目標であり、そこに予算をつけることに何の問題があるのか? そう言いたいのかもしれない。
■具体的なアイディアはない!
しかし、どれほど高貴な目標にせよ、国家予算(税金+借金)を割く以上、その妥当性や実現可能性に関する議論は当然為されるべきだろう。
そもそもAIのような高度ITの領域で、これまで官主導の産業振興プロジェクトが成功した事例があるのだろうか? ハッキリ言って、筆者の知る限り、そうしたケースはない。
今回のAIPセンターもそうだが、時代の趨勢やブームに乗って人を集めただけのプロジェクトは大抵失敗する。そこには具体的な目標やアイディアが無いからである。
逆に成功するプロジェクトとはどういったものか? 一例として以下の記事をご一読頂きたい。
参照)『ディープラーニングはどのようにして生まれたのか? 低予算で自主的な研究グループによって育まれた世界最先端のAI技術』(http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/45578)
ここに見られるのは、「研究者の自主的な取り組み」と「具体的なアイディア」、そして最低限の予算でも何事かを成し遂げようとする姿勢と創意工夫である。何から何まで、日本の霞が関主導プロジェクトとは正反対である。
もちろん、上の記事で紹介したような取り組みは極めて稀なケースであり、世界中を見渡しても、そうそうあるものではないだろう。こうした言わば僥倖を待っているだけでは埒があかない。
だから、まずはAI研究者が活躍できる場を作って、そこからアイディアを出していきましょう――今回のAIPセンターも、恐らく(ある程度までは)そうした動機の下に提案されたのではないかと思われる。だから筆者も冒頭で「頭から否定するものではない」と述べたのである。
■目標ではなく「やり方」が問題
実際、高齢化や労働力人口の減少が進む日本においては、AIや知的ロボットのようなスーパー自動化技術を次世代の基幹産業に育てようとする試みは理に叶っている。国がそこに関与したいと望むのも当然かもしれない。
が、問題はその「やり方」である。いきなり巨額の国家予算を割いて研究所を新設してしまう事が、本当に正しいやり方なのだろうか?
特に今回のAIPセンターの場合、普段は全国各地の大学に勤務している研究者が週に1度だけ都心のオフィスに出勤するという。また日本国内だけでなく、海外からも優秀な研究者を集めたいとしている(どのようにして集めるのかは不明だ)。
恐らく皆で意見交換をしてアイディアの創出を促すのが目的であろうが、それなら他にもやり方はあるし、最初から90億円もかける必要はないのではないか。そこには「とにかく場を用意すれば何とかなる」という、ある種の安易な思考停止が感じられるし、「まずは予算消化ありき」という印象が拭い切れないのである。
もちろんAI研究のような国の将来を左右する重要案件に、相応の国家予算を投じるのは、ある程度は理解できる。しかし、仮にそれをするなら、具体的で強力な新規アイディアと、それを産業化する道筋が多少なりとも見えてきた段階にすべきではないか。それまでは、既存の民間企業や大学に任せるべきである。
どんなに国がお金をかけて恵まれた環境を用意してあげても、良いアイディアは出てこないし、優れた技術は生まれない。それは、あくまでも研究者個人の力量によるのである。日本の政策担当者やAI研究者は、そのことを胆に命ずるべきだろう。