米大統領選まで1年 岐路の超大国
(上)格差拡大に揺らぐ価値観
民主・共和の候補、是正訴え
4年に一度訪れる米国最大の政治イベントである大統領選挙は、権力構造に多大な変化をもたらす。2016年11月8日の投票まで残すところ1年。中国台頭などで米国は国際社会での影響力低下を指摘され、国内でも経済格差や銃規制、同性婚をめぐる議論が過熱、価値観の揺らぎがみられる。超大国の指導者選びは米国だけでなく世界の政治、経済の秩序づくりに大きく影響する。
当初の計画を撤回し、自身の任期後もアフガニスタンへの米軍駐留を続けると発表したオバマ氏(10月)=AP
「変革」を掲げて08年大統領選で初の黒人大統領に選ばれたオバマ氏への熱狂は、いまやない。ロイター通信が10月上旬に実施した世論調査によると米国が「誤った方向に進んでいる」と回答した人は6割を超えた。
不満の受け皿に
「ヘッジファンドを運用する金持ち連中への優遇税制を撤廃する。彼らに嫌われたって構うものか」。10月27日、米中西部アイオワ州西端の町、スーシティー。共和党の大統領候補指名で首位を争う不動産王、ドナルド・トランプ氏がこう宣言すると、集まった千人の聴衆から大きな歓声がわいた。
大衆迎合的な主張で支持を広げるトランプ氏。不法移民や他国をやり玉に挙げる言動で経済格差をめぐる有権者の不満の受け皿になっていると指摘される。病院勤務で無党派の男性(58)は「米国民の職を奪う不法移民に血税を使う政府はたくさんだ。トランプ氏は我々の怒りを代弁している」とまくしたてた。
格差の是正政策はこれまで民主党の「お家芸」とみられてきたが、今回はトランプ氏だけでなく共和党候補がこぞって前面に打ち出している。
ギャラップ社が今年5月に発表した世論調査では、現状の経済格差を「不公平だ」と感じる米国民は09年の59%から63%に増えた。08年のリーマン・ショックから7年。大きな痛手を受けた経済はようやく立ち直りつつあるが、恩恵のばらつきに国民の不満はくすぶり続ける。
「経済格差は巨大な問題だ。悪化させるだけの共和党政権に戻るわけにはいかない」。10月23日、大統領選の激戦州であるバージニア州のアレクサンドリアで、民主党の最有力候補ヒラリー・クリントン前国務長官は支持を訴えた。
「民主社会主義者」を自称する民主党の対抗馬、バーニー・サンダース上院議員はより大胆な政策を打ち出す。20年までに最低賃金を全米で一律時給15ドルにすると公約している。
「自由な競争」を信条としてきたはずの米国で過熱する格差論争。そこには、よって立つ価値観を見失い、内向き姿勢に傾く国の閉塞状況が映る。世界のなかで果たすべき米国の役割についても各候補のビジョンはみえない。
低下した指導力
世界各地に広がる混のひとつの原因とみられるのは、米国の国外情勢に対する関心が薄れ、その指導力が低下したことだ。中東政策の迷走は、「イスラム国」(IS)の台頭を招き、世界にリスクとして跳ね返った。
オバマ氏は当初のアフガニスタンの軍事計画を撤回し、自身の任期切れにあわせて兵を撤退させる戦略を見直さざるを得なくなった。
今回の大統領選をきっかけに米国が指導力を回復することへの各国の期待は大きいが、その兆しは明白にはみえない。
新たな指導者選びは、米国が世界のリーダーとしての自信を取り戻すプロセスとなるのか。1年に及ぶ長い戦いを世界が見守る。
共和党の指名争い混沌 トランプ氏にカーソン氏並ぶ
米共和党の大統領候補の支持率で、7月下旬から首位を保っていた実業家のドナルド・トランプ氏(69)に、元神経外科医のベン・カーソン氏(64)が並ぶ展開になった。10月下旬の一部の世論調査ではカーソン氏が逆転している。討論会での評価が高かったマルコ・ルビオ上院議員(44)の躍進も目立ち、指名争いはさらに混沌としてきた。
米政治サイト「リアルクリアポリティクス」が集計した10月21日〜11月2日の各種世論調査の支持率平均では、カーソン氏が25.3%とトランプ氏の24.3%をやや上回った。3位はルビオ氏の11.0%だった。
カーソン氏は、民主党の最有力候補であるヒラリー・クリントン前国務長官(68)との対決を想定した支持率の平均でもクリントン氏を上回った。
一方のトランプ氏はクリントン氏にリードされている。
[日経新聞11月6日朝刊P.7]
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(中) 「雇用脅かす」反TPP声高 保護主義じわり、批准影響も
「雇用を脅かす自由貿易には断固反対だ」。環太平洋経済連携協定(TPP)の大筋合意直前の9月末。日本の通商担当者はニューヨークで合意に強く反対する米労働者のデモに出くわした。「まるで日本の農業団体だ。米国で芽生える保護主義はやっかいだ」
6月、米ワシントンで反TPPデモに参加する人々=ロイター
米大統領選に向けた経済政策論争では、10月初旬に大筋合意したTPPへの賛否が焦点となる。批准作業と大統領選の過程が重なるためだ。対外政策の根幹である自由貿易を推し進めるのか、雇用維持に軸足を置いて内向き姿勢に転じるのか。日本など貿易相手国も注視するが、声高なのは内向きな反TPP論だ。
「現時点で賛成できない」。民主党本命候補、ヒラリー・クリントン前国務長官は大筋合意の直後の10月7日、突然の声明を出した。同日、降り立ったのは激戦区アイオワ州。同地は製造業が強く労働組合がTPPに真っ向から反対していた。
同党では民主社会主義を標榜し、労組など左派の支持を受けるバーニー・サンダース上院議員もTPPに反対する。アジア重視だったクリントン氏が反TPPに転じたのは、労組を取り込んでサンダース氏らの追い上げをかわす狙いからだ。
TPPは米所得を年775億ドル(約9兆4千億円)押し上げるとの試算もある。それでも労組が抵抗するのは1994年に発効した北米自由貿易協定(NAFTA)の影響だ。最大労組の米労働総同盟産別会議(AFL・CIO)はメキシコへの生産移転などで、70万人の雇用が失われたと主張する。所得格差の拡大も労働者を保護主義へと向かわせる。
伝統的に自由貿易主義の共和党もTPP推進論が広がってこない。不動産王ドナルド・トランプ氏は「ひどい協定だ」と切って捨て、マイク・ハッカビー元アーカンソー州知事も「オバマ政権はスシのように巻かれてしまう」とからかった。ジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事らは推進派だが、TPPはオバマ政権の「遺産(レガシー)」とされるだけに、共和党は賛意を明確にしにくい。
こうした内向き姿勢は貿易に限らない。クリントン氏はTPP不支持の理由として「為替操作対策が不十分」と説明する。円相場も批判の的で、共和党に影響力を持つ著名学者のアーサー・ラッファー氏は「円の実力は1ドル=107円。(日本による円安に向けた)為替操作を禁じるべきだ」と党幹部らに訴える。選挙戦で米国の保護主義が強まれば、外国為替市場にも影響が及ぶ。
米国では通商交渉の大筋合意から90日以後でないと大統領は署名できない。TPPの議会審議が始まるのは来春以降だ。もっとも12カ国での大型通商交渉を白紙に戻すのは現実的ではない。クリントン氏が「現時点で」と前置きしたのは、選挙後に賛意に転じる余地を残すためだ。そのため「米国の批准は大統領選が終わった来年末以降」との見方が浮上する。
TPPを米国が主導した狙いは「世界経済のルールづくり」(オバマ大統領)にある。その米国が内向き姿勢を強めれば、アフリカや中南米でも経済外交を繰り広げる中国の存在感は増す。大統領選候補者が保護主義へなびくのはあくまで選挙対策なのか、本心なのか。議論が先鋭化すれば、世界の経済秩序に響く。
[日経新聞11月7日朝刊P.7]
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(下) 世論二極化、進まぬ銃規制 黒人の権利・同性婚にも溝
「銃の暴力から家族や隣人を守るために大統領になる」。2016年米大統領選の民主党本命候補、ヒラリー・クリントン前国務長官は10月23日、南部バージニア州の集会で銃規制の強化を訴えた。同州は米最大の銃ロビー団体、全米ライフル協会(NRA)の本部がある。
学校での銃乱射事件は繰り返し発生している(10月、米オレゴン州での事件後、抱き合う市民)=AP
同じ10月には米西部オレゴン州の短期大学での銃乱射事件で9人が射殺された。15年に全米の学校で起きた銃乱射事件は45回に達したが、銃規制への動きは鈍い。オバマ米大統領は「我々は銃乱射事件にまひしている」と嘆く。
銃を持つ権利を擁護する共和党候補は、銃規制に強く反対する。元神経外科医のベン・カーソン氏は「私なら棒立ちになって撃たれはしない」と断言し、銃を持たなければ身を守れないと主張する。共和候補の不動産王ドナルド・トランプ氏は「銃を持つと安心だ」と述べた。
民主、共和候補の意見が異なるのは、米国民の世論を二分する問題だからだ。10月の米紙ワシントン・ポストなどの世論調査では、銃規制支持が46%、規制反対が47%とほぼ同率だった。
米調査機関ピュー・リサーチ・センターの1994〜2014年の政治意識調査では、共和党員はより保守的な回答を、民主党員はよりリベラルな回答を選ぶ傾向が年々高まっている。二極化する政治を背景に国民の亀裂は深まり、意見の断絶が広がっている。
たとえば14年の調査で「黒人が成功できないのは(人種差別ではなく)自己責任だ」との質問に、共和党員の79%が賛同した。民主党員は50%で、その差は29ポイント。10年前は差が13ポイントで、2倍以上に広がった格好だ。
共和候補には特定の人種や宗教を攻撃する発言も目立つ。カーソン氏はイスラム教徒が米国の大統領になることについて「断固反対だ」と述べ、イスラム教団体などから反発を招いた。トランプ氏はメキシコ移民が麻薬などを持ち込んでいるとして「犯罪者だ」と非難した。
6月に米連邦最高裁が全米で同性婚を認める判断を下したことにも、候補者の賛否は分かれる。クリントン氏が「歴史的勝利だ」と称賛した一方で、ジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事は「伝統的な結婚を支持する」と同性婚への反対姿勢を明言する。
共和候補はキリスト教右派など同性婚を許さない保守派を支持層に持つ。テッド・クルーズ上院議員は「司法判断は民意から大きく外れている」と述べ、判決を無視するよう呼びかけた。
序盤で党の指名獲得のために過激な発言をしていた候補が、選挙が近づくと軌道修正を図る例も多い。支持層を広げないと大統領選は戦えないためだ。
しかし、極端な主張に傾く各候補者の姿には、価値観をめぐり二分された米国民の溝の深さが映されているようにもみえる。
河浪武史、川合智之、芦塚智子が担当しました。
[日経新聞11月10日朝刊P.7]