「北野武氏の言葉は学生の知性をあからさまに見下したものでしかない:山崎 雅弘氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/18260.html
2015/9/4 晴耕雨読
https://twitter.com/mas__yamazaki
8月30日の国会議事堂前抗議行動の動画その1。
歩道から車道へ「決壊」した直後(午後1時40分過ぎ頃)のようす。
動画開始から23秒くらいで「前へ!」コールが始まり、先頭の二人は国会議事堂に背中を向けて「前進」を開始する。
スリリングな瞬間。http://on.fb.me/1XbJQBf
月30日の国会議事堂前抗議行動の動画その2。
「前進」したSEALDsメンバーらの中心が議事堂手前の横断歩道の辺りに到達し、アメフトのニーダウンのように座って地歩を確保してコール。
この時点ではまだ、道路の手前側には警察バスの防壁はない。http://on.fb.me/1O5Vpnu
8月30日の国会議事堂前抗議行動の動画その3。
SEALDsのメンバーらがコールしている最中、誰が用意したのか、後方から白黒の風船に結びつけた「安倍やめろ」の巨大な垂れ幕が来た。
これはなかなか壮観だった。
あの現場の空気が伝われば幸いです。http://on.fb.me/1hRuv8M
たけし、SEALDsに投票喚起運動求める「支持政党・議員の増で法案無くなる」(マイナビ)http://bit.ly/1LIrvFn
フランスで立派な勲章を受けたはずの北野武氏も、「デモか、投票か」という、両者があたかも二者択一やトレードオフであるかのような思考誘導を行っている。
西欧の民主主義国は「デモも、投票も」「選挙がない時期はデモや集会で意志表示」が普通で、この二つは相互補完の関係にある車の両輪のようなもの。
デモの話をしている時に「選挙に行け」と言われたら、民主主義が成熟した国の市民なら「こいつ何わけのわからないこと言ってるんだ?」と呆れるだろう。
「デモも、投票も」という権利の片方を自発的に捨て「政治の意志表示は投票だけでする」のはその人の自由だが、デモに参加する他人に「デモは無駄、投票だけにしろ」と押し付けるのは筋違いの愚かな行為でしかない。
権利を捨てるのが好きなら自分一人で黙って捨てればいい。
他人に強要する権利はない。
「デモで政治は変わらない」とか「政策は選挙でしか変わらない」など、日本式限定的スペックの民主主義を当たり前だと思い込む人から独り言のようなリプライが返ってくるが、デモと選挙の違いすら理解していない。
海外のデモならNHKも積極的に報じるから、その内容を少し観察してみたらどうだろう。
デモや集会に参加することで政治問題への関心が高まり、自分で本を読んで勉強するようになれば、過去の選挙で棄権していた人が、次の選挙で投票に行く動機も強まる。
デモや集会には投票率向上の効果もあるので「デモに行かず投票しろ」という論理は成立しない。
そんな思考誘導は無視して差し支えない。
SEALDsのメンバーは「我々はデモだけで政治に参加し、投票には行きません」などとは一言も言っていないのだから、北野武氏の言葉は学生の知性をあからさまに見下したものでしかない。
言われなくても彼らは選挙に行く。
「デモか、投票か」という日本式民主主義の欺瞞に、メディアも加担している。
「政治への意志表示は選挙の投票でするもので、デモではない」とか「何々(職業)は政治的発言をすべきでない」みたいなガラパゴス的な思い込みを、国民の多数派が疑問も抱かずに信じるなら、政治家や統治者には好都合だろう。
民主主義国では普通にある政治家への監視から解放され、優位を保持できる。