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2015年8月07日00時01分 〜
記事 [政治・選挙・NHK190] 「米国による盗聴疑惑が遺憾…だと、ふざけるな! 相手は「エシュロン」だ。:元自衛官氏」
「米国による盗聴疑惑が遺憾…だと、ふざけるな! 相手は「エシュロン」だ。:元自衛官氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/18034.html
2015/8/6 晴耕雨読


https://twitter.com/yoko_kichi

米国による盗聴疑惑が遺憾…だと、ふざけるな!

相手は「エシュロン」だ。

盗聴どころではない。

電話・メール・FAXなどが米国に提供される。

永田町も霞ヶ関も完全網羅だ。

歴代自民党政権はそれを百も承知で見て見ぬふりだった。

奴らこそ、平和ボケを通り越して、スパイを幇助する売国奴である。

米国「エシュロン」盗聴の続きだ。

日本中枢への盗聴で顕著だったのは鳩山内閣の基地問題のとき。

米国は盗聴によって普天間や辺野古の代替候補地を即座に把握し、次々と情報をリークして潰した。

そんなスパイ活動を許してきたのが、自民党という「売国」勢力。

対抗手段は「筆談」…情けない話だ。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/256.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 熱愛&キス写真報道の小泉進次郎の悪評 「陰で横柄な態度」「思い上がりが目に付く」(Business Journal)
                      自民党本部(「Wikipedia」より/Sekicho)


熱愛&キス写真報道の小泉進次郎の悪評 「陰で横柄な態度」「思い上がりが目に付く」
http://biz-journal.jp/2015/08/post_11027.html
2015.08.06 文=編集部 Business Journal


 8月5日、自民党のプリンス、小泉進次郎衆議院議員の“熱愛”をメディアが一斉に報じた。報道によれば7月23日深夜、進次郎氏は現在政務官を務める復興庁元職員の女性と2人きりで、東京都内のホテルの部屋で時間をすごしたという。さらに日刊ゲンダイは、この相手女性と進次郎氏は来夏結婚予定であるとし、東京スポーツは過去に撮影された別の女性とのキス写真まで掲載。進次郎氏の事務所はメディア各社の取材依頼に対し、一様に拒否を貫いている。全国紙記者が語る。

「写真付きで大々的に進次郎の女性関係が報じられるのは、今回が初めてでしょう。昨年12月の衆院選では、党各支部から進次郎への応援要請が殺到し全国を飛び回り、自身も83%という驚異的な得票率で3選を果たすなど、現役政治家の中でも随一の人気を誇っています。党内でも、34歳ながら早くも将来の首相候補との呼び声も高い」

 また、進次郎氏の政治家としての“強かさ”にも定評があるという。

「進次郎は父で元首相、小泉純一郎の引退を受け、その地盤を引き継ぐかたちで2009年に初当選。現在も盤石な基盤を築いているが、父親譲りの政治的カンも鋭い。例えば、人気の高さゆえ初当選間もない頃から、たびたび副大臣など重要ポストの打診を受けながらも、異例の出世により党内の嫉妬を買ったりメディアから攻撃を受けるリスクを避けるため、打診を拒否し、あえて一議員として“汗をかく”姿勢を取ってきました。さらに、森喜朗元首相(12年に政界引退)など党内の大物実力者にも気に入られるなど、政治家としての“強かさ”を兼ね備えています」(同)

■気がかりな兆候

 そんな進次郎氏にも最近、気がかりな兆候がみられるという。国会議員秘書が語る。

「先の衆院選における自民党勝利の功労者であり、今年9月に予定されている党総裁選ではどの候補者の支援に回るのか、その動向が選挙を大きく左右するとまでいわれる“キーパーソン”になった進次郎さんに、今や表立って口を出せる人物は党内にいません。もはや“党内実力者の一人”になったといっても過言ではありません。進次郎さんは相変わらず支援者やメディア、著名なジャーナリストなどに対しては良い顔を見せていますが、一方で事務所スタッフや政務官を務める内閣府、復興庁の職員などに対する横柄な態度が陰で目立つようになったと、進次郎さんの周辺からは漏れ伝わってきます。さらに党関係者からは『最近、思い上がりが目に付く』との声も聞かれ、そういう評判はすぐに議員秘書や官僚の間で広がりますので、自らの振る舞いで足をすくわれないか、気がかりなところです」

「人気政治家にありがちなパターンなのが、『自分は特別な存在』だと勘違いしてしまうケースです。典型的なのが、元外務大臣の田中眞紀子です。田中は父で元首相の田中角栄譲りの歯に衣着せぬ発言で絶大なる国民的人気を誇りましたが、秘書や官僚をあたかも使用人であるかのように扱ったことで多くの人が離れ、田中の実像をメディアや書籍で暴露する人物も多数出るほどでした。頼れる身内を失った田中は徐々に迷走を続け、“田中王国”とまで呼ばれ長年選挙で不敗を誇った自身の選挙区で敗れるという事態を招きました。

 進次郎の父、純一郎も議員時代は国民から高い人気を得ていましたが、彼には絶対的な右腕である辣腕秘書、飯島勲がいました。果たして今の進次郎にそのような存在がいるのか。政治家のスキャンダルの多くは、その“身内”からメディアへのタレ込みが発端となるケースが多い。今回の進次郎の件も、よほど進次郎に近い関係者でなければ知り得ない情報であり、情報源が進次郎周辺である可能性もある。もしそうなら、政治家としてはかなり危機的な状況であるといってよいでしょう」

 進次郎氏の“田中眞紀子化”が懸念されるところである。

(文=編集部)


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/258.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 広島原爆投下から70年、追悼式典で安倍首相は「非核三原則」に触れず!ヤジも飛び交う!被ばく者たちからも安保法制批判!
広島原爆投下から70年、追悼式典で安倍首相は「非核三原則」に触れず!ヤジも飛び交う!被ばく者たちからも安保法制批判!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7487.html
2015.08.06 20:30 真実を探すブログ



広島に原爆が投下されてから70周年目ということで8月6日は全国各地で追悼式典が行なわれました。広島で行なわれた式典には過去最多の100カ国の関係者らが出席して、原爆の被害者らに祈りを捧げています。
ロシアなどの国々からはアメリカを強く批判する言葉も飛び出て来ましたが、その中で安倍首相は式典の演説で「非核三原則」には触れませんでした。


安倍晋三首相はあいさつで「核兵器のない世界を実現する重要な使命がある」と語りましたが、非核三原則については言及せずに、そのまま演説を終えています。
更には式典の最中に「戦争法案 撤回しろ!」等とヤジが飛び交う場面もあり、被ばく者たちとの懇談会でも安保法制に対する懸念の言葉が相次ぎました。


節目の年ということで式典その物は壮大な物となりましたが、安倍政権の方針や対応を巡って、かつて無いほど非常に険悪なムードになったと言えるでしょう。













☆<広島原爆の日>ケネディ大使らも…過去最多の参列国
URL http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150806-00000023-mai-soci
引用:
 被爆70年の節目となる広島市の平和記念式典には6日、海外から過去最多の100カ国と欧州連合(EU)代表部の代表が参列した。アフガニスタンやスリランカ、フィリピン、モナコなど初参加の7カ国の大使らも祈りをささげた。
:引用終了


☆「原爆の日」ヒロシマの誓いを発信
URL http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150806/k10010180861000.html
引用:
午前8時から広島市の平和公園で行われた平和記念式典には、海外から過去最多となる100か国の代表を含むおよそ5万5000人が参列しました。
式典ではこの1年間に亡くなった人や新たに死亡が確認された人、5359人の名前が書き加えられた29万7684人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められました。そして、原爆が投下された午前8時15分に全員で黙とうし、原爆で亡くなった人たちを追悼しました。
:引用終了


☆広島原爆の日:首相「非核三原則」に触れず 平和記念式典
URL http://mainichi.jp/select/news/20150806k0000e040165000c.html
引用:
 広島は6日、米国による原爆投下から70回目の「原爆の日」を迎えた。松井一実・広島市長は平和宣言で、いまだに遠い核兵器廃絶に対し「そのための行動を始めるのは今だ」と呼びかけ、平均年齢が80歳を超えた被爆者の支援策充実も求めた。国会で議論が進む安全保障関連法案には直接の言及はしなかった。また、安倍晋三首相はあいさつで「核兵器のない世界を実現する重要な使命がある」と述べた一方、歴代首相が触れてきた「非核三原則」の文言は盛り込まなかった。
:引用終了


(全録)広島「原爆の日」 安倍首相が平和記念式典であいさつ


「原子爆弾の爆発」をアニメーション解説 Atomic explosions


「原爆ドーム」今なお残る傷痕 広島・原爆投下70年(15/08/06)


広島原爆投下から70年、平和記念式典営まれる

















http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/259.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 戦後70年談話:21世紀構想懇談会報告書全文:「戦後レジーム」世界観+米国型グローバリズム、安保法制・TPPなどを正当化

 正直に言ってガッカリさせられた。できの悪い政治文書というべきものである。
 先の戦争に関する部分はリベラル的というか欧米的歴史観に沿ったありきたりのものだからどうこうは言わないが、戦後に関する部分はところどころ胸くそが悪くなるほど醜悪な総括だと思う。

 「戦後レジーム」からの脱却を掲げる安倍首相に、この報告書をどう評価するか訊きたい(誰か国会で質問して欲しい)。

 中国はともかく、韓国にはうれしくない報告書だろう。

 詳細の論評は後日機会があればということで、まずは報告書全文を転載させていただく。

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戦後70年談話:(1)21世紀構想懇談会報告書全文[毎日新聞]
2015年08月06日

 本懇談会は、2015年2月25日に開催された第1回会合にて、安倍晋三首相より、懇談会で議論する論点として、以下の5点の提示を受けた。

 1 20世紀の世界と日本の歩みをどう考えるか。私たちが20世紀の経験からくむべき教訓は何か。

 2 日本は、戦後70年間、20世紀の教訓をふまえて、どのような道を歩んできたのか。特に、戦後日本の平和主義、経済発展、国際貢献をどのように評価するか。

 3 日本は、戦後70年、米国、豪州、欧州の国々と、また、特に中国、韓国をはじめとするアジアの国々等と、どのような和解の道を歩んできたか。

 4 20世紀の教訓をふまえて、21世紀のアジアと世界のビジョンをどう描くか。日本はどのような貢献をすべきか。

 5 戦後70周年に当たって我が国が取るべき具体的施策はどのようなものか。

 懇談会では、首相から提示があった各論点につき、7回にわたり会合を実施してきた。今般、これら会合における議論を、首相から提示があった論点に沿って本報告書としてとりまとめた。本報告書が戦後70年を機に出される談話の参考となることを期待するものである。


1 20世紀の世界と日本の歩みをどう考えるか。私たちが20世紀の経験からくむべき教訓は何か。

(1)20世紀の世界と日本の歩み

ア 帝国主義から国際協調へ

 20世紀を振り返るため、少し19世紀に立ち返りたい。19世紀の世界を特徴づけるのは、西洋における技術革新により、欧米が他の地域に対して圧倒的な優位に立ったことである。世界史上、多くの時代で世界最大の国であり、1830年ころにも世界最大の経済大国だった中国が、英国に、しかもアヘン戦争という極めて非道な戦争に敗北してしまったということは、この技術格差の拡大を示す世界史的な大事件だった。

 この技術格差を前提に、西洋諸国を中心とする植民地化は世界を覆った。アジアにおいては、植民地化を免れようと近代化を遂げた日本が日清戦争に勝利して台湾を植民地とし(1895年)、アジアに縁の薄かったドイツも、宣教師が殺されたことを理由に、膠州湾を租借して山東省を勢力圏とし(1898年)、さらに、もともと植民地から独立し、それゆえに植民地に反対することが多かった米国も、米西戦争に勝利してフィリピンを植民地として領有することになった(1898年)。

 しかし20世紀初めには、その植民地化にブレーキがかかることになった。

 1905年、日露戦争で日本が勝利したことは、ロシアの膨張を阻止したのみならず、多くの非西洋の植民地の人々を勇気づけた。のちに1960年前後に独立を果たしたアジア、アフリカのリーダーの中には、父祖から日露戦争について聞き、感激した人が多かった。

 植民地化にさらにブレーキをかけたのは第一次世界大戦末期にウィルソン大統領が平和のための14カ条のうちの一つとして掲げた「民族自決」の理念だった。民族自決は、元来ヨーロッパに向けた概念だったが、アジアもこれに反応し、朝鮮で3・1事件、中国で5・4運動などが起きるきっかけとなった。

 しかし列強の多くは植民地を手放す意思はなく、結果として、これ以上の植民地拡大はしないという大まかな合意が成立した。アジア太平洋では、中国の統一と独立を尊重するという趣旨の9カ国条約が成立した。

 一方、技術革新は戦争をますます悲惨で巨大なものとした。19世紀末には、仲裁裁判によって紛争を解決しようとする動きが生じていた。そして、第一次大戦が人類史上未曽有の犠牲をもたらしたことから、国際法上戦争を否定しようとする戦争違法化の動きが一段と強まり、国際連盟規約において加盟国に「戦争に訴えない義務」を課し、1928年には、不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)において、戦争を国策の手段としては認めないと定めた。これと併行して、1922年のワシントン会議と1930年のロンドン会議においては、海軍軍縮が議論され、一定の成果をあげた。

 1920年代、列強は軍事的膨張を控え、経済的な行動に力を入れた。日本でも政党政治が発展し、1924年から32年までは政党内閣が続き、1925年には男子普通選挙法が成立している。外交でも、幣原外交の名で知られる列国との協調が主流となった。

 ただ、1920年代の安定は、不安定なものだった。世界では、リーダーたるべき米国は国際連盟に参加しなかった。日本では、政党の優位は制度的な裏付けを持たず、軍部は強い独立性を持っていた。国際協調主義者が一応優位を占めていたが、パリ講和会議において人種差別撤廃決議が否決されたこと、1924年に米国議会で日本人が帰化不能外国人とされ、移民枠ゼロとされたことなどは、彼らの影響力を傷つけていた。

イ 大恐慌から第二次世界大戦へ

 1929年にアメリカで勃発した大恐慌は世界と日本を大きく変えた。アメリカからの資金の流入に依存していたドイツ経済は崩壊し、ナチスや共産党が台頭した。

 アメリカが高関税政策をとったことは、日本の対米輸出に大打撃を与えた。英仏もブロック経済に進んでいった。日本の中の対英米協調派の影響力は低下していった。日本の中では力で膨張するしかないと考える勢力が力を増した。特に陸軍中堅層は、中国ナショナリズムの満州権益への挑戦と、ソ連の軍事強国としての復活を懸念していた。彼らが力によって満州権益を確保するべく、満州事変を起こしたとき、政党政治や国際協調主義者の中に、これを抑える力は残っていなかった。

 そのころ、既にイタリアではムソリーニの独裁が始まっており、ソ連ではスターリンの独裁も確立されていた。ドイツではナチスが議席を伸ばした。もはやリベラル・デモクラシーの時代ではないという観念が広まった。

 国内では全体主義的な強力な政治体制を構築し、世界では、英米のような「持てる国」に対して植民地再分配を要求するという路線が、次第に受け入れられるようになった。

 こうして日本は、満州事変以後、大陸への侵略<注1>を拡大し、第一次大戦後の民族自決、戦争違法化、民主化、経済的発展主義という流れから逸脱して、世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた。特に中国では広範な地域で多数の犠牲者を出すことになった。また、軍部は兵士を最小限度の補給も武器もなしに戦場に送り出したうえ、捕虜にとられることを許さず、死に至らしめたことも少なくなかった。広島・長崎・東京大空襲ばかりではなく、日本全国の多数の都市が焼夷(しょうい)弾による空襲で焼け野原と化した。特に、沖縄は、全住民の3分の1が死亡するという凄惨(せいさん)な戦場となった。植民地についても、民族自決の大勢に逆行し、特に1930年代後半から、植民地支配が過酷化した。

 1930年代以後の日本の政府、軍の指導者の責任は誠に重いと言わざるを得ない。

 なお、日本の1930年代から1945年にかけての戦争の結果、多くのアジアの国々が独立した。多くの意思決定は、自存自衛の名の下に行われた(もちろん、その自存自衛の内容、方向は間違っていた)のであって、アジア解放のために、決断をしたことはほとんどない。アジア解放のために戦った人はもちろんいたし、結果としてアジアにおける植民地の独立は進んだが、国策として日本がアジア解放のために戦ったと主張することは正確ではない。

 <注1>複数の委員より、「侵略」という言葉を使用することに異議がある旨表明があった。理由は、(1)国際法上「侵略」の定義が定まっていないこと、(2)歴史的に考察しても、満州事変以後を「侵略」と断定する事に異論があること、(3)他国が同様の行為を実施していた中、日本の行為だけを「侵略」と断定することに抵抗があるからである。


ウ 第二次世界大戦後

 第二次世界大戦は、全世界で何千万人にも及ぶ未曽有の犠牲者を出し、国際社会に深い傷を残した。日本人の間でも約310万人の尊い命が奪われた。20世紀後半、国際社会は、もう二度と巨大な戦争による悲惨な事態を繰り返してはならないとの強い決意の下、新たなシステムの構築を進めた。

 国際社会にとり最優先であったのは、戦争の予防と平和の確立であった。第二次世界大戦を防ぐことができなかった国際連盟の失敗を教訓として、1945年、国際連合が設立された。国際連合は、その憲章第1章第2条で、国際関係における武力行使を原則として禁止し、この規範は、大戦後の世界平和における基軸となった。この点、日本は、戦後、不戦に関する国連憲章の規範をもっとも忠実に守った国であったと言える。憲法9条第1項を有する戦後日本の歴史において、軍事的自己利益追求行動は皆無であった。戦後の日本においては、世界中のいかなる場であれ、力による領土等の変更に常に反対する気持ちが国民の間で広く深く共有されており、政府の政策にも貫かれている。

 戦後国際秩序にとってこれと並んで重要だったのが、自由貿易システムの発展だった。第二次世界大戦の要因となった、大恐慌からブロック経済、そして国際貿易体制崩壊という流れを防ぐべく、戦後間もなくブレトン・ウッズ体制が構築され、関税貿易一般協定(GATT)体制の下、国際自由貿易体制が確立された。この自由貿易体制の下、戦後世界経済は大きく発展し、日本もこの体制の主要なメンバーとして、経済成長を達成した。第二次世界大戦前のような武力による生存圏拡大の考え方を信じる人はほぼ皆無となり、自由貿易により繁栄を追求する人が圧倒的多数となった。そして日本は、この中で、アジア諸国を中心に、平和と経済発展による国家の繁栄モデルを提供してきた。

 更に忘れてはならないのは、第一次世界大戦後に生まれた民族自決の動きが、第二次大戦後、多くのアジア・アフリカ諸国において独立、脱植民地化という形で結実したことである。日本も参加した1955年のアジア・アフリカ会議では、植民地主義が糾弾され、基本的人権の尊重を求めるコミュニケが採択された。この流れの中、1950年代から60年代にかけて、アジア・アフリカの多くの国が独立を達成し、第二次世界大戦前に、大国が力によって他国を支配していた時代は終わり、全ての国が平等の権利を持つ世界となった。

エ 20世紀における国際法の発展

 以上振り返ってきた激動の20世紀史を象徴するように、国際法の性格も、20世紀前半と後半で大きく変化した。20世紀前半の国際法は、国家間の紛争の概念を明確に限定したうえで、紛争要因を縮減することを目的とした消極的な性格のものであった。そして、その中心的課題は、戦争をどう制御するかということに絞られ、経済社会問題は基本的には各国の国内管轄事項として、国際法の規律の対象外とされていた。戦争の制御については、1919年の国際連盟規約、1928年の不戦条約を通じて、国際法は、戦争放棄の大きな流れを作ることには成功した。しかし、連盟規約は戦争に訴えるための手続きを厳格化したが、戦争に訴えること自体を禁止したものではなく、また不戦条約も禁止の例外となる自衛権の範囲や「戦争に至らない武力の行使」をめぐり、解釈の余地を残した。なお、国際法上の「侵略」の定義については、国連総会の侵略の定義に関する決議(1974年)等もあるが、国際社会が完全な一致点に到達したとは言えないとする指摘もある。

 20世紀後半の国際法は、各国の共通利益の実現を促進する積極的な役割を担うものに変貌を遂げた。第二次世界大戦の教訓を基に、国際連合の設立を通し、武力行使を国際社会全体で防ぐ体制が整えられた。また、国際貿易体制の崩壊が第二次世界大戦勃発の要因の一つになったことを踏まえ、国際法によって経済面、社会面における各国の協力を推進し、規範を形成する動きが急速に進んだ。人権や環境についての規範の発展もあった。先の大戦に至る過程において、国際連盟を脱退し、不戦条約の抜け穴を利用しようとして武力行使に踏み切った日本が、大戦後においては、憲法9条1項と共に不戦に関する国連憲章規範をもっとも忠実に守り、また国連を中心とする多様な活動に積極的に貢献する国に生まれ変わったことは前述したとおりである。

(2)20世紀からくむべき教訓

 20世紀から我々がくむべき教訓とは何だろうか。第一に、国際紛争は力によらず、平和的方法によって解決するという原則の確立である。力による現状変更が許されてはならない。第二に、民主化の推進である。全体主義の国々において、軍部や特定の勢力が国民の人権をじゅうりんして暴走した結果戦争に突入した経緯を忘れてはならない。第三に、自由貿易体制である。大恐慌からブロック経済が構築され、国際貿易体制が崩壊したことが第二次世界大戦の要因となったことを踏まえ、20世紀後半の世界経済は、自由貿易体制の下で発展してきた。第四に、民族自決である。大国が力によって他国を支配していた20世紀前半の植民地支配の歴史は終わり、全ての国が平等の権利と誇りをもって国際秩序に参加する世界に生まれ変わった。第五に、これらの誕生間もない国々に対して支援を行い、経済発展を進めることである。貧困は紛争の原因となりやすいからである。このような平和、法の支配、自由民主主義、人権尊重、自由貿易体制、民族自決、途上国の経済発展への支援などは、いずれも20世紀前半の悲劇に学んだものであった。

 この世界の歩みは、第二次世界大戦によって焦土と化した日本が、20世紀後半に国際社会の主要メンバーとして発展してきた歩みに重なる。日本は、20世紀の前半はまだ貧しい農業中心の国であり、産業と貿易によって富を築くという考えよりも、領土的膨張によって発展すべきだとする考えが、1930年代には支配的となってしまった。戦前の日本においては、政治システムにも問題があった。明治以来、アジアで初の民主主義国家として発展してきた日本であったが、明治憲法は多元的で統合困難な制度であって、総理大臣の指揮権は軍に及ばず、関東軍が暴発した時、政府はこれをコントロールする手段を持っていなかった。独善的な軍は、戦局が厳しくなるにつれ、国民に対する言論統制を強め、民主主義は機能不全に陥った。そして軍事力によって生存圏を確保しようとする日本に対し、国際的な制裁のシステムは弱く、国際社会は日本を止められなかった。

 しかし、20世紀後半、日本は、先の大戦への痛切な反省に基づき、20紀前半、特に1930年代から40年代前半の姿とは全く異なる国に生まれ変わった。平和、法の支配、自由民主主義、人権尊重、自由貿易体制、民族自決、途上国の経済発展への支援などは、戦後の日本を特徴づけるものであり、それは戦後世界が戦前の悲劇から学んだものをもっともよく体現していると言ってよいのではないだろうか。

http://mainichi.jp/feature/news/20150806mog00m010021000c.html

戦後70年談話:(2)21世紀構想懇談会報告書全文[毎日新聞]

2015年08月06日

2 日本は、戦後70年間、20世紀の教訓をふまえて、どのような道を歩んできたのか。特に、戦後日本の平和主義、経済発展、国際貢献をどのように評価するか。


戦後70年の日本の歩み


ア 敗戦から高度経済成長へ

 戦後の日本は、戦前の失敗から学び、平和、法の支配、自由民主主義、人権尊重、自由貿易体制、民族自決、途上国の経済発展への支援といった近代の普遍的な諸原則の上に立ち、戦後構築された国際的な政治経済システムの中で、経済復興と繁栄の道を歩んできた。

 先の大戦で焦土と化し、敗戦と共に米国を中心とする連合国の占領下におかれた日本にとり、国としての独立と国際社会への復帰、そして経済の再建が急務であった。日本は、1951年にサンフランシスコ平和条約に署名し、同条約により、翌1952年に独立を達成した。サンフランシスコ平和条約に調印しなかった国々とは個別に関係を正常化した。そして日本は、1951年の世銀・国際通貨基金(IMF)への加盟を皮切りに、1955年にGATT、1956年に国際連合、1964年に経済協力開発機構(OECD)への加盟を果たし、国際社会への復帰を果たして行った。また、国交を正常化した国のうち、ビルマ、フィリピン、インドネシア、南ベトナムとは、賠償協定を締結し、賠償事業を実施した。

 日本が今日の政府開発援助(ODA)の形で各国に経済協力を始めたのは1950年代前半であった。1954年のコロンボ・プランへの加盟と共に技術協力を始めた日本は、1958年には最初の円借款をインドに対して供与した。日本のODAは、インフラ整備や技術支援等を通じ、アジア諸国の経済発展に大きく貢献したが、初期の経済協力は日本産品の調達を義務付ける「タイド(tied)」型の援助であり、経済協力を通じて日本経済の復興を図る意図があったことは否めない。

 1950年代半ば以降、日本経済は、高度経済成長を開始した。戦後初期、日本は米国の支援を受けて、経済再建への基礎を築いた。1955年から1973年まで経済成長率は年平均10%を超え、早くも1968年には西ドイツを抜いて自由世界第2位の経済大国になった。この背景には、戦後米国を中心として作られた自由貿易に立脚した国際経済体制が日本産品の輸出を受け入れてくれたことがある。特に米国は、日本のGATT加盟を後押しし、1950年代に依然として日本工業の主力産品であった繊維産業の最大の消費国となって以来一貫して自国市場を日本製品に対して開放してきた。

 ただし、急速に経済成長を遂げた日本であったが、国際社会における自己認識は、この時期はまだ「小国」のものであり、主要先進工業国の一として、自らの市場を大きく開いて国際的な自由貿易の増進に貢献しようとする意識は低かった。また、高度経済成長の過程では「四大公害」をはじめとする環境問題や深刻な都市問題が発生した。


イ 経済大国としての日本

 経済大国になった日本に対し、日本がその国力に見合った責任感や国際政治経済システムの維持に貢献しようとする意思を有しているかどうかという点について、世界は徐々に厳しい目を向けるようになった。いつまでも後発の工業国家として、国内市場を保護しつつ輸出を懸命に増やそうとする日本の姿勢は批判を受け、米国との間では経済摩擦が起こるようになった。また、東南アジアの国民感情に対する配慮が不十分だったこともあり、1974年に東南アジアを歴訪した田中角栄首相は、ジャカルタとバンコクで激しい反日デモにあった。

 それ以降1970年代には、日本企業は、アジア諸国への直接投資によって現地生産を行い、本格的にこれらの国々への技術移転を開始した。日本企業は、自動車や電気製品などの製造拠点をアジア各国に築くとともに、これらの国々において天然ガスや石油鉱物資源の開発を開始し、やがてその資源は日本へ輸出されることとなった。アジア諸国における日本企業の進出は、日本からの技術移転や資源開発支援が増えるほど、これらの国々と日本との貿易も増えるという好循環につながり、日本経済とアジア経済の相互依存関係を構築してきた。また、現地に溶け込んで、共に働くという日本企業の姿勢は、アジアの国々を中心に共感を呼んだ。このような日本企業の努力が、政府開発援助と並んで、アジアにおける日本のイメージを好転させる上で、大きな実を結んだ。こうした経済面における交流に加え、1972年に国際交流基金が創設される等、1970年代、日本とアジアの間では文化面の交流も活発になった。

 1975年に先進国首脳会議(G6、後のG7)が創設されると、日本はその一員となり外交の視野を広げることとなった。1974年の東南アジアにおける反日的な動きを受けて、1977年に福田赳夫首相が発表した「福田ドクトリン」は、軍事大国にならない決意、東南アジア諸国との間で政治・経済のみならず社会・文化を含めた「心と心の触れ合う相互信頼関係」を築くこと、東南アジア全域の平和と繁栄に寄与することをうたい、日本の対アジア協力の方向性を示すことにより、東南アジアの国々に大きな安心感を与えた。

 しかし、安全保障面においては、依然として、日本国内では、国際秩序の安定に積極的に貢献しようとする意識は低かった。また、経済面においても日本は、多国間貿易交渉を着実に受け入れ、激しい貿易摩擦にもかかわらずプラザ合意等を通じて米国を中心とする国際通貨システムを支えることに貢献し、工業製品に対する関税障壁を撤廃したが、従前の農業政策との関連で世界における自由貿易促進に対し、抑制的な面があった。当時の日本は、依然として、安全保障面、自由貿易面で、国際秩序の形成、維持にリーダーシップを発揮し、あるいは、大きな役割を果たすことができなかった。

 日本が、国際貢献の手段として推進したのが経済協力であり、この頃からアンタイド化が進んだ日本のODAは、1989年には世界第1位となった。確かに、敗戦国として焦土から出発した日本が、戦後の安全保障や経済秩序構築、すなわち、システム構築の面での貢献が少なかったことは事実であるが、世界1位となった日本からの経済協力が途上国の経済発展と社会的安定に貢献し、このことが国際秩序の安定につながったことを考えれば、日本による国際貢献は、決して華々しく目立ちはしないが重要なものであった。また、日本の経済協力は、特に1980年代以降、経済発展から得た知識と技術のみでなく、オイルショックにともなう省エネの必要性や公害等の課題を克服する過程で得た経験に基づき、途上国の課題に適合する形で行われてきた。この相手のニーズに沿った形の経済協力が途上国の発展に効率的に貢献してきたことも評価に値する。

 ODAの総額は、延べで有償約16.6兆円、無償約16.3兆円、技術協力約4.7兆円であり、約37.6兆円に上る。戦後、海外からの支援で奇跡の経済復興を果たした日本が、今度は支援する側として途上国の経済開発に貢献してきた日本のODAの歴史は、国際社会における日本に対する信頼を高めたと言える。


ウ 経済低迷と国際的役割の模索

 1989年にベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終結した。東欧諸国では民主革命が相次ぎ、1991年末にはソ連が崩壊するに至った。この頃、日本は、多額のODAを初めて東欧諸国に投入して、東欧諸国の民主化改革、市場経済化を支援した。それは、既に良好であった東欧諸国との関係を、冷戦終了後、一層、強固なものとすることに大きく貢献した。日本の民主化支援は、90年代のASEAN諸国が次々と民主化した際にも行われ、現在も、選挙制度構築支援、法制度改革等の形で引きつがれている

 1990年代の日本は、バブル崩壊を経験し、「経済大国」という自信を失い、国際社会における自らのアイデンティティーを問い直す時期を迎えていた。経済は停滞し、1997年にピークを迎えた政府開発援助(ODA)はその後減少を続けた。当初予算ベースでは、現在は97年に比べて半分近くまで落ち込み、かつて世界1位であった順位も5位にまで後退している。

 他方で、国際経済面において、日本は、1989年に設立されたアジア太平洋経済協力(APEC)を支援しつつ1980年代からアジア太平洋地域における自由貿易の促進に貢献するようになった。冷戦終了後のAPECには、中国、香港、台湾が参加し、1998年にはロシア、ベトナム、ペルーが参加し、名実ともにアジア太平洋最大の経済会議となった。また、日本は、1990年代後半のアジア通貨危機において、影響を受けた国々へ大きな支援を行った。この危機を契機にアジアにおいては、アジア通貨基金やチェンマイ・イニシアチブが創設され、域内国間の自由貿易協定が多く誕生する等、経済面における地域主義の流れが加速した。

 21世紀に入ると、統合を進めるASEANを中心に東アジアサミット(EAS)構想が登場し、2005年にそれが現実のものとなったとき、米国は消極的であったが、日本は、印豪の参加はもとより、将来の米露参加へも開かれたものとすることに大きく貢献した。

 成長を続けるアジア太平洋地域を自由貿易圏に転化していこうとする日本政府の政策は、1980年の大平正芳首相が提唱した環太平洋連帯構想にさかのぼることができるものであり、現在行われている環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉等の経済連携協定をはじめとして、複合的に重なり合うアジア太平洋域内の幾多の経済連携協定締結への流れにそのまま連なっている。


エ 安全保障分野における日本の歩み

 第二次大戦後、日本は、日米安全保障条約が可能にした軽武装、平和路線の道を一貫して歩み、経済発展にまい進してきた。日本は、過重な防衛費を負担することなく安全保障を確保し、経済復興に専念するために、日米安保条約の締結と米軍の駐留継続を選択した。日本が安全保障面において国際秩序の安定に貢献しようとする意識は低く、米国の保護の下、経済発展を遂げるという姿が戦後数十年続いた。

 安全保障の文脈で、日本が「国際貢献」という言葉を広く使い始めたのは、1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻に対するモスクワ・オリンピック不参加からであった。大平首相は1980年1月に「日本は世界平和のために犠牲にしなければならないこともある」と国民に宣言し、これに続き、1983年の米国のウィリアムズバーグに参加した中曽根康弘首相は、日本が国際社会の安全保障問題に関与していくことを明確にし、先進民主主義工業国家としての責任と自覚を公言した。しかし、その後の日本の実際の行動は必ずしもその言葉について行かなかった。1980年代においても、日本は、安全保障問題に関与する意思はあったが、実際に行動を起こさなければいけないという意識はなかった。

 この日本の安全保障問題に関する消極的姿勢は、1990年代に入ると転換を見せる。冷戦が終焉(しゅうえん)し、グローバル化の進行とともに非国家主体が大きな役割を果たすようになった。その一方で、宗教対立、民族対立、テロリズムと人々への脅威が多様化し、これまでの安全保障の概念では対応できないケースが出てくる中、日本は90年代以降、第1次湾岸戦争後の掃海艇派遣(1991年)、国連平和維持活動(PKO)への参加、特に、カンボジア和平と国づくりへの支援(1992〜93年)、更に、その後の日米防衛指針(ガイドライン)改定(1997年)、9・11同時多発テロを契機として始まった米国のテロとの戦いにおけるインド洋給油活動(2001〜10年)、アフガニスタン復興支援国際会議を中心とする同国への支援(2002年〜)、イラクでの人道復興支援(2003〜09年)、ソマリア沖・アデン湾における海賊対策(2009年〜)といった積極的平和主義の歩みを進め、ようやく安全保障分野における積極的な国際貢献を開始した。この積極的平和主義の流れは、今日も続いているが、90年代前半からこれまでの日本行動を振り返ると、実際のニーズからは常に半歩遅れの行動であったことは否定できない。例えば、湾岸戦争での輸送や医療面での協力、インド洋でのパトロール活動への参加、イラクでの住民の安全確保のための活動などは行い得ず、国際社会の要望に完全に応える形で貢献を成し遂げてきているとは言えない。

(2)戦後日本の平和主義、経済発展、国際貢献への評価

 戦後史を振り返れば、日本の国際的行動のなかには軍事的自己利益追求行動は皆無であり、戦後の日本の歩みは、1930年代から40年代前半の行動に対する全面的な反省の上に成り立っている。

 同時に、日本は、20世紀後半に新しく世界のリーダーとなった米国が主導して立ち上がった、平和、法の支配、自由民主主義、人権尊重、自由貿易体制、民族自決、途上国の経済発展への支援を前提とした新しい自由主義的な国際システムに忠実に生きてきた国の一つである。また、戦後構築された政治経済システムは、米国の構想力に負うところが大きかったが、それは人類社会全体が政治、経済、社会的に成熟する方向性と合致していた。日本は、戦後の自由主義的国際システムに正義と利益を見いだし、それを責任ある諸国と共に支えることが国益であると信じることができた。

 敗戦の焦土から立ち上がる間、日本は、暫時、自らの復興に専念していた。しかし、1980年代に入ると、大平首相の環太平洋連帯構想や中曽根首相の「西側の一員」発言が示すように、日本は、国際秩序の構築と維持に貢献する、責任ある大国になろうとする意思と覚悟を示しはじめる。この日本の歩みは、日本国民の対外意識の成熟と歩みを同じくしている。

 戦後70年を経て、日本は、欧米諸国からの支援を受けつつ、奇跡的な経済成長を遂げた後、国際秩序の安定と形成に貢献する国際政治経済システムの主要なメンバーに生まれ変わった。日本は、徐々に、戦後国際秩序の単なる受益者から、秩序維持のコストを分担する責任ある国になってきている。

 日本の国際貢献は、政府開発援助から始まり、自由貿易の促進、地域統合の促進、最後に安全保障面での貢献へと進んでいった。2000年代に入った日本は、安全保障面でも積極的平和主義に転じ、PKOへの参加や周辺事態への関与を通じ、国際社会への貢献を着実に高めようとしている。戦後70年において、日本の安全保障にとって米国の存在は圧倒的であり、日本が世界で最も兵力規模の大きい国々が集中するこの東アジア地域において一度も外国から攻撃を受けることなく、平和を享受できたのは、日米安保体制が作り出した抑止力によるところが大きい。日本は日米安保体制の抑止力と信頼性の向上のために、自衛隊の能力にふさわしい形で、米国との防衛協力を進めてきた。しかし、本来は同盟国である米国との役割分担に従って決めるべき防衛力の水準を「国民総生産(GNP)の1%以内」と日本が定めてきたことは、日米安保体制に一定の制約を課すことにもなった。こうして日本の防衛費は対GDP比では世界100位以下の低水準で済んできたが、中国の軍事費が膨張する中で日本の防衛費を経済指標(GNP)にリンクし続けることの妥当性についての検討も、必要になろう。

 なお、この戦後70年の日本の平和主義・国際貢献路線は、国際社会及び日本国民双方から高い評価を受けているが、その歩みは、戦後突然生まれたものではない。日本の戦後の歩みは、明治維新以後の自由民権運動や立憲君主制の確立などの自由主義的民主制や、国際社会の規範の受容の上に成り立っているものである。もちろん、戦後の日本の自由主義的民主制の確立や、日本の国際社会復帰に米国が果たした役割は大きかったが、明治以来の民主主義の発展や、民主主義国家として、国際平和、民主主義、自由貿易を基調とする国際秩序形成に積極的に関与してきたことが、戦後日本と通底していることを忘れるべきではない。

http://mainichi.jp/feature/news/20150806mog00m010022000c.html

戦後70年談話:(3)21世紀構想懇談会報告書全文[毎日新聞]
2015年08月06日

3 日本は、戦後70年、米国、豪州、欧州の国々とどのような和解の道を歩んできたか。

(1)米国との和解の70年

ア 占領期

 米国を中心とする連合国による対日占領については、それが第二次世界大戦というこれまでにない悲惨な戦争の後の占領である以上、そこに勝者による懲罰的な要素が存在することは避けられなかった。この意味で少なからぬ日本人が米国による占領に何かしらの不満を抱いたことは否めない。しかしながら、1945年から1952年まで続いた占領は、全体としては日本に対して寛大であり、日本人にとっても有益な部分が大きかった。ソビエト連邦による東独及び東欧諸国の占領が相当過酷であったように、占領は、勝者による略奪と収奪に近い状態を意味する場合がある。しかし、米国は日本で露骨な略奪を行うことはなかった。むしろ、戦後の食糧供給をはじめとして、米国は困窮する日本に救いの手を差し伸べた。日本が非軍事化されたということは、勝者による敗者への懲罰という面もあった。米国が日本を民主化へ導いたこと、そして経済発展を支援したことは、長期的には米国の利益にかなうものではあったものの、総じて日本にとっても利益の大きいものであり、多くの日本人がこれを支持した。

 米国による日本占領は、その占領政策の性質により前期と後期に分けることができる。前期は、米国が日本に対し徹底的な民主化と非軍事化を求めた時期であり、1946年に制定された日本国憲法体制がその象徴である。この民主化と非軍事化の流れは、多くの日本国民に支持され、米国の影響力の下に策定された日本国憲法に対しても国民からの支持は強かった。この背景には、明治維新以後脈々と発展してきた日本における民主主義があった。普通選挙制度や大正デモクラシーを通し、既に1920年代には、日本国民の間で民主主義的価値観が相当程度根付いていた。占領期、日本は米国に導かれる形で民主化を遂げたが、これは、米国が日本に民主主義を導入したのではなく、1930年代に軍部や一部の政治家によって奪われた民主主義的な価値を、日本国民が米国の力を借りて取り戻したものである。

 しかし、その占領政策は世界的な冷戦の形成により変容する。占領後期において米国は、日本の経済復興を支援し、西側陣営の一員として米国の封じ込め政策を支持する一員として日本を育成することに政策の主眼を置いた。冷戦の出現という国際環境の変化は、米国と日本をはじめとする旧敵国との関係を大きく変えることとなった。ソ連封じ込めのために可能な限り多くの同盟国を作り、その協力を仰ごうとしていた米国にとり、日本が民主主義国家として経済的に復興し、国際社会における米国の強力な味方となることは非常に魅力的に映った。日本を独立国として自らの側につけるという米国の戦略は、1952年のサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約の発効により具現化する。占領からの独立を果たした日本は、わずか7年前まで激しい戦争を繰り広げた相手である米国と同盟関係を築くに至った。日米同盟は、軽武装の下で自国の安全保障に不安を抱いていた日本に経済発展を追求する道を開き、冷戦下の東アジアにおいて軍事的影響力を維持したい米国にその土台を提供した。強い日本の経済力を必要としていた米国は、日本の復興を重視し、サンフランシスコ講和条約にて賠償は求めず、1955年のGATTへの日本の加盟を支援する等、国際貿易体制への日本の復帰を強力に後押しした。こうして、1950年代には、日米は安全保障面と経済面においてお互いを強く必要とする関係となったが、それは、必ずしも対等なものではなかった。

 この米国の占領政策の切り替えは非常に抜本的なものであり、日本国内にも影響を与えたが、米国の対日政策について、二つの残像を与えることになり、これがアジア諸国の日本観にも大きな影響を与えた。

イ 同盟関係の深化

 終戦からわずか7年でお互いを強く必要とする同盟関係を築いた日米両国は、1960年代においてその関係を更に深化させる。岸信介首相が断行した1960年の日米安全保障条約改定は、片務的であった日米同盟をより双務的で堅固な関係に引き上げた。日本が米国に基地を使用させる義務を負っているにもかかわらず、米国に日本の防衛義務を課していなかったこの条約の改定を主張する日本に対し、米国は当初冷淡であった。しかし、長期的な日米関係の安定を重視した米国は、予想に反し、1952年の条約発効からわずか8年とかなり早い時期に改定に同意することとなる。

 条約改定に対し、日本国内では非常に激しい反対運動が起き、結果として岸内閣は総辞職した。しかし、逆説的ではあるが、この2国間関係にとっての逆風が、日米関係の裾野を一層広げる契機ともなった。日本における安保改定反対運動を見たケネディ大統領は、日本とより深い対話の必要性を説いた日本専門家のエドウィン・ライシャワーを駐日大使に任命し、池田勇人首相との間で日米文化教育交流委員会(CULCON)を立ち上げた。ケネディ大統領と池田首相の試みは、それまで安全保障と経済にほぼ限られていた日米関係の裾野をより広い基盤を持つ関係に深化させ、現在の日米関係の土台となっている2国間の草の根交流の基礎を築いた。

 当時日米関係の最大の懸案の一つであった沖縄返還についても、沖縄の戦略的重要性を強く認識している米国は、当初は後ろ向きであった。沖縄が米国の占領下におかれているという事実は、日米が同盟関係というより戦争の敗者と勝者であるとの印象を人々に植え付ける象徴となっていたが、1960年のベトナム戦争開戦以来、米軍にとっての沖縄の重要性は増す一方であった。しかし、ベトナム戦争が泥沼化し、沖縄の返還にはまだまだ時間がかかると思われていた1967年、訪米した佐藤栄作首相は、ジョンソン大統領との間で共同コミュニケを発表し、この中で沖縄につき、「両3年以内」に双方の満足しうる返還の時期につき合意するとの文言を盛り込むことに成功し、更に69年には、佐藤首相とニクソン大統領の間で、沖縄の1972年の日本への返還が合意された。この背景には、佐藤政権の粘り強い交渉姿勢があったことはもちろんであるが、米国が、中長期的に考えた場合、沖縄返還が安定した日米関係のために不可欠であると判断したことがある。


ウ 緊張する日米関係

 2国間関係の基盤を着々と固めてきた日米であるが、1970年代に入るとその関係は幾度となく困難な場面に直面する。まず、1969年に大統領に就任したニクソンが、1971年7月、日本との協議なしに訪中決定を発表し(1972年大統領訪中)、また、8月、金とドルの兌換(だかん)停止を発表し、それまで順調であった日米関係は緊張した。そして、経済大国になっていた日本を、米国が競争相手として見るようになったのもこの頃であった。既に幾つかの分野で米国の世界市場における優位性を脅かす存在になっていたにもかかわらず、国内市場を保護しつつ輸出を懸命に増やそうとする姿勢を崩さない日本に対し、米国は不満を感じるようになった。

 更にこの頃から米国は、日本が一向にその経済力に見合った国際政治上の責任を負おうとしないと認識するようになっていた。日本は、米国に基地を提供するという日米安全保障条約上の義務を誠実に履行してきてはいたものの、米国は日本の安全保障面での貢献の少なさに不満を募らせていた。米国が日本に対し、明示的に防衛費の増額を要求し始めたのも1970年代であった。

 1970年代末から、第2次石油危機により燃費のよい日本車の対米輸出が急増し、日米の経済摩擦は自動車を中心に激化した。経済摩擦は1980年代を通じて日米関係の大きな懸案となるが、当時摩擦が激化した背景には、1980年代半ばからソ連でペレストロイカが始まり、ソ連がもはや米国にとって脅威ではなくなってきたことにより、米国が日本との関係に配慮する必要性が低下してきたという事情もあった。米国では日本に対する反感が高まり、1980年代において、一時的ではあるが、米国国内では、日本を最大の脅威と見る世論調査すら登場した。

 このように、経済面では摩擦が頻発し、安全保障面では日本の国際貢献に米国が不満を募らせる中、日米同盟の基盤を支えたのは、冷戦下において共に東側諸国に対峙(たいじ)する西側同盟国としての結びつきであった。その冷戦が、1989年のベルリンの壁崩壊とともに終焉に向かうと、日米関係は大きな試練を迎えるのではないかと危惧する声が高まった。


エ グローバルな協力関係に進化する日米同盟

 しかし、1970年代から続いた日米関係の緊張も、その基盤をゆるがすには至らなかった。東アジアは冷戦終結後も不確実性が高い地域であり、その中で日本を同盟国として持ち、日本の基地を使えることは米国にとって大きな魅力であった。日米安保協力は、1980年代半ばに、中曽根首相とレーガン大統領の間で「ロン・ヤス関係」という黄金時代を迎えた。冷戦終焉と共に日米安全保障条約は不要との意見も出るようになったが、北朝鮮の脅威もあり、日米両国は、冷戦後の世界においても日米同盟を堅持する方針を変えず、1996年に橋本龍太郎首相とクリントン米大統領が発表した日米安全保障共同宣言を経て、1997年の日米新ガイドラインにより、同盟関係は更なる強化を遂げた。そして、米国の経済状況が1990年代に入り好転し、日本企業の対米進出が進んだこともあり、米国にとって日本は、それまでの経済的脅威から、自らの維持、発展に欠かすことができないパートナーになっていった。

 この時期、日本では、安全保障政策において大きな変化が生じていた。それまで安全保障面での国際貢献は極めて限定され、ODAでその不足を補っていた日本であるが、バブル崩壊と共にもはやODAに頼る政策は限界に直面していた。更に、湾岸戦争において巨額の財政援助をしたにもかかわらず、国際社会に評価されなかったことは、日本に大きな衝撃を与えた。このような状況において、日本国内では安全保障における国際貢献の必要性への理解が進み、湾岸戦争後のペルシャ湾への掃海艇派遣、カンボジアにおけるPKOへの参加といった現在まで続く日本の積極的平和主義の歩みが始まった。

 米国は日本における安全保障政策の転換を大いに歓迎した。2001年から2006年の小泉純一郎首相とブッシュ大統領の下での強固な日米同盟は、自然に生まれたわけではない。安全保障面における国際貢献を増やしてきた日本は、2001年9月11日に米国に対する同時多発テロが起きると、米国のテロとの戦いをインド洋での給油等を通じて支援し、イラクにも自衛隊を派遣してその復興事業に参加した。米国とブッシュ大統領が高く評価したのは、日本が示し続けてきた積極的に国際平和に貢献していく姿勢、そして、グローバルな安全保障課題に共に取り組む新たな日米同盟の姿であった。


(2)豪州、欧州との和解の70年

ア 根深く残った反日感情

 第一次世界大戦の当事者であり、その戦争の悲惨さを痛感した欧州は、第二次世界大戦前、1919年の国際連盟規約、1928年の不戦条約を通じ、国際社会における戦争防止に向けた大きな流れを作ることを主導していた。この国際連盟と不戦条約による戦争違法化の流れに大きな打撃を与えたのが、1931年の満州事変であった。日本による平和の秩序の破壊は、イギリスの歴史家E・H・カーが、「日本の満州征服は第一次世界大戦後のもっとも重大な歴史的・画期的事件の一つであった」と述べたように、英国やフランスといった欧州諸国に大きな衝撃を与えた。

 日本のアジアにおける覇権拡大の過程で植民地を失い、多くの自国民を捕虜にとられた欧州諸国において、日本に対する反感は国民が広く共有する感情となった。欧州の中でも、多くの自国民が日本との戦争の犠牲となった英国とオランダにおいてこの感情は顕著であり、アジア太平洋で日本と戦火を交え、欧州同様、多数の捕虜を取られた豪州も同様の状況にあった。豪州、欧州が特に大きな衝撃を受けたのは、戦時中の日本による残虐な捕虜の取り扱いであった。第二次大戦中、欧州戦線における戦場での死亡率とドイツ・イタリアにおけるイギリス人捕虜の死亡率は共に5%であったが、日本軍の捕虜となった者の死亡率は25%と突出して高い数字を記録した。豪州、そして欧州の人々に強い憤りを与えた日本による捕虜の扱いは、戦後においても長い間、日本とこれらの国々の和解において大きな禍根を残すことになる。

 サンフランシスコ講和条約において、豪州・西欧諸国と日本の戦争状態は終結し、日本にとっての捕虜の問題も、捕虜への支払いを定めた同条約16条により法的には解決する。日本は同条項に基づき、豪州、欧州を含む14カ国の約20万人の元捕虜に対し、総額約59億円を支払ったが、例えばイギリスでは捕虜個人の受領額が平均76.5ポンドに留まる等、その過酷な経験に比べ、支払額は微々たるものであった。この捕虜問題は、日本と英国、オランダ、豪州とのその後の関係に長い影を落とすこととなる。サンフランシスコ講和条約を結びはしたが、豪州や欧州における日本への嫌悪・反感は根深く残った。条約上、捕虜の問題が政府間では解決済みであることは、各国政府は十分に認識していたが、第二次大戦中における悲惨な経験が記憶に残る元捕虜、そしてその家族にとり、日本は十分な反省と償いを行っていないとの感情が強く残った。1971年に訪欧した昭和天皇に対し、英国、オランダでは退役軍人をはじめとする一部の人々から強い抗議の意が示された。1993年には、英国とオランダの元捕虜団体が日本に対して個人補償を求める訴訟を起こし、1998年に天皇陛下が訪英した際にも、一部退役軍人が抗議の行動に出る等、これらの国々における日本への厳しい感情は、90年代後半まで続いた。


イ 政府、民間が一体となった和解への歩み

 このように、長年にわたり厳しい関係が続いた豪州、英国、オランダと日本の関係であるが、ここ20年の間において大きな進展が見られている。条約によって補償問題が解決している中、被害者個人への償いをどうするかという点は、現在の日韓関係においても見られる非常に難しい問題である。豪州、英国、オランダとの間で日本が取った行動とは、戦争被害者に対する民間支援を政府ができる限りサポートすることであった。

 英国との関係では、1980年代から元捕虜の日本への招待、東南アジアにある墓地への巡礼、横浜の英連邦戦死者墓地における追悼礼拝の開催等、民間においてさまざまな和解に向けた取り組みが行われるようになった。日本政府は、1980年代まではこれらの民間の和解に向けた活動に無関心、不親切であったが、1990年代前半からは積極的にこれらの活動を支援し、最終的には日本政府が日英間の民間の和解活動を全面的に支援するに至る。和解に向けた政府の取り組みはその後、1994年の村山談話による平和友好交流計画へとつながった。10年間で900億円が計上された同計画においては、豪州、英国、オランダをはじめとする諸国との間で各種交流、歴史研究者交流が実施され、これらの国々における対日イメージの改善に大きな役割を担った。

 戦争捕虜の問題に加えて、慰安婦の問題が存在したオランダに対しては、アジア女性基金の事業により、政府予算からの医療・福祉支援事業と首相のおわびの手紙が被害者の方々に支給された。慰安婦問題の存在もあり、オランダは英国に増して厳しい対日感情が存在する国であったが、歴代首相からの真摯(しんし)なおわびの手紙と元被害者への支援事業は、オランダ政府からの理解を得、同国内で肯定的な評価を得た。

 豪州については、同国は終戦直後は極めて厳しい対日観を持つ国であったが、「日本に対する敵意は去るべきだ。常に記憶を呼び覚ますより、未来を期待する方が良い」と語ったR・G・メンジーズ首相が岸首相との間で1957年に日豪通商協定を結んで以来、経済面を中心とした交流が非常に活発となり、豪州国内における対日イメージは改善していった。豪州にとり日本は天然資源の主要輸出先となり、また日本企業が豪州に投資・進出することにより、現在においては、両国は相互になくてはならない存在となっている。


(3)米国、豪州、欧州との和解の70年への評価

 第二次世界大戦は、人類がこれまで経験した中で最も激しい戦争であり、当事者となった各国の国民が経験した苦難は深く、短期間で霧消するものではない。かかる戦争の和解は容易ではなく、そもそも完全な和解は難しいのかもしれない。現に、日本では東京大空襲、広島・長崎への原爆投下、日系人の処遇、米国による占領の在り方について不満を抱いている国民がいるし、米国、豪州、欧州では戦争捕虜の処遇で日本に対して不満を抱いている人々が存在する。しかしながら、完全な和解は無理だとしても、日本と米国、豪州、欧州は戦後70年をかけて国民レベルでも支持される和解を達成したと評価できる。

 戦争を戦った国々においては、終戦後二つの選択肢が存在する。一つは、過去について相手を批判し続け憎悪し続ける道。そしてもう一つは、和解し将来における協力を重視する道である。日本と米国、豪州、欧州は、後者の道を選択した。血みどろの戦いを繰り広げた敵との間でなぜ日本とこれらの国々は和解を遂げ、協力の道を歩むことができたのか。日本との関係で一つ目の道を選択し、和解の道を歩まなかった国々との違いはどこにあるのか。その解は、加害者、被害者双方が忍耐を持って未来志向の関係を築こうと努力することにある。加害者が、真摯な態度で被害者に償うことは大前提であるが、被害者の側もこの加害者の気持ちを寛容な心を持って受け止めることが重要である。これは、日本と米国、豪州、欧州の関係のみならず、独仏関係においてフランス側が、独・イスラエル関係においてイスラエル側がそれなりに寛大であり、ドイツとの関係改善に前向きであったことが現在の良好な関係につながっていることによっても証明されている。

 今日の日本と米国、豪州、欧州の関係は、相互の信頼、敬意、共通の価値観、相互理解、文化の浸透によって結び付けられた堅固な関係になっている。特に1941年から4年間にわたって全面戦争を戦った日本と米国が短期間のうちに堅固にして良好な同盟関係を持つに至ったということは、世界史において稀有な成功を収めた2国間関係であると言え、その歴史的意義は極めて大きい。しかし、前述したように、先の大戦については、いまだ完全な和解は達成されたとは言い難く、米国、豪州、欧州にも日本がまだ十分に謝罪していないと考える人々が存在する。我々は、過去70年間におけるこれらの国々との和解の歴史に誇りを持ちつつ、同時に配慮と謙虚な心を忘れてはならない。

http://mainichi.jp/feature/news/20150806mog00m010023000c.html


戦後70年談話:(4)21世紀構想懇談会報告書全文[毎日新聞]
2015年08月06日

4 日本は戦後70年、中国、韓国をはじめとするアジアの国々とどのような和解の道を歩んできたか。

(1)中国との和解の70年

ア 終戦から国交正常化まで

 日本の戦争責任に対する中国側の姿勢は、第二次大戦終結から現在まで「軍民二元論」という考えの下で一貫している。これは日本の戦争責任を一部の軍国主義者に帰して、民間人や一般兵士の責任を問わないというものであり、極東軍事裁判や対日占領政策において厳しい対日姿勢を示した中国政府も、大戦後中国にとどまっていた日本の一般兵に対しては、武装を解除し、民間人と共に引き揚げさせた。

 戦後間もなく、1949年10月に中華人民共和国が成立し、中華民国が台湾にうつると、世界には二つの中国政府が併存することとなる。米国からの要請もあり、日本は中華民国との間で1952年4月に講和条約を締結し、国交を樹立する。中華民国は、日本への賠償請求権を放棄し、蒋介石総統は「軍民二元論」の考えに基づき、日本には徳をもって怨(うら)みに報いるべきであると説いた。「以徳報怨」という言葉は、その後日本と中華民国の間で歴史問題を防ぐ役割を担うことになる。他方、台湾は、1987年まで憲法を停止して戒厳令を敷いており、蒋介石の対日講和は、国民との合意形成の上で進められたものではなかった。また、1950年代、1960年代において日本と中華民国の間の人的交流は限られており、外交的には日本と中華民国は講和を成し遂げていたものの、日本と中華民国双方の人々の和解には大きな進展はなかった。

 一方、中華人民共和国に目を向けると、1950年代半ばにかけて共産党一党独裁が確立され、共産党は日本に厳しい歴史教育、いわゆる抗日教育を行うようになった。しかし、毛沢東国家主席も蒋介石同様、「軍民二元論」に基づき、日本の戦争責任は一部の軍国主義者にあり、日本国民は被害者であるとの立場を明確にした。日本が中華人民共和国でなく、中華民国との間で外交関係を結んだにもかかわらず、毛沢東が日本に対する「軍民二元論」を唱えた背景には、日本国民、特に民間人を中国にひきつけ、将来的に中華人民共和国を承認するような運動を起こさせるとともに、日本国内の反米運動家や革新派と連携することにより、日本をアジアにおいて政治的に中立化させようとする企図もあった。この毛沢東の方針の下、日本と中華人民共和国との間では、1950年代、60年代に外交関係は存在しなかったが、民間貿易を中心に経済界や日中友好人士の世界において一定の交流があった。

 日本と二つの中国政府との関係は、1960年代後半から70年代前半にかけて大きく変化する。1969年、珍宝島において中ソ国境紛争が発生すると、ソ連との関係に危機感を抱いた中華人民共和国は米国に急接近する。そして1971年に中華人民共和国が国連での代表権を得ると、国交正常化への動きが本格化する。1972年2月にニクソン米国大統領が訪中し、その7カ月後の1972年9月、田中首相は訪中し、中華人民共和国との間で国交正常化することで合意するとともに、中華民国との外交関係は断絶された。

イ 国交正常化から現在まで

 1972年9月、日本と中華人民共和国は、日中共同声明を発表し、国交を正常化した。日中共同声明において、日本側は、「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」とし、これに対し中国側は、「中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」とした。1970年代の中国に目を向けると、1976年に文化大革命が終結し、トウ小平が実権を握り、1978年に改革開放政策が開始される。そして、1978年にトウ小平は中国首脳として初めて訪日し、日中平和友好条約が締結された。同条約は、「すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力または武力による威嚇に訴えないことを確認」し、第二次世界大戦において戦火を交えた両国が真に平和的な関係を築くことを定めた画期的なものであった。この日中友好の流れの中、1979年には大平正芳首相が訪中し、その後総額3兆円に上る対中経済協力が開始されることとなる。この経済協力を中心に、1980年代の日本は中国の経済発展にとってなくてはならない存在となっていく。トウ小平は日本を経済の師と位置付け、中国では政府、国民双方にとり日本の重要性が急速に高まっていった。

 こうして、中国は、経済面において日本への依存を深めていったが、トウ小平は、日本との経済関係強化に努めると同時に、青少年が過去の日本の行いを知らずに歴史を忘却することを恐れ、歴史を強調するようになった。そして、1982年に歴史教科書問題が起こると、この動きは強まった。南京虐殺記念館と盧溝橋の抗日戦争勝利記念館が建設されたのは、それぞれ1985年と1987年であり、現在まで続く中国における抗日教育の素地が醸成されたのは、この時期のトウ小平の指導の下でのことであった。抗日教育による歴史認識の高まりと共に中国国民の間で徐々に反日意識は強くなっていったが、1980年代においては経済分野における友好関係が歴史認識問題を相殺し、日中双方の国民感情は比較的良好であった。また、1989年の天安門事件は、日本国民の対中認識を大きく悪化させたが、日本政府は、1990年代初頭にいち早く対中経済制裁解除に動き、1992年には天皇陛下が訪中される等、天安門事件後も中国に格別の配慮をした。

 1992年の天皇陛下訪中が示すように、1990年代前半まで日中関係は、さまざまな紆余(うよ)曲折はありながらも比較的良好な状態にあったが、1993年に江沢民が国家主席に就任するとその関係は次第に変化していく。1989年に天安門事件が発生し、1980年代後半から1990年代初頭にかけて冷戦の崩壊とともにソ連をはじめとする社会主義国が世界から次々と姿を消す中、中国共産党にとって一党独裁の社会主義体制をいかに存続させるかという点は切実な問題となり、この中で共産党の正当性を強化する手段として愛国主義教育が浮上する。中国共産党はトウ小平時代よりも強化された愛国主義教育を展開し、特に日本との歴史問題は愛国主義教育の中で中心的な位置を占めるようになった。

 日本では、ちょうどこの時期、自民党が初めて政権を失い、55年体制が揺らいだ。戦後50年の1995年には村山富市首相が談話を発表し、この中で第二次大戦中、日本は、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たことを認め、「痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明」した。日本は歴史に対する謙虚な姿勢を示したが、愛国主義を強化していった中国がこのような日本の姿勢に好意的に反応することはなかった。1990年代、中国の経済は成長し、中国の日本への経済面での依存は弱まってきていた。

 なお、この時期台湾においても大きな変化が起きていた。台湾では、1996年に初の総統選挙が実施され、李登輝が民主的に選ばれた最初の総統に就任した。日本と台湾の間では経済分野を中心に、それまでも活発な交流があったが、台湾の民主化は日本における台湾への意識を大きく改善し、更に台湾の良好な対日感情もあり、日本と台湾の交流はその後急速に緊密化していった。

 1990年代後半から高まった反日意識は、小泉首相の靖国参拝や国連安保理改革をめぐる対立をきっかけとして生じた2005年の中国での大規模反日デモを引き起こし、日中関係に大きな傷を残すこととなった。しかし、このデモを機に日中双方において両国関係をどうにかしなければいけないという機運が高まり、2006年に安倍首相と胡錦濤国家主席の間で2国間関係が「戦略的互恵関係」と定義され、この関係を推進していくことが合意された。1990年代初頭から続いた日中間の歴史認識を巡る対立は、この戦略的互恵関係の確認により、一応の区切りを見せたと言える。事実、2007年4月に来日した温家宝首相は国会における演説において、中国は「軍民二元論」を継承していることを明確にするとともに、日本は「歴史問題について態度を表明し、侵略を公に認め、そして被害国に対して深い反省とおわびを表明し」ており、「これを、中国政府と人民は積極的に評価」していると述べ、さらに、日本の戦後の平和発展の道につき、「日本人民が引き続きこの平和発展の道を歩んでいくことを支持します」と述べた。これは、村山談話と2005年の小泉談話に対する中国側からの公式な返答であり、日中間の戦争をめぐる対話、和解の一つの区切りと見なすこともできよう。現在の日中関係において、歴史問題はなお2国間の大きな懸案として存在するが、現在の習近平国家主席も日中戦略的互恵関係の継続を明言している。

ウ 中国との和解の70年への評価

 第二次大戦後70年の日中関係を振り返ると、お互いに和解に向けた姿勢を示したが、双方の思惑が十分には合致しなかった70年であると言える。

 大戦直後の1950年代、60年代、蒋介石が「以徳報怨」の精神を示し、毛沢東も「軍民二元論」の考えを明確化した時代は、ちょうど日本においても先の大戦への戦争責任論や反省についての議論が盛り上がりを見せていた。しかし、当時日本は中華人民共和国とは国交がなく、中華民国との間でも人的交流は限られていたため、双方の人々が交わる形で和解が進展したというわけではなかった。逆に言えば、中国で言論の一定の自由化がなされ、台湾で民主化が達成されたころは、日本では反省や責任論が以前よりも後退した後であり、その時期に民間の関係が広がった。1980年代にトウ小平が日本を経済の師とし、日中関係が経済を中心に急速に親密化した時代は和解が進む絶好の機会であったが、トウ小平は同時に、歴史を強調する決断をし、和解の著しい進展は見られなかった。また、天安門事件発生後、日本が中国の国際的孤立を防ぐために動き、更に戦後50年の村山談話を発表したが、こうした日本側の姿勢は、冷戦後に共産党の正当性を強化する手段として中国側が愛国主義教育を強化した江沢民の時代に重なってしまった。

 時代のすう勢等により、不幸にもうまく合致してこなかった日中の和解への取り組みであるが、双方がこれまで成し遂げてきた努力は無駄になったわけではない。戦後50年を機に村山政権が実行した平和友好交流計画は、2国間の人的交流を拡大した。同計画において立ち上げられたアジア歴史資料センターは、今でも歴史への理解を深めようとする両国の研究者により広く使われている。また、2006年から2010年にかけては、日中間で歴史共同研究も行われた。そして、中国は、「軍民二元論」を戦後維持しており、2007年に温家宝首相が国会演説で述べたように、村山談話や小泉談話など、日本による先の大戦への反省と謝罪を評価する立場を明確にしている。

 2006年に安倍首相が胡錦濤主席との間で確認した戦略的互恵関係は、両国間の人的交流の促進をうたっている。そして習近平主席はこの理念を受け継ぎ、推進すると明言している。今後中国との間では、過去への反省をふまえあらゆるレベルにおいて交流をこれまで以上に活発化させ、これまで掛け違いになっていたボタンをかけ直し、和解を進めていく作業が必要となる。


(2)韓国との和解の70年

ア 終戦から国交正常化まで

 1910年から終戦までの35年間、日本による韓国の植民地統治は、1920年代に一定の緩和もあり、経済成長も実現したが、1930年代後半から過酷化した。日本の植民地統治下にあった韓国にとり、心理的な独立を達成するためには、植民地支配をしていた戦前の日本を否定し、克服することが不可欠であった。1948年に独立した韓国は、サンフランシスコ講和会議に戦勝国として参加して日本と向き合おうとしたが、講和会議への参加を認められず、国民感情的に割り切れない気持ちを抱えたまま戦後の歩みを始めることとなった。更に韓国の立場を複雑にしたのは、冷戦下の国際情勢において、西側陣営の国として日本に協力しなければいけない状況に置かれたことである。同じ朝鮮半島でも、東側陣営に入った北朝鮮が、日本は拒絶する相手だと割り切ることができたのに対し、韓国にとり日本は理性的には国際政治において協力しなければいけない国である一方、心情的には否定、克服すべき相手であるという点でジレンマが生じることとなった。戦後70年間の韓国の対日政策は、この理性と心情の間で揺れ動いてきたものであると言える。

 日本と韓国は、1951年に予備交渉を開始してから実に14年間で7次にわたる本会議での交渉を経て国交正常化を達成するに至る。対日政策において理性と心情が交差する韓国にとり、1965年の日韓国交正常化は、朴正煕政権による理性的な決断であった。日韓請求権・経済協力協定において、日本は、朴正熙政権に、当時の韓国の国家予算の約1年半分に相当する5億ドルの経済協力(無償3億ドル、有償2億ドル)を提供した。同協定第2条は、日韓間の財産・請求権問題が「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と記している。

イ 国交正常化から現在まで

 朴正煕大統領が在任中の日韓関係では、金大中氏の拉致事件や朴正煕大統領暗殺未遂という韓国国民の国民感情を刺激する事件が起きたが、冷戦下における日韓協力を重視する朴大統領の現実主義的な考えの下、日韓関係は比較的安定していた。朴大統領暗殺後においても、1970年代後半から80年代にかけて、日韓関係は安定的に協力関係を発展させる時期を迎える。特に80年代においては、日韓関係強化に積極的であった中曽根首相が全斗煥大統領との間で40億ドルの経済協力に合意し、これを契機とした全斗煥大統領の訪日により、日韓関係は大きく前進した。この時期日韓関係が前進した背景には、冷戦下の国際情勢において日本、韓国双方がさまざまな困難を克服して合理的な判断に到達したということがあった。

 1987年に民主化を達成した韓国は、1988年のソウル五輪を成功させ、経済成長と共に国際的な地位を高めていく。民主化され、強権的な政治体制ではなくなったことにより、韓国国内において理性ではなく心情により日本との関係を再考するための障害はなくなった。この時期、慰安婦問題に関心が集まるようになった。日本は1990年代前半から半ばにかけて河野談話、村山談話を発表し、韓国人元慰安婦に対して女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)による事業を行うなど、日韓間の距離を縮める努力を進めた。その後、1998年に大統領に就任した金大中は同年、小渕恵三首相との間で日韓パートナーシップ宣言を発表し、日韓両国が未来志向に基づき、より高い次元に2国間関係を高めていくことが合意された。日韓パートナーシップ宣言において、小渕首相は、「今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのおわびを述べ」、金大統領は、「かかる小渕首相の歴史認識の表明を真摯に受けとめ、これを評価すると同時に、両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させるためにお互いに努力することが時代の要請である」旨表明した。

 しかし、この良好な日韓関係は金大中の後の盧武鉉政権において変化する。盧武鉉政権には「386世代」が数多く参加していた。1990年代に30代であり、80年代に大学を卒業し、60年代に生まれたこの「386世代」は、1980年代に理性を重視し、国内の心情を抑圧した強権的な政権に大いに反発していた世代であり、盧武鉉政権内において極めて反日的な理念を主張した。盧武鉉大統領は、就任当初は小泉首相との間で首脳のシャトル外交に合意する等の姿勢も見せていたが、やがて世論に押され、2005年3月の三・一独立運動記念式典における演説にて日本に謝罪と反省を求め補償の必要性にも言及するようになった。盧武鉉政権が対日姿勢を変化させた背景には、「386世代」が政権内で反日的な主張を展開したこともあったが、当時の日本側の動きが韓国の国民感情を刺激していた面もあった。また、2002年のサッカー・ワールドカップや日本における韓流ブームを通じて日韓国民間の交流は増えたが、同時に日韓双方の国民のお互いへの不満も蓄積されていった。相互交流が増えた当初、日本人が自分と同じ考えを持っていると期待した韓国国民は、歴史問題をはじめとする諸課題につき、時間の経過と共に日本との感覚の違いが明らかになってくるにつれ、当初の期待が裏切られたと感じ、憤りを覚えるようになった。ただし、この感情は、韓国国民が日本人に対して一方的に抱いたものでなく、日本国民も同様に、当初同じ考えを持っていると期待した韓国人が、日韓基本条約を平然と覆そうと試みるのを見て、また法の支配に対する考えの違いに愕然(がくぜん)とし、韓国人への不満を募らせていった。

 2008年に10年ぶりの保守系政権として李明博政権が誕生すると、日本は同大統領が理性に基づいた対日政策を選択し、盧武鉉政権で傷ついた2国間関係が改善することを期待した。李明博大統領は、日米との関係強化を推進し、未来志向に基づいた日韓歴史共同研究(第2期、第1期は2002〜2005年)を始める等、就任当初は理性に基づき日本との関係を管理するかに思われた。しかし、2011年8月に韓国憲法裁判所が、韓国政府が慰安婦問題について日本と交渉を行わないことは憲法違反であるとの判決を出すと、同大統領の対日政策は変化し、国民感情を前面に押し出して日本に接するようになる。同年12月に行われた日韓首脳会談において、李明博大統領は慰安婦問題につき日本が誠意を示すよう求め、また、2012年8月には竹島に上陸し、李明博政権末期には日韓関係はこれまでで最悪の状態に陥った。竹島については、自ら問題を大きくする意図は有していなかった日本であるが、李明博大統領による一方的な行動により、その態度は硬化することとなった。

 李明博政権の後半から悪化した日韓関係は、韓国政権が朴槿恵政権に代わっても、改善の兆しが見えない状況が続いている。朴槿恵大統領は、李明博政権下で傷ついた日韓関係の修復に取り組むどころか、政権発足当初から心情に基づいた対日外交を推し進め、歴史認識において日本からの歩みよりがなければ2国間関係を前進させない考えを明確にしている。盧武鉉、李明博という過去2代の大統領が就任当初は理性に基づいて日本との協力関係を推進したのに対し、朴槿恵大統領は、就任当初から心情を前面に出しており、これまでになく厳しい対日姿勢を持つ大統領である。この背景には、朴大統領の慰安婦問題に対する個人的思い入れや、韓国挺身隊問題対策協議会のような反日的な団体が国内で影響力があるということもあるが、それに加えて、韓国の中で中国の重要性が高まり、国際政治における日本との協力の重要性が低下していることが挙げられる。中国の重要性が高まった背景には、中国への経済的依存度の高さや朝鮮半島統一問題における中国への期待の高まりがある。


ウ 韓国との和解の70年への評価

 第二次大戦後の70年を振り返れば、韓国の対日観において理性が日本との現実的な協力関係を後押しし、心情が日本に対する否定的な歴史認識を高めることにより2国間関係前進の妨げとなってきたことがわかる。いまだ成し遂げられていない韓国との和解を実現するために我々は何をしなければいけないかという問いへの答えは、韓国が持つ理性と心情両方の側面に日本が働きかけることであると言える。

 理性への働きかけにおいては、日本と韓国にとって、なぜ良好な日韓関係が必要であるかを再確認する必要がある。朴槿恵政権が中国に依存し、日本への評価を下げたことにより、同政権が日本と理性的に付き合うことに意義を見いだしていない現状を見てもこのことは明らかであろう。このためには、自由、民主主義、市場経済といった価値観を共有する隣国という側面だけではなく、2国間の経済関係やアジア地域における安全保障分野における日韓協力がいかに地域そして世界の繁栄と安定に重要かといった具体的事例を持って、お互いの重要性につき韓国との対話を重ねていく必要がある。朴槿恵大統領の日本に対する強硬姿勢は最近になり変化の兆しを見せており、経済界における日韓間の対話は依然として活発であるところ、政府間の対話も増やす余地はあると言える。

 心情への働きかけについては、日本は、特に1990年代において河野談話、村山談話やアジア女性基金等を通じて努力してきたことは事実である。そしてこれら日本側の取り組みが行われた際に、韓国側もこれに一定の評価をしていたことも事実である。こうした経緯があるにもかかわらず、今になっても韓国内で歴史に関して否定的な対日観が強く残り、かつ政府がこうした国内の声を対日政策に反映させている。かかる経緯を振り返れば、いかに日本側が努力し、その時の韓国政府がこれを評価しても、将来の韓国政府が日本側の過去の取り組みを否定するという歴史が繰り返されるのではないかという指摘が出るのも当然である。しかし、だからと言って、韓国内に依然として存在する日本への反発に何ら対処しないということになれば、2国間関係は前進しない。1998年の日韓パートナーシップ宣言において、植民地により韓国国民にもたらした苦痛と損害への痛切な反省の気持ちを述べた小渕首相に対し、金大中大統領は、小渕首相の歴史認識の表明を真摯に受けとめ、これを評価し、両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させるためにお互い努力することが時代の要請であると述べた。にもかかわらず、その後も、韓国政府が歴史認識問題において「ゴールポスト」を動かしてきた経緯にかんがみれば、永続する和解を成し遂げるための手段について、韓国政府も一緒になって考えてもらう必要がある。2国間で真の和解のために韓国の国民感情にいかに対応するかということを日韓両国がともに検討し、一緒になって和解の方策を考え、責任を共有することが必要である。


(3)東南アジアとの和解の70年

ア 東南アジアとの和解の70年

 1945年に第二次世界大戦が終結してからの10〜15年間は、東南アジアにおいて各国が独立を達成し、民族自決の機運が盛り上がりを見せた時期であった。東南アジアは19世紀末までにタイを除き全ての国が欧米により植民地化され、第二次大戦中は日本の支配下にあった。したがって、東南アジアの国々にとっては、独立時の喫緊の課題は経済発展を成し遂げ、名実共に自立することであった。大戦後、世界は自由主義体制と社会主義体制の間で冷戦に陥った。しかし、東南アジアでは体制選択の焦点は共産主義と民主主義ではなく、いかに国家建設・経済発展を実現するかにあった。こうした状況下、東南アジアでは独裁的な政権が上から国家建設・経済発展を推進しようとする開発独裁型国家が相次いで誕生した。1957年のタイにおけるサリット政権の誕生、1965年のシンガポール独立とリー・クアンユー政権の発足、同年のフィリピンにおけるマルコス政権誕生、1966年のインドネシアにおけるスハルト体制の成立と、東南アジアの多くの国々で上からの国家建設・経済発展が選択された。その一方、インドシナは冷戦の時代、事実上、戦争が続き、本格的な経済発展は冷戦終焉以降に始まった。

 日本は東南アジア諸国と賠償、準賠償協定を締結し、和解を進めた。経済発展を最優先事項とした当時の東南アジア諸国にとって、日本からの賠償、その後の経済協力は極めて大きな意味を持ち、日本と東南アジアの和解に大きな役割を果たした。また、日本企業も、1970年代以降、東南アジア諸国への直接投資と技術移転、さらには国境を越えた生産ネットワークの展開によって経済の相互依存関係が進展し、経済分野を中心に人的交流が活発化し、国民間の和解が進んだ。

 しかし、1970年代には、東南アジア諸国で日本の経済進出に対する反発もあり、これが1974年の田中首相の東南アジア歴訪時の反日デモ、反日暴動につながった。こうした動きに対応して、日本は1977年、福田首相が「福田ドクトリン」を発表した。「福田ドクトリン」は、日本が軍事大国にならないこと、東南アジア諸国との間で「心と心の触れ合う相互信頼関係」を築くこと、東南アジア全域の平和と繁栄に寄与することをうたい、東南アジアの国々に大きな安心感を与えた。また、同年に立ち上げられた日・ASEAN首脳会議は2014年で17回目を迎え、1970年代からこれまで脈々と強化されてきた日・東南アジア関係を象徴する存在となっている。

 日本との間で第二次大戦中の慰安婦問題が存在したフィリピン、インドネシアとの間では、1990年代のアジア女性基金の活動により、同問題に関する和解は大きく進んだ。このうちフィリピンでは、アジア女性基金から償い金が支払われ、日本政府による医療福祉支援事業が実施され、そして首相からのおわびの手紙が被害者の方々へ渡され、インドネシアでは高齢者社会福祉推進事業が実施されたことにより、慰安婦問題に起因する反日感情は大きく和らぐこととなった。


イ 東南アジアとの和解の70年への評価

 日本と中国、韓国との関係に比べ、日本と東南アジアとの関係は、この70年間で大きく改善し、強化された。この背景には、中国、韓国の国民の歴史において戦争、植民地支配の苦しい経験の中で、まさに日本が敵となっているのに対し、東南アジアの国々の国民の物語の中では、日本は主たる敵とされていないことがある。日本の支配下、たいへん苦しい思いをした東南アジアの人々は大勢いた。しかし、その前に長年にわたる欧米の植民地統治を経験していた彼らにとって、日本は第二、第三の植民地勢力であり、植民地支配と戦争の苦難が全て日本の責任であるということにはならなかった。

 シンガポールのリー・クアンユー元首相が、日本の第二次大戦中の行いにつき、「許そう、しかし忘れまい(Forgive, but never forget)」と言ったように、東南アジアの国々では大戦中に日本がひどい事をしたという記憶は残っている。我々はこれに留意しなければいけない。第一次大戦後、世界的に民族自決の動きが高まっていたにもかかわらず、1930年代から日本はその潮流に逆らい帝国建設を進め、アジアのナショナリズムと衝突すると同時に英米をはじめとする列強も敵にするという国策上致命的な過ちを犯し、アジアの国々の国民を傷つけた。

 インドネシアでは残留した日本兵が独立のために戦ったという事例もあった。しかしながら、膨大な数の犠牲者が出たフィリピンやシンガポールをはじめとし、東南アジアの人々の中にも、大戦中、日本によって自分の親族や友人を失い、たいへん苦しい思いをした人が少なくないことを忘れてはならない。日本と東南アジアの国々は現在、非常に友好的な関係をもっているが、こうした経験は東南アジア諸国の国民の間で物語として今も受け継がれている。

 東南アジアの国々は日本が戦後一貫して平和路線を貫き、アジア諸国の発展に貢献してきたことを認識しており、日本との関係をとても大事にしている。東南アジアの指導者からは、「日本はどんな時でもサポートしてくれる。それが一番大事である」という言葉をよく聞く。1990年代後半にアジア通貨危機が発生し、東南アジア諸国が破滅の危機にあった際、日本は多額の財政支援を行い、これらの国々の経済再建に少なからぬ貢献をした。最近の例で言えば、インドネシアのジョコ・ウィドド大統領が就任後初めて訪問したアジアの国は日本であったし、第二次大戦中に日本の戦場となり多数の犠牲者が出たフィリピンのアキノ大統領は、来日時の国会における演説で、「先の大戦は我々全員にとって悲惨なものであり、大戦がもたらした苦しみに対し、全ての人々がつらい思いを覚えました。しかし、その灰じんの中から我々両国民の関係が不死鳥のようによみがえったのです」と述べた。戦後70年の間をかけて東南アジアで育まれた日本への信頼を大事にしつつ、同時に東南アジアの人々の心に残る大戦中のつらい思いに謙虚に向き合い、我々は東南アジアとの協力関係を今後一層強化していく必要がある。

http://mainichi.jp/feature/news/20150806mog00m010024000c.html

戦後70年談話:(5)21世紀構想懇談会報告書全文[毎日新聞]
2015年08月06日

5 20世紀の教訓をふまえて21世紀のアジアと世界のビジョンをどう描くか。日本はどのような貢献をするべきか。

20世紀の世界が経験した二つの普遍化

 21世紀のアジアと世界はどうあるべきか、そして日本は理想的なアジアと世界の構築のためにいかなる貢献をしていくべきか。

 この問いに答えるために、我々は、20世紀における世界と日本の歩みを振り返り、そこから得た教訓について考えてきた。世界は、20世紀に2度の世界大戦をはじめとする幾多の戦乱、植民地支配、革命、人権抑圧、ブロック経済を経験した。そして、これら対する反省を基に、平和、法の支配、自由民主主義、人権尊重、自由貿易体制、民族自決、途上国の経済発展への支援といった諸原則が広く共有されるようになった。この世界史の中で、日本は、1930年代から40年代前半にかけて、当時の国際的潮流に逆らう形で軍事力を行使してアジアにおいて膨張し、第二次世界大戦の大きな要因を作った。そして、この大戦に敗れた日本は、戦争に突入するに至った過程と戦中のさまざまな行為を痛切に反省し、戦後は、先述したような国際社会の共通原則に極めて忠実に生きることで、繁栄を実現した。以上の点は本報告書の第1章において前述したとおりである。

 このような国際社会におけるルールと価値観の転換が、20世紀の世界において非常に大きな変化であったという点は明らかである。しかし、我々は、21世紀のアジアと世界像を考える際に非常に重要な20世紀の世界におけるもう一つの大きな変化にこれまであまり触れてこなかった。それは、国際社会の構成員が20世紀を通して大きく変わったという事実である。

 20世紀初頭、世界は独立国家と植民地に大きく二分されていた。西欧、米国、ロシア、日本は世界を植民地にしていた。今では許されない価値観であるが、列強は、進んだ国々が、「野蛮」「未開」の地域を文明化するために植民地化するという構図を世界で普遍化しようとした。しかし、この流れは、第一次大戦において、民族自決の理念が登場するとともに一旦停止することになった。そして、第二次大戦により、決定的な打撃を受けることとなった。

 第二次大戦後、戦勝国の植民地も宗主国に対して協力することによって戦後の独立を約束されるなど、独立への道を進んだ。英国、フランス、オランダなどの東南アジアにおける植民地も、日本の進出によって大きな打撃を受けた。戦後、英国、フランス、オランダは植民地支配の回復を目指したが、これを実現することはできなかった。日本はアジアの解放を意図したか否かにかかわらず、結果的に、アジアの植民地の独立を推進したのである。そして、新しく生まれた独立国に対し、日本は戦後、賠償さらに経済援助を通じて、その自立に協力していった。

 20世紀初頭、列強は、「文明化」の名目のもと植民地を支配し、帝国主義という自らの価値観を世界において普遍化しようとした。第二次大戦後の1950年代、60年代に植民地が苦難の末独立を達成し、民族自決が尊いものであるという価値観が確立され、世界に多くの主権国家が誕生した流れは、20世紀の世界における二つ目の普遍化であったと言える。

(2)21世紀における新たな潮流

 1960年代までに多くの植民地が独立を達成したことにより、世界中全ての国が平等の権利を持って国際社会に参加するシステムが生まれた。そして、新たな国際社会の繁栄の原動力となった諸原則が、平和、法の支配、自由民主主義、人権尊重、自由貿易体制、民族自決、途上国の経済発展への支援であった。この中で、国際社会でこれらの価値観の旗手となり、世界の繁栄をリードしてきたのは米国であった。そして日本は、米国と緊密に連携しつつ、国際社会の普遍的な諸原則を尊重し、推進することにより、自らの繁栄を成し遂げるとともに、世界の平和と繁栄に貢献してきた。今日の世界における多くの国々と日本の平和と繁栄が、20世紀後半のシステムの成果の上に成り立っており、この流れを21世紀においても維持することが非常に重要となる。とはいえ、今世紀に入り、世界では二つの新たな潮流が生まれてきている。

 まず、新興国の台頭と共に、世界秩序におけるパワーバランスが変化を見せている。IMFの経済予測によれば、2000年に66%であったG7の世界経済に占めるシェアは、2018年には45%に下がり、新興国が20%から42%に増加すると見込まれる。そして中国のシェアが2000年の4%から2018年に14%に上がるのに対し、北米、欧州のシェアが58%から2018年44%、日本のシェアが、15%から6%に下がると見込まれている。こうした中でも、米国は当面世界秩序をリードし、共通価値観の旗手としての役割を維持すると考えられるが、その力はこれまでのように他を圧倒するものではなくなっている。

 もう一つの変化は、中東やアフリカの一部に安定した国家建設が進んでいない現実があるということである。そこでは、国家の領域を越えるさまざまな団体の動きが活発化しており、世界全体の不安定要因となっている。更に、グローバル化の進行とともに、宗教宗派対立、民族対立、各種のテロリズムといった形で脅威が多様化し、これまでの伝統的な安全保障の概念では対応できない局面が増えてきている。こうした新しい構造変化が、爆発的な人口増加と幾何級数的に伸びる情報通信技術の普及によってもたらされる世界のスピード化の中で起こっている。一方で、肯定的な意味での多様化にも目を向けたい。現在の世界では、民族や文化や宗教や政治体制を超えて人々が集まり、交流し、その集合の中から新たな価値や技術が生まれてきている。グローバル化の進展とともに脅威が多様化する一方、平和への貢献において、従来の国家や国際機関にとどまらず、非政府組織(NGO)など非国家主体が市民外交や紛争後の復興支援等に建設的な役割を果たしている。我々は、こうした非国家主体とも協力し、地域の安定化と国家建設に貢献していかなければいけない。


(3)世界とアジアの繁栄のために日本は何をすべきか

 21世紀の世界と日本の平和と安定のためには20世紀後半の国際的共存システムを維持することが非常に重要である。その一方、21世紀の世界における新たな潮流を前に、これからの日本には従来とは違う役割が求められてくる。米国の力が圧倒的でなくなり、国際秩序における不安定要因が多様化する中、日本はこれまで以上に積極的に国際秩序の安定に寄与する必要がある。

 まずアジアに目を向けたい。米国の国力が相対的に低下している中、米国がこれまで果たしてきたアジアの安定に絶対的な役割を担うことは難しい。かかる状況下、日本もこの地域においてバランス・オブ・パワーの一翼として、地域全体の平和と繁栄に従来にもまして大きな責任を持っていくべきであろう。アジアには、平和、法の支配、自由民主主義、人権尊重、自由貿易体制、民族自決、途上国の経済発展への支援といった諸原則を日本と共有する国が多い。日本にはアジアにおいて、自由主義的なルールの形成を主導し、コンセンサスによって地域のシステム創成をリードしていく意欲が求められる。そして、ルールを作る際には、地域の関係国全てが納得する形で作ることが重要である。

 しかし、日本にとっては、第4章で述べたとおり、中国、韓国との間では和解が完全に達成されたとは言えず、和解を達成した東南アジア諸国においても、日本に複雑な感情を抱いている人々も存在する。さらに、その他の歴史問題も残っている。中国、韓国との間では地道に和解に向けた話し合いを続け、同時に東南アジアの国々には過去を忘れずに謙虚な態度で接することが重要である。

 当然のことながら、国際社会で日本に求められる役割はアジアにとどまらない。国際秩序の不安定要因が多様化する中においては、米国をはじめとする友好国と協力し、グローバルな課題にもこれまで以上の責任を負うことが求められる。第二章において、戦後日本が国際秩序安定への役割をいかに発展させてきたかを振り返った。21世紀の日本は、この流れを加速させ、更なる責務を負っていく必要がある。国際社会は、1990年代前半から脈々と発展してきた日本の積極的平和主義を評価しており、安全保障分野において日本が今後世界規模で従来以上の役割を担うことが期待されている。今後、日本は、非軍事分野を含む積極的平和主義の歩みを止めず、これを一層具現化し、国際社会の期待に応えていく必要がある。経済面における国際秩序の安定においても日本に期待される役割は大きい。21世紀に入り、世界では、地域経済協定が乱立し、新たに経済力をつけてきた国々が自分たちの基準を普遍化しようとする動きが出てきている。自由貿易という20世紀世界経済発展の根幹となったシステムを21世紀においても維持・進化させていくためには、多くの国が参加する普遍的なルール作りが求められる。現在交渉中のTPPは、アジア太平洋における普遍的な自由貿易のルールとなるが、これに加え、その影響力に陰りが見える世界貿易機関(WTO)の復権に日本が指導的役割を発揮し、全世界的な自由貿易システムの構築を目指すことも、国際経済秩序安定のために意義がある取り組みだと言える。世界の意思決定が分極化し、さらなる貿易自由化への旗振り役がいなくなった世界で、日本の責務は大きい。日本はTPPを超えて更に、アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)への動きをけん引していくべきであろう。

 上記の貢献策は日本が全く未経験の施策ではなく、戦後70年間に実績を上げてきた日本の国際貢献を拡大するものにほかならない。しかし、一国が国際的な役割を増大するに際しては、国内外で懸念や反対の声が出ることも珍しくない。日本政府は、国民に対しては、新たな貢献の意義につき十分に説明をして理解を得るよう努め、各国に対しては、日本は国際社会で共有された価値観に基づき関係国との合意によって物事を成し遂げていく国であることを丁寧に説明していく姿勢が求められる。

http://mainichi.jp/feature/news/20150806mog00m010025000c.html

戦後70年談話:(6)21世紀構想懇談会報告書全文[毎日新聞]
2015年08月06日

6 戦後70周年に当たって我が国が取るべき具体的施策はどのようなものか。

 本懇談会では、首相から提示を受けた論点に従い、20世紀の世界と日本の歩みを振り返り、これからの世界と日本の在り方につき考えてきた。これまでの議論を踏まえ、懇談会は、戦後70年に当たって日本が取るべき具体的施策につき、「歴史に関する理解を深める」「国際秩序を支える」「平和と発展に貢献する」「国を開く」という観点から分類しつつ、以下の点を検討するよう提言する。

(1)「歴史に関する理解を深める」

ア 近現代史教育の強化

 日本の近現代史の教育ははなはだ不十分であり、高校、大学における近現代史教育を強化すべきである。高校については、近現代史の科目を新たに設け、必修科目とすることが望ましい。その教育の内容については、日本史、世界史、政治経済、公民、地理等の専門家を集め、「世界の中の日本」の視点から、根本的に検討することが必要である。

イ 歴史共同研究

 世界各国の研究者が世界史やアジア史について共同研究を行う場を提供すべきである。これまで日本は、中国、韓国との間で2国間の歴史研究は実施してきたが、さらに各国の歴史について相互に理解を深めるとともに、グローバルな視点から過去を振り返るため、20世紀における戦争、植民地支配、革命などについて、多くの国が参加した形での歴史研究の実施をめざすべきである。

 さらに、21世紀の国際関係の在り方について研究する国際的なフォーラムを構築することが考えられる。これらの計画推進の主体は民間とし、政府が距離を置いた形で支援することが望ましい。

ウ アジア歴史資料センターの充実

 国立公文書館により運営されているアジア歴史資料センターについては、国内のみならずアジア諸国の学者からも高い評価を受けているが、現在取り扱われている資料は第二次世界大戦前のものに限定されているところ、戦後の資料についても収集、公開する必要がある。

エ 戦没者の問題への取り組み

 第二次大戦中、多くの兵士が兵器や食糧を満足に支給されずに戦場へ送り出され、また、国民は空襲にさらされ、多くの犠牲者が出た。遺骨収集等の戦没者の問題につき、政府は取り組みを強化しなければならない。


(2)「国際秩序を支える」

ア 国連改革

 平和維持・紛争解決の中心的役割を担うべき国連安保理の機能が、最近低下している。従来より日本は国連安保理改革を主張してきたが、この努力を加速させる必要がある。

イ 貧困の削減

 国際社会における紛争や暴力の大きな原因となっている貧困の削減への取り組みを一層強化する。そのために、持続的な経済成長の実現を支援し続けることが重要であり、インフラ整備、貿易・投資の活性化、法制度整備、人材育成等の促進を図るべきである。この目標のためにも、対GDP比で約0.2%にとどまっている日本のODAを増額する必要がある。更に、過去の教訓や成果を国内外で共有し、貧困対策の質についても、向上を図る必要がある。

ウ 人間の安全保障

 貧困、環境破壊、自然災害、紛争といった問題が国境を越えて相互に関連しあう今日の世界においては、従来の国家を中心に据えた対応だけでは不十分になってきている。個人が尊厳を持って生きることができるように、人間の安全保障の考えの下、環境問題、気候変動、自然災害への対策、人道支援や紛争によって影響を受けた人々の救済、ポスト2015年開発アジェンダ等の取り組みにこれまで以上に積極的に取り組むべきである。

 また国連難民高等弁務官事務所やユニセフ等の国際機関への支援をさらに強化するほか、国際協力機構(JICA)やNGOを通じ、日本の専門性や人材を生かした支援も充実すべきである。なお、不安定な地域への支援に当たっては、草の根レベルでの支援を通じた信頼醸成を促すことも必要である。

エ 国際社会における女性の地位向上と活躍推進

 女性の活躍推進のための国際協力、特に途上国支援を一層強化し、また各国との女性交流を促進する必要がある。

 また、女性と平和・安全保障の問題を明確に関連づけた初の安保理決議である国連安保理決議1325号の国別行動計画については、日本は未作成であるところ、政府と市民社会が連携して早期に策定し、実施及び評価を行っていく努力が求められる。

オ 軍縮・不拡散の推進

 これまで果たしてきた軍縮・不拡散における主導的な取り組みを一層強化し、国際社会の安定に更に貢献していくべきである。軍備、通常兵器の移転等の規制や、核兵器をはじめとする大量破壊兵器やその運搬手段などの関連物質・技術の拡散を防ぐことが日本の重要な国際貢献となる。

カ 文明間対話の促進

 人種・民族・宗教の違いが紛争の大きな原因となることが少なくないことに鑑み、日本は、イスラム世界等の他文明、他宗教との対話を更に深めていく必要がある。


(3)「平和と発展に貢献する」

ア 安全保障体制の充実

 日米同盟が国際公共財としてアジア・太平洋の安定に寄与していることは広く認められている。日本は自らの防衛体制を再検討すると共に、この日米同盟をさらに充実する必要がある。

 なお、日米安保体制を支えるための負担が沖縄に過重になっていることにかんがみ、この負担を日本全体で担うための一層の取り組みが求められる。

 また、自衛隊は国際平和協力活動により積極的に参加し、世界の安定に貢献すべきである。その際、多様化・複雑化する現地情勢、PKO任務や復興支援、人道援助機関との関係について十分な研究が必要である。


イ 自由貿易体制の維持・進化

 自由貿易体制を維持・進化させていくため、日本は、現在交渉中のTPPに加え、FTAAP実現に向けた取り組みをけん引していくべきである。また、その影響力に陰りが見えるWTOの復権に取り組み、全世界的な自由貿易システムの構築を目指すことにも意義がある。

ウ 日本の知識、経験、技術をいかした国際社会への貢献

 日本の高度な産業技術を活用し、大学と民間企業が各国のインフラ整備への協力を促進することが重要である。

 また、日本が豊富な知識、経験、技術を持つ、環境汚染、気候変動、防災の分野において、官民双方において各国との協力を更に推進すべきである。

(4)「国を開く」

ア 開放型社会への転換

 急速に進む世界の多様化に対応するためには、できる限り多くの国内規制を撤廃し、意識を改革して開放型の社会を作らなければならない。

イ 国際的な人材の育成

 国際社会において広く活躍できる人材の育成を強化すべきである。国連等の国際機関、NGO、企業を含め、あらゆる分野で国際的に活躍できるような専門性と実務能力を持つ人材の育成に力を入れるべきである。また、若手の人材育成に加え、高度な専門家、幹部レベルの人材を効果的に発掘・活用していくべきである。なお、この観点で、青年海外協力隊の強化も重要となる。青年海外協力隊への参加者が減少する中で、政府、民間が一体となって、協力隊へ参加する魅力を高めることにより、優秀な人材を確保することも求められる。

ウ アジアとの青少年交流

 戦後50年を機に実施された、「平和友好交流計画」のように、アジア諸国との青少年交流をこれまで以上に活性化する必要がある。特に日本との間で和解が進んでいない国々との青少年交流を重点的に増やすことが重要である。

http://mainichi.jp/feature/news/20150806mog00m010026000c.html



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/260.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 「満州事変以降、侵略を拡大」 70年談話で有識者懇報告書

「満州事変以降、侵略を拡大」 70年談話で有識者懇報告書[日経新聞]
2015/8/6 16:59

 安倍晋三首相が戦後70年談話の作成のために設けた私的諮問機関「21世紀構想懇談会」の座長を務める西室泰三日本郵政社長は6日、首相官邸で首相に報告書を手渡した。報告書では「(1931年の)満州事変以後、大陸への侵略を拡大し、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」と明記し、先の大戦を侵略戦争だったと位置づけた。

 首相は報告書の内容を踏まえ、14日にも発表する70年談話の表現ぶりについて最終調整に入る。

 報告書では「1930年代以降の日本の政府、軍の指導者の責任は誠に重い」と指摘。日本の戦後の歩みについては「戦前の失敗から学び」、「もう二度と戦争の悲惨な事態を繰り返してはならないとの決意の下」で、平和国家としての歩みを進めたと評価した。

 今後の取り組みでは、歴史への理解を深めるための近現代史教育の強化を促した。これまでのような中国や韓国との2国間の歴史研究だけでなく、多くの国が参加する歴史の共同研究を実施し、グローバルな視点から過去を振り返るべきだとも提言した。

 中国との関係では「歴史問題はなお2国間の大きな懸案として存在する」と指摘。その上で「過去への反省を踏まえ、これまで掛け違いになっていたボタンをかけ直し、和解を進める作業が必要だ」とした。

 韓国とは「韓国の理性と心情の両方に日本が働きかける」ことを通じ、真の和解に向けて日韓が一緒になって韓国の国民感情に向き合っていくことが必要だとした。

 懇談会の委員は16人で首相が示した論点にそって2月から計7回の会合を開き、議論の結果を報告書にまとめた。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS06H4D_W5A800C1000000/

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「欧米交え歴史研究を」70年談話有識者懇
近く報告書 「謝罪」「おわび」は賛否

 安倍晋三首相が発表する戦後70年談話を巡って有識者が話し合う「21世紀構想懇談会」は21日、最終会合を開いた。近く報告書をまとめ、首相に提出する。歴史共同研究はこれまでのように中韓両国だけでなく、欧米諸国の研究者も交えた多国間の枠組みを提唱する見通しだ。先の大戦への「謝罪」や「おわび」の文言については賛否が割れており、どういった提言をするかが焦点だ。

 首相は報告書を踏まえ、中韓両国の反応も見極めながら表現を調整し8月に談話を発表する。

 懇談会の座長を務める西室泰三日本郵政社長は会合後、首相官邸で記者団に「途中経過でどんな議論があったかを(首相は)しっかり勉強なされている」と述べた。

 報告書はA4用紙で30枚強になる見込みだ。政府が近現代史教育を拡充する必要性を提言する。

 過去の歴史共同研究は日中間では南京事件の犠牲者数などで、日韓間では戦時中の労働者の強制連行の問題で、それぞれ見解の対立が際立った。有識者からは「2国間で共同研究しても歩み寄りは期待できない」との意見が出ていた。

 談話の焦点となる「謝罪」や「おわび」を巡っては、有識者の間でも「日本の侵略とアジア諸国への植民地統治が、大きな悲劇を生んだことは事実だ」「アジア諸国との和解に必要なのは謝罪ではない。未来志向で交流を深めていくことが大事だ」など意見が割れた。西室氏は21日に「まだ委員の意見を集約しきっていない」と明らかにした。両論併記の可能性もある。

 首相が報告書をどこまで自らの談話に反映させるかは定かではない。首相自身は70年談話で先の大戦への「痛切な反省」を表明する意向を示しているが「謝罪」や「おわび」を盛り込むかは明言していない。報告書には日本が他国を「侵略」したとの認識を盛り込む方向だが、首相が採用するとは限らない。

 首相周辺は「首相はおわびをするしないで悩むのは自分で最後にしたいという考えだ」と解説する。「謝罪ばかりでは、中韓両国からいつまでも外交上の『歴史カード』に使われる」(首相に近い自民党議員)との考えもあるようだ。

首相談話とは

 ▼首相談話 戦後50年の1995年に村山富市首相(当時)が「植民地支配と侵略によってアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」とし「痛切な反省の意」と「心からのおわびの気持ち」を表明する談話を発表した。戦後60年の2005年には小泉純一郎首相(同)が村山談話を継承する小泉談話を発表。いずれも閣議決定した。

 安倍晋三首相は70年談話の歴史認識について「歴代内閣の立場を全体として踏襲する」意向を示している。政府は中韓にも一定の配慮をみせるため70年談話の閣議決定見送りを検討している。

[日経新聞7月22日朝刊P.4]

http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/261.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 失われた20年インタビュー:藤井裕久・元財務相「恵まれない人に目を向けるのが政治の責任」:非正規を増大させる消費税増税派

失われた20年インタビュー:藤井裕久・元財務相「恵まれない人に目を向けるのが政治の責任」
2015年08月04日

 戦後初の本格的な政権交代を果たした民主党政権への期待は非常に大きかった。それだけに政権運営に失敗すると国民の失望を招き、若者たちは政治不信を募らせた。同党顧問の藤井裕久・元財務相は、「失われた20年」に非正規の若者たちを漂流させてしまった政治の責任を痛感している。【聞き手・尾村洋介、荒木功/デジタル報道センター】

−−バブル崩壊後、日本人が幸せな道筋を描くことが難しくなりました。

藤井さん GDP(国内総生産)だけが世の中とは思いませんが、GDPに関する限り赤字(マイナス)になったことはいつかというと、一番悪いのは先輩なので言いにくいけど橋本龍太郎の首相時代。三洋証券や山一証券がつぶれ、のちに破綻する長銀(日本長期信用銀行)も経営危機に陥った。このときに完全なマイナス成長になった。橋本さんが悪いというよりも、それまでの経済成長の最後の段階だったということなんですよ。あとはリーマン・ショックのときも赤字ですよね。それ以外は赤字になることはあまりなくて、民主党政権のときに東日本大震災が起こったがそれでもプラス成長だったんだよ。

 しかしね、プラス成長だといいながら、世の中の人はみんなそうは実感できていない。そこにギャップがあるんですよ。「恵まれた人をより恵まれたようにするということが経済成長だ」という認識を持っている人がいますが、これは誤りなんだ。僕は今、民主党とは距離を置いているので、あえて僕と言いますが、恵まれた人はもちろんどんどんもうけてくださいと僕は思っている。だけど、政治というのは恵まれない人に目を向けてバランスを取ることだ、というのが僕の意見です。それができてないのが今の首相の安倍晋三という人なんですよ。

 それまでは政治としてそれなりに一生懸命やってきたこともあるんだよね。僕は決して民主党のことをほめる気はない。できなかったことがいっぱいあるんだから。でも、できたこともあった。例えば、子ども手当は民主党時代にできた。それから高校授業料の無償化もちゃんとやった。「それしかできねえじゃないか」と言われれば確かにそれまでだが、恵まれない人たちに目を向けたことは間違いがない。

 僕はね、恵まれた人がどんどん頑張ってくれることは正しいと思ってんだよ。しかし政治というのはそれをもっとサポートするんじゃなくて、恵まれない人に目を向けてそれなりのバランスを取るのが政治、経済政策じゃないかと思ってるんですよ。

−−2000年代の半ばごろから格差が大きな問題として意識されてきました。

藤井さん 非正規を増やすということについては大企業はいうまでもなく、中小企業の人たちも賛成なんですよ。なぜかといえば、もうかるからですよ。介護施設の人たちまでが賛成だという。こちらは、それしないとやっていけないというわけだよ。僕はね、もうかることは大事だけれども、それは他の手段であるべきであって、非正規社員を増やすことは決して日本経済を大きくすることにつながらないんだよと、中小企業の人たちに会うと常々言っている。非正規社員の人はあしたクビを切られるかもしれないのだから、積極的に消費なんかしはしない。日給をポケットに入れているんですよ。だからね、非正規社員を増やすことは日本経済には決してプラスにならない。業績にプラスになるかもしれないが、そんなものは一時的なものだよと言いたい。非正規社員の雇用政策は、社会のあり方として非常に重要な問題だと思ってます。


−−不安定な待遇で働く人たちはまだまだ増えると?

藤井さん このままいくと、もっと増えますよ。私は、安倍さんはね、戦後のいろんな不満をより増強する方向に持っていってると見ています。そしてそのことはね、必ず昭和初期の再来になるというふうに思っています。僕が生まれる1カ月前に首相の犬養毅が殺されたんですよ。その数カ月前には井上日召が首謀した血盟団事件があって、大蔵大臣だった井上準之助、三井の大番頭、団琢磨も殺された。これらは何だったのかというと、みんな「格差」なんですよ。今時は「失われた20年」といわれますが、それぞれみんな努力をしていたと思うんだけど、結果として格差が拡大していますね。僕は失われた20年というのは格差の拡大の世界だと思っているんです。安倍首相がとっている政策がこれをより拡大させる方向に向かわせているのじゃないかと思っている。井上日召のような人が出てくるとね、またテロが起きます。やっぱり格差社会だったんですよ、あのときも。

−−格差については考えなければいけません。

藤井さん 日本の経済の成長は1%でいいじゃないかと思ってます。中国が少なくともGDPでは日本より大きくなったという事実は、率直に認めなければいけない。日本はもう成熟社会に入っているんだ、完全に成熟に。一方、中国は高度成長社会なんだ。日本だって池田内閣のときには高度成長社会だったが、今でもまだ「池田内閣と同じことをやりたい」なんて言ってるやつはおかしいんだよ。成熟社会は成熟社会としての道を歩まなきゃいけない。安倍さんのグループでも潜在成長率は1%未満だと言っている。僕の仲間である経済の専門家たちも、やっぱり1%はいかないだろうと言っている。ところが、1%にいかないっていうのに、また高度経済成長に戻ろうとしているのが、安倍さんの経済成長戦略の間違いの根本です。日本をまた上げようとすること自体が無理なんですよ。少子高齢化なんですよ。少子高齢化ということは働く人が減り、(年金などを)もらう人が増えるということなんです。それは成長率には必ずマイナスです。

 それをなるたけ直していくための手段は、私は二つあると見ている。一つは、今なるだけ働ける人が安心できるようにしなきゃいけないということ。雇用政策です。もう一つは、国境の壁を低くする経済政策なんですよ。私はTPP(環太平洋パートナーシップ協定)に賛成です。安倍政策の中で、数少ない私の賛成事項なんです。国内は当然少子高齢化で伸びない。それを伸ばすには外に出る以外ないんです。軍事力と結びつけるのではなく、経済合理性で海外に出て行きなさいと。中国のAIIB(アジアインフラ投資銀行)にも僕は賛成です。外に向かっては、軍事力にあらざる、国境を低くして外に出て行く経済政策。国内では非正規社員を作って格差を拡大するのをやめるような政策。この二つです。

−−藤井さんは1932年生まれで、大蔵省(現財務省)に入省し、政治家になる前は高度経済成長期の大蔵官僚として働いていました。

藤井さん 僕らは、月に200時間から300時間のサービス(残業)、それをやりましたよ。給料に算入してもらったのは10時間ぐらい。ブラック職場ですよ、今なら。役人だけじゃなくて、そのころは会社員だってみんなサービスやらされてます。自営業者だって遅くまで働いてました。そのころの僕たちが何でこんなばかな働き方をするかっていうと、結論は一つなんですよ。ヨーロッパに追いつき追い越せ−−これだけだったんです。GNP(国民総生産)がね、まず昭和41(1966)年に確かフランスに勝った。42年にイギリス、43年に西ドイツに勝った。

 西ドイツに勝ったことは本当によく覚えている。43年というのは佐藤内閣でした。そして、このあたりが変わる時期だったんですよ。池田勇人首相は高度成長、所得倍増計画、月給倍増ですよ。次の佐藤栄作首相は、やっぱり政治家として少し池田とは違うということも言わなきゃいけなかった。それで、経済社会発展計画と言ったんです。「社会」という言葉を入れたんです。そこで実際に児童手当を作った。次の田中角栄首相もそれは同じ。田中さんは福祉に力を入れた。GNPで西ドイツにも勝ったこと、そこがやっぱり転機だったと思ってます。

 その後、日本は国の進む方向を明確に示せなくなった。福田赳夫内閣のとき、G7(先進7カ国)で「機関車論」というのが出てきて、ドイツと日本は機関車になって世界の経済を回せと言われた。福田さんは「おい、じゃんじゃんやって伸ばせ」と言って7%成長を目標にしていましたけど、全然できない。福田さんが悪いんじゃないんだよ、すでに社会情勢が変わっていた。そのころから、実は日本は成熟社会に向かっていたんですよ。

−−成熟社会に移り変わり、さらに少子高齢化が進んで、グローバル化で追い上げられているのが今の日本の状況です。その中で企業は、非正規労働者の割合を増やすなどして対応してきたと思うのですが。

藤井さん 対応した? 対応したということは、それはいじめたということですよ。特に大企業です。非正規社員を選ばなきゃ、俺たち食っていけねえというまでになってますから。社会全体が非正規社員を作る、格差社会を作ることに貢献しているんですよ。

−−だけど、それでいいのでしょうか。

藤井さん だから、そこには雇用政策が必要であるということを申しあげた。それからみなさんは反対かもしれないけれど、外には出て行く。国内は少子高齢化で無理なんですよ。働く人は減って、(年金などを)もらう人は多い。少子高齢化社会は潜在成長率が低いんです。もう山に登る時代じゃないですよ。ゆっくりゆっくり、高度経済成長時代の先輩たちがやったことの結果を多くの人に均霑(きんてん、同じ程度にみんなで恩恵を分け合うこと)させようという社会なんですよ。それができてないからこの20年が何が何だかわからなくなっていると私は思っている。

−−橋本政権から小泉政権につながっていく規制緩和の考えについては?

藤井さん 僕はね、規制緩和は必要だと思ってます。規制緩和をするともうかる企業があるなら、それはもうけなさいと。私たちの政策について、「あんたたちは構造改革は賛成だといいながら、また格差社会の是正を言う、これは矛盾じゃないですか」と批判する人もいる。いや、違うんです。構造改革でもうける人については政治家はそこはもう放っておいていいんです。そうじゃなくて、恵まれない人がどうしても出る。そっちに目を向けなさいと。これはイコールの話なんですよ。まるで平等ということはありえないんでね、人間社会は。能力のある人はうんともうけてください。規制緩和もやりましょう。しかし、そうなら恵まれない人が現実に出てくるんだから、政治はその人に目を向けるべきだということです。

 ところが、安倍さんは恵まれた人をより恵まれるようにした。一番僕が許せないのは、法人税の減税です。法人税というのは全体の3割しか払ってないんだよ。そして、その3割しかいない人たちの穴まで埋めなきゃいけないということは、財政の健全化という意味で考えると、税金払ってない人からその分を取ろうということです、外形標準課税で。

−−バブル後の政権運営では、弱くなっていく人たちへの手当てが十分でなかった。

藤井さん そう思います。思いますが、民主党は子ども手当や高校授業料の無償化についてはそういう方向なんですよ。それは、私は正しいと思っていますが、残念だが、それが最後までしきれなかった。それがけしからんということは謙虚に受け止めないといけないと思いますが、そういう方向に努力をしていたことは間違いはない。

−−民主党への政権交代には、そういう期待もありました。

藤井さん 大きすぎたな。政権への最初の支持が熱狂的すぎた。背負った荷が重すぎた。

−−藤井さんは著書に「全員が勝者になれない。チャレンジして失敗する人、ほんの少しの差で負のスパイラルにはまりこむ人。むしろそういう人たちが多い。上昇する人は一握りしかいないんだから、そういう必要な人々の将来の不安を解消するのが政治の原点だ」と書きました。

藤井さん 政治とはそういうもんだと思います。

−−この20年間、自分たちばっかり損してきたと思わざるを得ない世代ができました。かつて政権を担った政治家としてそこを直そうとしてきた藤井さんに、何か語ってもらえませんか。今、この場に氷河期世代の彼らがいると思って。

藤井さん すまんな……。本当にすまんな、まずはな。政治は必ずしもあなたたちの方を見ていない。特に今は怖いな。今の政治は恵まれた人をより恵まれたようにすることが、経済をよくする道だと考えているみたいだ。ただね、それは違うと思っている政治家もいるんだよ。私たちも頑張るけれども、みんなが安心して働くことができるという、そういう実感を持っていない人たちが大勢いるということを、本当にすまないと思っている。政治家としてもう、それに尽きます。

■ふじい・ひろひさ 1932年、東京都生まれ。東大法学部卒。55年大蔵省(現財務省)入省。主計局主計官などを経て政界に転じ参院2期、衆院7期。自民党に所属したが、93年に小沢一郎氏らとともに同党を離党。細川護熙、羽田孜両内閣で蔵相、民主党政権の鳩山由紀夫内閣で財務相を務めた。2011年に民主党税制調査会長として消費増税を仕切った。12年に政界引退。

http://mainichi.jp/feature/news/20150804mog00m040004000c.html


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記事 [政治・選挙・NHK190] 役員報酬、法人税優遇広く ROE連動も対象に:活発な投資誘導が意図だろうが人件費圧縮などあくどい経営を誘発するだけかも

役員報酬、法人税優遇広く ROE連動も対象に[日経新聞]
2015/8/7 1:17

 政府は企業の役員報酬への税制優遇を広げる検討に入った。法人税の負担を軽くできるのは固定給や利益に連動した報酬に限られているが、自己資本利益率(ROE)などに連動した報酬も対象とする方向。役員の働きに報いる報酬の選択肢を広げ、利益や資本効率の向上を後押しする。日本企業が株主を重視した経営にかじを切る中、税制も転換する。

 経済界の要望を受け、経済産業省が月末にまとめる2016年度税制改正要望に盛り込む。与党の議論も経て年末に結論を出し、16年度にも法人税法を改正する。3月期決算企業は17年3月期の役員報酬から優遇の範囲が広がる可能性がある。

 企業が従業員に支払う給与は全額が税務上の費用(損金)となり、法人税の負担が軽くなる。損金算入と呼ばれるこの仕組みは、役員の報酬については一定の条件がある。(1)毎月同額の月給(2)期初にあらかじめ決めるボーナス(3)利益に連動する報酬――のいずれかの条件を満たさなければ損金として認められない。

 対象となるのは業務執行を担う取締役で、社外取締役や監査役、執行役員などは含まれない。

 現在はROEや総資産利益率(ROA)に連動する報酬は損金算入の対象外だ。近年は日本企業でも短期の利益よりも中長期の資本効率が重視されている。安倍晋三政権がROEなどを重視する経営への転換を後押ししていることもあり、数値目標を掲げる企業が増えている。

 税制を見直して働きに報いる報酬体系を導入しやすくし、ROEなどの業績向上への意識を高める。

 役員報酬をROEやROAに応じて変動させているコマツは「役員報酬のうち業績連動部分は損金算入していない」という。多くの企業が税負担を覚悟のうえでROEなどに連動する報酬を組み入れているのが実情だ。

 現行制度では全役員の報酬を同じ算定式で決めないと損金算入できない点についても経済界の不満が強い。役員がそれぞれ担当する部門の業績は一様ではないが、会社全体の業績をもとにすべての役員の報酬を決めなければ損金として認められない。政府は各役員の職務に合わせて報酬を決めた場合でも損金算入を認めることを検討する。

 日本は米国などと比べて役員報酬に占める固定の月給やボーナスの割合が大きく、業績連動部分が少ないとされる。ROEに連動する報酬などが損金になれば、業績連動型の報酬を採用する企業が増える可能性がある。

 もっとも役員報酬の損金算入には一定の歯止めが必要になりそうだ。恣意的に役員の報酬を高額に設定し、それがすべて損金算入されれば節税策になりかねない。どこまで緩和するかバランスが求められる。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS06H6C_W5A800C1MM8000/?dg=1


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/263.html

記事 [政治・選挙・NHK190] TPP合意・批准、日程厳しく 閣僚会合は9月以降に

TPP合意・批准、日程厳しく 閣僚会合は9月以降に[日経新聞]
2015/8/7 0:57

フォームの終わり
 環太平洋経済連携協定(TPP)交渉の参加12カ国による閣僚会合開催が9月以降にずれ込む見通しとなり、大筋合意やその後の各国の批准手続きに向けた日程も一段と窮屈になっている。日本は来夏の参院選、米国は来年2月の大統領選の予備選が近づくにつれ、早期批准への機運がしぼみかねない。漂流を避けるには対立点の解消だけでなく、各国の政治情勢を踏まえた交渉日程の設定が必要になっている。

 甘利明経済財政・再生相は6日、TPP交渉の参加12カ国による閣僚会合の月内開催を断念することを認めた。首相官邸で安倍晋三首相と会談した後に、記者団に対して「一呼吸置いて、クールダウンして事態の整理をするのに、少し時間がかかりそうだ」と話した。

 TPP交渉に関わる米政府の一部幹部が既に夏季休暇に入っているほか、米通商代表部(USTR)のフロマン代表は月末にアフリカに外遊する予定。当初目指していた8月中の閣僚会合開催に向けた水面下での調整は難しくなっている。

 TPPは12カ国が大筋合意した後に、署名までに最低90日間を空ける必要がある。大統領貿易促進権限(TPA)法によって、米政府が遅くとも署名の90日前までに議会に協定案を通告しなければならないからだ。そのため現時点での最短シナリオである9月に閣僚会合を開き、大筋合意できたとしても、署名は12月に入ってからになる。

 日本政府や与党は秋の臨時国会で関連条約や法案を処理するシナリオを描いてきた。TPPには農業団体などの反対論が根強く、来年1月からの通常国会での処理となると、来年夏の参院選への影響が大きくなりかねないからだ。

 仮に12月に12カ国が署名した直後に、政府が臨時国会に関連条約・法案を提出しても、数十時間が必要とされる審議時間が確保できない恐れがある。一方で、通常国会で処理される可能性が高まると、農林系の議員などから先送りを求める声が強まることになりそうだ。大筋合意の時期が後ずれするほど、政府の取れる選択肢が限られる状況になっている。

 早期批准の余地が乏しくなっているのは米国も同じだ。来年2月に大統領選の予備選が始まると、TPPへの関心が低下し、関連法案が棚ざらしにされるリスクが高まる。議会審議の前提として、米国経済への影響を精査する調査報告書をまとめる時間も必要で、既に日程は綱渡りになっている。日米以外でも、カナダは今年10月に総選挙を控えている。選挙前に農産品の輸入受け入れなどで大幅な譲歩をしにくい状況にある。

 甘利経財相は「確実に(TPPの)未解決部分が処理できる状況をつくって、直ちに閣僚会合を開いた方が間違いないという状況に少しなりつつある」と指摘した。臨時国会での処理が間に合うかという質問に対しては「現時点では何とも言えない」と述べるにとどめた。

http://www.nikkei.com/article/DGXLZO90255910X00C15A8EE8000/?dg=1


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/264.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 戦後70年日本の強みは(下)自然資本と宗教に鍵:この論考のほうがずっと示唆に富む内容

戦後70年日本の強みは
(下)自然資本と宗教に鍵

今井賢一 スタンフォード大学名誉シニアフェロー

 「戦後70年」という節目は、日本の経済システムの大きな転換を迫る「内」と「外」の要因が鮮明になる年である。

 「内」では、コンピューターが人類の知性を超えるといわれる「情報技術の指数関数的な成長」にどう付き合うかという問題である。「外」では、文化的・宗教的要因に基づく国際関係の不安定性の強まりへの対応である。

 本稿の論点は、この2つの問題を考察するときに、「戦後70年」の経済的論議には2つの「忘れ物」があったということであり、その忘れ物のなかに、問題をとく重要な鍵があるということである。

 第一の「忘れ物」は「自然資本」である。自然資本とは、森林資源、農地、水産資源等の価値を資本として把握する用語である。もちろん、これらを個別に捉える議論はあったが、経済論議の正面に登場することはなかった。

 ところが、国連大学が最近まとめた「包括的『富』報告書」の自然資本・人工資本・人的資本の国際比較によると、日本に関して、次のような興味深い結果が報告されている。すなわち、本報告書が網羅した20カ国の中で、日本は持続可能な経路にあることがわかり、自然資本がプラスに成長した数少ない国の一つなのだ。

 この事実は一国の経済を国内総生産(GDP)のような唯一の指標で評価すべきでないことを示している。また、自然資本の存在、具体的には日本の国土の半分以上が緑の森林に囲まれていることは、新たに認識された日本経済の強みなのである。

 われわれが、自然資本を重視するのは、本稿の初めに設定しておいた課題、すなわちコンピューターが人類の知性を超える時といわれる「情報技術の指数関数的な成長」にどう付き合うかという問題を考察するには、「自然資本」という概念を対置して考えるのが適切だからである。

 人間一人の1秒あたりの計算能力は最大10の15乗といわれる。それがコンピューターによって10の20乗、25乗というように指数関数的に急カーブで増大すると、2045年には、人間能力の10億倍の能力を持つ人工知能が登場するという。これが、いま問題にされているコンピューターの指数関数的な成長である。

 それに対して、自然資本は成長ではなく、われわれの生活の質の向上、すなわち、きれいな水や空気、健康な土壌・植物・動物、森林、海、川のもたらすサービスなどを提供する資本である。抽象的にいえば「生命を支える生態系の総和」である。

 いま仮に、人間能力の10億倍の能力を持つ人工知能が出現したら、その人工知能は、生態系のような非定型の性質をもつ自然資本を形成してゆくことに役立つのだろうか。

 仮にそれが一時的に可能であったとしても、ハイエクの基本的想定、すなわち「人間の才能と技術は無限に多様である」ことを想起すれば、どう考えても、人工知能が自然資本を形成していくことは不可能だと考えざるをえない。

 多少、抽象的な議論になり過ぎたので、現実論で考えてみよう。

 私の友人のある女性アントレプレナー(起業家)は、これまで多様なベンチャービジネスを成功させてきた。彼女は最近、水をほとんど使わずにすむ野菜の人工栽培に成功し、現在、その野菜、さらには野菜工場を輸出するために、関係する企業が自らの技術の活用を目指して創意工夫をしている。

 このような過程を数多く知っている私としては、この種のプロセスを人工知能によって開拓することには無理があるといわざるをえない。

 私は自然資本の概念を重視し、それを慎重に発展させたいと考えるので、自然資本にかかわる議論を綿密に解明した米国の思想家、ジェイン・ジェイコブズの著書「経済の本質―自然から学ぶ」に要約されている次のようなスタンスをとりたいと考える。

 「楽観的に考えると世界は富んでいて、われわれの行動を修正し、修正し、さらに修正すべく、興味深く建設的な機会を無限に与え続けているのだ」

 このような態度をとらず、かつての英国のように自然は征服すべきものだと考えると、自然資本の成長率は極度のマイナスとなるのである。

 第二の忘れ物は、初めに述べた国際的な不安定性にかかわる宗教問題である。

 この問題については、近年2冊の書物、すなわち、評論家・竹内宏氏の「経済学の忘れもの」と、寺西重郎・一橋大学名誉教授の「経済行動と宗教」が刊行されたので議論の空白はかなり埋められた。だが、われわれの行動指針にはまだ距離があるので、その糸口をつけることが、当面の課題である。

 戦後の産業ダイナミズムをつくりだした故松下幸之助翁は、自らの人生、生き方を後世に残すため、大阪城の下に5000年後までの保存を目指した文書入り容器「タイム・カプセル」を埋められた。松下翁の直弟子としてその後タイム・カプセルの設計・構築を続けている建築家の東方洋雄さんは「大夢カプセル」という新用語を創出し、カプセル自体にも工夫をこらして、日本の各地でその普及活動につとめられている。

 その意義は、こういうことである。

 現在の日本の社会では、先祖を末永く墓に祀り、自分も死後、一族と生きている孫たちとの仮想的な交流を夢見るという死後の世界を想定することが困難になっている。実際問題として墓参りは形骸化している。この地球の上で自分は何をしたのか、いかなる人生であったのかを考える暇もなく、定型的に儀式は終わってゆく。

 「大夢カプセル」は、このような無味乾燥的な世界を補うために、生前に「自分史」を書き、真鶴海岸の絶景の場所に鉄鋼製の箱で地下保存し、例えば子や孫がそれぞれの人生の節目で開けて読み、あらためて自己認識の機会を得るというような事業を実行しているのである。

 ここで注目したいのは大げさにいうと、西洋文明に起源をもつ現代文明の行き詰まりをいかに打開するかという思想的基盤との関係である。

 かつての欧州の中世都市では、人々はキリスト教の教えに基づいて永遠性を求め、「文明の産物を凝縮して貯蔵し伝達する構造」として「天」を目指し高くそびえる教会をつくり、そこは人々が日常の安定を祈るとともに、ときに自分の死後の世界の感触をもえられる場所となった。

 キリスト教と資本主義が結びついた西洋文明が世界の中心であったことは間違いないが、人類文化という視点からは、人間と天上の神のみを見る思想には限界がある。

 最近、梅原猛先生が「人類哲学序説」で述べられているように、草や木も動物も人間と同じように扱う思想が必要なのであり、そこに自然資本と宗教が結びつく思想が生まれる。「大夢カプセル」の革新的精神はこれを受け継ぎ、どのような宗教、どのような宗派をも受け入れる試みなのである。

 このような実践を進めていくことが、宗教的対立に基づく国際的不安定に関する日本のスタンスを示すことになろう。

ポイント
○日本は自然資本がプラス成長の数少ない国
○人工知能が自然資本を形成するのは不可能
○人間と天上の神のみを見る思想に限界あり

 いまい・けんいち 31年生まれ。一橋大名誉教授。専門は産業組織論

[日経新聞8月7日朝刊P.31]


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/265.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 橋下氏、上西氏の写真集「買います!」 「怖いもの見たさで買う人もいる」「炎上商法ならすごい戦略」[産経ニュース]
橋下氏、上西氏の写真集「買います!」 「怖いもの見たさで買う人もいる」「炎上商法ならすごい戦略」
http://www.sankei.com/politics/news/150806/plt1508060029-n1.html

 維新の党最高顧問の橋下徹大阪市長は6日、4月に同党を除名された上西小百合衆院議員(無所属)が今月発売する「写真集」について「見ます。買います。印税に協力します」と述べた。市役所で記者団の質問に答えた。

 写真集は自叙伝との位置付けで、除名の経緯について触れているほか、グラビア風の写真も掲載している。橋下氏は写真集発売について「自由だ」とした上で、「だれか助言してあげなかったのかなあ。批判を受けるの分かるでしょ」と指摘。一方で、ワイドショーなどで話題になっていることを挙げ、「炎上商法だったら、いいやり方かもしれない。怖いもの見たさで買う人もいるじゃないですか」と述べた。

 上西氏は平成27年度予算案を採決する3月13日の衆院本会議を病気を理由に欠席し、その直後に秘書との旅行が報じられた。橋下氏は激怒し、4月3日深夜に上西氏と並んで緊急記者会見を開催。約3時間に及んだ会見で必死に釈明する上西氏に橋下氏が「ダメ出し」を連発するなど、公開の場で口論となる場面もあった。維新は会見後、上西氏を除名処分とした。

 橋下氏は「辞める、辞めないのときに僕に何を言われたとか書いてるんでしょ?」と、写真集の内容に興味津々の様子。「批判を受けることを分かってやっていたんだったら、ある意味すごい。批判を受けるのもまた宣伝だから。すごい戦略だ」と皮肉たっぷりに語った。

[産経ニュース 2015/8/7]
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/266.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 安倍首相、原爆の日の今日広島でも罵声を浴びる (まるこ姫の独り言)
2015/08/06 安倍首相、原爆の日の今日広島でも罵声を浴びる
http://jxd12569and.cocolog-nifty.com/raihu/2015/08/post-05ef.html

私はたまたま、犬HKを見ていたのでぜんぜん分からなかったが
どうもTBSの中継では、庶民の罵声を拾ったようだ。

ツィッターを見ていると、式典に出席した人の話では、安倍首相
のスピーチの時だけ怒号や罵声がすごかったと。
安倍、何しに来た!
どの面を下げて来た
恥を知れ
安保法案を撤回しろ!
帰れ
戦争反対!
会場のあちこちから飛んでいたと。
小学生の平和への誓いに拍手のあと、安倍総理のスピーチには
誰一人拍手する人なし。だと。
安倍首相に対しての反感はすごい。これは聞きしに勝る

>被爆から70年を迎えた今朝、
私は改めて平和の尊さに思いを致しております。

こんな取ってつけたような美辞麗句を言っても、全く響かない。
平和の尊さに思いを致す人間が、なぜ違憲と言われている法
案を無理やり通そうとしているのか。
審議を途中で打ち切り、強行採決に打って出るのか。
米国に追随して海外派兵を選択する法案に対して、“平和安全
法制”とネーミングするのか。
平和でも安全でも無く、ましてや抑止力になるわけがない。

戦後70年沖縄全戦没者追悼式では罵声は浴びせられるわ、靴
は投げつけられるわ。。。
それを思うとまだ待遇は良かったと言う事か。
不思議なことに、NHKではまったくこう言った庶民の声を拾わな
かった。
何事もなく議事進行。
TBSは、罵声をちゃんと拾って解説でも取り上げたようだ。
局の姿勢が分かると言うものだ。

本来なら、皆様のNHKが報道すべき仕事だろうに、安倍さまの
犬HKになり下がった放送局は、粛々と綺麗な上っ面だけ報道。

そう言えば、昨日の参院特別委員会で、中谷元防衛相が“自衛
隊による核兵器の輸送も法文上排除していない”と言ったのに
NHKは、”中谷大臣 核兵器運搬「ありえない”と発言の趣旨とは
全く違った見出しをつけたり、読売は、”核運搬ありえない”と報
道している。
確かに庶民から見たら、核運搬はあり得ないだろうが、この政
権は何でもありの政権で、すべて政権のご都合主義で成り立
っている。
そんな政権の手にかかったら、あり得ないものが突然ありうる
に変わっている事がどれだけあったか。。。。
読売は実に上手い印象操作をしている。

それにしても安倍首相、国会では先制攻撃法案や核兵器運搬
法案など物騒な法案だと、どんどん露呈してきているが、式典
だから仕方が無いにしても、当の本人が広島の地で、”改めて
平和の尊さに思いを致しております”なんていけしゃあしゃあと
日頃の姿勢とは正反対の事を言っても違和感ばかりが募る。
この安保法制は加害者になるのも厭わず法案だろうに。。。
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/267.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 安倍政権に助け舟を出した翁長知事 「埋立承認取り消し」を公式に棚上げ
安倍政権に助け舟を出した翁長知事
http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/1d7366acfa81dcc8dbe1666eadbf32bc
アリの一言 (「私の沖縄日記」改め)2015年08月06日


「『最高のタイミングだっただろう』。菅義偉官房長官は4日、辺野古への移設作業の中断を発表した記者会見の後、周囲に誇らしげにそう語った」(5日付朝日新聞)

 翁長知事が辺野古埋立工事の「1カ月中断」と引き換えに、「埋立承認取り消し」を公式に棚上げした(4日発表)ことは、安倍首相の戦略に完全に取り込まれ、窮地の安倍政権に助け舟を出した合したものであり、きわめて重大です。

 まず厳しく批判されなければならないのは、徹底した秘密主義です。

 「交渉は約2カ月前から政府、県の間で秘密裏に進められた。5月下旬、菅氏と当選同期で親しい下地幹郎氏(維新)の呼び掛けで菅氏、安慶田光男副知事、外務、防衛幹部の計5氏が都内で顔をそろえた。席上、下地氏が『普天間基地移設交渉プラン』と書かれた紙を菅氏へ差し出し、一時中断を切り出した。・・・関係者によると、7月4日、翁長雄志知事と菅氏が都内のホテルで会談した際に、工事を停止する時期や期間について協議。同31日、翁長氏と菅氏が首相官邸で会談し、8月10日からの一時停止で正式に合意したという」(5日付沖縄タイムス)

 こうした経過は県民にはまったく知らされていませんでした。いいえ、県民だけではありません。翁長県政を支えるはずの与党議員たちにも、さらにはまさに辺野古の当事者である稲嶺進名護市長にさえ、いっさい秘密にされていたのです。

 「国と県の合意について、稲嶺進名護市長は4日、『びっくりしている。経緯も全然分からない』と驚きを見せた。県から連絡はなかったという」(5日付沖縄タイムス)

 こうした秘密主義と情実人事は翁長県政発足以来一貫したものです。それはたんに事実が知らされないというだけではありません。政府との協議で何が話し合われ、どういう「妥協」が図られようとしているのか、その重大問題から県民・国民が完全に排除されているということです。地方自治、民主主義に真っ向から反するものと言わねばなりません。

 安倍政権がなぜこの時期に「1カ月の中断」を持ち出してきたかは、ほとんどすべてのメディアが指摘しているとおり、重要課題がひしめく中で「内閣支持率にさらなる悪影響が出る」(5日付毎日新聞社説)のを避けるためです。
  それはただの「アリバイづくり」(5日付沖縄タイムス社説)ではありません。安保法制=戦争法案に対するかつてない国民批判の高まりの中で、大きな窮地に陥っている安倍政権の必死の延命策なのです。戦争法案を成立させるまでは「辺野古」でさらなる批判を浴びたくない。逆に言えば、いまがまさに「辺野古埋立承認撤回・取り消し」で安倍政権に決定的な痛打を浴びせる絶好のチャンスだということです。
 それなのに、安倍首相の願いどおり、川内原発再稼働、戦争法案成立、さらに自民党総裁選告示まで、「撤回・取り消し」を棚上げしてやろうというのですから、菅氏が誇らしげに喜ぶはずです。安倍政権に助け舟を出した翁長氏の犯罪的役割は明白です。

 見過ごせないのは、このシナリオが、すべてアメリカ政府認知の下で行われていたという事実です。沖縄タイムス平安名純代・米国特約記者の記事を引用します。

 「米政府関係者らの受け止めも冷静で、事前に日本政府から通達済みであることをうかがわせる。
 移設問題に関わる国務省高官は、『6月の終わりごろ、第三者委員会が7月15日ごろに(前知事の埋め立て承認について)「瑕疵あり」の報告書を出すと聞いた』と述べ、その際に『取り消しや撤回の判断を公言している現知事が望む形で協議に応じることで、審議中の安全保障関連法案への影響を抑える方法などが検討されていると聞いた』と話す。
 ある国防総省筋は『工事を中断して協議することが、逆に辺野古移設を進める上でメリットとなると理解している』と述べ、辺野古移設を着実に実行するという前提で協議を始めることにより、翁長知事の取り消しを凍結できれば計画の安定化につながるとの見解を示した」(5日付沖縄タイムス)

 米政府高官は“正直”です。ここに今回の「1カ月中断」の意味、狙いが端的に示されています。

 翁長氏は4日の会見でさらに重大なことを言っています。またそもそも、「辺野古」で「協議」とはどういうことなのか。それらを次回検討します。


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/268.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 安らかに眠れない安倍政権〜安保法案で核兵器運搬もOK&挨拶で非核三原則を消去(日本がアブナイ!)
http://mewrun7.exblog.jp/23532359/
2015年 08月 07日

昨日8月6日、広島は、原爆が落とされてちょうど70年を迎えた。(-"-)

 平和祈念式典のTV中継で、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という慰霊碑の記された言葉がアップになっていたのだが。
 安倍首相が慰霊の花輪をたむける姿を見て、「まさに過ちを繰り返そうとしている安倍政権の下じゃ、犠牲者は安らかに眠れまい」とついつい思ってしまったのは、きっとmewだけではあるまい。(**)
 
 何分にも国会では、今、戦争法案とも呼ばれているアブナイ安保法案が成立しようとしている上、広島原爆の日の前日には、法案が成立すれば、自衛隊が「核兵器を運ぶのもOK」なんて答弁が防衛大臣からなされたとのこと。(ーー)
 しかも、安倍首相の式典での挨拶から「非核三原則」や「恒久平和」の言葉が消えてしまったのだから。(@@)

* * * * *

 今回の式典には、国内の被爆者と遺族ら約5万5千人のほか、核保有国も含め、過去最多の100カ国以上の国が参列したという。

『広島市によると、式典には国内の被爆者と遺族ら約5万5千人が参列。韓国などで暮らす在外被爆者と遺族も10年ぶりに出席した。核保有国では米国からキャロライン・ケネディ駐日大使のほかに、国務次官としては初めて核軍縮・不拡散政策を担うローズ・ゴットメラー氏が参列。英、仏、ロシアも大使らが出席したが、中国は欠席した。参列国は過去最多の100カ国に上った。(朝日新聞15年8月6日)』

 この式典では、毎年、広島市長が(こどもの代表も)「平和宣言」を読み上げ、2度と核兵器が使われないように、世界に核廃絶を呼びかけるだけでなく、日本が2度と戦争をしないように、また世界全体が平和であるように努めることを誓う。(・・)

 前記事に、広島市長の平和宣言と安倍首相の挨拶の全文をアップしておいたのだけど。松井市長は、今年の平和宣言の中でも、核廃絶と平和への思いをしっかりと記していた。

『人間は、国籍や民族、宗教、言語などの違いを乗り越え、同じ地球に暮らし一度きりの人生を懸命に生きるのです。私たちは「共に生きる」ために、「非人道の極み」、「絶対悪」である核兵器の廃絶を目指さなければなりません。そのための行動を始めるのは今です。』

『今、各国の為政者に求められているのは、「人類愛」と「寛容」を基にした国民の幸福追求ではないでしょうか。為政者が顔を合わせ、対話を重ねることが核兵器廃絶への第一歩となります。そうして得られる信頼を基礎にした、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません。その実現に忍耐強く取り組むことが重要であり、日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが求められます。』 

* * * * *

 他方、安倍首相は挨拶の中で、「核兵器のない世界」を実現するために、国際社会で核不拡散、核軍縮のために具体的に努力して行く姿勢を示していたのであるが・・・。

『我が国は唯一の戦争被爆国として、現実的で実践的な取り組みを着実に積み重ねていくことにより、「核兵器のない世界」を実現する重要な使命があります。また、核兵器の非人道性を世代と国境を越えて広める務めがあります』として、

 冒頭に『被爆から70年を迎えた今朝、私は、改めて平和の尊さに思いを致しています』と述べた以外は、平和維持への取り組みに関しては一切言及せず。
 しかも、これまで(少なくとも94年以降)歴代首相が「非核三原則」を明記して来たし。安倍首相自身も、前政権の07年も含め「非核三原則」「恒久平和」の言葉を用いていたのだが。その2つの言葉が挨拶から消されてしまうことに。 (゚Д゚)

 これには野党や被爆者から疑問や批判の声が出ている。(@@)

* * * * * ☆

『安倍晋三首相は広島の「原爆の日」の6日、平和記念式典でのあいさつで「非核三原則」に触れなかった。菅義偉官房長官は同日の記者会見で「非核三原則はある意味当然のことであり、全く揺るぎない」と強調したが、三原則を盛り込まなかった理由について直接の言及はしなかった。野党からは「三原則を変えるのではとの懸念が生じる」など批判の声が上がった。

 菅氏は会見で、首相があいさつで「唯一の戦争被爆国として核兵器のない世界への取り組みを主導していく決意を表明した」と指摘。三原則は大前提との認識を示した。首相周辺も「国是であり、わざわざ書かなくても分かる。全体を読めば反核の精神は理解してもらえるだろう」と話した。

 歴代首相の式典でのあいさつには非核三原則が盛り込まれるのが通例で、少なくとも1994年以降は毎年言及されていた。式典のあいさつを巡っては昨年、前年のものと酷似している部分があったため「コピペ(コピー・アンド・ペースト=複写と張り付け)ではないか」との批判が上がった経緯がある。官邸関係者は「(非核三原則を)書いたら書いたでコピペと言われてしまう」と不満を漏らした。

 民主党の蓮舫代表代行は6日の会見で「戦後70年の節目に三原則に触れないのは『もしかしたらこれを変えるんじゃないか』との懸念が生じる」と批判した。(毎日新聞15年8月6日)』

『安倍首相が平和記念式典でのあいさつで、非核三原則に言及しなかったことについて、広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長(70)は「非核三原則は国是。『忘れました』で済む問題ではなく、考えられない。意識的に触れなかったのであれば、許せない行為だ。いずれ日本も核兵器を持つのではないか、という危惧につながる出来事だ」と批判した。(朝日新聞15年8月6日)』

『式典で市民代表として献花した広島市中区の主婦、木下百合子さん(70)は「なぜ盛り込まないのか。今年が戦争へ向けた転換期にならないといいが」と不安を口にした。

 安倍首相は式典後、広島市内のホテルであった被爆者団体からの要望を聞く会に出席し、その場では非核三原則の堅持を明言した。しかし、広島被爆者団体連絡会議の吉岡幸雄事務局長(86)は「非核三原則は、国の基本的考え方だ」と指摘し、「式典で慰霊碑に向かって非核三原則に触れてほしかった。犠牲者たちは安らかに眠れない」と話した。広島県原爆被害者団体協議会の坪井直理事長(90)は「都合の悪いことにはあえて触れなかったんだろう」と語った。(毎日新聞15年8月6日)』

* * * * *

 実は、mewは半分冗談で、「安倍首相&仲間たちは、昨年コピペ挨拶を批判されたので、今年はわざと(ある種の仕返しで)非核三原則などの言葉を外したのではないか?」と。
 で、「『コピペはよくないので、同じ言葉を使わなかった」って詭弁の釈明をするんじゃないか?」と言ってたのだけど。まさか本当にそういう釈明をする人がいるとは!?(~_~;)
http://mewrun7.exblog.jp/22268544/
<上の毎日新聞の記事の『官邸関係者は「(非核三原則を)書いたら書いたでコピペと言われてしまう」と不満を漏らした』というところね。(>_<)
 尚、コピペ問題について知らない方は、昨年の記事『安倍の広島コピペ挨拶に怒!&市長も集自権に触れず+小百合が核アレルギーの訴え』をご覧下さい。>

 ただ、以前から書いているように、安倍晋三氏自身、かつて核保有の可能性に言及したことがあるし。超保守仲間たちの中にも、大敵の中国や北朝鮮が核兵器を持っている以上、日本も保有orその準備をしておくべきだと主張する人は少なからずいるのは事実だ。^^;
<安倍氏ら保守タカ派が原発廃止に反対する大きな理由のひとつは、日本がいざとなったら核兵器製造&原子力の軍事利用をできるように施設や材料をキープすることにあるのだしね。(-"-)>

 また、非核三原則は「作らず、持たず、持ち込ませず」なのだが。日本が自ら核兵器を製造、保有せずとも、米国の核兵器に依存していることから、既に核搭載の艦船や航空機の立ち寄り、基地内での一時保管は行なわれていて、「持ち込ませず」は厳格に守られていないというウワサもあるし。今後、核弾頭などの国内基地などへの持込を(秘密裏に?)了承する可能性も否定できないだろう。<後述するように、核兵器を運んであげちゃうこともあり得るんだしね。>
 
 何分にも、安倍内閣は、戦後、50年以上続いて来た「武器輸出(禁止)原則」も、閣議決定で勝手に「防衛装備移転三原則」などというものに変えてしまって、日本の企業が他国と武器の研究開発や輸出入を行なって「武器商人」になる道を開いた上に、海外の武器製造企業の買収を容認することも検討していたりもするわけで。(*1)
 非核三原則だって、いつ変えてしまうかわからない・・・と疑われても、仕方あるまい。(-"-)

* * * * * 

 おまけに、今週3〜5日に行なわれた参院の安保特別委では、自衛隊が他国軍を後方支援する場合、何ができるのかという点に関して物騒話が続出。(@@)
http://mewrun7.exblog.jp/23529115/
 4日の審議では、中谷防衛大臣が、ミサイルもクラスタ弾も消耗品たる弾薬なので、自衛隊は後方支援で、これらを米軍に提供できると答弁していたのだけど。
(関連記事・『安保法制で、ミサイルもクラスター弾も提供可能に〜4日の参院安保特別委の質疑』)

 さらに5日には、核搭載の戦闘機への給油や核兵器の運搬なども法文上は許容されるという、とんでもアブナイ話まで出ることに。 (゚Д゚)

『中谷元防衛相は5日の参院平和安全法制特別委員会で、安全保障関連法案に盛り込まれた他国軍の後方支援に関し、核兵器を搭載した戦闘機への給油は「法律上可能」との見解を示した。防衛相の答弁は、日本が核攻撃に加担する可能性を排除しない立場を示したもので、論議を呼びそうだ。

 安保法案は、これまで禁止されてきた発進準備中の航空機への給油を認めている。民主党の白真勲氏が核搭載機への給油も含まれるかをただしたのに対し、防衛相は「法律上、現に戦闘が行われている現場でなければ、給油できる」と明言した。
 防衛相はまた、核兵器そのものの輸送について、「提供や輸送が想定されないものについて、法律上、一つ一つ明示的に除外する規定はない」と述べ、法的には可能だと説明。一方で、「わが国には非核三原則がある。核に関しては『運ぶ』『補給する』という選択肢はない」と述べ、政策判断として実施しない方針を示した。(時事通信15年8月5日)』

* * * * *


 中谷氏は、法文上は可能であるものの、非核三原則を理由に「要請があってもあり得ない」と語ったのだが。非核三原則には「運ばず」ははいっていないので、何の釈明にもなっていないし。
 何と岸田外務大臣でさえも核運搬が可能だということは知らず。自民党も含め、与野党内から疑問の声が出ている様子。^^;

『中谷元・防衛相は5日の参院特別委員会で、安全保障関連法案に基づく他国軍への後方支援をめぐり、核兵器の運搬も排除しないとする発言をした。「核兵器の輸送は可能であり、運搬も法文上は排除していない」と、理論上は可能との見解を表明。非核三原則を理由に「要請があってもあり得ない」と強調したが、法的な歯止めがないことが表面化。野党は、時の政権の判断で核兵器運搬が可能になる余地が残るとして、猛反発している。

 自民党幹部の1人は「自衛隊は何でもできるようになるのではないかとの心配が強まる」と、法案のイメージを悪化させると危ぶむ。別の幹部は、広島の「原爆の日」の前日というタイミングを、「最悪だ」と断じた。委員会に出席していた岸田文雄外相も、「法律の現状を今、承知した」と述べ、自衛隊による核兵器運搬が排除されないことを初めて知ったことを明かした。(日刊スポーツ15年8月5日)』

『安全保障関連法案をめぐり中谷元防衛相が5日、他国軍の後方支援で核兵器輸送も法律上可能と答弁したことに対し、野党各党からは「非核三原則があると言っても説得力を持たない」(枝野幸男民主党幹事長)などと反発する声が記者会見で相次いだ。
 枝野氏は「法律は今後の政府を拘束する。(法的には)できるけど、(現政権は)やる気がない、という話は全く意味がない」と述べ、将来の政権が実施する余地があることへの懸念を表明。「弾薬は武器ではないという(政府の)整理も間違っている」と批判した。
 共産党の穀田恵二国対委員長も「この法案の持つ危険性が一層明確になった」と述べ、廃案を目指す考えを改めて強調した。
 維新の党の馬場伸幸国対委員長は「(実施する考えがないのに)わざわざ答弁することに疑問を禁じ得ない。少し答弁が粗い」と苦言を呈した。
 これに対し、公明党の石井啓一政調会長は「閣僚が明確にあり得ないと答弁した以上、厳しい縛りがかかる」と理解を示した。(時事通信15年8月15日)』

* * * * *

 そして、日本の政府や国民が2度と過ちを繰り返さず、原爆の犠牲者を含め多くの戦没者が安らかに眠れるように、1日も早く安倍政権&安保法案を潰さなければと、広島原爆の日に、改めて誓ったmewなのだった。(@@)

                   THANKS



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/269.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 自民“暴言”議員の2人は麻生派所属 「親が親なら子も子」の声(日刊ゲンダイ)
             麻生派所属の井上氏(右上)と武藤氏(右下)/(C)日刊ゲンダイ


自民“暴言”議員の2人は麻生派所属 「親が親なら子も子」の声
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/162476
2015年8月7日 日刊ゲンダイ


「3バカ+新バカ」となった自民党の“暴言”国会議員。いずれも安倍首相を応援する若手で作る“悪名高き”「文化芸術懇話会」のメンバーだから、暴言は安倍首相の代弁みたいなもんだが、実はこのうちの2人は麻生太郎財務相(74)が領袖の麻生派に所属している。

「スポンサーにならないことが(マスコミは)一番こたえる」と言った井上貴博衆院議員(53=福岡1区)と「『戦争に行きたくない』は利己的」とつぶやいた武藤貴也衆院議員(36=滋賀4区)だ。

「麻生さんは、言わずと知れた永田町の失言王です。そんな親分の下で、失言後の井上さんは、取材から逃げ回り、雲隠れ。武藤さんは発言を撤回せず、居直っている。問題があると思っていないのでしょう。親が親だから、子も子ですよ」(永田町関係者)

 麻生大臣といえば、憲法改正をめぐって「ナチスの手口に学んだらどうか」と発言し、安倍政権の本質を体現した人物だ。他にも、昨年の総選挙の応援演説で「子供を産まないのが問題」と言ったり、党の会合で集団的自衛権を学校のイジメに例え、「勉強ができない、けんかが弱い、金持ちの子、これがいちばんやられる」と言ったり、失言には事欠かない。

 最近は安保法案の審議に注目が集まる中、法案に直接関係のない財務相の麻生大臣は目立たないが、礒崎首相補佐官の「法的安定性は関係ない」発言の際、先月30日の派閥の総会でこんな発言をしていた。

「(礒崎補佐官は)一生懸命のつもりで言われているのだと思いますけれども、結果としてマスコミの人たちの手によって(発言が)作り変えられてみたり、つぎはぎされてみたり、いろんなことがある。井上(貴博)先生もそうだ」

 派閥の子分をかばったうえ、マスコミに責任転嫁。親分がこれじゃあ、子分がバカばかりになるわけだ。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/270.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 暴走首相は今こそ原爆死没者慰霊碑の「誓い」を胸に刻め 日本経済一歩先の真相/高橋乗宣(日刊ゲンダイ)
             ケネディ駐日大使と原爆ドーム(C)日刊ゲンダイ


暴走首相は今こそ原爆死没者慰霊碑の「誓い」を胸に刻め 日本経済一歩先の真相/高橋乗宣
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/162469
2015年8月7日 日刊ゲンダイ


 広島は7日、被爆から70年の節目を迎えた。「原爆の日」の平和記念式典には、米国からケネディ駐日大使が昨年に続いて参列したほか、核軍縮を担当するガテマラー国務次官も参列した。米政府がワシントンから政府高官を平和式典に派遣するのは初めてだということだ。

 オバマ大統領は就任以来、「核兵器なき世界」の実現を目標に掲げてきた。さすがに「核廃絶」にまでは至らないものの、実際の作戦立案で核兵器の役割を縮小させるなど、着実に「核」に頼らない国づくりを進めているようだ。

 国際社会の最難題のひとつだったイランの核開発問題も先月、同国と米英ロなど6カ国は問題解決の最終合意に達した。問題発覚から13年かけて結実した今回の合意は、オバマの提唱する「核兵器なき世界」にとって大きな前進となるだろう。

 北朝鮮の核開発問題は依然として残ったままだが、国際社会は核兵器を遠ざける方向へと確実に傾斜している。
〈安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから〉

 広島平和記念公園に置かれた「原爆死没者慰霊碑」の石碑には、そう刻まれてある。この碑文に込められた「反核の平和への誓い」が世界の趨勢となりつつある中、最も「過ち」を繰り返しそうな政治指導者は誰あろう、被爆当事国の安倍首相ではないか。

 安保関連法案の国会審議では、我が国への原油輸送ルートである「ホルムズ海峡」の機雷掃海に固執。さもホルムズ海峡が、「日本国民にとっての生命線」のように位置づけてきたのだが、イランの核問題の解決によって、機雷封鎖の脅威は薄れた。

 つまり、戦争法案は、その存在価値をますます失ったということだ。それなのに、なぜ安倍首相は法案成立を急ぐのか。平和憲法を踏みにじり、戦後日本の在り方を根本から変えようとする必要性はどこにもない。

 昨年は式典での挨拶に「コピペ」疑惑が浮上するなど、どうも安倍首相には原爆犠牲者の冥福を祈り、平和を切望する気持ちが欠けているように思えてならない。むしろ、過ちを繰り返そうとしているようにさえ思える。

 今年こそは慰霊碑に刻まれた碑文をじっくりと読み、決して「過ち」を繰り返さないよう、しっかりと心に刻み込んで欲しい。


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/271.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 教育制度を変更し…安保法案の陰で進む「改憲」洗脳シナリオ(日刊ゲンダイ)
             世論はまったく無視(C)日刊ゲンダイ


教育制度を変更し…安保法案の陰で進む「改憲」洗脳シナリオ
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/162477
2015年8月7日 日刊ゲンダイ


「一張羅のスーツも長い間着ていれば汚れる。クリーニングが必要だ。憲法も同じ。憲法古着論だ」――。自民党内では今も、こんな理屈の議論が進行中だ。「戦争法案」で憲法破壊に突き進む安倍政権だが、本丸の「憲法改正」を全く諦めていない。

 ただ、憲法改正は簡単ではない。そのため、あらゆる“戦略”が練られているという。まずは若者の「洗脳教育」だ。

 自民党文科部会は7月、選挙年齢が「18歳以上」に引き下げられた公選法改正を受け、教育公務員特例法の改正を提言した。政治的中立性を担保する――として、違反した教員に罰則を求めたほか、高校生の政治活動を規制する文科省の「昭和44年通知」の見直しにも踏み込んだ。表向きの理由は「政治的中立の確保」だが、本音は「自民党批判の発言は慎め」と言っているに等しい。

 軌を一にして、文科省は5日、16年度にも全面改定する学習指導要領の骨格案で、高校の新たな必修科目に「公共」の導入を公表した。高校生が政治参加するための「主権者教育」というが、文科省が政権の“思惑”を忖度した面は否めない。

「憲法改正には何年もかかる。だから、若い人に“協力”してもらわないといけない。そのためには間違っても、『SEALDs』のような反戦運動は困る。阻止するためには、現行の教育制度を変えるべき、というのが自民党の考え方なのです」(霞が関事情通)

 これじゃあ、戦前の軍部とまるで変わらない。そんな議論が現代の世で行われている異常事態には目まいを覚えるが、自民党は現行憲法のどの部分を変えたいのか。

「党内で今、検討されている柱は3つ。まずは、憲法前文を総入れ替えし、国民が守るべき最低限の規範やルールなどを掲げる。そして、天皇を元首とし、人権の定義を拡大。さらに総理大臣の権限拡大も盛り込むつもりです。憲法改正発議はおおむね3〜4回を考えていて、5年ほどかけて計40項目ほどを改正する案が検討されています。安倍政権が失敗した『96条』の憲法改正の発議要件についても、現行にある『総議員の3分の2以上の賛成』について『2分の1や5分の3以上』に緩和したいようです」(与党関係者)

 改正時期は来夏の参院選後、2年以内を目指しているらしい。自民党の改憲論者は「国破れて憲法あり、では困る」なんて言っているようだが、憲法破れて自民党あり、ではもっと困る。一刻も早く政権の座から引きずり降ろすべきだ。


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/272.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 反安倍のうねり SEALDsが動かした! 東大大学院教授が呼びかけた与党議員の落選運動に広がり(日刊ゲンダイ)
             「学者の会」の高橋哲哉教授(C)日刊ゲンダイ


反安倍のうねり SEALDsが動かした! 東大大学院教授が呼びかけた与党議員の落選運動に広がり
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/162472
2015年8月7日 日刊ゲンダイ


 嘉田由紀子前滋賀県知事は6月28日、フェイスブックにシールズの福田和香子さん(大学4年生)の動画を貼り付け、こう呼びかけた。

「若者が動き出した! SEALDs、わかこさんの力強いメッセージ。きいてください」

 まだ、シールズが大きな話題になる前である。シールズは前日「戦争法案に反対する渋谷ハチ公前街宣」を行った。そこで、福田さんは「私は自分の全ての可能性をかけて、この法案と、そして安倍政権を権力の座から引きずり降ろします」と宣言した。

 シールズの爆発的な広がりは、SNSなどのネット抜きには語れない。嘉田氏のフェイスブックにも瞬く間に「いいね」が集まった。

 安倍政権打倒の具体策を提案する識者もいる。7月24日の国会前集会では、「安保関連法案に反対する学者の会」の高橋哲哉東大大学院教授がこう訴えた。

「ぜひ皆さんで検討していただきたいと思うのですが、落選運動をしませんか。来年7月に参議院選挙があります。これから参議院で審議がされるわけですから、与党の改選議員を個別撃破して、『今度の法案に賛成するようなことがあれば、選挙で落としますよ』と言っていきましょう。衆議院に戻ってくるかも知れません。衆議院で再議決をする時に『次の選挙で落としますよ』と一人一人の議員に迫っていきましょう。そのようにして権力者に憲法を守らせましょう」

 これを受けてシールズの中心メンバーである本間信和さんはこう呼びかけた。

「デモだけじゃない。俺たちができることは全部やっていきますよ!」「あの建物も政治家も入れ物なんだよ。あの椅子に座るのは、俺たち一人一人なんだよ」「一人一人が集まって、社会を変えるうねりになるのですよ。来週も集まりましょう!」

 シールズの運動は地域や世代を超えて急速に広がっている。このうねりが与党議員の落選運動として具体化していけば、政権交代の可能性は一気に高まっていくだろう。


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/273.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 安倍首相が内閣支持率挽回に打つ「秘策」 8月11日以降にやって来る「3つの試練」(東洋経済)
前回の自民党総裁選は2012年9月14日告示、26日投開票。この時は5人も立候補。安倍首相は当時右端に。自民党はこの時、野党だった(日刊スポーツ/アフロ)


安倍首相が内閣支持率挽回に打つ「秘策」 8月11日以降にやって来る「3つの試練」
http://toyokeizai.net/articles/-/79748
2015年08月07日 かんべえ(吉崎 達彦) :双日総合研究所副所長 東洋経済


「百里の道を行かんとするものは、九十九里をもってその半ばとすべし」。

柄にもなくこんな言葉が脳裏に浮かびましたな。ハワイ・マウイ島でのTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)閣僚会議(7月28日〜8月1日)が、実質合意抜きに終了した時のことである。

■TPP実質合意ならず、オバマ大統領は激怒した?

交渉から戻った甘利明TPP担当相は、すぐに官邸を訪れて報告している。このところ逆風続きの安倍首相としては、「これが合意していれば、わが内閣の成果だと喧伝できたのに…」と内心悔やみつつも、甘利さんを頭ごなしに叱責したりはしなかっただろう。

それに引き換え、おそらくオバマ大統領はフロマン通商代表に雷を落としたのではないだろうか。オバマさんは滅多に声を荒げない紳士であるけれども、仮に筆者が大統領であれば、きっとこんな風にどやしつけている。

「お前が大丈夫だと言ったから、閣僚会議をハワイでやらせたんだぞ!」

「地元でこんな醜態をさらしてしまって、俺の面目は丸つぶれだ」

「国際会議を主催すると、カネもかかるんだぞ」

「このままでは合意ができたとしても、俺の任期中にTPP法案の議会批准が間に合わなくなるじゃないかあっ!」

思えば6月24日に米国議会でTPA(貿易促進権限)法案が通ったら、途端に交渉妥結への楽観ムードが流れ始めた。「日米が合意すれば、後は皆ついてきてくれる」とタカをくくったのであろう。日本もまったく同様だが、それまでの駆け引きでヘトヘトになって、日米以外の10カ国の事情をよく考えていなかったのではないか。

ところが他の交渉参加国にも意地があり、国内事情があった。カナダは秋に総選挙を抱えていて、マレーシアも政情が不安定。そしてFTA先進国たるニュージーランドには、「このままでは理想と程遠いものができてしまう」という焦りがあった。

そうでなくとも小国の側は、知的財産権や投資ルールなどでTPPによる不利益がどうしても多くなる。その分、市場アクセスなどのメリットがなければ、何をやっているのか分からなくなる。せめて乳製品の輸出拡大くらいないと、「最初にTPPを始めた国」であるニュージーランドとしては格好がつかないのである。

かくして最終局面になって、通商交渉の大ベテラン、ティム・グローサー貿易相が動いた。この世界の鉄則は、”Nothing is agreed until everything is agreed.”(すべてが合意しない限り、何も合意できない)。かくして乳製品の拡大がなければ、医薬品データの保護期間延長も認めないぞ!という反撃が飛び出したのである。

かくしてTPP交渉は仕切り直しとなった。日米の政権が、ともに政治的得点の機会を逃したことになる。終わってみれば、「負けに不思議の負けなし」といったところか。

■「内閣支持率40%割れ=1年以内に退陣」の嫌なデータ

問題はこれから先だ。安倍内閣にとっては、国会運営や外交日程で綱渡りの日々が続くことになる。新安保法制の不人気や新国立競技場建設をめぐる不手際などにより、安倍内閣の支持率は6月から7月にかけて大きく下落した。以下のデータはほとんど衝撃的だ。

○最近の内閣支持率データ

共同通信37.7%(7/17-18)←47.4%(6/20-21) ▲9.7p

時事通信40.1%(7/10-13)←45.8%(6/5-8) ▲5.7p

朝日新聞39%(7/11-12)←39%(6/20-21) ―

読売新聞43%(7/24-26)←49%(7/3-5) ▲6p

毎日新聞35%(7/17-18)←42%(7/4-5) ▲7p

日経新聞38%(7/24-26)←47%(6/26-28) ▲9p

NHK 41.0%(7/10-13)←48.0%(6/5-7) ▲7p

産経FNN39.3%(7/18-19)←46.1%(6/27-28) ▲6.8p

安倍内閣はこれまで2年半にわたって、一貫して4割以上の高い支持率を維持してきた。だからこそ政治の安定がもたらされてきたわけだが、ここへきて支持率と不支持率がクロス(逆転)している。「内閣支持率が4割を切ると、1年以内に退陣に追い込まれる」というのが過去の永田町パターンだ。

この常識を覆したのは、田中真紀子外相を更迭して支持率が急落し、翌年の日朝首脳会談で復活を遂げた2002年の小泉首相くらいである。
 しかもこの後、安倍政権にとって「トリプルデメリット」とも言うべき3つのイベントが控えている。「エネルギー政策」「歴史認識」「景気の現状」という3連発だ。

■もしお盆の時期に支持率がさらに下がったら?

1. 九州電力の川内原発が再稼働(8月11日頃)
原子力規制庁の新規制基準における初めての再稼働となる。4年ぶりの起動であるから、トラブルが生じる可能性も否定できない。

2. 戦後70年の安倍談話(8月15日)
どんな内容になっても、「右」と「左」の両方に不満が残り、それ以外の人は関心がない。結果として内閣支持率にとってはほぼ確実にマイナスとなる。

3. 内閣府が4-6月期GDP成長率を発表(8月17日)
個人消費の不振や鉱工業生産の低調さから考えると、どうやら年率2%前後のマイナス成長が予想される。足元の7-9月期は改善しているようなのだが…。

お盆の時期に政権支持率が下がることは、議員にとって重要な意味を持つ。地元で「あいさつ回り」をする際に、世間の逆風が身に沁みるのである。

ある保守王国選出の自民党議員が言っていた。「地元の盆踊り大会で挨拶をさせてもらえなかった。それくらい雰囲気が悪くなっている」。「俺でさえこうなんだから、浮動層の多い都市部の選挙区は大変だぞ」。

もっとも、差し迫った危険を感じているといったほどでもなかった。世論調査の内閣支持率は軒並み低下しているが、自民党の支持率は意外と底堅い。逆に民主党など野党の数字は伸び悩んでいる。そして国政選挙はいちばん近くても来年の参院選だ。

逆に党内のムードは微妙である。9月の自民党総裁選では、未だに安倍首相への対抗馬が出てこない。このまま無投票当選になりそうだが、「こんなときに候補者も立てられない自民党はいかがなものか」との批判が、これから党の内外で湧き上がるのではないか。

○当面の政治外交日程

8月11日 九州電力・川内原発が再稼働
 8月15日 戦後70年(*安倍談話はその1〜2日前に発表か?)
 8月17日 内閣府が4-6月期GDP速報値を公表
 8月下旬 安倍首相が中央アジアを歴訪?
 9月3日 中国が抗日戦争勝利70周年記念式典
 9月4日 安倍首相が訪中、日中首脳会談?
 9月3-5日 東方経済フォーラム(ウラジオストック)*プーチン大統領出席
 9月6日 岩手県知事選挙(達増知事vs.平野達男参議院議員)
 9月8日 自民党総裁選公示?
 9月14日 新安保法制で「60日ルール」が使用可能に
 9月15日〜 国連総会、習近平国家主席が訪米
 9月16-17 日米FOMC→利上げ?
 9月20日 自民党総裁選投開票?
 9月26日頃 安倍首相が訪米、国連総会で演説?
 9月27日 通常国会会期末
 9月30日 自民党役員人事の任期切れ

問題はこの後の政治日程だ。安倍首相は支持率挽回に向けて、おそらく外交カードを使ってくるだろう。

では具体的には、どんな手を打って来るだろうか。ひとつは訪中、日中首脳会談だ。訪米を控えた習近平国家主席としても、「とりあえず日中関係を良くしておく」ことは悪い相談ではないはず。国連総会での演説にも力が入るところだ。あるいは北朝鮮との拉致問題の進展、といったサプライズを仕掛けていることも考えられる。

■問題の自民党総裁選はいつになるのか?

そんな中で、自民党総裁選の日程をどうするかが悩ましい。総裁公選規程によれば、「任期切れ前の10日間で投票」「選挙期間は12日以上」となっている。9月30日が任期切れなので、普通に考えれば「8日(火)公示→20日(日)投開票」となる。

ただし、参院で新安保法制を通せなかった場合が問題で、9月14日以降にいわゆる「60日ルール」による衆院再可決が可能になる。まさか自民党総裁選の最中に、衆院再可決ができるだろうか。総裁選後に再可決を目指すとしたら、今度は外交日程も絡んでくるし、27日の会期末を睨んで瀬戸際の国会運営となってしまう。

もっとも8月に4週間もの審議時間をかけて、新安保法制に答えを出せないとしたら、それこそ「参院無用論」を加速することになってしまいそうだが…。

この問題をクリアするためには、衆院再可決を先に済ませた後で、「9月18日(金)公示→9月30日(水)投開票」という日程も考えられる。ただしこれでは、国会会期の最後10日分が無駄になるし、せっかくのシルバーウィーク(今年は19日から23日が5連休だ!)に、盛り上がらない自民党総裁選を戦うことになってしまう。

さてどうするのか。ひとつだけ間違いないのは、永田町は久々に、「政局の夏、緊張の夏」を迎える、ということである。


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/274.html

記事 [政治・選挙・NHK190] TBS杉尾記者も裸踊り接待…検察・国税の元担当記者が明かす当局幹部との癒着の実態(リテラ)
                    『新聞記者は何を見たのか 検察・国税担当』(講談社)


TBS杉尾記者も裸踊り接待…検察・国税の元担当記者が明かす当局幹部との癒着の実態
http://lite-ra.com/2016/08/post-1360.html
2016.08.07. リテラ


「文化芸術懇話会」での言論弾圧発言に象徴されるように、安倍政権と自民党のメディアへの圧力はますますエスカレートしている。しかし、元はといえば、権力をここまでつけ上がらせてきたのは、マスコミ自身の過去の“権力べったり”の姿勢に大きな原因がある。その一端が垣間見えたのが、『新聞記者は何を見たのか 検察・国税担当』(講談社)である。

 著者は中日新聞・東京新聞の検察担当を長く務めた村串栄一氏。2013年に定年退社するまで、数々の政界疑獄事件を担当してきたという。

 しかし、そこには、唖然とするような権力との癒着が書かれていた。それを端的に示すのが、「検察という魑魅魍魎」「匍匐前進の日々」「沈黙の国税を崩せ」といった章の末尾ごとに書かれた「エピソード」というコーナーだ。


 「検察も人の子」というコーナーで、著者はこう書いている。
 
〈…権力、カネを握れば次は女が定番。ある年の暮れ、法務・検察組織で上位にいた幹部から筆者宅に電話がありました。「僕の女性問題が週刊誌に書かれるらしいんだ。取材にも来た。もう面倒くさいから役所を辞めようかと思っている。辞表を書き終えたばかりなんだ」〉

 結局、筆者は聞いたことを何も書かなかった。別の検事が別の案件で検察を辞めようとしていた時は、辞表を出すのを思いとどまるよう説得したとも書いている。 

「特捜部長の谷川岳登山」と題するコーナーでは、特捜部長とマスコミ記者が群馬県の水上温泉旅行と谷川岳登山に出かけた時の話が出てくる。1985年8月13日のこと。その前日には同じ群馬県の御巣鷹山に日航機が墜落するという大惨事があったばかりなのに、当時の山口悠介特捜部長の提案で記者がゾロゾロ出掛けたのだ。また山口氏の自宅近くのスナックでは、しょっちゅう記者が集まっていたという。

〈山口さんも…自慢のアコーディオンを持参して弾いてくれました。飲み、歌うに連れ、記者の踊りが始まる。名物はTBSの杉尾秀哉さんの裸踊り。次いで産経新聞の宮本雅史さんが三波春夫の俵星玄蕃を唸り声で披露する。事件を忘れて騒ぎ、朝が来たのです〉

 毎日さぞ、楽しかったに違いない。こうした記述の中で特に見過ごせないのは、「シドニーでの出来事」だ。筆者は、検察にどこまで“協力”できるかを考えていたと言う。そんな中で、仕手筋による国際航業の株買い占め事件が起きると、関連取材でオーストラリアに飛び、事件関係者の取材をした。帰国後、当時の石川達紘特捜部長に呼ばれる。

〈部長室には副部長も同席していました。こちらの情報が捜査に使われるのはどうかと慎重に対応しました。雑談として話したのですが、副部長がメモを取っていたのです。「記録には残さないようにお願いします」。マスコミの情報提供はリアクションも考えなければならないと思ったからです〉

「慎重に対応しました」などと言い訳しているが、取材で得た情報を最強の権力機構に渡してしまうことに、痛痒は感じなかったらしい。まるでペンを持った岡っ引きである。村串氏の回顧談には、権力監視を第一とすべき報道機関とは思えない話が次から次へと出てくるのだ。権力中の権力である検察と、いったいどこで戦っていたのか。検察という権力の監視はどうなっていたのかと呆れてしまうのではないか。
 
 村串氏はたくさんの「独自記事」を書いたのだという。一時国税担当になったときも、「書いた国税独自記事は多すぎてほとんど忘れてしまった」となんのてらいもなく、記しているが、こうした独自記事とは、しかし、「きょう強制捜査へ」といった“発表の先取り型記事”にすぎない。そんな業界の内輪の「記者クラブ型のスクープ」に血道をあげる一方、検察の違法捜査や見込み捜査はほとんど問題にせず、「検察は正義の味方」というイメージを作り上げてきたのだ。それがマスコミである。それが証拠に、マスコミの検察担当記者は冤罪事件に加担した検事の責任などほとんど追及してこなかったし、民主党代表だった小沢一郎氏にまつわる一連の政治資金問題でも検察にとって都合の良い記事を書き続けた。

 マスコミと検察権力の癒着ぶりは、休刊になった「噂の真相」が1999年に報じた東京高検検事長にまつわる一件を振り返っても分かる。この検事長はとんでもない女性スキャンダルを抱えていたのだが、多くのマスコミは報じなかった。ところが同誌の報道を後追いして朝日新聞が1面で報じ、検事長は辞任に追い込まれていく。なぜ、マスコミは先に報じなかったのか。当時の「噂の真相」には大手紙の司法担当記者のこんなコメントが出てくる。 

〈(検事長の)黒い噂は、目端の利く地検担当の記者なら誰でも一つや二つ知ってますよ。ただ、ご存じの通り、立場上書けないだけ。もし虎の尾を踏んで今後、特捜部のネタが取れなくなったら致命傷ですからね〉

 知っていても書かない、という驚くべき宣言なのだ。“正義の味方”の検察から出入り禁止を食らって、事件ネタが書けなくなると、記者自身の社内評価や出世にも影響するのだろう。そんな個人的な事情を優先させ、書かない・書けない、とあからさまに宣言するのだったら、マスコミは「国民の知る権利を代行しています」みたいな言い分をさっさと下ろすべきではないか。

 村串氏の著書にも、この検事長スキャンダルに関するくだりは、わずか10行程度ながら登場する。こんな内容だ。

〈休刊になった「噂の真相」は東京高検検事長のスキャンダルを炙り出し、辞任に追い込んだ。雑誌はストリートジャーナルを自認している。週刊誌記者の粘り腰は見上げたものだ。新聞が書かない、あるいは書けないネタを堂々と張る〉

 「噂の真相」を持ち上げているが、問題は「新聞が書かない、書けない」記事とは何か、ということだ。書かない・書けない記事は、すなわち世に出ていないのだから、読者は何が起きたか・起きていないかすら、知るすべがないがないのである。

 だが、事は何も村串氏個人、検察担当記者に限った話ではない。酒やゴルフ、ときには金品や女も介在しながら、マスコミと権力は密接なインナー・サークルを築いてきた。古いところでは、田中角栄首相が番記者に現金を配っていたことを後に明らかになったこともある。こうした癒着構造は一時、下火になったが、第2次安倍政権になって再びあからさまになった。

 首相自らがマスコミ幹部と会食を頻繁に繰り返し、安倍首相、今井尚哉首相秘書官、そして、菅義偉官房長官らが読売、産経などの特定記者と裏でつながって、謀略情報をリークしているのは有名な話だ。

 そして、これにならうように、一部の省庁では自分たちのいうことをきく特定の社だけを重用する傾向が強まり、新聞・テレビの側も情報源の官僚に気に入られようと取り入り合戦がさらにエスカレートしているという。

 安倍政権と対峙するために、マスコミはまずこのグロテスクな癒着を断ち切るべきではないのか。

(南村 延)


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/275.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 中曽根康弘元首相、月刊誌への寄稿で「侵略」明言(日刊スポーツ)
中曽根康弘元首相、月刊誌への寄稿で「侵略」明言
http://www.nikkansports.com/general/news/1519053.html
2015年8月6日21時28分 日刊スポーツ


 中曽根康弘元首相が7日発売の月刊誌「文芸春秋」への寄稿で、先の大戦をめぐる日本の行為について「紛れもない侵略」と明言していることが6日、分かった。

 安倍晋三首相の戦後70年談話をにらみ「自己の歴史の否定的な部分を直視する勇気と謙虚さを持つべきだ。そこからくみ取るべき教訓を心に刻み、国家を導くことが現代政治家の責務だ」と強調した。

 政権の歴史認識について「国際的に通用する判断で考えなければならない」と指摘。先の大戦を「無謀な戦争」と振り返った上で「特に中国民族の感情を著しく傷つけた」と言及した。

 中国や韓国との関係改善に関し「歴史問題の軋轢(あつれき)には慎重な態度で臨むべきで、過去に対する率直な反省とともに言動は厳に慎むべきだ。民族が負った傷は、三世代百年は消えない」と警鐘を鳴らした。同時に「互いの国の世代の代替わりで、人間関係が希薄になりつつある」として、多面的な交流が必要と訴えた。(共同)



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/276.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 東京新聞記事! 国会議事堂前の過剰警備 誰の為? 貴方の為だから? その貴方は誰? アホ政権与党です。
私も参加した7/31のシールズの国会議事堂前のデモの警備が
東京新聞8月6日 こちら特報部に大きな記事ででたました。


当日18時から22時ぐらいまでスピーチするその場所の真裏ライトがある辺りから
彼(彼女)らと「アベはやめろ!」「憲法守れ!」「国民舐めんな」と
コールしていました。

さてそんなその場所でコールしたい方々に
警察が準備してくれているスペースがあります。
歩道の3/5ぐらいですね。長さは
東西側が200mぐらい
南北側が300mぐらい

何人が入る推定か管轄署に尋ねても
「警備の都合でお答えできません」ですって。

やってくる人々の量に警察が用意しいるスペースは全くマッチングしていません。

そこで警察は何をやっているか?

まずは
「素通りさせちゃぞ作戦 」

3/5のとどまれるスペースに誘導する事無く、なんと通過誘導してるんです!

でもそでれも人が捌けなくなると今度は何するか?
「もう入れません参加希望者追い返し作戦」
とっても狭い警察指定のスペースが埋まると、
もう先に進めませんと押し寄せる人を規制します。

なんなんですかねコレ?

主権者である国民の基本的人権を最大限に擁護する必要がある警察が一体何やってんですかね?

車道に目をやると、信号変わるたびに平均して4-5数台の車が通過します。

夏祭りでは車道解放ができる警察ですが、 民主的なデモには車道を解放でき無い?
そこに合理的理由は?

「誰の為の警備ですか?」 「アベ政権の為の警備です。」



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/277.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 戦後70年間の検証C 安倍談話で「中国、韓国と真の和解ができるか」(生き生き箕面通信)
http://blog.goo.ne.jp/ikiikimt/e/c816163a35e3bdf549a1fe388c1ef6ff
2015-08-07 09:23:01

 「先の大戦は日本の『侵略』であり、政府および軍の指導者の責任は誠に重いと言わざるを得ない」という報告書が昨日8月6日、安倍首相の私的懇談会から提出されました。安倍首相はこれをもとに14日に閣議決定して発表する「安倍談話」をつくる段取りです。

 この安倍談話は、戦後70年間の日本の歴史を総括するとともに、侵略した国々に対する心からの謝罪とお詫びを示して真の「和解」を実現するべきはずのものです。

 しかし、安倍首相は、先の大戦が「侵略戦争」だったとは認めたくなく、したがってお詫びもしたくない「安倍らしいもの」にしたい意欲をのぞかせてきました。それが感じられるだけに、中国や韓国から牽制する動きが示されました。

 安倍談話が安倍首相の狙い通り、村山談話や河野談話を実質的に否定するものなら、中韓との真の和解は遠のきます。そんなことが戦後70年経った今日許されるでしょうか。

 ところが現在の日本には、歴史修正主義ともいえる「先の大戦の評価を再評価しよう」とする人々が多く出てきているのも事実です。「先の大戦は、西欧列強の植民地支配からアジアを解放する“正義の戦争”だった」というものです。日本は悪いことなんかしていない。謝るなんてとんでもない、のです。

 大勲位と異称を奉られる中曽根康弘・元首相は本日の読売新聞に寄稿し、「アジアとの戦争は『侵略戦争だった』と認め、『やるべからざる戦争であり、誤った戦争』と総括。こうした否定的な歴史を直視しなければ、近隣諸国から信頼をえることはできない」と指摘しました。

 さらに、「東京裁判」は連合国側が日本の戦争犯罪を一方的に裁いたもので認められないとしたうえで、「本来は、当時の指導者の戦争責任を『日本人自らの責任で決着をつけるべきだった』と述べました。

 一度参拝した後とりやめた靖国参拝については、「アジア周辺国との信頼関係構築こそ最優先すべき国益」と強調。

 この中曽根機構のなかには、安倍首相よりもずっと大人らしい落ち着いた保守の論理が見て取れます。つまり、安倍首相が進める政治は、保守の側からも(?)がついています。

 それでは、リベラルが談話を出すとすれば、どうなるか。戦後70年間を検証し、その上に立ってこれからの日本が取るべき道を提示するとすれば、村山談話を忠実に引き継いでアジア周辺諸国との真の和解を実現し、新しい友好善隣関係構築をめざす決意を示すべきではないでしょうか。

 いずれにしても、戦後70年も経ちながら、いまだに日本人の手で先の大戦の総括ができていないルーズさに顔が赤くなります。恥ずかしい。

 いまからでも大戦の総括をして、中国や韓国とも真の和解を達成したいものです。


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/278.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 安倍晋三首相が唱える「核兵器のない世界」の実現は、本気性がまったくなく、空念仏に聞こえる(板垣 英憲)
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/81ba29440c00b61ba23f12dd82f6b80a
2015年08月07日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」

◆米空軍B29「エノラゲイ」が1945年8月6日午前8時15分、広島市に原爆投下してから70年を迎えた8月6日、安倍晋三首相は、「平和記念公園」で開かれた平和記念式典に出席して、あいさつし、「核兵器のない世界」の実現に向けて、一層の努力を積み重ねていく決意です。この決意を表明するため、本年秋の国連総会では新たな核兵器廃絶決議案を提出いたします」と述べた。

 しかし、日本は非核保有国でありながら、日米安全保障条約に基づく「日米同盟」関係を結んでいて、「米国の核の傘」に守られていることから「準核保有国」である。また、原発51基を持ち、「潜在的核保有国」であると言われているので、「本年秋の国連総会では新たな核兵器廃絶決議案を提出いたします」と力説しても、説得力は低い。「核兵器のない世界」を実現したいと言っても、「核兵器製造技術を温存する」ために、原発再稼動政策を続けようとしていることが明らかであり、本気性がまったくなく、空念仏に聞こえる。

◆それどころか、安倍晋三首相は、「安全保障法制整備関連法案」を今延長国会(会期末9月27日)で「60日ルール」を使ってでも、成立させようと鼻息荒く取り組んでいて、「あいさつ」のなかで「非核3原則」に言及すらしなかった。これは、「核武装」への誘惑を断ち切っていないのではないかという疑念を招いている。

 安倍晋三首相は、平和記念式典の後、広島の被爆者7団体の代表と面会した際、「法案撤回」を求める要望書を手渡された。だが、これに対して、「日米同盟が完全に機能すると発信することで、紛争を未然に防ぐ」と述べ、取りつく島もなく一蹴した。

◆中谷元防衛相は8月5日午前の参院平和安全法制特別委員会で、自衛隊による核ミサイルの輸送を「法文上は可能だ」と明言したばかりか、毒ガス兵器の輸送についても「できる」との見解を示している。民主党の白真勲参院議員の質問に対する答弁である。

 また、安倍晋三首相を支えている若手国会議員のなかには、武藤貴也衆院議員(1979年5月25日生まれ。滋賀4区選出、当選2回、「為公会」麻生派所属)のように、原発再開稼動推進、憲法改正や自主防衛、核武装論者が増えており、「核兵器のない世界」の実現が、ますます遠のいている感が強い。

【参考引用】http://www.asahi.com/articles/ASH855GTPH85UTFK00H.html
朝日新聞DIDITALは8月6日午後1時17分、「平和記念式典の安倍首相あいさつ全文 広島被爆70年」という見出しをつけて、以下のように配信した。

 本日ここに、被爆七十周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が挙行されるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に向かい、謹んで、哀悼の誠を捧げます。そして、被爆による後遺症に、今なお苦しんでおられる方々に対し、衷心よりお見舞いを申し上げます。

 あの朝から七十年が経ちました。ここ広島に投下された一発の原子爆弾により、十数万にものぼる幾多の貴い命が奪われ、街は廃墟(はいきょ)と化しました。惨禍の中、一命をとりとめた方々にも、言葉に尽くしがたい辛苦の日々をもたらしました。

 今、広島の街を見渡すとき、この水の都は、たくましく復興し、国際平和文化都市へと変貌(へんぼう)を遂げました。被爆から七十年を迎えた今朝、私は、改めて平和の尊さに思いを致しています。

 我が国は唯一の戦争被爆国として、現実的で実践的な取組を着実に積み重ねていくことにより、「核兵器のない世界」を実現する重要な使命があります。また、核兵器の非人道性を世代と国境を越えて広める務めがあります。

 特に本年は、被爆七十年という節目の年であります。核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議では、残念ながら、最終合意には至りませんでしたが、我が国としては、核兵器国と非核兵器国、双方の協力を引き続き求めつつ、「核兵器のない世界」の実現に向けて、一層の努力を積み重ねていく決意です。この決意を表明するため、本年秋の国連総会では新たな核兵器廃絶決議案を提出いたします。

 八月末には、包括的核実験禁止条約賢人グループ会合並びに国連軍縮会議が、更に来年には、G7外相会合が、ここ広島で開催されます。これらの国際会議を通じ、被爆地から我々の思いを、国際社会に力強く発信いたします。また、世界の指導者や若者が被爆の悲惨な現実に直に触れることを通じ、「核兵器のない世界」の実現に向けた取組をさらに前に進めてまいります。

 今年、被爆者の方々の平均年齢が、はじめて八十歳を超えました。高齢化する被爆者の方々に支援を行うために制定された「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」も、施行から二十年を迎えました。引き続き、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策を、しっかりと進めてまいります。特に、原爆症の認定につきましては、申請された方々の心情を思い、一日も早く認定がなされるよう、審査を急いでまいります。

 結びに、亡くなられた方々のご冥福と、ご遺族並びに被爆者の皆様のご多幸をお祈り申し上げるとともに、参列者並びに広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私のご挨拶(あいさつ)といたします。


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/279.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 迷走の果て、最悪の形で終わることになる「70年談話」問題  天木直人(新党憲法9条)
迷走の果て、最悪の形で終わることになる「70年談話」問題
http://new-party-9.net/archives/2427
2015年8月7日 天木直人のブログ 新党憲法9条


 どうやら、「70年問題」は最悪の形で終わることになりそうだ。

 もちろん、安倍首相と安倍政権を支援する側にとっては、それは最良の形で終わるということになる。

 少なくとも「70年談話」問題に関しては安倍首相はうまく乗り切りそうだ。

 なぜ私がそのように思うか。

 それは安倍首相が有識者懇談会報告書のいいとこどりをして、それを閣議決定して「安倍談話」にすることが確実になったと思うからだ。

 きのう8月6日に提出された、長ったらしい報告書は、ひとことでいえば、一方において過去の侵略戦争が関係国に多大の迷惑をかけた事を明確に認め、他方において、「積極的平和主義」を全面的に押し出して未来志向の外交・安保政策を強調するものだ。

 安倍首相は、この報告書の文言を巧みに使い、過去の歴史認識問題に関しては限りなく村山談話に近いものとしながら、安倍談話の主眼をあくまでも未来志向の部分に置いて、それを強調するだろう。

 そして、ここが最も重要なところであるが、それを閣議決定して安倍政権の談話として発表する。

 その結果何が起きるか。

 村山談話とそれを踏襲した小泉談話は、8月14日以降、安倍談話にとってかわられることになる。

 これからは村山談話は二度と口にされることなく、安倍談話が今後の日本政府の公式見解となって、ことあるごとに引用されることになる。

 これこそが安倍首相がはじめから望んでいたことだったのだ。

 すなわち村山談話を自分の手で過去のものとして葬り去ることである。

 もちろん中国や韓国は不満を述べるだろう。

 しかし、過去の問題については、ほとんど村山談話と同じだから、激しく非難することはできない。

 積極的平和外交に関しては、それが未来志向の日本の外交・安保政策である以上、正面切って批判することなどできはしない。

 米国はもちろん歴史認識の部分に着目して、安倍首相が米国の要求に耳を傾けたとして歓迎するだろう。

 積極的平和主義については、米国の要求通りだから満点だ。

 残るは、村山談話の支持者たちである。

 彼らは、村山談話と、それを踏襲した小泉談話こそ、世界が受け入れた日本政府の見解であるから、それを安倍首相の手で書き換えることは許されないと批判するだろう。

 彼らは決して安倍談話を認めないだろう。

 かくして日本は、安倍談話を歓迎する者たちと、村山談話こそ日本の方針だとする者たちが対立したまま、二つの談話がいつまでたっても並存して、その正当性について議論が残ることになる。

 それはそのまま、この国の自民党支持者と護憲・左翼支持者の対立として残る。

 今から振り返れば、迷走した安倍首相が、閣議決定を断念して個人的談話とする話が、一時的にせよ、報じられた時があった。

 私はそれを歓迎して、もし安倍首相がそんなことを考えているとしたらあまりにも愚かだと笑った。

 余計なことを書いて安倍首相を挑発した。

 それを知ってか知らずか、安倍首相は閣議決定して村山談話を上書きすることに決めたとしたら、安倍首相は馬鹿ではなかったということだ。

 私は今でも、やはり安倍首相は馬鹿だった、と終ることを期待したい(了)



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/280.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 政界地獄耳 低次元発言…自民劣化著しい(日刊スポーツ)
政界地獄耳 低次元発言…自民劣化著しい
http://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/1519235.html
2015年8月7日9時8分 日刊スポーツ


 ★またまた首相・安倍晋三の応援団という色彩が強いといわれ、作家・百田尚樹が講演し「沖縄の2紙はつぶさないといけない」とか衆院議員・大西英男が「メディアを懲らしめる」などと発言して話題の自民党「文化芸術懇話会」出席議員の狼藉(ろうぜき)だ。当選2回、愛知1区選出、衆院議員・熊田裕通は文教族として教育行政の専門家だった元首相・海部俊樹の秘書を長く務めた。

 ★暴言議員・自民党・武藤貴也が反戦デモを行った学生集団に対し「だって戦争に行きたくないじゃん、という自分中心、極端な利己的考え」というツイートした問題に続いて、熊田は自身のホームページで学生時代の武勇伝をこう記す。「放課後、先生がトイレ掃除の点検にやってきました。好機到来です。中に入ったところで外からドアを押さえて閉じ込めたんです。そして、天窓を開け、用意していた爆竹を次々に投げ込んだんですよ。はじめは『開けなさい』と命令していた先生も、そのうち『開けてください』とお願い調になり、最後は涙声で『開けて〜』と絶叫調に変わってきた。『やった〜』と快感でしたね。『もういいか』とドアを開けると、廊下にモワァーっとたちこめる煙。その中を先生が一目散に職員室に逃げ込む。すると反対に、担任がぼくらの教室に駆け込んで来て…。後はご想像に任せます」。

 ★ホームページ内には政治信条も掲げられ「日本の未来を担う子供たちには学力のみならず、道徳心や公共を考える力、国を愛する意識など幅広い心の涵養(かんよう)が必要です。道徳教育にかける時間を増やして、個人の行使できる権利とそれに伴う義務を自覚させなければなりません。ボランティアや福祉活動など課外活動に従事させ、社会教育を経験させることにより『公共』の中の『個』を意識する心を育てます」とある。後を絶たぬ自民党若手の低次元の発言から、自民党の激しい劣化を見た。(K)※敬称略



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/281.html

記事 [政治・選挙・NHK190] <JSC>新国立工事費、「3000億円」設計会社提示無視:議事録一部削除し開示…情報公開請求に

<JSC>新国立工事費、「3000億円」設計会社提示無視

 2020年東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の建設問題で、事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)が昨年5月、基本設計の概算工事費を過少に見積もって公表していたことが、関係者の証言で分かった。設計会社側が約3000億円と提示したのに対し、JSCは資材の調達法や単価を操作するなどして1625億円と概算していた。

 ◇過少見積もり1625億円

 正確な額が公表されていれば、計画見直しが早まった可能性がある。1625億円の根拠は7日に始まる文部科学省の検証委員会でも議題となる。

 JSCは昨年5月、基本設計を発表した。8万人収容で開閉式屋根を持つ新競技場は地上6階、地下2階の鉄骨造りで延べ床面積は約21万平方メートル。概算工事費は1625億円とした。

 関係者によると、昨年1月から本格化した基本設計の作業で、設計会社側は概算工事費を約3000億円と試算した。

 しかし、JSCは「国家プロジェクトだから予算は後で何とかなる」と取り合わなかった。

 JSCは1625億円を「13年7月時点の単価。消費税5%」の条件で試算した。さらに実際には調達できないような資材単価を用いるなどして概算工事費を過少に見積もったという。

 基本設計発表の半年前の13年末、財務省と文科省は総工費を1625億円とすることで合意しており、JSCはこの「上限」に合わせた可能性がある。ある文科省幹部は「文科省の担当者が上限内で収まるよう指示したのではないか」と指摘している。

 今年2月、施工するゼネコンが総工費3000億円との見通しを示したことでJSCと文科省は総工費縮減の検討を重ね、下村博文文科相が6月29日、総工費2520億円と公表した。しかし、膨大な総工費に批判が集まり、政府は7月17日に計画を白紙撤回した。

 JSCは「政府部内の調整を経た結果、13年12月27日に示された概算工事費を超えないよう基本設計を進めた。基本設計に記載した1625億円は、設計JV(共同企業体)側とも確認のうえ算出した」と文書で回答した。【山本浩資、三木陽介】

最終更新:8月7日(金)12時6分

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150807-00000012-mai-soci
===================================================================================================================
JSC:議事録一部削除し開示…情報公開請求に
毎日新聞 2015年08月07日 10時01分(最終更新 08月07日 12時06分)

 新国立競技場のデザインを検討した有識者会議での発言について、会議を設けた日本スポーツ振興センター(JSC)が、情報公開請求に対し議事録から一部を削除して開示したことが分かった。議事録で個人を特定する部分などは黒塗りとなっているにもかかわらず、発言そのものがなくされていた形で、情報操作とも言える手法に批判が出そうだ。

 問題の議事録は2012年11月15日に開かれた第3回有識者会議のもので、毎日新聞は情報公開請求で入手した。会議は非公開で、新国立競技場のデザイン審査について、イラク出身で英国在住のザハ・ハディド氏の作品を1位に選んだことが報告された。

 開示された文書では、審査委員長を務めた建築家の安藤忠雄氏が次点の作品を論評している部分や出席者名などが黒塗りになっていた。一方、新国立競技場計画の検証を進める自民党行政改革推進本部(河野太郎本部長)が4日、非公開部分を明らかにした文書を報道陣に公開した。
 二つを比較すると、情報公開請求で開示された文書では、森喜朗元首相がデザインについて「神宮のところに宇宙から何かがおりてきた感じだ。ほんとうにマッチするのかな。次の入選作も、神宮の森にカキフライのフライのないカキか、生ガキがいるっていう感じ」と論評した部分が削除されていた。

 安藤氏が次点の作品の方が実現性が高いと認めつつ「可能性に挑戦する、日本の技術者が向かっていく意味でいい」とザハ案を選んだ理由について述べた部分が黒塗りされていたことも分かった。

 NPO法人「情報公開クリアリングハウス」の三木由希子理事長は「二つの議事録は削除だけでなく、言い回しが異なる部分もあり別物。複数の議事録の存在は、当初開示された方が改変されていた可能性が高く、その行為は違法の疑いがある。何らかの意図で発言を削除したと考えざるを得ない」と指摘した。【山本浩資】

http://mainichi.jp/select/news/20150807k0000m040144000c.html



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/282.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 国粋主義者の70年談話<本澤二郎の「日本の風景」(2077) <反省するが謝罪しない> 
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52112046.html
2015年08月07日 「ジャーナリスト同盟」通信

<反省するが謝罪しない>

 国粋主義者・安倍は、広島での記者会見(8月6日)で70年談話について「反省するが、謝罪しない」という骨格を明らかにした。同日、彼の意向に沿って有識者懇という怪しげな会が、同様の結論を出した。「謝罪はしない」という安倍の厳命に従った軽薄な内容である。

<反省は形だけ>

 そもそもは内外の世論をどうごまかすか、に重点を置いた70年談話である。根底に平和主義が欠落している。それどころか軍国主義復活にかけている極右政権である。
 反省と謝罪を分離することで、やり過ごそうというものであるが、反省と謝罪は本来一体である。まともな反省があれば、必然的に謝罪・おわびへとつながる。
 要するに、安倍談話には、侵略と植民地支配への真剣な反省がない、ということになろう。形だけ・魂の入っていない空疎なものでしかない。これこそが極右の限界なのである。
 アジアに存在してはならない政権なのである。日本国民あげて猛省すべき点である。新たな問題、中国学者のいう「機雷」敷設に相当しようか。自公内閣には、本物の平和主義がない。

<軍国主義ほのめかす積極平和主義>

 いうところの積極的平和主義は、臆面もなく喧伝する安倍談話である。この安倍・国粋主義の叫ぶ積極平和主義は、さまざまな国際的諸問題にたいして軍事力行使をほのめかしている。
 ワシントンの戦争屋の意向に従って軍事力でもって対応する、というものである。目下の戦争法を活用して、米国の戦争に自衛隊を提供する。言い換えると日本軍国主義の復活宣言とも読めるだろう。

<東芝OBの原発派西室>

 安倍談話のまとめ役は、東芝OBの西室という財閥代表である。
 小泉内閣のときから政府の要職についた。郵政民営化にも関与した。その後は証券業界、今は日本郵政社長である。原発に無知な小泉のお尻を叩いて、原発推進に必死となったのも、東芝の原子炉戦略のためであった。むろん、背後で粉飾決算で生み出した裏金を、政官界に配ったであろうことも想像できそうだ。
 米原子炉メーカーのWH買収劇は、確か小泉内閣のころだ。西室も深く関与していたであろう。とどのつまり、このWHが不良資産となって、東芝墜落の原因となることは間違いない。西室も責任を問われるかもしれない。株主が黙っていないだろう。
 それにしても安倍の財閥人間活用も際立っている。NHKのモミイだけではない。

<ナベツネ子分の極右学者・北岡>

 70年談話には、もう一人極右学者で知られる北岡も関係していた。記憶では、彼を引き上げた人物は読売のナベツネである。類は類を呼ぶのであろう。頭脳が衰えてきたナベツネの身代わり役なのであろうか。
 極右は政界も官界も学会も、金で転ぶ人間が多い。御用学者として利用価値はあるのであろうが、尊敬の対象ではない。
 筆者の知る彼の実績の一つというと、中国の女性学者を思想転換させたことである。

<中国脅威論を悪用して戦争法審議促進>

 現在いえることは、70年談話が隣国を満足させることはない、ということである。むしろ、その逆である。
 当初、9月上旬の北京訪問に必死となったが、方向転換したらしい。日本会議の意向と思われる。信頼する女性議員の進言に折れたものか。
 「中国脅威論を戦争法の審議促進に悪用せよ」という忠告に従ったと見られている。これが国粋主義人間なのである。
 昨日、安倍はまた太田と短時間会っている。創価学会の動向が気になるのであろう。

<非核3原則に触れなかった広島あいさつ>

 そういえば、原爆投下70年の広島あいさつで、安倍は非核3原則を意図的に蓋をしていたことが判明した。なぜなのか。ここにも深い軍拡への闇がありそうだ。
 原発再稼動の安倍・自公内閣、核兵器の原料となるプルトニウムを大量蓄積する日本、核武装化への野望という線をつないでいくと、なんとも恐ろしい闇が見えてくるようだ。

<「財閥」用語を初めて用いた人民網>

 余談だが、昨日の人民網日本語版で初めて「財閥」が登場した。日本政治の闇の権力は財閥、という筆者の分析に理解するジャーナリスト・研究者が、ようやく現れたものか。だとすると、これはいいニュースである。
 中国での財閥研究を訴えてきた筆者である。「日本の財閥住友が16年ぶり赤字」が見出しである。冒頭の「財閥企業はいまの日本であまり語られることはないが」という書き出しからも、ようやく日本財閥に目を向けてきた証拠とみたい。

2015年8月7日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/283.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 民間人大量虐殺の戦争犯罪・戦争法案を許さない(植草一秀の『知られざる真実』)

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-df50.html
2015年8月 7日

いまから70年前の1945年8月6日午前8時15分、米国は広島に原子爆弾リトルボーイを投下した。

きのこ雲の下には、抱き合う黒焦げの親子、無数の遺体が浮かぶ川、焼け崩れた建物。幾万という人々が炎に焼かれ、その年の暮れまでにかけがえのない14万もの命が奪われ、その中には朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜なども含まれていた(松井一実広島市長)。

米国による民間人大量虐殺が実行されたのである。

その米国は、3日後の8月9日に、長崎にも原子爆弾を投下した。

長崎でも、この年の年末までに7万4千人の命が消し去られた。

米国は日本の罪なき一般市民を大量虐殺した。


松井一実広島市長は8月6日の平和宣言でこう述べた。

「辛うじて生き延びた人々も人生を大きく歪(ゆが)められ、深刻な心身の後遺症や差別・偏見に苦しめられてきました。

生きるために盗みと喧嘩(けんか)を繰り返した子どもたち、幼くして原爆孤児となり今も一人で暮らす男性、被爆が分かり離婚させられた女性など――苦しみは続いたのです。」

広瀬隆氏は

『東京が壊滅する日』(ダイヤモンド社)

http://goo.gl/giZZWz

にこう記す。

「原爆投下のすべての目的が、財閥が得る巨額の収入にあったことは動かし難い事実である。」

広瀬隆氏は、原爆と原発が

「双子の悪魔」

であると指摘する。

グローバルな強欲巨大資本が、

飽くなき利益追求のために

「原爆と原発」

の開発、使用、拡散に突進してきたのが、

1942年に

「マンハッタン計画」

が始動して以来の世界の歴史なのである。

広島、長崎の罪なき市民が、米国によって、グローバル巨大資本の強欲資本主義によって地獄に突き落とされた。

しかし、いまだにこの極悪非道の残虐な犯罪に対する断罪もなければ謝罪もないのだ。

その米国に安倍晋三政権はひれ伏し、服従し、隷属しているのである。

松井一実市長は、いまこの日本で、戦争を推進する法制が強行制定されていることについて言及しなかった。

そして、安倍政権は核の輸送すら否定しない。

70年前の惨事の教訓を踏まえるどころか、同じ過ちを犯しつつある安倍政権に対して、何ひとつ、モノを言えない挨拶を平和宣言の名の下に朗読したのである。


70年前の8月9日に、長崎に投下された原爆で被爆し、その後、亡くなられた永井隆博士が「いとし子よ」という言葉を遺された。

永井博士はこのなかで次のように述べている。

「私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。

わが子よ!

憲法で決めるだけなら、どんなことでも決められる。

憲法はその条文どおり実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。

どんなに難しくても、これは善い憲法だから、実行せねばならぬ。

自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。

これこそ、戦争の惨禍に目覚めたほんとうの日本人の声なのだよ。

しかし理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。

日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。

そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて世論を日本再武装に引きつけるかもしれない。

もしも日本が再武装するような事態になったら、そのときこそ…誠一(まこと)よ、カヤノよ、たとい最後の二人となっても、どんな罵りや暴力を受けても、きっぱりと戦争絶対反対≠叫び続け、叫び通しておくれ!

たとい卑怯者とさげすまされ、裏切り者とたたかれても戦争絶対反対≠フ叫びを守っておくれ!


この言葉ほど、いまの日本の情勢に突き刺さる言葉はない。

永井博士は安倍政権の亡国の戦争推進政策を、完全に見抜き、予言していたのである。

私たち日本の国民は、いまこそ、

「戦争絶対反対」

の言葉を叫び、これを守り抜かねばならない。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/284.html

記事 [政治・選挙・NHK190] <驚愕>安保法制の自衛隊支援活動、核兵器も「弾薬」と解釈していることが判明!防衛相「核ミサイル輸送も法文上は可能」
【驚愕】安保法制の自衛隊支援活動、核兵器も「弾薬」と解釈していることが判明!防衛相「核ミサイル輸送も法文上は可能」
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7492.html
2015.08.07 12:00 真実を探すブログ



8月5日の参議院平和安全法制特別委員会で、自衛隊が後方支援の一環で核兵器の輸送をすることができる事が分かりました。


安保法制では弾薬の輸送規定は存在しておらず、先日に「手りゅう弾は弾薬」との答弁が大臣から飛び出たことから、野党が「核兵器をどうなっているのか?」と質問したところ、「核兵器は弾頭を持っており、分類は弾薬にあたる」と返答。核兵器の輸送に関しても「法文上は可能だ」と明言し、毒ガス兵器の輸送もできるとの見解を示しています。


ただし、中谷防衛相は非核三原則があることを指摘した上で、「核兵器を輸送することは想定していない」と強調しました。これは岸田外相も初めて把握した内容で、後の答弁では「今承知した」と話しています。


他にも国会答弁のやり取りで「日本は憲法上、核兵器を保有することは出来るのか?」という質問に対して政府の担当者が「可能である」と回答する場面もありました。










☆安保関連法案:防衛相「核ミサイル輸送も法文上は可能」
URL http://mainichi.jp/select/news/20150805k0000e010230000c.html
引用:
 参院平和安全法制特別委員会は5日午前、一般質疑を行った。安全保障関連法案に盛り込まれた他国軍への後方支援を巡って、中谷元(げん)防衛相は、自衛隊による核ミサイルの輸送を「法文上は可能だ」と明言し、毒ガス兵器の輸送もできるとの見解を示した。民主党の白真勲氏への答弁。
:引用終了


☆核兵器も「弾薬」と解釈 安保法案「輸送排除せず」
URL http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015080602000114.html
引用: 
 中谷元・防衛相は五日の安全保障関連法案に関する参院特別委員会で、戦闘中の他国軍に対する支援で行う弾薬の輸送について「核兵器の運搬も法文上は排除していない」との見解を示した。日本周辺事態を想定した現行周辺事態法による米軍支援では弾薬輸送を可能としているが、海外での自衛隊活動を広げる安保法案の審議で、輸送できる弾薬に大量破壊兵器も条文上は含まれると解釈を広げた。
:引用終了


他国軍支援で核兵器の輸送も法律上は可能


「安保法制上核の運搬は可能」知らなかった外相 「核保有できる」と法制局長官8月5日国会論戦


以下、ネットの反応




















私が想像していた以上に、安保法制というのは物凄い解釈の幅が大きい法案だったみたいですね・・・。日本が憲法上、核兵器を保有することが出来る事も意外でしたが、それ以上にこの事実を今まで隠して法案の可決を推進していた事に呆れ果てます。


岸田外相も知らなかったようなので、これは本当に極一握りの人達しか把握していなかったということなのでしょう。非核三原則なんて、武器輸出三原則を簡単に改正した安倍政権の前ではハリボテも同然です。本気で核保有を考えれば、一気に非核三原則の改正に乗り出すことになると思います。


関連記事
安倍政権「核兵器の運搬も安保法制の法文上は後方支援として排除していない」「日本も核兵器を保有できる」
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/209.html




http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/285.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 「戦争に行きたくないのは自己中」武藤議員に聞かせたい、蛭子さんの“究極の自己中”反戦論(リテラ)
                左・自民党 衆議院議員 むとう貴也オフィシャルサイトより/右・蛭子能収『蛭子能収のゆるゆる人生相談』(光文社)


「戦争に行きたくないのは自己中」武藤議員に聞かせたい、蛭子さんの“究極の自己中”反戦論
http://lite-ra.com/2015/08/post-1364.html
2015.08.07. リテラ


「戦争に行きたくないのは自己中で利己的個人主義」――。自民党の武藤貴也議員のトンデモ発言に非難が集まっているが、しかし、これはある意味、自民党=安倍政権の本音でもある。

 実際、安倍首相をはじめ、党三役や閣僚に名前を連ねている連中は、今でこそ政権をとって安保法案を通すためにトーンダウンしているが、これまでみんな武藤議員と似たようなことを主張してきた。

 日本国憲法や戦後教育のせいで国民に公に貢献する精神がなくなった、愛国教育や徴兵制で国民の精神を叩き直すべきだ――。

 麻生太郎副総理が武藤議員に対して「自分の気持ちは法案が通ってから言ってくれ。それで十分間に合う」と思わずポロリと漏らしたことが報じられたが、おそらく、安保法案が成立した次は「戦争に行きたくないのは自己中」と批判されるような教育、社会の空気づくりが本格化していくのだろう。

 そのとき、いったい私たちはこの乱暴な全体主義にどういう言葉で対抗すべきなのか。実は、そのヒントを与えてくれそうなイデオローグがいる。それは、あの蛭子さん、蛭子能収だ。

 蛭子さんといえば、バラエティや旅番組などでもまったく空気を読まないマイペースな発言を連発している“ミスター自己中”。本人も常々「誰かに束縛されたり、自由を脅かされることが何よりも大嫌い」と公言していて、自著『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)では、「長いこと、自由であることを第一に考えていると、いわゆる“友だち”と呼ばれるような人は、あまり必要でなくなります。」とまでいっている。
 
 そんな蛭子さんが「女性自身」(光文社)8月18日・25日合併号の戦後特集「私の70年談話」に登場して、戦争について語っているのだが、これがなかなか説得力のある内容なのだ。

 原爆投下された2年後、長崎に生まれた蛭子さんは「小さいときから、戦争は嫌」だと思っていたという。その原点になっているのは死ぬことへの恐怖。蛭子さんは小学生の時、一瞬で消えてしまう流れ星を見て、人間のそして自らの“死”を実感した。

「人の一生も同じなのかと思ったら、すごく恐ろしくなって。以来、死なないことが人生の目標になったんです」

 人生の目標が「死なないこと」となった蛭子はその目標を第一優先にして行動してきた。それが「怒りを表情に出さない」そして「暴力に頼らない」ことだったという。

 中学時代、パシリにされたりイジメを受けたりしたとき、蛭子は内心では腹が立ったというが、それを抑えることで、理不尽なものに対処していく。

「怒りを表情に出すことはしませんでした。もしオレが手を出せば、相手は殴ってくるかもしれません。ちょっとの憎しみでもたちまち大きくなります。その憎悪の連鎖が、しまいにはナイフで刺されることにつながるかもしれませんからね」

 挑発に乗って、感情を爆発させれば自分にも暴力が向けられるし、やり返せば憎悪の連鎖も起こる。だから蛭子は考えた。

「とにかく相手から嫌なことをされても、怒りの感情を出さない。暴力に頼らない別の対処法を考える。それが憎しみの連鎖を断ち切る唯一の方法。これは大人になった今でも変わりませんね」

 そして、蛭子さんはこうした体験をふまえて、戦争の動きについてこう批判している。

「オレは好戦的な発想は好きではありません。最近、中国や韓国との関係がギクシャクしてからの、相手の攻撃的な言動により攻撃的な態度で返しているような人たちを見ていてそう思います。(略)向こうが高圧的に来ても、受け流しておけばいいんですよ。その間に、歴史や法律を勉強したり、戦争をしなくてもすむ仕組みを調べたりするほうがいいんです」
「国同士だとちょっとした『憎しみ』が戦争につながるんですから、その連鎖を早い段階で断ち切ることが大切。それができるのは「弱さ」を武器にすることだと思うんです」

 どうだろう。安倍首相による例の「トモダチのアソウくんが不良仲間に喧嘩を売られたら、一緒に戦う」といったたとえ話よりも、はるかに現実的で説得力のある言葉ではないか。

 実は蛭子さんは少し前から、安倍政権の戦争できる国づくりにしきりに異を唱えていた。

 昨年6月24日には朝日新聞紙上で、集団的自衛権を「正直、難しいことはよく分かりませんが、報復されるだけなんじゃないですか。『集団』っていう響きも嫌いですね。集団では個人の自由がなくなり、リーダーの命令を聞かないとたたかれる。自分で正しい判断ができなくなるでしょ」と批判したし、前述の『ひとりぼっちを笑うな』でも「ここ最近の右翼的な動きは、とても怖い気がします。安倍首相は、おそらく中国と韓国を頭に入れた上で、それ(集団的自衛権)を通そうとしているのでしょうけれど、僕はたとえどんな理由であれ、戦争は絶対にやってはいけないものだと強く思っています」と警鐘を鳴らしている。

 おそらく安倍政権を支持する連中は、蛭子さんのこうした反戦の主張に対しても「自己中」という言葉を投げつけるのだろう。しかし、蛭子さんはただの「自己中」ではない。

「僕自身が自由であるためには、他人の自由も尊重しないといけないという信念であり、それが鉄則なんです。人それぞれ好きなものは違うし、ライフスタイルだって違う。そこをまず尊重しない限り、いつか自分の自由も侵されてしまうような気がしてなりません」
「戦争ほど個人の自由を奪うものなんて、他にはないんですよね。誰かの自由を強制的に奪うようなものは、いかなる理由があっても断固として反対です」
(『ひとりぼっちを笑うな』)

 蛭子さんは何よりも自由を大事にし、そして自分が自由であるために、他人も尊重するし、多様性を認める。だからこそ、「自由」を奪う戦争には、徹底的に反対していく。しかも、そこにはたんなるエモーショナルな思いではなく、どうやったら生き延びることができるのかという冷静な計算、「弱さを武器にする」というしたたかな戦略がある。
 
 一方、安倍政権とそれを支持する連中はどうだろう。自分たちのグロテスクなプライドを慰撫するために歴史をつくりかえ、国民に「国のために命を捧げる」という価値観を強要し、戦争のできる国にするためにわざわざ緊張関係をつくりだす――。いったい、どっちが「自己中」で「非現実的」なのかは火を見るより明らかだろう。

 蛭子さんは「女性自身」のインタビューで「弱いことを武器にすることは、本当は強い者にしかできないことですよね」とも語っているが、私たちは安倍政権やネトウヨ政治家ががなりたてる「見せかけの強さ」でなく、蛭子さんのような「しなやかな強さ」を求めるべきなのだ。

(伊勢崎馨)



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/286.html

記事 [政治・選挙・NHK190] <岩手知事選>平野氏、出馬断念へ(河北新報)
             2015年8月3日 日刊ゲンダイ


<岩手知事選>平野氏、出馬断念へ
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201508/20150807_31057.html
2015年08月07日 河北新報



  平野達男氏


 任期満了に伴う岩手県知事選(20日告示、9月6日投開票)に立候補を表明していた参院議員の平野達男氏(61)=岩手選挙区=は7日、一転して立候補を取りやめる意向を固めた。複数の後援会関係者が明らかにした。支援を受ける自民党は安全保障法案の審議で逆風に直面し、3選を目指す現職の達増拓也氏(51)は野党結集で支持を固めつつある。劣勢を跳ね返せないと判断したとみられる。


 平野氏は同日夕、記者会見し、立候補撤回の理由を説明する。知事選で立候補を予定するのは達増氏だけとなり、自民党が新たな候補を擁立できなければ無投票となる可能性がある。平野氏は参院議員にとどまるため、10月の参院岩手選挙区補選は行われない。


 後援会関係者は同日、「平野氏から『立候補を断念する』と連絡があった」と明らかにした。自民党県連関係者は「党本部が断念を促したとの情報がある。知事選、参院補選で連敗すれば安倍政権に打撃になるとの判断だ」と話した。


 平野氏は4月に立候補を表明。自民党県連が全面支援し、野党が支持する達増氏との与野党激突となった。両氏は民主党時代、共に小沢一郎生活代表(衆院岩手4区)を支え、同門対決の構図も注目された。


 平野氏は安保関連法案が衆院で強行可決された7月中旬「逆風だ。影響は大きい」などと発言したが、同30日に盛岡市に後援会事務所を開設。その後も取材に対し「絶対にそんなことはしない」と立候補取りやめを否定していた。


 自民党県連幹部は「安保法案の影響だ。党本部の判断が働いているのなら、地方軽視であり理解できない」と語った。


 平野氏は北上市出身で東大農学部卒。農林水産省を経て2001年参院選で自由党から初当選。民主党政権で復興相を務めた。同党を離れた13年参院選は無所属で3選を果たした。


関連記事
岩手知事選“大逆風”で…支援候補に「出馬断念」迫る安倍官邸(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/110.html



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/287.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 新国立工事費「過少申告」が発覚…見積もりは“黒塗り”だらけ(日刊ゲンダイ)
             黒塗りだらけの見積書と新国立競技場予定地(C)日刊ゲンダイ


新国立工事費「過少申告」が発覚…見積もりは“黒塗り”だらけ
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/162514
2015年8月7日 日刊ゲンダイ


 なるほど、見積もりをオープンにできなかったわけだ。新国立競技場の建設問題で、事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)が基本設計の概算工事費を過少に見積もって公表していた。7日の毎日新聞が、関係者の証言に基づき、明らかにした。

 JSCは昨年5月、概算工事費を1625億円と発表。設計会社側は基本設計の作業で約3000億円と試算したが、JSC側は「国家プロジェクトだから予算は後で何とかなる」と取り合わなかったという。1625億円は、実際には調達できないような資材単価を用いるなどして過少に見積もった金額だったというのだ。

 基本設計発表の半年前の13年末、財務省と文科省は総工費を1625億円とすることで合意。JSCは「政府部内で調整を経た概算工事費を超えないよう基本設計を進めた」と毎日の取材に説明しており、この「上限」に合わせて数字をゴマカした可能性がある。毎日の記事は「文科省の担当者が上限内で収まるよう指示したのではないか」と文科省幹部の指摘を紹介していた。

 日刊ゲンダイは昨年1月、政府部内で合意した総工費の積算根拠について、JSCと所管の文科省に情報公開法に基づき、開示請求を行った。すると、A4判26ページの「見積書」は真っ黒け。用いる資材の名称と数量、単価にいたるまで、すべてが黒塗りで隠されていた。

 文科省は当時、「工事発注時の予定価格が類推される恐れがある」(スポーツ・青少年企画課)と説明していたが、この頃から数字をゴマカしていたのだろうか。正確な金額を公表していれば、計画見直しが早まったかもしれない。7日始まった第三者による検証委員会でも徹底追及すべきだ。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/288.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 盗聴が拡大されるぞ!→院内集会「刑訴法等改悪一括法案の論戦から見る 〜国会は、今!〜PART III」(八木啓代)
盗聴が拡大されるぞ!→院内集会「刑訴法等改悪一括法案の論戦から見る 〜国会は、今!〜PART III」
http://nobuyoyagi.blog16.fc2.com/blog-entry-737.html
2015-08-07 八木啓代のひとりごと


前回エントリに引き続き、8月7日に衆議院第一議員会館で開催された、「盗聴・密告・冤罪NO !」院内集会 「刑訴法等改悪一括法案の論戦から見るー国会は、今! PART III」という集会が開かれたので、引き続き、そのレポートをお届けする。

まず、この集会の前日、なんと急転直下で、衆議院法務委員会において、この刑事訴訟法改正案が、修正可決されてしまった。

しかも、この可決されてしまった修正案というのが、従来、民主党が提案していた「司法取引や盗聴については認めない。可視化についても拡大する」という、いたってまっとうな対案から、ほぼ180度転換・譲歩して、修正といっても、自民党案の形ばかりの微修正にしかすぎない、というより、自民党案ほぼ丸呑みの、修正案とも言えない修正案だったから、参加の皆さん方は「はらわたが煮えくりかえる」思いの方ばかり。
そのせいか、この日は、院内集会であるにもかかわらず、民主党や維新の議員は誰1人として姿を見せていない。

そのような状況の中で、テーマの「盗聴問題」が取り上げられた。

そもそも「盗聴」の範囲を拡大し、また、従来は必須とされていた第三者の立ち会いも、警察関係者(つまり身内)で済ませてしまおうという「お手盛り」の改革案の法制化など、そのこと単独で、しかるべき議論をしなければならない問題であるものを、「刑訴法改正」という形で、一括審議してしまい、しかも、それを「戦争法案」のどさくさまぎれに通過させてしまおうというのだから、姑息極まりない話である。

しかし残念ながらというか、なんというか、それが通ってしまったというわけだ。

ここで、まず、袴田事件弁護団長の西嶋勝彦弁護士の報告。
冤罪事件として有名で、現在、再審中の袴田事件で、今年の4月(最近じゃないか!)、昭和41年の時点で、袴田氏が接見中の弁護士と交わした会話が、盗聴録音されていたことが明らかにされたという。

即時抗告審で証拠開示された(つまり、それまでは再三の請求にもかかわらず、検察側が隠していた)証拠の段ボールの中にあった取り調べのオープンリールテープ(時代だ!)を分析して明らかになったもので、これはもちろん、トンでもない問題だ。

刑訴法39条1項で、被疑者・被告人は、捜査関係者に知られることなく、弁護士と接見する権利が認められているのだが、これを捜査機関が、それはもう堂々と無視したということだからである。

会話の内容は、袴田氏が弁護士に自分の無実をひたすら訴えていたというだけのものであったそうだが、それが問題なのではなく、捜査機関(つまり警察)が、どんな手段を使ってでも(つまり、露骨な違法行為をおこなってまで)袴田さんを有罪にしようとしていたことが明らかになったということだ。

実際に、この袴田事件では、決定的証拠とされた「事件当日に犯人が身につけていたとされるズボン他、5点の衣類」が捏造証拠であることもほぼ明らかになっているが、要するに、「自分たちに都合の良いストーリーで犯人を作り上げる」というようなことを平気でやるのが、残念ながら日本の警察であり、それに同調し、場合によっては、それ以上に暴走するのが検察であるという状況であるにもかかわらず、警察・検察全面性善説に立って、フリーハンドに近い「盗聴」を認めてしまって、どうするんだ.......という話なのである。

続いて、足立関東学院大学名誉教授から、改正した盗聴法の「実施」にあたっての問題点が指摘された。

じつは、現在において、盗聴は、デジタルの世界で行われるものとなる。そのため、法務省はデロイト・トーマツ・コンサルティング株式会社というコンサル会社に、盗聴法の実施にあたっての検証をおこなってもらっていたのである。この費用が1700万というのもアレだが、しかし、デロイト・トーマツ、ちゃんと仕事をして、多くの「実施にあたっての問題点」を指摘してくれていた。

つまり、捜査機関が法律以上に情報を取得するリスクや、適正に作成された原記録とは異なるもの(要するに虚偽記録)を裁判所に提出するリスク、また、捜査機関や裁判所、通信網などを通じての情報漏洩があってはならないということだ。

で、必要なのは、「警察等の捜査機関による不正な情報の取得と原記録の作成ができず」、「裁判所や通信事業者などが、作業ミスによって情報の漏洩などを引き起こさず」、「ハッキングなどで通信内容が傍受されたり漏洩したりしない」システムの構築というわけ。

そのために、デロイト・トーマツでは、かなり高機能なソフトを作りこまなくてはならないこと、そのソフトに必要な機能や条件などを14項目にわたってリスト化しているのだが、その大半が、この改正盗聴法案には反映されていない。

デロイト・トーマツが提案しているレベルのソフトとハードは、その経費が20億から30億円になると見積もられているわけだが、その経費や具体化などについてまともに議論もされずに、この法案が通っちゃったということなのである。

つまり、文字通り、この法案通りに盗聴が開始でもされようものなら、捜査機関の恣意的運用や悪用にも歯止めがかからないだけではなく、セキュリティだだ漏れになる可能性もあるということだ。

さらに、法務省では、サーバ増設などの経費負担を、通信業者に求めるつもりであるらしく、そうなると、通信料金(電話代と携帯代)に跳ね返ってくる可能性がある。

盗聴に関しては、現在、詐欺・窃盗・児童ポルノがらみの組織犯罪に限定とされてはいるが、そんなもの、どこまで拡大解釈されるかわからないし、冤罪は自分には関係ないと思っている人は多いだろうが、どさくさまぎれに盗聴されたものが漏洩するリスクや、果ては、そのために電話代や携帯代が上がるとなれば、我々国民は、実にいいカモということであります。

ここで、日本共産党、清水忠史衆議院議員が大暴露。
まさに寝耳に水のように、この改正刑訴法修正案が通ってしまった経緯について。

これまで、民主党・維新・共産党は、ほぼタッグを組んで、刑訴法改悪に反対していて、この刑訴法改悪を事実上骨抜きにする民主党改正案については共産党も賛成していたこと。
ところが、8月4日ぐらいから雲行きが変わってきて、自民・民主・維新がいきなり修正合意。そして、5日に、もともとの自民党案べったりの修正案が提出されて、これで可決されてしまったこと。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000056190.html

この民主党の臆面もない変節の裏には、この改正刑訴法に賛成している日弁連(日本弁護士連合会)の猛烈なロビー活動があり、民主党の主要支持母体である連合などからの圧力があったらしいこと。

では、なぜ、日弁連が、こんな刑訴法改悪に、ロビー活動までして熱烈賛成しているのか。

この刑訴法改正には別の顔があり、問題になっている条件つき可視化や司法取引合法化や盗聴の拡大とは別に、国選弁護を大幅に拡大するという項目がある。
つまり、被疑者国選弁護制度の対象が、被疑者が勾留された全事件に拡大されるのだ。(第37条2、4)
http://www.moj.go.jp/content/001149703.pdf

これによって、年間26億円の税金が日弁連に流れ込む、という、そういうことらしい。
平成の司法改革によって、弁護士が増えすぎて、仕事にあぶれているというこのご時世に「おいしい制度改革」ということか。

つまり、日弁連は26億の金と引き替えに、良識を売ったのである。

いやもう、啞然。

こんな刑訴法改正案、おそらく今日の国会で、問題の修正案が強行採決となるでしょう。
しかし、まだこれで負けではない、と、清水議員。

これからもしつこく声をあげ、反対していくことで、参院での審議を長引かせ、廃案に追い込んでいきましょう、と。
いやもうその通り。

戦争法案の影に隠れて、どさくさまぎれに、このようなトンデモ法改正が行われていることを、私たちは見過ごすわけにはいかない。

単に、(多くの人からは、縁遠いと思われがちな)「冤罪を生まない」、という理念上だけの問題ではなく、それでなくとも、大阪地検特捜部証拠改ざん事件がごく軽い罪にしか問われず、陸山会事件の露骨なまでの検察の「虚偽報告書」事件ですら、身内捜査の不起訴でうやむやにされ、次々に起こる重大冤罪の無罪判決でも、そのような冤罪を生んだ捜査機関の責任についてまともな検証は一切行われないという状況のもとで、司法取引や盗聴が当然という世の中にしてしまったら、それこそ捜査機関の権限がどんどん拡大され、それは、ある意味、戦争法案以上に、私たちにとって「息苦しくて危険な」世の中をつくってしまうことになるからだ。

そして、まさにこのエントリを書いている真っ最中、刑訴法改悪法案は、衆院を通ってしまった。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS07H06_X00C15A8EAF000/

日本をトンでもない国にしてしまわないために、めげずに声をあげていくしかないだろう。
そのためにも、戦争法案のかげで、大きな論議を巻き起こすこともなく、どさくさまぎれに通ってしまった、この危険きわまりない刑訴法改悪について、皆さんも、是非、ご注目頂きたい。


袴田事件とは?
http://www.h3.dion.ne.jp/~hakamada/jiken.html

デロイト・トーマツ・コンサルティング株式会社
http://www2.deloitte.com/jp/ja/pages/about-deloitte/articles/dtc/dtc.html


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/289.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 選挙権だけでなく飲酒・喫煙・賭博等も18歳に統一をと大前氏(週刊ポスト)
選挙権だけでなく飲酒・喫煙・賭博等も18歳に統一をと大前氏
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150807-00000014-pseven-soci
週刊ポスト2015年8月14日号


 選挙権が18歳以上に引き下げられた。20年以上前から選挙権も成人年齢も18歳に統一すべきと提案してきた大前研一氏が、選挙権だけを引き下げることによって生じる矛盾について解説する。

 * * *
 選挙権年齢を20歳以上から18歳以上に引き下げる改正公職選挙法が、あっさり成立した。選挙権年齢が変更されるのは25歳以上から20歳以上になった第2次世界大戦敗戦直後の1945年以来70年ぶりで、18〜19歳の約240万人が新たに有権者となる。

 だが、その後、民法上の成年年齢(20歳以上)や少年法の適用年齢(20歳未満)なども「18歳」に揃えるべきかについては、いっこうに議論が盛り上がる気配がない。この間、安全保障法案の審議や新国立競技場建設問題などがマスコミ・世論の主要議題になっていたから、というのは言い訳にすぎない。一刻も早く、議論を進めるべきだと思う。

 私は1993年に出版した『新・大前研一レポート』(講談社)などで20年以上も前から、選挙権も成人年齢も少年法の適用年齢も飲酒も喫煙もギャンブルもバイクの運転免許もすべて18歳に統一するとともに、義務教育を18歳(高校修了)まで延長することを提案してきた。
 
 すなわち、18歳で大人としての権利を付与する代わりに、18歳で大人としての責任と義務を果たせる人間、これからの難しい社会で生きていける人間を作り出せるように教育を大改革すべきだと一貫して主張し続けている。

 何をもって大人とするのか、何をもって社会人とするのかということほど国家にとって大切な議論はない。なぜなら、国家を構成するのは社会人であり、社会人になるまでは“見習い”だからである。

 その点で今の日本には大きな矛盾がある。義務教育が中学校までのため、中卒の15歳で社会人になった人は税金を払って国民の義務を果たしているにもかかわらず、選挙権をはじめ大人としての権利は何も持っていないということだ(だから私は、義務教育を高校まで延長すべきだと考えている)。

 この議論の中でいつも出てくるのは、今の20歳を見てもまともな大人とは言えない幼い若者たちが多いから、成人年齢まで18歳に引き下げるのは反対だという意見である。
 
 しかし、私の意見は逆だ。仮に18歳なら18歳、20歳なら20歳を「成人」と決めたら、その年齢までに成人と呼ぶにふさわしい人間になるよう育てる教育をすべきなのであって、日本人は何歳になったら大人になるのかという議論は、全く意味のない本末転倒の議論だと思う。

 むしろ重要なのは、21世紀の日本にはどういう社会人が必要なのか、そのために(税金を投入する)義務教育の内容はどうあるべきなのか、という議論だ。

 それはたとえば、お金を借りたら必ず返しましょう、喫煙する時はこういうマナーを守りましょうといった初歩的なことに始まり、自分が住むコミュニティに対してどのような貢献をしなければならないのか、日本の社会人として世界にどういう責任を持つべきなのか、といったことまで幅広い。ところが、そのような教育は今の文部科学省の指導要領の中にはほとんどないのである。これは極めて由々しき問題だと思う。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/290.html

記事 [政治・選挙・NHK190] TPP会合月内開催は困難と言い出した甘利大臣の裏を読み解くー(天木直人氏)
TPP会合月内開催は困難と言い出した甘利大臣の裏を読み解くー(天木直人氏)
http://www.twitlonger.com/show/n_1sn7dqk
7th Aug 2015 市村 悦延 · @hellotomhanks


きょう8月7日の各紙が一斉に報じている。

 甘利大臣はきのう8月6日、官邸を訪れ、安倍首相に対し、

TPP閣僚会合の月内開催は困難になったと報告したと。

 その理由として、急いで開いてまた失敗するより、

段取りをしっかり詰めて確実に処理できる状況をつくって開いたほうがいい、

そういう状況になりつつある、と報告したらしい。

 これに対し、安倍首相は「しっかりした道筋を描いて欲しい」と応じたという。

 これほどのウソはない。

 これほどのウソ報道はない。

 あれほど8月末会合の開催に期待を示した甘利大臣ではなかったのか。

 わずか一週間ほどで、それほど大きな情勢の変化があったというのか。

 そもそも甘利大臣に8月末にTPP会合を開いても

合意は無理だと判断する能力があるというのか。

 そしてまた、そんな報告を受けた安倍首相が、

怒りも不満も言わずに、おとなしく了承したというのか。

 私は、これは米国から通報された結果だと思っている。

 つまりウィキリークスのよる盗聴事件の発覚で

バイデン副大統領が謝罪の電話をかけてきたのは8月5日だった。

 しかし、謝罪だけで30分も電話するだろうか。

 もちろんそんなことはない。

 謝罪などしていないのだ。

 その時バイデンは盗聴問題で日米同盟を揺るがせてはいけないと言い、

そのついでに、ほかの主要案件について日本に米国の意向を伝えたに違いない。

 その一つがTPP会合出会ったに違いない。

 すなわち、バイデン副大統領は、米国はもはやTPP会合を急がない、

日本も先走ってまわりに誤解を与えるようなことは言うなと釘を刺したのではないか。

 そういえばすべてに合点がいく。

 甘利大臣が急に8月末の閣僚会合が困難になったと言い出したことも、

そしてそれに対して安倍首相が冷静に反応したのも、

すべては米国の判断と通報があったのだ。

 それをあたかも日本自らの判断のごとく記者に言うところが情けない。

 そんなウソをそのまま報じるメディアは安倍政権の使い走りだ。

 なにもかも、今の日本を象徴しているような甘利大臣のTPP閣僚会議、

月内開催困難という報道である。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/291.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 集団的自衛権行使の典型例は台湾・朝鮮・南沙有事で自衛艦がNATO軍のように米軍空母打撃群を編成して敵国を攻撃すること
 
 
 
安倍内閣が提出した安保法案に基づいて、日本が限定的な集団的自衛権行使をする場合の具体的なイメージが沸かないという人がいるようです。
 
米国は、そのように日本が限定的な集団的自衛権行使をする場合の具体的な事例を公表しています。
 
米軍は、日本の限定的な集団的自衛権行使によって、自衛隊にNATO加盟国並みの役割ができると期待しています。
 
日本の集団的自衛権行使の典型例は、昨年にジョナサン・グリナート米海軍作戦部長が述べているように、米海軍の空母を中心にして、海上自衛隊の自衛艦が、米海軍の空母や駆逐艦とともに空母打撃群(※)をつくることです。
 
[注※]空母打撃群とは、通常、1隻の航空母艦とその艦上機、複数の護衛艦、補給艦によって構成される米海軍の戦闘部隊のことです。
 
 
つまり、台湾有事や朝鮮半島有事において、海上自衛隊と米海軍が空母打撃群を作って日米の海軍力を統合し、中国人民解放軍や北朝鮮軍に対して攻撃をおこなうことが集団的自衛権行使の典型例です。
 
グリナート米海軍作戦部長は、日本のヘリコプター搭載護衛艦「くらま」や、米国海軍の空母ジョージワシントン、ストックデール駆逐艦、グリッドレイ駆逐艦などの艦名を具体的に出して、日本の自衛隊がNATO加盟国の軍隊のように集団的自衛権を行使する例を紹介しています[文献1−3]。
 
安倍内閣の提出した安保法案では、日本の限定的な集団的自衛権行使における武力行使においては、日本が個別的自衛権の行使として認められるすべての種類の武力行使が可能です。
  
 
 
 
 *   *   *   *   *   *   *   *
 
 
【参考文献】
 
 
[1] 米海軍幹部、自衛隊にNATO加盟国並みの役割期待(日本経済新聞)
( 2014/5/20 9:51)
 
 【ワシントン=吉野直也】米海軍の制服組トップ、グリナート作戦部長は19日、ワシントンで講演し、安倍政権が限定的な集団的自衛権の行使を認めれば、米軍は英仏など北大西洋条約機構(NATO)加盟国並みの役割を日本に期待できると指摘した。
 
 集団的自衛権の行使容認で「米空母部隊などと自衛隊が共同作戦をできるようになる。将来的にはNATOの加盟国と同様の共同作戦を展開することも考えなければならない」と表明した。
 
 一方、ラッセル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)やメデイロス米国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長は19日、ワシントンで自民党の河井克行衆院外務委員長らと面会し、安倍政権が検討する限定的な集団的自衛権の容認を「歓迎し、支持する」と伝えた。
 
  ラッセル氏らは南シナ海のベトナム沖における中国の石油掘削について東シナ海の沖縄県・尖閣諸島付近での挑発と同様の行動であるとの認識を強調した。河井 氏は会談後、記者団に「力による現状変更、この(中国による)企てには日米とも大きな懸念を持っている」と語り、東シナ海や南シナ海での国際法を無視した 中国の動きに自制を改めて求めた。
 
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM20017_Q4A520C1EAF000/
http://www.asyura2.com/14/senkyo165/msg/669.html
 
 
 
[2] グリナート米海軍作戦部長が、CSIS(戦略国際問題研究所(米国))でおこなった講演(※)
(2014年5月19日)
 
”我々の頼もしい同盟国は日本であり、私は、日本が北東アジアの安全保障の鍵であると考えています。
 
我々は日本との一層の統合を歓迎します。
 
しかし、私が先に述べたように、日本は条約上の同盟国であり、これまで日本と軍事演習をしてこなかったというものではありません。
 
ここで写真を渡してください。
 
我々が編隊航行訓練と呼んでいる軍事演習において、ここに我々のストックデール・ミサイル駆逐艦と、我々のグリッドレイ・ミサイル駆逐艦がいて、日本のヘリコプター搭載護衛艦の「くらま」が一緒にいます。
 
我々はこのような演習を常時おこない、さらに包括的な作戦をおこないます。
 
あなたは、そんなことは知っていたというかもしれませんが、多くの人たちは、このことを知りません。
 
そのような軍事演習は常時、日本と進めていきます。
 
しかし、我々は空母打撃群の統合も、おこなっています。
 
次の写真を渡してください。
 
これは、空母ジョージワシントンであり、これは日本の海上自衛隊が一緒に共同作戦中の空母打撃群です。
 
このように、将来に日本の海上自衛隊が集団的自衛権を行使ができるようになると、我々のNATO軍事同盟のように海上自衛隊と一緒に統合し、空母打撃群の展開をNATO軍事同盟のように海上自衛隊と統合できる機会を得るでしょう。
 
我々が考えなければならない機会だと思います。”
 
(新共産主義クラブ・訳)
http://www.navy.mil/navydata/people/cno/Greenert/Speech/140519%20CSIS.pdf#page=3
 
※この講演の直後、グリナート米海軍作戦部長は、安倍総理大臣のもとへ表敬訪問しました。
 
 
 
[3]グリナート米海軍作戦部長による安倍総理大臣表敬(概要)
(平成26年5月27日)
 
本27日午前11時00分から約30分間,安倍晋三内閣総理大臣は,訪日した米国のジョナサン・グリナート米海軍作戦部長(Admiral Jonathan W. Greenert, Chief of Naval Operations)の表敬を受けたところ,概要は以下のとおりです。
 
1 冒頭,安倍総理大臣から,第7艦隊司令官としての功績等,これまでのグリナート作戦部長による日米同盟強化への貢献を高く評価する旨述べるとともに,今般の旭日大綬章の受章に祝意を述べました。また,日米は共に「海洋国家」であり,この地域に平和と安定をもたらしてきた,開かれ安定した海の秩序を守り抜く考えである旨述べました。
 
2 これに対し,グリナート作戦部長から,米海軍と他の同盟国海軍との関係は,アジア太平洋地域へのリバランスにとり非常に重要であり,信頼を醸成し,同盟を強化するための鍵である旨述べました。
 
3 また,安倍総理大臣から,我が国が「積極的平和主義」の立場から,集団的自衛権等と憲法との関係に係る検討を含む様々な取組を推進していることを説明し,地域と世界の平和と安定にこれまで以上に貢献する旨述べました。これに対し,グリナート部長から,北東アジアにおける安全保障の鍵である強固な同盟国との間で,より効果的な運用上の協力を行う観点からも,日本における集団的自衛権の行使に係る憲法解釈の見直しの議論を歓迎し,支持する旨述べました。
 
4 双方は,引き続き,年末までのガイドライン見直し等を通じ,日米同盟の抑止力・対処力の強化に努めることで一致しました。
 
http://www.mofa.go.jp/mofaj/na/st/page4_000487.html
 
 
 
 *   *   *   *   *   *   *   *
 
 
「新自由主義」から「新共産主義」へと、政治と経済のパラダイムシフト(潮流変化)を導き、
人と社会の未来を築(つ)くる、『新共産主義クラブ』.
 
© 2015 新共産主義クラブ.
 
 
The New Communist Club builds the future for human and society,
leading the paradigm shift, the change of the tide, in politics and economy from neoliberalism to new communisim.
 
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http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/292.html
記事 [政治・選挙・NHK190] 佐野氏が否定した五輪デザイン盗作の作業工程を推測再現?(ハイヒール女の痛快日記)
佐野氏が否定した五輪デザイン盗作の作業工程を推測再現?
http://tokyolumix.blog60.fc2.com/blog-entry-1417.html
2015.08/07 ハイヒール女の痛快日記


はじめまして!東京ルミックスです。
世の中ハイヒールのデザインもパクリだらけ!


東京五輪エンブレムの盗作疑惑騒動の制作者の佐野研二郎氏は会見でデザインのコンセプトについて詳細に説明し盗作を否定した。佐野は幾つものバリエーションを見せながら、デザイン意図の説明していたが、まったく明快な説明になってない。コンセプトがなければデザインはできないが、重要なのは出来上がったデザインがどこにもない新しいデザインであることなのだ。


佐野氏はコンセプトが違えばデザインがパクリでもいいという論理だ。中国か?


然も、会見で見せた資料は彼が身を隠していた期間に制作すればチョチョイと簡単にできるわ。致命的なのは、Tを強調したいなら、なぜLに見えるところまで同じなの?今回の東京五輪のデザインだからLは普通に外すでしょう。そのマンマ残っているということは、ベルギーのデザインをそのマンマ使ったという証拠でしょう。


大体「TとL」の横棒に当たるセリフの角度まで全く同じなんて、統計学的にも偶然にしても絶対ありえない!


このパクリの件は前回も書いたが、彼が何を言おうが間違いなく盗作だと思う。盗作か盗作でないかの判断は決まっている。デザインは最初に発表された作品がオリジナル作品になる。さらに、忘れてはならないのは、デザインの良し悪しの評価基準はその独自性なのだ。極めて似ているリエージュ劇場のデザインがあるのだから独自性は既にない。


この定義がひっくり返るようだったら、デザインとはクリエーションではなく、バリエーションになってしまう!


はっきり言って世の中には佐野氏クラスのデザイナーは掃いて捨てるほどいる。何故、一流になれたのかは簡単だ!博報堂にいればクライアントは大手有名企業ばかり。必然的に一流企業の仕事をするわけだからテレビや新聞等の露出が多くなる。クリエイターとしての本質の力量より会社のネームバリューが先行するからだ。


後は上手にパクリができる能力を身につければデザイン賞を簡単に受賞できるポジションなのだ。


事実、佐野氏の過去の作品を見たらパクリ的なモノが多い。好意的に表現しても亜流の範疇である。オリジナリティ一切なし。現実にネットでは「昔から佐野はパクリ屋だった」と指摘する声が溢れている。ネットの意見ではあるが、私を含めデザイナーという仕事の特異性を理解している経験者の発言は信憑性が高いわ。


何と!この問題が出た時に佐野氏は盗作した国ベルギーに滞在していたという情報がある!


審査員は東京電力のロゴを手がけた永井一正氏、民主党のロゴの浅葉克己氏、東京ADC会長細谷巖氏、武蔵野美術大学教授の片山正通氏らだ。さらに、佐野氏の博報堂の部下で、石岡瑛子作品のパクリの常習と言われている、長嶋りかこ氏も審査委員だという。審査員がビッグネームだから遠慮しているのだろうが、こうなると何をか言わんやだ。


ツーことで、今回のパクリの方法論を推測して、出来上がるまでの簡単な作業工程を再現してみた。


1. 東京で開催される五輪なので、ロゴ構成のエレメントを考える。発想的には「東京の頭文字T」「 日本の国旗の円」でしょう。この「Tと円」を使っている過去のロゴマークを参考用?若しくはパクリ用?として探す。ネットや世界中のロゴマーク年鑑、デザイン集などを片っ端からあたるのだ。探し方は蛇の道は蛇でそれなりにある。


2. セレクトしたロゴをふるいにかける。基準は実際にデザインする人の感覚だが、普遍的なもの、バリエーションがしやすいなどだ。リエージュ劇場のロゴはTとLが円で囲まれている。これ以上ピッタリのものはないわ。これで決定!


3. セレクトしたロゴをベースにしてバリエーションを作る。今は簡単にコンピュータで無限にカタチにすることはできる。右にしたり、左にしたり。回転したり、反転したり、拡大縮小したり、基本ベースが決まっていればラクチンだ?


4. 最後は出来上がったバリエーションを、デザイニングする人間の感性で、最終的に味付けのレイアウトをするのだ。この時に原型のイメージが払拭されたデザインになっていれば、それで完成だ!


真似やパクリから入って自分のモノにする。それは悪いことではないが、今回のデザインはそのマンマに近い。一般人がパッと見てソックリだったらそれは却下だ!当然、自らこのデザインを辞退すべきなのだ。それは、本人が一番分かっているはずだ。これがパクリでなければパクリという言葉はない!


今一度このデザインを見て欲しい。リエージュ劇場のデザインとクリソツだ!



           ◇


五輪エンブレム 佐野氏を悩ませる「盗用常習」の不名誉な称号
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/162475
2015年8月7日 日刊ゲンダイ



会見で反論する佐野氏(C)日刊ゲンダイ


「デザイナーとしてモノをパクることは一切ございません!」――。問題発覚から1週間余り。ようやく公の場に現れた“時の人”はしばしば声を強めて、盗用疑惑を必死で否定した。


 東京五輪のエンブレムがベルギーのリエージュ劇場のロゴと似ている問題で、5日、エンブレムを制作したアートディレクターの佐野研二郎氏(43)が、都内で釈明会見。アルファベットの「T」と円を組み合わせ、正方形を9分割してデザインした過程を説明しながら、「盗用の指摘はまったくの事実無根」と訴えた。


 予定時間の2倍に及ぶ約1時間の猛反論に、詰めかけた報道陣からも「偶然の一致かも」という感想が漏れたが、ネット上は佐野氏の釈明後も心ない中傷であふれている。見過ごせないのは「過去の作品も盗用しているんじゃないのか?」という指摘だ。その数も1つや2つでなく、「パクリの常習性」を検証する“まとめサイト”が、いくつも立ち上がっている。


 ネット上で流布する「盗用が疑われる」作品の一例を挙げると、TBSのマスコットキャラ「BooBo」(02年発表)と漫画「クレヨンしんちゃん」(90年〜)のぶりぶりざえもん。au「LISMO」(06年発表)とアップルのキャンペーン(04年)など。


 トヨタ「ReBORN」(11年発表)と漫画「ドラゴンボール」レッドリボン軍のマーク(86年初出)は確かに似た印象を受けるが、サントリー「GREEN DA・KA・RA」(12年発表)とあきる野市避難者支援サービス「グリーンハートカード」(11年から発行)は、佐野氏があきる野市のカードを見たことを立証できなければ「パクリ」と断定できないことは言うまでもない。


 ネット上で過去の作品についても「パクリ」の指摘があることについて、「ものすごく残念。普段生活しているものとか、いろいろなことから影響されることはあると思いますけれども、クリエーティブとして、そういったものに絶対してはいけないっていう定義は自分は持ってやっています」と会見で語った佐野氏。


 ただ、パクリの断定が難しいのと同様に、パクっていないことを証明するのも、また困難である。東京五輪まで残り5年。一度貼られた「疑惑エンブレム」のレッテルを完全に払拭することは、はたして可能だろうか。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/293.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 岩手知事選・自公候補が出馬を断念…安保優先で不戦敗選ぶ(日刊ゲンダイ)
             立候補を取りやめた平野達男元復興相(C)日刊ゲンダイ


岩手知事選・自公候補が出馬を断念…安保優先で不戦敗選ぶ
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/162518
2015年8月7日 日刊ゲンダイ


 姑息な不戦敗だ。岩手県知事選に立候補を表明していた参院議員の平野達男元復興相(61)が日刊ゲンダイ既報通り、立候補を取りやめた。7日午後、岩手県庁での会見で正式表明した。


 知事選は自公支援の平野氏と野党統一候補で現職の達増拓也知事(51)による全面対決の構図とみられていたが情勢は平野氏不利。事前調査で達増知事にダブルスコア以上で離されているうえ、20日告示、来月6日投開票の日程は安保法案審議が佳境を迎える時期と重なる。


 自公支援の平野氏が大敗を喫すれば、安倍首相が60日ルールを使うのか否かの決断に悪影響を及ぼすのは間違いない。平野氏の失職に伴う10月の補選も自公不利とみられ、官邸が“平野降ろし″に動いた結果、自公は2つの選挙を回避。政権末期の逃げ腰路線である。


          ◇


岩手県知事選 平野達男氏が立候補断念
動画⇒http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150807/k10010182161000.html
8月7日 18時19分 NHK  



今月20日に告示される岩手県知事選挙に立候補を表明していた、元復興大臣の平野達男参議院議員は記者会見し、「国の安全保障の在り方が最重要課題へと浮上し、県政の在り方が論点になりづらい状況が生じてきた」と述べ、立候補を断念することを明らかにしました。


岩手県知事選挙に立候補を表明していた元復興大臣の平野達男参議院議員は、7日、岩手県庁で記者会見しました。


このなかで平野氏は、「国の安全保障の在り方が最重要課題へと浮上し、県政の在り方が論点になりづらい状況が生じてきた。加えて政党間の争いが激しくなり、私の本意とは大きくかけ離れた状況だ」と述べ、立候補を断念することを明らかにしました。


そのうえで平野氏は、「さまざまな批判は甘んじて受けなければならないが、議員の職責をまっとうしたいと考えている」と述べ、引き続き参議院議員として活動を続ける考えを示しました。


任期満了に伴う岩手県知事選挙には、これまでに、自民、公明両党と新党改革が支援する平野氏と、民主党、維新の党、生活の党と山本太郎となかまたちが支援し、共産党も自主的に支援する、現職の達増拓也知事の2人が立候補を表明し、自民・公明両党と民主党などが対決する構図になるとみられていました。




http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/294.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 相次ぐ問題発言に麻生副首相が苦言!「言いたいなら法案成立後にしてくれ」 
相次ぐ問題発言に麻生副首相が苦言!「言いたいなら法案成立後にしてくれ」
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7498.html
2015.08.07 20:00 真実を探すブログ



☆麻生氏、不用意発言に注意喚起 安保法案で
URL http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS06H4P_W5A800C1PP8000/
引用: 
 麻生太郎副総理・財務相は6日の自民党麻生派の会合で、安全保障関連法案に関し「自分の気持ちを言いたいなら法案が通ってからにしてくれ」と述べ、審議に悪影響を与える不用意な発言を慎むよう求めた。学生団体を批判した同派所属の武藤貴也衆院議員の発言などが念頭にあるとみられる。武藤氏は欠席した。
:引用終了


☆自民“暴言”議員の2人は麻生派所属 「親が親なら子も子」の声
URL http://news.livedoor.com/article/detail/10441948/
引用:
「3バカ+新バカ」となった自民党の“暴言”国会議員。いずれも安倍首相を応援する若手で作る“悪名高き”「文化芸術懇話会」のメンバーだから、暴言は安倍首相の代弁みたいなもんだが、実はこのうちの2人は麻生太郎財務相(74)が領袖の麻生派に所属している。


「スポンサーにならないことが(マスコミは)一番こたえる」と言った井上貴博衆院議員(53=福岡1区)と「『戦争に行きたくない』は利己的」とつぶやいた武藤貴也衆院議員(36=滋賀4区)だ。
:引用終了


20150730-麻生太郎(為公会例会)


麻生副首相は問題発言を国民に謝罪しているわけではなく、あくまでも安保法制や自民党の支持率に影響が出るから控えろと言っているだけですね。
話題となった井上貴博衆院議員と武藤貴也衆院議員は自民党の麻生グループに所属しているわけで、この場はトップの麻生氏が謝罪するべきだと私は思います。


まあ、本音が聞けるという意味では良いかもしれませんが、普通に考えて、まずは問題発言などをお詫びするのが先でしょう。麻生氏も過去に色々とやらかしているので感覚がズレている可能性もあり、一連の発言は自民党の下から上まで腐敗していることを示しています。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/295.html

記事 [政治・選挙・NHK190] (論議板)トルコに学ぶ〜アメリカからの強い参戦の要請を軍が拒否/内藤正典
・トルコに学ぶ〜アメリカからの強い参戦の要請を軍が拒否/内藤正典
 http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/273.html
 投稿者 仁王像 日時 2015 年 8 月 07 日 21:02:07: jdZgmZ21Prm8E
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/296.html
記事 [政治・選挙・NHK190] 戦後70年の「謝罪」談話は必要か(日々雑感)
http://okitahidehito.blog.fc2.com/blog-entry-5018.html
2015/08/07 04:52

 正直な気持ち中度謝れば良いのかという気持ちだ。安倍首相が出すとされる談話の骨格をなすとされる「委員会」の進言が昨日安倍氏に手渡されたという。

 その内容の骨子に「植民地」という言葉と「侵略」という言葉を入れるように書かれているという。確かに戦前の日本は大陸へ侵略した。しかし他民族を「植民地」民として使役し、搾取したことはない。

 当時の世界はどうだっただろうか。日本が日清・日露と朝鮮半島で戦ったのはなぜだろうか。まさしく先の大戦前の世界は欧米列強による侵略と植民地争奪の帝国主義の世紀だった。

 朝鮮半島に進出して日本を脅かそうとする清国やロシアと日本が本土防衛のために朝鮮半島で戦ったのが日清・日露戦争だった。ことに日露戦争は史上初の有色人種国が白色人種国に挑んで勝利した記念すべき戦争だった。

 当時の朝鮮半島は国家としての体をなさない脆弱な李氏朝鮮政権が存在していた。そのままでは必ず他国により蹂躙されると判断して、日本が統治権を執り李氏朝鮮の近代化を図ろうとした。その総督として日本から派遣されたのが伊藤博文だった。初代総理大臣を務めた人にとっては格下げ人事だったが、伊藤博文は朝鮮半島と日本のためになるなら尽力しようという思いで朝鮮総督を引き受けた。

 しかし彼は半島の併合には反対だった。なぜなら併合すれば日本と同等の社会インフラや教育を半島全域に施すことになり、「富国強兵」策を推し進めていた日本の重荷になりかねないと懸念していたからだった。

 しかし伊藤博文が暗殺された翌年、併合反対の巨頭がいなくなったため日本は国際社会から異論なく平和裏に半島を併合した。むしろ李氏朝鮮側は併合を望んでいた。

 満洲は中国東北部だが、当時は清国の一部だったが、中国の版図ではなかった。清国は中国東北部に興った「女真族」の国家で、それが万里の長城を越えて中国全土を支配した。つまり満洲は清国の興った地ではあったが、中国の領土ではなかった。そこを勘違いしてはならない。

 満洲国を日本が傀儡して独立させた、というのは現在の中共の中国の見方だ。当時の日本の立場は清国が倒れた後に中国国民党軍が触手を延ばしてきていたものを日本が追っ払って「満州国」として独立させた、ということに他ならない。

 なぜそうした擧に出たのか、理由は簡単だ。満洲を国民党が支配下に置けば必ず半島に進出して来るからだ。それを抑えるために満洲国という緩衝地帯を設けた。それが当時の日本の進出の理由だ。欧米諸国がアジアやアフリカの地に進出して植民地化していたのとは理由が全く異なる。

 それでも日本は半島を植民地化し、満洲を侵略したと批判するのだろうか。既に中国は欧米諸国により蚕食され、中国全土が巨大な植民地にされるのは時間の問題だった。当時の世界は白色人種により有色人種の棲む地域が侵略され、植民地として有色人種が牛馬のように使役されるのが「普通」の出来事だった。

 エチオピアは特異な風土病のために侵略から免れていたのと、タイ王朝が欧米列強の利害関係から侵略を免れていたのを除けば、厳格な意味で有色民族の独立国は世界で唯一日本だけだった。

 戦前の日本が「八紘一宇」を掲げて、アジアから欧米列強を駆逐しようとしたのも広い意味で「日本の独立・防衛」のためといえなくもない。敗れはしたが、日本が欧米列強と戦ったのは有色人種にとって輝かしい金字塔だ。それにより先の大戦以後に植民地は相次いで独立戦争を起こして勝利し、世界から植民地がなくなった。

 日本にとって先の大戦は無謀な戦いだったが、決して無駄死にではなかった。日本が戦ったのは欧米列強であって、中国を舞台として戦った中国の国民党軍も欧米列強に支援を受けた側面があったことを忘れてはならない。

 しかし、それでも日本軍が中国で戦争を行ったのはケシカランことだったと自己批判する日本国民がいるのも確かだ。だが当時の世界は権謀術数の渦巻く帝国主義全盛の世紀だったことを忘れてはならない。

 日本だけが一体いつまで謝罪すれば良いのだろうか。アジア諸国まで蹂躙していた欧米列強が一度でも謝罪しただろうか。米国が奴隷として原住民を売買した現地国家に対して一度でも謝罪と相当の賠償を行っただろうか。インダス文明を破壊し現地言語を奪ったスペインが南米諸国に対して謝罪し、損害賠償をしたことがあっただろうか。英国やフランスやベルギーやオランダ等々は植民地としていた国々に対して謝罪し、現地から収奪した対価として損害賠償をしたことがあるだろうか。ここでも世界で唯一日本だけが謝罪を繰り返し、損害に対して相当の償を果たしてきた。これほど誠実な国家が19世紀の先進国家で日本以外にあるだろうか。

 それでも戦後70年を機に、日本の首相は謝罪とお詫びをすべきなのだろうか。もういい加減にして、先の大戦以前の日本の先人たちの誇るべき功績を世界に宣伝しても良いのではないだろうか、という気がするのは私だけだろうか。


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/297.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 岸田外相の無能さを隠すウソ説明とそれを垂れ流すウソ報道ー(天木直人氏)
岸田外相の無能さを隠すウソ説明とそれを垂れ流すウソ報道ー(天木直人氏)
http://www.twitlonger.com/show/n_1sn7ene
7th Aug 201 市村 悦延 · @hellotomhanks


これも政府のウソ説明とそれを鵜呑みにして右から左へ垂れ流すウソ報道の例だ。

 岸田外相がアセアン地域フォーラムに出席し、

そこで北朝鮮や中国の外相と会談した内容が盛んに報じられている。

 それを見る限りは岸田外相は八面六臂の活躍をしているがごときだ。

 しかし、その報道をよく読むと、大きなウソがある。

 ウソというのが言い過ぎなら、

あたかも成果があったように巧妙に作られた外相会議とその報道である。

 たとえば北朝鮮外相との会談だ。

 日本人拉致被害者らの調査結果を速やかに報告するように求めたという。

 しかし、これはあくまでも岸田外相が日本人記者に説明している内容に過ぎない。

 実際に北朝鮮外相とどういうやり取りが行われたかについての裏は全く取れていない。

 そもそも拉致問題の調査結果は1年前のストックホルム合意の同床異夢にあった。

 すなわち日本側は拉致被害者全員の安否情報を最優先し、

それを求めることを要求したが、

北朝鮮側は調査対象を広げて拉致被害者の安否情報についての調査結果は

重きを置かなかった。

 それをあたかも拉致被害者調査で進展があったかのように

国内的にごまかしたツケが回って、安倍政権は動きがとれなくなった。

 北朝鮮は拉致家族の調査結果を延期しているのではない。

 従来の結果以上のものはもう出てこないと、とっくの昔に返答しているが、

日本側がそれでは困るから、それを受け取らないだけだ。

 日本側にとって満足のいく返答を早く寄越せと言う日本側に対し、

北朝鮮はそれは約束とは違うと言っているに違いない。

 こんどの北朝鮮外相との会談でも、先方はそう言ったと岸田外相は間接的に認めている。

 何の成果もなかったのに、日本の懸念を伝えたというアリバイづくりをしただけだ。

 中国の王毅外相との会談もそうだ。

 東シナ海ガス田開発について中国側の一方的な開発を止めるように

申し入れたことになっているが、王毅外相に一蹴されてる。

 それは当然だ。

 そもそも共同開発の合意そのものがとん挫したままだった。

 その主たる責任がどちらにあるにせよ、

とん挫ままにしてきた日本の怠慢は間違いなくあった。

 今岸田外相が行うべきは、日本の国内向けに中国に抗議をすることではなく、

一日も早い協議再開を王毅外相から取りつけることだ。

 それができないまま、

安倍談話で歴史に責任ある態度で正しく向かい合ってほしいと、

逆に王毅外相に要望される始末だ。

 そして、そのような要望をされても、すべては安倍首相の判断だから、

岸田外相は何も答えられない。

 まことに無能な岸田外相の外交だけれど、

それを意味あるものにしなければいけない岸田外相と、

それにつき合わざるを得ない日本のメディアは苦しんでいる。

 それだけの話である。

 それを白状しただけの報道である。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/298.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 自公推薦の岩手知事候補平野氏が断念。自公は追い込まれている。(かっちの言い分)
http://31634308.at.webry.info/201508/article_6.html
2015/08/07 21:54

以前、阿修羅のブログに日刊ゲンダイの以下の記事が出ていた。岩手県知事候補に小沢氏と袂を分かち、民主党からも除名された平野参議院議員が、自民、公明が主体となって立候補を表明していた。片や対抗する相手は、現知事の達増氏である。達増氏は生活の小沢氏の右腕とも言っていい人で、小沢氏が動いて民主党、維新に協力を仰いでいた。いつも候補者を出す共産党も自主投票に回り、野党の統一候補と自公推薦候補の一騎打ちの構図であった。

しかし、以下の記事ではダブルスコアで達増氏が有利で、ここで自公が負ければ、戦争法案が影響したと言われることは必至なので、出馬を断念するように迫っているというのが記事内容である。

これは本当か?と半信半疑であったが、今日平野氏が記者会見を開き、出馬断念を表明した。さすが日刊ゲンダイである。他のマスコミは一切報道していなかった。というか出来なかったのかもしれない。平野議員の言いぐさが面白い。選挙の争点が、知事の課題より戦争法案に移ってしまったので、出馬を断念したと述べた。なんとも訳の分からない理由を述べている。達増氏は震災復興を第一に挙げている。平野氏も同じ争点で争えばいいのである。

やはり、自公が推薦した候補者が負けることは許されないのであろう。それだけ、自公は追い込まれているということである。

参議院選挙で自公が惨敗し、選挙結果ボードの前で脂汗を流している安倍首相を見たいものだ。


岩手知事選“大逆風”で…支援候補に「出馬断念」迫る安倍官邸(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/110.html



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/299.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 二度も首相になった懲りない安倍氏は戦前の軍国日本を肯定する特殊思想の持ち主:いつも本心と異なるウソの発言を繰り返している
タイトル:二度も首相になった懲りない安倍氏は戦前の軍国日本を肯定する特殊思想の持ち主:いつも本心と異なるウソの発言を繰り返しているので、早晩、命取りの大失敗をする!(新ベンチャー革命2015年8月7日)

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/35160921.html


1.日本を乗っ取っている米国戦争屋が2012年、安倍氏を再度、自民総裁にしたのはなぜか



 本ブログ(注1)にて、安倍首相について取り上げましたが、本ブログでは、2012年の自民総裁選にて、自民党に対し安倍氏を与党自民総裁(=総理大臣)に選出するよう要求したのは、日本を乗っ取っている米国戦争屋であると観ています。



なお、上記、米国戦争屋(世界的寡頭勢力の主要構成メンバー)およびそのロボット・悪徳ペンタゴンまたは悪徳ヘキサゴンを構成する日本人勢力の定義は本ブログNo.816の注記をご覧ください。



 米戦争屋の対日支配はいつも極めて戦略的であり、安倍氏の自民総裁就任(二度目)も、米戦争屋にそれなりの魂胆があったからです。



 その魂胆は、今では、露呈していますが、悪法・戦争法案の成立です。その目的は、自衛隊を米軍の傭兵にすることです。すべて米戦争屋の都合、すべて米戦争屋の利益を最優先して対日支配が行われています。



 誤解なきように念を押せば、戦後日本を支配し続けているのは米政府自体でもなく、正統なるオバマ政権でもなく、今は現政権から下野中の私的勢力にすぎない米戦争屋ですが、ここが重要なポイントです。



2.日本を乗っ取っている米戦争屋は、なぜ、安倍氏には再度、首相にするだけの利用価値があるとみなしたのか



 安倍氏本人には失礼ですが、同氏はそれほどアタマが切れそうもありません。普通の家に生まれていたら、官僚はおろか、大企業にすら入れなくて、しがない安月給のサラリーマンだったかもしれません。にもかかわらず、安倍氏が衆院議員になれて、自民総裁まで駆け上がったのは、その生まれ(血統)以外にはありません。安倍氏は祖父・岸信介の山口県の選挙地盤を、父経由で受け継いで衆院議員になれたわけで、彼本人の努力でもなんでもありません、岸の孫というだけで、無条件に安倍氏に投票する山口県民も大問題ですが・・・。



 一方、日本を乗っ取り、自民を乗っ取っている米戦争屋にとって、安倍氏を自分たちの傀儡首相にすることがなぜ、好都合だったのか、それは、彼が米戦争屋CIAのエージェントになることを誓い、元首相であったCIAエージェント・岸信介の孫だったからです。



 米戦争屋はかつての岸信介と同様に、安倍氏を自分たちの傀儡にし易かった、ただそれだけで、安倍氏は日本国首相に指名されています。われら日本国民は、そのことをしっかり認識すべきです。



3.自民を乗っ取っている米戦争屋にとって、安倍氏にはアメとムチが使いやすいのは確か



 安倍氏の実母は、岸信介の長女であり、安倍氏は子供のころから、母に徹底的に洗脳されて育ってきたと思われます。そして、米戦争屋は、そのことをしっかり認識しているでしょう。



 米戦争屋は、安倍氏に対し、米戦争屋に逆らえば、祖父が祖国を裏切ったCIAエージェントだったこと(注2)を日本国民にばらすと恫喝することが可能です。安倍氏が、小沢氏のように米戦争屋を裏切ったら、ただちに、安倍氏にとって、尊敬する祖父・岸信介がCIAエージェントだったことがマスコミを通じて、日本国民にばらされるのです。この安倍氏特有の条件は、米戦争屋にとって、安倍氏を自在にハンドリングするのに、極めて好都合であるとわかります。



 米戦争屋は、安倍氏が、尊敬する祖父・岸信介を絶対視して神格化するために、岸が活躍した戦前の軍国日本を肯定したがっていることをわかっています。



 自民広しと言えども、安倍氏のような特殊思想の持ち主は他にいないのです。その意味で、米戦争屋にとって、日本で戦争法案を成立させる上で、安倍氏は適任の傀儡政治家ということになります。



 しかしながら、安倍氏の戦前肯定思想を、戦後の日本国民の圧倒的多数は受け入れません、なぜなら、戦後日本の国民は、戦前の軍国日本を否定するよう教育されているからです。



4.安倍氏の決定的な弱点、それは、常に本音を隠して行動しなければならないこと



 安倍氏特有の戦前肯定思想は、一部のネトウヨ以外に、大多数の一般国民は到底、受け入れません。従って、安倍氏は公人として、戦前肯定思想を堂々と口にすることはできません。そのため、安倍氏の公の発言はことごとく、本音とは異なるのです。彼は常に本心とは異なるウソをつき続けなければならない運命なのです、これは彼にとって実に辛いことですから、そう長くはもちません。



 安倍氏がどうあがいても、尊敬する祖父・岸信介がA級戦犯であった過去、そして、GHQと司法取引してCIAエージェントになった過去を公に正当化することは不可能なのです。



 安倍氏の首相としての公の発言と本音の著しい乖離は、すでに日本国民の多くから見破られています。その結果、彼の口にする言葉を多くの国民はもう信用しなくなっています。戦後70年の節目ということで、近々、安倍氏は、戦後70年の首相談話を発表するそうですが、その中味の大半は、過去の首相談話を踏襲するものであり、安倍氏の本音とは程遠いはずです。



 安倍氏の周辺の取り巻き連中がときどき、安倍氏の本音を代弁して、国民から顰蹙を買っていますが、安倍氏の取り巻きの発する数々の暴言こそが、安倍氏の本音であることは、国民のほとんどがもう知っています。



5.国民価値観が理解できないという特殊思想の持ち主・安倍氏の根本的欠陥がやがて命取りになる



 上記のように、安倍氏は岸信介の孫ということで、母から徹底的に洗脳されてきて、日本では極めて稀な特殊思想の持ち主に育っています。そのせいもあって、同氏は、戦後日本国民に根付いている民主主義的価値観をほとんど理解できないでしょうし、わかろうとする気もないのでしょう。こういう人物は本来、戦後日本の首相になってはいけない人物なのです。安倍氏自身が、もっと知的に賢明だったら、首相になることを辞退したはずです。



 にもかかわらず、米戦争屋に尻尾を振って、ぬけぬけと二度も首相の座に就いたことが、やがて、裏目に出て、大失敗しそうです。

どのような失敗で失脚するのか、現時点では定かではありませんが、安倍氏はA級戦犯からCIAエージェントに変身して生き延びた岸の孫として、本来、戦後日本の政治家になるべきではなかったと思われます。安倍氏の兄・安倍寛信氏(三菱商事勤務)は何らかの理由で、政治家になっていませんが、兄の方が、安倍首相よりも知的に賢明だったのではないでしょうか。



注1:本ブログNo.1177『安倍氏を総理大臣に選んだのは日本国民ではなく自民党員:自民党は自衛隊を米軍傭兵化したい米国戦争屋に乗っ取られていると知れ!』2015年8月4日

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/35152878.html



注2:本ブログNo.629『孫崎享氏の『戦後史の正体』:岸信介は対米自立派だった?安保反対の全学連を闇支援していたのは米国CIAだった?それはほんとうか!』2015年8月26日

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/30255644.html



ベンチャー革命投稿の過去ログ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/melma.htm



テックベンチャー投稿の過去ログ

http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/8285/column-top.html
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/300.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 自民総裁選ずれ込みへ=安保法成立後に告示(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015080700635


 自民党は7日、安倍晋三首相の9月末の任期満了に伴う総裁選について、当初想定した「9月8日告示、同20日投開票」より遅らせる方向で再調整に入った。安全保障関連法案審議が不透明感を増し、9月8日の告示では法案成立前に総裁選に突入しかねない情勢となっているためだ。延期の場合、告示は9月中旬以降となる見通しだ。

 同党の谷垣禎一幹事長は7日の記者会見で、総裁選日程について「(法案)審議がどのくらい進んでいるのかを十分尊重しながら判断しなければならないが、まだ材料が十分ではない」と述べた。

 総裁公選規程は、任期満了日前の10日以内を投開票日と定めており、当初は最も早い「9月8日告示」の方向で調整された。首相が9月下旬の国連総会に出席する訪米日程を考慮したためだ。

 だが、参院で審議中の安保法案は、世論の逆風に加え、政権内部から法的安定性軽視と取られかねない発言が出たことなどで野党が勢いづき、採決時期は見通せていない。谷垣氏は5日、首相と官邸で会談し、総裁選日程について「いつ参院で採決するか分からないから、その辺を見ないと決められない」と伝えた。 

 安保法案について、与党は参院が採決しなくても衆院の3分の2以上の賛成で再可決できる憲法の「60日ルール」適用も視野に入れる。党執行部は「重要法案の審議中に総裁選を争うのは好ましくない」(幹部)として法案成立後に告示日を設定したい考えで、再可決が可能となる9月14日以降で再調整することになりそうだ。

 ただ、首相の対立候補の動きは表面化しておらず、無投票再選の流れは変わっていない。

◇当面の政治日程
 8月14日 安倍晋三首相が戦後70年談話発表?
   15日 70回目の終戦の日
 9月 3日 北京で抗日戦争勝利70年記念行事
    6日 岩手県知事選投開票
   14日 安保法案、憲法の「60日ルール」を適用した衆院再可決可能に
    下旬 首相が国連総会に出席(米ニューヨーク)
   27日 通常国会会期末
   30日 首相の自民党総裁任期満了
(2015/08/07-18:26)


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/301.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 70年談話、14日に閣議決定=「歴史振り返り英知結集」−安倍首相(時事通信)
            自民党の役員会に臨む安倍晋三首相(中央)ら=7日午後、国会内


http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015080700773


 安倍晋三首相は7日の自民党役員会で、戦後70年の節目に公表する談話について、14日に閣議決定する考えを表明した。首相は、先の大戦への反省を踏まえ、未来志向の談話とする意向。戦後50年の村山富市首相談話など、首相が「全体として引き継ぐ」としている歴代政権の歴史認識をどう表現するかが焦点となる。

 首相は党役員会で、70年談話について「歴史を静かに振り返りながら英知を結集し、未来に向けた談話にしたい」と強調。同党は談話の取り扱いを党総裁の首相に一任した。

 首相は7日夜、東京都内のホテルで、自民党の谷垣禎一幹事長、公明党の山口那津男代表、井上義久幹事長と会談。首相は談話の原案を示し、公明党側が意見を述べた。菅義偉官房長官も同席した。

 首相は14日、閣議決定を受けて記者会見し、70年談話の内容などを国内外に向けて、自ら説明する考えだ。閣議決定に関しては当初は見送り論もあったが、政府の公式見解として明確に位置付けるため、村山談話などと同様、閣議決定することとした。

 談話をめぐっては、有識者会議「21世紀構想懇談会」が6日、大戦への「痛切な反省」などを盛り込んだ報告書を首相に提出。首相は報告書を踏まえ、与党の意見も聞きつつ談話の内容を決める意向だ。 (2015/08/07-21:55)


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/302.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 安保法制で自衛隊の退職者が続出! 2万人説も…安倍政権が進める経済的徴兵制で「貧乏人から戦場へ」という国に(リテラ)
                 陸上自衛隊 広報チャンネルより


安保法制で自衛隊の退職者が続出! 2万人説も…安倍政権が進める経済的徴兵制で「貧乏人から戦場へ」という国に
http://lite-ra.com/2015/08/post-1365.html
2015.08.07. リテラ


 今回の安保法案で大きな注目を浴びた自衛隊。国会審議でリスクの問題が争点になるなか、自衛隊に関する様々な問題も噴出している。

 自殺率の高さ、いじめ、陰湿な退職妨害など精神的肉体的苦痛が多く、ブラック企業と化した内部事情。また安倍政権になって「人を殺すための訓練」をスタートさせ、また戦死を想定した“遺書”の強制や家族連絡カードへの記入を義務化するなど、“安保法案制定後”を想定した数々の動きも顕著化している。

 そしてもうひとつ、安保法案制定後に危惧されているのが自衛隊員の人手不足だ。戦闘地域に派兵され生命さえ危ぶまれるなか、自衛隊を希望する若者が激減するのではと指摘されるのは当然だろう。

 しかし実は自衛隊の人手不足は、既に始まっているという。これを公表したのは沖縄選出の社民党衆議院議員・照屋寛徳氏だ。照屋氏はこれまでもイラク帰還自衛隊員の自殺に関する答弁書を出すなど自衛隊問題に造詣が深いが、最近も防衛省の内部資料を入手し、第二次安倍政権下で退職者が激増していたことを明らかにしている。

 それによると、11年度の自衛隊退職者は1万940人だったが、14年度には1万2500人。実に1500人以上も退職数が増えているのだ。

 これを報じた「フライデー」(講談社)8月7日号の記事によると、その原因として14年1月に行われた安倍首相の施政方針演説で自衛隊の海外派兵について言及したこと、また安保法案について先が読めない不安が自衛隊員のなかで蔓延していることが指摘されている。また、こうした人出不足のため、慢性的に業務多忙になり嫌気がさして辞めるという悪循環さえ起こっている。また任官拒否の防衛大卒業生も、ここ4年間で5倍に急増している。

 もちろん安保法案が成立すれば、15年度はさらなる退職者の増加があるだろう。防衛省担当記者がこう明かす。

「いや、すでに退職希望者が続出しているらしい。現場には退職者を出さないように指令が下っているので、上官が必死で引き止めを行っているようですが、もしかしたら、今年度は退職者が2万人を超える規模になるのではないか、ともいわれている」

 こうした事態に政府もなりふり構わぬ“兵隊”リクルート作戦に出ている。
 昨年7月1日、集団的自衛権が閣議決定された日以降、全国の高校生に自衛隊の採用説明会の案内が一斉に郵送され「赤紙が来た」などと大きな話題となったが、今年7月下旬から防衛省は高校・大学生に向けて「“マスメディアには出ない本当の自衛隊”を知る説明会」を大々的に開催する予定だ。

 加えて“イメージ戦略”にも躍起になっている。昨年7月からAKB48の島崎遥香が自衛官募集のCMに出演し自衛隊オフィシャルマガジンの表紙を飾ったことは大きな話題となったが、今年の自衛官募集CMにはセクシータレントの壇蜜を登場させたのだ。壇蜜は「リクルート隊長」として自衛隊の意義や魅力をアピール、またネット動画では壇蜜が各自衛隊に入隊潜入し、訓練の模様など自衛隊員の生活を紹介している。

 お堅い官庁の、特に自衛隊CMにセクシーを売りにしたタレントを登場させるのは異例でもあるが、それでホイホイ若者が自衛隊入りすると思ったら大きな間違いだ。実際、あまりに安易で若者をバカにしたような壇蜜CMに「色仕掛けで若者を戦場に送り込むな!」「壇蜜は護憲だったはずでは」などと批判が殺到したという。

 おそらく、このテの表面的なPR作戦をやったところで、これからも、自衛隊志願者は減り続けるだろう。

 そこで、安倍政権が着々と布石をうっているのが、先日、山本太郎も国会で追及していた経済的徴兵制度だ。安倍首相は安保法制を通すために、「徴兵制は憲法違反にあたるのでありえない」「集団的自衛権と徴兵制は関係がない」と打ち消しに躍起だが、その一方で、貧困層を狙って自衛隊に入隊させるという作戦をとり始めているのだ。

 たとえば、前述した高校生への採用案内でも経済的メリットがやたら強調されていた。地域によって内容は異なるが、隊舎では家賃はもちろん、食費、光熱費、水道料金といった生活費がすべて無料であることや、入隊10年後の月収が自衛官候補生なら約34万円、一般幹部候補生なら約38万円になることといった宣伝文句が展開された。

 また、安倍内閣で一二を争うタカ派閣僚文科相の諮問機関「学生への経済的支援の在り方に関する検討会」で、有識者メンバーの前原金一・経済同友会専務理事が奨学金の延滞者対策の必要性を主張したうえで、こう発言したのだ。

「前も提言したのですが、現業を持っている警察庁とか、消防庁とか、防衛省などに頼んで、1年とか2年のインターンシップをやってもらえば、就職というのはかなりよくなる。防衛省は、考えてもいいと言っています」

 つまり、防衛省は奨学金延滞者のインターンシップを前向きに検討し始めているということらしい。

 また、自衛隊は幹部候補生になるという条件と引き換えに大学3・4年生および大学院生に毎月5万4000円を貸与する制度も設けている。しかも、貸与を受けた期間の1.5倍以上所属すると返還しなくてもいいというおまけ付きだ。
 
 ようするに、安倍政権は格差助長政策によって、貧困層をつくりだす一方、その貧困層を自衛隊に引き込み、戦場に送り出そうとしているのだ。これはある意味、本当の徴兵制よりももっとグロテスクな制度というべきだろう。なぜなら、「国民が自分の国を守るのは義務だ」といいながら、実際は富める者はその義務を負わず、経済的弱者にだけリスク押し付けることになるからだ。

 実際、米軍をはじめ、徴兵制を廃止した先進国の軍隊はほとんどがそういった歪んだ状況におちいっている。

 たとえば、イラク戦争が泥沼化した2005年、米国では今回の自衛隊と同様、公立高校から入手した名簿をもとに、貧困層への狙い撃ちが行われ、社会問題になった。

 当時、朝日新聞がこの問題を特集しているが、そのなかで新兵募集の反対運動に取り組む非暴力資料センターのボブ・フィッチ氏が、こんなコメントをしている。

〈ブッシュ大統領は昨年の選挙で「徴兵制は導入しない」と約束した。「皆さんの子どもは戦場に送らない」という中産階級に向けたメッセージだったと思う。
 だれが戦争に行くのか。状況を一番よく言い表す言葉は「貧乏人の徴兵制」だ。進学や就職などの選択肢がなく、金と仕事に困っている若者が標的になる。
 予算を人質に学校から個人情報を入手して電話をかけまくる。ビジネスのマーケティングと同じだ。学費補助にしても、受けるには条件がいろいろある。明らかなウソはつかないが、誤解させる。〉(2005年8月12日付朝刊)

 集団的自衛権を容認によって米国の属国化をさらに推し進めた安倍政権は、自衛隊のリクルートでも米国とそっくり同じ道を歩もうとしている。

(野尻民夫)


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/303.html

記事 [政治・選挙・NHK190] <重要法案>刑事司法制度改革の修正案が衆院で可決!警察の盗聴範囲拡大や司法取引の合法化、取り調べの可視化等を盛り込む
【重要法案】刑事司法制度改革の修正案が衆院で可決!警察の盗聴範囲拡大や司法取引の合法化、取り調べの可視化等を盛り込む
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7500.html
2015.08.07 21:32 真実を探すブログ



8月7日に刑事司法制度改革の関連法案の修正案が衆議院本会議で、自民・公明両党と民主党、維新の党などの賛成多数で可決されました。


この改革案には、警察の盗聴範囲拡大や司法取引制度の導入、取り調べの録音・録画などが盛り込まれており、修正案で弁護士が司法取引に立ち会うことが明記されています。警察権限の拡大を懸念する声もありましたが、取り調べの可視化や弁護士同席などの明記で最終的には合意となりました。法案は参議院での審議を経て、今の国会で成立する見通しです。


☆刑事司法制度改革 関連法案の修正案 衆院可決
URL http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150807/k10010181901000.html
引用:
いわゆる司法取引を導入することなどを柱とした刑事司法制度改革の関連法案の修正案が、7日の衆議院本会議で、自民・公明両党と民主党、維新の党などの賛成多数で可決され、今後、参議院での審議を経て、今の国会で成立する見通しとなりました。
:引用終了


《刑事訴訟法改正案》【衆議院 国会中継】〜平成27年8月7日 本会議〜


警察と検察による取り調べの可視化義務付け、衆院可決へ


以下、ネットの反応


NHK『ニュースウォッチ9』、今日の衆議院本会議で、自民・公明両党と民主維新などの賛成多数で「刑事司法制度改革の関連法案」が可決と放送。「日本の刑事司法のあり方が大きく変わる事になりそうです」⇦なのに司法取引導入をサラッと説明。 pic.twitter.com/zJQE2VAFMp
— 朝日庵 (@asahian222) 2015, 8月 7
















これで刑事訴訟法改正案の成立は確実になりました。この法案には色々と盛り込まれていますが、その中でも司法取引の導入は物凄い大きな意味を持っています。
日本の刑事司法のあり方が大きく変わる事になる制度で、本来は可決前に国民的な議論が必要不可欠でした。参議院で山本太郎議員らが追求してくれるのを期待するしか無いですが、国民側もこの法案に関心を持つ必要があります。




http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/304.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 「徹底的にわーわー騒ぐべき問題発言。→麻生氏「発言は法案通ってから」 :想田和弘氏」
「徹底的にわーわー騒ぐべき問題発言。→麻生氏「発言は法案通ってから」 :想田和弘氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/18044.html
2015/8/8 晴耕雨読


https://twitter.com/KazuhiroSoda

>杉原こうじ(緑の党・脱原発担当) 出ました! 麻生副総理が武藤貴也議員に対して、「優先順位の1番が(安保)法案を通すこと。これだけはぜひ頭に入れてもらって。自分の気持ちを言いたいなら、法案が通ってからにしてくれ」。一片の反省もない大暴言。野党は徹底追及を!!!!!



思ってることを素直にぶっちゃけただけなんでしょうけど、これは凄い発言ですよ。


主権者をいったいなんだと思ってるんでしょうか、麻生さんは。


徹底的にわーわー騒ぐべき問題発言。


→麻生氏「発言は法案通ってから」 武藤氏問題念頭にクギ:朝日新聞http://t.co/6owpQ2CtHv

麻生発言を素直に読むならば、「法案が通った後なら『戦争へ行きたくない』という人たちに対して『極端な利己主義だ』と非難してもいいよ」ってことです。


すんごく怖くない?それって。


「戦争へ行きたくない」という人に対して「利己主義だ」と非難した武藤議員の発言は平時の今でこそ厳しく批判されているけど、実際に戦争が起きたらどうなるかわからないよ。


「戦争へ行きたくない」という人に対して「利己主義だ」と非難する人たちの方が勝ってしまうような状況が戦争なんですから。


戦争になったら、それに協力しない人は「利己的」だの「非国民」だのとみられてしまうんですよ、実際。


それが戦争ってもんでしょ。


だから恐ろしいんです。


>てすん この前提の上に、「お国のために戦って死んだ英霊」なんですわԅ( ˘ω˘ ԅ) 心の底から自己犠牲精神で戦いに行った人より、こういう圧力で戦いに行かされた人が多いと思うよ。それを隠すためにプロパガンダとして東京招魂社を靖国にしたわけだ


>阿部ユッキー 麻生太郎の言った通りに、順番で事が運ぶとこうなる。


(1)戦争法案が可決する


(2)武藤議員が例の発言をする(戦争に行きたくないのは利己的) これって、一気に戦前ですね。



関連記事
相次ぐ問題発言に麻生副首相が苦言!「言いたいなら法案成立後にしてくれ」 
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/295.html



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/305.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 安保法制の核兵器輸送問題、安倍首相が「120%あり得ない」と表明!核兵器禁止の文章を盛り込むことは拒否!
安保法制の核兵器輸送問題、安倍首相が「120%あり得ない」と表明!核兵器禁止の文章を盛り込むことは拒否!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7501.html
2015.08.07 22:41 真実を探すブログ



安保法制を巡る国会質疑で「核兵器も法律上は移送することが可能」と判明した問題で、野党が安倍首相を追求しました。


民主党の山井衆議院議員は安倍首相に対して「核兵器は輸送しないという答弁では安心できない。今回の法案の中で核兵器は除外すると書くべきだ」というような質問をぶつけますが、安倍首相は「私は総理大臣として核輸送はあり得ないと言っているのですから、間違いありませんよ!」と反論。
日本として非核三原則がある以上は、政策として核兵器の輸送はしないと強調しています。


ただ、安倍政権は武器輸出三原則等を閣議決定で変更したことがあるため、この発言の信憑性について疑問の声が相次ぎました。今回の答弁で安倍晋三首相は「120%あり得ない。机上の空論だ」とも述べていますが、核兵器禁止の法制化には言及していません。













☆首相、核兵器輸送「120%あり得ない」 予算委で強調
URL http://www.asahi.com/articles/ASH875WGMH87UTFK00S.html
引用:
 安倍晋三首相は7日の衆院予算委員会で、安全保障関連法案が成立した場合でも、米国が自衛隊に核兵器の輸送を依頼することは「120%あり得ない。机上の空論だ」と否定した。非核三原則の存在や、自衛隊に核兵器を運ぶ能力がないことなどから、政策的な判断として核兵器を輸送することはないと強調した。
:引用終了


安倍首相、「非核三原則の堅持」長崎では表明へ


長崎では「非核三原則の堅持」盛り込む 総理、表明(15/08/07)



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/306.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 何を恐れる公明党!〜ママたちが本部前で「サイレントデモ」(レイバーネット日本)
何を恐れる公明党!〜ママたちが本部前で「サイレントデモ」
http://www.labornetjp.org/news/2015/0807shasin
2015-08-07 23:11:04 レイバーネット日本



「平和の党と思っていたのに最近の行為は悲しい。平和主義を思い出してほしい!」と語るママデモの魚ずみちえこさん(写真上)。彼女たちが呼びかけた「公明党本部前サイレントデモ」が、8月7日夜行われた。わずか10名ほどのママデモに対して、公明党本部前の路上には20名を超える警官隊が配備され、行き先を阻んだ。赤色灯を点滅された警備車両が3台もあり、一体は異常な雰囲気だった。本部前にサイレントで立つだけの行動も許さない。公明党は何を恐れているのだろうか。ネットで知って初めて参加した女性は、「公明党には自民党を押さえる役割を期待していたのに残念だ。この警備状況を見ていると、なりふりかまわずごり押しする政府の姿勢を感じる。そういうクニが悲しい」とため息をついた。8日には「創価学会本部前」でもサイレントデモを予定している。(M)


→動画(5分26秒)
「平和主義を覚えてる?」公明党本部前サイレントデモ


↓公明党本部ビル前を封鎖する警察官


↓サイレントデモ







↓警備員に「党職員に渡してほしい」と要請ボードを託した



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/307.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 「完全なる背任行為が公的な文書を偽造、捏造までして行われている:フジヤマガイチ氏」
「完全なる背任行為が公的な文書を偽造、捏造までして行われている:フジヤマガイチ氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/18046.html
2015/8/8 晴耕雨読


https://twitter.com/gaitifujiyama

見出しは一部削除とあるが記事読むと発言内容の改ざんまでしている。


この完全な違法行為を一体誰が何のためにやったのか。


今日から始まった第三者委員会の責任において明確にせよ。


/JSC:議事録一部削除し開示…情報公開請求に - 毎日新聞 http://t.co/WmTzgz6upT

これから本当の責任追及がようやく始まる<JSC>新国立工事費、「3000億円」設計会社提示無視 http://t.co/3V8kDCRA4r


【新国立工事費「3000億円」設計会社提示無視 http://t.co/3V8kDCRA4r

この記事見た後これを読むと鈴木寛は嘘言ってる事になる。


関係者として国会への参考人招致を求めたい


【新国立競技場に関する誤解を解く 鈴木寛http://t.co/Broohh1jJI

紹介したこの記事が本当ならば、今回の新国立競技場問題を普通に見たら背任になる訳で、当然ながら警察、検察が捜査を開始する話になる筈だ


>建築エコノミスト森山 ウソ文書まで作成かよ→新国立競技場:工事費「3000億円」設計会社提示無視 JSC、過少見積もり1625億円 - 毎日新聞 http://t.co/IXo9xb7yCpJSCは「基本設計に記載した1625億円は、設計JV(共同企業体)側とも確認のうえ算出した」と文書で回答した。

完全なる背任行為が公的な文書を偽造、捏造までして行われている。


完全に刑事事件案件だ。


しかもこれ安倍政権下で起きている。


捜査当局と国会で追及されなきゃいけない話でしょ?


少なくても仕切り直しになった新国立競技場事業からJSCは外せよ


そしてこういうJSCのインチキを見逃し続けてちゃっかりお金を貰ってた各JVの方々もその責任から逃れることは出来ないって事ですがな。


こうした出来事の数々はあのまま現状に流されていたら全部闇の中に葬られたんだからね、その事を忘れないように。


特にザハ案でイケと息巻いてた人らはさ


これ読むと新国立競技場プロジェクトはかなり前の段階で壊れてたんじゃないか?という疑念が起きる


/[新国立競技場問題] 真実発掘11「基本設計のキールアーチはデザインテイスト維持用部材だった」 - kensyou_jikenboのブログ http://t.co/gOvNQJN8Pk

今回毎日新聞がスッパ抜いたJSCのインチキにしてもよく見ると例のアーチを作るために必要不可欠ながら最も難工事が予想されかつ金額も膨大になりそうなダイバー工法について検討されてる気配なく見積もり出ている気配濃厚なんだよな。


この問題のキモはここだから、忘れないようにしておかないとね 


結局この人も安倍たちと何ひとつ変わらない、全く何も分かっていないという事だ/集団的自衛権を考える|河野太郎公式ブログ ごまめの歯ぎしり http://t.co/WFrc6fM6Wg

>ヒロ・マスダ 海女萌えキャラ「女性蔑視」と批判…反対署名も "萌えキャラは、クール・ジャパン戦略として注目されている“萌え文化”を背景に、同市の観光や海女文化を国内外へPRしようと、四日市市のイベント企画会社「マウスビーチ」が制作" http://t.co/szIgFpIs0k

>ヒロ・マスダ 名前:碧志摩 メグ 年齢:17歳 身長:158cm 体重:46kg ボーイフレンド:募集中(笑) 17歳というアンダーエイジの設定の少女が性的ポーズでボーイフレンド募集中、これが行政の海外公式PR。受け取る側はクールと思わないはず



>ヒロ・マスダ これも「クールジャパン戦略の一部として、日本ブーム創出に伴う関連産業の海外展開の拡大、観光等の促進につなげることを目的」の事業。カンヌ映画祭でこれらやるのに税金1億円。「映画産業振興に役立っています」経済産業省メディアコンテンツ課



行政が税金突っ込んでこういうのを広報として海外に展開する。


頭おかしいとしか思えない 萌えキャラを世界に発信!


税金使って!!


抗議来ない方がおかしいだろ。


頭おかしいんじゃねぇのかとしか言いようがないわ。


表現規制だ?


バカ言うなよ、そんな話のずっーーと手前の一般常識の問題だよ 




http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/308.html

   

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