“サイダー界”のトップブランド(右はアサヒ飲料提供)
最古の炭酸飲料にも苦難が 「三ツ矢サイダー」“V字回復”秘話
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/162371
2015年8月5日 日刊ゲンダイ
シュワーッと喉を通るほどよい泡。先祖代々飲み継がれた味は飽きがこない。日本で最も古い炭酸飲料は昨年130周年を迎えた。
時は明治時代にさかのぼる。政府は全国の湧水や井戸水を調査し、来訪する外国の要人用の飲料水を探していた。この時、英国人化学者のウィリアム・ガウランドが兵庫県多田村平野で天然鉱泉水炭酸水を発見した。これが、「三ツ矢サイダー」の原型とされる。
1884年に「平野水」の名前で販売され、1897年に「三ツ矢印平野水」として大正天皇の御料品に採用されたほどの高級品。庶民には高根の花だった。マーケティング第一グループ炭酸チーム・庄司弘佐副課長はこう言う。
「当時は砂糖が入っていません。甘さはなくて、水に炭酸が入っているだけ。外国では同様の水が飲まれていたようです」
「三ツ矢」の名前は、平野に残る故事と、この地を発祥とした姓にちなんだもの。1899年に「三ツ矢」印を商標として登録し、1907年には、平野水に香料と甘味料を加え、パッケージに「三ツ矢」印の入った「平野シャンペンサイダー」も発売した。
「大衆に知られるようになり三ツ矢ファンは増え、『夏目漱石がよく飲んでいた』『宮沢賢治は給料日に、天ぷらそばと三ツ矢サイダーをセットで頼んでいた』なんて話が残っています。当時、天ぷらそば15銭に対してサイダーは1本23銭と、とても高級な飲み物だったそうです」
■「安心・安全」の原点回帰で復活
そんな“サイダー界”のトップブランドも、後発組に追い上げられる。ソフトドリンク業界は20〜30年前から新商品ラッシュが続く。ライバル各社はどんどん新しい商品を発売。その余波で三ツ矢サイダーの売り上げは右肩下がりとなった。
「120周年を翌年に控えた2003年ごろは、正直、危ない状況でした。私が入社して間もない頃でしたね。今ではコンビニなどでも見かけますが、当時は名前が知られていても、どこにでも置かれている商品じゃなかった。探すのが大変だったくらいです。それでも、社員にとっては思い入れの深い商品。節目を前に『危機的な状況を打破しなければ』とマーケティング部中心に、あらゆる部署の人間が集まる全社的な会議をしたんです」
導かれた答えは原点回帰。ずっと、飲み継がれてきたのは子どもからお年寄りまで親しめる「安心・安全」な商品だったから。そこで、「製法」にこだわって味をリニューアル。ろ過を重ねた透き通った「水」と、レモンやオレンジなどの果実からとった果実由来の「香り」、さらに熱を加えないさわやかな味わいを前面に出した。CMで消費者にも訴えた。これが奏功し、売り上げはV字回復。そこから10年、味は変えていない。
■いずれは世界へ
「私も毎日飲んでいます。喉越しを確かめながら、常に『前の商品を超える!』と模索する日々です。私が子どもの頃、祖父母の家で飲んだ思い出があります。世代を超えて飲み継がれた家族の味。子どもたちに安心して飲ませられる『安心・安全』の軸は外せません」
年間に10種類くらい、トクホやフルーツ味など全世代に向けて新商品を出し続けている。パッケージのリニューアルは2年に1回ペース。パッケージは変えながらも、シンボルである、3つの矢の「矢羽」は平野水の頃から変わっていない。
「『三ツ矢サイダー』の懐かしさを残しつつ、常に新しい存在でいたいです。訪日観光客が増えている今、外国の人たちも130年以上続いている商品に驚くと思います。興味を持ってもらえたらうれしい。時代に寄り添うチャレンジは考えています。いずれは世界中で親しまれる商品にしたいですね」
10年後、海の向こうでも家庭の味になっているかも知れない。