前回はトルコ・グルジア(ジョージア)・アゼルバイジャンをつなぐ鉄道構想について触れた。その際に少し触れたが、コーカサスやイランの鉄道プロジェクトには実は中国が関わる案件が増えている。
19世紀において、この地域の鉄道路線敷設の目的は、世界の穀倉と化した黒海南岸とカスピ海の資源を、黒海を通じてヨーロッパ、そして世界に運ぶ道の建設であった。
しかし、鉄道という近代的な乗り物が発明される前から、コーカサス周辺は広くユーラシア物流のハブに位置していた。とりわけいわゆる南ロシア(キプチャク)平原を通る「草原の道」は重要である。
今回はコーカサスから見たユーラシアの動脈との「接続の歴史」について中国とのつながりを手がかりに少し考えてみたい。
一帯一路に飲み込まれるグルジア/ジョージア?
今年6月30日、朝日新聞に興味深いグルジア現地リポートが掲載された。「絹の道 巨大マネー流入」の見出し語句とともに中国企業の活動が紹介されている。
日本でも話題の五輪施設建設がらみでもあり、その意味でも示唆に富む。まさに今週(7月最終週)、首都トビリシで開催中の欧州ユース五輪フェスティバル|(EYOF、14〜18才のオリンピック)の会場建設を中国企業が請け負い、会場だけではなく、集合住宅、商業施設、ホテルなど複合施設を建設中との記事である。
むろん、これは海と陸の2つのシルクロード経済圏「一帯一路」という中国政府の国策にも沿う動きであろう。
インフラだけではなく、局所的な動きとはいえ、中国はグルジアの農業に興味を示している。今年に入ってから、中国の要人がグルジアを複数回訪問し、グルジア側も3月に経済大臣が、6月には農業大臣が中国を訪問している。
実際、筆者自身、ここ10年来の中国のグルジアにおける「浸透」ぶりには様々な局面で驚かされてきた。2年前、風光明媚で知られる西グルジア・ラチャ地方を訪れた際には、途中立ち寄った地方の市場で中国人の若い女性に出くわした。
そのとき見聞したのは、(純然たる)グルジア人の名前でパスポートを持つ中国人が地方にも多数居住しているとのことだった。未確認であるが、土地など何らかの権利取得に関連することかもしれない。
こうした中国進出の1つの象徴的事案が、黒海に面するアナクリア港の竣工事業である。詳細は省くが、現在入札中であり、先月2組に絞られたことが発表された。一方は中国資本の支援を受け、一方は米資本とつながるビジネスグループであるという。
紛争地域であり、グルジアの実効支配が失われて20年となるアブハジアと目と鼻の先となるアナクリアの開発は、実は分離地域に対するタカ派姿勢で知られたミハイル・サーカシビリ前政権時代に打ち出されたものである。
開発事情予告クリップは、いかにも当時のグルジア政府の志向を象徴している。おりしもギリシア危機で中国マネーのエーゲ海進出が噂される中、中国は国際政治の十字路である黒海にも着々と足場を築こうとしている。
シルクロードの残像
中国と黒海。意外な組み合わせかもしれない。また、超大国として台頭しようとする現代の中国の世界進出はアフリカをはじめどこでも見られることであろう。
もっとも、中国と環黒海地域との結びつきは今始まったことではない。そして、実は30年以上前に歴史的シルクロードについて興味深い番組が日本で放映されている。
NHK特集(ちなみにNHKスペシャルに変わったのは平成に入ってかららしい)として1984年5月7日に放映されたシルクロード第2部『ローマへの道』14集『絹と十字架〜コーカサス山脈を越えて』である。
1970年代末から80年代初めに物心ついたものとして、石坂浩二のナレーションと喜多郎のテーマ曲のメロディーや楼蘭の美女など西域の歴史は大いに異国情緒をかき立てるものとして強く印象に残っている。
流行作家としての井上靖については、『わが母の記』(原田眞人監督)でちょうど感銘を受けたところでもある。
もっとも、たまたまか、あるいは当時の筆者にはさすがに異世界に過ぎたのか、この『絹と十字架』は全く記憶に残っていなかった。灯台もと暗し。
しかし、本校執筆のために映像を見てみると、北コーカサス・オセチアの死者の街やグルジア軍用道路、グルジアの宗教遺跡ヴァルズィア(ワルジア)、アゼルバイジャンのシェキとバクー、そして最後のアルメニア教会の総本山エチミアジンまで、文字通りコーカサスを無尽に駆け回る見応えのある映像が続く。
そして、何より番組の中心は北コーカサスの墳墓群で発見された中国の絹なのである。
コーカサス山脈という(石坂浩二のナレーションに倣えば)「1100キロの巨大な壁」を縫うように走る古のシルクロード。
6世紀、ササン朝の重税を逃れるための迂回ルートとしてカスピ海北岸が利用され、その痕跡として北西コーカサス・クバン河上流モシチェワヤ・バルカ(「亡骸の谷間」直訳すると聖骸の窪地となるようだ)墓地群の埋葬品から絹織物などが発見された。
実際には北ルートは番組のように南北コーカサスを抜けるのではなく、北コーカサスからそのまま黒海に出て、トラブゾン、クリミア航路に接続していたという。番組は年代にも飛躍が大きく、学問的には問題を多く含む内容である。
ただし、1960年代から専門論文を発表してきたエルミタージュ博物館のイエルサリムスカヤ女史の業績をおそらく下敷きとしており、その意味では先駆的映像とも言えるだろう。
同女史は中国商人の帳簿と思われる文書断片の発見から、中国人商人自身もこの地域を通過していたと推測している。
ちなみに2007年にはエルミタージュで『モシェヴァヤ・バルカ:北コーカサスの絹の道の遺跡』という展覧会も開かれており、今後中国の進出と絡めて改めて光があてられていく可能性は十分ある。
虚像と実像のダンス
映像そのものの力に加えて、筆者の印象に残ったのは、映像が伝える様々な「時間」である。
中国の黒海進出と言っても、我々は2000年前のことを念頭に置くこともできるし、一方で最新の情勢を考える際にもわずか30年ばかり前を念頭に置けば、また様々な違う見方が広がるだろうということである。
そもそも、中国とヨーロッパをつなぐシルクロードというとらえ方自体が極めて近代的発想ないし時代性に基づいている。
そして、いわば欧州の学問を積極的に吸収し、文字通り「東洋学」を発展させてきたロシアと日本のクルーによって『絹と十字架』が20世紀後半に撮影された事実もまた極めて興味深い。
20世紀の冷戦末期に撮影された『シルクロード』というシリーズそのものが、もはや見ることが容易にかなわないユーラシアの各地の映像記録として貴重である。番組中で平和でのどかな光景の広がるコーカサスでも民族紛争が火を噴くにはまもなくのことなのだ。
ちなみに『シルクロード』の初回は兵馬俑を取り上げているが、まさに日中友好がうたわれ、苦難の歴史を歩んだ当事者の世代がまだまだ健在な時代に実にのびのびと悠久のシルクロードの歴史について語り合っている。
今年長寿を全うした陳舜臣も若々しい。つくづく歴史とは必ずしも国が作るものではないと感じる。
こうした日本のソフトパワーの蓄積を念頭に、近い過去としての20世紀を振り返ることも一興であろう。専門家としては番組の内容にいささか荒唐無稽の念も持ったとはいえ、ユーラシア史の多面的な見方を示唆する『絹と十字架』の映像は強く印象に残った。近視眼ではなく、さりとて過大な過去遡及のまた戒めとなろうか。
さて、最後に昨年に引き続き、宣伝をお許しいただきたい。勤務先の首都大学東京飯田橋キャンパスでユーラシア史に関する公開講座を10月に全4回で企画している(なお申し込みは9月)。
本連載の杉浦敏広氏にも昨年に引き続き登壇いただく予定である。イランの核開発を巡る協議が妥結し、制裁解除が見込まれるが、この会議でも中国が交渉国として大きな注目を浴びた。講座は現代情勢を扱うものではないが、その背景として、今一度ユーラシアの歴史を広く考えてみたい。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44423