ボストン美術館で展示中のモネ作La Japonaise(日本人)。
誰しもが一度は見かけたことがあるかもしれない着物をきた女性の絵であるが、着物の中にいるのは日本人ではなくモネ夫人のカミラである。
フランス人女性が、東洋から輸入された着物を着ている、というのがLa Japonaiseのコンセプトなのだ。モネの感覚の中では日本もシナも同じようなものだったかもしれないし、着物もイマイチ和服の着物らしくはないのだが、まあそこは争うまい。
ボストン美術館では、訪問者が積極的に展示イベントに参加できるように、絵の中にあるキモノのレプリカを現実サイズで用意し、閲覧中の女性客がモネ夫人のようにそれを身にまとい、La Japonaiseの前で写真を撮影する、というユニークな企画を用意していた。
似たような試みは、日本でもあり、ガイジン観光客にサムライのいでたちで写真をとらせるようなこともサービスの一環で見られたことだ。
それをどういうわけか、「アジア人が持つ特定のイメージを先入観に閉じ込めるような人種差別的行為だ」と糾弾するグループがSNSを使って結束し、美術館でプロテストをするにおよんだのである。
インターネットを通じて問題化が拡大することを懸念したボストン美術館ではすぐさまボツ企画として、「なりきり日本人」を中止したのであるが、問題はむしろ抗議する側の言い分にあったのではないだろうか。
作者であるモネから、ボストン美術館から、着物をきてみたいと集まる非アジア系の訪問客から、アジア人蔑視のような差別心は一切みられないのが明白なのにかかわらず、根拠らしき根拠がないまま差別糾弾を押し通してしまう抗議グループ。
私は最初、これらの女性は「ヒンドゥーもしくはムスリム圏出身であり、前近代的な服装を強いられている被抑圧の様態にあるアジア女性を欧米人がお祭り気分でマネして見せることに不快感を覚えるのではないだろうか」などと推理した。
しかし実際の抗議メンバーを見てみると中心になっているのは3人のシナ人であり、ただ単にシナの民族衣装が国際舞台で誇ることのできない貧弱なもので有名美術館で有名フランス画家によって紹介されているフランス人にも敬われるキモノという文化が羨ましくてしかたないだけであることがわかった。
たしかに白人が非白色人種の伝統衣装などを身に着けるときに、未開で洗練度の低いいでたちにお道化てみせることが偏見にうつることはあるかもしれない。
しかしそれは白色人種と対抗することのできない、劣等人種の話であり、日本というのは江戸時代より世界をリードする文化国家であり、産業革命にも短期間で追いついた優秀な人種であるから、その日本人の生み出した着物というものも欧米で高い評価を受けて当然なのであり、こいつら愚かなシナ人が干渉すべきことでは決してないのだ。
お前らは、文化大革命などという狂った自家テロで民族の偉大な文化や歴史を葬り去ったあとのカスカスで誇りをもてないシナ文化についてなんとかしろ、といいたくなるのは決してマイノリティーではないだろう。乞食でも拾わないようなばかげた人民服などしか着させてもらえないで生きてきたから、欧米ブランドでないものは全て遅れた土人衣装だというような偏見を自らすすんで受け入れるハメになったのだ。お前らと日本人と一緒にするんじゃねえこの家畜民族が。
さて、ところでフランス人が着る着物というのでピンとくるのは、トリュフォーの『Domicile conjugal』です。まあ見てない人にネタバレはしませんがw。それをみても、フランス人が日本という国を異なった文化としては見ていても、たとえばアジア・アフリカ・南米のような劣った文化としては見ていないことが如実にわかるものです。着物に限らず、欧米の中流以上の白人には布団で寝るファミリーも多く、日本食も見習うべき先進文化として高く評価されている。申し訳ないが、シナ人どもから心配していただくような「蔑視」はないのである。
http://www.asyura2.com/15/kokusai11/msg/188.html