スズキの鈴木修会長
スズキ、ワンマン経営の綻び 不運に翻弄された37年間に及んだ経営継承に道筋
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150704-00010002-bjournal-bus_all
Business Journal 7月4日(土)6時1分配信
●37年間の経営継承
6月24日にスズキの株主総会が開かれ、仲裁裁判で係争関係にある独フォルクスワーゲン(VW)での判決が理由不明な遅れを示す中で、37年間にわたり経営トップに君臨し続けた取締役会長兼社長(最高経営責任者<CEO>兼最高執行責任者<COO>)である鈴木修氏の続投はもうしばらくやむなしか、と考えられていた。
しかし、修氏は常に周りを驚かせる決断と行動に出る。週が明けた29日(月)、午前10時に取締役会を開催し、修氏は会長兼CEOに一歩引き、副社長であった長男の俊宏氏をCOOへ昇格させる人事を採択したのだ。長年くすぶり続けた後継問題に道筋をつけ、実に37年目の本格的な経営継承を実現したのだ。記者会見に登場した修氏の表情は晴れ晴れとしており、「やればできるもんだ」と、いつものユーモアで会場を沸かせた。
●綻びが見えていた修氏のワンマン経営
スズキの経営システムの要諦は、修氏の天性の経営力、ワンマン経営で、中小企業の文化を守り続けるところにあった。自称「俺は中小企業のおやじ」とばかりにトップダウンで素早い意思決定を続け、静岡・浜松の中小企業を世界的な自動車メーカーに飛躍させた中興の祖として名高い。しかし、そんな「中小企業のおやじ」経営にも節目は来る。あまりにもこのような経営スタイルが長期化したことで、綻びも目立ち始めていたことは疑いのない事実である。
スズキの組織体系は長い間、営業、技術、生産、調達といったそれぞれの本部が縦割りとなり、これらがワンマンで経営を仕切ってきた修氏と直結し、意思決定を行ってきた。修氏を中心に機能軸が一直線に結ばれる。まさに、中小企業的なワンマン経営の構図であり、トップダウンで素早い意思決定が実践できるかたちだった。
修氏は組織の太陽のような存在だ。社員をひまわりにたとえれば、全員が修氏の方向ばかりを向き、安全な選択に終始する保身の塊に傾いていく。修氏の指示だけを待つ膠着した企業文化に陥ってしまう。そうした中でスズキは、国内史上最大規模となった199万台のリコール問題を今年4月に発表。これは、企業文化が生み出した弊害であった。
横軸で交流することがない膠着した組織は、世界を股にかけるスズキの企業規模では異様な状態に陥っていたといわざるを得ない。修氏が永遠に存在するわけもなく、このような仕組みは永続的でない。最大の弊害とは、修氏の方向にしか向かない組織のセクショナリズムである。
●不思議な命運に翻弄
長期化しすぎたワンマン経営がスズキの最大のリスクであることは歴然としてきたし、その状態が望ましくないことを最も理解していたのは、修氏当人だった。事実、1998年頃から修氏にとって最大の課題は経営継承であり、トップダウン経営の問題を克服する適切な時期を探り続けてきたのである。何度も組織を変更し、ワンマン経営の後に来るべき集団指導体制へ権限委譲を進めようとしてきた。
しかしスズキは、不思議な命運に翻弄され続けてきた。経営継承へ一歩踏み出すたびに想定外の事態に巻き込まれ、危機に陥る。一歩引こうと覚悟を決めた修氏は、再び自身の強力な経営力を発揮することで企業を危機から再生させる。その結果、スズキは一回り大きな企業となり、カリスマ経営者である修氏の経営力への依存心を強くし、そして修氏は一回り年齢を重ねていく。こんな循環が数回めぐっていくうちに経営継承は遅れに遅れ、気が付けば修氏は85歳の高齢に達していたのである。
2000年央からのスズキは、連続して襲い来る危機を乗り越え続けなければならなかった。まず、後継者最有力候補だった娘婿で元専務の小野浩孝氏を、社長指名直前にすい臓がんで失う。その直後には、スズキの未来を支える長年の戦略パートナーであった米ゼネラルモーターズ(GM)が経営危機に陥り、あっさりとスズキとの関係を清算してしまう。それとほぼ同時に、08年のリーマンショックが襲ってきたのだ。この会社存亡の危機に対し、修氏は自ら社長職にカムバックし、偉大な経営力でそれを乗り越えた。
そして09年にVWとの戦略提携をまとめ上げ、修氏の経営者人生の総仕上げ期に突入する。長男で後継者最有力に育ってきた俊宏氏に経営継承を実現し、本当の意味で経営者人生の第一幕を下ろそうと考えたのであった。
しかし、そのシナリオは実現できなかった。提携は一転して泥仕合の係争となり、スズキはVWによって敵対買収も受けかねない、企業存亡がかかる最大の経営危機を生み出してしまった。危機意識を抱いた修氏は、組織論など吹き飛ばし、問題を解決するまで会長兼社長の役職にとどまり、スズキの盤石な未来を構築できる改革の断行を決意した。それ以来、老体に鞭を打ち、がむしゃらに走り続けてきたのである。
●「チームスズキ」への転換
俊宏氏は59年に修氏の長男として誕生した。「どのようなかたちかは別にしても、いつかはスズキに入社し会社に携わるだろう」。俊宏氏は小さい頃から、この思いを感じながら成長したという。94年に日本電装(現デンソー)に入社し11年間他人の釜の飯を食った後、94年にスズキへ入社し03年には最年少役員となり、06年に専務、11年に副社長へ昇格している。
とんとん拍子のように映るが、実はワンマン経営の限界の中で苦悩する修氏を補佐する立場として、長い間、側近で共に悩み、苦労をした。実父が苦悩した組織の解決を目指そうとする、強い決意と責任感を学んだと考えられる。実の父親の気持ちを誰よりも肌に感じながらも、どこかで踏ん切りを付け、一歩踏み出さなければ、スズキの未来は訪れない。
俊宏氏は縦割り組織の弊害を排除すべく、「チームスズキ」による組織的な経営を進める考えだ。若返ったスズキの経営幹部と横断的に議論を重ね、その力を借りてチームスズキを構築していく考えである。カリスマ経営者である修氏の背中を追うのは大変なことだ。しかし、未来のスズキの発展には、チームスズキの組織力を磨かねばならない。これは、天性の経営者である修氏の側面支援が健在なうちに実現できれば、多大な相乗効果が生まれるだろう。
●名経営者の第二幕の始まり
ワンマンな中小企業のおやじの第一幕が下りたにすぎず、チームスズキを側面から支援する第二幕が今始まったのである。組織を統括し、事業面の執行を統括するのが社長である俊宏氏となり、修氏は取締役会長として大局的な経営戦略の構築、監視、対外的な提携戦略などを担当しながら社長をサポートする立場となる。
当然、生涯現役を標榜する修氏がスズキの経営から引退することは、まだまだ遠い将来のことと考えるべきだ。適切な距離を保ち、若いチームスズキに自由にやらせることを修氏は肝に銘じるべきだろう。脆弱な組織力と若い経営者を中心とする現在のスズキが意思決定の混乱に陥っては、未来の発展は非常に厳しくなっていかざるを得ない。
相談役になっても実権を握り、経営執行から人事まで多大な影響力を及ぼす「老害」経営者が多く世には存在する。名経営者として名をはせた修氏の晩節がそのような安っぽい姿になるとは想像もできない。「これぞ名経営者の晩節のまっとう」と称賛される素晴らしい第二幕を修氏は演じることだろうと、今から楽しみだ。
「業務執行については、アドバイスはするが、若いチームスズキが『わいわいがやがや』と、どういう結論を出すのか、おおらかに見届けていきたい。あまり口を出さないと痴呆症になってしまうので、適当にはやっていきたいと思うが、円滑にやっていけるよう見届けていくつもりなので、ぜひ実績を見ていただきたい」
記者会見に挑んだ修氏はこう言って会場の笑いをとり、37年間に及んだ中小企業のおやじの歴史の第一幕を下ろした。
(文=中西孝樹/ナカニシ自動車産業リサーチ代表 兼 アナリスト)
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