安倍首相、集団的自衛権に執念=「限定なし」視野、祖父の影濃く【戦後70年】
時事通信 5月13日(水)11時31分配信
首相・安倍晋三が目指す憲法改正は、解釈変更によって限定容認した集団的自衛権の行使を全面的に可能にすることに主眼がある。それは、「日米対等」を目指した祖父の元首相・岸信介の遺訓とも言える。安倍の改憲戦略は第1次政権以来、曲折をたどった。現在は、在任中に最初の改憲発議を果たし、国民投票を行うことを射程に入れている。(敬称略)
◇「恥ずかしい見解」
安倍の憲法観は、衆院当選2回だった2000年5月の衆院憲法調査会での発言に凝縮されている。現行憲法が米国の占領下で制定されたことが「日本人の精神に悪い影響を及ぼした」と断じ、他国に安全保障を委ねる姿勢を疑問視。集団的自衛権を保持していても行使はできないとの当時の政府見解を「わが国が禁治産者であると宣言するような、極めて恥ずかしい政府見解だ」と非難した。
安倍のこうした考え方の源流は、岸の政治思想に見て取れる。「岸信介回顧録」(1983年刊行)によれば、米国による初期の占領政策の基本方針を、岸は「(日本人の)祖国を愛し、日本を防衛する気持ちを徹底的になくす」ことと捉えていた。「日本国民を骨抜き」にする政策であり、「その集大成が、今の日本国憲法である」とも断言。岸が政治生命を懸けた日米安保条約改定は、占領による「劣等感」を拭い去り、「真の平等の立場」を築くためだった。
58年10月、岸は米NBCテレビのインタビューで「日本が憲法第9条を廃止すべき時は到来した」と語っている。
安保条約は、岸による60年の改定で「米国が一方的に権利を行使して義務は何ら負わない形」(岸)を捨て、「相互防衛条約の建前」(同)を得たが、憲法9条の制約による片務性は残った。岸が退陣後も目指したのが改憲。安倍が改憲を「歴史的使命」と位置付ける背景には、岸が成し得なかった悲願達成への決意がある。
安倍内閣は昨年7月、憲法解釈の変更を閣議決定し、集団的自衛権行使を限定的に認めた。しかし、安倍は満足はしていない。
昨年8月29日、安保政策をめぐる見解に違いがある当時の自民党幹事長・石破茂に安保法制担当相就任を打診した際、安倍は「自分だって思想信条を抑えている」と語った。「抑えた」結果が限定容認で、安倍の視線の先には、改憲による限定なき集団的自衛権行使の容認がある。
◇長期戦略に転換
「憲法改正には時間がかかるだろう」。岸が58年のNBCインタビューの際に口にしたこの言葉を、安倍は実感し、かみしめているに違いない。
第1次政権時の07年の年頭記者会見で、安倍は「私の内閣として(憲法)改正を目指したい。当然、参院選でも訴えていきたい」と表明した。言葉通り、その年の夏の参院選に改憲を掲げて臨んだが、結果は惨敗。参院の与党勢力は過半数を割り込み、安倍の改憲シナリオは崩れた。
12年に自民党総裁に返り咲いてから優先したのは、96条が定める発議要件の緩和。日本維新の会やみんなの党(いずれも当時)の賛同を得やすいと判断したからだった。だが、連立を組む公明党が96条の先行改正に反対。13年5月の憲法記念日に合わせた報道各社の世論調査でも、軒並み反対が賛成を上回り、安倍は「(国民の)理解が十分と言えない」として、96条先行論を撤回した。
「私の思いが邪魔になる場合もある」。改憲へのアプローチで2度失敗した安倍は、今年2月20日の衆院予算委員会でこう語り、自身は前面に出ない考えを示した。
自民党憲法改正推進本部長の船田元は「(改憲に)慣れることが必要だ」と安倍の胸中を代弁している。安倍は、まずは多くの党と足並みをそろえやすいテーマを模索し、2回目以降の改憲で9条改正を目指す構えだ。
だが、積年の思いはあふれ出す。4月20日のBSフジの番組では、安倍の憲法観に幹部がしばしば警戒感を示す民主党に矛先を向け「子供じみた議論だ」と自ら対立をあおった。
最終更新:5月13日(水)11時59分
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