雑感。菅官房長官の言葉
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2015年04月06日 在野のアナリスト
菅官房長官が上から目線と指摘された「粛々」を今後、つかわないと表明しました。「粛々」は沖縄の声を聞かない、ということですから、話し合い自体意味がないのと同義です。「唯一の解決策」も同様、解決策を安倍政権は提示しない、ということでもあります。このとき、沖縄に代替案を示せ、という意見は大きな誤りです。沖縄が代替案を示せば、沖縄県内で別の場所を探せ、ということに他ならないのですから。米軍との交渉もできず、他県に頭を下げて回らなければいけないことを、なぜ沖縄にさせるのか? これは国が調整力を示さなければならない問題なのです。「粛々」も「唯一の解決策」も、調整力不足を露呈した結果、でてくる言葉であることは間違いありません。これはすれ違いや平行線ではなく、本来や安倍政権が、米軍や日本各地、また諸外国との関係をにらんで、沖縄との間で糸を縒るようにして、一枚の大きな布にしていかなければいけない話なのです。それができない安倍政権に、安保法制などできるはずもありません。集団的自衛権など、それこそ世界各国との間で糸を縒るような、繊細な作業になるのですから。
高市総務相に醜聞がでてきました。秘書で実弟が、農業法人の国庫融資に関与した挙句、融資が焦げ付いたと一部週刊誌で報じられています。本人は否定、法的措置も検討と伝わりますが、気になるのは、菅官房長官や安倍首相が「問題ない」とするのが早すぎる点です。恐らく本人に聞いた結果、ということでしょうが、もし実際にやっていても「やっていない」とするのが当然で、本人の言葉ほど信用できないものはありません。内閣、自民が独自に調査した結果、「問題ない」と述べたわけではない。下手をすれば官房長官がウソをついた、という話になります。
高市氏はこれまでも、醜聞には最初に強い反発を示す一方、その後の行動は伴わないケースがあります。裁判をするならすればよいのですが、沖縄にしても、政府は裁判をすれば勝てると思っているぐらいですから、裁判には絶対の自信があるのでしょう。ただすべてが白日の下に晒される。それができるかどうか? という話です。しかも発売日当日になって反論した、ということは週刊誌側も本人にアポをとらなかった。醜聞つぶしに衆目を逸らすような、大きな記事を準備できなかったという意味では、政府の素早い反応には焦りも見え隠れするのかもしれません。
教科書検定の話もでてきました。内容については細々書きませんが、何が正しいか? については様々な見方があります。例えば意見が割れるようなものに、政府見解のみを書けば誘導になる。見解とは、まだ明確になっていない事例、ということでもあるのですから。そして正しいわけでもない。正しさとは、実に難しい問題でもある、という認識が大事なのです。
辺野古移設にしろ、政府はそれが正しい、と思っていますが、沖縄県民はそう思っていません。正しくあること、というのは明確な数字で示されるものでさえ、互いの認識の違いにより受けとめが異なるように、実に難しいものなのです。安倍政権では、自分たちだけが正しい、という認識をもっているようですが、政府見解ですら絶対ではありません。TPOにより簡単に変えてしまえるようなもの、なのです。ここに来て、やたら菅氏の言葉が軽く感じられるようになりました。正しさ、を軽々しくつかう。自分で調べてもいないのに断言する。「粛々」も「唯一の解決策」も、政治家としては落第。言葉が軽いから、上に昇って上から目線になっているのだとしたら、それは驕り、という言葉で言い換えられるような代物なのかもしれませんね。