http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20150331/279418/
「日米同盟の深化」で本当に日本を守ることができるのか
憲法解釈を政府が変更するのは「立憲主義」に反する
2015年4月1日(水) 森 永輔
「憲法カフェ」に取り組む太田啓子弁護士に話を聞いた。これまで憲法に興味を持ってこなかった人々に「立憲主義」などについて語る。安倍政権が集団的自衛権行使容認に向けて安保関連法制を今国会で成立させようとしていることに、「これで日本の安全が守れるのか、かえってリスクが増大することはないか」と危機感を強める。
(聞き手は森 永輔)
太田さんは「憲法カフェ」というユニークな取り組みをされています。まず、読者のために概要を説明していただけますか。
太田 啓子(おおた・けいこ)
弁護士。国際基督教大学教養学部社会科学科を卒業。2002年に弁護士登録。離婚・相続などの家事事件や、解雇・残業代請求などの雇用関係を主に扱う。2013年から「憲法カフェ」を開始。明日の自由を守る若手弁護士の会メンバー。近著に『これでわかった! 超訳 特定秘密保護法』(共著、岩波書店)
太田:主にこれまで憲法について考えることがなかった人にカフェに集まってもらい、勉強をする場です。「カフェ」と銘打っていますが、居酒屋でやることもあれば、イタリア料理店、病院、保育園、幼稚園、個人のお宅などでやったこともあり、場所は様々です。私は平日の昼間にやることが多いので、幼稚園児を持つお母さんが送迎の間に参加したり、赤ちゃんを連れて参加したりしています。2013年4月から始めました。きちんと数えたことはありませんが、これまでの2年間に100回くらいは行ったと思います。
憲法カフェを始める前、自民党が発表した憲法改正案について解説、講師をする機会が何度かありました。これは、改憲、特に9条改憲に問題意識の強い市民団体や労働組合などからのご依頼でやったものです。参加者の方の多くは、既に関心が高く見識も深く、「憲法のことは初めて勉強する」という初心者的な方は少ない印象でした。このような場だと問題意識は深まり高まるけれどもなかなか広がりづらい、特に、若い層への浸透が課題だろうと感じていました。
ですので、問題意識をもともとそんなに持っていない人々のところに、こちらからアプローチすることが重要だと感じて憲法カフェを始めました。実際、やってきたなかで、これまで憲法に興味を持たなかった層に議論が広がっていく感触を得ています。憲法カフェを行う弁護士仲間も全国的に増えています(明日の自由を守る若手弁護士の会HP参照)。
憲法カフェを始めるきっかけは何だったのですか。
「憲法カフェ」は主に口コミでその輪が広がっていった
太田:2012年の12月に安倍政権が発足し、安全保障政策を主眼として憲法を変更する取り組みを本格化する姿勢を示しました。「憲法が危険な方向に変えられてしまうかもしれない」という危機意識が高まりました。
憲法は政府をしばる法
「憲法カフェ」ではどんな話をしているのですか。
太田:核になるのは「そもそも憲法とは何か」「立憲主義とは何か」という話です。
「立憲主義」という言葉は知っていますが、その意味を説明しろと言われてもできないですね。
太田:そうなのです。憲法を変えることに賛成する、反対する以前に、「そもそも憲法とは何か」とか、憲法の根底にある立憲主義について、一般の人はもちろん、政府の高官や国会議員も理解していない人が少なくないように感じています。これは大問題です。
お好み焼きを食べながら憲法談義
立憲主義というのは、個人の人権・自由を守るために、憲法によって国家権力の濫用に歯止め・抑制をかけるという考え方です。英国の歴史家、ジョン・アクトンが「絶対的権力は絶対的に腐敗する」と言っているように、政府は国民の意思から離れて、自らに都合のいいように政治を進める可能性があります。従って、権力の濫用に対する歯止めが必要なのです。
この歯止めは、憲法が国の最高法規であることにより機能しています。すなわち、多数決で可決すればどんな法律を作ってもいいわけではなく、「民主的」に多数決で成立した法律であるとしても、憲法に反する内容なら無効です(憲法98条)。
例えば最近、まさに立憲主義の体現として違憲判決が下された事例として、こんなことがありました。日本国憲法は14条で「すべて国民は、法の下に平等」と定めています。しかし民法には、遺産相続において婚外子の相続分を嫡出子の半分とする規定がありました。最高裁は2013年9月に、この民法の規定を違憲とする判決を下しました。多数決で決めた法律であっても、少数者の憲法上の人権(この場合は平等権)を侵害してはならないというのがまさに憲法による歯止めで、法律による人権侵害を憲法が救済したことになります。
憲法は主権者である国民から国家権力に対し向けられるもの。憲法によってしばられる側である政府サイドが、憲法の解釈を勝手に変更するというのは、憲法の本質に反する、あってはならない行為なのです。このような憲法の存在意義を安倍晋三首相が理解しているのか、私は疑問に感じています。
例えば安倍首相は2014年2月、国会の場である議員から憲法観を問われた際、「憲法は国家権力をしばるという考え方はあるが、それはかつて王権が絶対的権力を握っていた時代の主流的考え方だ」と答弁しました。立憲主義の意味、そもそも憲法が何のために存在しているのか自体を理解していないことの表れだと思います。
今回の安保法制の議論に「立法事実」はあるのか
自民・公明の与党は3月20日、安保法制の骨格案で合意しました。これについて、どう見ていますか。
太田:予想外の事項はありませんでした。安倍政権は、骨格案にあること――例えばアメリカ以外の国とも安全保障上の協力関係を強める、周辺事態に関する地理的要件を外すといったこと――を以前から実現したかったのだろうと、今までの言動から認識していましたので。
昨年7月に安倍政権が集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をした時にも考えたのですが、私は今回の安保法制案についてそもそも「立法事実」があると言えるか疑問だと考えています。
立法事実というのは何ですか。
太田:その法律を立法する必要性・合理性を基礎づける社会的な事実です。例えば、以前、薬局同士の間に一定の距離を置く制限を設ける法律がありました。この法律の立法事実は、「競争が激化して経営が不安定になり、不良医薬品が供給される危険がある」ということでした。実はこの法律は違憲判決を受けたのですが、最高裁はこの立法事実について「単なる観念上の想定にすぎず、確実な根拠に基づく合理的な判断とは認めがたい」と述べました。
安倍政権が進める安保法制には、そもそも、どういう立法事実があるのでしょうか。言い換えると、このような安保法制がないと具体的にどういうことが困るというのでしょうか。
中国が軍事力を強化していること、尖閣諸島への脅威が高まっていることがよく挙げられます。
太田:政府は、2014年7月の閣議決定によっても、集団的自衛権行使を全面的に容認するような憲法解釈の変更はしていない、としています。しかし与党協議で合意された安保法制の骨子を見ると、やはり、相当幅広い事態を「我が国の存立が脅かされる事態」と認定して自衛隊を海外に出せるようになり、事実上、集団的自衛権の行使を全面容認したのに近いことが可能になるのではないかと非常に懸念しています。
以上を前提に、中国脅威論について2つ指摘したいと思います。まず、確かに中国は軍事費を増やしていますし、覇権主義的な行動もあるのかもしれません。領海侵犯や尖閣諸島など緊張関係もあるのは認識しています。
しかし、そのことはそもそも日本の安全保障リスクをどこまで具体的に引き起こすものなのでしょうか。グローバル化が進み、経済的に密接な関係がある現在、中国が日本と軍事衝突を起こすことにどれだけの経済的合理性があるでしょうか。抽象的で漠然とした脅威しか語られていないように感じています。
とはいえ経済的合理性など関係なく軍事衝突が起きることはあり得るでしょうから、それを想定することさえ一切してはならないというつもりもありません。しかし、中国の軍事的脅威が確かにあるということを前提にするとしても、それは集団的自衛権ではなく個別的自衛権で対応すべきものです。
個別的自衛権とは、他国から日本が武力攻撃を受けた場合に実力をもってこれを阻止・排除する権利です。政府の憲法解釈は、2014年7月の閣議決定の前にも、いわゆる三要件の下で自衛権発動を認めていました。この政府解釈に立つならば、仮に日本が中国から何らかの攻撃を受けても、憲法を改正しなくても対応できるのです。
【旧3要件】
わが国に対する急迫不正の侵害があること
この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
一方、集団的自衛権というのは、自国が攻撃を受けていないにもかかわらず、密接な関係にある他国に対する武力攻撃を実力をもって排除する権利のことです。この定義自体あまり知られていないのではないでしょうか。
従って、集団的自衛権行使容認に向けた議論のなかで、日本が他国から攻撃を受けた場合の対応を念頭に中国の脅威を持ち出すのは筋違いです。この点を何度でも強調しておきたいです。
そして、中国の脅威に対応するためであるとすれば、地理的制限なく自衛隊が海外に出て行けるようにするこのような安保法制が、本当に必要で合理的なものなのでしょうか? 立法事実の存在自体を問うべきだと考えています。
与党協議では、武力攻撃に至らない「グレーゾーン」事態に米艦を防護できるという事例を盛り込みました。アメリカとの「同盟深化」を前面に掲げて、米軍による抑止力向上により中国リスクを封じたいということだと報じられています。ですが、そもそも本当に「日米同盟深化」によって中国リスクは封じられるのでしょうか。アメリカは、例えば尖閣諸島を巡る日中紛争に巻き込まれることを非常に嫌がり警戒しているのに。やはり、立法事実の存在自体を疑問視せざるを得ません。
日本は米国に「ノー」と言えるのか?
結局のところ安倍政権は、軍事的に人もお金も減らしたいと考えているアメリカから一部肩代わりを求められ、それに「うちの国の人もお金も出すよ」と応じようとしているだけなのではないでしょうか。私はそのように理解しています。米国の求めに応じなければ、日米関係が脆弱になることを恐れて。
しかし、そのような米国の求めに応じなければ、日米関係は本当に弱くなってしまうのでしょうか。また、素朴な疑問のようですが、仮にそれにより日米関係が弱くなるとして、他の選択肢はあり得ないものなのでしょうか。米国に頼らなければ、尖閣諸島をはじめとする日本を守ることは本当にできないのかどうか。現在の議論は米国に頼りすぎている、日米同盟というものを絶対視しすぎているように思います。
尖閣諸島を巡って日本と中国が軍事的に衝突した場合、アメリカは自国の国益に関係ない軍事介入など嫌でしょう。米国と中国はお互いに貿易の重要なパートナーです。2013年に安倍首相が訪米した頃、米軍の準機関紙である星条旗新聞に「誰も住まない無人の岩(尖閣のこと)のために俺たちを巻き込むのはやめてくれ」という記事が載ったそうです。日本の安全保障について、日米同盟を有力なオプションの1つとして相対化しつつ、別の選択肢も含めて検討することはできないものなのかと考えています。もちろん、簡単ではないのかもしれませんが。
「日米同盟の深化」のリスクとして私が怖れているのは、イラク戦争のような大義のない戦争に荷担することを米国から求められた時に、日本政府は「ノー」と言えないのではないかということです。安倍首相は「自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してない」と語っていますが、それを担保するものは制度的には何もありません。政治家の判断だけです。イラク戦争の開戦前、大量破壊兵器の存在を疑問視していたドイツとフランスは武力行使に反対しましたが、日本は自衛隊をほいほい派遣しました。私の中では、あれが大きなトラウマになっています。
安全保障法制を安倍政権が目指すように変えていくと、結局、米国にいいように使われるだけで終わってしまうと恐れています。
国際政治、日米同盟の専門家で、集団的自衛権行使容認論者の方にお話をうかがう機会を最近持ちました。その方は「自分は集団的自衛権行使容認のために憲法改正が必要と考えている。安倍政権のやり方には強く反対だ。これではアメリカの防衛に日本が巻き込まれるが、日本の防衛にアメリカを巻き込むことはできない」とおっしゃっていました。改憲論者やいわゆる「保守派」のような方からも強い懸念が起きている現状を、もっと多くの国民が危機感をもって認識すべきです。
今の状況を考えるにつれ、今までに憲法を改正して「自衛隊の位置づけ」「自衛隊にできること・できないこと」を明記することができていたらよかったのではないかと考えるようになりました。「護憲派」はこれまで、自衛隊の海外派遣などが認められてはならない、しかし憲法に手をつけてはそのような方向に「改正」されかねない、それでは困るので憲法改正をさせず、「今の憲法を変えないようにしよう」と考え、食い止めてきたのではないかと思います。しかし、自衛隊の活動範囲を安倍政権がなし崩し的に拡大しようとしている今、現状維持ではこれを抑えることができなくなっています。正面からこれに向き合うべき時期が来たように感じています。
日米同盟のほかに選択肢はないのか
米国に対する安倍政権の姿勢に強い疑念を抱いているわけですね。
ちなみに、尖閣諸島を個別的自衛権に基づいて守る場合、法的に不足する部分はないのでしょうか。
太田:安全保障論の専門家ではないので、それを正確に指摘することは私の能力を超えています。しかし、少なくとも与党が合意した安保法制の骨子は、尖閣諸島を中国から守るためというところからはずいぶんかけ離れた内容だと感じます。仮に対応に不足があるから補う必要があるとしても、その答えがこの安保法制だというのは違和感があります。
なお、私は憲法が個別的自衛権を否定しているとは考えません。自衛権発動の旧3要件も合理的なものだったと思います。中国の脅威にしろなんにしろ、予想されるリスクに対応するために不足する部分が明らかになれば、必要な対応をするべきだと思います。
日米同盟への依存度を減らすとして、ほかにどんな手段が考えられるでしょうか。
太田:今後、考えていかなければならない課題ととらえています。少なくとも今は、安倍政権のこのやり方はおかしい、と声を大にして言いたいです。対案がなければノーと言ってはいけないということはないはずですから。
国連の集団安全保障体制は一つの選択肢なのかもしれませんが、中国が拒否権を発動することが予想されますし、どうなのでしょうね。
日本にはカネもヒトもない
太田:少子高齢化が進んだ日本が中国に軍事的に対抗することができるとは思えません。いま行われている安全保障の議論は、経済力の強かった古き良き日本を前提しているように聞こえます。それは現実的とは言えないのではないでしょうか。
今後は人手とお金をかけずに守る方法を考えていかざるを得ないと思います。そのためには、まず敵を作らないことでしょう。アラブ諸国などから憎まれている米国に追随することが得策とは思えません。
日米同盟の必要性は必ず、抑止力の観点から語られます。抑止力は相手が国ならば効果もあるでしょうが、テロ集団に対して働くものではありません。むしろ、「テロ集団」から強い恨みを買う国と仲良くすることは、「テロ集団」から敵視され攻撃されやすくなるリスクが増す面があるのではと不安です。
こうした現状を踏まえて、勉強を重ねて、リベラル派の一人として、日米同盟だけに依存するものではない安全保障体制のビジョンを確立していきたいと考えています。
このコラムについて
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日経ビジネスのデスクが、話題の人、旬の人にインタビューします。このコラムを開けば毎日1人、新しいキーパーソンに出会えます。
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