ウラジーミル・プーチン氏とチェチェンの盟友との協定が、突如、脆くなったように見える。
27日にリベラル派の政治家、ボリス・ネムツォフ氏を殺害した犯人たちは、逮捕されるとは思っていなかった。それは彼らのふてぶてしさから明らかだった。
犯人グループは、モスクワ中心部でネムツォフ氏を背後から銃撃した後、市の中心部から離れるために川を渡ることはなかった。
その代わり、クリムリン(大統領府)をぐるりと一周し、ロシアの議会ドゥーマを通り過ぎ、半分が歩行者用になっている明るい通りに入った。逃走用の車を燃やすことさえなかった。
このようなふてぶてしい行動は、銃撃犯がチェチェンの殺し屋かもしれないという疑いを抱かせた。これまでロシアのウラジーミル・プーチン大統領の大事な友人だったチェチェンのラムザン・カディロフ首長のために働くような連中だ。
一部の人は今、プーチン氏とカディロフ氏との間の一見強固に見える協定が、プーチン氏にとって代償が大き過ぎるものになっているのではないかと思っている。
殺害、誘拐、拷問・・・やりたい放題
元軍閥のカディロフ氏は、プーチン氏によって無名の存在から引き立てられ、暗殺された父親の後を継ぎ、かつてロシアに反抗的だったチェチェン共和国の指導者を任された。プーチン氏は、カディロフ氏がロシアの法律を無視し、好きなように恨みを晴らすのを許した。過去10年間で、チェチェンは事実上、カディロフ氏の支配下にある独立したイスラム国家になった。カディロフ氏は総勢2万人の私設軍隊を抱え、独自の(非公式な)税制と独自の宗教法を敷いている。
ロシア最強の地域指導者として、カディロフ氏はその影響力を国中に広げている。同氏の警護員はモスクワで特別の地位を与えられている。プーチン氏の出身母体のロシア連邦保安局(FSB)の将校たちが、誘拐、拷問、強奪の容疑でカディロフ氏の部下の一団をモスクワで逮捕した後、容疑者たちは無罪放免になった。
いくつかの卑劣な殺人事件が、何の処罰も受けないチェチェンのあり方を浮き彫りにしている。
勇敢なジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤ氏が2006年に殺害された時、主犯格の容疑者はチェチェンに行き、カディロフ氏の近くに住んだ。ポリトコフスカヤ氏の同僚たちの徹底調査の後、この容疑者は終身刑で投獄されたが、殺害を命じた人物の名前は明かされなかった。
カディロフ氏から脅迫を受けた後にチェチェンで殺害された人権活動家、ナタリヤ・エストミロワ氏の死後は、誰も責任を問われなかった。
カディロフ氏のかつての宿敵の1人、ルスラン・ヤマダエフ氏は、モスクワの公共建物の隣で、ラッシュアワーの交通渋滞の中で射殺された。グルジアと戦う親ロシア派部隊を率いたヤマダエフ氏の弟はドバイで暗殺された。ドバイでは、警察がカディロフ氏の親戚でその右腕でもあるアダム・デリムハノフ氏に逮捕状を出した。
2009年には、かつての自分の上司たちが実行した拷問や処刑について話したカディロフ氏の元ボディーガードがウィーンで殺害された。
ネムツォフ氏殺害事件で逮捕されたチェチェン人
FSBのアレクサンドル・ボルトニコフ長官が3月8日に、ネムツォフ氏の殺害に関連し、カディロフ氏の私設兵から成る「セーベル(北部)大隊」の元司令官、ザウル・ダダエフ氏を含む5人の男が拘束されたと発表した時、驚く人はほとんどいなかった。実際、ショックを受けているように見えた唯一の人物はカディロフ氏だった。同氏は、ネムツォフ氏が殺害されてから奇妙な声明を出している。
殺害された日には自身のインスタグラムのアカウントで、西側のスパイに責任があると書いていた。ダダエフ氏が逮捕された後には、次のように意見を述べた。
「私はザウルが真の愛国者であることを知っている・・・彼はロシアに尽くしており、常にロシアのために命を捧げる用意ができていた。裁判所が彼の有罪を裏付けたとしても・・・彼がロシアに対する方策を講じたわけがない」(この声明の後すぐに、ダダエフ氏は自白を撤回した)。
カディロフ氏はインスタグラムの投稿で、ネムツォフ氏はフランスの週刊紙シャルリエブド襲撃テロ事件を非難したことで殺されたのかもしれないと仄めかしていた。
カディロフ氏自身の反応は違っていた。彼は、シャルリエブドの社員殺害ではなく、シャルリエブド自体に反対する大規模集会をチェチェンの首都グロズヌイで主導したのだ。
ロシア南部チェチェン(Chechnya)共和国の首都グロズヌイ(Grozny)で政府が主催した、フランス風刺画紙シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)の最新号の表紙に対する抗議集会に参加するイスラム教徒(2015年1月19日撮影)。(c)AFP/YELENA FITKULINA
ロシアの保安当局は、ダダエル氏とその部下がネムツォフ氏の殺害を計画、実行したと主張している。これは多くの疑問を投げかける。カディロフ氏とデリムハノフ氏の知らないところでチェチェンの戦闘員が関わることが起きると考える観測筋はほとんどいない。だが、工作員がネムツォフ氏を尾行していたFSBについても、恐らく同じことが言える。
ロシアの常で、事実よりも多くの説がある。カディロフ氏に恨みを晴らすために、FSBがネムツォフ氏の殺害を利用したのではないかといぶかる向きもある。
ロシア連邦保安局とチェチェンの対立
ロシアの軍や治安部隊の幹部とカディロフ陣営は互いにいがみ合っている。チェチェンにいるロシア人将校は、かつて敵だったチェチェン人の政治的権力や明らかな富に腹を立てている。ロシア軍は2010年、反乱勢力との衝突で自分たちを裏切ったと北部大隊を非難した。カディロフ氏は、プーチン氏への忠誠を誓う一方で、チェチェン国内では、ロシアと戦うのではなく、ロシアからカネを絞り取ることで独立を勝ち取ったと自慢している。
ダダエル氏の逮捕に対するカディロフ氏の反応は、プーチン氏を軸にかつて結束していた勢力の間の激しい格闘を暗示している。FSBと、プーチン氏のチェチェンの友人たちだ。
リベラル派の新聞ノバヤ・ガゼタは、次のように書いている。「クレムリンを支える2つの柱が頭をぶつけ合った。今は両者が反対方向に向かっており、クレムリンにどちらがロシアの真の愛国者であるのかを選ぶよう迫っている」
これは大きな賭けだ。プーチン氏は、少なくとも安定しているという体裁を保とうとしており、先日、予定されていたカディロフ氏への授賞を断行した。
チェチェンの指導者がクリムリンの支持を失うようなことになれば、カディロフ氏には多くの「血みどろの敵」がいるため、彼とその男系子孫は危険にさらされるかもしれない。
プーチン氏も、チェチェンの秩序を保つためにカディロフ氏を必要としている。
だが、その結び付きは不安定だ。「カディロフとプーチンとの間の契約――忠誠と引き換えにカネを受け取る――は、終わりを迎えつつある。カディロフ氏の2万人の軍隊はどこに向かうだろう? 彼らは何を要求するだろう? どのように行動するだろう? いつモスクワにやって来るだろう?」 これらは、死の直前にネムツォフ氏が投げかけた問いだ。
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