「イスラム国 テロリストが国家をつくる時」ロレッタ・ナポリオーニ/文芸春秋‘15年 から抜粋
第6章 もともとは近代化をめざす思想だった
≪サラフィー主義は、もともとはアラブの近代化をめざす思想だった≫
中東でいま起きている事態の根源的な原因は、アラブ諸国がムスリムの土地における政治主体としてイスラエルを認めたことに遡る。これは、サラフィー主義者にとって究極の裏切りだった。なぜならその地は、古代カリフ制国家の領土だからである。
≪植民地化によって過激な反欧米思想に変質≫
19世紀末になると、ヨーロッパの列強が裏切り行為を働く。アラブ世界の近代化に貢献したそのヨーロッパが、暴力的な植民地化という形でアラブ世界に乗り込んできたのだ。サラフィー主義が変質、反欧米を掲げて過激なイスラム回帰思想に変貌を遂げるのは、この裏切りがきっかけである。
第7章 モンゴルに侵略された歴史を利用する
≪欧米は敵を誤っていた≫
1990年代の経済制裁の間にイラク国内でイスラム過激派が台頭するプロセスを詳しく分析していたら、宗派抗争を火種に大規模な内戦が計画され、イスラム世界全体を不安定化させかねない兆候が出てきたことに気づいたはずだ。サダム・フセインの庇護を受けて、現代のサラフィー主義はイラク全土に根を下ろし、一段と過激化していった。フセインがこのように宗教思想への熱意を示したのは、経済が混迷する状況でスンニ派の部族をなだめる狙いからである。
サダム体制の支持基盤はスンニ派の中流層だが、国連による経済制裁が実施されている間、この層はすっかり貧しくなってしまう。そして宗教が唯一の慰めとなり、…フセインは、宗教的過激化を格好の隠れ蓑にして、経済政策の失敗を糊塗している。
欧米の大国は知らなくとも、ジハード戦士たちは、「スンニ派トライアングル」と呼ばれる地域に住むスンニ派の人々にとって、過激なサラフィー主義がよりどころであることをよく知っている。だからサダム体制崩壊後すぐに、中東全域からこの地域にジハード志願者が結集した。
≪本質は宗教戦争ではなく、現実的な政治闘争≫
こうしたわけだから(略)、この戦争は宗教的使命を果たす戦いではなく、きわめて現実的主義的な指導者が採用した政治戦術の表現にほかならない。
「イスラム国」がこうした現実路線をとるのは、その最重要目的である国家建設がきわめて困難な仕事だと認識しているからだ。「イスラム国」は、国家建設という野望の実現に必要な現実主義と近代性を身につけている。彼らはみごとにテロをビジネス化し、短期間でスポンサーから自立して、戦争だけに依存しない経済を確立した。
第8章 国家たらんとする意志
≪なぜシリアとイラクなのか≫
イラクは、シリアに倣うようにして、近代国家としての形を失いつつある。数年はやくこの陰惨なプロセスを経験したシリアに続いて、イラクという国は分解し始めた。そして「イスラム国」は、両国のこの類似性をじつに深く理解しており、このうえないタイミングでそれを利用したのだった。
武装組織が「国家」に変貌を遂げたいま、「イスラム国」が世界に突きつける挑戦状は、単なる地域紛争とはまったく性質が異なる。
≪近代国家の再定義≫
「イスラム国」があらゆる手段を駆使して住民の承認を得ようとしていることは、間違いない。油田や水力発電所などの戦略的資源から得た収入を、戦争に投入するだけでなく、制圧地域内の社会。経済的インフラの整備にも充当している。この点も、他の武装集団とはまったく違う。
「イスラム国」が近代国家と違うのは、国家建設のために使う手段がテロだという点にある。近代国家としての正統性を確立する手段として、革命は認められるが、テロは認められない。世界で民主主義が存在の危機を迎え、中東全域が不安的化する中、「イスラム国」が世界に突きつけた切り札は「国家建設」である。
終章 「アラブの春」の失敗と「イスラム国」の成功
≪第三の道はあるか?≫
この地域に新しいパワーが存在することをまず認識し、代理戦争は結局ブーメランのように我が身に跳ね返って来るだけであることを理解しなければならない。この新しいパワーに対抗するには、戦争以外の手段を模索すべきである。
「イスラム国」は近代政治の駆け引きに長けているだけでなく、最新のテクノロジーの応用にも通じており、布教、志願への募集、資金調達に活用している。
第三の道には、教育、知識、そして変化の速い政治環境に対する深い理解を必要とする。だが、若い戦士も政治家も、まだこのことに気づいていない。
【ロレッタ・ナポリオーニ】:1955年ローマ生まれ。アメリカのジョンズ・ホプキンス大学で国際関係と経済学の修士号。北欧諸国政府の対テロリズムのコンサルタント等務める。「イスラム国」については、歴史上初めてテロリストが国家をつくることに成功するかもしれないとして、早くから注目、発言していた。