http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/7a8b04916436e16116561a2862f09346
2015年02月14日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆「ノド元すぎれば熱さを忘れる」と言うけれど、安倍晋三首相は、早くもイスラム教スンニ派過激武装勢力「イスラム国=TSTL」による日本人2人殺害事件を忘れかけているのか。2月12日、衆院本会議場で施政方針演説したなかで、次のように述べた。
「まず冒頭、シリアにおける邦人殺害テロ事件について、一言、申し上げます。事件発生以来、は政府あらゆる手段を尽くしてまいりましたが、日本人がテロの犠牲となったことは、痛恨の極みであります。衷心より哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、ご家族に心よりお悔みを申し上げます。非道かつ卑劣極まりないテロ行為を、断固非難します。日本がテロに屈することは決してありません。水際対策の強化など、国内外の日本人の安全確保に、万全を期してまいります。そして食料、医療などの人道支援。テロと闘う国際社会において、日本としての責任を、毅然(きぜん)として、果たしてまいります」
せっかく、安全保障国家安全保障会議(日本版NSC)とこれを恒常的にサポートする内閣官房国家安全保障局を新設しているのに、肝心な「情報部員(スパイ)」を養成し、海外に放っていないので、今回、そのお粗末さを露呈してしまった。このことを認めて、首相直属の「インテリジェンス部隊」(諜報・謀略部隊)の創設を急がなくてはならないにもかかわらず、安倍晋三首相は、その姿勢すら見せていない。
このサイトは2月12日午前2時47分12秒、「安倍晋三首相は、人質事件検証を首相直属『インテリジェンス部隊』(諜報・謀略部隊)創設に活かせ」と題して、大日本帝国の国軍統帥の大綱を説いた「統帥綱領」(大橋武夫解説、建帛社刊)を参考引用し、「インテリジェンス部隊」(諜報・謀略部隊)をつくるには、どうすればよいかを検討した。今回(第2回)は、その「統帥の源流」のつづきである。
◆行動第一班は、遠くハルビン〜ハイラル間の鉄道破壊の目的を持って、二月二十一日(この日を自分たちの命日とした)、遺髪を残して北京を出発した。酷寒零下四十度の無人地域千キロを支那馬で踏破しようというのである。彼らは、大興安嶺に分け入り、途中チラチン廟にて二組に分かれ、伊藤柳太郎組六名は四月十二日、辛うじてハイラル近くに到着し、同十七日夜、鉄道を爆破したが、警備のロシア兵に追われ、散々苦労をなめて、五月二十七日、ようやく張家口にたどりつき、二十九日に北京に帰着したが、翌三十日には早くも錦州に向かい出発した。
横川省三組は伊藤組よりやや早くチチハル付近に到着したが、四月十一日、横川省三と沖禎介の両志士は、ロシア警備兵約二十騎に幕舎を急襲されて、捕らえられ、四月二十日、武士に対する礼をもって銃殺され、他の四名も現地住民に殺された。
行動第二〜四班、宮内別働隊、長谷部成田両工作員は六月始めより活動を開始し、支那(中国)及び蒙古の馬賊団を操縦して、遼陽〜ハルビン間の鉄道を破壊するとともに、日本軍の攻撃に策応して、その西翼外の大平原を行動して、ロシア軍の側背を脅威した。
特別任務班は、厳重な敵の警戒網をくぐって、その背後に深く潜入するのであるから、行動は困難をきわめた。彼らはすべて中国人や蒙古人の苦労(下級労働者)、ラマ僧、行商人などに変装して、最低の生活をし、時には乞食のようになり、風雪をおかし、酷寒炎熱にたえて、任務に邁進したのである。
◆ところで、安倍晋三首相は、施政方針演説のなかで、続けて次のように力説し、呼びかけた。
「明治国家の礎を築いた岩倉具視は、近代化が進んだ欧米列強の姿を目の当たりにした後、このように述べています。『日本は小さい国かもしれないが、国民みんなが心を一つにして、国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になることも決して困難ではない』明治の日本人に出来て、今の日本人に出来ないわけはありません。今こそ、国民と共に、この道を、前に向かって、再び歩み出す時です。皆さん、『戦後以来の大改革』に、力強く踏み出そうではありませんか」
日露戦争に勝利するため、明治政府は、戦死者を出すことも厭わず、優秀なスパイを戦地に送り込んだ。戦争に勝利するには、精強な「インテリジェンス部隊」(諜報・謀略部隊)をつくり、適地に送り込むことが不可欠である。「明治の日本人に出来て、今の日本人に出来ないわけはありません」というのは、その通りである。だが、安倍晋三首相の言葉からは、「覚悟」が伝わってこない。言葉だけが上滑りしている。陰謀家で知られた岩倉具視には、はるかに及ばない。