田原総一朗:「イスラム国」人質事件で政府批判を許さないのは危険だ
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150205-00000003-fukkou-bus_all
nikkei BPnet 2月5日(木)22時58分配信
過激派組織「イスラム国」が2月3日(日本時間4日未明)、拘束していたヨルダン軍パイロットのムアズ・カサスベ中尉を殺害したとする映像をインターネット上に公開した。
■「報復が報復を生む」不穏な連鎖への懸念
米国のオバマ大統領は、ヨルダン軍パイロットが殺害されたとする映像が公開されたのを受け、「『イスラム国』とその憎むべき思想を歴史のかなたに追放する」との声明を発表した。
また、米国から急きょ帰国したヨルダンのアブドラ国王は「ヨルダン軍による(イスラム国への)報復は容赦ないものになる」と呼べた。
「イスラム国」へのこうした姿勢をめぐり、「報復が報復を生む」といった不穏な連鎖への懸念が世界中で高まっている。
そもそも「イスラム国」は今回の人質事件で何をしようとしたのだろうか。人質として拘束していた湯川遥菜さんと後藤健二さんのビデオ映像を公開し、「72時間以内に2億ドル(約236億円)を払わなければ殺害する」と身代金を要求したのは1月20日のことだった。
■身代金から囚人の釈放へと要求が変化
安倍晋三首相は1月16日から20日にかけてエジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナの中東4カ国を訪問し、人道支援を表明した。
その17日のエジプト・カイロでの演説で、「イスラム国」が勢力を広げるイラクやシリアなどに難民・避難民支援などとして約2億ドルの無償資金協力を発表したのである。それに狙いを定めたかのように「イスラム国」は、「72時間以内に2億ドル」の要求を突きつけてきた。
72時間以上が過ぎ、24日になって後藤さんの画像が公開され、「イスラム国」によって湯川さんが殺害されたということが伝えられた。そして「イスラム国」側の要求は、身代金から囚人の釈放へと変わった。
後藤さんを解放する条件として、2005年にヨルダンの首都アンマンで大規模な連続爆破テロを実行し、自爆できずに捕らえられていたサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放を求めてきたのである。
そして27日、後藤さんの3回目の画像が公開された。後藤さんはシリア北部での軍事作戦中に戦闘機が墜落して「イスラム国」に捕らえられ、人質になっていたヨルダン軍パイロット、ムアズ・カサスベ中尉とみられる男性の写真を手にしていた。
■存在感をアピールし、恐怖を与えることが目的か
男性の音声は「私は後藤健二だ」と名乗ったうえで、「私が生きるために残された時間は24時間しかない。パイロットに残された時間はもっと少ない」と訴えた。
ヨルダン政府はカサスベ中尉の生存確認が最優先であり、「中尉の解放を条件に、サジダ・リシャウィ死刑囚を交換する用意がある」とモマニ・メディア担当相は述べた。ヨルダンとしては当然のことだろう。
しかし、24時間の期限が過ぎてもリシャウィ死刑囚は釈放されず、日本時間の2月1日早朝、後藤さんとみられる男性が殺害された映像が公開された。さらに3日、カサスベ中尉を焼殺する画像が公開されたのである。
こうした一連の経緯を振り返ってみると、「イスラム国」が何をしようとしたのかはよくわからない。要求に一貫性はない。
結局、彼らは世界中の注目を集めることで「イスラム国」の存在をアピールし、残酷な手口で見る者に恐怖を与えたかったのではないか。そうだとすれば、彼らがネットや映像技術を駆使し、世界中のメディアが事件を詳しく取り上げたことで、「イスラム国」の目的は達成されたとも言える。
■政府批判を封じる風潮
後藤さんが殺害されたとみられる映像の中で、「イスラム国」によるメッセージはこう告げている。
「安倍(首相)よ、勝ち目のない戦争に参加するという無謀な判断によって、このナイフは健二だけを殺害するのではなく、お前の国民はどこにいたとしても、殺されることになる。日本にとっての悪夢を始めよう」
日本人を殺害するというこのメッセージは日本への「戦闘宣言」とも言えるものだ。いってみれば、「準戦争状態」になったということであろう。
いま難しい問題が持ち上がっている。政府批判は「イスラム国」の思う壺、だから政府批判をすべきではないという意見があることだ。
安倍首相がカイロで「『イスラム国』がもたらす脅威を食い止める支援」を演説で述べたことが「イスラム国」を刺激した。あるいは、「イスラム国」が敵視している中東の国々を安倍首相が歴訪し、イスラエルの首相と会談したのは、あまりにも配慮が足りなかったのではないか――。
そんな批判が出るたびに、「そうして日本国内がもめるのは『イスラム国』の思う壺だ」といった意見が出される。すると、次第に政府批判をしにくくなっていく。そんな風潮が少しずつ広がっているのではないか。
■政府に言うべきことは言わなければいけない
第二次世界大戦中、日本の新聞は戦争批判をしなかった。政府批判をできなかったのはだらしなかったのだが、それを教訓とすれば、メディアも世論も言うべきことは言わなければならないのだ。「イスラム国」と「準戦争状態」に入ったということだけで、政府批判をしにくくなっているのは危ない状況といわざるを得ない。
いま新聞もテレビも、安倍首相の言動を批判しにくくなっているように思える。2月4日付の産経新聞には、「『イスラム国寄り』?発言 野党・元官僚続々」といった記事や「産『法整備を』読『自己責任も』 朝・毎・日は政府の対応に疑義」といった記事が掲載された。つまり、政府批判をすれば「イスラム国」寄りだということになってしまうのである。
「イスラム国」という卑劣極まりないテロ組織に対して、日本は国際社会と連携しながら毅然と対応していかなければいけない。
同時に、政府に対して言うべきことは、きちんと言わなければいけない。そうしなければ、かつての大戦時のように日本のあり方を誤らせてしまうおそれがある。私はそのことをいま強調しておきたい。