トマ・ピケティ氏、「民主主義は闘争。誰もが関わらなければならない」と日本の若者にメッセージ
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2015年01月30日 19:01 BLOGOS編集部
30日午後、来日中の経済学者、・トマ・ピケティ氏がニコニコ生放送に出演、萱野稔人氏(津田塾大学教授)と日本と世界経済の今後について語り合った。
番組は、視聴者からの質問にピケティ氏が回答する形で進み、最後はピケティ氏が日本の若者に「戦ってください。民主主義というのは戦いです」とエールを送った。番組の様子を書き起こしでお伝えする。
■過去の歴史を見れば格差が成長に寄与しなかったことがわかる
萱野稔人氏(以下、萱野):ニコニコの皆さん、こんにちわ。萱野稔人です。今日は著書「21世紀の資本 で欧米圏を中心に、大変大きな反響を引き起こしているトマ・ピケティさんをお迎えしています。ユーザーの皆さんの質問を中心に短い時間でありますが、お話を伺っていきたいと思います。ピケティさん、今日はよろしくお願いします。
ここにコメントが出てますけれども、これは今インターネットを通じて、この対談を見ている視聴者の皆さんが書き込んでいるものです。視聴者の皆さんに一言お願いします。
トマ・ピケティ氏:(以下、ピケティ)日本に来ることが出来て、とても喜んでいます。日本語で私の本を読んでいただくことができるようになって、きわめて重要だと私が考えている問題について、議論が進んできているのを見ることが出来て、とても喜んでいます。
萱野:ありがとうございます。こちらも来ていただいて、本当に嬉しいです。ここからはユーザーの質問を交えつつ、お話を伺っていきます。最初に、鹿児島県・30代男性からの質問です。
日本では現在、経済成長を達成するために、成果主義などの競争原理が導入されつつあります。その結果、労働者の中で格差が広がっています。成長のために格差を許容すべきでしょうか。
ピケティ:そうですね。格差拡大、過去20〜30年ぐらい日本で格差が拡大したというのは成長にとってもあまりよくなかったと思います。つまり、低成長の中で格差が拡大してきたということなので、格差を許容するというのは、あまり効果がなかった。
経営者と労働者の間の賃金格差あるいは所得格差というのは、あまり成長に役に立ってこなかったということが出てきている。なので、「もう少し格差があったほうが成長にいい」ということがよく言われるのですが、過去の歴史を見るとそうなっていなかったということです。
萱野:その点で言うと、かつて日本には定年まで雇用を保証するような終身雇用という制度がありました。こうした社会的、もしくは社会主義的とも時々言われますが、労働者保護の政策を格差が広がる現代において、再評価すべきでしょうか?
ピケティ:まず最初に言っておきたいのは、私は日本の労働市場についてよく知っている者ではありませんし、「日本がどうすべきか」というような教訓を述べられるような、そういう立場にある人間ではありません。
しかし、例えば非常に保護主義的な状況があったとして、またいわゆるパートとか臨時雇用とかそういう人たちがたくさんいるというような状況になると、これはもちろん格差、不平等にはいい状況ではありません。
日本の労働市場における不平等というのは特に大きいことになると、若い世代にとってはダメージが大きいということになると思いますし、特に女性には非常に問題であるということだと思いますので、若い世代が将来的に非常に状況が厳しくなってしまうということがあると思います。
なので、労働市場の環境として、保護主義的すぎるといけないと思いますけれども、より人口の多くの人たちをカバーするような保護的な、つまり一部だけを保護するのではないものをつくる必要があると思います。
萱野:経済成長のために格差を許容すべきではないのであれば、経済が停滞することで逆に格差が開いてしまうのではないでしょうか?
ピケティ:完全な平等を得るべきだと言っているわけではありません。つまり、成長のために、インセンティブのために、イノベーションのために、ある一定の格差は必要だと思いますけれども、不平等が広くなりすぎると、最早それは成長に資さないという状況があると思います。
例えば、日本の場合には、非常に何十年にもわたってといってもいいと思うのですが、この成長に対してポジティブなインパクトがない中で格差だけが広がってきたという状況があるとするならば、これ以上、格差が広がったからといって成長すると考える理由はないと思います。
■どんな場合でもトリクルダウンが起こるわけではない
萱野:なるほど。これは富山県の40代の男性からの質問なのですが、そもそも格差は悪いことでしょうか?底辺層の生活水準さえ、全体として上がるなら格差が広がっても問題はないんじゃないでしょうか?
ピケティ:もしも、底上げということで、一番底辺の人たちの所得が上がるのであれば、格差というのは正当化できると思います。
私の本を見ていただきますと、一番最初のところ、これはフランス人権宣言、1789年のものが書いてあって、共通の利益があった場合のみ、この社会的差別というものが許容されるんだと。
ですから、格差というのも、いろいろな社会における社会集団すべてに貢献するのであれば、格差というのは認められるべきであると私も思います。
日本の場合には、上位所得層、つまり上位の10%の富裕層というのが、30〜40%ぐらい全体の所得を取るようになってきていると思います。しかし、その間、成長はほとんどゼロに近かった。つまり、成長なき、あるいは非常に低成長の中で、トップに行く分け前が増えていくということになりますと、絶対的な、それ以外の所得層に対して行くものがなくなっていくことになります。
という場合には、この格差というものは正当化できない。社会全体にとって良いことだとは言えない。もちろん、いわゆるトリクルダウン効果といわれるような、最終的に格差があったとしても一番底辺にまで富が行くのだからいいという意見に反対ではないんですけれども、毎回必ずそうなるとは言えないというのが、過去のエビデンスを見ても言えることです。
この格差と成長がどう進展してきたのかということを、過去を見ると、そういう主張が果たして当たっているのかどうか。民主主義ということが逆に阻害されていないかということが、重要な点になります。
経済ゲームにおいて、勝者、高所得層というのは、「最終的に社会全体にメリットがあるんだからいい」というのですが、それが「真」であった時期も場合もあるかもしれませんが、そうでない場合もあって、誇張されて主張されているところがあると思います。
萱野:次は、島根県・30代男性からの質問です。日本では今、政府債務がGDPの200%あります。 これはどれぐらい深刻な問題だと、ピケティさんは考えますか。それともあまり深刻でないと考えていますか?
ピケティ:ここで重要なのは、公的債務とそれから民間資産の伸びが、どういう関係にあったかということです。日本の場合を考えると、民間の資産、つまり家計が例えば不動産であるとか、金融資産をどのように持っているか。これは対GDPでドンドン伸びていて、それは公的債務の伸び率よりも上回る伸び率で伸びてきたわけです。
別の言い方をすると、次世代に、つまり日本の次の世代、ヨーロッパの多くの国もそうなのですが、相続したものよりも多くのものを残せるようになっていると。少なくとも、そういった私有財産ということで残せるものをもっている人は、これを大きくして次の世代に残しているということになります。
なので、その民間資産マイナス公的債務で残ったものを見ると大きくなっているわけです。結果として、ヨーロッパ各国、日本というのは、どんどん民間は豊かになってきている。政府はどんどん貧乏になってきていますけれども、全部あわせると国として、どんどん豊かになってきているわけです。
公的な富と民間の富。これをどう配分するかということは、課税、つまり税制をどうするのか。例えば、労働所得に対して、どう課税をするのかということで決めることが出来ると思いますし、若い人たち、例えば相続した資産がない、自分が提供できるのは労働だけであるということになると、これは非常に厳しい情勢ということになるかもしれません。
特に不動産に対して、地価が非常に高いということになると、なかなかアクセスができないということになってしまうかもしれません。なので、問題はどう税制をリバランスするのか。若い人たちにメリットがあるように、どう作り変えていくのか、ということになると思います。
この公的債務というのは分配の問題で、それ自体が問題ではないと思います。何故かというと、日本の国の富、民間部門に蓄積された富も考えると、全体としてはGDPに対して増えていってるからです。
■民主主義は闘争。誰もが関わらなければならない
萱野:時間がないので、これが最後の質問になるのですが、山形県の30代からの質問で、今政府債務を返済するために、日本では二つの意見がするどく対立しています。
一つの意見は歳出削減によって緊縮財政をすべき。それによって、政府債務を返していくべきである。もう一つが、金融緩和によってインフレを誘導することで債務を小さくすべきだという意見。 この2つが議論されていますが、ピケティさんはどちらを支持しますか。
ピケティ:まず3つ目の可能性もありますよね。
特に過去でいろいろ使われた、いわゆるデッドリスケといわれているものです。これは、私有財産に対する累進性の課税ということで、これが文明的に使われてきたものです。過去すべて使われてきて、成功した例もあると思います。
歳出削減という選択、公共において富を蓄積するというのは非常に時間が掛かるという問題があると思います。歴史から学べる教訓の一つとして、おそらく混合させる、つまり若干インフレに誘導をし、若干債務のリストラクチャリングをやりという風に、組み合わせていくというのが一番いいと思います。
歳出だけを削減して、債務返済をする。その際に成長もインフレ率も非常に低いままということになりますと、50年、100年というような影響が出てくるということなので、本の中にも書きましたけれども、唯一挙げられるのは、19世紀の英国の例です。
まるまる一世紀掛かって、ようやく公的債務を返済しました。そのかなりの金額を国内の金利生活者に対する利払いに使ってしまって、教育に回すお金をどんどん減らしてきたということなので、日本にとっても、ユーロ圏にとっても、これはあまりいい解決法とは考えられません。
歴史を見て、今までの公的債務危機と呼ばれているものを、どういう風に対応してきたのかというのを学ぶことで、一番いいやり方というのを模索するのが重要だと思います。GDPの200%という公的債務水準になったのは、日本が初めてではありません。1945年のドイツやフランスでも、それぐらいありました。200%。しかし、これは今言ったとおり、債務のリストラクチャリングとインフレ誘導によって、あっという間に解消したわけです。
やはり成長に投資をし、教育に投資をし、次世代に投資をすることによって、公的債務を急激に減らしていく方法がいいと思います。
萱野:ありがとうございます。あっという間に時間が来てしまいました。今日はピケティさんにいただけた時間というか、スケジュールが本当に詰まっていますので、この時間しかありませんでしたけれども、時間が来てしまいました。
ピケティさん、ありがとうございました。最後に一言だけ、日本の若者にメッセージをいただければと思います。
ピケティ:そうですね。戦ってください。民主主義というのは戦いです。つまり、社会、財政制度、若者にとって、公平、今のところあまり待遇がよくないようなんですけれども、待遇改善のための闘争だと思います。
民主主義はもっと強化できる。しかし、民主主義というのは、闘争です。誰もが関わらなければなりません。
萱野:ありがとうございます。視聴者の皆さんも最後までご視聴ありがとうございました。