私は、イスラム国に対する米軍の空爆だけでなく、地上戦が始まる可能性を考えています。あくまでも「可能性」です。
シャルリエブド襲撃テロ事件は、フランスにとってはあくまでも内政問題、国内の治安問題です。移民の社会的統合の問題です。しかしテロ活動を行うイスラミスト、ジハード主義者の拠点が中東にある以上、フランスは、その拠点を叩くことも視野に入れていると思います。その場合、国内外のイスラム勢力の中で穏健派、穏健諸国との協調がカギになります。
シリアのアサド政権と欧米との関係、イスラム国にいると言われるイラクの旧フセイン政権派・バアス党残党の動向も要注目です。
阿修羅では、特に偽旗説派や陰謀論者の間で、イスラム国の背後にアメリカとイスラエルがいる点を強調して、その面だけしか見ない人が多いようです。問題はそういう一面的なものではありません。
少し前のものですが、田岡俊次氏の論考が参考になると思いますので、投稿します。
http://dot.asahi.com/toyo/2014101400077.html
=== 以下転載 =======
●原油の密売で1日100万ドルの収入を得るスンニ派武装組織の素性
米軍は9月23日、イスラム・スンニ派の武装組織「イスラム国」のシリア領内の拠点に対し航空攻撃を開始した。2011年4月にシリアで反アサド政権の騒乱が起き、内戦となって以来、米国は「アサド政権打倒」を公言し、反政府武装組織を支援してきたが、やむなく敵と味方を逆転させた形だ。ケリー米国務長官は21日にシリアのムアッレム外相に攻撃の事前通告を行っており、攻撃後シリア外務省は「テロと戦う国際的努力への支持」を表明した。
現地時間23日午前3時30分からの攻撃はペルシャ湾の米巡洋艦「フィリピン・シー」、紅海の米駆逐艦「アーレイ・バーク」からの巡航ミサイル「トマホーク」47発の発射で始まり、F22ステルス戦闘機、B1爆撃機などを投入。トルコ国境に近いシリア北部のラッカ(「イスラム国」の本部)、ハサカ、シリア東部の油田地帯デリソール、アブ・カマルの4地点の24目標に対し3波の攻撃が行われたもようだ。この攻撃にはサウジアラビア、ヨルダン、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦の5カ国も加わった、と発表された。
米国はこのほか「イスラム国」ではなく、アルカイダ系の過激派組織「コラサン」の拠点をシリア北部アレッポ郊外で攻撃した。「コラサン」が米本土に対するテロ攻撃を準備中、との情報によるという。
「イスラム国」はシリアの内戦で台頭し拡大した。シリアの内戦は10年12月に北アフリカのチュニジアで始まった民衆の蜂起「アラブの春」が波及したと一般にいわれるが、事情は他国と少し異なり、シリアのアサド政権には倒れない理由があった。この際倒れたエジプトのムバラク政権は明白な独裁政権だったし、リビアのカダフィ政権、イエメンのサレハ政権、チュニジアのベン・アリ政権も後期には米国寄りになった。
米軍戦闘部隊がイラクから10年8月に撤退すると、まもなく中東で親米独裁政権が次々に倒れた。ソ連軍がアフガニスタンで敗れ1988年5月に撤退を始め、ソ連が威信を失うと東欧の親ソ連政権が続々と崩壊したのに似たドミノ現象だった。
だが、シリアのアサド政権は米国の支援を受けていたわけではまったくなかった。イスラエルが67年6月の第3次中東戦争でシリアのゴラン高原を占領。同年11月の国連安全保障理事会決議242が「イスラエル軍の撤退」を求めても今なお占領を続けている。このためシリアはイスラエル、およびその後ろ盾である米国とは対立関係にあったから、「アラブの春」の騒乱はすぐには伝播しなかった。
●西欧的感覚を持ったアサド大統領の素顔
シリアのバッシャル・アサド大統領の国民からの人気も悪くなかった。彼は70年に政権を握った空軍司令官ハーフィズ・アサド大将の二男で、政争を嫌って医学の道に進み、ロンドンの眼科専門病院に勤務していたが兄の少佐が交通事故で死んだため呼び返された。父が00年に急死したため34歳で大統領に就任した。
完璧な英語、フランス語を話す西欧的感覚を持った開明派で、腐敗の除去と改革に努め、海外で「ダマスカスの春」と称された。イラク戦争後はイラクで活動するスンニ派のテロリストが自国に流入したり、外国人テロリストがシリア経由でイラクに入ったりするのを警戒し引き締めに向かった。弱点はアサド家がイスラム少数派のアラウィー派(シリア人口の約13%)に属しており、スンニ派(同70%)の反感を受けがちなことだった。彼はロンドンで知り合ったスンニ派シリア人の心臓外科医の娘(名門のロンドン大学キングスカレッジ卒で「モデル並み」の容姿のアスマ夫人)と結婚した。スンニ派出身の夫人の国民的人気が宗派的反感を緩和していた。
だが11年3月ごろからはシリアでも反政府派のデモが拡大し、治安部隊とデモ隊の銃撃戦も起き騒乱状態となった。アサド大統領は父親以来の独裁制の根拠となっていた非常事態法の廃止、複数政党制、大統領の任期制など、妥協策を次々に打ち出した。が、騒乱を拡大してアサド政権を打倒しようとする反体制派に通じるはずがなく、軍から離反、脱走したスンニ派将兵が「自由シリア軍」を結成。これを米国、トルコ、サウジアラビアなどが支援し、内戦状態となった。反政府側には外国人を含むアルカイダ系の「ヌスラ戦線」や独立を求めるクルド人部隊も加わってシリアの諸都市を占拠。「アサド政権の命脈は尽きた」との観測が一般的だった。
だがスンニ派が多いシリア政府軍は意外にもアサド政権に忠実で、シリア陸軍は内乱発生前の22万人が一時はほぼ半減したものの、再編成に成功して態勢を立て直し、人員の補充も進んだ。また政府が募った民兵組織「国民防衛隊」にはアラウィー派やキリスト教徒(人口の約11%)だけでなく、都市を占拠したイスラム過激派の偏狭な支配や乱暴に怒るスンニ派住民も参加し、後方地域の警備に当たったほか、最近は攻撃にも参加している様子だ。
回復したシリア政府軍は12年に入ると反攻に転じ、3月には反徒の最大の拠点だった西部の交通の要衝ホムス(人口65万)を奪還、首都ダマスカス(同140万)やアレッポ(同210万)、ラタキア(同38万)など地中海側の都市を制圧、あるいはその大部分を確保し、今では砂漠地帯であるシリア東部と、トルコ国境に近い北部を除き、国土の主要部は政府側が奪回し、人口の約7割を支配する形勢だ。
●「イスラム国」の前身はアルカイダからも破門
この戦いの中、元シリア将兵主体の自由シリア軍はイスラエルを支持する米国の支援を受けていることが明白だったから、シリア国民の支持が低く、弱体化した。反政府派の主力は、戦闘経験も多いアルカイダに属する「ヌスラ戦線」と、あまりに悪辣な行動(人質を取り身代金を要求するなど)でアルカイダからも破門された「イラクとシリアのイスラム国(ISIS)」になった。
このISISが「イスラム国」の前身だ。クルド人も独立を求め蜂起したが、シリア政府は自治を認めて懐柔し今ではクルド人は過激派と戦っている。米国とスンニ派のトルコ、サウジアラビア、カタールなどから反政府側には武器、車両、資金が送られたが、自由シリア軍に渡すべきものがISISなどの過激派武装集団に流れ、勢力を拡大させることになった。
シリア情勢に注目してきた米上院共和党議員のランド・ポール氏は今年の6月、CNNとNBCテレビで「米政府はアサド政権打倒のため、ISISに武器を供与してきた」と述べた。英国のガーディアン紙も「CIA(米国中央情報局)がヨルダンの秘密基地でISISを訓練している」と報じたことがある。
諸外国の支援で力をつけたISISは政府軍だけでなく、自由シリア軍とも戦ってシリア東部を支配し、今年1月にはイラクに侵入。首都バグダッド(人口590万)の西約50キロメートルのファルージャ(同32万)を占拠した。6月10日にはイラク北部の大都市モスル(同66万)を制圧、急速に南下して同11日に大規模な石油精製施設があるバイジ(人口不明)とティクリート(同25万)を占領、西と北から首都バグダッドに迫った。ISISは6月29日には「イスラム国」の樹立を宣言。7月3日にはシリア東部デリソール県でシリア最大のオマール油田を占拠した。
「イスラム国」はほかにもシリアで油田を支配。日産最大7万バレル(1バレルは約159リットル)といわれ、原油の国際価格が1バレル当たり約90ドルのところ、30ドルないし60ドルで闇ルートに流し、1日100万ドル以上の収入を得ていると推定されている。その兵力はこれまで米国情報で「約1万人」といわれたが、CIAは9月11日に突然「3万1500人」と3倍に引き上げた。これまでシリアの反政府側を支援するのに、その主力がイスラム過激派であってはまずいから少なく言っていたが、今度は敵にすることになったから、予算確保などの都合上、勢力を大きく見積もることにしたのでは、と考えられる。
「イスラム国」は兵士に月400ドルを支給、妻に100ドル、子供1人に50ドルの家族手当を出しているといわれる。仮に3万人に月500ドルとしても1500万ドルだから、ほかに戦費を使っても余裕があり、支配地では生活保護も行っているようだ。「イスラム国」には03年の米英軍のイラク侵攻後、サダム・フセイン政権の残党として公職から追放され、シーア派主体のイラクのマリキ政権に迫害されてきたスンニ派の元将校や元官吏が多く加わっているようだ。
そのため、作戦、統治の能力はイスラム過激派集団の域を脱している。装備もシリア内戦で外国から支給されたものや、モスルでイラク軍2万人以上が捨てて逃げた戦車や砲などを接収し充実しているようで、米軍と同じ「ハンヴィー」4輪駆動車を多数使っている。スンニ派が多いイラク北部ではイラク政府軍より民衆の支持も得て、急速に支配地を拡大した。
米軍は8月8日からイラクで「イスラム国」の拠点や車両に対する航空攻撃を行い、モスル北方の大ダムをイラク軍とクルド兵が奪回する作戦を支援して成功したが、「イスラム国」の根幹はシリア領内にあるから、イラク領内で枝葉を攻撃しても効果は乏しい。9月23日にシリア領内の拠点を攻撃したのは当然だ。
ほぼ独力で過激派武装集団と戦ってきたシリアのアサド政権にとっては米軍がそれを攻撃してくれることは大歓迎だが、「わが国の了承を得たうえでやってほしい」と言ったのは国際法上当然だ。外国の領土を、その国の承諾も、国連安保理の決議もなく、自国の防衛でもないのに攻撃するのは侵略行為だからだ。
●米国の傭兵と見られては致命的弱点となる
だが米国政府にとっては、「アサド政権打倒」を公言して反徒を支援してきただけに、アサド政権と相談のうえ攻撃すれば敵と味方が逆転し、これまでの判断、行動が誤っていたことを内外に示すことになる。またゴラン高原を占領し続けシリアと敵対関係にあるイスラエルにとっては、米国とシリアが「イスラム国」を共通の敵として共闘し同盟状態になっては一大事だ。
それだけに米国務省は「シリアに承諾を求めてはいない。攻撃の通告をし(米軍機に対し)戦闘行動を取らないよう警告をした」と言う。だがこの通告に対しシリアが「そのご努力を支持します」と答えたのだから承諾と同然だ。
航空攻撃だけで「イスラム国」打倒ができないのは明白で、地上攻撃が不可欠。だが、オバマ大統領は「地上部隊の派遣は決してない」と言明している。米国内では「自由シリア軍への援助を増加して兵力を強化すべきだ」との論が有力だが、すでに弱体化して士気も低い部隊に資金を出しても、意気の上がる「イスラム国」を圧倒することはまず期待できない。「米国の傭兵」と見られては致命的弱点になるのだが、米国人にはそれがわからないのだ。
トルコ陸軍は兵力40万人、戦車4000両を有し強力だ。が、トルコは米国同様これまでシリアの反政府勢力を支援してきたから、「昨日の友は今日の敵」として戦うのは政治上まずい。もしシリアの許可なくトルコが軍を入れれば、シリア軍に攻撃されることも気にしながら「イスラム国」と戦うことになるから御免こうむりたいだろう。
クルド人はトルコ、イラク、イラン、シリアの国境が接する地帯に住み、独立を悲願とするから、これまで反イラン、反サダム・フセイン、反シリアで、米国人から見ればつねに味方だった。それだけに米国はクルド人への支援は積極的に行ってきたが、2500万人ほどのクルド人のうち最多の約1150万人はトルコ東部に住む。トルコは長年その独立運動を抑圧し、クルド人によるテロの対象ともなってきたから、米国がクルド人の武力を強化することには警戒的で、クルド兵とともに戦うとは考えにくい。イラクの「ヌスラ戦線」はシリア軍とも「イスラム国」とも戦ってきたが、アルカイダに忠誠を誓っているテロ集団と米国が組むわけにもいくまい。
米国が「イスラム国」を倒そうとすれば、すでに鎮定を進めつつあるシリア軍と十分調整し、米軍機が空から攻撃する中、シリア陸軍が前進する戦略を取る以外に結局手はないと思える。ただそのためには、シリアに対しこれまで反政府派を支援したことを詫びざるをえないからつらいところだ。
また武力行使とともに「イスラム国」から原油を買わないようトルコなどが闇商人を取り締まり、資金源を断つことも必要だ。これと空と陸からの攻撃を併用すれば「イスラム国」は比較的短期に衰弱するはずだ。だが残党が各地に散ったり、帰国したりしてテロ活動をすることは想定しておかねばならない。
●西側の発言・報道はプロパガンダに類する
「イスラム国」との戦いで西欧諸国がシリア領内の攻撃参加をためらう理由は、それが「アサド政権を利する」という点にある。「アサドは自国民を多数殺害した悪者」との観念が西側政府要人の発言や報道で諸国民に浸透したことが、今後過激な武装集団の掃討に不可欠なシリア軍との連携を妨げそうだ。シリア内戦での死者は3年余で19万人とみられ、国外への難民は約300万人、国内避難民は600万人以上とされる。
だがこの惨事の責任がすべてシリア政府にあるような西側要人の発言、報道はプロパガンダに類する。客観的に考えれば内戦の責任は反乱を起こした側にもある。
もし内戦の責任がすべて政府にあるのなら米国の南北戦争で自国民62万人を死なせた責任はリンカーンにあるのか、スペイン内戦での60万人といわれる死者は、反乱を起こしたフランコ将軍ではなく、人民戦線の政府に殺されたのか、西南戦争の死者1万3000人は明治政府が殺したのか、ということになる。南北戦争では北軍のシャーマン将軍が率いた6万8000人の部隊が南部の主要都市アトランタを占領し焼き払った後、大西洋岸のサヴァンナに向かい500キロメートルを進軍する際、幅80キロメートルのベルト地帯を意図的に完全な焦土にした酷い例もあるが彼は米国で英雄視されている。
他国で内乱が起きた際、政府側を支援し治安回復を助けるのは合法だが、反徒を援助し政府転覆を謀るのは「間接侵略」で主権侵害の最たるものだ。日本の刑法では内乱罪の首謀者は死刑か無期禁錮だ。
他方、シリア政府側も騒乱の初期段階で治安部隊がより慎重、冷静に対処すべきだったろう。もしイスラム過激派や外国の工作員がデモに紛れ込んで発砲し、内乱を誘発しようとしても、その手に乗ってすぐに応射しないよう指示、訓練をしておけば内乱に発展することを防げたかもしれない。だが一度武力衝突になってしまえば政府軍が全力を挙げて鎮圧、奪回を図ることはやむをえない。
昨年8月21日にはダマスカス郊外で反政府側地域に化学攻撃があり、「アサド政権が行った」と米情報機関は報告。一時は米国がシリア爆撃(今回とは逆で政府側を攻撃)をしそうになった。だが国連人権委員会の「シリア内戦に関する調査団」によれば、同年3〜4月に少なくとも4回、化学兵器が使われ、調査官は「反政府勢力がサリンを使った可能性が高い」と述べていた。シリア政府は国連に化学兵器調査団派遣を求め、それが8月18日にダマスカスに到着し調査を開始しようとしたとき、同市郊外で政府軍が化学兵器を使うのは不自然だ。ISISなど反政府側テロ組織が米国に軍事介入をさせるためにやった、とも考えられる。
国連調査団が9月16日に出した報告はどちらが使用したか特定しなかった。英国議会も8月29日、「シリア政府が化学兵器を使った証拠はない」として軍事行動案を否決した。
戦争、特に内戦に謀略は付き物で、偽情報が飛び交う。それに引きずられない注意が必要だ。「イスラム国」勢力拡大の責任の一端は、内乱を鎮圧する側を一方的に「悪」と決め付け、イスラム過激派への外国からの義勇兵の参加や資金援助を助けた諸外国の報道、人権団体にもある。
中東ではシリアの「アサド政権打倒」を目指した米国などが、今度はシリア軍と戦っているイスラム過激派を攻撃する一見複雑怪奇な状況となったが、そもそもアサド政権を敵視したことに無理があったから、こういう結果になったといえよう。
(軍事ジャーナリスト・田岡俊次)