前を向いて投票しよう
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-1370.html
2014-12-08 反戦な家づくり
うえをむういて ああるこおおう♪ なみだが こぼれえないよおおに
一昨日、私の恩人が亡くなった。
私の人生で、ここぞというときに首根っこをつかんで引っ張り上げてくれた人が4人いる。
そのなかの2人がすでに亡くなってしまった。
奥さんから知らせをもらったときは、何か実感が湧かなかったけれども、葬儀に参列すると涙が止まらなくなった。
でも、最後まで自分を貫いた様子を聞いて、よかったなあ と思った。
彼は、私に「責任」ということを教えてくれた。
自分の身に降りかかることは全部自分の責任なのだということ。
文句言う前に自分にできることをやったか ということを叩き込まれた。
勤め先が倒産寸前になって解雇されたときも、旨いもの食わせてくれつつ、お前は会社の経営をちゃんと把握しなかったのか と叱られた。経営者じゃなくても、自分が本当にそれをやりたかったのならば、人任せにするな と。
右と左で物事は判断できない、ということも彼に教わった。
彼は天皇が大好きで「日本のお父さん」と言っていた。私は昭和天皇は戦犯だと思っているから意見は合わなかったけれども、しかし彼は、苦しいものの目線を忘れなかった。それは私などよりも、ずっと透徹していた。
泥をかぶるということも、身をもって実践していた。
会社の経営でどうしてもキレイゴトですまないときは、自分が嫌われ役を買って出た。
だから、一部の人には鬼管理職と映っていたかもしれない。
矢沢永吉が大好きで、いくつになっても、癌が進行して歩けなくなってもファッションに気配りし、遺影もばっちり決めていた。
もっと生きたかったと思う という奥さんの言葉は悲痛だったけれども、人にはどうしても寿命がある。
限られた寿命だからこそ、今を選択していかなくてはならない。
■■
出棺を見送ってふとわれに返れば、選挙まっただなかである。
自分が本当にやりたいことのために、今は何をするべきなのか。
彼の教えを 胸に刻む。
あれがしたい これがいやだ 子どものようにダダをこねても、それは虚しいだけだ。
ときには不味そうなものでも飲み込むし、一見旨そうなものでも遠慮しておくだけの、胆力をもっておきたい。
後ろを向くのはやめよう。後は前を向くために反省し総括するものであって、漫然と振りかえるものではない。
あの時アイツはこうだった、コイツはこんなことをした。なぜそうなったのかの総括は必要だが、痴情のもつれは必要ない。
今度の選挙で政権交代はできない。100%できないことは、だれもが分かっている。
だからこそ、前を向いて歩かなくてはならない。前を向いて、先を見通して闘わなくてはならない。
自民が300になっても、自民が減って維新や民主が少し増えても、共産が3倍になっても、たしかに世の中はたいして変わらないだろう。
わが生活の党に至っては、もし下馬評通りになったら政党要件瀬戸際のピンチである。
(比例は生活をヨロシク!)
それでも、種は播かれ芽は出ている。その芽を摘んでしまわないように、種を踏みつけないように、数少ない苗木は決して枯らさぬように、下から目線で匍匐前進である。
右翼と左翼、リベラルとコンサバティブ そんな下らない区別も乗り越えていきたい。
ことさらにリベラルを強調することは、あの沖縄県知事選を経験した今日、はっきり言って時代遅れである。
リベラル知識人の高踏的な正論は、芽を出しかけた普通の人々の責任感に水を差すことになりかねない。
だから、私の個人的な嗜好はリベラルではあるけれども、リベラルを振り回すことには興味が湧かない。
国家からの自由も、リベラルとは無縁な大地に根ざす心根も、どちらも大事なのである。
やはり、掲げる旗は 「国民の生活が第一」だ。
この小沢一郎が編み出した天才的なスローガンは、単なる理念や理想ではない。
今日のこの苦境から抜け出すための、戦略が込められている。
問題はそれを小沢氏が懇切丁寧に説明してくれないことであり、説明されないと理解しない人が多すぎると言うことだ。
そんなこんなもひっくるめて、あと5日間、選挙戦は続いていく。
私は、生活フォーラム関西という立場で、できるだけのことをしてみる。
仕事もちゃんとやらなければならないし、大したことはできないかもしれないが、やれるだやってみよう。
明日(9日)は、17:30から 近鉄生駒駅に行く。
奈良二区の中村てつじ候補の応援に、山本太郎さんが来てくれる。
一郎+太郎=日本の未来 と一貫して主張してきた私には、本当に心待ちにしていた機会である。
もちろん私も駆けつけるので、ぜひ、一人でも多くの方に参加していただきたい。
そして、14日には、前を向いて投票しよう