政治資金問題の本質
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14年10月25日 永田町徒然草
先週のちょうど今頃、永田町徒然草No.1698「おかしくなってきたぞ。」を書いていた。そこに「難攻不落に見えた“安倍城”も、何だかおかしくなってきた。松島法相と小渕経産相のスキャンダルである。これをキチンと処理するのは、そう簡単ではないぞ。」と私は書いた。安倍首相とその取巻きは、“これは簡単に処理できないぞ”と思ったのだろう。ふたりの女性大臣の首をあっさりと斬ることにより、この問題の解決を図ろうとした。
哀れなのは首を斬られた女性大臣である。松島氏も小渕氏もこれからズタズタにされる。「女性が輝く社会」を作るのも結構だが、その前に「女性を大切にする社会」の方が先だろう。男女平等が憲法に明記されて久しくなるが、わが国の女性の地位はまだまだ低い。“新憲法代議士”という本でデビィーした私だが、この問題について私は未熟であると自覚している。ほとんどのわが国の男性もそう思って、自重自戒した方が良い。まず大切なのは真の男女平等を実現することなのだ。
小渕氏の後任となった宮沢洋一経産大臣の政治資金がまた問題になっている。“SMクラブ”と“東京電力株”である。どちらもめくじらを立てるほどの問題でも金額でもないように思う人が多いだろうが、私はそう思わない。政治資金をキチンとしておくことは、いまやわが国に生きる政治家の最低限の条件なのだ。宮沢氏の“身体検査”を誰がしたのか知らないが、宮沢氏が東電株を持っていることを見逃したのは重大な過失である。安倍内閣の“身体検査”なるものが検査になっていないことを露呈している。
政治資金をキチンと処理することはわが国の政治家の基本的条件なのである。それができないということは、己自身の自己管理ができていないことを示しているのだ。自己管理ができないような政治家が、どうして複雑にして多岐にわたる行政組織の業務を監理監督ができるのだろうか。政治資金問題の本質はそういう問題なのだ。政治資金問題をキチンと処理できない政治家は、政治課題に対する処理能力などない、と考えてまず間違いない。
今週マスコミが“熱心に”取り上げた「アメリカにおけるエボラ出血熱感染拡大」と「カナダ国会議事堂における銃撃事件」にも同じような問題が窺がえる。それは“事務処理”の杜撰(ずさん)さという問題である。なんだか“おかしくなってきたぞ”というのは、わが国の政治だけの問題じゃないようである。世界全体が「何だかおかしくなってきたぞ。」と言えるようである。
昔、私は「戦術とは組織された事務処理である」と教わったことがある。戦術がない戦略は、実現性がない。だから戦略とは、組織された戦術といっても過言ではない。要約すれば、「戦略→戦術→事務」の根っ子にあるのが“事務処理能力”なのである。だから事務処理能力は、非常に重要なのである。事務処理能力がない人間は、大事を成し遂げることができないのだ。政治家も同じだ。
安倍首相とその仲間は、よく“成長戦略”という言葉を使うが、彼らがいう成長戦略とは正しい用法でいえば“成長戦術”というべきなのである。“女性が輝く社会”や“地方創生”や“カジノ解禁”など、なんでもかんでも“成長戦略”というのはどう考えてもおかしいではないか。アベノミクスといって安倍首相を持ち上げている経済学者やコメンテーターなどは、戦略と戦術と事務処理の区別もできないお追従者なのだ。
正しい戦略がない企図は成功しない。安倍首相が唱えている成長戦略は、正しい戦略もないし、正しい戦術に裏打ちされてもいない。だから安倍首相が唱える成長戦略は、実現することがないだろう。イスラム国を筆頭とするイスラム過激派に対するテロ撲滅の作戦も、正しい戦略がないように思われる。ブッシュ大統領が唱えた“テロとの戦争”は、テロについての根源的認識を欠いた概念ではなかったのか。それに対する根本的総括を抜きに、世界はまた“テロとの戦争”を始めてしまったのではないか。私にはそんな気がしてならない。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。