松島みどりのうちわ問題には、霞ヶ関独裁のエッセンスが隠されている
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2014/10/21 誰も通らない裏道
小渕優子と松島みどりのW辞任。
朝のテレビを見ていたら、コメンテーターの一人が「松島さんを擁護するわけではないが」と言って、「大した問題ではないし、それを言ったら蓮舫の(うちわもどき)も違反だろう」と松島みどりを擁護していた(笑)。
たしかにパッと見は大した問題ではない。
みんな似たようなもの配っているのだし、金額だってタカがしれている。
もらった有権者にしてもそれで買収されたとも思わないだろうし、せいぜい暑い夏祭りのさなかにちょっと扇いで涼めば、あとは家へ帰って物置に突っ込むか捨てるだけだろう。
なにしろ妙ちくりんなうちわなのだから。
だがしかし−−。
法務省にとって、この一件は見逃されることはあってはならないことだと思う。
実は私も何度か国政選挙を手伝ったことがあるのだが、選対責任者(非常に選挙というものを熟知していた)からはいつも大変に細かい指示を受けていた。
それこそ、「そのぐらいのことはいいんじゃない?」と思えるようなことでも、「それだと違反になるから」と事細かに注意されるのである。
それはまさに、丸い厚紙を渡すのはOKだけど柄をつけちゃダメという世界だった。
では、なぜそこまで細かく指示をするのか? それは見逃される可能性もあるが、見逃されない可能性もあるからだ。
先ほどネットを見ていたら、いろいろな議員がつくっていた似たようなうちわ(もどき)の画像がアップされていた。これに対して「ほれみろ、だから大したことないじゃないか。過剰反応しすぎだ」という意見が多かったようだ。
ま、それは確かにそうで、少なからぬ議員が同じようなことをやっている。が、だからこそ今回の一件見逃すわけにはいかないのである。
なぜなら、この法律の致命的に重要なポイントは、普段は見逃しておいて「ここぞ」という時に引っ掛けるということにあるからだ。
厳密に法律を適用すればほとんどみんな違反をしているが、普段は見逃されているという状況はわれわれの周りにも普通にある。だが、何かあればいつでもサクッと身柄を押さえるというのが、この国の権力の手法である。そして、議員を相手にした場合に同じことができるのが、この手の公職選挙法なのだ。
つまり今回のうちわ問題というのは、霞ヶ関独裁のエッセンスに関わることなのである。
にもかかわらず、もしここで法務大臣の違反が見逃されたら、霞ヶ関は大切なツールを失ってしまうことになる。
松島みどりごときのせいでそんなことになるわけにはいかないのである。