僕がジェフ・リンを知ったのは、ELOである。作詞・作曲・歌・演奏・プロデュースとすべてにわたる
活躍で長期にわたって世界最大級の商業バンドを運営してきた、スーパーイギリス人として
彼は現れた。
日本のエリート、細野晴臣や坂本龍一らが結成したJポップスの一つの頂点YMOも音楽性は
かなり違うものの、ELOへのオマージュとして名前がつけられたのである。
ビートルズのメンバーとも対等にステージにあがる・・・・というかもはやビートルズの一員のような
扱いであるELOのジェフ・リンはイギリスからでてきた不世出の商業音楽家であることは疑いようの
ない事実であるのだ。
それだけにこのビデオは非常に不可解である。
あのジェフ・リンが知らないオタクみたいなオッサンの横でアシスタントみたいな役割をしている
のだから。いったい、横にいるオタク風のさえない奴は誰なんだろう?
ジョン・レノンの物真似みたいなルックスと作風のオタク風の男はロイ・ウッドである。
実はELOを作ったのも、ジェフ・リンをスターダムに導いたのも彼のほうなのだ。
ロイ・ウッド。私の知り合いも誰もしらない。私もアメリカ西海岸のLOVEというバンドのカバー
をしているイギリスの有名バンドがあった、という情報ではじめて知ったのだ。
このビデオのあと、しばらくして彼らはELOのデビューアルバムを制作したあと、仲たがいで
決裂する。その後、ジェフ・リンはELOを世界的にヒットさせ商業音楽史上最大級のタレントと
みなされるまでに成長し、先に売れてジェフのひきたて役を任じた、クリエイターとしての才能は
とびぬけていたはずのロイ・ウッドは誰もしらない路地裏のオタクとして余生を過ごした。
これに似た形のパートナーシップがあったとしたら、ピンク・フロイドのシドとロジャーの関係だろう。
自滅型の天才と、エキュゼクティブな仕事のこなしかたのできるまとめ役といった意味でだ。
ファーストアルバムの後、脱退してしまった元々のリーダー的存在のシド。そしてその後を継いで
ピンクフロイドを世界有数のバンドにしてしまったロジャー・ウォータース。
違いはくだらん音楽しか作ることのなかったロジャー・ウォータースと異なり、ジェフ・リンは
時間をかけながらも徐々に優れた楽曲を提供するようになったことか。
ここでもロイとジェフの二人の微妙なコラボ関係がうかがい知れる。ザ・ムーブ末期である。
見方によってはもはやザ・ムーブFeaturingジェフ・リンとでも呼ぶべき形態だ。
もともと全国区のスターであるロイがジェフをムーブに誘い入れ、ELOに乗り出したのだが、
ジェフの強い人格がどうしてもロイの天才に勝ってしまい、バンドをのっとったような印象が
否めない。
このビデオの終わりにはローリング・ストーン誌に当時書かれたムーブ評がのっている。
『ザ・ムーブはもっとも過小評価されているバンドだ。本来なら彼らはゼッペリンやフェイセスと
同カテにされてもいいくらいだ』
ゼッペリンと一緒にするのはともかく、過小評価No.1のバンドであることには賛成である。
これはおそらく、ロイ・ウッドがCalifornia Manを作ったときにイメージしていた曲だろうと
思われるCCRのヒット曲である。