「それにつけても「産経新聞」、「読売新聞」の居丈高な「朝日新聞」叩きは見苦しいばかりだ:深草 徹氏」
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2014/9/15 晴耕雨読
政府・自民党は「朝日新聞」叩きによって、報道機関から独自取材と批判の牙というそのよって立つ基礎を奪い取り、報道機関を無色透明の広報機関に変質させようとしている。
この2、3日の「朝日新聞」の紙面を見ると、それが単なる杞憂ではないように思える。
「朝日新聞」は決して自粛してはならない。
戦前のことはさておき戦後も「朝日新聞」は必ずしも市民の目線で報道をしてきたわけではなかった。
安保・外交問題では、砂川事件伊達判決を批判する立場をとったし、安保闘争で全学連のデモを「赤いカミナリ」と揶揄したこともある。
原発問題で、脱原発にハンドルを切ったのは3.11後であった。
「朝日新聞」は、また90年代に小選挙区制なる「政治改革」の旗振りをし、これに反対する人たちを「守旧派」とレッテル貼りし、我が国の民主主義に大いなる禍根を残す結果を生んでしまった。
そのことの反省もしていない。
TPPの問題や消費税問題では矛盾をかかえつつも政府支持の論陣を張っている。
新聞記事で安倍首相の動静蘭を見ると、「朝日新聞」の幹部も、安倍首相と会食するなど、芳しからざる関係を保っている。
だから私が50年以上にわたり愛読している「朝日新聞」も決してほめられたものではない。
しかし、大きな目で見ると、それが我が国の戦後民主主義に果たした役割はやはり大きい。
「朝日新聞」は、誤報や報道姿勢について衿を正した。
私はそのことを高く評価する。
しかし、それが嵩じて、自粛路線へとオーバーランしてしまうことは絶対にあってはならないことだ。
むしろこれを正確を期しつつ、これまで以上に市民の目線に沿って、オピニオンリーダーの役割をはたして欲しいと思う。
それにつけても「産経新聞」、「読売新聞」の居丈高な「朝日新聞」叩きは見苦しいばかりだ。
両者とも、あまたの誤報、虚報をこれまでにしてきたではないか。
それに対して率直に事実を明らかにし、謝罪したことがあるだろうか。
立場の相違よりも販拡競争の意図が見え透いている。
報道機関として失格だ。