「「目先の利益」だけに関心を奪われ、そこに潜む災難発生のリスクを恣意的に過小評価:山崎 雅弘氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/14887.html
2014/8/4 晴耕雨読
https://twitter.com/mas__yamazaki
東京滞在中、ヘイト本/雑誌の出版社や書店の姿勢が話題になることも何度かあった。
「目先の利益」の「目先」のスパンがどんどん短くなっていること、「自社」がそれに追随することで「全体の構図」や「大きな流れ」にどんな影響を及ぼすかという点に全然関心を払っていないこと等で、懸念を共有した。
ヘイト本/雑誌と出版社や書店の関係も、原発と電力会社や関連業界(地元の旅館やタクシーなども含む)の関係も、「目先の利益」だけに関心を奪われ、そこに潜む災難発生のリスクを恣意的に過小評価するか、最初からリスクを考えずに目を逸らしている。
冒すに値するリスクかどうか、という評価が無い。
「他社もその流れに乗って利益を上げているから」という「目先の利益」に釣られて、出版社や書店が追従し、社会が容認すれば、やがてその流れが「過半数の主流」となり、全体の基準が「そこ」に移行する。
そして、より強い刺激を求める客の要望に応えて内容がエスカレートし、誰にも止められなくなる。
もう一つ、ネットの一般化で「群集心理」の効果が変質しているのでは、という話も興味深かった。
匿名・覆面アカウントで書き込まれる暴言や罵倒は、物理的には孤立した状況(一人)であっても、心理的には「群衆」の中に紛れているかのような気分でなされる。
「群衆」の中でしか言えないことも書ける。
最初は「群集心理」で匿名・覆面アカウントだけが書いていたような言説でも、物理的な書き込みの量が増えて「一定の流れ」を形成し始めると、やがて実名で堂々とそれを書く人間も出てくる。
ネット上の「ヴァーチャルな群衆」が次第に「実体としての群衆」を形成して、暴言や罵倒で他者を威圧していく。
ヘイトデモに参加した中学生が「いつまでも調子にのっとったら、南京大虐殺やなくて鶴橋大虐殺を実行しますよ!」「かわいそうだし殺してあげたい。
鶴橋大虐殺を実行しましょう!」と叫ぶ(2013年2月14日、大阪鶴橋)。
「群衆」の中に身を置くうち、他者への攻撃性が際限なくエスカレートする。
学生が作った「日中韓Happy」 政治とメディアがダメなら若者が動こう(木村正人)http://bit.ly/1o2nJ0N
「ヘイトに笑顔で立ち向かってみよう。
冨田さんの呼びかけに日中韓の若者約100人がHappyを笑顔で踊った」とても勇気ある人だと思うし、活動を応援する。