改宗ユダヤが指示し米英仏イが企画し各国のパシリが実行してきた戦争詐欺の集大成というかフィナーレがウクライナ詐欺と
ガザ詐欺である。
本当は今頃林家オバカが正蔵を襲名して独演会を開いていなければならなかったがお笑いオンステージで劇団二人に敗れて
しまった為にたけしの弟子みたいに長ったらしい芸名のオマエハバカカに格下げされて熱湯とか深夜のテレビショッピング
とかでこのマッサージ機百万円のところが50万円とか超お買い得だよねーとかくさい演技をさせられる迄に落ちぶれて
しまいすわ第三次世界大戦かという雰囲気作りに失敗してしまったという所である。
岸の馬鹿孫も今頃ちょび髭を生やして成の字をカギ十字っぽくしたマークを引っ提げてヒトラーの真似をしている所だったが
完全にはしごを外されて志村と加藤ちゃんのヒゲダンス状態になってしまい渋谷の馬鹿そうな娘達から馬鹿可愛いとか言われ
る始末で恐怖政治どころではなくリリーフ待ちといった所である。
しかしブルペンにはひょっとことか人相の悪いアンパンマンとか超小物官房長官とかのリトルリーガーしかおらず飼い主も
いっそ関東学院とか小渕の馬鹿娘で勝負するかとやけくそ気味だが今の自民党は名前も覚えられない位の雑魚だらけで雛壇
オールスターズという感じである。
ムサシマンサックス選挙という八百長トライアウトで合格した連中ばかりだから当然だがその代償は大きくダマスゴミが全く
機能しなくなりお笑いで言うと静まりかえったスタジオで笑い声のアフレコなしでネタをやっているようなものである意味
罰ゲーム状態の政局である。
中露は横綱相撲で連中の挑発に乗る気配は全く無くさとりも結婚する気配も車を買う気配も全く無く将来株や為替や不動産で
嵌め込める気配を全く見せず戦争詐欺師達はさくら感ありありの欧州と誰も笑ってくれない漫才を泣きながらやっている感じ
で馬鹿丸出しである。
バレる早さ風の如くウケぬ事林の如く観客の怒り火の如国際世論が動かぬ事山の如しで信玄もぶったまげでドルは石垣詐欺は
城の落城も間近でオバカの馬鹿軍団もたけし軍団化し哀れは味方馬鹿は敵の馬鹿田節を踊るしかない状況である。
http://www.asyura2.com/14/cult13/msg/228.html
04. 2014年8月04日 23:14:04 : XUQmMkdG4c
河村市長殿
きみは自分の報酬を年間1700万円から800万円に下げたとことさら強調しているようだがその差額年間900万円は宣伝効果と比較すればべらぼうに安いと私は思う。
またキミは南京大虐殺の件でも右翼に洗脳されている程度の弱い頭であり橋下徹、石原慎太郎ににすり寄ろうとした過去もある。俺は忘れていない。
たとえば、原発をどうする気だ。中電には何か言ったのか。自分の清潔さの宣伝だけか。
http://www.asyura2.com/14/senkyo169/msg/413.html#c4
39. 2014年8月04日 23:14:56 : H9XaBCoe4B
問題は、そんなロック・フェスティバルのチケットを躊躇することなく購入する聴衆と、そこへ喜んで出演する“自称ロッカー”の人数が全国民の何割を占めているのか・・・この一点であると思う。5割は間違いない。低く見積もっても6割といったところだろう。下手をすれば8割だ・・・彼等が被曝によって死んでしまうのは構わない。だが、その場合は、我々も一緒に道連れとなる公算が高い。実に迷惑な話なのだ。
http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/411.html#c39
08. 2014年8月04日 23:17:44 : cGJo5m796I
>>米国グーグルやMSに魂もお尻も売り渡しました。学歴どころか国籍もどうだっていいです。
国内で武器を持ってにらみを利かしている公務員なんですけどね。あなたの言うとおりなら怖くて仕方がないのですけど。
http://www.asyura2.com/14/hasan89/msg/552.html#c8
古舘の去就?宮根と交代?そんなのどうでもいい!
http://tokyolumix.blog60.fc2.com/blog-entry-1341.html
2014.08/04 ハイヒール女の痛快日記
はじめまして!東京ルミックスです。
ハイヒールの切っ先でペテン師キャスターの尻を蹴った!?!
テレ朝の「報道ステーション」のキャスター古舘伊知郎に、バッシングが相次いでいるという。って言うか、日本のキャスターほど企業の手先、政府の手先化している国はないんじゃない?私は古舘も一切認めてないわね。私に認めてもらったってなーんも得はしないけどさ。政官民の手先は、広告代理店のディレクターやプロデューサーもそうね。彼らは広告を作って作品などと称しているが違います!
芸術じゃないよ!ただのコマーシャリズムでしょ。血迷わないで!
で、週刊文春はテレ朝幹部と古舘の確執を理由に降板説が浮上していると報じ、後継者に羽鳥慎一や「報ステ」リポーター富川悠太アナの名前が挙がっているという。古舘からこの人達に変わっても、報道のあり方が何も変わるわけでもない。彼らは一般人に影響力がない分、却って政府企業の隷属化に拍車が掛かるだけでしょ。
事実、日本に真の報道機関は消滅してしまっている。
で、東京新聞に「はだしのゲン」大図鑑が掲載されていたが、これがマスコミの普通の姿である。3.11以来、福島県原発放射能だだ漏れ、日本国民1億総被曝もすべて知らぬ存ぜぬ神隠し!何も無かったことになっている。そのうち地震すら発生してないような扱いになるわね。報道機関としてまったく機能してない。時々、否、頻繁に不思議に思うのだけど、勤務している社員は恥ずかしくないのかしら?
マァ、大きなお世話かもしれないが、小さな親切でもあるわよ。
で、宮根誠司の名前も出ているらしいが、彼のことをキャスターなんて思ってる人間は誰もいないわ!隠し子を作ってバレた好きモノお笑い芸人でしょうがぁ。彼をキャスターだなんて、誰が書いたのか、誰が言ったのかは不明だけど、超イカレテナイ?
絶対ないが、勇気ある大女優・吉永小百合の名前くらい出て欲しいわ。
で、報ステはテレ朝にとってドル箱でイメージの良さから、トヨタや一流企業がこぞってスポンサーになりたがるという。これも分かんないんだけど、古舘のコメントも決して国民目線でないわ。イメージがイイって何処から出た風評なの?結局、古舘も東電や安倍政権の言いなりでしょう。民放はクライアントのお金で存在してるのだから。ツーか、NHKも同じだけどさ。
だから、ホンマのことなんて言えっこないじゃん。
で、聞くところによれば、「古舘プロジェクト」は番組制作までしているから、ギャラを含めテレ朝から年間30億円以上も貰っているという。元を糺せば金の出所は日本の超一流企業だ。古舘が起業や政府を非難する発言をしようが、行き着く所は政官民癒着の予定調和。そこに帰結するのみでしょう。ハッキリ言って古舘が降板しようがしまいが、知ったこっちゃない?
私たち、国民生活に何ら影響がないのは事実だから。
03. 2014年8月04日 23:22:32 : XUQmMkdG4c
金を使わせる宣伝があふれているからだろう。宝くじの宣伝、カジノを作りたい人、見栄張り消費を煽る宣伝、テレビも雑誌もミニコミ誌も全部広告のフリーペーパーも。
銀行も即日借り入れ可能なカードを宣伝しまくり。
http://www.asyura2.com/14/hasan89/msg/559.html#c3
29. 2014年8月04日 23:24:43 : LjMCkTbcIQ
食べられるうちは、なるべくいろんなもの、お腹一杯食べてたほうがいいって。
みんなが修行僧みたいな、そんな生き方目指せるわけもないんだからさ。
http://www.asyura2.com/14/cult13/msg/222.html#c29
03. 2014年8月04日 23:26:51 : TCwCktZZpU
>>01
自分のあとのコメントを読ませたくなくてわざわざ長々とコピペしてるんだろうが・・・
日本だけが減速したわけじゃないから、安倍の政策が悪くないと言うことにはならないぞ。
http://www.asyura2.com/14/hasan89/msg/561.html#c3
16. 2014年8月04日 23:28:06 : ZkE7PkiZJI
岐阜県警、美濃加茂署の幹部連中は今から首を洗って待っていろ。公判が始まればいかにいい加減な捜査だったか明白になる。市民が正当に選んだ首長をろくでもない状況証拠で逮捕し、市政を混乱させた。だいたい、詐欺師の証言が唯一の決め手ということ自体がふざけている。
身柄を拘束し市長を脅しまくれば参ると思い込んでいたのだろう。若いと言っても市長選を勝ち抜いた猛者だ。田舎刑事の下手な威嚇に屈するはずが無いだろ。だいたい、30万円程度のカネに市議の地位を賭けるほど魅力を感じるバカがいるか。たいして付き合いのない政治家に贈賄を申し出る人間は少ない。下手に持ちかけたら、即出入り禁止となる。普通に考えれば罠だ。それにしても、30万円とはケチな罠だ。ウソでもケタ二つほど違うだろう。貧乏刑事には30万円は輝いて見えるのだろうな。
http://www.asyura2.com/14/senkyo169/msg/326.html#c16
「毎日100トンも氷入れ出したら汚染水減るどころかどんどん増えるでし(>_<) :ハッピー氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/14897.html
2014/8/5 晴耕雨読
https://twitter.com/Happy11311
今日の現場も暑かったでし(>_<)
夏の休み明け月曜日は何回も 経験しててわかってるんだけど、きついでし。
これが盆休み明けとなると、もっともっと身体がきつくなるでし。
せっかく身体が熱に慣れ順応した頃に盆休みに入るから、盆休み明けは身体が熱に順応するまで 10日位かかるんだよね。
未だに1F作業は手探り状態のやってみなきゃわからない作業が多くて、コロコロ計画が替わるんだよね。
下請けに対して、「それにあわせて人員計画を変えろ」って言われても無理難題なんだけど…。
東電の増田さんは先週の会見で作業員の確保で困ってる話は元請けからは聞いてないって言ってたけど…それはオイラたち下請けからしてみれば東電に、この作業員確保の困難な状況が伝わってないんだなあって思ったでし。
作業員確保の状況についてってアンケートでもあれば、この困難な状況をいっぱい伝えるんだけど最近はアンケート自体やってないし未だに手当ての問題もゴチャゴチャしてるしね。
夏の1F作業って、他の季節と比べると作業員の欠勤率って高くなるんだ。
ギリギリの人数の作業編成だと作業にも支障が出るし、1人休めば他の作業員の負担も増えてまた体調崩す作業員が出るような悪循環になるんでし。
オイラも今まで何回も、本来ならば7人で作業するところが休む人が重なって3人しかいなくて2人が新人だとオイラ1人で機材積み込んでユニック運転し荷下ろしして施工して片付けるなんて結構あったしね。
他のベテラン作業員も今はオイラと同じような苦労してる人がきっといると思うでし。
東電の原発は、どこの号機にもシャワー室があって震災前の夏の定検作業だと全面カッパで作業したあとはシャワー浴びてたんだよね。
シャワー浴びれるようなでっかい施設とか将来出来ればいいと思うんだけど今みたいに6000人もいると 、とんでもない状況になるかもしれなくてちょっと怖いね。
計画出たときから無理だってオイラはつぶやいてるでし(>_<)
去年の段階でわかりきってた事なのに…。
サブドレンだって高性能や増設アルプスだって秋には無理でし。
14年度末の汚染水浄化期限に暗雲−機器不調 http://t.co/MBvMOBR1CF #yjnewsbiz
今日は58トンの氷入れたみたいだけど、そのうち毎日100トンも氷入れ出したら汚染水減るどころかどんどん増えるでし(>_<)
1日15トンの氷投入へ=トレンチ汚染水、効果確認―福島第1 http://t.co/Xv4wnk3GH1 #yjnewsbiz
この人は何回も福島来て現状見てるし、毎月11日に東北で復興活動してるし、一回会ってゆっくり話してみたいでし。
小泉進次郎氏、原発再稼働に疑義 「事故から学んだか」 http://t.co/AVGJUkc2uA
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布施 祐仁https://twitter.com/yujinfuse
震災以降イチエフの事故収束作業や除染作業に従事し、昨年末に肺癌が見つかった元作業員の方にお会いしてきた。
厚労省の相談窓口に電話したら「門前払い」され、「地元役場の福祉課に相談しろ」と。
「国のために(収束作業を)やったという自負はあった。それなのに、あまりに冷たい対応で寂しかった」
「会社にも知らぬうちに解雇され、雇用保険もなし。放射線管理手帳も返ってこない。リスク負って行って、いざ病気になったら何のサポートもないどころか、使い捨て。福島での被曝が原因で癌になったと断定してる訳じゃない。調べもせず、門前払いというのが許せない」
「癌が見つかる前は知人をイチエフや除染の仕事に誘っていた。いざ病気になったらこんな対応されるんだったらもう誘えないし、誘って来てくれた人に申し訳ない気持ちしかない。自分にはあとどれだけ時間が残されているかわからないけれど、このままじゃ死ねない」
厚労省の相談窓口に電話したら「福祉課に相談して」と言われたのは、同じくイチエフで作業後に癌になった札幌の元作業員(「世界」1月号に記事掲載)と一緒。
福祉課とは、つまり「生活保護をもらえ」ということ。
放射線疾病の労災の案内もせずに「福祉課に行け」は酷い対応。
この国はいつまでリスクを負って事故収束のために働いた人たちに「使い捨て」と言わせ続けるのか。
その人はガンがリンパ節にも転移し、手術はできない状態。
それでも「イチエフに行った人で同じように悩んでいる人がいるかもしれない。
何とか表に出したい」と私に連絡をくれた。
他にもイチエフで働いた後に癌や白血病になったケースを何人か聞いている。
もちろん因果関係はわからない。
しかし、病気になった本人たちは「もしかしたら、そうなんじゃないか」という思いを抱いているのは事実であり、国も東電もそれに対してあまりにも冷たい対応をしている。
こういう対応を続けていると「リスク負って働いても、いざ病気になったら国は助けてくれない。
切り捨てられるだけ」と労働者の中で不信が広がっていく。
作業員の確保にも支障が出てくるだろう。
国は、作業員はどこからか無尽蔵に湧いて出てくるとでも思っているのだろうか?事故収束のためリスクを負って被曝しながら働いた人たちに「使い捨てにされた」なんて言わせちゃいけない。
そんな国は全然美しくない。
この状況を変えるために、微力だけど、自分に出来る限りのことはしたい。
963. 2014年8月04日 23:28:41 : pyGTlJbFRA
今週のパックインで小中さんが微妙なことを言ってましたね、私の勘ぐりすぎかもしれないけど・・・
こういう番組はマスターベーションになっちゃいけなんだ的なことを仰ってます。
これって、どこかの番組への風刺?笑
やはりデモクラTV,何か起きてるような気がするな・・・
だから愛川さんがまた始めたんじゃないでしょうか?
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/749.html#c963
05. 2014年8月04日 23:28:59 : aQq0UGoaxY
アムネは昔から同じことを言っているだけでまったく効果が無い。
つまり国連のイスラエル非難決議と同じような偽善だ。
アムネは戦争を終わらせるためにガザ市民に核兵器を与えよと言わなければならない。
31. 2014年8月04日 23:34:07 : lAbg9K6RbI
ここの投稿者の中には味噌くそ一緒にして
この掲載された記事とはぜんぜん関係がない日共のことを
ああでもないこうでもないと書いている輩も見受けられるが
あんた方はこの記事をちゃんと読んでから投稿してるんかい?
俺の目ではこの新聞の記事内に「東京デモクラシークルー」の主催と
ちゃんと書いてあるだろう。
何かの宗教に取りつかれたように小沢の弁護に
精力を費やしている輩も見受けられる。
その輩は検察などの司法だけではあきたらず
挙句の果ては日共にまで
小沢が有罪になった罪を着せようとしているようだが
これは全く笑える話だよ。
被害妄想のかたまり。
おかげさまで自民党の議席が増えたのは
自民党が顔負けするくらいの顔になった野田が出てきてくれたからだよ。
日共が選挙協力しないからでは無いの。
いつまでも古いしがらみにこだわっていないで
声をあげる若者を応援したほうが間違いなく極楽往生できるよ。
http://www.asyura2.com/14/senkyo169/msg/379.html#c31
02. 茶色のうさぎ 2014年8月04日 23:35:17 : qtmOTsgWNIsK2 : A1uMoj3YXI
前から思ってたんだけど、こお云う発表は風評被害にならないの?
静岡のお茶はもう買わない売れないね! 国を相手に訴訟にならないの?
厚生省政府発表でも・・・??助長した!検査の秘密をバラシタだとか?
もー汚染されて半減期を考えるとボクは静岡は買わないな!お茶農家は大打撃で廃業だね!
つまり小出の規制値なんて撤廃しちゃえってこと? カオス状態にして自己責任!www
http://www.asyura2.com/14/genpatu39/msg/612.html#c2
08. 2014年8月04日 23:36:37 : 0dppyZZ9Rw
>>03
確かにあの配送トラックのほうがずっと格好いい。
でも、播磨屋さん貸してくれるかな?
同じ反安倍でも播磨屋さんと、このデモの参加者とでは
考え方や立ち位置が違うように思うので。
こういうデモについてはどうお考えなのか、できれば播磨屋さんに聞いてみたい。
>>07
全くあなたのおっしゃる通りです!
http://www.asyura2.com/14/senkyo169/msg/399.html#c8
07. 2014年8月04日 23:38:06 : XUQmMkdG4c
もう3流のお笑い番組以下。
http://www.asyura2.com/14/genpatu39/msg/608.html#c7
10. 2014年8月04日 23:42:47 : e3svy6YJIs
ではダイナモは、Su-25が接近していた、というロシアの発表自体は信用するんだな?
ならいいかげん、その線で推理を進めろよ。
少なくとも、事件についてウクライナが一番悪い、一番責任が重い、という結論しか導き出せないんじゃないか?普通の思考をしていれば。
ブークについては、戦闘機のように、地元住民の証言映像もない。飛行時に残る煙を見たという証言すらも。
http://www.asyura2.com/14/warb13/msg/614.html#c10
原子力規制庁もサジを投げるALPS、トリチウムだけでなくコバルト60など放射性物質4種類が除去できず(8/2 毎日新聞)
http://radiation7.blog.fc2.com/blog-entry-4242.html
Monday, August 04, 2014 東京江戸川放射線
東京電力福島第1原発に保管されている汚染水について、東電が目標としていた今年度内の全量浄化処理が達成困難なことが1日、分かった。汚染水から放射性物質を除去する多核種除去装置「ALPS(アルプス)」が計画通りに稼働できていないためで、東電も現状では処理が間に合わないことを認めた。汚染水を巡っては、原子炉建屋への地下水流入を防ぐ凍土遮水壁の建設準備でも手間取っており、汚染水低減対策の難しさが改めて浮き彫りになった。【斎藤有香】
東電の目標は昨年9月、東京五輪の招致活動で、安倍晋三首相が「(同原発の)状況はコントロールされている」と述べたことなどを受け、当時の相沢善吾副社長が記者会見で「2014年度中にすべて浄化したい」と述べたもの。原理的にアルプスで除去できないトリチウム(三重水素)を除き、他の62種類の放射性物質を基準以下まで低減することを目指した。
アルプスは昨年3月に試運転を開始したものの、トラブルによる停止が相次いでいる。現在、敷地内に保管されている汚染水約47万トンのうち、処理できたのは2割強の11万トンあまりにとどまる。しかも、処理済みの水も、コバルト60など、トリチウム以外の4種類の放射性物質が十分に除去しきれておらず、基準以上の放射性物質が残っている。
9月以降、アルプスの増設に着手し、10月からは日量2000トンまで処理能力を高める計画だが、仮にフル稼働しても来年3月末までに処理できるのは最大約40万トン。タンクに残っている高濃度汚染水約36万トンを処理するのが精いっぱいで、4核種が残ったままの水の処理は間に合わない。
東電広報部は「目標はあくまで汚染水のリスク低減。来年3月末までにすべての汚染水をアルプスに一度通すことができれば、リスクを下げたと言える」と説明。資源エネルギー庁の担当者も「4核種が残っても汚染水の貯蔵リスクを低減できればよい」と述べた。
一方、原子力規制庁の担当者は「アルプスを増設しても、きちんと動くかどうかは分からない。そんな状態で処理量の見通しは立てられない」と話す。
高濃度の汚染水が敷地に保管されたままでは、漏えいのリスクが残り続けるほか、貯蔵タンク付近の放射線量が高いことから作業員の被ばく量が増えるなど、廃炉作業の妨げになる。
福島第1原発の汚染水は、溶けた核燃料が残る原子炉建屋に地下水が毎日400トンずつ流れ込み日々増えている。東電は地下水をくみ上げるなど対策を講じているが、効果は未知数だ。
http://mainichi.jp/shimen/news/20140802ddm001040174000c.html
32. 2014年8月04日 23:43:57 : Pllplt15Tg
「赤旗」の赤っ恥
現行の個別的自衛権に毛の生えた程度の今回の閣議決定と、「水陸機動団の新設」という「戦後初めての海兵隊機能の新設」では、どちらがより軍事的バリューが高いかは誰の目にも明らかだが、不思議なことに、首相官邸前で「安倍死ね」と叫び、「集団的自衛権で戦争になる」と声高に叫び散らす例の一群の人々は「水陸機動団の新設」に見向きもしないで、「安倍死ね」「徴兵制」というおよそ無意味なシュプレヒコールを繰り返しているのである。
ここにも、軍事的無知が大きく横たわっている。たぶん彼らにとっての「水陸機動団」は小型ボートか何かで、おそらく「強襲揚陸」という言葉の意味もよく分かっていないに違いない。「スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』冒頭の上陸作戦のことを『強襲揚陸』というのですよ」とわざわざ指摘しなければならないほど、基礎的軍事知識に乏しい人々がすぐに「反戦争・反軍隊」というイメージの虜になっていく。
1998年に海上自衛隊の輸送船「おおすみ」(満載1万4千トン)が導入された時、朝日新聞・毎日新聞などリベラルジャーナリズムから「憲法が禁じる航空母艦の導入だ!」と一斉にバッシングが行われたことをご記憶だろうか。
「おおすみ」は艦橋を片側に寄せて広い甲板を有する「空母風」のシルエットであることは間違いないが、あくまで「風」であって、実際の艦船機能は空母とは似ても似つかない単なる輸送船である。
現にその後、「おおすみ」型輸送艦はトルコ大地震で仮設住宅を運ぶなどして活躍し、2013年にフィリピン・タクロバンを襲った巨大台風の国際派遣でも、ヘリ搭載型護衛艦「いせ」(こちらも対熱処理しておらず、空母運用は不可能)とともに先陣を切って大活躍した。
当時、「しんぶん赤旗」は「おおすみ」を「世界中の海岸線に兵士を運び、上陸させることができる侵略に資する軍艦」と書き立てたが、実際に運んだのは被災者のための住宅や毛布、医薬品や水、食料だったというオチである。
2003年に航空自衛隊が初めて導入した空中給油機(KC-767)はそれまで、「憲法が禁じる専守防衛を逸脱した攻撃兵器」であるとして激しい攻撃の対象にされてきた。
空中給油機は読んで字の如く、空中で戦闘機に給油ノズルで燃料を供給し、それにより航続距離や滞空時間の拡大を目的とした空中プラットフォーム的存在だ。
空中給油機の導入により戦闘機の離発着回数が減少し、基地周辺の騒音被害の低下が実現されることになった。「航空自衛隊基地の騒音」を根拠に、各地の裁判所で「自衛隊機の発着差し止め」などの裁判闘争を行ってきた「反自衛隊」の勢力が、「専守防衛を逸脱した兵器」であるはずの空中給油機の導入によって最も恩恵を受けることになったという事実は皮肉だ。
このような「軍事と自衛隊」をめぐる倒錯した主張のほぼ全ては、軍事知識の著しい欠如によって生み出されたと言わなければならない。
http://www.asyura2.com/14/senkyo169/msg/379.html#c32
01. 2014年8月04日 23:44:09 : YIxEQ5pA2g
>>
妄想だが、小沢さんに立ってもらうのはどうだろう。
いや、ただ今、ふっと思いついただけなのだけど。
http://www.asyura2.com/14/senkyo169/msg/431.html#c1
10. 中川隆 2014年8月04日 23:45:11 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc
イスラム文明論 PART1
イスラムの勃興とそれに続く大征服事業というのは、世界史上の驚異である。その最初の時期だけをとってみても、東はペルシャから西はスペインにおよぶ広大な版図をもつ「イスラム帝国」がまたたく間に出現してしまったのである。
単に規模ということを問題にするならば、たとえばチンギス・ハーンの率いるモンゴル軍の大征服などはこれを上回るものである。しかし永続性という点に注目するならば、モンゴルの作った巨大な元帝国の寿命は極めて短く、その事業は泡のように歴史の中に消えていってしまった。
その点イスラムの征服地は、それに続く歴史の中でほとんど恒久的に維持され、その事業は永続性という点でチンギス・ハーンを始めとする他のいかなる例とも著しく異なっている。というより、その影響は現代の世界まで途切れることなく続いているのである。
一体なぜそんなことが可能だったのだろうか。西欧キリスト教圏の二流の歴史家たちは、イスラム帝国の勃興を非理性的な宗教的狂信の所産として切り捨てることが多い。だが実際にその歴史の細部に当たってみると、どうも真相はずいぶんと違ったものだったようである。
実際、イスラムについて学ぼうとするときには誰でも常に、西欧キリスト教側が二重三重にかぶせたフィルターをいかにして除去するかに多大な努力を割かれるものであり、かつてのソ連国内にいて「プラウダ」紙の記事から西側世界の本当の姿を割り出す努力とはさしずめこんなものだったろうかと、しばしば苦笑させられた。
大体「ルネッサンスの三大発明」などという言葉を世界中教科書に載せてしまうというのだから、キリスト教側の宣伝能力には恐れ入る。それら三つとも、すなわち火薬にせよ羅針盤にせよ印刷にせよ、中国に起源をもつものがイスラム圏に伝えられ、西欧はそれを最後に学んだに過ぎない。ルネッサンスに功績があるとすれば、それを量産したということだけである。
ルネッサンスとは要するに「大翻訳時代」であり、西欧はようやく17世紀に入って先生であるイスラムを追い抜いたのである。(それは英語の代数=algebraがアラビア語であることを見てもわかる)
このフィルターを除去することは、単に世界史を正しく見るという意義にとどまらない。それは一般的問題としても盲点となっているさまざまなことを教えてくれる。特に近代西欧文明の閉塞状況に悩む現代においては、それは未来への不思議な光を投げかけているのである(実は私の資本主義観はイスラムの観察なくしては成立し得なかった)。ではその実体とは一体どんなものだったろうか。
まず第一にわれわれの常識を覆すのは次のことである。それを一言で言うならば、「イスラムは砂漠の砂嵐の中から生まれたというよりは、むしろ都市の金銭の洪水の中から生まれた」ということである。
読者の多くは、イスラムがどのようにして発生したのかと問われたならば、そのとき頭の中に例えば次のような情景を思い浮かべるのではないかと思う。砂漠の中で黒い布に顔を包んだ遊牧民たちが、厳しい砂漠の自然の中でそれに畏敬の念をおぼえていつか夕日に向かって祈り始め、やがてマホメットがそれらの風習を一まとめにして宗教として統合していくという光景である。
しかしこれほど実情とかけ離れたイメージもないと言ってよい。そもそもイスラムというのは、砂漠の遊牧民の中から生まれたものではなく、高度に経済的に繁栄した都市の真中で誕生したものなのである。そして当時のメッカというのは、まさしく砂漠の真中に忽然として出現した金銭万能の小宇宙だったのである。
メッカは他のいかなる社会とも異なる進化の足跡をたどった。このような特殊な社会というのは、それ以前の歴史の中においてもほとんどその例を見ない。その理由を探る前に、当時のメッカの社会というものがどんなものだったかを見てみることにしよう。それはほとんどの読者にとって意外の連続であろうと思われる。
1-1 イスラム誕生前夜のメッカ
先ほども述べたように、当時のメッカは本質的に商品経済が高度に発達した商業社会だった。都市内部には当然のこととして農業を職業とする人々はほとんどおらず、市民のほとんどは商業によって収入を得るビジネスマンによって構成されていた。
彼らメッカ市民の性格を一言で言えば、それは「個人主義者」の一言に尽きるといってよい。確かに彼らはあまり本を読まず、したがって見るべき文化や芸術も発達させることはなかったが、それらは彼らの文明水準の低さの証というよりは、むしろ彼らが金儲けに忙し過ぎたからである。実際、商業に役立つものでありさえすれば、例えば為替だの簿記だのといった技術は相当に高いレベルにあったとみられる。
やや誇張して一言で言うならば、当時のメッカとは、さしずめ米国の西海岸が埃っぽいベドウィンの衣装をまとったようなものだと表現しうるだろうか。
東西通商のちょうど中央位置を占める彼らは、金さえあれば東西世界の最新の品物を容易に集めることができた。ちょうど現代米国の西海岸がそうであるように、彼らも密かに、自分たちが世界最先端のライフスタイルを実践しつつあるのだと自負していたかもしれない。無論ギリシャ人たちの目から見ればそれはまだ洗練されておらず(奴等はプラトンも読んだことがないんだぞ)、20世紀のヨーロッパ人がアメリカ人に対して抱いたような軽蔑の視線が、恐らくそこに存在していたことだろう。(もっとも当時の地中海世界の人間がメッカの存在を知っていればの話であるが。)
そんな彼らにとって人生の目的とは何かと言われれば、むろんそれはビジネス・チャンスをつかんで金持ちになることだった。ちょうど米西部でテンガロン・ハットをかぶってバッファローを追い回していたような連中が、10年もしないうちに株式市場の主役になってしまったのと同様、アラビア半島においてもラクダに乗っての冒険は次第に過去のものとなりつつあったのである。
イスラム登場以前の時代は「ジャーヒリーヤ(無明)時代」と呼ばれている。これは字面からは暗黒時代の意味になるが、しかしその半面、砂漠の遊牧生活の冒険とロマンの時代という響きも含まれている。(この点でも、二丁拳銃のアウトローが暴れ回る時代へのノスタルジーと少し共通する面がある。)
都会の人間に生まれ変わった彼らにとっては、砂漠の天幕に住むベドウィンはもはや半ば異人種だったろう。マネーと野望の渦巻く都市の住人がそうであるように、彼らもビッグ・サクセスの夢と現在の自分の快楽の極大化以外に何の関心ももたない。もし彼らが現代米国の「ライフ・ハピネス・リバティ」の三位一体の教義を聞いたなら、これこそ我らの神であると、諸手を上げて賛同したかもしれない。このような社会においては金さえあれば何でもできたし、逆に金がなければ何もできなかった。恐らくは人間関係も相当にドライに金銭に帰着されていたようである。
そしてまた意外なことに、女性と社会の関係に関してもここは周囲の世界と比べてかなりの「先進地域」だった。アラブ世界の女性といえば真っ先に思い浮かぶのは、顔を黒い布で覆ったいでたちで歩く女性だが、あんな格好をして外を歩く若い女性はまずおらず、ここが実は自由恋愛の天国であった可能性はかなり高いのである。さらにビジネスへの女性の進出も目覚ましく、やり手の女性事業家などはさほど珍しい存在ではなかった。
もっとも近代西欧と違って、イデオロギーとしての男女平等思想はなかったからその点での制約はあったろうが、金銭万能社会というものが世界中どこへ行っても中味が似たりよったりのものになってしまうことを考えれば、実態がどんなものだったかは想像がつくというものだろう。
さてこのようなむき出しの金銭万能の社会においては道徳の退廃は必然であり、個人のエゴと短期的願望が金銭を軸にして増殖し、共同体の秩序を凄まじい速度で食い潰しつつあった。つまりメッカは「コラプサー」への坂道を転がり落ちる途上にあったのであり、イスラムはまさしくその転落を阻止する防壁として築かれたのである。
全く仰天するばかりに常識とはかけ離れているが、とにかくこのようにイスラム登場以前のメッカというのは、かなり「進んだ」都市の中の個人主義社会だったというわけであり、そこには行き着くところまで行きつつある現代資本主義社会の姿がオーバーラップして見える。
そしてイスラムというものの今日的な意味もそこにある。すなわち商業主義が行き着いた先の退廃や、文明社会の死の病と言うべき「コラプサー」に対するワクチンとは一体何かという問題に対する極めて重要な示唆を与えることになるからである。
実のところ「資本主義とは、その外見に反して最も原始的な社会システムなのではないか」という疑念を私が抱いたのも、このイスラム発生の過程を見たことがきっかけになっている。他の時代においては、末期症状を迎えた時期のアテネの民主社会やローマ帝国の社会がこれにやや近いものだったが、それにしてもメッカの特異性というのは群を抜いている。では一体なぜこんな場所に突如としてこんな特異な社会が誕生したのだろうか。実はそれは非常に興味深いメカニズムによってなのである。
1-2 メッカが置かれていた特殊な国際情勢
その結論に進む前に、当時のメッカが置かれていた特殊な国際情勢について述べておこう。実はイスラム誕生のきっかけを作ったのは、東ローマ帝国とササン朝ペルシャの間で続いていた戦争だった。
戦争がない平和な状態であれば、この両国の国境付近、シリアからメソポタミアのあたりというのはちょうど東西世界の通商の十字路となり、世界の富が集まってくる地域に相当していた。
ところが戦争によってこのあたりが通れなくなってしまった。そのため通商ルートが大きくまとまって南へ迂回を始めたのである。そしてそのちょうど中継点に当たる場所こそがメッカだった。
このためそれまでさびれた砂漠の小都市でしかなかったメッカに、突如として世界中の富と繁栄が流れ込むようになってきてしまったのである。突然やってきた金銭的繁栄が社会を道徳的に破壊せずにいることは稀であり、この金銭的繁栄と道徳的頽廃が逆にイスラムの培養土となったのである。
この砂漠の隊商都市の経済的繁栄は、他の場所では考えられない特異な社会的状況をもたらした。すなわち社会の中で軍事的要素がほとんど発達せずに経済部門だけが異常に発達するということが起こったのである。実際こういうことは他の世界においてはようやく現代の、核兵器とコンピューターの時代になって初めて可能となったことである。 通常の農業社会においてはこういうことは不可能である。農業社会においては人々の生活は農地というものに縛り付けられている。そして収穫を上げるためにはその領地の広い面積を防衛しなければならない。
そのためにここではその面積に比例した大きさの軍隊というものがどうしても社会の中に根を張るようになる。そして外敵から農地を守るはずの軍隊は、いつかその農民を支配する道具にもなってゆく。もし軍隊がその軍事費のために重い税を農民に課したとしても、農民は農地を捨てて逃げ出すわけにはいかない。
こうして農地の上にどっかりと腰を据えた軍隊は、安定した租税を得て、隣の国の農地で同じように腰を据えたライバル国の軍隊とにらみ合いながら、社会内部に一つの生態系の要素としての位置を占め、恒久的に存続していくことになるのである。
要するにこれが封建社会の誕生であり、よく考えてみると封建制度というものは経済制度であるというよりは、むしろ軍事制度として発達したと言った方が正しいようである。
ところが砂漠の通商都市においてはこういうことは起こりにくい。例えば大きな軍隊がその通商都市の一つに駐屯することを考えてみよう。このときこの軍隊はその維持費をまかなうため市民に税金を課さねばならないのだが、問題は市民の富が通商による利潤によって成立していることである。
砂漠の中をラクダを連ねて渡る隊商の立場からすると、こういう都市は非常に困る。せっかく利潤を上げても、その都市に立ち寄ると高額の税金をとられ、無駄飯食いの軍隊を養う費用のために利潤を吸いとられるというのではたまったものではあるまい。
しかし砂漠というのは広いのである。彼の立場からすれば、もっと安く中継点となってくれる都市を別に捜すなどということはそう難しいことではない。こうして通商ルート全体が、この軍隊の居座る都市を嫌って一斉に迂回を始めてしまうのである。そのため通商ルートに見放されたこの都市は急速にさびれて市民の食糧を確保することさえ困難になっていくことになる。軍隊が飢えで自滅することは言うまでもない。
そしてどの都市も等しく似たような状況に置かれるということを考えれば、相互の侵略に対処するための軍事力の必要性もどんどん低下していくことになる。
大体において、ただでさえ砂漠を大軍が渡って都市の城壁を打ち破るなどというのは大変なことであり、他の都市を侵攻するにはよほど腰を据えて大規模な補給体制を整えない限り、できるものではない。
こうしてお互いに軍隊の保有ということがコスト的に引き合わないということがわかっているため、軍事力が非常に低いレベルに止め置かれるというのが、砂漠の隊商都市に特有の現象なのである。実際ここで必要とされる武力というのは、隊商の護衛に要求されるものぐらいであり、それは軍隊というよりは警備会社の感覚でビジネスの中に取り込まれる傾向がある
歴史的に見ても、それ以前のアラビア半島内部においては統一国家や王朝が誕生した例はほとんどないのである。できたとしてもそれはせいぜいゆるやかな部族連合のようなものに過ぎなかった。
実際に例を上げても、この時期に存在した王朝は、もっと北のガッサーン朝やラフム朝などというもので、アラビア半島の砂漠から事実上外に出たチグリス・ユーフラテス川沿いやレバノン沿岸に発達したものであり、要するに砂漠の中に生まれた王朝と呼べるようなものではない。
また砂漠の隊商都市に王朝が生まれた稀な例として、ローマ時代の隊商都市パルミラが知られているが、この都市は地形的にちょうど周囲から見て隘路を占める位置にあったため、通商路の迂回が難しいという例外的条件のもとに成立し得たものである。
一般の文明社会では、軍隊の存在は単に領土の防衛を果たしているだけではない。軍事貴族という社会階級の成立は、忠誠心、名誉、規律、自己犠牲などといった徳目を社会に対して教える役割を果たしているものであり、ヨーロッパにおいてはそれは商業主義の害毒を中和するという点で時に宗教以上に強い役割を果たしていた。かつての日本においてもそうである。
しかしこういうメッカのような状態では、そんなことは期待するだけ無駄というものだろう。アラビア半島が貧しい時代には、部族社会の伝統的な掟というものがそういう役割を引き受けていたのだが、突如として流れ込んできたマネーのパワーがそれを根こそぎ覆してしまったのである。
こうしたことは西欧社会では核兵器とコンピューターの時代に、資本の移動が自由になってから現実のものとなってきた。資本の移動が可能な世界においては、国家の側が資本という生き物にとって快適な環境を保証してやらねば、資本はそこを見限ってさっさと逃げ出してしまい、それはそのまま国力の低下となってしまう。
現代において共産主義の崩壊以後、軍事力がその威力を失い、そのため国家や社会が挙げて商業主義の踊りを踊らねばならないという、この現代の自由経済社会の有様を見てわれわれは驚いているが、実は何と千数百年前のアラビア半島で、これと全く同じメカニズムが一時的に生じていたというのである。
社会進化の異端児であるメッカは、まさしく経済的要素だけの純粋培養によって進化を遂げた社会の実験室だった。封建社会を飛び越えたメッカは、もっとも原始的な段階においてすでに西海岸的資本主義社会に似た社会的容貌を示していたのである。
1-3 対照的だったキリスト教とイスラムの幼年期
都市の拝金主義がその誕生の培養土となったという点では、キリスト教ともある程度共通していると言える。キリスト教も、なるほど誕生したのはエルサレムや死海の周辺だったが、それが成長したのはローマ市内であり、この都市の道徳的退廃に対するワクチンとしてその成長のきっかけが与えられたのである。
そのキリスト教とイスラム教の成長過程の最大の違いというのは、前者が主として下層階級が担い手となっていたのに対し、後者がメッカ上・中層階級がその担い手であったことである。
そのためキリスト教というものは、その本質において下層階級向きにできており、ローマ時代においては「貧乏人と女子供のための宗教」と蔑まれていた。実際に夫はギリシャ的教養をもってローマの神々を奉じているが妻から先にキリスト教に改宗したという家庭は多かったようである。
なぜそうなったかといえばその理由は簡単で、当時のローマ帝国内部というのはギリシャ的教養を頭にぎっしり詰め込んだエリートたちが掃いて捨てるほどおり、彼らを全部押しのけようとすれば、その教養を競う熾烈な競争に参加しなければならなかったからである。
このような状況下で別の新しい世界観を受け入れさせるのは容易なことではない。イエス・キリストといえどもうっかりローマへ行けば、試験をされて落第のレッテルを貼られたかもしれない。そしてその一方で、ギリシャ的教養は社会に規律を与える力が弱く、その自由主義は当時の道徳的退廃に対するワクチンとしては完全に無力であった。
それゆえそんなギリシャ文明に駄目にされたエリートどもなどもはや頼むに足らずとばかりに、下層階級の側がエリートたちをそのギリシャ的教養もろとも麻袋にくるんで縫い込め、谷底に捨てようとしたというのが、キリスト教発展の過程なのである。
そのためキリスト教というものは、その歴史において非常に多くの場合、下層階級がエリート階級を倒そうとする際の武器として作用してきた。逆に言えば、キリスト教圏では宗教が力を持つということは、知識人が鎖につながれるということを意味する。
それゆえ知識人たちは、宗教の中にとどまって下層階級のプロレタリアート的支配に甘んじるよりは、自由を求めて無神論へ走ることが普通だった。まさしくキリスト教世界の歴史は、下層階級による階級闘争と、知識人の脱獄の歴史である。
1-4 エリート優位のイスラム圏
これに対してイスラムは全く逆である。当時のメッカ市民が金儲けに忙しくてギリシャの本を読む暇がなく、議論の粗探しをして喜ぶだけのしょうもない似非インテリが少なかったことが幸いして、彼らはギリシャ的教養との死闘を経ることなしにエリート層を取り込むことが可能だったのである。
布教活動一つとっても、キリストの弟子たちが野宿も当たり前という状況だったのに対し、ムハンマド(マホメット)の弟子たちはメッカ上流階級の若い子弟が多かったため、広い館をまるごとぽんと専用に提供されてそこに寝泊まりしているという裕福ぶりだった。
この若者たちの何人かは、将来メッカの実力者としてその政治を行うことを約束されており、エリート階級の癖や好みというものがかなり宗教自体の中に入り込んでいた。そのためか、キリスト教とは全く逆に「男らしさ」というものを極めて重んじる態度がイスラムの中には強く根を張っている。
実際この宗教はそういう階層の人間に訴える力が強かったらしく、その誕生間もない時期に、すでに有能な武将・戦略家・行政官としての能力を備えた人物をもっていた。
実のところ、キリスト教が天下を取るのに300年もかかっているのに、イスラムが同様のことをするのにたった数十年しかかからなかった最大の理由がそこにある。
そしてその版図が安定してからも、エリートによる支配は続いた。その担い手になった存在は「ウラマー」と呼ばれるイスラム法学者である。
このウラマーのことを誤って「僧侶」と訳している場合は多いが、実際にはこれはいわゆる僧侶の概念とは相当に異なったものである。大体において、他の宗教において存在しているような僧侶というものは、イスラムにおいては存在しないのである。
これらウラマーすなわちイスラム法学者たちは、イスラムが社会生活において要求するイスラム法(シャリーアと呼ばれる)の解釈を行う人々であり、ユダヤ教における律法学者(ラビ)にやや似ている。
そして彼らウラマーは、単にイスラム法の専門家であるばかりでなく、彼らの中にはそのかたわらで数学や天文学・医学や歴史学・地理学もなどといった学問を修めている者も少なくなかった。逆に言えばイスラム世界で学問の担い手であった人々は、その総合的性格ゆえにイスラム法学もその修得範囲に含んでいたわけで、広い意味でのイスラム世界における知識人こそが彼らだったのである。(ただし科学史に名を残したイスラム科学者たちは法学よりも医学にかかわる場合が多かったようだが。)
つまり知識人たちはイスラムの奥深く入り込むことで、逆に下層階級に対する支配力を手に入れる格好になっている。キリスト教圏の場合とは全く逆に、イスラム圏では知識人は無神論に走る必要がないどころか、むしろわざわざパワーを手放すことになりかねないため、そんなことをする物好きは滅多にいない。
われわれは宗教といえばキリスト教世界のことをつい連想しがちだが、それを基準にしている限りイスラム圏の人々の行動というものはしばしば全く理解できない。しかし英国のイスラム研究者たちは、しばしばこのウラマーたちとその支配の姿に、英国のジェントルマン階級の支配の姿を重ね合わせて、親近感を抱くことはあるらしい。
実際、一つの文明の背骨となってそれを担い、腐敗で溶解することなくそれを長期間それを立派に支えぬいたその姿は偉大である。
そしてそれはまた(西欧の概念からする「知識人」とはいささか異質ではあるが)武力や権力を直接持たない知識人たちが、大きな一つの文明を集団で事実上統治することに成功した、世界史上ほとんど唯一の例であるという点でも注目に値するものである。
1-5 イスラム初期の登場人物たち
では次に、イスラム初期の時代における主要登場人物のプロフィールを描いておこう。それらの多くの名前は、日本人にはあまり馴染みのないものであるが。
ムハンマド
言わずと知れたマホメットのことである。「マホメット」という名前は西欧側の呼び名で、やや侮辱的なニュアンスがこもっているらしい。そのため日本でも最近は専門書などではもっぱら「ムハンマド」という呼び方を用いているが、一般にはまだ定着していない。どちらをとるか少々迷ったのだが、将来のことを考えて、あえてこの馴染みの薄い方を選んだ。
さてこのイスラムの預言者は、キリストと違って神の子でもなければ、奇跡を起こしてみせたこともない。むしろ「預言者」の名の通り、神からのホットラインを通じてその言葉を伝えるだけの一人の人間であると、自らも認識していたようである。
彼は非常に聡明で誠実な人物だったが、聖人くさい芝居がかった逸話は少なく、キリストのように、それこそ自分の内臓をつかみ出して貧乏人に与える式の重苦しい博愛精神もない。むしろ次のような逸話が彼の人柄をよく伝えるようである。
昼寝をしていた彼が目を覚ますと、足元で猫が寝ていた。用事があった彼はすぐに起きて出かけなければならないのだが、猫が彼の着物の裾を敷物がわりにしていたため、立ち上がれば猫を起こしてしまう。しかしあまり気持ち良さそうな猫の寝顔を見て起こすのが可哀想になった彼は、ハサミをとってもらって着物の裾を切って出かけていったという。このように彼の逸話には、どこか都会的な優しさを感じさせる話が多い。
彼は両親が早く死んだため孤児として育ち、若い頃には目だった逸話は少ない。しかし人生の後半において展開した戦略的・政治的手腕は全く卓越したものであり、どうしてそんな才能がいきなり目覚めたのかは不思議と言うしかない。彼は、ただ自分は神が命じた通りにやっただけだと言うであろうが、実際もし神が存在しないとしたなら、逆に彼は史上最大級の戦略家の一人に数えられてよい。永続性という点を重視するなら、その事業にはアレクサンドロス大王と言えども遠く及ぶものではない。
なお、イスラム圏の人々は大体において人間としてのムハンマドについて語ることを忌避する傾向があるというが、それは陳腐化の阻止という観点からすれば賢明なことである。彼の戦略家としての側面を論じるというのは、実は外部の人間ならではのことであると言えようか。
アブー・バクル
ムハンマドの最も古くからの協力者の一人であり、その生涯を通じて彼をよく助けた。性格は地味で誠実、自ら「自分はムハンマドの帳簿管理人に過ぎない」と言うぐらいだったが、それゆえに周囲の信頼は厚く、ムハンマドの死後、その後継者として皆に推されて初代カリフの地位についた。
しかし初代カリフとしての仕事ぶりは単なるつなぎの人物のそれではなく、優れた政治的洞察力によってイスラム拡大の事業を軌道に乗せた。ムハンマドとイスラムの幸運の一つは、このアブー・バクルという優れた後継者を持ったことだろう。
ハーリド・ブン・アル・ワリード
初期におけるイスラムの武将で「神の剣」と称された名将である。智将タイプと言うよりはむしろ猛将タイプで、当初ムハンマドがメッカと敵対していた時期にはメッカ側の武将としてムハンマドを苦しめたが、後に自らイスラムに改宗し、ムハンマドの味方となってイスラム軍を統率する。
後半には主として西部戦線で東ローマ帝国と戦い、ヤルムーク川の戦いで東ローマ帝国軍を破る大勝利をおさめた。
サアド・ブン・アビー・ワッカース
ハーリドと並ぶイスラム初期の武将で、ハーリドが西部で戦っている時期に東部軍を統率していた。彼は古くからのムハンマドの教友で、中途改宗組ではない。
東部戦線ではササン朝ペルシャと戦い、カデシヤ(カーディシーヤ)の戦いで決定的にペルシャ軍を破った。猛将ハーリドとは違って政治的洞察力にも富んでいた。
アムル・ブン・アルアース
ハーリドと同時期にイスラムに改宗したが、ハーリドとは正反対の、すばしこいとすら言える智将タイプである。
ヤルムーク川の戦いに参加した後、アムルは独断で自分の兵を率いてエジプト侵攻に乗り出した。むろん中央からはエジプト国境を越えるなとの命令書が届いたが、内容を見越したアムルは国境を越えるまでその封を開かず、既成事実を作ってそれを無効化した。
アムルの兵力は僅か4千で、一国に対する侵攻作戦としては驚くほど少なかったが、彼はその軍事力を直接用いるよりは、住民を巧みに手なずけるなどの策略を用いて、次々に城塞を陥落させ、魔法のようにエジプト全土の占領に成功、その総督におさまる。
当初は無謀としてエジプト侵攻中止を命じた中央も、その結果については文句のつけようもなく、事後承認を行った。
アリー
彼はムハンマドの甥で、初期のイスラムにおける最大の悲劇の中心人物である。彼は知恵者である反面、理想主義に溺れる書生くさい一面もあったようである。
彼の知恵を示す逸話は多く、例えば人々が象の重さを計ろうと悪戦苦闘しているのを見て、空の船に象を乗せて喫水変化を記録し、次に象を降ろして石を一個づつ乗せてその石の重さを計れば良いではないかと提案したり、訴訟を巧みな知恵で処理した名裁きの話などが伝えられている。
その一方政治的には理想主義的な直情径行の性向が災いして、人々が全幅の信頼を寄せるには今一歩というところがあった。しかしその知恵ゆえに、彼には自分こそがムハンマドの後継者であるべきだとの自負が強かった。
しかし彼のカリフ就任の機会はそのたびごとに見送られ、ついにその機会がめぐってきたときには、次に述べるムアーウィアとの政争および内乱の中で、政治的に次第に追いつめられ、暗殺された。彼の死によって、アブー・バクルから4代続いた「正統カリフ時代」は終わりを告げた。
なお、現代のイランを中心に広がるシーア派というものが発生した発端もこのアリーである。これはもともと「シーア・アリー(アリーの党派)」と呼ばれた人々が、いわば反体制派として一個の大集団を作ったものが現代まで続いているのである。
ムアーウィア1世
彼はアリーの政敵だが、もともと父親がムハンマドの活動初期にメッカで迫害の先頭に立ったアブー・スフヤーンという人物だったという因縁をもつ。
彼は戦場での見るべき戦功はほとんどなかったが、極めて政治的機略にたけ、しかもその策略は残虐性はなかったが氷のように鋭い。つまりはアリーとは対照的に、人々に親しまれる部分は全くない。
「この時代のアラブには4人の政治的天才がいる」と言われていたが、ムアーウィアはその一人である。(なお、前述のアムルもその一人)。
彼は征服事業の最中にシリア方面に根を張り、その勢力を拡大する。そして第3代カリフ暗殺事件という突発事態に引き続いてアリーがカリフの座につこうとした時、その反対勢力を結成してアリーに対抗する。(なお、前に登場したアムルはエジプト総督の地位にあって、シリア総督だったムアーウィアとは同格の地位にあったが、ここではムアーウィアの下について戦った。)
そしてアリーを追い落したムアーウィアは、ウマイヤ朝を興し、自らそのカリフに納まる。このウマイヤ朝はその後14代も続くが、これは見ようによっては「簒奪王朝」とも言えないことはない。かつて初期のイスラムの最大の迫害者であった部族の一員が、ムハンマドの血を引くカリフ後継者を排除して新しい王朝を開いたというのだから、まあそう言われても仕方のない部分はある。
ましてこのムアーウィア1世はどうもそれほど敬虔なイスラム教徒だったとは思えないのだが、逆に言えばその王朝がかなり長く続いたということが、ムアーウィア1世の卓越した政治手腕とともに、イスラムのもつ強い政治的性格を示すものだと言えなくもない。
さてこれらを見れば、なぜ初期のイスラムがあれほど短期間にあんな征服事業を行い得たのかはどことなく理解がいくのではないかと思う。
実際、その登場人物の横顔は、キリスト教の初期の教団のそれとは余りにもかけ離れたものである。政治力の不足を言われたアリーでさえ、もし彼がキリスト教団の中にいたならば伝説の知恵者として長く語り継がれたことだろう。
それだけの能力をもつ政治家・戦略家・武将を多数擁しているところへもってきて、まず都市ではもっぱら経済と金銭の獲得に向けられていた人々の関心がイスラム圏の確立という政治的目標に向かい、また地方ではそれまで部族間抗争に明け暮れていた各部族がイスラムという新しいアイデンティティのもと、同胞同士で殺し合うことをやめ、それらの戦闘的エネルギーが一斉に外へ向かっていったのである。
ちょうどその様は、ばらばらな向きを向いていた多数の磁石が、お互いの磁場を打ち消し合って外側から見ると全体として磁力を帯びていなかったのが、突然それらが一斉に揃って一つの方向を向くようになったため、突如凄まじく強力な磁石が出現したようなものである。
それらのパワーをハーリドやサアドのような人物が率いていたことが、ヤルムーク河やカデシヤの戦いで東ローマ軍やペルシャ軍を圧倒するという結果を生んだわけである。
1-6 イスラムと非ハーモニック系
こうしたエリート優位の文明として出発したことは、イスラム文明に次のような特徴を与えることとなった。その特徴を一言で言えば、それは非ハーモニック系の社会をいかに運営し、社会がコラプサー状態に落ち込むことを阻止するかという主題で貫かれているということである。
これはあるいは言い方が逆なのかもしれない。むしろライバルであるキリスト教文明の側が、度を超した強烈なハーモニック・コスモス信仰を抱えこんだ特異な存在だと言うべきなのである。そしてなぜそんな違いが生まれたのかは、先ほど列挙したイスラム初期の登場人物たちの横顔をキリスト教初期においてそれに相当する人物たちと比較すればよくわかる。
イスラム教団初期の、馬に乗って戦場を疾駆した名将・智将たちに比べると、貧民たちの中にうずくまって左手で捨て子を抱き、右手で天を指差して神の道を説くパウロやぺテロなどキリスト教団初期の人物たちの姿は余りにも対照的である。そして二つの宗教がその揺籃期を過ごした環境の違いをこれ以上よく物語るものはない。
ローマ帝国の辺境で生まれたキリスト教には、首都にいるギリシャ的教養をぎっしり頭に詰め込んだ官僚たちやローマ軍団を率いる司令官を押しのけて国家の指導権を手に入れるなどいうことは、権力基盤の点で不可能である以前に、それに必要な知識すら十分に備わっていなかった。そのため彼らは、神の愛弟子を自称する諸君は社会をどう運営するつもりなのかね、と問われたとき、そんなことは抹消的な問題であると宣言してそれをあっさり無視し、一足飛びに神様に向かう以外なかったのである。
これは社会を運営する立場から見れば短絡以外の何物でもなく、本来なら指導者として失格の烙印を押されても仕方がない。しかしそんな彼らにとって救世主となる概念が一つ存在している。言うまでもなくそれがハーモニック・コスモスの概念であり、そういう宇宙においては社会という複雑な系の振る舞いをバイパスすることができる、というよりそんなものは本質的価値をもたなくなるのである。
このため彼らにとっては、どうしても世界はハーモニック・コスモスでなければならなかった。もちろん彼らがハーモニック・コスモスなどという概念を知っていてそれを吟味し、採用したわけではない。むしろ人間にはもともとハーモニック・コスモスを求めるという性癖が本能的に備わっているものであり、そしてそれは宗教的雰囲気と極めてマッチしたものなのである。
そのため彼らはその本能を刺激し、下層階級の不満と混合してそれをちょっとギリシャ的論証技術で味付けすれば、実に見事な神学を作り上げることができたのである。(その過程は、近代においてプロレタリアート支配をうたったマルクス理論が成立する過程にかなり似ている。)
この点で言えばイスラムは全く異なっている。何度も言うようにメッカそのものが商業のネットワークによって成り立つ社会だった。つまり腐敗したエリートどもを一掃するなどということを考えようにも、その革命が商業ネットワークも一緒に壊滅させてしまうようでは、メッカの自滅を招く以外の何物でもない。これは、たとえ資本主義が悪いということがわかっていたとしても銀行を核爆弾で吹き飛ばすわけにはいかないという、現代のわれわれの立場に少々似ている。
そのためどうしてもそのアプローチは乱暴で外科的な切除手術であるよりは、巧妙で間接的な内科的手法をとらざるを得ず、そのためには社会のメカニズムについて熟知していることが必要だった。このような環境においては、ハーモニック・コスモス信仰が浸入してくる余地は滅多にないものである。
このように本質的に商業社会であるイスラム世界においては、商業的機略というものは称賛の対象にこそなれ、決して否定されるものではない。そのため「策略」という言葉は必ずしも否定的意味をもたず、「策略をもたない頭はカボチャより劣る」という言葉があるほどである。
当時のメッカの退廃とは、彼らがもともと備えているそうした商業的機略が近視眼的欲望と結び付いて自家中毒を起こしていたものなのであり、それに対するワクチンとして要請されたのがイスラムだった。そのため宗教の体系そのものが社会というものを深く洞察し、むしろその欠陥を巧妙に補完しようとする意図をもっており、イスラム世界においては政治家であることと宗教家であることは本来矛盾しない。それは、神も含めたこの世界が本質的に巨大にからまった毛糸玉のように複雑な非ハーモニック系であるという認識とは表裏一体のものである。
これは全くキリスト教圏とは対照的であり、キリスト教圏では宗教的要素すなわちハーモニック・コスモス信仰が社会運営技術の中に入り込んでくると、とかく物事を単純かつ強引に善と悪に二分し、外科的切除の要領で悪を人間集団ごと撲滅するということになりがちであり、たちまち火あぶりだの虐殺だのといった惨々たる結末に終わってしまう。
そのためキリスト教圏では「政教分離」というものが絶対必要であることが経験的に理解された。しかしそれは実はハーモニック・コスモス信仰を分離するという目的のために必要だったのであり、宗教自体が非ハーモニックの体系をもっている場合、政教分離は必ずしも絶対的に必要なものではない。
むしろ皮肉なことだが、政教分離の先進国だと自ら信じ込んでいる米国こそ、現代において最も「政教分離」が必要な国家であるように思われる。なぜなら米国の平等・人権思想やベンサム的自由思想こそ、首までどっぷりハーモニック・コスモス信仰に漬かっているという点で、キリスト教において最も問題をはらんだ部分にラベルを貼り変えたものに過ぎないからである。
今から思えばそれは単なる錯覚に過ぎなかったのだが、近代西欧があれだけの「進歩」を遂げられたのはまさしくその思い込みの故だった。ハーモニック・コスモスの思い込みを最初から持たなかったアラビア科学は、中世を通じて西欧の先生であり続けたにもかかわらず、ついに微積分を生み出すことがなかった。そして圧倒的な豊かさを誇ったイスラム経済は、徹底した規格化・画一化による量産技術を確立しなかった。逆に言えば物事をなまじきちんと洞察していたからこそ、イスラム文明は近代文明に乗り遅れてしまったと言える。
しかしそれらの西欧的な画一化による進歩というものが限界を暴露してハーモニック・コスモス信仰そのものを放棄しなければならなくなったとき、人類が振り返って見て参考にできるものと言えば、それはまずイスラム文明だということにならざるを得ない。非ハーモニック系を仮定した社会運営のための技術体系をもち、しかもそれにかなりの程度成功した文明はそれしかないからである。
1-7 数学史からみたイスラムと西欧
なお付記しておくと、イスラム文明と西欧文明を「数学」という観点から見ると、ある意味で両者の本質が浮き彫りになる。これは大変重要なことなので、関係者のためにもここで述べておくことにしよう。(なおこの事実は現在、本稿以外の世界中のいかなる文献にも記されていないことであり、読者はその重要性に是非注目されたい。)
さておよそこれまでの人類の数学というものは、二つの大きな体系の上に両足を広げるようにして立ってきたと言える。それは要するに解析学(微積分)の体系と代数学の体系である。
そして数学史においては、西欧が微積分を、イスラムが代数学(algebra)を引き受ける形でそれぞれを発展させてきたということは、注目すべきだろう。
それというのも作用マトリックス理論をご存じの読者は、次のことを理解しておられることと思う。それは、解析学と代数学の体系は、それぞれ作用マトリックスの特殊な場合として現われる二つの顔だということである。
すなわち一般に作用マトリックスで扱う系とは本来、
・系の中に多数の要素がからみあい、
・それら全体が時間的に変化する
いう、二つの性格をもっている。しかしここで前者の性格を消して、要素の個数を2個だけに減らした場合、それを表現する作用マトリックス(2行2列)は事実上、関数と同じものになって、体系全体が解析学と同じものに帰着できる。
一方それとは逆に、今度は後者の性格を消して、体系を静的なものとした(つまり行列のN乗自体を考えない)場合、作用マトリックスは単なる線形代数の行列になってしまい、体系全体は代数学と同じものに帰着される。
つまりこのように、それぞれ体系の性格の半分を消去する二種類の特殊化を行なうと、一方は解析学に、もう一方は代数学になるというわけだが、数学史の中ではこの両者を二つの文明がそれぞれ分担していたという事実は興味深い。
そして西欧が解析学(関数)的発想を、イスラムが代数学(連立方程式)的発想を、それぞれと文明の基礎に置いていたとすれば、実は両者は、一つの大きな体系の中に現われる、部分的な二つの顔を見ていたわけであり、彼らは文字通り文明全体の中でそれを等分に分け合ってきたのである。
つまりこの観点からするならば、本来どちらが文明として上かという議論は成り立たないわけであり、両者の断絶をつなぐ数学的ツールとして、作用マトリックスの役割は大いに期待されるところである。実際それは、この二大文明をつなぐ最大の鍵となる可能性がかなり高いと予想されるのであり、これがなければもう未来において両者を融和共存させることは不可能ではあるまいかと考えられる。
その意義に比べれば、数学者が今の学会でもてはやされているどんな問題を解いたところで(どうせ現在では結果の点でせいぜい携帯電話の性能向上ぐらいにしかつながらないのだから)、歴史は時の経過と共に、吹けば飛ぶようなちっぽけな文明史的意義しかもたないものとして、それを端役の地位に追いやっていくことだろう。
そのため、イスラム文明への認識は数学関係者にとっても非常に重要なことなのである。
(2001年11月1日 長沼伸一郎)
http://pathfind.motion.ne.jp/isram.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/322.html#c10
46. 2014年8月04日 23:46:03 : lyfSBiEUek
何故在日韓国人の阿部は日本国内に処分場を作るんだよ???
どうしても作りたいんなら人の住んでいない軍艦島や竹島、尖閣諸島に作れよ!
http://www.asyura2.com/13/genpatu34/msg/882.html#c46
03. 茶色のうさぎ 2014年8月04日 23:47:00 : qtmOTsgWNIsK2 : A1uMoj3YXI
1次産業を守って、ひとは死んでもいいんだね。 経済優先!
11. ダイナモ 2014年8月04日 23:48:15 : mY9T/8MdR98ug : Kr2S1L17Og
>>10
いいから、3Kmも離れていて、どうして30mm機関砲がマレーシア機の操縦席に命中できるか。説明してみろ。
http://www.asyura2.com/14/warb13/msg/614.html#c11
01. 2014年8月04日 23:48:55 : Fz9HdhePO6
相変わらず上の体質と作業員待遇は
何も改善されては居ないのですね。
それ無くば今後30〜40年にわたる廃炉作業に
毎年10000人の作業員が必要…
なんて話 絶対実現不可能ですよね。
http://www.asyura2.com/14/genpatu39/msg/614.html#c1
04. 2014年8月04日 23:48:58 : e3svy6YJIs
前のは、滋賀県知事選結果との辻褄を合わせただけ。仕方なかったんですよ。
これから地方選で自民が負けたら、ちょっとだけ下げるように談合できてます。
でももし僅差でも勝ったら、また60%越えですよ。
http://www.asyura2.com/14/senkyo169/msg/430.html#c4
01. 仙芳丸 2014年8月04日 23:52:32 : tfZsKI4/C.rBA : IGPWlWCue6
そんな、なか、俎板の上の鯉、のハズだった日本人は、板前が詐欺工作に忙しくしている間、俎板を彫り込み、風呂を作ったり、腰掛けを作ったりして、居心地良く暮らしていくでしょう。
依然、偽ユダヤベースの社会構造がおおきく横たわっていますが、日本人には、そこを作り替える素養があり、なんなら、包丁を奪って、板前の指先をブッタギルほどの勇者が出てきて欲しいものです。もうすぐ、今の二十代には、そんな人も出てきそうな予感。
http://www.asyura2.com/14/cult13/msg/228.html#c1
12. 2014年8月04日 23:53:22 : dEwhHWLvTs
軍事知識も思考停止
「集団的自衛権行使容認で徴兵制導入」というトンデモな「デマ」、首相官邸を囲むデモ隊のプラカードには、この手の文言も結構な割合で混ざっていた。
10代、20代などの若年ユーザーが比較的主流とされるSNS「LINE」には、出所不明の次のようなチェーン・ツイートが回覧されていたというから驚きである。
「集団的自衛権ができたら子供は最低でも2年、自衛隊の訓練をしないといけなくなる!もしこの訓練期間中に戦争があったら戦場に行かないといけないんだって!戦争が始まって反対しても間に合わない」
ティーンの無知に付け込んで、戦争の恐怖を煽る煽動者の多くは、彼らよりももっと年長の「反安倍」というイデオロギーで結束して首相官邸前に屯する人々である。
ともあれ注目すべきは、こういった行使反対派の持つ「戦争」に対する価値観であろう。彼らの中の「戦争観」が、70年前の第二次世界大戦の時代から一歩も進んでいないのは噴飯ものである。
行使容認反対派の多くが口にする「集団的自衛権で徴兵制」という頓狂な考え方を覗けば覗くほど、「突撃ラッパと同時に三八式銃を片手に敵陣に突撃する歩兵」という「近代総力戦」イメージが根底にあるように思えてならない。
例えば『史上最大の作戦』で描写されるノルマンディー上陸作戦や、『永遠のゼロ』に登場するレシプロ機による空中格闘戦が現代の戦争でも行われていて、その「悲劇の戦場」に「自分たちも強制的に駆り出される」という根拠なき「総力戦時代の戦争イメージ」をもとに、徴兵制云々という「デマ」が毎日のように垂れ流されている。
自ら時として「リベラル」と自称し、近代国家による「上からの」社会の枠組や制度設計を脱構築することにとりわけ熱心な彼らが、こと「戦争」に関してのみ、「近代総力戦」の発想にとらわれているのは驚きを通り越して笑いさえ覚える。
これらのデマは、彼らに「軍事知識」が乏しいか、全く存在していないことに起因している。
戦争も進化している
徴兵制は現在、ほとんどの先進国で廃止されているか、事実上、形骸化している。アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、イタリアなどの先進工業国は第二次世界大戦以降、21世紀に入るまでに徴兵制度を全廃して志願兵に移行している。
西独から徴兵制度を受け継いだ統一ドイツは、NATO諸国の中で最後まで徴兵制を残した。それも徴兵による軍事的貢献と、老人や障害者介護などの社会貢献活動での代替を選べるという「選択的徴兵制」だったが、これも2011年には全廃した。
なぜ、徴兵制は次々と廃止されているのか。「世界が平和になったから」が理由ではない。1980〜90年代を通じての軍事兵器の技術革新により、「徴兵制」そのものの意義が急激に低下したからに他ならない。
転換点だったのは、1982年にイギリスとアルゼンチンの間で行われたフォークランド紛争である。大西洋の南端に浮かぶフォークランド諸島(アルゼンチン名:マルビナス諸島)を巡る両国の戦いは、当時、最新鋭の西側軍事兵器を投入して行われたものであった。
特にアルゼンチン海軍は、高度な誘導性能を誇るフランス製の対艦ミサイル「エグゾセ」を同じくフランス製の攻撃機(シュペルエタンダール)に搭載し、英海軍の駆逐艦2隻、フリゲート艦2隻など多数の艦艇を撃沈する大戦果をあげた。
戦争自体は物量と国際社会の後援を受けたイギリス(サッチャー)の勝利に終わったが、「現代戦の主力は精密航空攻撃と、それに対する対空抑止力」であるとの教訓を産み、後の「現代戦術」に多大な影響を与えたことで知られる。
このように、「空と海」に「精密誘導」という観点が加わったフォークランド紛争以後の現代戦は様変わりした。例えば1990年の湾岸戦争では、米軍が主力となって「砂漠の盾」作戦を敢行、圧倒的な航空優勢と精密爆撃のシステム化で、イラクに完勝する。
続く2004年の「イラク戦争」では、精密航空攻撃を主力とした「衝撃と畏怖作戦」が実施された。当時、湾岸戦争時にクウェートを電撃占領して勇躍した「共和国防衛隊」が再建され、中東最強の機甲師団として恐れられていたが、米軍のピンポイント爆撃に国内での移動すらままならず、壊滅した。
こうしてイラク軍は、「空と海」の現代戦に尽く敗れ去った。1980〜88年の「イラン・イラク戦争」では、「近代総力戦」の概念を背景にイラン革命軍を屠ったイラク軍は、現代戦では全く役に立たない「旧式のハリボテ」と化してしまったのである。
http://www.asyura2.com/14/senkyo169/msg/425.html#c12
04. 2014年8月04日 23:54:40 : XUQmMkdG4c
議論が荒すぎる、アルファ線とベータ―線ガンマ線はそれぞれ性質が異なる。
すべてを防護する服などないのはそのとおりだが。
http://www.asyura2.com/14/genpatu39/msg/605.html#c4
01. 2014年8月04日 23:55:43 : Fz9HdhePO6
東芝提供のサザエさん一家は
放射能汚染の心配も一切無い世界で
相変わらずの平和な暮らしを営んで居るのだな………
などと つくづく。
http://www.asyura2.com/14/genpatu39/msg/615.html#c1
02. 2014年8月04日 23:58:12 : XUQmMkdG4c
いろいろ文字が羅列してあるが要するに先のことはわからないと書いてあるだけ。
株の予想とはそんなもの。
http://www.asyura2.com/14/hasan89/msg/557.html#c2
02. 2014年8月04日 23:59:03 : jcidK9EhLJ
小沢新党、捏造目くらまし擦り込み推進本部、目くらまし飴玉製造担当兼、町内会飴玉配り担当ポストさん。
目くらまし飴玉は、食べたら危険!!! 小沢・小泉・細川・嘉田・橋本・江田その他の凶悪なエキスが練り込まれています。
ポストさんが阿修羅のみなさんを擦り込むのに躍起ですが、皆踊らず知らん顔。 どうか、小沢信者だけで、カジノで盛り上がってください・・・
http://www.asyura2.com/14/cult13/msg/228.html#c2
18. 2014年8月04日 23:59:56 : 5Av23ZSBtU
凄まじきプロパガンダが生む「現代のツアー」
ロシアの世論調査によれば、国民の実に90%がクリミア併合に賛成し、それを強行したプーチン大統領に80%以上の支持が集まったという。今やプーチンは「現代のツアー」であり、何をやっても許される存在だ。それを象徴する場面がある。
クリミア半島では、ロシアが本格的に軍事介入する以前から、ロシア軍部隊と思しき謎の集団が展開していた。しかしプーチンはその集団を、「現地クリミア住民による自警団」であると言い張っていた。ところが、クリミア併合後、テレビの視聴者参加のトーク番組に出演したプーチンはあっさり認めた。「我々は2万のロシア軍部隊を派遣した」
私はプーチンの二枚舌に呆れたが、スタジオ内に、指導者の嘘を咎める雰囲気は全くなかった。
そもそも、ウクライナ危機を巡るテレビ3局の報道自体がひどい。ブントマン副編集長(ラジオ局「エホ・モスクブイ」)の指摘通り、プロパガンダ一色である。朝から晩まで、「ウクライナ政府はファシストだ、ナチストだ」とがなり立て、ウクライナ東部の親ロシア派が武力で占拠する地域へのウクライナ軍の攻撃に対し、「無辜の住民への無差別攻撃だ」「幼稚園や学校、病院まで爆撃している」と非難。インタビューに答える現地の住民は全員が全員、ウクライナ政府を罵り、何も分からない子供たち(現地の子供たちとは限らない)に「ウクライナは住民を殺している」というプラカードを持たせて大々的なキャンペーンを行っている。
日本語通訳のリュドミーラをして、「嘔吐を催す」と言わしめるほどの露骨なプロパガンダである。
そして、毎日見せられるのが死体である。頭を撃ち抜かれて血の海の中に倒れている人々、中には子供の死体もあり、見せられる方は気が滅入ってしまう。こうした悲惨な死体を毎日目にすれば、ウクライナは自国民を皆殺しにするファシストと思ってしまうところだ。ところがこの「死体」がクセモノだった。例えば、ロシアテレビの報道番組「ベスチ」が、ドネツクでウクライナ軍に殺害されたとした男性の死体は、2012年にカバルジノ・バルカル共和国で銃殺された死体だったし、シリアの内戦で殺された女の子、精神障害者に殺された男の子を、ウクライナ軍による犠牲者とした例もあった。これらの事実は全てネットで暴かれたのだが、当のテレビ局は知らぬ顔である。
プロパガンダはさらにエスカレートしている。ウクライナは避難民に対してフィルターラーゲリ(選別収容所)を作っている、化学兵器を使っている恐れがあると非難し、ロシアは近く、ウクライナの残虐行為について、ハーグの国際司法裁判所に提訴するつもりであると報道している。ロシア軍はウクライナ東部に侵攻すべきだとけしかけることも忘れない。
「テレビは毎日、たくさんのウソにちょっぴりの真実を混ぜ、事実を単純化して見せている。テレビジャーナリストたちはもちろんプロパガンダだと認識してやっている。それが当たり前だと思っている。これは情報戦争なのだ。ウクライナだってやっているからお互い様だという意識だ」(「エホ・モスクブイ」ブントマン服編集長)
確かに現代の戦争は時として、実戦よりも情報戦争を制する者が勝敗の鍵を握る。それでは果たしてウクライナ側も、ロシアに匹敵するプロパガンダを行っているのだろうか。またウクライナ側は、このロシアの報道をどう思っているのか。私は、「ウクライナ独立通信社」のモスクワ支局長、ロマーン・ツィンバリョクに話を聞いた。
「まずウクライナのメディアは、ロシアのように統制されていません。我々は政府から、何をどう報じるべきかなどという命令を受けていない。もっともヤヌコヴィッチ大統領の時には政府からの圧力がありましたが」
ロシアがウクライナを「ファシスト」「ナチスト」と罵っていることについては、「これまでウクライナ民族は、ロシア民族にとって最も親しい民族だと思われてきた。そのウクライナ民族をなぜ攻撃しなければならないのか、一般のロシア人を納得させることは難しい。しかし、ウクライナの中にいる『ファシスト』や『ナチスト』を懲らしめるためと言えば簡単だ」
ウクライナ軍が東部の住民を無差別に殺戮していると報じていることについては、怒りを押し殺した静かな声でこう言った。「もし、ウクライナ軍が住民の安全を考えていないのなら、あのテロリストたちはとっくのとうに殺されている!彼らはわざと、教会や幼稚園、学校など一般住民がいる場所に立てこもり、そこから攻撃してくる。さらにあのテロリストたちは、自分たちに従わない人間を殺している」
http://www.asyura2.com/14/kokusai9/msg/222.html#c18
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