「年金破たん危機」を隠ぺいするGPIF改革の虚妄
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2014年06月10日(火) 町田 徹「ニュースの深層」 現代ビジネス
10年前の年金改革は、本当に、当時の自公連立政権が自画自賛したような「100年安心」なものだったのだろうか。「失われた年金記録」やグリーンピア事業に代表される「流用問題」に揺れ、何度も国民を失望させてきた公的年金の分野で、またまた、おかしな動きが起きている。
その第1は、厚生労働省が、年金制度の破たんを防ぐために法律で義務付けられている「5年に1度」の財政検証をおざなりに済ませた問題だ。
第2が、年金の積立金を運用する「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)が自家運用(インハウス運用)に乗り出すことと、日本株での運用比率を高める検討を進めている問題だ。我々のかけがえのない年金の積立金が株式相場とアベノミクスの買い支えに流用されかねない。
年金問題というと、「またか」と多くの人はうんざりするはずだ。しかし、すべての世代の人々にとって、政権や与党、厚生労働省に任せにできない深刻な問題だ。
■年金財政めぐる厚労省官僚の主張は「安心してほしい」
厚生労働省は先週(6月3日)、『将来の厚生年金・国民年金の財政見通し』を公表した。
この見通しの公表は、国民年金法と厚生年金保険法が「少なくとも5年に1度」の割合で行うことを政府に義務付けているものだ。2つの法律は、今後100年間にわたる年金の収支見通しを作成し、年金財政の健全性が保たれるか検証するよう定めている。つまり、2004年の年金制度改革時に、当時の自民、公明連立政権が唱えた公的年金の「100年安心」が破たんしていないか検証するものだったわけだ。
しかし、その中身は、法律の趣旨通り、年金財政の現状と展望を直視するものだったとは言い難い。
試算は、民間サラリーマン世帯(夫婦)に注目して、将来の、現役世代の平均収入と、退職者世帯の年金の給付額の水準を比較したものだ。前提になる人口の増加率や経済成長率を変えて、8つのケースの試算を行い、5つのケースで、「現役世代の平均収入の50%以上」が維持できるという内容になっている。
「過半に当たるケースで大丈夫なのだから、安心してほしい」という厚生労働官僚たちの主張が透けて見えるものと断じてよいだろう。
しかし、年金を取り巻く経済成長率や人口、雇用情勢、さらには期待できる資金運用の利回りといった、試算の前提の置き方が楽観的過ぎるため、新聞やテレビから集中砲火を浴びる結果になったのは周知のとおりである。
■新聞・テレビの批判以上に年金は破たんの危機に瀕している
『将来の厚生年金・国民年金の財政見通し』の試算の前提に対するものだと限定的に考えれば、こうした新聞やテレビの批判は決して間違っていない。
が、見通しや前提に拘らずに、年金制度全体を概括してみれば、「100年安心」どころか、すでに年金財政が破たんの危機に瀕していることは明らかだ。こうした立場から見れば、新聞やテレビの批判も、批判として不十分なのである。
まず、直視しなければならないのが、年金の積み立て不足の問題だ。グリーンピアなどの贅沢施設への資金流用で問題になった無駄遣いをはじめとした大盤振る舞いや、多くの人の未納によって、本来ならば460兆円前後の積立金がなければならないのに、実際には140兆円前後しか積立金がないからだ。これだけ不足していれば、いずれ収支繰りがつかなくなるのは当たり前のことである。
また、年金の未納問題が原因で公的年金が破たんするのではないかとの国民の不安を助長したくないのだろう。厚生労働官僚たちは、実態よりも、未納が少ないかのように見せようと躍起なのだ。
そのことが端的に表れたのが、今年5月に厚労省が自民党の関係部会に示したとされるデータだ。
それによると、公的年金の加入対象者数は現在、6746万人に上るが、「このうちの95%の者が保険料を納付」としていることになっている。納付していないのは、未納者(約296万人)と未加入者(約9万人)だけで、全体の5%に過ぎないという。ところが、「納付」者の中には、失業者などの「免除対象者」と学生などの「納付猶予者」が含まれており、実態は約13%が納付していないのである。
話を、年金の「1階部分」と呼ばれ、自営業者やパート労働者が加入する国民年金に絞ると、事態は一段と深刻だ。厚労省は、納付率を59%としているが、免除者と猶予者を使った統計のからくりを取り除くと、実際の納付率は40%前後に過ぎないとみられているからである。
この国民年金の給付水準は近い将来、生活保護とさして変わらないものに陥るとされており、いつ納付拒否者が急増してもおかしくない実態があるという。
■安倍首相のGPIF改革で市場はお祭り騒ぎだが・・・
もうひとつ。こうした年金財政の危うさを覆い隠そうとする厚生労働官僚の問題をそっちのけにして、安倍政権が積立金の仕組みや手法の変更に躍起になっていることも懸念せざるを得ない。簡単にいえば、安倍政権は、積立金の運用で投機色を強めて、日本株と外国株をたくさん買わせようとしているのである。
これが、GPIFの改革問題だ。GPIFは、厚生年金保険法と国民年金法の規定に基づき、厚生労働大臣から寄託された年金の積立金の管理及び運用を行い、その収益を国庫に納付する機関である。
前身は、昭和36年設立の「年金福祉事業団」。年金福祉事業団は、1980年代に、証券会社から損失補てんを受けていたことで社会的な批判を浴びた。現在のGPIFは、129兆円の資産を持つ世界最大の年金基金だ。その規模は、第2位のノルウェー政府年金基金の2倍を超えている。
最近の動きで言うと、安倍晋三首相は先週(6月3日)、経団連の定時総会で挨拶し、GPIF改革に意欲を示した。新聞報道によると、その裏で、GPIFの運用見直しの前倒しを田村憲久厚生労働大臣に指示していたという。
こうした動きを受けて、一時はすっかりアベノミクス人気が離散していた株式市場は、お祭り騒ぎだ。世界最大の機関投資家の株式シフトが買い材料とあって、日経平均株価は、5月21日に1万4000円を割り込む場面もあるほど低迷していたにもかかわらず、6月3日に1万5000円台を回復した。
1万5000円台の回復は、2ヵ月ぶりのことだった。単純計算で、GPIFが株式の運用比率を1%上げれば、1兆2900億円の資金が株式市場に流れ込むのだから、内外の株式市場関係者がはしゃぐのには無理からぬ面がある。
「3本の矢」を謳いながら、肝心の成長戦略(3本目の矢)を伴わず、イリュージョン(幻)との正体が明らかになりつつあったアベノミクスを買い支え、援護射撃するものとしても、実に効果的な演出かもしれない。
■安定収入不足を「ギャンブル」で補うような危うさ
首相に呼応しているのが、今年4月に首相の肝いりでGPIFの運用委員長に就いた米沢康博早大教授だ。米沢教授は6月2日付の日本経済新聞のインタビューで、「政府から要請があれば、(GPIFの株式運用拡大方針を)8月に発表する可能性もある」と述べた。
加えて、現在12%としている日本株運用の基本比率について、「20%というのも高すぎるハードルではないかもしれない」と語っている。米沢氏の方針は、日銀出身の三谷髞雑PIF理事長がこれまで、株式運用へのシフトに慎重で、政府・自民党を苛立たせてきたのと対照的だ。
しかし、長期的な安定利回りの確保を基本とすべき年金資金の運用で、比較的リスクの高い株式に資金を振り替えて、年金制度の危機を乗り越えようというのは、安定収入の乏しい給与所得者がギャンブルで足りないおカネを調達するのと似たような危うさが付き纏う。
特定秘密保護法の審議や解釈改憲問題を控えて、外務省出身者としてはじめての異例の人事で内閣法制局長官に就いたものの、すでに体調不良を理由に辞任した小松一郎氏。
お友達委員たちに選出されてNHK会長に就任した途端、記者会見で「政府が右ということを左とは言えない」と言い放ち、報道機関としての独立性に疑問符を付けた籾井勝人氏。
そして、反・原発再稼働の急先鋒とみられた地震学者の島崎邦彦氏に代わって、原子力規制委員会の委員に就任した原子力工学者の田中知東大教授…。
議論が割れる重要な問題で、じっくりとコンセンサスを作ろうとせず、首相の人事権を使って自らの意を汲む人物を責任者に据えることで反対を抑え込むのは、安倍政権の常とう手段となっている。
■株高演出で年金運用のリスクも高まる
しかし、今回の株高を演出するというやり方は、経済の改善策としてみた場合、無意味だ。
容姿を美しく見せたい人が、実際の容姿を整えるのではなくて、容姿を映す鏡を磨くようなものに過ぎないからだ。求められるのは、容姿、つまり実体経済を改善する方策である。
第一、巨大な年金資金がこれから株を買うといえば、先回りして買っておき、高値で年金に買わせて売り抜けるような行為がヘッジファンドを中心に横行するのは確実だ。
株式は、公社債と比べて高いリターンが期待できる分だけ、リスクも大きい。そうした意味では、過剰な組み入れは、年金の運用のポートフォリオの健全性を損ない、向う何十年間も安定的な利回りを確保しなければならない年金資金の運用の足を引っ張るリスクがある。
必要なのは、膨大な積み立て不足を補う年金の税金化や、現在、受給している世代への給付の削減など、痛みを伴う年金制度全体の改革であって、株式市場での小手先の人気回復策ではない。
高い世論の支持率を誇る首相に期待されるのは、そうした困難を明確にして、改革へのコンセンサスを作る指導力のはずである。