屋内に入っても吐血は続き、ハンドタオルで収拾が付かない為、洗面所の
バスタオルを引っ張り出し、それに吐血した。
この時に告発人は意識を失ってしまった。
告発人の怒りを買い、自宅を遠ざけていた新谷氏がこの日偶然に帰って来た。
駐車場から玄関までの血痕と血まみれになっている告発人に驚き
緊急外来を行っている日向市済生会病院に搬送し、処置を依頼した。
当直の専門医は居らず、研修医が止血の応急処置を行った。
翌日告発者は体調を持ち直したと思ったが、夜には再度吐血してしまった。
再度病院に行き、検診をしてもらった際、医師は原因がはっきりしないので、
精密検査を受ける様に告発者に伝え、緊急検査を段取りした。
この時点で告発人は己の躰の不調が死に至るのではと感じた。
告発人は新谷氏と結婚させ、すぐに籍を抜かせた未亡人に会いに行った。
未亡人はやつれていて、酒を飲んでいたのか目が虚ろになっていた。
話しを訊くと安藤氏が県知事当選したのを境に、新谷氏との接触が一切
できなくなった
未亡人は自害を考えていたとも言った。
体調不良で死を覚悟していた告発人は、未亡人に
「自分は死ぬかもしれないので、安藤氏の念書を所持して欲しい」と言い、
「もし自分がこの世を去っても、この念書が有れば切り札と成り、
未亡人の身を守る。 念書欲しさに新谷氏が、また婚姻を条件とするかも
しれないが、念書は絶対に渡してはならない。
この事を肝に命じ従ってほしい」と未亡人に告げた。
未亡人は涙を流しそれに応えた。
8月19日検査結果を聞きに行った。
19日は亡き妹の月命日であり、検査結果を一緒に聞いてくれる感じがした。
妹の同席の感覚が安堵感を生み、どの様な告知も冷静に受け入れられると
思っていた。
しかし、検査結果は意外にも異常なしの告知であった。
医師は吐血の状況と問診により、癌を含め対象となる全ての検査を行ったが
異常は見つからない吐血の原因は過度の精神負担によるものであろうとの所見であった。
告発人に既存の心疾患が再発しない処置と十分な静養が必要であると医師は告げた。
医師に従い静養を行っていた告発人に、友人から尋ねたいことが有ると
連絡が有った為」、告発人は友人宅に向かった。
友人は告発人を迎えると、世間話もそこそこに、本題の話に入っていった。
「安藤後援会本部に石川鎮雄という人物が在席している?」そう尋ねられた。
告発人は「後援会名簿を見た事はあるが、その氏名に記憶が無い」と反した。
友人は石川鎮雄を知っており、当人の経歴を知っていて、告発人に説明した。
友人の縁戚に江藤隆美議員が居て、その秘書を務めていた。
職務上の事か何かは判らないが、後の秘書となる上杉参議の逆鱗に触れて
石川は事務所を放り出された。
その後は噂もなく、十数年経っていたと。
その十数年来噂の無かった石川が、友人の夫が務める会社の博多支所に、
石川が訪問してきた。
訪問した石川が差し出した名刺には安藤後援会本部統括事務局長の肩書が有り、
今後の宮崎県の公共事業全般は自分が取り仕切る事と成ったと公言したとの事。
この言葉に腑に落ちない夫が、延岡後援会幹事長の新谷氏の妻である告発人に
石川が言っている事の真偽を確かめる様にと、そう言われて告発人を呼んだの
だと友人は説明してくれた。
友人から聞いたことを新谷氏に訊ねると、新谷氏も石川の事を知らなかった。
この事を新谷氏は安藤氏の側近に訊ねると、その側近は新谷氏を持ち上げる様に
「流石、新谷会長は耳が早い、石川に関してもう情報をお持ちか。
会長には情報を隠せない」と言った。
石川が突如後援会本部に現れ、宮崎後援会統括事務局長の名刺を差し出した。
状況を呑み込めない側近達に、5百万程度の専用車と統括事務局長の椅子を用意しろと
要求を行っていたのである。
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