資本主義社会においては、誰かか何かの利益は、誰かか何かの不利益や不幸になることは、政治家は客観的大局的見地に立って物事を思考するべきでしょう。/藤原直哉の「日本と世界にひとこと」 物価と金利が合いませんhttp://www.asyura2.com/14/senkyo164/msg/169.htmlでも述べましたが、その内、最近日本においてもその差異の幅が上下両方に亘って広がっている格差について思考してみます。
守銭奴かそうでないか。 それも部分的にあるでしょう。
格差はどこからでているのか、世界のトップ100の多くは、おそらく、一代で富を築いたのではなく、しかも、相続税を回避した、世代に亘って蓄積されたものの結果でしょう。(2009年時中国、香港、シンガポール、オーストラリア、スウェーデン、モナコ共和国、リヒテンシュタイン、ロシア、メキシコ、それに、ニュージーランド等はファミリートラストを作ると、それが回避できます。) そして、その世代、世代では、途方もない額の報酬なり利益なりをあげていたはずです。
このように、資本主義社会において格差は、職業、職種、職級等の違いから発生する単位時間労働の報酬の差異が、貨幣を通じて起こる、不当な富の移転の蓄積結果に過ぎません。 しかし、確かにそこには、医師などのように本人のそれまでの度量や努力の差、等も存在します。 でもそれを認めることは、同時にコネで様々な地位や職を得ている人の数も多いことを示していますね。
それでも、社会の土台が平等なら、機会均等なら、まだ理解できる。 でも残念ながら、近年とみに、数多くの業種、職種で二世三世がいるように、社会の硬直化や、日本を除く西側先進諸国の多くが、スパイ行為を日常的に行っているような、それをデータベース化して、今後も蓄積していくというような、超不平等社会に生かされている状況は、奴隷社会以外何者でもないでしょう。
そして何よりもそれらが依拠する根拠が、
“人間は、もし、病さえ克服できれば、人生時間は、誰に対してもほぼ、等しいに違いない”という事実で、
そして、其の誰にも、ほぼ等しく与えられた限られた時間を、其のポジションの差で報酬格差を与えることが問題の始まりで、人類に対する利益供与に値する発見や発明等の当事者に対しても決して金銭的利益を与えることなく、その代わりに、圧倒的大多数からの賞賛や賛美を受け、歴史にも其の名を残すことが約束される、で、充分でしょう。 労働対価の格差はできるだけ、小さくするべきでしょう。
(私は私の中で、人類は既に殆どの病を癒すコストも非常に安い可能性をいくつか知っています。)
そこには勿論、事故や殺人といった、人為的行為は含まれません。
あと、もう一つ、私の座右の銘でもある、
“人生時間のさらなる延長と、その限られた人生時間のさらなる自由化こそ、真の民主化の実現”
“真実探求と大多数の利益実現、環境や他生物との平和的共存こそ、人類の進むべき道”
っていうのも、論理的思考で到達した、あるべき民主主義と人類の姿なんですけどねー。
その糸口
あるべき持続可能な、循環型社会と、その、平和的な移行方法に関する考察。
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/892.html
http://www.asyura2.com/14/hasan86/msg/870.html