「日本に集団的自衛権容認を求めながらナショナリズムを批判するのは自己矛盾−ジョセフ・ナイ氏:深草 徹氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/13671.html
2014/3/19 晴耕雨読
今日の「朝日」で、ジョセフ・ナイ氏が、集団的自衛権の容認はナショナリズムとパッケージされない限りはよい政策だと主張。
ナイ氏といえば、95年に、ナイ・レポート(95・2)を書いた人物。
これは日本の軍事力を米国のアジア戦略に奉仕させるための日米安保・日米同盟を説いた重要文書であった。
米国のアジア戦略に奉仕するという枠組みの中での集団的自衛権を認めるとのナイ氏の持論からすれば、現在の安倍政権の動向は気になるところ。
米国のアジア戦略から離れて糸が切れたタコのように日本が高く舞い上がっていくのではないかと。
しかし、ナイ氏の考えは理屈倒れの感がある。
やはり学者だ。
ナイ氏は、日本は米国の思い通りに動くパペットだという一貫した米国指導者の思い上がりに毒されている。
集団的自衛権の名のもとに海外に軍事展開していくためには、米国の戦略に奉仕するということでは、国民の支持は得られない。
当然、派手なナショナリズムの衣装をまとわなければならないのだ。
米国だって地球大の軍事展開を支えるために米国ナショナリズムを煽っているではないか。
隣の国から攻められた、さぁ戦おうというなら即自的なナショナリズムが働く。
しかし、直接攻められてはいないのに世界に軍事力を展開するには、ナショナリズムを対自化し持続させなければ、忽ち国民の支持を失う。
日本に集団的自衛権容認を求めながらナショナリズムを批判するのは自己矛盾。
ナイ氏はナイものねだりをしている。
集団的自衛権の容認は必然的にナショナリズムを煽ることになる。
日本のナショナリズムは、「大日本帝国」や「大東亜共栄圏」の亡霊を呼び起こす。
始末におえないものなのだよ、ナイさん。
ナイ氏の談話の横に、またまたオジャマ虫のように、北岡伸一氏の談話も載せられている。
憲法9条、「制定直後はあらゆる戦力を持てない」との政府解釈が「必要最小限度の自衛力は持てる」と変更された。
集団的自衛権行使容認への解釈変更は、それより(変更の程度は)小さいと。
なんという粗雑な論理!北岡氏の主張は、まるで猫だましのようだ。
しかし、いつも目先を変えて珍論を持ち出すのは、おもしろいと言えばおもしろい。
くるくる変わる北岡語録だ。
かっての無法な解釈改憲を持ち出して、今度もいいじゃないかとはおそれいった。
北岡さん、泥棒も、1回目より2回目の方が重く処罰されるのだよ。
北岡氏も日本政治史の研究者に留まっておればそれなりの評価を差し上げることができた。
「清沢冽−外交評論の運命」や「官僚制としての日本陸軍」などは優れている。
しかし近時の「ご活躍」ぶりはどう見ても政治家だ。
学者の世界では、言葉は真理探究の手段。
政治家の世界では、言葉はごまかしの道具。