十勝沖地震では津波で流木が打ち上げられたが、住民の警戒心は低かった=2003年9月
信用されない「最大」の津波警報 東日本大震災で人命を奪った要因
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140227/dms1402271802029-n1.htm
2014.02.28 警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識 夕刊フジ
恐ろしい数字がある。津波の避難勧告が出たのに、実際に避難した人は6%しかいなかったことだ。2011年3月11日、東日本大震災の日の大津波警報。静岡県焼津市での数字だ。和歌山県でも4600人に避難指示が出たのに、ある避難所には6人しか来なかった。
このように東日本大震災のときには、全国的に津波警報が信用されなくなっていた。
これには長い歴史がある。1998年5月4日、津波警報が出た。沖縄、九州、四国、そして本州の南岸に最大2〜3メートルという警報だった。
港につないでいる船や港の関係者、沿岸の人々などに緊張が走った。ちょうどゴールデンウイークの最中だった。行楽を打ち切って港や家に駆け戻った人も多かったに違いない。
だが拍子抜けだった。実際に来た津波は、わずか数センチのものだったからだ。
2003年9月にはM8・0の「2003年十勝沖地震」が起きた。この地震とほとんど同じ規模だった「1952年十勝沖地震」で6メートルを超える津波で甚大な損害を被った北海道東部の厚岸町でも、勧告に応じて避難した人はわずか8%にとどまった。実際の津波は警報よりもずっと小さくて被害を起こすようなものではなかったから、人々の判断は間違っていなかったことになる。
10年以上も過大な津波警報がくり返されたので人々は警報を信用しなくなってしまった。
それには理由がある。同じ大きさの地震が同じ場所で起きても、海底での地震断層の動きかたが違えば津波の高さは大変に違う。
震源からP波とS波という地震波が出る。P波が先に進み、S波はどんどん遅れていく。雷から音と光が同時に出るのに、音のほうが遅れていくのと同じである。
津波警報の仕組みではP波だけを使って計算している。S波は、震源で地震断層がどう動いたかという大事な情報を運んでくるのだが、S波を待ってからでは間に合わないからだ。
それゆえ、地震の震源と地震の規模だけが分かった段階で「考えられる最大」の津波を想定して警報を出す。だが地震断層の動きかたによっては実際の津波の大きさが最大を想定したときの何百分の1にもなってしまうのだ。
「最大」の警報と、実際にはずっと小さい津波の繰り返し。人々が信用しなくなったときに襲ってきたのが東日本大震災だった。2万人近い人命を奪った被害が出てしまった要因のひとつは「信用」だった。
行政は住民の防災意識の低さを嘆く。しかし、夜中の警報で財布や預金通帳やはんこを探し、おばあちゃんを背負って逃げたのに予報された津波が来なかったことをくり返した人々のことを考えてほしい。行政は津波警報を信用されるものにすることこそを心がけるべきなのである。
■島村英紀(しまむら・ひでき) 武蔵野学院大学特任教授。1941年、東京都出身。東大理学部卒、東大大学院修了。理学博士。東大理学部助手を経て、北海道大教授、北大地震火山研究観測センター長、国立極地研究所所長などを歴任。『直下型地震 どう備えるか』(花伝社)など著書多数。