「日本だけが、ファシストもファシズムも復讐を誓って生きていた:兵頭正俊氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/13056.html
2014/1/5 晴耕雨読
https://twitter.com/hyodo_masatoshi
戦前と戦後とで日本は変わっていない。
大きな共通項として「無責任の体系」(丸山真男)がある。
東京オリンピックもそうだ。
これは慎太郎が言い出したことだ。
これが無責任の権化のような政治家だから堪らない。
世界中からやってくる人々の被曝は考えない。
空気は? 水は? 地震は? 4号機は?
これも無責任の典型。
福島県郡山市は、原発汚染ゴミを子ども公園21か所に、埋め捨て放置。
住民に知らされることなく。
このような公園の数は、少なくとも21か所。
警戒を促す表示もない。
しかも除染物をどこに埋めたのか、市はいろいろと理由を付けて公表しない。
これはもう無知による子殺しである。
安倍晋三にとっては、軍国主義に引っかかって苦しむ民衆こそ、安倍の世界である。
何も起こらない平和な世界こそ死んだ世界なのだ。
記者団に「わくわくしながら1年を送る」と答えた安倍の今年の抱負は、いよいよ病気を国民に移す決意を語ったものである。
国連憲章の旧敵国条項に、日本の名前がまだ残っているのは象徴的だ。
日本にとっては終戦などはなかったのである。
敗戦があったのだ。
だから何ひとつ変わっておらず、日本だけが、ファシストもファシズムも復讐を誓って生きていた。
それが巨大化し始めた。
戦争は、敗戦で閉じられるのではない。
日独伊だけが、敗戦からさらに悲劇が続いたのでもない。
戦勝国の仏でさえ、「米兵と体を重ねるのは、大地に抱かれるようなものだった。どうして大地を拒絶できるだろうか」(ブノワット・グルー)。
食べるためだ。
愚か者が始めた地獄は延々と続いたのである。
戦争は終戦後も続く。
しかも、第三国にも災いをもたらす。
「(戦後の)闇市はその後、数年にわたって(中略)横流しをする連合国兵士の懐を潤わせた。かたや、ポーランドの農民たちは、虐殺されたユダヤ人の金歯を探して、(中略)強制収容所の敷地を掘り起こしていた」(マックス・ヘースティングス)