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2013/10/19 日刊ゲンダイ :「日々担々」資料ブログ
安倍自民独裁の今の政治状況は政権交代後の民主党悪政がもたらしたものだが、一体誰に責任があるのか
読売新聞の連載「時代の証言者」は、今月7日から野田佳彦前首相が語り手となった。消費増税、震災復興、尖閣国有化、原発再稼働について、自らの政権運営を振り返るそうだが、よくもまあ、恥ずかしげもなく表に出てこられるものだ。
消費税の話だけできょう(19日)までに延々9回目。「退路を断った」「自民党とのパイプを手探りした」と増税法案成立までの道筋を手柄のごとく語っているのだ。
イケシャーシャーとはこのことではないか。国民に負担増を迫っておいて、自慢話とは恐れ入る。
また、この破廉恥連載で際立っているのは、税と社会保障担当の閣僚として自分を支えた岡田克也・副総理や輿石東・幹事長をベタ褒めする一方で、小沢一郎・元代表をトコトンまで貶めていることだ。
〈消費税を巡っては、常に小沢さんとそのグループが足を引っ張ってくることとの闘いでした〉
〈小沢さんとの会談が決まると、心配する電話がどんどんかかってきました。野中広務さんからは「殺されるなよ。小渕(元首相)さんは、あれでやられたから、気をつけろ」と言われました〉
極め付きは、「ハードル上げる小沢流」という連載7回目だ。小沢との最初の会談で「増税反対」の強硬路線から降りたがっていると感じたため、小沢が賛成できる落としどころを用意したのに、2度目の会談で小沢は言うことが変わった。増税法案で野田は自公と合意できないと見て、小沢が態度を翻した――と、こんな秘話を語っているのだ。野田の話だけを聞いていると、「小沢という政治家は、やはり政策より政局、理念より駆け引き」になる。小沢=ワル、野田=正義と言いたいらしいが、それじゃあ、小沢が諸悪の根源だったのか。
◇公約破りを「屁理屈」で片付け、増税を自慢する破廉恥
野田の連載を読んでいると、なるほど、政局屋と批判されようが何だろうが、小沢が「この男だけは潰さなきゃいけない」と思ったのがよく分かる。野田は完全に政治の本質を履き違えているからだ。
連載にはア然とするくだりがある。
民主党は09年マニフェストに消費増税を書かなかった。鳩山政権時に「任期中には上げない」と断言した。だから、増税がマニフェスト違反であるということは野田自身も分かっていた。問題はその先の野田の思考回路である。
〈任期中に上げないということは、議論して法律を作って、実施するのは任期後だったならば、ギリギリのへりくつだが、成り立つかな〉
こう思ったことを連載で振り返っているのである。私は詐欺師ですよ、と公言したようなものだ。
断っておくが、野田が持っている権力は野田のものではない。国民に公約を示し、民意が賛同し、その結果、与党になった政党が国民からの負託を受けて、権力を行使するのである。それをペテンを弄して、公約破りのために使ったのが野田なのである。
百歩譲って、増税がどうしても必要だったとしても、国民を騙し、裏切った罪は消えないのだ。国民に「申し訳ない」と懺悔するのが筋なのに、あろうことか、野田は、公約破りを「屁理屈」で片付け、自らの行動を自慢し、「公約破りはおかしい」と噛みついた小沢を批判するのだ。
野田の凶行、蛮行の結果、民主党はほぼ消滅した。仲間をなき者にし、安倍自民の一党独裁を許し、議会制民主主義を破壊した。野田は連載で、〈消費税をとるか、総理大臣をとるか、党をとるか、政治生命を懸けた〉とも語っていたから、民主党が消えてなくなるのも覚悟の上だったことになる。よくもまあ、新聞連載などに出てこられるものだ。こんな恥知らずは見たことがないし、なるほど、小沢があらゆる手段を使って、引きずり降ろそうとしたのも分かるのだ。
「私も連載を見て驚きました。政治家の回顧録は重いものです。20年くらい経って、関係者がいなくなってから振り返るものなのに、『自分が消費増税を決断したんだ』と誇示したくて仕方ないのでしょう」(政治ジャーナリスト・角谷浩一氏)
野田が自己顕示欲の塊であるのは、松下政経塾の“血”でもある。天下国家を動かす志と言えば聞こえはいいが、権力を自分の成り上がりの手段と考えている連中だ。その前提として、自分こそが権力を振るう政治家にふさわしいという、どうにもならない勘違いとおごりがある。だからこそ、増税を自慢する野田のようなバカが出てくるわけだ。
◇なぜ野田に好き勝手言わせ、デカイ面をさせるのか
庶民は野田のデカイ面を見るたびに不愉快になるのだが、ここまで野田にコケにされ、言われっ放しの小沢も小沢だ、と言いたくなる。
母親が「男は言い訳をしない。人の悪口は言わない」と教育してきたせいらしいが、今度も沈黙し、ますます、存在感が薄くなっている。
このままでは野田が正義面するだけでなく、野田の一方的な証言がそのまま歴史になっていく。小沢はこの先、“許されざる者”になってしまう。
正確に言うと、小沢は生活の党代表として、毎週、定例の記者会見は開いている。そこでは安倍独裁の恐ろしさや民主党の今後などについても語っている。とはいえ、国会議員わずか9人の弱小政党だから、大メディアは見向きもしない。かくて、小沢は言われっ放し。それをいいことにますます野田がデカイ顔をするわけだ。
「最後の小沢一郎」の著者、ジャーナリストの鈴木哲夫氏はどう見ているか。
「小沢さんは『政治は結果責任』が信念なので、言い訳はしない。なんでもかんでも『小沢が悪い』ということになってしまうが、言い訳したら小沢さんじゃなくなってしまいます。それでなくても野田さんと小沢さんは、政治家としてガキと大人ほど違う。野田さんなんか相手にせず、政界再編のタイミングをじっと見ているのでしょう。民主、維新、みんなの一部が勉強会を始めていますが、集まっているのは小物ばかりで、誰もまとめきれませんからね」
クリント・イーストウッドが監督を務め、1992年のアカデミー賞に輝いた映画「許されざる者」では、伝説のワルだったガンマンが、強引な支配者から弱者を救うため、一度は捨てた銃を抜く。こういう展開になればいいが、現状は小沢も抜け殻だから、つくづく絶望的になってくる。