情報化社会の中ではあなたの肉体や人生も「情報化」される。
あなたの持っているスマートフォンは最後に国を消滅させる
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2013年9月28日 Darkness - ダークネス
スマートフォンは、朝起きてから寝るときまで、ずっと自分のそばにあって絶えず情報を自分に送り込む。インターネットが自分の脳と擬似的に直結された状態であると言える。
それが良いか悪いかは別にして、もはやすべての人間がインターネットの接続を「強制」されるような社会となっていくはずだ。
今はすでに情報化社会の真っ只中なのだが、この情報化社会は、スマートフォンやそれに続く一連の革新的な端末により、さらに加速していくということになる。
当然、人々は大量の情報を浴びて、徐々に精神が変容していき、やがて変容した社会が世の中を変えていく。
現在のこの過多な情報化によって、何が起きているのか考えたことがあるだろうか。
最終的に、情報化社会は「国の概念」を破壊するきっかけになる。「情報化は、国を消滅させる」のである。
あなたの持っているスマートフォンは、最後に国を消滅させる。
■情報化社会は「選択・比較」できる社会
スマートフォンでインターネットに接続し、情報を手に入れるというこの「日常」の未来に、国の消滅が待っていると想像できる人はほとんどいない。
しかし、それは必然と言ってもいいかもしれない。
たとえば、現在は「転職」が当たり前の時代になっている。この転職という現象は、情報化の時代になって加速している。
これからもその流れは変わらない。変わらないどころが、これからの日本人は、転職するのが当たり前の人生になっていく。
情報化社会が「転職」を加速させるのはなぜか。
それは情報化社会が「選択・比較」できる社会であることに起因している。
情報化社会は比較し、検討し、最適なものを選べる社会だ。
すなわち、会社が自分に合わないと思えば、かつてのように「石の上に三年我慢すれば」という発想にならない。
自分に合う他の会社を検索して、捜し出し、現在の会社と比較し、どちらがいいのかスーパーで野菜を選ぶように気軽に選ぶことが可能になる。
自分を会社に合わせようとするのではない。その逆だ。自分に合う会社を選ぼうとするのである。それを情報化社会が支えているのだ。
つまり、情報化社会は、基本的に無意味な我慢をしなくてもいい社会に人々を誘導する。選択肢が与えられる。我慢するのではなく、検索し、比較し、検討し、選ぶ。
だから、情報化社会が「転職」を加速させる。
■情報化社会は自分と暮らす配偶者も「情報化」する
情報化社会が「離婚」を加速させるのも同様だ。情報化社会は自分と暮らす配偶者も「情報化」する。配偶者を情報で選ぶ時代になっている。
学歴や容姿や身長や性格や年齢が「スペック」として情報化されて、それを検索し、比較し、検討し、自分にぴったりと思うものを選ぶことができるようになる。
しかし、そうやって選択した配偶者に欠陥があった場合はどうするのか。かつては、「離婚は一生の恥」だったのかもしれないが、情報化社会に入った今では違う。
今の配偶者が合わなければ、自分を配偶者に合わせるのではない。今の配偶者を捨てて、自分に合う別の配偶者を検索し、捜し出し、現在の配偶者と比較し、どちらがいいのか選ぶ。
誰もがそうするわけではないが、基本的に情報化社会はそれができるようになっており、そういったシステムがあるのであれば、当然それを「使いこなす」人間も増えるのは当然だ。
情報化社会とは、我慢しなくても選択肢に溢れた社会なのだから、配偶者選びが間違ったと思えば、さっさと「取り替える」社会へと変貌する。
だから、情報化社会が「離婚」を加速させていく。
配偶者を情報化すると言えば、非常に非人間的で薄気味悪いと感じるはずだ。
しかし、ソーシャル・ネットワークは人間を情報化する動きに他ならない。その人の肉体的特徴や人生は「スペック」としてデータベース化され、検索・比較の対象になっている。
情報化時代では、人間はモノ化されていて商品と同じレベルにまで落ちている。
だから、配偶者も情報化されて、合わなければ粗悪品がゴミ箱に捨てられるのと同じ気軽さで捨てられることになる。
■情報化は人間を断片化してしまう
情報化社会では、趣味や関心も「選択する」ことができるようになるので、自分に合う世界、合わない世界が、自分の趣味や関心で選択できる。
人間の関心・趣味の世界は広いが、情報化社会では人は自分の好みをとことん追及できる。それぞれまったく違う生き方や哲学に浸ることができる。
これは、人間の断片化、社会の断片化を生み出すことになる。
かつて、同世代であれば、みんな同じなのが当たり前だった。同じように考え、同じような生活をし、同じような家に住み、同じような賃金で、同じテレビ番組を見て、実に均質的な社会だったのだ。
しかし、情報化社会はそれを一変させた。人々は自分の趣味や関心をとことん没頭できるようになり、社会の流行が何か、自分の隣の人が何に関心があるのか、そんなことを考える必要がなくなったのである。
隣の人よりも、インターネットの向こう側の同じ趣味の人間の方が重要になっていくのである。
だから、人間が情報によって断片化する。要するに、人間同士がバラバラになる。
人間は大量の情報をすべて消化できなくなっているので、必然的に自分の関心のある部分のみを消化するようになる。そのようにしかできないのだ。
その関心のある部分が全員「違う」のだから、人間は情報化社会を前にして徐々に各個人がまったく違う情報に接するようになる。
やがては、それが同世代に生きていても人間をバラバラにしてしまう。
つまり、情報化は人間を断片化し、社会を断片化する。
■国家という存在も「スペック」で語られる
人間を断片化する社会が加速しているが、その方向はどこに到達するのか。それは、国民意識の希薄化だ。
かつて同じ国の中で、「世代ギャップ」というものがあった。世代が変われば考え方も趣味も関心もすべて違って、互いに相手が理解できなくなるほどの断絶が生まれる。
世代で断絶が生まれたので、それは「世代ギャップ」と言われていた。情報化社会は、世代ではなく、個人個人でギャップが生じる。
同じ世代でも、接する情報がまったく違うと相手が理解できなくなる。つまり、「個人ギャップ」が生まれている。街に出て若年層の姿を見れば分かるが、今は各人がみんなバラバラである。ファッションも生き方も考え方も趣味もすべてが違う。
当然、違う相手を理解することはもうできなくなってしまい、ますます自分だけの世界へと突入していくことになる。
孤立化すると、集団や共同体からはみ出していくのだから、最終的には国民意識も希薄になる。国家という究極の枠組みでさえも希薄になるのだ。
そうすると、国家という存在も「スペック」で語られるようになって、「この国は自分に合わない」と思えば、検索し、比較し、検討し、国を選ぶのが当たり前の時代が来る。
自分に合う国を「選ぶ」ようになる。
情報化社会は、最終的に人間を無国籍にする。なぜなら国すらも、選ぼうとするからだ。そして、人が無国籍になるということは、国の概念がいらなくなるということである。
全員がそういう意識になっていくと、やがて「なぜ国という枠組みがあるのか? 要らないのではないか?」と考えるようになる。
最終的に、情報化社会は「国の概念」を破壊するきっかけになる。「情報化は、国を消滅させる」のである。
信じられないだろうか?
あなたがまだ信じられなくても、そのような時代に向かって世の中は動いているようだ。