以前にもダイナモが大好きなヒューマン・ライツ・ウォッチに関連して、『戦争屋に貢献するヒューマン・ライツ・ウォッチ』の一部が紹介されていたが、今回もダイナモがヒューマン・ライツ・ウォッチを使いシリア侵略を煽る投稿をしたので、今回も『戦争屋に貢献するヒューマン・ライツ・ウォッチ』の一部を紹介する。
ヒューマン・ライツ・ウォッチといえば土井香苗の顔をテレビで見かけることが多いが、彼女の顔を見たらこの文献を想起して欲しい。何度でも騙されるのは犯罪に荷担することである。
▼ヒューマン・ライツ・ウォッチ 土井香苗のブログ
http://hrw.asablo.jp/blog/
▼シリアのアサド政権、反体制派に毒ガス使用した可能性高い=国際人権団体 ロイター
http://www.asyura2.com/13/warb11/msg/691.html
投稿者 ダイナモ 日時 2013 年 9 月 10 日 14:49:02: mY9T/8MdR98ug
▼戦争屋に貢献するヒューマン・ライツ・ウォッチ〈中山康子訳〉 [ちきゅう座]
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/256.html
投稿者 アフターバーナー 日時 2012 年 4 月 21 日 23:02:59: jrkxmEf6yaSpQ
(回答先: シリア:超法規的処刑 国連安保理の制裁と 国際刑事裁判所への付託が必要 ヒューマン・ライツ・ウオッチ 投稿者 ダイナモ 日時 2012 年 4 月 15 日 12:11:16)
▼戦争屋に貢献するヒューマン・ライツ・ウォッチ その2〈中山康子 訳〉
「証拠を評価すること:スロボダン・ミロシェヴィチ裁判の教訓から」(ヒューマン・ライツ・ウォッチ、2006年12月) の再検討を含む―2007年2月25日(訳 07/04/02版)
〔そのU〕
エドワードS.ハーマン、デヴィッド・ピーターソン、ジョージ・サミュエリー著
Edward S. Herman and David Peterson and George Szamuely
〈なかやまやすこ:ユーゴネット〉
http://chikyuza.net/modules/news1/article.php?storyid=133
▼戦争屋に貢献するヒューマン・ライツ・ウォッチ〈中山康子訳〉
「証拠を評価すること:スロボダン・ミロシェヴィチ裁判の教訓から」(ヒューマン・ライツ・ウォッチ、2006年12月) の再検討を含む―2007年2月25日(訳 07/04/02版)
〔そのT〕
エドワードS.ハーマン、デヴィッド・ピーターソン、ジョージ・サミュエリー著
Edward S. Herman and David Peterson and George Szamuely
〈なかやまやすこ:ユーゴネット〉
http://chikyuza.net/modules/news1/article.php?storyid=129
この記事はZNetに掲載。 URLは、http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?itemid=12200
*印は訳注。[ }内の数字は巻末注。
Human Rights Watch in Service to the War Party:Including A Review of "Weighing the Evidence:Lessons from the Slobodan Milosevic Trial" (Human Rights Watch, December, 2006)
*訳注:「証拠を評価すること:スロボダン・ミロシェヴィチ裁判の教訓から」(HRW、2006年12月)はHRWのウェッブサイトに掲載されている。
http://www.hrw.org/reports/2006/milosevic1206/
*訳注:エドワード・ハーマン・・・ペンシルバニア大学ウォートン校名誉教授。経済学者、メディア分析。チョムスキーとの共著「合意の捏造」の改訂版の邦訳「マニファクチァリング・コンセント:マスメディアの政治経済学」が2007年2月に出版されている。
第1部: はじめに: ヒューマン・ライツ・ウォッチの役割と偏向
ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は米国ヘルシンキ・ウォッチ委員会として1978年に成立した。初期の文書は、その目的が「ヘルシンキ最終宣言文書の人権条項の遵守を国内・国際的に監視すること」にあると明言していた。[1] HRWは米国の1民間組織であり、かつて副議長が「もし自分の家を整理しなければ、あなたは他の国々について不平を言うことはできない」と述べたこともあったのだが、[2]その主な焦点はモスクワにあった。そうして、この文献でも、同委員会の設立は「ソビエト圏で山積みの問題を抱えるヘルシンキ監視員の活動に対する倫理的支援の表現として企てられた」と断言しており、またその初期の仕事は、ソ連を弱体化し東欧との絆を解く米国の政策を進めるよう調整されていた。[3] この組織はフォード財団から400,000ドルの元金を得て以来、その地平線を広げて途方もなく成長する一方、その指導部の加入、 [4] 資金調達、[5] および長年にわたるその役割で証拠づけられるように、西側の支配者層との緊密な結びつきから脱落することは決してなかった。HRWは、人権に対する組織的な関与とその範囲の広さゆえに、例えばレーガン時代の中央アメリカでの戦争支援について、その特徴と影響の証拠を提供するといった多くの価値ある仕事をしてきた。中央アメリカではアメリカズ・ウォッチが米国のニカラグアのコントラ、サルバドル軍および死の部隊に関して報告し、またグァテマラの国家テロは目を見張らせる驚きであり、レーガン主義者とウォール・ストリート・ジャーナルの一部の編集者の厳しい対立を導き出した。[6]
しかし、こうした無数の建設的な努力にもかかわらず、同組織は重大な時や重大な場面で米国政府の課題(agenda)を後押しし、時には外交政策の支配者層(establishment)の事実上の宣伝部として貢献しさえした。この傾向は、1990年代の初め以来ずっと、この組織が中心をおく米国政府自身が関わっている主要な競争―おそらくイラクやバルカンより明白なものはないだろうが―のいくつかの扱いにおいて、特に目立ってきている。さて、その偏向の深さのほどは、2002年3月にウォール・ストリート・ジャーナルに発表されたHRW執行理事ケネス・ロス(Kenneth Roth)の署名記事「サダムを起訴せよ」[7]がよく例証している。この論評について最初に注目すべきは、そのタイミングである。それは、米・英が国連憲章を侵害する対イラク攻撃、すなわち「ショックと畏怖」の空爆作戦と上陸作戦による攻撃、を明らかに計画しつつある時だったが、ロスは正当性のない戦争を開始することに対し警告を発していない―侵略戦争がニュルンベルク法廷(*ナチス戦犯の国際軍事法廷)により「それ自体の中に蓄積された全体の悪を含む」「最高の国際犯罪」と判断されているにもかかわらずである。[8] それとは逆に、ロスは焦点をサダムの犯罪にあて、米・英の指導者から注意をそらし、また予想される彼らの最高の国際犯罪に弁明の口実を与えるという価値ある広報活動の贈り物をしたのである。
その3年前の1999年3月24日にNATO勢力がユーゴスラヴィア爆撃を開始したとき、HRWはその行動に関して何も批判的なことは言わなかった。 私たちが見るように、HRWは、主に標的にされ次いで攻撃された国の犯罪に注目した。HRWの研究員で主にコソヴォを焦点にしてきたフレッド・アブラハムス(Fred Abrahams)は、1998年のインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙に書いた評論で、ユーゴスラヴィアの体制変更を、スロボダン・ミロシェヴィチ大統領の起訴によってか、あるいは同じ結果をもたらす米国の戦争を通じてやるのかどうかを論じた。「クリントン当局はもう十分に見たとどこで判断するのか?」とアブラハムスは尋ねた。「クロアチアとボスニアで犯した罪でミロシェヴィチを処罰しない国際社会の怠慢が、彼に再びそうした罪を免れるだろうというメッセージを送ったのだ。いまや、これらの紛争を開始したこの男が止めると期待することはできない」。[9] この文もよく米国やNATO勢力の役に立ったし、上記の2つの事例は共に、HRWによる人権の定義の明らかな改訂や、この組織を助成する西側勢力と機関が必要とするに値する犠牲者の選択を示すものである。(私たちは、第3部で、これらの戦争を止めたがらないミロシェヴィチに関するアブラハムスの声明の中の驚くべき歴史の誤伝を扱う。実際には、ミロシェヴィチは1992-1995年のすべての主な平和提案に署名したが、アブラハムスの好きな国がいつもそれらを妨害したのだ)。
ロスの「サダムを起訴せよ」は次のように始まる: 「穴だらけのイラク制裁の10年間に対するブッシュ政権の苛立ちが、対イラク軍事行動の積極的な考察を導き出した。だがもうひとつの選択肢は、まだ真剣に試みられてはいない−それは、サダム・フセインを彼の数多くの残虐行為、とりわけイラクのクルド人に対する1988年のジェノサイドで起訴することだ」。これはイラクに課された制裁に効果がなかったし(「穴だらけ」)、それを理由に申し立てられた政府の苛立ちは本当であり申し分なく根拠があったと明らかに示唆しており、支配者層は間違いや人を誤らせた主張をし、それについて当時偏向的でない解説者はいくらか疑問を抱いていたかもしれない。私たちは、「軍事行動の積極的な考察」に対する憂慮の欠如にも注目してよいだろう。
しかし同じく重要なのは、米・英により国連経由で10年間以上イラクに課された壊滅的な制裁をロスが無視することであり、制裁は1991年の爆撃戦争ですべて故意に破壊されたイラクの下水道施設、浄水および農業の潅漑システムの修理を妨げた。[10] こうした形の経済的・政治的戦争が、困窮、栄養失調および疾病を拡大する力を通して、「これまでにいわゆる大量破壊兵器で殺害された人々よりも多くの死をイラクにもたらす当然の原因なのは、もっともなことだろう」とジョンとカール・ミュラーは適切な表題の「制裁という名の大量破壊」に書いている。 [11] これは100万人の大惨事を伴い、第1位の戦争犯罪行為を構成するだろうし、人権擁護団体から大いに注目されるべきものだ。以前、CBSテレビ番組「60分」でマデレン・オルブライトが50万人のイラクの子どもの死であがなうに「値する(worth it)」[12] と言った時、ロスとHRWはよそ見をした。HRWは決して制裁に関する主要な報告書を作成しなかった。HRWは決してこの致命的な政策に対する米・英の責任に注意を喚起しなかった。 また、HRWは民間人住民を故意に飢えさせることが戦争犯罪であると指摘したものの、米・英当局がこれらの戦争犯罪で有罪だと示唆したことは決してない。また、もちろん、責任ある当事者を裁く裁判を要求したことも決してないのである。[13]
同様に興味深いことは、この同じウォール・ストリート・ジャーナルの論評で、ロスがサダム・フセインのクルド人に対する犯罪を詳細に記述しているという事実である。彼は繰り返しそれを「ジェノサイド」と呼ぶが、西側の制裁で殺されたイラク人の数がバグダッドの軍隊に殺されたクルド人の数の5〜10倍だったことには言及せず、ただ単に「ジェノサイド」の犠牲者と記述した。[14] ロスは、サダムをクルド人に対する処遇で裁判にかけることが、各々イラクに「莫大なビジネス利害」を持つフランスとロシアや、チベット人の処遇で比較されるのを憂慮する中国のせいで、困難に陥ったと断言する。だが、ロスが、米国とサダムとの商取引、彼の政権への借款、ヘリコプター・情報・化学兵器の供給、およびレーガン政権が安全保障理事会の活動からサダムを保護したことに言及したところは、どこにもない。その代わり、1998-1999年の間のHRWのベオグラードに対する非難と非正当化と平行し、2002年の初めのこの段階までに、ロスにとって最重要になったのは、イラク政権に対する非難と非正当化だった。サダムを起訴することは「彼の排除を保証しないだろう」とロスは述べ、それらは「確かに彼が統治に相応しくないという総意を作り上げる役には立つだろうが、彼の支配を終わらせるために何かなされなければならない」と付け加えた。
ロスあるいはHRWは、「ジェノサイド」という言葉を、2003-2007年の米国のイラク侵略と占領によって引き起こされた膨大な数の死者にも決して適用していない。その国連憲章侵害の結果として死亡した民間人の数は、サダムのせいだとされるクルド人「ジェノサイド」の数を、いまや6倍以上も超えているかもしれないのだが。[15] HRWはこれらの総計に対しほとんど関心がないことを示してきており、英国の医学誌ランセット(Lancet)が2003年3月の侵攻に続く最初の18ヵ月間に約100,000人のイラク民間人が死亡したとの評価を公表したとき、HRWの古参の軍事評論家(元ベンタゴンの情報分析官)マークE. ガルラスコ(Marc E. Garlasco)が素早く、この調査結果は「著しく誇張され」、使われた方法には「重複勘定のため誇張傾向がある」として片付けた。[16] そのすぐ後で、ガルラスコはその報告書に関する最初の評価を新聞に提示した時にはそれを読んでいなかったことを認めた。[17] ロスとHRWは、コソヴォでと同様にボスニア-ヘルツェゴヴィナでセルビア人が行った行為に言及し、「ジェノサイド」という言葉を頻繁に繰り返して使うことに良心の呵責を見せたことはない。そこの犠牲者はイラクでの「制裁による大量破壊」あるいは2003-2007年の侵略-占領の犠牲者に比べて遥かに少なかったのだが。 [18] もう一度繰り返すが、この言葉の使用は米国とNATOの政策支援に合わせてよく調整されたのである。
これらのすべてのケースにおいて、HRWは戦いの方法とそれらが市民に及ぼす影響に焦点を当てた。既に述べたように、これは「最高の国際犯罪」を構成する越境攻撃に対するいかなる挑戦の可能性をも回避するものだが、HRWはそれを自明のこととする(例外は下に記す)。だが、戦争それ自体が違法であるなら、その犯罪に付随する軍人あるいは民間人の殺害は、戦争の避けられない結果であり、基本的に擁護することはできないだろう。[19] だがこれはHRWの哲学ではなく、HRWはその基本的な違法性を無視する。HRWは、「戦争をはじめるかどうか―戦争が侵略に反対する国際法の規則に従っているかどうかの決定については、判断を下さない。我々は戦争の人道的結果に深い関心があるが、戦争それ自体の適法性に関する判断を下すことは、戦争がどのように行われるのかを最も効果的に監視するのに必要な中立性を危険にさらす傾向があるので、回避する・・・」と繰り返し述べた。[20]
だが、これはいくつもの立場に立つ不誠実な言い逃れだ。ニュルンベルク法廷がそれ自体の焦点を「最高の国際犯罪」に当てて説明する際に強調したように、戦争をするという決定は軍・民の双方に死傷者がでるだろうということを請合うものであるだけに、公平な人権機関はそれを無視しないだろう。 HRW自身の国が国連憲章に違反して一連の戦争を行なってきているとすれば、それ自体にあるこの人権侵害の根本的原因を排除することは、この組織が監視の権利を主張できる中立の立場を汚すものだ。
その上、HRWの指導者たちがこれらの侵略行為に満足したという証拠がある。私たちはそのことを、後でバルカン戦争のケースで論じるが、ロスが書いた「サダムを起訴せよ」は予想されるイラク攻撃を宣伝活動で支援するという形だった。ロスは、申し立てによると「人権」のために、侵略に反対する国際法の崩壊を祝いさえした。彼は「私たちは、1999年を人道に対する罪が犯された場所で主権が道を譲った年として、思い起こすだろう。」と明言した。[21] もちろん、「人道に対する罪」がいつ犯されるかを決めるのは米・英の指導者たちだが、ロスはこれらの指導者たちが適切な決定者であり国際法の基本原則の犠牲はそれゆえに正当化されると信じている。これは最近の米国の侵略行為を守る脆いベールに過ぎず、戦争をはじめる決定について判断を下すことを拒否するというHRWの主張は、実際には、侵略戦争の言い訳をするあり方だ。
---- 巻末注 ----
1. 米国 ヘルシンキ・ウォッチ委員会: 「最初の15ヵ月」(米国ヘルシンキ・ウォッチ委員会、1980年)、pp.3。「人権条項」は、1975年8月1日にヘルシンキで開催された欧州安全保障協力会議(CSCE)第1回サミットで採択された「参加国間の関係を促進する原則に関する宣言」(別名:「ヘルシンキ最終文書」)の第Z条を参照。第Z条はとりわけ「参加国は人権および基本的自由を尊重し」、また「国連憲章の目的と原則および世界人権宣言[および] 参加国が拘束される限りにおいて国際人権規約に従って行動する」ことを確認する。他の9つの条項は、国連憲章の諸原則(例えば、国家間の主権の平等(第T条)、国際関係において威嚇や武力の行使を慎むこと(第U条)、紛争の平和的解決(第V条)、他の国の内政不干渉(第Y条)など(pp.3-8)を広く再確認した) 。(さらに下記の注47を参照。)
2. ドゥシュコ・ドダー(Dusko Doder)が引用したオルヴィル・シェル(Orville Shell)の「ヘルシンキ・ウォッチ部隊が権利監視のために米国に設置」、ワシントンポスト紙、1979年3月18日。
3. 米国 ヘルシンキ・ウォッチ委員会: 「最初の15ヵ月」、p.4。この文書によって強調された活動の中では(pp.9-19)、資金調達者たちや、ソビエト圏の反体制派を代表してロビー活動および出版活動をする努力が大々的に扱われ、ソビエト、チェコおよびポーランド当局と衝突する著名人に対する連帯表明がはっきりと記された。1979年6月16日のニューヨークタイムズ紙に掲載されたヘルシンキ・ウォッチの特集ページによれば: 「ウイーンで、ヘルシンキ協定のもうひとつの目標の達成−最恵国待遇の授与−は、ヘルシンキ監視員たちの正当な権利が回復されるまで問題外だと、ソ連の指導者たちに告げられるべきである」(p.12)。米国ヘルシンキ・ウォッチ委員会は、第Z条の規範の「国内遵守」の監視という誓約に妨げられることもなく、とりわけソビエト圏をあちこち監視するために組織された。
4. HRWは、西側を本拠とする非政府組織のネットワークの主要な担い手の1つであり、米国外交政策の支配層およびジョージ・ソロスの活動と強い繋がりを持ってきている。過去6年間に、HRWのヨーロッパおよび中央アジア諮問委員会には、米国国務省の古参のモートン・アブラモヴィツ、元ヴォイス・オブ・アメリカ/ラジオ・リバティーの長のポール・ゴブル(Paul Goble)、元共和党下院議員ビル・グリーン、元駐ユーゴスラヴィア米国大使ウォーレン・ツィムマーマン、元駐ソ連米国大使ジャック・マトロック、元国連大使ハーバート・オークンらがいた。2005年までにそのグループから出たのはオークンだけである。2006年の時点で、HRWの33人の理事会役員にはカナダの元外務大臣ロイド・アクスワージー、元南アフリカの裁判官でありICTYの首席検察官だったリチャード・ゴールドストーン、カーネギー・コーポレーション社長ヴァルタン・グレゴリアン、フォーリン・アフェアーズの編集者ジェームズ・ホゲ、リチャード・ホルブルックの妻カティ・マートンや、多くの事業経営者、弁護士、学者および人権活動家らがいた。ジョージ・ソロスはHRWのアメリカとヨーロッパ-中央アジアの両方の諮問委員会を長年務めてきており、また、彼の数人の仲間も同様であり、ガラ・ラマルシェ(米国)、ピーター・オスノス(ヨーロッパ-中央アジア、オスノスはHRWの名誉理事でもある)らがいる。オープン・ソサエティー研究所(OSI)の年次報告は、HRWとの「協力関係」について、それは「ソロス財団にとって並外れて重要であり: 非譲与者(複数)との協力関係はオープン・ソサエティーの課題の重要な部分を追求する際の提携に発展してきている。」と述べる。(参照:「オープン・ソサエティーを築く:ソロス財団ネットワーク2005年次報告」、 pp.175-176 )。私たちがこの話題に触れられるのはここしかないが、同じ目的を持つ政治的組織、メディアおよび人権組織の全体のネットワークとソロスやオープン・ソサエティー研究所に資金を提供されたHRWや国際危機グループ(ICG)のようなグループが、バルカンと東ヨーロッパのいたるところで重なり合っているということは、重要である。それらのうちのいくつかを一見するには、ギレス・ド・アイメリー(Gilles d'Aymery)の「 ペテンのサークル: バルカンに群がる人権グループ図を作成する」、スワン、2001年7月23日; アンドリュー・ボルトの「正義の特売」、ヘラルド・サン紙(メルボルン)、2002年6月20日;ポール・トゥリノール(Paul Treanor)の「ヒューマン・ライツ・ウォッチの後ろにいるのは誰か」、2004年; ニール・クラークの「 NSプロフィール-ジョージ・ソロス 」、ニュー・ステイツマン紙、2003年6月2日。
5. その成り立ちが何であれ、HRWは自らを非常に収益の多い非営利企業に変えた。HRWの 「年次報告2006年 」 (現在の最新版)によれば、HRWは2006年6月30日の会計年度の終わりに3980万ドルの収入とその内3150万ドルは寄付金(「一般人々の援助」`public Support´)だと報告した。経費は3020万ドル(計画、給料および支援サービスを含む)と報告されたから、HRWはこの期間に約960万ドルを儲けたことになる (「財務情報」(pp.52-56)を参照)。HRWの財政的な支援者はと言えば、HRW には、2006年3月までの12ヵ月間に、100,000ドル以上の寄贈者が57人いたことが書いてある; 多くの資産家、ビジネスマン(その内9人は匿名)、ならびに多くの財団(アネンバーグ、フォード、ヒューレット、マッカーサー、メルク、モット、オープン・ソサエティー研究所およびサンドラー家)が含まれている。 さらに99,999ドル−25,000ドルの寄贈者が102人。また、その他に24,999ドル−5,000ドルの寄贈者が数多くいる(pp.62-65を参照) 。それぞれの事例に与えられた正確な金額は報告されていない。だが、ソロスのオープン・ソサエティー研究所がHRWに100万ドルを与えたことは興味深い。(それ自身の年次報告「オープン・ソサエティーを築く:ソロス財団ネットワーク 2005年次報告」で報告されており、ここでは、HRWがオープン・ソサエティー研究所の「長年の」被譲与者だと記されている(p.172))。ジョージ・ソロスの名前は、100,000ドル以上のもう一人のHRW寄与者として別に挙げられる。 確かに、HRWのウェブサイトのアーカイブ(文書保管庫)に保管された最後の5つの年次報告書の各々には、「100,000ドルあるいはそれ以上」の寄贈者の中にソロスとオープン・ソサエティー研究所の双方が挙げられている。 (2001 年p.38、2002年 p.50、2003年 p.40、2005年 p.63、2006年 p.62参照) 。 HRWの資金調達は幅広いが、まさに非常に裕福な人、企業、支配者層の財団およびジョージ・ソロスとオープン・ソサエティー研究所といった際立った顔ぶれの、頭でっかちの構図がある。
6. ウォール・ストリート・ジャーナル紙は「アメリカズ・ウォッチとの不穏なビジネス」に関する1つの悪名高い社説で、レーガン主義者の雄弁に追従し、キューバやロシアの側で米国に対抗するこの組織を非難した。「彼らはヘルシンキ・ウォッチと共にソ連と東欧における人権支援で獲得した道徳的権威を、ラテン・アメリカで浪費してきている」とこの社説は結論した。「私たちは、純粋無垢にノンポリ的ではないことを認める。私たちには、全体主義を広げる者をではなくそれに抵抗する者を、疑わしきは罰せずとする傾向がある。アメリカズ・ウォッチは正反対をやり、そしてそれをノンポリ的と呼ぶ」。「『ユニバーサル・スタンダード』」、1984年8月17日。残念ながら、HRWのウェブサイトのアーカイブには1990年以前のことはほとんど保管されていない。だから、この組織(つまりアメリカズ・ウォッチ)の米国の第Z 条規範侵害を監視する仕事で、何が断然最も重要なものだったのかを、電子的形態で見ることはできない。
7. ケネス・ロスの「サダムを起訴せよ」、ウォール・ストリート・ジャーナル紙、2002年3月22日。
*訳注 ケネス・ロス・・・ケネスの父は1938年にナチスの迫害を逃れてドイツを出た。ケネスの人権活動の始まりは、1981年ポーランドの戒厳令発動に対して。1987-93年位までHRWの副理事。
8. 侵略戦争の違法性に関し、「ドイツの主要な戦犯に対する国際軍事裁判の最終判決」 (1946年9月30日)を参照。特にこの文章は「共同計画あるいは共謀および侵略戦争」から引用された。
9. フレッド・アブラハムスの「 西側はコソヴォでセルビア人の残虐行為を見逃す」、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙、1998年8月5日。
10. 参照:トマスJ.ナジ(Thomas J. Nagy)の「制裁の裏の秘密: 米国はどのように意図的にイラクの水道設備を破壊したか」、プログレッシブ誌、2001年9月; およびジョイ・ゴードンの「大量破壊兵器としての経済制裁 」、ハーパーズ・マガジン誌、 2002年11月。早くも1991年6月にニューヨークタイムズ紙が、イラク の基幹施設に与えた損害に関する「ブッシュ政権内部の評定」では、「イラクはエネルギーと技術を集約的に使う産業への依存がすべて不能となり、 暫くの間は産業以前の時代に戻るだろう」と結論したと報じていた。パトリックE.タイラーの「米国当局者はイラクの復興には長くかかると信じている」、ニューヨークタイムズ紙、1991年6月3日。ワシントンポスト紙は1991年の戦争の間の米国の標的戦略を要約し、「その目的と標的の選択」は必然的に民間人より軍人の方が少なかったと報じた: すなわち「イラク社会を十分に不能にする」ことである。同紙は次のように続けた:「古参の将校たちは、最悪の民間人の被害は命中しなかった爆弾によるものではなく、狙ったもの−電気関係の工場、精油所および輸送網を確実に撃つ精密誘導兵器によるものだ」と言う。「空爆作戦に中心的な役割を果たした」信用の置ける筋の話では、いわゆる「戦略爆撃は・・・『国家それ自体の保持を可能にするすべてのもの』を攻撃する」。バートン・ゲルマンの「連合側の空爆戦争は遍くイラクを攻撃 ; 当局者は戦略が純粋な軍事目標を越えたことを認める」 、ワシントン ポスト紙、1991年6月23日。
11. ジョン・ミュラーとカール・ミュラーの「大量破壊の制裁」、 外交問題誌、5月/6月、1999年。「極端な形式でとはいえ、経済制裁の潜在的破壊力は、イラクで最もはっきりと極端な形で見ることができる」と著者は特筆する。「この人命の損失が米国で大きな印象を与えていないことは興味深い」。
12. マデレン・オルブライトのレズレイ・スタール(Lesley Stahl)への答えは「サダムを罰すること」 、CBSのテレビ番組「60分」、1996年5月12日。彼らのやり取りは正確には次のようなものだ: スタール: 「私たちは50万人の子どもが死んだと聞いています。つまり、それは、その、ヒロシマで死んだより多くの子どもですが、あの、それだけの値がありますか?」オルブライト: 「私は、これは非常に難しい選択だと思いますが、その値は――私たちはそれに値すると思います。」
13. かつてHRWが人権の擁護者が持つべき厳粛さで「大量破壊の制裁」を扱うことに最も接近したのは、「1997年世界報告書」の中での「イラク」参入の下でであり、後に、国連安保理メンバーに対する2つの文書で、人間に対する影響を削減して民間の経済再建を支援するために制裁の再構築をするよう呼びかけた。ハニー・メガリーの「 国連安全保障理事会への手紙 」、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、2000年1月4日; および「イラクに対する包括的な通商停止に関する説明のための覚書」、ヒューマン・ライツ・ウォッチ(2000年1月)を参照。 1997年の文書は、「1949年のジュネーブ諸条約の第一議定書の民間人を餓死させることを戦争の方法として禁止する第54条」に明らかに気づきながら、「国連」でさえ「国際人道法の慣習的な規範に拘束された」と明言する。「説明のための覚書」は、「安全保障理事会は、それがイラク住民の福利に課してきている措置の重大な影響に対する責任を共有しなければならない」と主張する。「安保理は、この破壊的かつ致命的な力の当事者として、その行動が基本的人権の原則により確立された条件の枠内にあることを保証しつつ、それ自体を取り除くためにできる限りあらゆる手を尽くさねばならない」。この後の介入もまた、人道援助の努力を阻むことで、圧倒的な「唯一の国」(米国)の役割を際立たせた。しかし、イラクの民間人から生命と自由を奪うための戦争の方法として制裁を用いるという現代における最も明瞭かつ劇的なこのケースでは、国際司法裁判所あるいは長年の執行に最も責任のある国々の政治指導部を裁判にかける特別法廷への委託要請は、決して付け加えられなかった。代わりに、HRWはよく知られている優先事項を維持し、その機会を、「ジェノサイド、戦争犯罪および人道に対する犯罪行為に責任があると確かな筋から報告されているイラクの当局者および元当局者である個人を起訴し可能な限り裁くために、延び延びになっている国際刑事裁判所の設立に向けて即刻手段を講じること」を国連安保理に思い出させるために利用した。(「イラクに対する包括的な通商停止に関する説明のための覚書」、2000年1月)
14. ケネス・ロスは、およそ1,140語の論評の中で、バグダッド体制の実践について記述するのに、少なくとも8つの異なる時期に「ジェノサイド」という単語を使用したが、制裁体制の影響については一度たりとも使っていないことを、私たちは特筆する。
15. ジョンズ・ホプキンズ大学の公衆衛生学部ブルームバーグ校のギルバート・バーンハムが率いる研究者チームによれば、2003年3月の米国の戦争開始から研究を終えた2006年7月までの40ヵ月の間に、戦争の結果として654,965人のイラク人が死亡したかもしれず、その内91.8パーセント(あるいは合計601,207人)が暴力的な原因で死亡したかもしれない。参照:ギルバート・バーンハム等の「イラクの戦争の人的損失: 大量死研究、 2002-06年」、ランセット誌第368巻、9544号、2006年10月14日、(マサチューセッツ工科大学の国際研究センターのウェブサイトに投稿された)。
16. ガルラスコ(Garlasco)はワシントンポスト紙に次のように告げた:「彼らが使った方法は、重複勘定のために確かに誇張傾向がある・・・。これらの数字は誇張されているように見える。」、ロブ・シュタインの「イラクの民間人の死者は推定100,000人」、ワシントン ポスト、2004年10月29日。ガルラスコが応じていたオリジナルの研究については、レス・ロバーツらの「 2003年のイラク侵攻前後の死者: 集団サンプル調査(cluster sample survey)」、ランセット誌第364巻、9448号、2004年11月20日(ウェッブサイトの「死傷者算定」に投稿)。
17. リラ・グターマンの「 失われた数(Lost Count)」、高等教育年代記、2005年2月4日。
18. 旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所(ICTY)の実態的人口統計班に雇用された2人の研究者エワ・タビュー(Ewa Tabeau)とヤクブ・ビジャク(Jakub Bijak )によれば、「ボスニア-ヘルツェゴヴィナの戦争に関連する死者数の合計は102,622人[だった]、その内47,360人(46%)が軍の犠牲者[だった]、戦争に関連する民間人の死者は約55,261人(54%)[だった]」。参照:「1992−1995年のボスニア-ヘルツェゴヴィナの武力紛争における戦争に関連する死者: 以前の評価に対する批判と最近の結果」、ヨーロッパ人口ジャーナル誌、第21巻、2005年6月、p.207。 (さらに下記の注32を参照。)
19. 参照:マイケル・マンデルの「アメリカはどのように悪事を見つけられずに済ませるか: 違法な戦争、付随的損害および人道に対する罪」、プルート・プレス、2004年、pp. 3-28。ここでは侵略戦争固有の犯罪性が詳細に議論される。HRWとは正反対の議論の中で、マンデルはニュルンベルクの首席検察官ロバートH.ジャクソンの言葉を引用する: 「戦争に訴えるいかなることも−いかなる類の戦争も−本質的に犯罪の手段である。戦争は、必然的に、殺害、猛攻撃、自由剥奪および財産破壊の道である。まったくの防衛戦争はもちろん合法であり、これらの合法的行為は有罪を免れる。しかし、戦争それ自体が違法な場合には、戦争に携わった者が犯罪を行ったと説明することで、本質的に犯罪行為が弁護されるはずはないのである」(p.6) 。参照:「ニュルンベルク裁判手続き、第2日目」、1945年11月21日、裁判記録pp.145-146.20。
20.「イラクに関するヒューマン・ライツ・ウォッチの政策 」、2002年後半あるいは2003年の初め頃。今にも起ころうとしている「最高の国際犯罪」への関心を恥ずかしげもなく否定することは更に続く: 「他の武力紛争の場合と同様、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、要するに、イラクとの差し迫った戦争を支持もしないし反対もしない。私たちは、イラクと周辺諸国の民間人にとって戦争が始まる危険が、米国やその同盟諸国の民間人にとってよりも−あるいは結局はイラクの人々にとって−大きいのか小さいかのは考えない。私たちは、ジョージ・ブッシュ大統領が提起した『先制自衛』ドクトリン(主義)の適法性を巡る、あるいは国連安全保障理事会の戦争承認の必要を巡る激しい議論に関してはコメントしない。」
21. クレイグR.ホイットニーの「近寄るな:人権のための戦いの中の無人地帯」、ニューヨークタイムズ紙、1999年12月12日。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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